真夏のインターハイ。
三年生は引退前の最後の試合となるだけに意気込みは後輩たちのそれとは質も量も異なる。決勝、準決勝となると一年生で活躍できるのは少ないと言われている。裏を返せば活躍できたら以後二年間も活躍できることになる。
会場入りをした清澄の面々はまず人の多さに驚いた。清澄にはないが、強豪校ではレギュラー入りしていない部員は応援席に回されるし、ある程度の雑用もしなくては駄目だ。もちろん強豪校ともなれば部員の数は多い。
そういったいわゆる二軍までの生徒で通路は埋まっている。まあ今日はトーナメント表の場所決めだけで終わるので一般人が来ていない。マスコミの方も人数は押さえめと言ったようで、取材対象はシード校とその他一部ぐらいなものなので、時間が来るまで自販機横のベンチに座ってコーヒを飲みながら雑談している。
「凄いじぇ! 長野じゃ見られないじょ」
「そうですね。こんなにたくさんの人を見るのははじめてです」
「はぐれないでよねって、大丈夫か」
そんな子供はいないわね、と後から付け足した言葉にみんなは一瞬だけ優希を見て、視線を前に戻した。
「和?」
横の通路から懐かしく、耳に慣れ親しんだ声が届いた。思わず長野に来る前の楽しい思い出を頭に浮かべる。それは走馬灯のように一瞬の内に駆け巡り、自分でも気づかない内に名前を口にした。
「穏乃」
友達の名前を口にした。ただそれだけであるはずなのに泣きそうになるぐらいに喜んでしまった。
頬を綻ばせて和は横の通路にいるであろう友人たちと向き合う。
阿知賀で出会った友達三人と麻雀教室にいた赤土晴絵がいた。他二名は初対面なので名前は知らないが、穏乃たちと一緒という所を見ると仲間なのだろう。
「うおおおおおおおおおお! ちょー久しぶり!」
「元気そうにしてるじゃん」
「うわあ、和ちゃん久しぶりだよー」
フォローできないぐらいにうるさいのが穏乃、軽い感じに挨拶をしてきたのが憧、見てるだけで感情が伝わってくるのが玄。晴絵の方も言葉にはせず、黙って笑みを浮かべて再会を喜んでいる。
こんな風に再会するとは思っていなかっただけに驚きと喜びは大きく、今にも涙が流れそうなぐらいに感情が高ぶっている。
「和、この人たちは誰かしら?」
「彼女たちは阿知賀にいた頃の友達と麻雀教室で教えていた大学生です。髪をポニーテールにしてるのが高鴨穏乃、今風の女子高生っぽいのが新子憧、黒髪のロングの人が松実玄、大学生が赤土晴絵です。他の二人は会ったことがないので分からないです」
「どうも。鷺森灼です」
「私は松実宥です。玄ちゃんのお姉ちゃんです」
(残酷な組合わせだじぇ)
間に憧が入っていたらそうでもなかったが、自己紹介したのが宥と灼だったことで、失礼な話ながら比べてしまった。マフラーをしてる宥は美人で優しそうで、スタイルなどもモデル並だ。それに比べて灼は何というか、これからに期待が似合う子だ。
「一ついいかの?」
「何でもどうぞ」
「その人は何でマフラーをしてるんじゃ」
「私は寒がりで、マフラーしてないと駄目なんです」
「今夏よね、真夏よね?」
「特異体質でしょうか」
「恐るべしだじぇ」
「我慢大会優勝できそう」
「宥姉だったら余裕だろうね」
「というか負ける姿が浮かばない」
「私のことよりもみんな和ちゃんに言うことあるんじゃないの?」
「そうでした」
宥に言われてはっとなった穏乃が満面の笑みを浮かべて告げた。
「私たち阿知賀で全国に来たんだ。和たちは……残念だったね」
「確かに負けましたが、しかし来年は出てみせますよ」
思ったよりも落ち込んでいない和を見て、穏乃たちは安心する。そのまま会話を楽しんでいると、阿知賀の背後から棘のある声が飛んできた。
「ちょっと、通れないから邪魔なんだけど」
「す、すみません」
「ごめんなさい」
「えっえっ」
「どうしてこんなとこに」
(あらあ、思わぬ再会、ね)
久は冷や汗を流しつつも、余裕のある笑みは崩さない。
視界に入れた瞬間、心臓が跳び跳ねた。さっきまで冷房いい感じに効いてると思っていたが、思わぬ人物の登場で冷房いらずになった。どころか厚着したくなった。露出した肌を冬の冷気に似たものが撫でるせいだ。寒いとすら思えてしまう。玄、久、まこ、優希、宥、灼、晴絵、穏乃がぶるりと震えた。
彼女を見ただけで思考すらも一瞬だけ飛んでしまった。驚きだけではなかった。そうなった原因は彼女が無意識に放つ威圧感のせいだ。ナイフを首に突き立てられた時のような、本能的恐怖。本能が今すぐ逃げろと叫ぶ。頭痛がするぐらいに叫んだ。
特に酷かったのは優希と玄だ。二人は頭痛が辛いのか手を頭に当て、壁に体を預ける。
「さ、き……」
そよ風でも吹けば消えてしまう弱々しく、掠れた声が照の口から洩れた。本人にとってその声は腹の底から捻り出したものだった。幸いなことに照の声のおかげで優希たちは咲の威圧感を感じなくなり、楽になれた。
今すぐに妹に話しかけたい。昔のことを謝りたい。涙で視界が朧気になる。咲の姿をまともに見れない。
照に対して咲は反応を見せず、何事もなかったように淡と一緒に通り過ぎる。淡も咲に何かを言うでもなく、何も見ていない風に振る舞う。
「待って下さい!」
二人を足止めしたのは和だ。彼女の大声のせいで近くを歩いていた生徒が足を止め、何だ何だとその光景を眺める。野次馬根性を隠さない人たちに気づくことはなく、和は非難するように尋ねた。
「久しぶりに会ったお姉さんに何か言うことはないんですか!? それとも過去のことを引き摺って、今の宮永先輩を許さないんですか!?」
「うわ、何こいつ。うざい。サキ、こんなの放っといて行こうよ」
淡に返事をせず、数秒ほど立ったままでいた。淡が名前を呼ぼうとした時に咲は言った。
「私に姉はいません。その手の質問はもうしないで下さい。迷惑です」
「最低ですね。姉をいないことにするなんて。家族を何だと思ってるんですか!」
「最低なのはあなたですよ。誤解を招くことを大声で言って。私のことなんか何も考えていない。聞くにしても時と場合を考えてくれませんか」
「あなたという人は……!」
冷然とした態度をとる咲に、和は悔しさと怒りから奥歯をギリっと鳴らした。もういいですよね、と口にする咲に和は食い下がる。
「あなたがそんな態度をとってるから先輩は辛い思いをするんです! 第一両親にそんなのを見せて何とも思わないんですか!?」
「もう私は家族に対して何も思っていません」
顔だけ振り返った咲が見せた目はその言葉が真実であることを語っていた。冷たく、無機質な目だ。とても人間がするようなものとは思えない。それを見た和は衝撃を受け、何も言えなくなった。
「うう、寒いよう」
「これ以上は時間の無駄なので行かせてもらいますね」
顔を戻すと咲は淡と共にその場から去る。その背中に名残惜しさとかそんなものは感じられない。本当に咲は何とも思っていないのだ。
「あはは……何とも思ってない、か」
嫌いよりも酷い。前にどこかで好きの反対は無関心と聞いた。好きや嫌いは相手に対して関心があるからこそで、無関心は言葉通りの意味となるので好きや嫌いの反対が無関心になると。
もう咲にとって姉というのはどうだっていいものなのだ。自分は何のために頑張ってきたのか。このインターハイに全てを賭けたのが馬鹿らしくなった。もう何もかもがどうでもいい。
「何とも思っていない、ねえ。きついことをさらりと言うわね」
「部長、今言うことじゃないじぇ」
「照。諦めたら駄目よ。憎まれてないだけいいじゃない。それに私はあの子の言葉が信じられないのよね。態度や目は確かにそうでも、信じられないのよ」
「どうして?」
「さあ? これは私だけの確信よ」
まるでそのことに自分でも気づきなさいと言うようであった。
久の考えはあり得ないものと切り捨てても構わない。というか理由を一切語らないので、たんなる気休めと考えるのが自然である。照はそうしなかった。三年間一緒にいたというのは大きく、久が安易な気休めを言う人物でないのは分かっているし、何より久の表情が読めないものになっている。こういう時の彼女は本当に考えがあるのだ。
何より三年間一緒にいたという友達を信じられない人間ではない。ならば、久を信じよう。それは自分が救われたいから、楽になりたいからというものであっても、今は信じたい。
「うん。久を信じるよ」
「これで間違えとったらかなりきついのう」
「何で余計なことを言うんですか!」
「さて、照が元通りになったことだし、行くとしましょうか」
久の一言にその場にいた全員は頷く。
その時に阿知賀の面々はひそひそと話す。
「かなりだったね」
「ああも言うなんてね」
「うう、姉妹なのに」
「玄たちみたいに仲良しじゃないのは見てて、ね」
「寒すぎるよ……」
「仲直りできるといいんだけど」
そんな会話もすぐに終わる。
全国一を決める戦いのトーナメント表が決まり、解散となったところで清澄と阿知賀はもう一度合流し、近くの喫茶店に入る。
久が暗い顔、もとい自信をなくした阿知賀の面々に声をかける。
「いや、本当に気の毒ね。よりによって昨年活躍した永水のいるところに入って、更に準決勝ではあの白糸台なんてね」
「頑張ってください」
「頑張るも何も鹿児島のエースと白糸台のエース、もう詰んだよね」
穏乃の言葉に頷きはしなくても冷や汗を流す阿知賀の人たち。去年大活躍をした神代小蒔と中学一年から敗北を知らず、勝利を重ねてきたエース宮永咲がいるブロックに割り当てられた。
勝利が薄いと落ち込む阿知賀に照は希望があることを教える。
「むしろいいことかもしれない」
「はっ?」
「咲はそれこそスーパーエース級の強さがあるけど、神代小蒔も最強モードに入ると並みのエースなんか簡単に蹴散らすだけの力を発揮する。阿知賀が永水との最初の戦いを凌げば、この大会トップクラスの二人がぶつかる。そこに活路ができる。咲は神代を押さえつつ点数を稼ぐはずだから、むしろ点数の出は穏やかになるんじゃないかな」
「そうだね。確かに宮永咲が神代を押さえに回れば、目も当てられない事態は避けられるか」
「はい。そこが阿知賀の分岐点になります」
神代の稼ぎを咲が押さえてしまえば、これまでの流れからすると50000点だけしか先鋒では動かない。実際にこうなるとは限らないが、一人辺りの平均失点は16000~17000となる。80000点を下回らずに次に繋げられる。
決勝への希望ができたことで、阿知賀メンバーの不安は薄まり、固くなっていた表情は和らぐ。その後清澄も永水の研究に協力する。そんなオカルトあり得ませんという発言が出ると穏乃たちが懐かしいと笑い飛ばした。
そして、迎えた永水との初対戦。
(ふえええ……)
(もういや)
「ツモ。3000・6000」
(強すぎや)
神代小蒔が三人を一方的に攻める。後半戦ラストの和了で二位との点差は80000点に到達した。
(これが去年の牌に愛された子で、トップクラスの実力を 持つ人……)
はじめて知った。これがトップクラスの実力だと。県予選とはまるで違う。シード校に選ばれた永水のエース神代小蒔。これだけの力を発揮していながらまだ最強ではない。準決勝で本当に何とかなるのだろうか。
この永水との初対戦は散々な結果で終わる。
改めて清澄と合流した彼女たちに晴絵から下された言葉は重いものだった。
「このまま白糸台と永水と戦っても勝ち目はない。今日何点差つけられた?」
「120000点」
「次はその永水より強い白糸台が出てくる。宮永咲が神代を押さえても今のままじゃ論外!」
「うう、寒いことばかりだよ」
「お姉ちゃんは悪くないよ。私が稼げなかったからだよ」
「私は、何もできなかった」
ズーンと落ち込む穏乃を憧が慰める。石戸霞の守備はレベルが高く、ツモでやっと削れるものだ。しかも下家を安易には鳴かせない。見ているだけで勉強になるものだ。一度石戸霞に教わりたいと穏乃は密かに思っていた。
今のままでは本当に勝てない。それどころか今度は一番レベルが低いとして阿知賀は狙われかねない。
「うちらが相手になってやるけえ。こっちにはチャンピオンがおるし、色々と役に立つじゃろ」
「そうね。私たちも和の友達には勝ってほしいわ」
「私は個人戦までの調整がしたいからお願いしたい」
清澄からの提案に阿知賀はありがたく引き受けた。渡りに船とはまさにこのことだ。
阿知賀としても十年前の再現は避けたい。本当ならベスト8まで来れたことに満足してもいいぐらいだ。しかし、今回の目的は監督の晴絵が越えられなかった壁を越えることにある。
こんなところで負けるわけにはいかない。
問題というか、初対戦がこんな感じなのは他の高校が浮かばなかったからです。本編で出てる高校は準決勝、決勝で使いたい。となるとその前の対戦はあまり書かなくてもいいかな、みたいな。そんなのよりも衣と咲を見たいでしょうし。
次は咲と最強小蒔と阿知賀のドラゴンロードと漫出てきます。