「正気かよ?」
ウェールズとの話を終わらせてホールに戻ったルイズは、まず最初に麦野に事情を説明した。すると、麦野は案の定眉を顰めてそんなことを言ったのだった。
ルイズは、そんな麦野にまったく迷いを見せずに頷いた。麦野が溜息を吐くが、それでもルイズの意思は変わらない。
この期に及んでルイズが麦野の力をアテにしているとは、流石に麦野も思っていないのか、そんなルイズにわざわざ釘を刺すことはしなかった。
「で、どうするつもり?」
「……別に、あんたは付き合う必要ないのよ?」
「冗談。アンタが私を頼るつもりないのは理解してるけど、別に私は『ご主人様』の力量を信頼している訳じゃない。そして、私はまだアンタに死なれちゃ困るの。いざってときには、アンタだけでも攫って脱出する。だから此処で離れるわけにはいかない」
「……ありがと」
「その台詞を吐くのは、もう私なしじゃどうしようもなくなったときね。アンタは精々『どうだ見たか!!』って私に勝ち誇れるように努力しておけばいいのよ」
「……そうね、その通りね」
ルイズは頷いて、前を向いた。
同時に、おかしい、とも思った。麦野沈利とは、こういうときに皮肉交じりとはいえこんな風にルイズを激励する人間だったか? 麦野の言動が原因で精神を持ちなおしたことは今までにも何回かあるが、それらは別に麦野の心遣いとかではなかった。単純に麦野が適当に言った言葉を、ルイズが勝手に受け取って勝手に奮起しただけだ。今回の様に激励の言葉を出されるのは、今まで一度としてなかった。
どうにも麦野は上機嫌のようだった。風のルビーの話をしていたときもそうだったが、今はそれ以上のように思える。……この作戦が成功すれば、風のルビーは得られなくなるのに。
そんなルイズに、麦野はもう一度同じことを問い掛ける。
「で、もう一度聞くけど、アンタこれからどうするの? 尻拭いをするリスクがある以上、作戦内容は聞いておくべきでしょ?」
「ああ、そうね。これから兵士たちを集めて説明するけど、一応シズリには先に教えておかないとね……」
そう言って、ルイズは口を開いた。
その作戦内容を聞いて、麦野は思わず目を丸くする。
「……正気かよ?」
くしくも先程と同じ言葉を、戦慄の表情と共に言った麦野に、ルイズはさっきと全く同じ不敵な笑みで頷いた。
***
第一三章 目覚める虚無、極点の胎動 Awaken_of_ZERO.
***
翌日、正午前。
それは、レコンキスタからの攻撃開始の予定時刻だった。本来なら戦の前だと慌ただしくしていたであろうニューカッスル城は、それとは違う方向で慌ただしくなっていた。
大砲を用意し、その中に鉄板を錬金で生み出し、その中に置いてあった硫黄を積む。そんなことを数百人がかりで行っている。
「……随分嬉しそうね? ワルド卿」
そんな様子を見ながら、麦野は隣に立つワルドに言った。昨日から、ワルドはどうにも上機嫌そうだった。婚約者であるルイズの成長を喜んでいる――と言いたいところだが、麦野は『それはない』と思っていた。ワルドは武人だ。つまり、戦争のプロと言っても良い。その彼なら、たった一人の特記戦力に戦の命運を任せることなど愚の骨頂と切り捨てて当然なのである。
麦野のような、『強力な個』が『優秀な全』を当たり前のように淘汰していく世界ならまだしも、このハルケギニアではやはり『全』が幅を利かせているのだから。
「そう見えるかね?」
「ええ、不気味なくらいに」
はっきりと言い切った麦野に、ワルドは思わず苦笑した。いつも通り、麦野の辛辣な皮肉だろうと思っての笑みのようだった。しかし、麦野は表情を緩めない。ここ数日でワルドに見せていた、冗談のやりとりを楽しむような姿勢ではなく、何か少しでも不審な動きを見せようとしたら、即座に殺しにかかる動き。
――どこで選択を間違えた? とワルドは思う。
「……そう身構えるなよ、私はそんなに話が通じないって訳でもないわよ?」
そんなワルドに、麦野は肩を竦めた。
それを見て、ワルドは内心だけでほっと安心する。ワルドが裏切者だと特定していたならばこんな悠長なことは言わないはずだ。すぐにでも殺す。あのラ・ロシェールで躊躇なく殲滅の光輝を振るった彼女なら絶対にやる。
そうでないということは、彼女自身『ワルドがスパイである』とは思っていないのだろう。何かしら怪しむ要素はあるが、そこまで踏み込んだものではない。なら、此処で誤魔化せれば逃げ切れる。
「……どういうことかね?」
「アンタ、ルイズの魔法について何か知っているだろ」
ひくっ、とワルドの喉が僅かに痙攣し、それを見た麦野が何故か機嫌をよくした。
「……何の、」
「最初から不自然だなぁとは思っていたのよね」
答え合わせをするように、麦野は言う。
「どういう、」
「アンタは最初からおかしかったって言っているの。婚約者ですって? なら何故数年間も放っておいたりしたのよ? あんな風にルイズのことを想った
「……、」
「『親同士が酒の席で冗談交じりに決めた正式なものではない』から、何年も手紙を出さなくてもわざわざ婚約を破棄されたりはしない。それを利用して、アンタは
ワルドの表情から、すっと感情の色が失われる。代わりに、麦野の表情がさらに愉悦に歪む。
「決定的だったのは今回の一幕。ただの学生の思い付きを、軍人であるアンタが何故通す? ぶっちゃけアイツの作戦は不確定要素に弱すぎるわ。何か想定外の出来事が起こって一つで要素が取り除かれただけで全体が崩壊しかねない。にも拘わらず、アンタは作戦の成功を確信している。……お遊びでスクウェアに一撃を与えただけのメイジには、過剰評価よね」
そして、麦野は決定的な答えを導き出す。
「アンタは言ったわね。私の左手にあるルーンは、あらゆる武器を操る『
「…………『虚無』、ということになるな」
ワルドは観念して白状した。
「クック、テメェ、面白いよ。誰も信じなかった御伽噺の虚無が、あのクソガキだって? まともな頭してりゃあそんなの
「御伽噺かどうかは、これから分かる」
嘲弄する麦野に、ワルドはそれこそ大真面目に断言した。
「ミス・ムギノ……僕は狂人じゃない。そして我々は、これから伝説の再来を目にするんだよ。僕はその為にいるんだ」
今度は、ワルドが話す番だった。
「……俺は聖地に行かなくてはならないんだ」
「それとルイズと、何の関係が?」
「聖地はエルフが守護している。打倒には――虚無の力が要る」
「呆れた。それをルイズに言ったら、一発で振られるわよ」
「知っている。だからこそ本心を隠し続けていた」
ワルドは、少しも悪びれる様子なく答えた。麦野はそんなワルドを楽しそうに笑いながら見ていた。
伝説の虚無すら、目的を達成する為の通過点。
似ている、と麦野は思う。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと麦野沈利は、その身に秘めた野望の中におけるルイズの捉え方がよく似ている。
「勿論、今のルイズのことは俺も好ましく思っている。……ただの道具として見れなくなってきているのも、否定はしないさ。あの子は、あまりにも素晴らしく成長しすぎた」
「ウェールズ皇太子のことか?」
「……、」
「あの子なら、自分も救ってもらえると思った、か」
麦野は馬鹿らしいことを見つけたような調子で呟く。ワルドは、否定も肯定もしない。それが答えを言っているようなものだった。
ここだけは――麦野とワルドで違う場所だ、と麦野は思う。尤もルイズは麦野のことも救ってみせるつもりでいるが、麦野はそんなことはルイズには期待していないのだし……何より、麦野はワルドよりも自分の目的に忠実だ。
「……君は……君も、ルイズの『虚無』を……」
「欲している」
麦野は、ニィ、と笑みを浮かべた。不敵な笑みだ。しかし、それはルイズが困難に立ち向かう時のそれとは根本的に異なる。自分の弱気を押し殺して、勇気と矜持で自らを奮い立たせるそれとは全く異なる不敵さだ。
「だからだよ、わざわざ目的だった『風のルビー』を捨ててでもルイズの動きを許容したのは。……それに、私の予想が正しければ、『始祖の秘宝』ってヤツはまんざら虚無と無関係って訳でもなさそうだ」
「どういうことだ?」
「『天使の涙』は天使と対話する為のものだった、って話だよ」
麦野は適当そうに嘯くが、ワルドは理解できなかった。それで良い、と麦野も思う。端から理解させる為の言葉でもない。
ただ単に。
『天使の涙』が天使と対話する為のものだったなら、『始祖の秘宝』は何と対話する為のものなのか、という話なのだ。
***
開戦直前とあって、ニューカッスルの近くには一隻のフネがやって来ていた。
『レキシントン』。
レコンキスタが手に入れた最初のフネ。過去の名は、
そして、地上には数万の兵。流石に五万ではないようだが、フネに搭乗している人数と合わせれば同じだけの数はあるはずだ。
「……くっ、やはりこちらの砲台を警戒している」
兵士の一人が、そんなことを言った。
ルイズに言われて特殊な『砲弾』を用意して砲台を並べているのだが、向こうはこちらの思惑を読んでいるのか、砲台の射影数百メートルには絶対に入らない。ルイズに言い渡されていた作戦はこれきりだった。これを封殺されてしまえば、こちらはどうしようもできない。
ルイズは、何も言わなかった。
兵士の一人の脳裏に、『こんな小娘の言うことを聞いたのが間違いだったのでは?』という思いが現れる。こんな戦争のせの字も知らないような子供には、やはり無理だったのだ。自分達は見事に担がれただけだったのだ、と。
その時、ルイズが動き始めた。
徐に一〇はある砲台のうちの一つに近づくと、砲台の後部に杖を突き立てたのだ。
ぎょっとした兵隊が、何か言うのも待たずに、ルイズは言った。
「『アンロック』」
次の瞬間、爆轟が響いた。
砲弾は通常では有り得ないほどの威力で、『レキシントン』の船体下部に突き刺さる。
「なぁっ!?」
兵士の一人は、思わず驚きの声を上げた。他の兵士たちも同じように驚愕に包み込まれる。当のルイズは、自分の起こした爆轟にひっくりかえってはいるものの、不敵な笑みは崩していなかった。
――これが、ルイズの作戦。
『爆発』の威力だけでも、ただの火薬よりよほど強い。その『
「今ので誤差も把握したわ。どんどん行くわよ!」
立て続けに、ルイズの爆発が砲弾を超音速で吹っ飛ばしていく。弾丸が音速を超えた証が、アルビオンを席巻する。
それらが終わった時には、既にレキシントンは落ちつつあった。砲弾がフネを浮かせる為の風石を直撃したのだろう。黒い煙をあげながら、反乱の象徴が墜ちていく。
それだけでも、王党派にとっては奇跡だった。勝てない戦だった。にも拘らず、敵のフネを撃墜することにすら成功したのだ。王党派の誇りは、意地は、もう十分に示すことができた。
……そう。
彼らは無意識に気付いていた。フネを落としたところで、地上の数万がどうにかなるわけではない。手痛いダメージは確かに与えられるが、戦の大勢が変わる訳ではないのだ。
だから、無意識にそう考えることで、ルイズの助力に感謝していたのだ。『あなたはもう十分我らに奇跡を見せてくれた、これ以上の奇跡は望むまい』と。そう考えることで、『この国を救ってみせる』と、そんな馬鹿げたことを言ってくれた優しい少女に見当違いの恨みを向けないように。
だが、兵士たちは勘違いしていた。
……ルイズには、ずっと聞こえていた。
あの時。この国を、ウェールズを絶対に救ってみせると決意したときから、どこからか聞こえる声だった。
『これより我が知りし真理をこの書に伝える。この世のすべての物質は、小さな粒より為る。四の系統はその小さな粒に影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。――』
これじゃない、もっと先だ、とルイズは思う。
『――四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。我が系統はさらなる小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり』
何て皮肉だろう、とルイズは思う。
『四にあらざれば
『ゼロ』のルイズ。
確かにその通りだった。ルイズは、四つのうちの一つもたせない『ゼロ』だった。だが、同時に――四つのうちのどれでもない、零番目の系統の担い手だったのだ。
『これより、我が扱いし「虚無」の呪文を伝える。初歩の初歩の初歩――――』
「……エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」
ルイズが呟いたのは、それまでの『コモンマジック』ではなく、詠唱だった。
しかし、それは誰も聞いたことのない呪文だ。何の呪文だ? と兵士たちは首を傾げる。
「オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド」
呟きながら、ルイズは自分の意識がどんどんと拡散していくのに気付いた。
これは、ルイズにとっても誤算だった。
ルイズの作戦というのは、簡単だ。たくさんの硫黄をフネに叩き込み、そこ目掛けて爆発魔法を叩き込む。そして硫黄を誘爆させ、爆風の反動でフネを横滑りさせ軍勢のど真ん中に落とす。
ルイズの魔法の射程がどれほどあるかは分からないが数百メートル程度なら届きそうだった。正史でフーケを呼び込む原因になった塔の爆発では、現にそれだけの距離があっても魔法は発動したのだから。
しかし、これはどうだろうか。
ルイズの意識は拡散され、どんどんと知覚範囲が広がっている。まるで世界全体を掌握したかのような感覚が、ルイズを襲っていた。
「ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ」
ルイズは、真っ暗に広がった世界の中でただ一人、指揮棒を振るうような感覚ですべてを見ていた。
今のルイズには分かる。自分は、全世界のあらゆる場所に、自由に爆発を『送り込む』ことができる。ルイズの爆発は、あらゆるものよりも小さな小さな小さな小さな、零の一点に干渉できるのだ。
「ジュラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……」
そして、長い詠唱が終わる。
その瞬間、ルイズはその呪文の真価を完璧に理解していた。
この呪文の真価は、爆発にはない。そこではなく、その前段階。自分の認識する世界のすべてを対象にしたこの魔法には、二つの選択肢がある。
巻き込むか、巻き込まないか。
その気になれば、世界全てを消し飛ばせるが、逆にたった一つの何かを破壊することもできる。
考えてみれば、最初からルイズはそれを知っていたように思える。
爆風の制御も、今にして思えばできて当然だったのだ。それが呪文の真価だったのだから。ルイズは、爆発を応用していたのではなく、本来の使い方をしていたというだけの話だったのだ。
くすり、と笑う。
「行くわよ、反乱軍ども……」
呪文の名前は、知っている。
ルイズは、ずっと前からこの呪文を知っていた。
「――――
その瞬間。
新たな虚無が、この世界に産声を上げた。
***
「く、くくくくくく」
その光景を見て、その女は嗤っていた。
全てが想定通り。それが、たまらなく面白いという笑みだった。砦の上に立った女は、超弩級の爆風によって軍勢の中心に叩き込まれ爆発炎上したフネを見て大爆笑寸前だった。
本来なら、硫黄を制御した『失敗魔法』によって爆発させ、その爆風によって敵軍の真っただ中まで墜落させる算段だった。それが、フネの横一面が全て爆発し、その反動によって移動、硫黄の方は、落下の衝撃で大爆発だ。当初よりもずっと被害を撒き散らしたと言えるだろう。
「くはは、あーっはははははははははははははは!!!! やりやがった!! あの馬鹿野郎、ついにやりやがったわ!! ゼロ? 落ちこぼれ? ――あれのどこがだよ!!」
麦野は嗤う。面白くて仕方がない、とでも言うかのように。
「ゼロ。
そこまで言ってから、麦野は眼下に見える『それら』を見た。
「……まあ、なんだ。その為に、差し当たって無粋なゾンビどもを蹴散らすとしますかね」
***
ルイズの『虚無』は、此処に開花した。
しかし、兵士たちが見ていたのは、絶望の光景だった。
『レキシントン』の爆発によって発生した、一面の火の海。その中から、ぞろぞろと兵士たちが現れるのだ。焼かれているはずなのに、死んでいなくてはおかしいのに、腕が吹っ飛んでいるのに、まるで逆再生のように再生し、精気を映さない眼差しで、よろよろと進軍を続けるのだ。
「ば、馬鹿な……」
兵士の一人が呟いた。
「そうか……そういうことだったんだ……! おかしいとは思っていた、何で反乱軍があれほどの短期間でこの国を掌握できたのか!! 答えは此処にあったんだ、ヤツら、『生きる屍』を兵士にしていたんだ!!」
自分の兵士は死なず、死んだ敵兵は自分の兵士になる。
なるほど、それならこれほどの勢いで勝ち進んできた理由というのも説明できるだろう。だが。
「だが、これをどうしろというんだ……? あの爆発でも死ななかった不死身を、どうすれば倒せるっていうんだ…………」
「……くっ」
ルイズは、悔しそうに下唇を噛み締めた。もう、先程の一撃でルイズの精神力は打ち止めだった。もはや、立っているのも精一杯という有様だった。にも拘らず、敵兵は健在。勝ち目なんて見えなかった。
「わ、たしが、もう一回……もう一回『虚無』を撃つ。今度は、地面を対象に。そうすれば、敵兵を残らず爆発で吹っ飛ばして、大陸の外まで押し出せる。殺せなくても、そうすれば……」
「待ってください!! 貴方はもう立っているのが精いっぱいなのではないですか!? これ以上そんなことをすれば死んでしまいます! あなたがそこまでする必要はない! 十分やってくださった!」
「でも、こんなところで、引き下がるわけには――――」
ふっと、そこまで言いかけたルイズの横を誰かが横ぎった。
茶色い髪。
この世界では見ない着こなし方の服を身に纏った、
禍々しい笑みを浮かべたその女は、ぽん、とすれ違いざまにルイズの肩を叩いて歩く。
「――そこで休んでいなさい、