「そういえば、アンタ姫様の遊び相手がどうのとかって言っていたわね」
アンリエッタ王女の歓迎が終わったあたりで、自室に戻った麦野はそんなことを言った。ベッドに腰掛けた状態のルイズはしっかりと頷く。
「それっきり会ってもいないけど、姫様には忠誠を誓ってるわ。わたしなりにね」
「へぇ、『ご主人様』の口から忠誠なんて言葉が聞けるとはね。てっきり我儘お嬢様で自分より上に誰かがいるのが我慢ならないタイプだと思っていたけど」
「(……どっちのことだか)」
「あ?」
「な、何でもないわー」
麦野が青筋を立てて問い返したが、ルイズは知らぬ存ぜぬで通すつもりらしい。麦野は不満そうにしていたが、具体的にルイズに追及することはせずに舌打ちするにとどめた。それだけでもかなりの圧迫感をおぼえるルイズである。
「で、王女様はゲルマニアに嫁ぐんだったか。『ご主人様』としちゃあ複雑な心境って感じかしら? 確かゲルマニア嫌いだったものね」
「そりゃあ当然よ! にっくきツェルプストーの母国に姫様を嫁がせなくっちゃあならないなんて……! 屈辱以外の何物でもないわ! 何より、そうするしかトリステインに道が残されていないっていうのが一番悔しい!!」
「アルビオン、そろそろ本格的に陥落するものねえ……」
アルビオンの情勢はいよいよ終局に向かっているらしいことが、風の噂で伝わって来るレベルだった。
先王が死んでからというもの、新王を建てずに外様の摂政が政治を取り仕切っているというところからも分かる通り、トリステインの政治は割とガタガタである。戦争のない平和な状態だから良いものの、それがなければ今頃さくっと占領されてしまいかねないという状況なのである。
そして、アルビオンが陥落すれば次にレコン・キスタが攻めて来るのは十中八九トリステインである。何せトリステインの先王はアルビオン国王の弟。禍根が残る上に国力に乏しいガタガタの国などさっさと攻め滅ぼしてしまうに限るのだ。
……正確には如何にアルビオン軍とトリステイン軍の戦力差が激しかろうとラ・ヴァリエール領にはチートキャラがいるので総力戦になれば戦の行方は分からなかったりするのだが、その前に王宮の方が白旗を上げてしまう可能性があるのが問題だった。
「戦争が始まったら、『ご主人様』はどうすんの?」
ついでなので、麦野はかねてより気になっていたことをルイズに問いかけた。
麦野の第一志望としては、戦争開始と共に領地に引っ込む、だ。トリステインきっての大貴族であり、ゲルマニアからも近いラ・ヴァリエールの領地は、対アルビオンの戦ではかなりの安全度を誇るだろう。魔法学院に閉じこもって敵が攻めて来るよりは、腰を落ち着けるという意味でもそうしたいと思う麦野である。
ただ、ルイズは、
「学徒動員が始まるんなら、志願しようと思っているの」
予想の真逆の回答を引っ張って来た。
「はぁ? 『ご主人様』死ぬ気?」
「まさか。確かに生き恥を晒すくらいなら死んだ方がマシだと思うけど、役に立てないような場所に突っ込んでいって死に恥を晒すのも御免だわ。……わたしの爆発魔法、スクウェアメイジのミスタ・ギトーだってやっつけれたのよ。軍隊の中で組み込めば、きっと役に立つと思うの」
「あんな『おままごと』と戦争を一緒にするなよ……」
麦野は飽きれて頭を振ったが、ルイズは聞いていないようだった。
どうやら、ギトーを倒してしまったことでルイズの中に過剰な自信が芽生えてしまっているようだった。
(まあ、無理もないか。今までゼロだなんだと言われてきた落ちこぼれが、そのゼロお得意の爆発でスクウェアメイジに一泡吹かせたんだから。それも自分の創意工夫でな。欠けていたピースが嵌ったとか、今の自分なら何でもできるとか、そういう根拠のない『力が湧き上がる感覚』に突き動かされても仕方ないわね)
結果としてルイズはこれ以上ない程の犬死を晒すだろうが、そんなことはやっぱり麦野には関係ない。まだ『〇次元の極点』も見いだせていない段階でルイズに今死なれるのも困るが、戦争が始まるまではまだあるだろうし、何より行くと言ったところでルイズの親がそんなことは認めないだろう。そんな意味のない仮定で言い争っても仕方がないという気持ちもあった。
「おままごとって、そういうあんたは戦争を経験して……、そうよね……」
間違いだがあながち間違いとも言い切れない勘違いをしているルイズをよそに、何となくやる気が失せてベッドに横たわり始めた麦野。ぼうっと扉の方を見ていると、ふとノックの音が聞こえた。
初めに長く二回、続いて短く三回。
ルイズがはっとしたように顔を上げたが、裏稼業に長く身を置いていた麦野もまた気が付いた。この手の『おかしなノック』というのは……、
「『符丁』か」
そう言うと同時に、扉が開いた。
黒フードの少女が部屋の中に入って来て
「……どこに目や耳があるか分かりませんからね」
突然の魔法を弁解するように、少女が言う。
少女がフードを外す。
同時に、ルイズは恭しく膝を突いた。
「お久しぶりです、姫殿下!」
「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
にこりと、アンリエッタ王女は人好きのする笑みを返した。
***
第九章 王女密命 Hard_Mission.
***
アンリエッタに一見して非常にお淑やかな印象を受けた麦野だったが、それはどうやら間違いであったと次の瞬間に思い知らされた。
「ああ、ルイズ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」
膝を突いたルイズを抱きしめるように、アンリエッタが飛びつく。思わずよろめきかけたルイズだが、寸でのところで体重を支えてベッドの上に座った。麦野はさっさと立ち上がって部屋の外に出ようとする。
「あれシズリ、どうして出て行こうとするの?」
大方平民の使用人だろうと判断して
「ルイズ? この方は?」
「私の使い魔です、殿下」
まあ! とアンリエッタは驚きの声を上げた。
「使い魔? 人にしか見えませんけど」
「人の使い魔なんです」
「そうなの……ルイズ、あなたって昔からどこか変わっていたけど、相変わらずみたいでちょっと嬉しいわ」
「…………、」
天然なのだろうが、あまりほめられた気がせずに微妙な顔で黙り込んでしまうルイズ。それはさておき、アンリエッタの方はルイズの方を使い魔としてその場にいるものと『意識した』ようだった。
「積もる話もあるでしょう。私は退室しておくわ」
「いえ、使い魔とメイジは一心同体。貴方が気にする必要などないのですよ」
「それだけじゃないわ。
暗に盗聴の危険性を示唆した麦野の言を尤もととらえたのか、アンリエッタはそれ以上何も言わずに頷いて微笑んだ。こうして見るとなかなかどうして『嫌悪感』という感情の抱きにくい少女だ、と麦野は思う。この少女自身の人柄がどうこうという印象を無視して、第一印象が最低限でも『嫌いじゃない』という方向に持っていかれる――といえばいいか。仕草、視線、声色、語調、ありとあらゆるものが『誰にでも好かれるアンリエッタ王女』という人物像を生み出しているかのようだった。
(おそらくは『養殖』だけどね)
そしてそれらは、王女への教育の中で培われたものだろう――と麦野は分析する。
数年前までトリステイン国王は健在だった。なら、王女に施されるのは帝王としての『人を支配する方法論』ではなく寵妻としての『愛される方法論』であるはずだ。
ただ。
(私に苦も無くそれを分析されちまっているあたり、アイツの中で何かしらの『バグ』が発生しているようだけどね)
そんなことを思いつつ、麦野は扉を開けた。
扉の横に、金髪の少年が物凄い冷や汗を流しながら座り込んでいるのを見た。
「…………」
「…………」
「あの、」
「喋るな」
バダン!! と扉を閉じ、麦野は金髪の少年――ギーシュの胸ぐらを掴み上げた。
「(チャンスを三回やる。大きな声を出すな。テメェ、一体どこの誰だ? 学院の制服を着ているようだが、どこかの密偵か?)」
「(いや、ぼくは、ギーシュ・ド・グラモ、)」
ドゴォ!! と麦野の拳がギーシュの腹に叩き込まれる。
一撃でグロッキーになってしまったギーシュの胸ぐらを掴んだまま、麦野は能面のように感情を表に出さない表情でさらにギーシュに問いかける。
「(あと二回。テメェはどこの誰だ? ヒント・私は偽名かどうかも判別できない名前を聞きたい訳じゃない)」
「(ぁ、ぐぁ、ぐ、グラモン家の末弟、)」
ドバグシャ!! と麦野の膝蹴りがギーシュの腹に叩き込まれる。
非常に情けない顔面になっているギーシュのことを完全に無視し、麦野は今度は掌をギーシュの顔に翳しながら問いかける。
「(あと一回。テメェはどこの誰だ? ヒント・私は私の記憶にない、捏造かどうかも判別できない所属を聞きたい訳じゃない)」
「(ふ、不条理すぎる!! そんなの証明しようがないじゃないか!)」
「(ゼ、)」
「(あ、そうだあれだよあれ浮気して恋人二人にビンタされた生徒!! その後君に声をかけただろ!?)」
「(そういえばそうだったな)」
もう貴族の矜持とかそういうの全部放り投げて言うギーシュに麦野はそう言って、あっさりと解放した。
当然のことだが、麦野は別にギーシュのことなど密偵とは思っていなかった。相手はルイズの学友として散々授業に参加し、『ゼロ』のルイズだなんだと煽っていた生徒である。忘れる方が難しい。
今の所業は、ただ単に覗き見しにきた馬鹿なピーピングトムを懲らしめる為の芝居である。
ただ、そんなことはギーシュには分からない。解放されたギーシュは非常に恐縮した様子で、
「(そ、それで、ぼくはこれから一体どうなるんでせう……?)」
「(別にどうも。ただ機密の問題もあるから、ルイズの部屋にやって来た『お客様』が出て行って安全の確認がとれるまでは私がアンタの身柄を拘束する)」
「(わ、分かった)」
意外と仕事人めいた麦野の台詞に、ギーシュは素直にうなずいて指示に従うことにした。
『やっぱり何だかんだ言ってルイズの護衛という使い魔の役割はしっかり果たしているんだなあ、いやあこの使い魔を御するなんて「ゼロ」も意外と凄いな』なんて考えていたギーシュだったが、ふいに麦野に話しかけられたので意識を浮上させる。
「(ごめん、聞いていなかった)」
「(チッ、もう一度言うわよ。アンタは一体どうして女子寮なんかに忍び込んだ? 男子生徒が女子寮に入り込もうものなら、袋叩きの憂き目に遭うって話だったと思うけど)」
「(それは、あれだよ。夜風に当たっていたらアンリエッタ姫殿下の姿が見えたものだから、ぼかぁ悪いと思いつつついつい花の蜜に吸い寄せられる蝶のようにふらふらと……)」
「(……分かり切ってはいたが、あの馬鹿王女、防諜対策もとっていなかったのか……)」
麦野はギーシュにも分からないくらいの声色で呟いて天を仰ぐ。同時に、不穏な物も感じていた。単にルイズとお忍びで会いたいだけなら、行幸に来るくらいだしルイズを呼び出すなりして、防諜対策もとらないくらいの『お忍び』をする必要はないはずだ。
そうせざるを得なかったということは、王女自身が他の誰にも話せないくらいの秘匿レベルを持った情報をルイズに打ち明けたいのではないだろうか。本人にその意思がなくとも、心の何処かで打ち明けたいと思っているかもしれない。あれでルイズはそういった感情の機微に鋭いところがあるから、もしかしたら掘り出さなくても良いものを掘り出してしまうかもしれない。
そう思い耳を澄ませていると、ちょうど部屋の中では話題が変わったところだった。
『……ルイズ。わたくし、結婚するのよ』
『ゲルマニア皇帝と、ですね?』
『ええ。それ自体は、良いのです。割り切れている訳ではありませんが……もう、諦めました』
『諦めた……?』
ルイズはアンリエッタの物言いに怪訝な表情を浮かべたようだったが、それは麦野も同じだった。
『諦めた』。それはおよそ他国に嫁いだり、国内の有力貴族と婚姻を結ぶのを前提とした教育を受け、価値観を形成された姫が言う言葉ではなかった。
そんな二人の心など露知らず、アンリエッタは続ける。ちなみに、ギーシュの方は目と耳を固く塞げ、さもなくば殺すという麦野の有難いお言葉を最後にあらゆる音をシャットダウンしていた。『
『トリステインがアルビオンで革命を起こしている不埒者に対抗するには、もはやこの婚姻による同盟しかないのです。わたしも王女。祖国の為ならこの身の一つくらい投げ出す覚悟はできています』
『…………、』
『……ですが……風の噂によると、トリステインとゲルマニアの同盟を破談にしようと画策している勢力もあるとか』
『! そ、それは……! で、ですが殿下。そうそう簡単に同盟を破談に出来るような材料など……』
ルイズのその発言に、アンリエッタは答えなかったようだった。
沈黙が、その場を支配する。
麦野とルイズは、殆ど同時に同じことを思った。
(……あるのね……)
アンリエッタは気まずそうに、続けた。
『じ、実は……わたし、アルビオンのウェールズ殿下と手紙を交わしていたの』
『ウェールズ殿下? あのプリンス・オブ・ウェールズですか?』
『ええ……』
『ですが、恐れながらそれだけで同盟を脅かすようなものはないのでは? 過去に殿下がどんな……その、恋愛をしていても』
『それが……わたくしはその手紙の中で、始祖への愛を誓ってしまっているのです』
『な、なんですって!?』
それこそ、ルイズは声量など気にせずに声を上げてしまった。扉そのものに防音性能がなければ、学院中に声が響き渡っていたかもしれない。
『これがもしも貴族派の手に渡ってしまえば、同盟はご破算。わたしの不始末だとは理解しているのですが、枢機卿に相談しようものならこれ幸いとわたしは様々な制約を課せられてしまうに違いありません。彼はあくまで他国の人間……これ以上弱みは作れません。宮廷貴族は誰もかれも自分の事ばかりで、このことを相談できそうな人などいなく……』
弱弱しく言うアンリエッタに、ルイズは暫し何事かを考えていたようだった。
しかし、やがて口を開く。
『……殿下。その手紙の件、このルイズ・フランソワーズにお任せいただけないでしょうか』
***
「随分大きく出たものね」
アンリエッタが部屋を辞したのち。麦野はルイズの自室に戻っていた。
『おともだち』を戦場に送ることなどできない、と言うアンリエッタに対し『わたしは今日授業の中とはいえスクウェアメイジにも勝利しました!』という一言で信頼を勝ち取ったルイズは、アンリエッタから受け取った手紙と指輪を机の上に置いて向き直る。
ちなみにギーシュは話が続いているうちに箕牧にして女子寮の前に捨て置いてある。おそらく明日は風邪だが、それは気にしてはいけない。
「アルビオン――今は戦争中よ。本気で向かうつもり?」
「わたしは戦争をしに行くんじゃないわ。ちょっとニューカッスル城まで行って手紙をもらって帰るだけよ」
「その『ちょっと行って帰るだけ』がどれほど難しいか、自覚はあるの?」
「あるわよ。わたしだって、使い魔の諫言を忘れるほど愚かじゃないわ」
憮然とした表情で、ルイズは麦野に言い返した。
「ニューカッスル城にはまだ兵士の世話をする為の非戦闘要員がいるはずよ。そして、その非戦闘要員まで討死させることはない。おそらく最終決戦の前に逃走用のフネを出すはずね。それに乗れば脱出は可能」
「……、」
「つまり、この時点で『帰り』は解決する。問題は『行き』だけど……」
とルイズはそこまで言って一呼吸し、
「ニューカッスルを包囲しているとはいえ、貴族派の軍勢が常に包囲網が完璧とは思えないわ。だって既に勝ち戦だもの。そんな戦いに労力を割くとは思えない。夜の闇に乗じてなら、包囲網だって抜けられるはずよ。アルビオンの入り口スカボローからニューカッスルまでは、馬で一日だもの」
「死ぬわね」
朗々と説明するルイズに、麦野はばっさりと一言で断言した。
「何でよ!? 筋は通っているでしょう!?」
「筋が通っている以前の問題よ。アンタは殺し合いを知らなすぎる」
「どういうこと?」
「この間酒場に行ったでしょう。虚無の曜日のことよ」
「ええ、行ったけど……」
「あの時、酒場の客の何人かがアルビオンについて話していたわ。アルビオンは傭兵にとって良い稼ぎ場らしいわね」
「……だったらどうしたの?」
「傭兵っていうのは、別に王国に仕える軍隊じゃないって話よ」
麦野は思い返す。
『アイテム』は学園都市直属の非公式部隊だった。『仲介人』を通して依頼を受け、それをこなすだけだったが、何回か傭兵を雇って共に仕事をしたこともある。
そうした傭兵は、決まって仕事以外にも『余計なこと』をするものだ。傭兵の性根が須らく腐っているというわけではなく、そうでもしないとやっていけないのである。依頼を忠実にこなすだけでは、報酬以外の何物も得られない。それでは次の仕事に結びつかない。だから、多少の命令違反をおかしてでも知ってはいけない情報を盗み見たりして、それを起点に次の仕事を掴んでいく。そういう賢さがないと、傭兵稼業はやっていけない。
情報だけではない。その場にある金品や武器などの技術だって『収穫』だ。そういった『火事場泥棒』も、傭兵として生き残る上での大事なコツだったりする。
尤も、麦野達『アイテム』の仕事にはそういった『余計な事』をする馬鹿の始末も含まれていたりするのだが。
「傭兵が仕事通りに所定の位置にいると思ったら大間違い。実際には、そのへんで略奪なりなんなりしているはずよ」
「そ、そんな……!?」
「通常なら包囲網に穴が出来てラッキーってところでしょうね。でも、アンタは包囲網の『隙間』を抜けるように動くつもりでいる。もし、運悪く傭兵とかち合ってしまったら? その時点でアンタはゲームオーバー。……最高に運任せなギャンブルになると思わないかしら」
「…………、」
「私はアンタのギャンブルに付き合うほど親切じゃないわよ」
麦野は切り捨てるように言った。
「……それは、分かっているわ。わたしだって、あんたを引き連れていくつもりはなかったし」
このルイズの言葉は事実だった。というか、麦野の力をアテにするんならわざわざ小難しい理屈など用意せずとも『正面突破』で片付く話である。
一方、麦野は『マズイ』と思っていた。
先程も言った通り、まだ『〇次元の極点』は見いだせていない。この世界にある環境では、研究の完成まで最短でも二、三年。長ければ四、五年はかかるかもしれない。完成の前にルイズに死なれては、麦野はラ・ヴァリエール公爵家とは何の縁もゆかりもない状態となってしまい、この世界に留まるのを決意した理由の一つである『かなり高水準の生活レベル』が満たせなくなってしまう。
完成さえすればルイズなどどうなっても良いが、完成するまでは死んでもらっては困る。
それに何より、そうした単純な利害を除いても、ルイズの『爆発魔法』には興味があった。
(この世界の方式……『四大属性』については期待外れだったが、ルイズの失敗魔法は失敗とは言い切れない、それでいて四つの系統から外れた『何か』がある。もしかしたら、これも『〇次元の極点』に応用できるかもしれないし、こんなつまらないことで失いたくはない……)
そこまで考えた麦野は『はぁ』と観念したような溜息を吐いた。
「……何よ? 力づくで止めようっていうの?」
「逆よ、逆。私もついて行くわ」
「……………………………………………………………………………………どういう風の吹き回し?」
「そんなに意外かよ」
麦野は肩を竦めて、
「アルビオンに行った場合のリスクと行かなかった場合のデメリットを考えたのよ」
とだけ言った。
ルイズも麦野の強さは知っているので、それで納得したらしかった。話が一区切りついて、麦野は机の上に置いてある青い宝石の指輪を見た。視線の先にある青い宝石は、宝石のはずなのに液体の様にゆらゆらと不定形に光を反射している。
「そういえば、さっきのやりとりで指環をもらったとか言っていたわね」
「ええ。『水のルビー』。正真正銘始祖の時代から伝わる国宝よ」
「……始祖の時代から伝わる国宝、ね……」
確か、路銀に困ったら売り捌け、とか言っていたような気がしたが……と麦野は思う。
ただ、その表情には単純な呆れ以外の感情も滲み出ているようだった。