「……フェイト」
アルフはベッドの上でもがき苦しむフェイトを心配そうに見ている。
「なんで、こんなことに……!」
怒りをたぎらす。こんなことになったのは管理局のせいだ――と恨み言をつぶやく。
「あいつら、殺傷設定を使ったんじゃないだろうね」
苦しむフェイトには内出血の痛々しい青痣が浮かんでいた。もちろん、殺傷設定が原因などとはアルフの勘違いである。
殺傷設定を使われていたら切り裂かれていた。おそらくは内臓に穴を開けられ、死んでいたろう。なにせ相手は幕引きと呼ばれた男。終わらせることに関しては彼の右に出る者はいない。その彼が必殺と決めた一撃をよもやしくじるはずがない。
ゆえに、あれは加減した一撃。病人でもなければ、よく眠った後のようにすっきりとした目覚めを得られるはずだ。そうでないのは、まさに彼女が病人だからに他ならない。
「……くそ」
アルフは苛立ちを、唇を血が出るほどにかみしめて紛らわす。ベッドを殴りつけでもしたら、その衝撃で首が折れてしまいそうな――そんな危うさをフェイトには感じる。だから、こうやって看ている。
ただ、見ている。そもそもタオルの重さに首がもつのか? そんな疑問が湧き上がるから、濡れたタオルを頭に乗せるなどとてもできない。
「こんなとき、治癒魔導士がいてくれれば」
ベッドの上で絶対安静、では足りない。彼女は有能な魔導士であり、軽い治癒魔法くらいは修めている。
それでも、焼け石に水だ。
彼女の症状は、その規模さえ無視すれば筋肉痛にも似ている。規模……激痛が全身の筋肉におよび、激痛は神経を焼くほどのものなれど。実際、自分の保有する以上の魔力を無造作に叩き込まれた結果の筋肉とリンカーコアの損傷が原因だ。
「……フェイト。しっかりして。フェイト」
激痛はフェイトの精神を犯し、自分がいま寝ているのかすら分からぬ中――彼女はこんなことを考えていた。
――なぜ、この犬はここにいるのだろう。
そう、ぼんやりと思っていて。そのことをアルフは知る由がない。なぜ彼女が苦しんでいるのか、それは――激痛でも熱でもなくて、ただ他者が近くにいるからだなどとはとても想像できることではなかった。
「……こうなりゃ、あの女を頼るしかないか」
苦々しげに吐き捨てて部屋を出ていく。それだけはしたくない、と言った顔。でも、それ以外に選択肢はない。そもそも薬を入手しようとしたところで、薬屋がどこにあるのかわからなければ、熱を抑える薬がどれかも知らない。そして、この世界でリンカーコアの治療ができるはずがない。
フェイトはアルフが出ていったのを確認して、安らかに寝息を立て始めた。
屋上でアルフは結界を張り、通信を開く。
「プレシア。……いるかい?」
彼女の表情を見る限り、相手は好意的とは言えない――いや、はっきりと嫌悪を示す相手である。しかし、相手はそれ以上に――まるで糞にでも対面しているような顔をしている。
「……なにかしら? ジュエルシードの蒐集が完了したわけでもなさそうだけど」
応えるのは心底他人と話すのを嫌がっているような声。通信のウインドウに表れたのはどろどろとした女の執着、そして他人への憎しみを集めたような女の顔。
この女の顔はこう言っている――てめえら、全員死んでしまえ。と、さぞ気持ちの悪いものを見るように人を見ている。
「フェイトの容体が悪いんだ。そっちもわかっているだろう? 今フェイトを動かしたら死んぢまうよ」
「そう。それは残念ね」
言葉とは裏腹に清々したとばかりに、初めて笑みを浮かべた。それを見て、アルフは憎しみを募らせる。
「あんたは……!」
「今後は不用意な通信はやめなさい。ここが管理局にばれてしまう。そのくらいは犬でもわかると思ったけど。予想以上にあなたの知能指数は低かったみたいね」
「貴様……そんなことを言っている場合じゃないだろう!」
「命令は変わらない。くだらないことで私を煩わせないで頂戴。今後はこの通信回線は破棄するわ」
「なんだって? おい、プレシア――あんたはフェイトのは母親でしょうが!」
「ああ、そうだ。今持っているジュエルシードを持ってきな。なにかあるとまずいしね」
「――っな!」
「糞でも、おつかいくらいはできるかしら」
言い返そうとして、通信を切られた。おそらくは通信設備そのものを壊してしまったのだろう。ノイズしか返ってこない。
「――」
母が言ったことをフェイトに言ったらどんな顔をするか、それを予想して心が痛くなる。それでも、言わないわけにはいかないだろう。
「フェイ……」
部屋に入ると、部屋の主は寝入っていた。
「寝ているときは、あどけない寝顔をしてるんだね」
だからこそ、許せない。こんないい子を、あんなになるまで酷使しておいて、そして見捨てる。この子の母を想う気持ちを裏切った。
――憎い。
あの女が……憎い。
「アルフ。なんでそんな顔をしてるの……?」
「――フェイト。起きたのかい?」
慌ててアルフは笑顔をつくろう。フェイトは母親のことを好いている。あんなどうしようもない奴をどうして好きになれるのかはわからないが、悪く言えばフェイトは悲しむ。
「うん。……通信? 母さんから――」
「あ、それは――」
正直、このまま寝ていてほしかった。少しでも、体を休めて――あんなやつに会うのはいくらでも延期してほしかった。きっと、フェイトを治してなんてくれないだろうから。
「? 読むよ。……そういうこと。わかった。アルフ、今から母さんのところに向かうよ」
アルフの気持ちを露とも知らぬフェイトは体を起こし、手紙を読む。それだけでどれだけの重労働になるのか。しかし、フェイトに苦痛の顔色は見えない。それをよかったとだけ思ってしまう、それが何を意味するのかも知らずに。
「でも、フェイトの体は」
「大丈夫。とても調子がいいんだ」
そう言って、部屋を出ていく。そして両者はともに気づかなかった。
「プレシア……私は奴が憎いよ」
「うん。アルフが邪魔だなんて思うわけないよね。あれは――ただの悪夢だ」
気付かないまま、すれ違ったままに物語は進んでいく。
そして、局面は残酷劇へと移る。
「フェイト。――これだけ?」
冷然と、虫けらを見るような目でプレシア・テスタロッサはフェイトを見る。
「はい」
フェイトは震えるしかない。しかし、どこかに笑みがあった。この状況を、まるで歓迎するような雰囲気。
「たったの6つ。ああ、悲しいわ――母さんはあなたをこんな糞に育てたつもりはないのよ」
目の前の娘を我が子と言いながら、愛情を抱いているようには見えない。ただ、嫌悪しているだけだ。
「ごめんなさい。母さん」
震えるフェイトがひざまづく。許して、許して――と頭を垂れ、怒りが過ぎ去るのを待っている。いや。
「――フェイト。できそこないの子」
鞭が皮膚を叩く重い音が響いた。
「……あぐっ! が! ――うぎっ!」
鞭は何度となく振るわれる。すでに彼女の体は傷ついている。無理に魔法を使用させられたせいで、全身に激痛が走っている。
そこに鞭。刑罰として鞭打ちを行う地域がある――しかし、実は決められた回数に意味はない。それに達する前に激痛で死ぬからだ。
ゆえにフェイトは死んでいなくてはおかしいし、プレシアは殺していなければおかしい。
「……うう」
見ていられない、とばかりにうずくまり耳を塞ごうとしているアルフ。彼女は扉の向こう側に隠れるようにして居たが、違和感に気付き始めていた。
何かがおかしい。
フェイトが鞭打ちに耐えられることが――ではない。そこまで思考は及ばない。だからこれはもっと観念的なこと。
――これは、フェイトなのか? 姿形はまさしくフェイトだ。長年とは言えずとも連れ添ってきた年月があるから見間違えたりはしない。そもそも自分はずっと彼女についていた。入れ替わりなど、する暇などなかったはずだ。
考えても、あれはフェイトだとしか思えない。しかし、感情はこう叫んでいるのだ――なにかが違う。フェイトは以前の彼女とは違っている。別人に成り替わったのか、影響を受けているだけかはわからない。
違和感が膨れ上がる。
大体、プレシアだとて初めからこうだっただろうか。確かにいけ好かない奴だった。あいつに好意なんて抱くことはあり得ないと断言できる。それでも、あいつは会った時から他人を拒絶していただろうか。見下してはいても、他人を心底邪魔だと思うような唯我は持ち合わせていなかったように思う。
――ああ、そうか。違和感の始め。なにがきっかけで違和感を感じ始めたか。それがわかった。フェイトの眼だ。ベッドで苦しむフェイトの眼には、プレシアと同じ“他人なんかいらない”という想いがあった。
大体なんで気付かなかったんだ。あいつが持っている馬鹿げた魔力――それは、前の戦いでフェイトが使ったものと同じではないだろうか。
なにかがおかしい。
どこで狂ったのだろう。なにが悪いのだろう。なにかがある。それだけは確かだ。でなくてはおかしい。
そう、たかがSSランクの魔導士があれほどの力を振るえるはずがなかったんだ……! 気付いたアルフは顔を上げる。決意とともに。具体的なことは何も知らない。だけどプレシアを倒せば、フェイトに取り憑く“もの”も消えてくれると信じたかった。
たとえ、プレシアに挑むということが断崖に飛び込むような蛮勇であったとしても。