親戚のおじさんに打ち方の注意をされた翌日のこと。
咲は家族麻雀をしていて、何か違うと思っていた。
微妙に空気が違う。悪いものではない。少なくとも昨日のようなものとは違っている。どう表現したらいいのだろうか。気のせいと片づけることができるほどのものなら知らない振りをすべきか。それでもいい気がした。
「ツモ。1000・2000」
「これで三連かー。そろそろ止めないと」
「このまま役満までいく。そう簡単にさせない」
照の自信に溢れた発言が咲に火をつけた。
姉に不安そうな様子はなく、やれるものならやってみろとばかりに待ち構えている。咲が憧れ、尊敬する姉の姿だ。あまり勝てないが、一緒に麻雀をするのは楽しい。姉に勝とうと本気で挑む。負けることはそんなに悔しくない。そんなことを気にするよりも、咲は勝つことを優先していた。
この日はいける気がした。照の支配は確かに強いものがあれど、やはりそこはまだ子供だった故に今ほどの強さがなければ、不安定なものであった。
「カン。ツモ!」
一瞬の隙をついた形で咲は和了を決め、更には逆転までした。このままトップで終わらせたいものだ。
「よし。このまま勝つよ」
意気込む咲に牌は応えるように配牌は良好だ。咲が知らず、気づかぬ内に放っているプレッシャーを照ははねのけ、まっすぐ向き合っている。配牌こそ平凡な照だったが、咲のプレッシャーに負けず、恐れずに立ち向かう姿が牌に気に入られたのか、ツモは良好。
まさにどちらが勝つか分からないものとなった。二人とも自分が勝つつもりでいたし、負けるとは思っていなかった。
(分かる。感じる。うん……)
咲は悟った。次のツモでカンができる。そして、嶺上開花を決めて勝利。完璧だ。気持ちに余裕ができ、ついにこにこと笑った。
その妹の姿に照は確信した。
(次で咲がツモする。させちゃだめだ)
ここは妨害しなくては。と頭では理解しても、妨害するために必要なものが出なければどうにもならず、咲のツモを見届けるしかなかった。当然ながら、咲は嶺上開花を決めて勝利した。
久しぶりに照に勝てたとあって、咲は喜んでいた。その笑みに曇りはなく、何処までも綺麗で、まるで花が咲いたかのように可憐だ。見ているとつられて笑ってしまう。
「お姉ちゃん」
照の隣に来た咲は物欲しそうに見上げた。服の裾をちょんとつまみ、催促するように引っ張っているのが何とも言えない愛らしさを放っていた。ドキドキしていそうな様子もある。
「ん。頑張ったね、咲」
照は咲の頭に手を乗せ、痛くないように優しく撫でる。これに咲は気持ち良さそうに目を閉じ、嬉しそうに頭を撫でられている。その内に咲は照に背を預けた。
(こうしてるとただの甘えん坊だね)
凄く幸せな時間だ。この時間が終わる時が来ることを誰も予想していなかったろう。
例のおじさんが来ると母親から言われた。
「咲、カンはしないようにね」
「うん」
「ちぇ、今日はつまんないね」
照の文句に両親はごめんねと小さく謝った。
別に両親から聞きたかったわけではないし、言ったつもりもない。あくまでも文句はおじさんに向けられたものだ。何故二人が謝るのかと思ったが、理由は簡単なので考えるのをやめた。
とにかく咲はカンをせずに打てばいい。
それだけのことであるが、本人はもうやる気をなくしている。カンできない。つまり全力を出せないということであり、照に負けるのは必定。いつも照に勝つためにずっと本気で挑めたが、今日は戦うための武器を奪われたことで気力は最低そのもの。
このあからさまで、隠そうとしていない或いは隠せない妹の姿に照は苦笑するしかない。照も照で本気で打つ気はない。本気でない咲と打っても楽しくないのに、自分だけいつも通りの麻雀を打って勝つのはもっと楽しくない。
いざ、おじさんが来ても咲の態度は変わらない。カンをせずに打ち進める。その間に、というか普通に打ってて照をどうこうできるはずもなく、姉の連続和了がはじまる。姉も姉でやる気はなさそうだが、和了放棄をするわけにいかず、どんどん決めていく。
(うう、次で飛んじゃう。何でもう……)
照にその気がなくても能力は発動する。この展開に一番嬉しくないのは照本人で、どうにもできない苛立ちと悲しみから涙目になる咲を見て、胸がチクリと痛んだ。
もう、もういい。我慢しなくていい。咲の好きな麻雀を打って。言いたい。これらを言って咲に楽しい麻雀を打たせたい。しかし、そうしたら両親に迷惑がかかってしまう。咲も大事だが、両親も大事だ。咲もカンをしないことを了承している。ちらりと見ると、目を擦って小さく頷いた。我慢する、と言っている。なら、照にできたのは言葉を飲み込むことだけだ。
「ツモ、8400オール」
虚しい勝利だ。勝ちと言えない勝ち。楽しくなければ、経験にもならない空っぽな勝利。明日になれば捨てたくなる悲しい勝利。
負けた咲のぐっと堪えた泣き顔を見ると、やるせない気持ちになった。いったいどうしてこんな麻雀を打ってしまったのか。疑問を晴らせぬまま次へと移った。そこで問題というか、咲がうっかり嶺上開花を決めてしまった。
「咲ちゃんは将来大会に出ようとか考えるか?」
「えっ、うん。お姉ちゃんと出たいなあとは思ってる」
「私も咲と出たいよ」
「そうかあ。だったらカンをする癖は直さないとな。今はたまたまあがれてるけど、そんな偶然は続かない。いやでも、……まさかとは思うが、イカサマしてないよな?」
「やってないもん!」
あんまりな物言いに咲は怒った。我慢して打ってるのにこれだ。本当なら照の連続和了を止められた場面が何回かあった。勝敗はともかくとして、もっといい勝負ができた。あくまでも結果が出てからの話ではあるが。
咲にとって今やってるのは麻雀擬きだ。本当の麻雀は心が躍るもので、感覚が研ぎ澄まされ、牌に一喜一憂する、そういう素晴らしいものなのだ。その麻雀をぶち壊しておいて何を言い出すのやら。おじさんが心がこもってない謝罪を一言だけした。
――心に漆黒の液体が一滴落ちる。
何かが違う。違和感。前よりも大きなものだ。
(あれ?)
家族麻雀をしているとよく分かった。右手と左手が鎖に結ばれ、斜め下に伸ばされている。自由をなくす何かが確かに存在していて、しかし姿を完全には見せていない。
両親の顔がいつもよりも暗い。照は気づいていなさそうだ。つまりその程度のもので、ちょっとよくないことがあったぐらいのレベルだ。気にする必要はない。明日になれば消え去るほどの小さいもの。
おじさんがいないのに、何でかカンをしてはいけないような空気が流れていた。冷たい空気の流れが足元を通り過ぎる。足裏をくすぐるような感じだった。
どうして両親の表情をそんなに気にしている。どうして空気なんかで不安になる。気づいてもすぐに忘れる。或いは全く気づかないで終わる。そういうものなのだからとっとと忘れて麻雀を打てばいいのに、咲にはできなかった。
何を怖がっているのか。おじさんがいないのだ。ならばとことん麻雀を楽しめばいい。そういう話だ。難しいことは考えず、気づかずに打てばいい。
「カン。ツモ」
宣言をした時だった。
(何?)
ビシッと固まった。場の空気やら何やらが固まり、思考が一瞬止まった。してはいけないことをしてしまったかのような感じになる。和了したのに、いつもの自分のやり方で和了したのに気持ちは縮こまっていく。
はあ、と吐息が聞こえた。
後ろからだ。
何かが後ろにいた。咲は確認することができなかった。怖かった。一度見たら何もかもを失い、砕かれるような気がした。だから、何も知らない振りをした。すると後ろにいた何かはすっと消えた。
この場の空気に怯えた咲がした想像みたいなものだったのだ。壁の染みが人の顔に見える、というものと変わらない。要するに錯覚だ。
落ち着きを取り戻した。咲の変化に気づかずに、母が口を開いた。
「咲」
「何?」
「おじさんが来た時にカンしたら色々嫌でしょ?」
「うん。何か、すっごい気分やになる」
「だからね、今からあまりカンをしないように打ってくれる? 私たちは別に咲の打ち方が悪いとは思わない。でも、あの人はね……」
「普段からやることで、あの人が来てもカンを我慢できるようにするってことだ。いざ、その時に我慢しようたって無理だからな」
「そう。それに悪いことだけじゃないの。咲はカンに頼り過ぎてる所があるから、強くなるために別の打ち方をするだけよ」
両親の話は理解できた。おじさんの前でカンをせず打てるように普段からやっていこうというものだ。継続は力なり。その言葉がぴったり当てはまる。しかし、ただカンを我慢させるだけだと咲は落ち込む。それならと両親は考え、やる気を出してもらうために強くなれると言った。
「うん。頑張る!」
予想していた恐怖はなかった。安心が声に力を入れた。やや大きめの声だ。両手を握り拳にして胸の前に持ってくる。気合いを入れ、家族のために、自分のために麻雀を打つ。
カンが全くできないわけではない。それに考えを変えると、無闇矢鱈とカンをせず、理由のあるものにするのだ。カンができるからとついついやっていたのをやめ、無駄なく、最高の打ち方をする。
自らを鍛える打ち方をする。何と言ったか。今の自分が何をするのか。知っているのに上手く思い出せず、と思ったら急に頭に浮かんだ。
(そう、縛りプレイ!)
強くなるために。家族に迷惑をかけないために。咲は楽しそうに笑い、極力カンをしない打ち方をはじめた。
具体的には一局につき一度だけ、というものだ。しかし、半荘で見た場合一度か二度だけだ。ないこともままある。それでも咲は笑みを崩さなかった。
一ヶ月が経過した頃、咲はずっとしたいことがあった。家ではカンを極力しない打ち方を続けてきた。そのおかげで基礎は随分とよくなったし、いざというときも大丈夫そうだ。だが、一度ぐらい好きなように打ちたい。我慢するのに疲れたし、楽しくなくなってきた。
「はあ……ん?」
居間のテーブルに様々なチラシがあった。その中に麻雀教室の無料体験をお知らせしているチラシがあり、何となく手にとる。
子供を対象としているようで、興味があるなら来てくださいというものだ。
(大人と一緒じゃないと駄目かな? いやでも書いてないし……そうだ、嘘を吐こう)
好きなように打ちたい。麻雀教室の無料体験。もうお分かりだろう。そこに行って好きなように打ちまくる。日頃のストレスを解消すべく。照ばかり普通にやれてズルい。
そのチラシをポケットにしまい、自分の部屋に戻る。
「ふふふん」
期待するように笑う。麻雀教室の大人やその日来る子たちがどれぐらい強いのか知らないものの、自由に麻雀をやれるなら何だっていい。むしろ家族以外との麻雀ははじめてかもしれない。
「私やお姉ちゃんより強い子たくさんいるかも」
それが現実として存在する確率は地球が逆回転するのと同じぐらいだろう。つまりあり得ない。発生しない。血も涙もないのかと疑いたくなるぐらいに残酷な発言だ。
足をバタバタと動かし、布団を叩く。期待が胸を膨らまし、好奇心が体を動かす。麻雀教室にはどんな人がいて、どんな麻雀を打つのか。楽しみでしょうがない。それもそうか。今まで咲は我慢をしてきて、麻雀本来の楽しみを忘れかけていた。そこへ降ってわいたような幸運のチラシ。
「嶺上開花できたらいいなあ」
ある意味箱入り娘なわけで、世間一般の平均的な実力を知らない咲は不安な顔になる。ここに父母がいたなら、間違いなく「むしろ咲が手加減しないとだからね」と言っただろう。その上で咲に自分がどれだけ強いのかも教えたはずだ。そして、相手の子の無事を神に祈ったろう。
咲の期待と不安が入り交じった心。その二つの下で顔を出している感情――希望――に彼女は気づいていなかった。
咲が麻雀教室に通う。それは運命の日だ。
もしも麻雀教室に行かなかったら、今の宮永咲は存在していなかったろう。
全てを変えるだけの出会いがそこにはあり。
自由を知った少女は我慢をするのが嫌になり。
自分の麻雀を打てる場所を求めた。
5000文字前後をやると後二回か一回。もはや私にも分かりません。文字数多くし過ぎて更新が一ヶ月経ちました、は洒落になりませんし。
個人戦決勝って前半戦後半戦あるのか。多分ないとは思いますが……どうしようか悩み中なう。
洋榎「ひろべえや」
恭子「きょうべえや」
絹恵「きぬべえや」
由子「のよべえなのよー」
漫「すずべえや」
怜「ときべえや」
竜華「りゅうべえや!」
セーラ「セーべえや!」
フナQ「Qべえです!」
泉「いずべえや!」
十人「十人揃って、十兵衛じゃい!」
咲「何事!?」
続きます