境界の彼方~G-ゴジラ-を継ぐ者~   作:フォレス・ノースウッド

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澤海―本作のゴジラのモデルはクリント・イーストウッド。

寡黙な役が多いってイメージですが、ダーティハリーを筆頭に実はユーモアセンスの高いキャラが多かったり。

特にダーティハリーの一作目での自殺志願者を説得する場面が個人的にお気に入り、吹き替えの山田さんの「運転免許証も血まみれだろうしなwww」の言い回しがツボです。


EPⅧ - 一芝居

 逃亡による疲労と、自身を追う異界士との戦闘で負った負傷の影響で意識を失っている峰岸舞耶を横抱きの形で抱き上げ、先導する〝モグタン〟って名前らしい小型妖夢の後を追い、僕は彼の行動の意図こそ読めても、その〝真意〟を汲み取れないもやもやを抱えつつも、その後を追う。

 もし澤海から「さっさと帰れ」と言われたら………その時は〝自分はワトソン〟だとでも言って無理やりにでも居座って納得させるとしよう。

 生憎ここで大人しく引き下がれるほど、僕は〝柔軟〟とも〝聞き分けが良い〟は言えないし、強情な人柄の方だ。

 

「ギャー!」

 

 階段をさらに登り、三階に着くと、モグタンが『307』と表示された扉の前で止まり、そこに指を差した。『307号室』、そこが彼女の〝隠れ家〟らしい。目前まで辿り着けたのに力尽いてんじゃねえよ……と、少し毒づきたくなった。

 

 

「鍵を出してくれ」

「ギャス!」

 

 澤海の指示を了承したモグタンは峰岸舞耶に飛び乗ると、パーカーの内ポケットから部屋の鍵を取り出し、それを受け取った澤海は、彼女を抱えたまま鍵穴に差し込んで開錠させ、扉を開けた。

 特に澤海からどうこう言ってこなかったので、僕もおじゃまさせて頂く。

 中に入り、短い廊下を抜けると、殺風景な様相の部屋が目に入ってくる。簡単な作りのベッドと、生活に最低限必要な家電が備えられているだけの味気ない仕様だ。

  そんな部屋で他にあるものと言えば、片隅に置かれている木箱一つくらいで、モグタンはその箱の下へ駆け寄ると、それを開けた。

 

「待て! それに触ったら――」

 

 僕は妖夢のとった行動を止めようとし。

 

「そいつの中身に触れるなよ」

 

 背後にて峰岸舞耶をベッドに降ろし、何やらカチャっとした音をたてながら、澤海も警告を発してきたが……時既に遅く。

 

「ギャァァァーーー!!」

 

 箱の〝中身〟に触れたモグタンは悲鳴を上げて、両手からプスプスと煙を上げて倒れてしまった。

 箱の中にあったのが異界士用の護符で、彩華さんやニノさんが使っているのと違う文様が刻まれていた。

 異界士にとって〝傷〟を癒すそれらは、当然妖夢にとっては〝毒〟な代物であり、人間が酸に触るようなもの……妖夢本人にとっては充分地獄だったろうが、煙が出た程度で済んだのは幸いだ。

 

「ごめん……止められなかった」

「はぁ……やれやれだ」

 

 溜息吐いて気だるげにぼやく澤海……どことなく80越えても精力的に映画監督業をこなす俳優が演じる〝一匹狼系〟のキャラの雰囲気を感じた。

 彼は躊躇いもせず、モグタンが手に取って被害を被ったのも含めた護符数枚を手に取る。

 彩華さんお手製のものはともかく、〝妖夢憑き〟でもある澤海にとっても直に素手で安全に触れる代物でなく、現に彼の手は軽度の火傷を負ったように赤く腫れていた。

 

 大丈夫か? と聞きたいところだけど、本人は至って痛がっている様子は皆無、実際痛覚はあるので感じてはいるのだろうが、全く痛みに苛まれてはいない。

 並みのメーサー殺獣光線の熱どころか、戦車も溶かす人口雷にも、マントルの灼熱地獄にも耐えてしまうゴジラからすれば、護符の熱などどうってことないってところか………常識的に考えればちゃんちゃらおかしなことである。

 ベッドの上にて横たわる峰岸舞耶の負傷した片腕に、澤海は護符たちを付着させた。

 描かれていた文様が緑がかった光を発し始め、ドーム状に負傷箇所を包み込んだ。詳細な原理は分からずとも、傷を癒していることは僕でも分かる。

 仰向けに眠っている峰岸舞耶の青ざめていた顔色が、段々と良くなっていく様を見て……僕はある懸念を過らせた。

 もし、このまま快方に向かっている彼女が目覚めたら……今の状況と照らし合わせて非常に不味いことに気付く。

 

「澤海……そんな近くにいて大丈夫か?」

「おい、こいつは猛獣か何かか?」

 

 ベッドの直ぐ脇で腰かける澤海は、軽快な笑みとジョークをかましてきた。 

 

「いや……そんなジョークかましてる場合じゃ――」

 

 と、苦言を呈しようとして矢先、女子の呻き声が聞こえたかと思ったら―――意識を取り戻した峰岸舞耶が電光石火の勢いで懐のオートマ式拳銃を抜いて澤海に銃口を向けてきた。

 なのに……何か様子がおかしい………最初は見ているこっちが居た堪れなくなる荒んだ目つきを見せたと思ったら、何やら顔が驚きを浮かび上がらせている。

 

「さすがだな」

 

 銃口が脳天に向けられていると言うのに、平静どころか軽口を叩ける姿勢を崩さない澤海は、まずデニムジャケットの内ポケットから異界士の免許証たる〝異界士証〟を見せ、ホログラムが表示された。

 そのホログラムは、持ち主当人の生体エネルギーがないと表示されない仕組みらしく、澤海が異界士であることの確たる証拠だった。

 

「撃たなくても〝空っぽ〟だと分かったか」

 

 次に澤海は長方形上の黒い物体、弾丸の入ったマガジンを見せた。

 どうやら……僕が目を離している間に、ちゃっかり弾を抜いておいたらしい、さっきの音はマガジンの排出音だったのだ。異界士としての己が武器として日頃から使っている峰岸舞耶なら、弾丸とマガジン分の重さの違いを悟るのに造作もなかっただろう。とあるスパイものの映画で、長年デスクワークに勤しんでいたせいで弾の重さを忘れて撃とうとしていた主人公へ盛大にヘマやらかす敵キャラの下りを思い出した。

 わざわざ持ち主の手元に残す辺り、意地汚いと言うか意地悪と言うか……悪知恵を働かせていると言うか、見てるこっちは背筋が冷やりとしつつも苦笑いが込み上げてしまう。

 

「おっと、だからって背中のM15を出すのはお勧めしねえぞ、敷金から修理代引く程度じゃ済まねえ」

 

 ならばと短パンに引っかけていたM15――多分あの銀のリボルバーを取り出そうとする彼女に、澤海はジョークを吐く姿勢を維持する。

 

「こんな部屋でマグナム弾なんかぶっ放してみろ、テレビ見てたおばさんは腰抜かして大慌て、昼寝してた赤ん坊は大泣きして近隣住人はうるせえぞと喚き散らす、その上もし近くを通りがかったパト中の交番警官が銃声聞いたとして、住人たちと一緒に部屋に上がり、血まみれの俺たちと煙吐いたモノホンのリボルバー持って返り血塗れなお前さんを見たらどうなる? みんなあんぐり口開けて茫然とするだろうさ、そうなりゃとても〝正当防衛〟だと擁護してくれる弁護士なんて名乗り出てくれえぞ」

 

 あんまりに現状の空気と場違いなトークをかます澤海に、峰岸舞耶は戸惑った様子で僕らを見つめて口を半開かせていた。

 かく言う僕の顔も、ほとんど似たようなものである。近くに手ごろな鏡がないので断言できないが、ひょっとすると彼女以上にびっくり顔になっているかもしれない。

 

「…………」

 

 それでも彼女は警戒の色を解かず、僕らを交互に見据える。

 この状況でこうも堂々と軽口叩かれては、そう簡単に解けないのも無理はない。

 隙あらばリボルバーを素早く抜いて撃つか……僕を人質に取るか思案していると見ていい……人質役も担えない不死身さだけは一丁前な僕では後者はてんで無意味なんだけど。 

 

「どうして……助けた? 私がどういう立場か分かっている筈だ………黒宮澤海………いや―――ゴジラ」

 

 峰岸舞耶は、澤海のフルネームを口にした後、怪獣としての彼の名を発してその行為を尋ねてきた。

 

「俺のこと知ってるのか?」

「知らない異界士を探す方が難しいと思うぞ」

 

 

 澤海はすっとぼけた反応を見せたけど、僕は思わずそんな彼のボケに突っ込んでしまった。

 大多数の日本人が思っている以上に、〝ゴジラ〟は地球上で最も有名な古今東西の物語に登場する〝怪獣〟の一体である。

 そんな彼が〝実在していた世界〟からその破壊的力と姿を有したまま人間に生まれ変わって異界士をしている――となれば異界士の世界の間で話題にならない筈がない。

 それに澤海――ゴジラには、こちらの世界の怪獣と言える〝虚ろな影〟を倒した実績もある。

 実際、栗山さんや博臣に母たちの協力もあってこその勝利であったが、噂は広まれば広まるほど〝装飾〟されていくもの……今となっては〝ゴジラが虚ろな影を倒した〟の一点が独り歩きしていると、実情を知らなくても容易に予想がつく。

 

「質問に答えろ、なぜ助けた?」

 

 流れが脇道に逸れかけそうになるのを、銀髪の異界士が修正した。

 警戒の棘を剥き出しにした威圧的物腰で、澤海を詰問する。

 もし本当に彼女が〝狂犬〟か〝狼の類〟だったら、犬歯を剥き出しに威嚇していただろう。

 

「〝友達〟が助けてくれとせがんできたもんでな、ちょっと気まぐれを起こしただけさ」

 

 そんな彼女の態度にも臆せず、自分のペースを貫く態度を澤海が貫いた直後。

 

「ギャース!」

 

 一度は止んでいたあのけたたましい鳴き声が響いたかと思うと、護符に触れたダメージで気を失っていたモグタンが目覚め、そのまま僕には奇声しか聞こえていない鳴き声を響かせて峰岸舞耶に抱き付いてきた。

 

「モグタン……無事だったか……よかった」

 

 自分に飛び込んできた小型妖夢の小さなを、峰岸舞耶は優しくも、強く抱きしめた。

 澤海と応対していた時の、二つ名に違わない狂犬じみた殺気が、彼女の顔から消え失せ、代わりに………眩い無邪気さに満ちた笑顔と一緒に、安堵と喜びを見せる。

 その様を、僕は瞬きも忘れて食い入るように見つめてしまう……その光景が、とても心に――ぐさりと来てしまう。

 人間が妖夢と戯れる光景は、一応何度も目にはしている。

 モグタンを愛でる峰岸舞耶の姿は、マナちゃんを愛でてSッ気を引っ込ませている美月にそっくりだし、澤海だって時に保護者として厳しい態度をとることはあるけど、基本的に妖狐な妖夢の少女をよく可愛がってはいる。

 光景そのものはよく見ているものなのに、どうしてここまで心が締め付けられるのは………先日の経験のせいだろう。

 あの剣豪が発していた研ぎ澄まされつつも禍々しい殺意―――〝妖夢は存在そのものが悪〟―――多くの異界士たちに刻まれている〝認識〟を改めて突きつけられ、直視させられるには十分過ぎた。

 

「ギャギャギャッ! ギャスギャス!」

「そこまで言われたら……仕方ないな」

 

 気分が芳しくない僕をよそに、ちゃんと妖夢と意志疎通が取れている峰岸舞耶は目の前にゴジラがいるにも拘わらずリボルバーを手に取り、シリンダーをスライドさせて六発分の弾丸を全て落とした。

 どうやら……モグタンからの説得により、僕たちを見逃すことにしたらしい。

 ほっと胸を撫で下ろす………取りあえず友と少女が流血塗れになる事態は避けられた。

 

「良い判断だ、これで俺もチケットをプレゼントせずに済む」

「何のことだ?」

 

 一方澤海は意味の読めない言葉を発し、僕と同様に疑問を持った峰岸舞耶が問うと。

 

「いやな、もしお前が口封じでうちのダチごと喧嘩吹っ掛けてくんなら、無間地獄って名称なテーマパークの走馬灯サービス付きチケット〝二人分〟を用意するつもりだったんでね♪」

 

 それはもう………博臣の類まれな美貌からのスマイルに匹敵する域な晴れやかさ溢れるスマイルを、彼は見せた。

 美月のような捻くれ者でもない限り、大抵の女子は撃ち抜かれてしまいそうである。某動画サイトなら「守りたい、その笑顔」なんてコメントが連呼されそうだ。

 だがそれを目の当たりにした僕たちは、とてもじゃないが晴れやかにも穏やかにもなれない。

 何しろ、そのスマイルを構成するパーツの一つな口から出てきたのは、ユーモアあるけどとても洒落にならない〝ブラックジョーク〟だったからだ。

 僕の脳はまたしても〝笑いながら熱線撃つ気満々〟なゴジラの姿を浮かべて血の気を引き、峰岸舞耶も元から銀髪に負けず劣らず白く透明感のある肌で覆われた顔を青ざめさせてモグタンを抱きしめた。そのモグタンもブルブルと小さな体躯を身震いさせている。

 どこまでジョークか? どこまで本気か? てんで割合を断定できない。

 その気になれば例のテーマパークのチケットを何万人分も発行できてしまうだけに、たとえ100%冗談で作られた発言でも、背筋が一気に凍るのは不可避だった。

 本人は以前、泉さんを〝言葉で人を殺せる魔女〟だと揶揄していたけど、澤海もその素質大ありだと思います………ほんとマジで。

 武力衝突になって周囲に被害を加えまいとする心意気もあるんでしょうけど………聞いているこっちからすれば生きた心地がしませんよ。

 

「あと、俺と会ったことは別にチクっても良いけど、もし名瀬に飼われているこの半妖夢――」

「半妖夢、だと?」

「そう、このへっぽこ半妖夢野郎もいたってことをチクれば――」

「分かった………私もモグタンもそんなチケットは欲しくない………心変わりを起こさないよう善処する」

 

 一応毅然とした態度で応じたものの、額には一滴ながら〝冷や汗〟の類な滴が流れていた。

 それでもモグタンには手を出させまいと庇い立てる………〝この子にだけは手を出すな〟とばかり、子を守ろうとする母親のように。

 

「ただのジョークだ、怖がらなくても良い、俺たちも今日のことは誰にも話す気はねえから安心しろ」

 

 そうさらっ~~と、言われましてもね……そのジョーク、いかにもフィクションでのヤクザとかが堅気に脅しに掛かる脅しより、湧いてくる恐怖を煽りまくられるプレッシャーに塗れていたので、怖がらない方が生物的に不自然である。

 ゴジラとしての憤怒を見せた時とどっちが怖いか?

 勿論……どっちも体験した僕からしたらどっちも怖いに決まっている。

 

「じゃあ、俺も自分(てめえ)の気が変わらねえ内に帰らせてもらうぜ」

 

〝言葉〟と言う熱線を川北特撮光線合戦ばりに吐きまくり、すっかりこの場の空気を手中に収めていた澤海はその場から立ち上がり、小さな物体を金属音を鳴らして放り投げ、キャッチした。

 

「こいつは餞別に貰っとく」

 

 正体は薬莢に備わった弾丸の一つ、多分薬室の中に最初に撃ちだされているのを待っていた一発だろう。

 

「あ、もう一言だけ良いか?」

 

 数歩広くはない部屋を進めた澤海は、一時立ち止まったかと思うと。

 

「どこの馬の骨の為に殺人やらテロやらやってるか知らねえけどな、そいつも道連れにするだけだぞ」

 

 一転して真剣味に満ちたトーンで、〝警告〟らしき言葉を言い放ち、峰岸舞耶はハッとした表情を見せた。

 

「行くぞアキ」

 

 そうして澤海は僕を促しつつ、悠々と峰岸舞耶が借りている部屋から出て行く。

 僕もこれ以上部屋に留まる理由がないので、彼に続いて出ようとすると。

 

 

「待て」

 

 峰岸舞耶に引き留められた。

 

「なんだよ……言っとくが銃弾でやられるほど僕も柔じゃないぞ」

 

 彼女が僕を撃たないと確信していたから、澤海は先に出て行ったんだろうけど……一応もしもの時は頭と胸には当たらせまいと警戒心を内に秘めらせて強気気味に応じる。

 

「彼が私を助けたのは、君がそう頼んだからなのか?」

「…………」

 

 本当のとこは、本人に直接聞いてみないと分からない。

 でも聞いたところで、はぐらかして真意を明かしてはくれないだろう。

 

「多分……ね」

 

 でも………モグタンからだけでなく、僕の意志と衝動を踏まえた上で、彼女に情けを掛けたのは確かだ。

 逃亡犯の異界士のお縄を頂戴する〝正しい行為″が、僕の心を蝕む〝毒〟にさせない為に。

 

「そうか……」

 

 僕の短い返答を受けた峰岸舞耶は、そう一言呟いてベッドから出ると冷蔵庫の扉を開けた。日持ちする食料品が保管された内部から、ペッドボトルのミネラルウォーターを取り出し、それをモグタンに飲ませ始めた。

 家族も同然に接する姿に、また少し胸の奥がちくりとしたのを知覚しつつも帰ろうとすると。

 

「〝言い忘れていた〟……」

 

 また僕を引き留めた峰岸舞耶は――

 

「ありがとう……」

 

 そう言い、モグタンも「ギャース」と鳴いた。

 

 僕は今度こそ、三度目の正直で、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 澤海の背中を追う形で、僕は帰りの電車に乗るべく駅へと向かっている。

 さっきの銀髪の異界士の隠れ家にいた時はあんなに、洋画のキャラクターを彷彿とさせる流れのいい饒舌っ振りを見せていたけど、今は黙々と、ジーパンのポケットに手を入れた態勢で歩き続けていた。

 こっちから『今日何してたんだ?』と聞くと――

 

「調べもんさ」

 

 と、ちゃんと答えてはくれたけど。

 例の爆破事件から彼なりに気になったらしく、事件現場を見てきていたらしい。

 分かったことと言えば――

 

「―――使われたのは、恐らくC4だ」

 

 本人曰くそうらしい………爆発規模と爆心地周辺に散らばっていた布地を舐めて、甘い味がしたことからその爆弾に行き着いたらしい。

 その、洋画で結構耳にしたことがあるC4ってのは、衝撃を受けても火に放り込まれても暴発せず、信管と起爆装置がないと爆発しない仕組みな爆弾で、噛むと甘い味がするらしい。

 当然、あの手の代物は人体に有害な化学薬品の塊なので、絶対澤海のとった方法で爆発物の特定などしてはならない。

 澤海はそれぐらいしか話してくれず、どうしてあのマンションに来ていたかは教えてくれなかった。

 どう見てもあれは偶然じゃない、何かしらの根拠があって、あそこに峰岸舞耶が潜伏している可能性があると踏んで来た……と推測も立てられるけど、単純に血の匂いを嗅ぎ取って来てみたら僕と峰岸舞耶がいた――のありえない話じゃないので安易に断言できない。

  僕はそんな爆弾の薬品を舐めても不調の不の字も出さず、今日僕と鉢合わせるまで具体的に何をしていたかベールに包まれている彼の背中を見たり、周りの風景を見たりを繰り返しながら、さっきまでの出来事を反芻している。

 

〝ありがとう〟

 

 去り際、彼女が〝僕たち〟に投げたと思われる感謝の言葉。

 それを受け取った僕は複雑な気分だ……だって僕はほとんど突っ立っていただけで、実際モグタンの懇願を聞き入れて彼女を助けたのは澤海である。

 いや……仮にあの場に澤海が現れず、抗いきれない衝動に駆られて僕が彼女を助けることになったとしても、こんなもやもやとして、心臓が締め付けられる感覚を突きつけられていたかもしれない。

 実際―――さっき澤海が僕に投げかけたあの〝忠告〟は正しい。

 一時の感情のまま、逃亡者である少女を助けるのは、一時の安らぎを齎すと同時に、果ての見えない〝絶望〟を与えるものなのだ。

 僕のかつての逃亡生活が証明している………不死身な体な上に、殺されても再生に、どうにか生き長らえる〝一時の安堵〟の後に、この不条理がこの先何度も繰り返される未来に、何度――絶望したか数えきれない。

 

〝自分の善意を毒にするな〟

 

 二度目であるさっきのあの〝忠告〟は、彼女にその絶望を味あわせるに他ならない――だと言う意味が込められていた。

 あの少女からかつての自分をダブらせていた自分は、同情心って名の衝動に駆られる余り……同じ〝痛み〟を与えるところだった。

 でも結局、それを止めようともしていた澤海は自分の前に提示された選択肢を天秤に掛け、〝正しさ〟を貫いてしまった方が僕の心により大きな影を落とす――毒になってしまうと判断し、モグタンの懇願もあって〝助ける〟ことを選んだのだ。

 もし今日のことが露呈したら………澤海だってタダじゃ済まない、逃走補助をしたのだから、貧乏くじを引いたも同然なのに………澤海は文句を一つたりとも零すことなく、逆に無自覚の我儘を振りまいた僕にまで飛び火させないよう一芝居まで打った。

 背中を見ても分かる……後悔なんて彼は微塵もしていない。自分の選択によって起こる〝結果〟と、そこから巻き起こる〝波紋〟に対して、全力で彼は迎え撃つだろう。

 ほんと、反対に何をやってんだ僕は………あんな感謝をされる資格なんてない………当人がどう思っているかは抜きにして、結果的に終止符を打てるもしれなかった〝苦痛〟を継続させてしまった。

 

 どうしても、悔やみたくなる気持ちに苛まれる。

 

 あの時、峰岸舞耶を見つけてしまわなければ……それ以前に、血痕を見つけた時点で、打算的に考えて振り切っていれば…………そもそも、この日にメガネ目当てに遠出なんかしなければ――

 

 ダメだダメだダメだ………そんなこと考えてもキリがないし、それこそ澤海の彼なりの〝優しさ〟を無下にしてしまうものだ。

 峰岸舞耶も、義理堅い人柄だったし、家族も同然な妖夢からもお願いされたこともあるから、僕たちと会った一件は口外しないだろう。

 

 当初の予定通り、今夜は買ったばかりのメガネ様たちを隅々まで鑑賞し尽すのだと、僕は自分に言い聞かせた。

 

 けど、それでも僕は――実際の背丈以上に大きく見える彼の背中から、目を離せずにいた。

 

つづく。


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