「こっちよね」
学校を抜け出してきたわたしは森の中をさまよっている。ああ、こんな場所にまで来るとはなんて健気なわたし。
「公園――で、念話はこっちから聞こえてきた気がする。でも、合ってるのかしら?」
さすがに自信はない。前世で操ってた力とはちょっと性質が違うのよねぇ、この世界の魔力は。
しかも念話なんて初めて使ったし。
ああ……間違ってたらどうしよう。ロートスの声に緊張感はなかったけど、でも何かの間違いでわたしがたどりつく前に死んでしまうかもしれない。
「それは、冗談になってないのよねぇ」
馬鹿げた心配……と言われるかもしれない。
けれど、わたしにとってはまるで喉にナイフを突きつけられているかのような恐怖を感じている。
だって、星はわたしを置いて駆け抜けて行ってしまう。“前”だってそうだった――彼は言葉だけ残して逝ってしまった。
ぎり、と歯をかみしめる。
「早く、早くしないと――」
また、置いていかれてしまう。そんなのは嫌だ。
だから走り続けよう。彼が声をかけてくれるのを待つのではなく、自分から一歩を踏み出す。たぶんそれはあのとてつもなく恐ろしい黄金が教えてくれたことだと思う。
――っ!
何かを感じた。これは魔力の乱れかしら? とにかく、その方向に向かってみよう。全速力で!
「なんか黒いの見つけたぁ⁉」
何あれ? あんまり禍々しい感じはしないけど、ちょっとヤバそうな感じ。物質化した魔力ってことかしら。
あいつの向かってる先は、イタチ? 赤いネックレスを付けたイタチが倒れている。あれが黒いのの狙い?
なら、放っておけないわね。
「でぇりゃあああああ!」
ドロップキック!
黒いのはぶっ飛んだ!
我ながら無茶苦茶だけど、魔力があったからって魔法をつかえるわけないじゃない。つーか身体強化くらいしかできないんだから仕方ないでしょ⁉
後ろのイタチを見る。
どうやら気絶しているだけみたい。
なら、あの黒いのをぼこぼこにしてあげましょうかって――
「いない! 逃げられた」
仕方がない。このイタチだけ持って、ロートスの探索を再開しましょうか。
「あー。助けてもらったみたいだな。ありがとな」
あら? これは念話じゃない。あいにくと人の姿は見えないんだけど、どこにいるのかしら。でも、森の中だからって人影を見逃すかしら。このわたしが。
近くにいるのはイタチだけだし。
「え? ちょ――ロートス。どこにいるの?」
「お前が持ってるだろ」
はい? そういえば、念の波動は手でぶらさげているイタチから聞こえる気がする。
「え? じゃあ、もしかして――」
信じたくないけど。
「俺がロートスだよ。けど、今はユーノ・スクライアだ。ユーノで頼む」
「わたしは高町なのはよ。なのはで構わないわ」
転生、か。これって女神様の祝福かしら? でも、さすがにここまではやらないだろうし、そもそもロート……ユーノがイタチになっている意味が分からない。
手出ししたくても、できないってこと?
「そうか。ところでなのは――」
「あによ?」
「固いものが押し付けられてるんだが」
ぶん投げた。……失礼な奴め。そういえば、こいつはそういうやつだった。
「ちょ? おい――けが人を手荒く扱ってんじゃねえよ」
イタチが怒る。全然怖くないし――そもそも怒ってるのはわたしだぁ!
「うっさい。乙女心は複雑なのよ」
「お前、上にも下にも乙女って歳じゃねえだろうが」
むかっ! この小動物め――言ってはならんことを。お姉さんが少し教育してあげましょうか。
「ねえ、ユーノ君? わたし、身体強化なんて“生まれて”初めて使ったんだけど、どれくらい握力が上がったかその身で試してみる?」
「――ごめんなさい」
イタチは青くなって答える。――青くなれたのね。ギャグマンガみたい。
「わかればいいのよ。で、動物病院にでも連れていく?」
「いや、休ませてくれればそれでいい。治療魔法があるからそれで十分。1週間もあれば回復できる」
「そう、じゃ――あ」
「おい。なんだその不吉な前ふりは? なんか襲ってきたか?」
イタチはきょろきょろとあたりを見渡す。
「そんなんじゃなくて。わたしの家は喫茶店なのよ、だからユーノ君を匿えるかなって」
さすがにマズいわよねぇ。巷には猫カフェとかいうのが存在するらしいけど、やっぱり衛生的にはいけないことじゃないのかしら。営業停止とかになったらシャレにならないし。
わたしとしてもママに迷惑はかけられないのよ。
「おいおい。俺は普通の動物じゃねえぜ? おとなしくしておけばバレやせんだろ」
「いや。わたしの家って、わたし以外はなんか凄い剣術習ってるから、ユーノ君が足を踏み入れた時点で気づくと思うよ」
うん。わたしの一族はどうかなってる。つか、身体能力で言えば聖遺物持ちほどのレベルよ。そのわりに身体強度は柔いけど。
でも、ま――ロートスは知らないか。
「どうにかなんねえのか?」
「うーん。隠してわたしの部屋に入れるのは不可能に近いかも」
「いや。別に廊下でいいぞ。ガキとはいえ女の部屋に入るもんでもねえだろ」
「ふふーん。それはダメ」
得意げに却下する。そんなことをわたしは許しはしないのだー。
「何言ってんだ、てめぇ」
「あ、そうだ。ママを説得してみることにするわ。動物大好きだからなんとかなるかも。ううん、なんとかしてみせるから」
「あ、いや。別にそこまでしてくれなくても――」
あっはっは。困った顔してる。
「さ、行きましょ」
せいぜいわたしの腕の中で困ってなさい。
「おい、俺の話を聞け。てか腕に力こめんな。固いんだよ」
「…………」
無言で腕に力を込める。
「だから腕に力こめんなって――潰れ……」
むしろパンツァーファウストぶちこんでやろうか?
「なのは!」
びっくぅぅ、と体をすくめてしまう。
「……アリサちゃん?」
おそるおそる後ろを向いてみると、二人の鬼がいた。いや、ホントマジで圧迫感がシャレにならないんだけど。
本物知ってるわたしでもたじたじよ、これ。
「なのはちゃん。私、保健室で寝ててって言ったよね? 間違ってるのは私なのかな?」
「えーと……それにつきましては釈明の機会をいただきたいと――」
「そんなものはない」
黒い雰囲気を放っているすずかちゃんをどうにか説得しようと思ったら、アリサちゃんが逃げ場を塞いでいる。
「えーと……あのー」
「そこになおって。なのはちゃん」
「あ……わたし、ちょっと用事を思い出しちゃったー」
「あなたにそんなものはないでしょうが」
ふふん。それは甘いよ、ワトソン君。わたしの胸にはちょうどいいダシがあるのだ。
「このイタチが怪我してるから病院に連れて行かなきゃならないの」
(おい! 病院はいいって言っただろうが)
聞こえなーい。
「ん? なのは、それフェレットじゃない」
「はい? フェレットってなに?」
聞いたこともない。それっておいしいの?
「いや。あんたの持ってるやつ、イタチじゃなくてフェレットよ。そのくらい覚えときなさいよ」
「え――それってどこの常識?」
「女の子の常識よ。かわいいいペットの情報くらいは仕入れとくものなの」
「いやぁ。そんなこと言われても」
犬屋敷と猫屋敷の住人といっしょにされても……
「って、その子怪我してるじゃない!」
始めからそう言ってるわよー。
「じゃあ、行きつけの動物病院があるからそこに行きましょうか」
なんか行きつけの動物病院ってすごいわね。ペットを飼ってるとそういうものなのかしら。でも、この二人の家が飼ってる数は凄いからなぁ。
「――あ、なのは。大丈夫?」
「わたしがどうかしたの? アリサちゃん」
「いや。動物病院には犬がいるだろうから大丈夫かなって」
「そ。そんなことないわよ。い、犬なんて、全然こわくなんて、な、ないんだから。白い犬を見たって、震えたりなんかしないんだからね!」
「いや、手が震えてるし」
「大丈夫? 私たちだけで行ってこようか」
何をぅ! このくらい――ユーノ君のためなら耐えて見せるわ。
「強がってなんかいないんだからね! ほら、早く行こう」
「――あ、なのはちゃん」
いったい何よ!
「そっち、方向が逆だよ」
わたしは大人しく二人についていくことにしました。
「大事ないようで良かったね。なのはちゃん」
「そうね。まあ、8割がたあんたの我儘で即日退院だった気もするけど」
「いいじゃない。命に別状があったわけでもなし」
わたしたち三人はベンチに腰を下ろして話している。
ユーノ君の治療は1時間もかからなかった。けれど、今は小学生にとっては遅い時間だ。日も暮れてないうちから遅い時間だと感じるとは、ずいぶんと子供じみていると我ながら思ってしまう。
しかし体は正直なもので9時以降になると頭が全く働かなくなる。
――前は徹夜なんて当たり前で、夜が明けてから昼まで寝てるとかけっこうやったものだけど。今は体が持たないわね。
「でも、あんたはいいの? ってか、そのフェレット飼えるの? あいにくと私の家じゃ食べられちゃうかもしれないからその子飼うのは難しいんだけど」
「残念だけど私の家も無理かな。猫ばかりの中にフェレットが一匹だけってのは、さすがにね」
まあ、動物屋敷でも、だからってこともあるでしょう。けれど、それはこっちにとって好都合ってものよ。
「大丈夫。絶対にわたしが説得するから」
ユーノ君はわたしのもの。絶対に離さない。
「そう。ま、あんたがそれでいいなら構わないわよ。なんか問題あったら相談しなさい」
「私も、できることがあったら手伝うからね」
その気持ちには素直に感謝しておこう。――ユーノ君はあげないけど。
「ありがとう。そろそろ遅いし、帰ろうか?」
っても、まだ6時にもなってないけどね。
「そうね。――あ、そうだ」
立ち上がったアリサちゃんが悪魔のごときにやにやわらいを浮かべる。
くそぅ。髪の色もあって、あのおちゃらけ金髪を思い出すわね。
「私の家にご招待するわ」
「……アリサちゃん。なのはちゃんは犬が苦手なんだよ」
「でも、さっきは大丈夫だったじゃない」
「でも――」
すずかちゃんは目線で大丈夫? と聞いてくる。そんな風に聞かれたら。
「ありがたく受けさせてもらうわ。そもそも犬なんて苦手じゃないし」
と答えるしかない。……くそぅ。
「なのはちゃんが大丈夫なら、それでいいんだけど」
「大丈夫に決まってるじゃない。それにわたしは犬に吠えられて泣きそうになったことなんて生まれてこの方ないもの」
「……一昨日」
目をそらす。
「何のことかしら?」
「じゃ、説得頑張ってね。陰ながら応援してるわ」
「また明日。なのはちゃん」
「すずかちゃんとアリサちゃんもね」
「――というわけで、ユーノ君を飼わせてほしいの」
こういうのは直球が一番。パパにそのままお願いみる。いや、他に何も思いつかなかったわけじゃないのよ?
「……むぅ。我儘なんてほとんど言わないなのはの願いだからなぁ。叶えてやりたいが」
やっぱり難しいかしら?
「いや、大丈夫じゃないかな。そのフェレットは大人しそうだし」
「そうそう。厨房にさえ入ってこなければ問題はないんじゃないかしら」
と思ったら、お兄ちゃんとお姉ちゃんが援護してくれる。さてと、ママはどうかしら。きっと協力してくれると思うけど。
「なのは。ちゃんとお世話はできる? 一つの命を世話するってことは、遊びじゃないのよ」
それは言われるまでもない。
どころか、きっとわたしのほうがわかるだろう。経験の差というか、最悪最低を見たから。天狗道……他者を自分の飾りとしか見ない。大切なものがただ己のみだから、命なんて知ったことじゃない。
わたしは、あいつらとは違う。腐臭のする“自分”を持たない細胞どもとは違う。お世話だってうまくやってみせる。
とはいっても、ユーノ君はそういう意味でのお世話なんか必要としてないだろうけど。
もろもろ含めて、自信を持って頷ける。
「約束する」
「なら、構わないわよね? お父さん」
「ああ、なのはがきちんとお世話するのなら問題ない」
嬉しくて笑顔が顔に広がってしまう。
「ありがとう」
やっぱり、わたしの家族は優しい。これが、戦いの果てに掴んだものだというのなら踏み台になって殺されるのも悪くない。