境界の彼方~G-ゴジラ-を継ぐ者~   作:フォレス・ノースウッド

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さてさて、シリアス全開な戦いは一旦お開きになり、文芸部員たちの騒がしい日常が戻ってまいりました。


第十九話 – 平穏なる一日 前篇

 窓から差し込む朝陽と、目覚まし代わりのスマホのアラーム――いわゆるレジェゴジの鳴き声で、休眠中だった意識が醒め始めた。

 開けたての瞳は、顔に降り注ぐ陽光を浴びる。さすがに目覚めたてだと眩しくて、明度が調節されるまでほんの僅か時間を食うが、自然の光が好きな身からすれば朝のこの感じすら愛おしい。

 あくびを上げて、盛大に腕を伸ばす。昨日は早目に寝れたものだから、いつになく頭の冴えが速かった。

 空気の入れ替えも兼ねて窓を開ける、五月の青空も独特の味わいがある。感覚的で表現し難いのだが、空の違いは月ごとに区別ができた。

 今日が休日だったら、絶好の日向ぼっこの日和だと言うのに………残念ながら学生の自分にとって平日、つまり学校にも行かなきゃならないのであった。

 

 通学する前に、朝飯の支度、今日は俺の当番だからだ。

 部屋を出て、台所に行くと――

 

「マナ?」

「おはよう澤海♪」

 

 木製の足場台の上に立ったエプロン姿のマナが、ガスの前で煮込んでいた。

 

「お手伝い、しようと思って、澤海昨日、お疲れだったし」

 

 マナなりに昨日は色々多忙だった俺を気遣って、味噌汁だけでも先に準備しとこうしていたらしい。

 鍋を見ると、意外に綺麗に切られた野菜がぐつぐつと煮えたぎっている。

 汁の味見してみると、味気のバランスも想像以上にとれていた。

 

「実は、こっそり、特訓してた」

 

 なるほど………これで謎が解けた。最近起きていた、なぜだか自分が使った以上に材料が少し減っている現象。あれはマナが俺と彩華が留守の間に、練習していたからが真相だった。

 

「ありがとなマナ、偉いぞ」

「ふふ~ん♪」

 

 頭を撫でられたマナは朝の陽ざしに負けじと眩しく綻んだ。

 

「だが、驚かせたかったとは言え、こっそり火を取り扱う炊事に手を出したのはいただけねえな」

「ごめん……澤海」

「よろしい、俺も自分から取り組む姿勢まで否定はしない、だから今度やり方教えてやるよ」

「うん♪」

 

 前にも言ったが、アメとムチを使い分ける、それが俺の教育法だ。

 

「おは~~よ~う」

「おはよう彩ちゃん♪」

 

 背後から来た、眠たそうな京都弁を耳が捉える。

 入口の方へ目を向けると………これはまた眠たそうで、扇情的な彩華がいた。

 寝巻用の着物が乱れていて、普段絶対目にしないこの女狐の胸の谷間や太腿といった均整の取れた女体の一部が露わになっており、雄の目と本能には刺激が強いったらありゃしなかった。

 

「この寝ぼすけが………鏡で自分の体どうなってるか、拝んできやがれ」

「そうするわ~~」

 

 まだ寝ぼけが取れない彩華が洗面所へと向かった。

 この通り、日ごとに差異はあれど、新堂写真館の朝は大体こんな感じである。

 

 

 

 

 

「行ってくる」

「行ってらっしゃ~い」

「気いつけて」

 

 三人で朝飯を食べ終え、シャワーを経て制服に着替えた俺は扉の鈴を鳴らして写真館を後にする。

 線路と隣り合わせなアスファルトは、市立高校の学生やら、小学校の児童やら、サラリーマンやら行き交っていた。

 丁度踏切の前でサイレンが鳴るとともに遮断機が下りて、しばし立ち往生。

 ラッシュで人がごった返しな電車が通り過ぎ、ようやく通れるようになって歩き出すと、ポケットの中のスマホから、着信音にしてる〝ゴジラ・テーマ 1994〟のメロディが流れ出す。

 踏切を超えたところで取り出し、着信ボタンを押す。

 

「もしもしたっくん?」

「朝っぱらから何だ? シスコン」

 

 電話を寄越してきたのは博臣だった。

 

「学校で直接用件言う暇ないほど忙しいのか?」

「まあね、今日は幹部間の会合に出なきゃならなくてな」

 

 画面に〝名瀬博臣〟と出てた時点で薄々もしやと思ってたけど、話の中身は今日学校を休むと言うものだ。

 文芸部では幽霊部員でも、このシスコンは毎日ちゃんと学校に通ってはいる。

 そいつが休む上に、メールではなくわざわざ電話でこっちに連絡してきたってことは―――

 

「お題はの中心は、秋人(アキ)の処遇か?」

「そういうこと、たっくんのお陰で大事には至らなかったけど………目くじらを立てた幹部が結構いてね」

 

 あいつの学生生活……人並みの暮らしは、妖夢と人間のハーフの半妖夢である特異性と、〝波紋〟を起こしさえしなければと言う条件による契約の下、名瀬の〝飼い犬〟と言う形で成り立っている。

 その秋人は昨日、名瀬と真城の間交わされた〝協定〟を破って、真城優斗と接触してしまった。

 それが契約の反故に当たるか否か……それが会合とやらの〝焦点〟となるだろう。

 名瀬の異界士は保守的で排他的な連中、特に幹部の奴らは脳みそが固いことこの上ない。一昔前の推理小説に出てくる村並に凝固してやがると断言できる。

 秋人が〝不穏分子〟と見なされれば………たとえ不死身だろうと、躊躇わず処分―――凍結界に放り込もうとすることも込みだ。

 

「勝算はあるのか?」

「難しいだろうな……けど〝勝つ〟さ、〝必ず〟ね」

 

 俺とて、虚ろな影討伐を表向きとした真城優斗との接触にあいつを同行させたことが〝波紋〟を起こすぐらい認識していた。

 だから〝折れない〟と分かった上で秋人に口酸っぱく忠告して釘を刺し、前々から博臣と共同で対策も練っていた。

 それでも………幹部の連中を説得させるのは困難だ。

 俺の知る限り、あの名瀬泉も入れて人間の美点である筈な〝温情〟と最も縁のない奴ら、身内同士すら〝冷戦〟にも等しい騙し合いが繰り広げられている。

 その一方で、こんなこと言う性質(たち)ではないけど、博臣を信頼していた。

 でなきゃ秋人を行かせたりはしない………腹に拳ぶち込んで気絶させてまでも、阻止していた。

 

「頼んだぞ、博臣」

 

 歩きながら応対していた俺は、短くも切実な声音で、博臣にエールを送る。

 

「ああ」

 

 自分にとって………通話先の異界士は、シスコンとしての変態性には正直辟易しているけど―――〝信じられる人間〟の一人だと、はっきり言える。

 それは異界士としての技量や、世の綱渡り方と言ったものだけでなく、秋人たちと同様に、あいつ〝個人〟によるものが大きい。

 それを〝甘さ〟だとほざく奴はたくさんいるだろう、それこそ名瀬みてえな連中ともなれば。

 でも〝種族〟としてはてんで信用していない俺にとって、〝人情〟とも表現できるその代物は………人に限らず〝個〟を見極める上で、重要な〝物差し〟であった。

 一体何からそれを〝学んだのか?〟と言われれば………〝あいつ〟だとはっきり言える。

〝チビスケ〟を通して、人の世からは〝理解不能の野獣〟であった俺を、理解しようとしたテレパスの少女である―――〝彼女(あいつ)〟だ。

 

 

 

 

 

 

 昨夜は気持ちよく眠れた為か、今日は午前の内から起きてその日の諸々の授業に付き合っていた。

 喰ってくには勉学励まなきゃならねえ人の世に世知辛さは感じているが、眠気がなくとも特に苦痛はない。

 人間だろうが哺乳類だろうがハ虫類だろうが虫だろうが、結局どの〝生命〟も生きていく上で果たさなきゃならない〝義務〟があるからだ。

 そいつを日頃からこなしてこそ、謳歌できる〝自由〟ってものがある。そいつは決して〝好き勝手生きる〟ことではない。

今日は掃除当番と言う〝義務〟があったもので、文芸部には少し遅れることになった。

 もう美月に秋人に未来は来ているだろう。

 最近〝幽霊〟を卒業しつつある博臣の他に、幽霊部員はもう二人いるのだが、今日も幽霊なだけに部室へ向かっている段階で来てないのが明々白々なまでに分かった。

 実質異界士と半妖夢の溜まり場と化している今の文芸部を気に入っている身からすれば、逆にありがたい。たとえ傑作選に載せる文集の選考作業の負担が増えてしまうとしても、自分としてはそれもまた自由を楽しむ為に果たす〝義務〟である。面倒くさくはあっても、放棄する気もない。

 

 談話室と自販機が隣接する見慣れた〝文芸部〟の札が掲げられた部室の扉を開けると―――

 

「〝メガネを掛けた栗山さん〟か〝掛けてない私〟、どちらに殴られたいか選びなさい」

「あの………問題の趣旨が分かんないんだけど」

「心当たりはないのかしら? 今回は特別に二者択一にしてあげたのに、本来なら有無を言わせず殴り倒していたところよ」

 

―――いつも通り、腕を組んで高圧的な態度の美月が秋人を睨めつけて脅し、脅された方の半妖夢は戸惑い、それを未来が目にしてる図を目にした。

 

「良いとこに来てくれた……なんとかして澤海」

 

 俺の入室に気づいた秋人が助け舟を求めてきた。

 

「それは無理だな、こいつが怒ってるのは凪で〝不死身〟でもないのにミライ君に同行しようとしたから……だろミツキ?」

「ええ、どうせ秋人のことだから、澤海がいなかったら栗山さんに素敵なとこ見せようと奔走して、クソの役にも立たない自分の無力さを思い知り、仕方なくメガネ少女の潜在能力を引き出す役を担おうとしたけどやっぱり死ぬのが怖くなって『僕が死ぬことで発揮される設定あるなら死んだと思って覚醒してくれないか?』とか言い出して生き残るなんてことになったでしょうね」

「そんな安っぽい設定僕にはない!」

 

 美月からのブラック塗れなジョークボールに、今日も秋人はタイミングが完璧な気持ちの良い突っ込みボールを投げ返す。

 やはりうちの文芸部は、こいつらのやり取りがなくっちゃ始まられないし、締まらない。俺がここを気に入っている理由の一つだ。

 

「先輩、美月先輩が怒るのも無理ありません」

 

 沈黙の姿勢でいた未来が、美月と正反対に真剣な態度で、されど彼女と同じ気持ちで秋人に苦言を呈した。

 

「再生能力がガタ落ちしていた状態で一緒に来るなんて、無謀も良いとこです、もし虚ろな影が黒宮先輩じゃなくて先輩に憑依した時はどうするつもりだったのですか?」

 

 もし昨日の戦闘で俺がいなかったらどうなっていたか………人狼たちの数の暴力が続き、下手すると虚ろな影と同時に相手しなきゃいけなかったかもしれない。

 例えるなら、映画俳優としての自分らとはライバルと言える間柄なあの亀の大怪獣と戦ったシリコン好物な宇宙生物群のマザーとソルジャー、両方戦わなきゃいけない状況とも言えるだろう。

 このお人よしのことだ、混沌とした戦況の中、未来を庇って虚ろな影に取りつかれてしまい………躊躇う彼女に苦しみもがきつつも「大丈夫、僕は不死身だ―――だから、虚ろな影に屈するな!」と強がり、涙ながらに未来が血の剣で秋人を突き刺す姿が簡単にイメージできた。

 こいつの〝お人よし〟が嫌いじゃないからこそ、俺は〝ゴジラ〟となって、本体の注意にこっちに集中させていたのだ。

 もし自分のいなかった場合の最悪の事態が起きてたら………よしんば生きのびても、博臣たちはもっとギリギリの〝綱渡り〟に臨んでいたかもしれない。

 そうなったら……〝良心〟の負の連鎖ってやつも、起きていた。

 幸いなことに、俺の〝破壊〟の力は、そっちの可能性(みらい)を完全に破壊し尽くしたことで、避けられた。

 

「ごめん……黙ってたことは悪かったよ」

 

 相手がメガネ少女なこともあり、秋人は素直に謝意を見せる。

 

「でも……僕にばっかり追及するのはどう思うんだけど、ほら……実際無茶したのは澤海の方だし」

「無茶の上限値が高いゴジラとへっぽこ半妖夢を一緒にしないで頂戴」

「ひどい!」

「昨日私言いましたよね?一番危なっかしいのは先輩の方だって、〝不死身〟であること除けば先輩はただのメガネ好きな突っ込み要因の高校生なんですよ、はっきり言って黒宮先輩の方がずっと〝自分〟を顧みてます」

「栗山さんまで……とほほ」

 

 二人の女子からの挟み打ちに、すっかり秋人はたじたじになっていた。散々な言われようだが、これもこいつの無茶の〝抑止〟の為だ。

 彼女たちの態度は、それだけ秋人を心配している証でもある。

 

「私も鬼じゃないから今回は大目に見るけど、懲りずにまた藪に突っ込むようなら、栗山さんのメガネを外して兄貴をボッコボコにするわ」

「それただの八つ当たり!」

「――でもないわよ、不審な行動とらせないようにするには、『動いたら殺す』と脅すより『動いたら隣の奴を殺す』と脅迫した方が、抑圧効果が高いらしいわ」

 

 美月節、またはミツキズム炸裂と言ったところか、今日もこのサディストの舌は絶好調であった。当然彼女の悪友な俺としては好調の方が大歓迎である。

 まあいつまでも秋人にばかり突っ込ませるわけにもいかないので、俺も俺で返しておこう。

 

「ミツキ、その話を聞いて策士だと思ってくれる奴は極一部だけだぜ、大抵は〝酷い女〟と見なしちまう」

「ならその理解できない奴らもボッコボコよ」

「圧政にも程がある! もう少し好感度大切にしろ!」

「どうせ私はぺーぺーの脇役なのよ、ならいっそ好き放題やって極一部に指示される方を選ぶわ」

 

 ふくれっ面でぷいとそっぽを向くサディスト同級生。

 余程先日の会合と昨日の戦闘でのけ者にされたのが悔しかったらしい。そういうただでは起きないとこも美月らしくて、俺からは微笑ましくて可愛らしかった。

 一方で、あんな最前線に彼女がいなくてよかったとも思っている。却って自分の未熟さを突きつけられて、さしもの美月でも落ち込んでしまいかねなかったからな、それを口にしたら余計ぷんすかされるので言わないけど。

 

「僕からすれば学園生活は美月を中心に回ってるって………だからいつまでものけ者にされたこと気にするな」

「気休めの言葉で誤魔化そうとする秋人もボッコボコよ」

「もうお前〝ボッコボコ〟と言いたいだけだろ!」

「そんなに〝ボッコボコ〟をトレードマークにしたいのか?」

「あら? どうやら見破られてしまったようね、定着させようと今模索中なのよ」

 

 秋人はすっかり開いた口が塞がらない。俺としても美月の独壇場は、そろそろお開きにした方が良いとも考え始めていた。なんせ今日も選考作業が待っているのだから、潰される時間はできるだけ最小に留めないと。

 しかし、こっからどう軌道修正させるか………と、未来に視線を移す。きょとんとした彼女の表情を見て、閃いた。

 

「ミライ君、ボッコボコを可愛らしく言い替えてくれ」

 

 と、未来に投げると同時にアイコンタクトで頼みこむ、目線で俺の意図を理解した彼女はこっくりと頷いて了承、しばし思案した後切り出した。

 

「〝ポコポコ〟にしてみたらどうでしょうか?」

「どういうことかしら?」

 

 未来は拳を握りしめ、交互に虚空へパンチを繰り出しながら。

 

「ポ、ポコポコにしてやる!」

「か、可愛い!」

 

 秋人の表情が喜び一色に、そんぐらい可愛らしい光景だった。

 

「ポコポコにしてやるポコ!」

「語尾まで可愛くなった!」

 

 意外にノリノリなメガネッ子を前に、黒髪ロングなサディストは「負けたわ……」ってな感じで項垂れ、落ちこんだ。

 しかし一秒ちょっとすると直ぐに立ち直り。

 

「いつか秘密結社ポコポコ団を結成してやるわ」

「趣旨ズレ過ぎ!」

「秋人には目出し帽を被ってメガネを配ってもらうわよ」

「犯罪みたいに扱うな! メガネ配るのを!」

「ともかく切り絵や生け花が趣味の私に〝ボッコボコ〟が似合わないのは分かったから、もし私が柄にもなくツインテールにしたら止めて頂戴」

「もう……どっからツッコんでいいのか分からない」

 

 さすがの〝ツッコミの名手〟も、まとまりを端から放棄した美月のボケを前にタジタジとなっていた。

 仕方ない、秋人に代わって打ち返しとくか。

 

「似合うだろ、どこに止める理由があるんだ?」

 

 サディスト部長に一発撃ちこむ。

 俺としては、ちょっと美月を愛らしくぷんすかさせて、そっから上手いこと選考作業に移行させる魂胆だったのだが。

 

「…………そう?」

 

 白磁の柔肌を赤くし、恥ずかしそうに両手で黒髪をいじりながら、こっちに背を向けてしまった。

 しまった……博臣や秋人みたいな変態でもない限り、やっぱ美月でもストレートに褒められたら照れてしまうか、失敗したな。

 けどまあ、今の内にと、棚からまだ未読の文集たちを取り出して机に置く。

 

「駄弁りはこの辺にしてやるぞ」

「はい」

「おう」

「ちょっと………部長を差し置いて勝手に進めないでくれる!?」

 

 今日もこんな、くだらなくも素晴らしい、文芸部の日常なのであった。

 

 

 

 

 

 

 今日も夜遅くまで選考作業は続き、すっかり暗くなった時間帯に僕は住まいのマンションに着いた。

 元気な栗山さんを見られたことは喜ばしい、昨日の……幼なじみとの別れをした直後は、それはもう大きな目から大粒の涙を流していたものだから、気がかりだった。

 あの時の僕は、泣き崩れる彼女の両肩に触れて……溢れる感情を受け止めてあげることしかできなかったから、今日の栗山さんは安心させるには充分だった。

 にしても……今日の澤海はいつも以上に楽しそうな気がしたけど、気のせいか? 気のせいか……考え過ぎだな。

 それでも帰り際の発言が頭から離れない。

 

〝帰ったらオムライスが待っているかもしれないぜ〟

 

 

 カードキーで厳重な出入り口を抜け、自分の部屋の階まで上がり、扉を開けて電気を灯し、途中コンビニで買ってきた弁当とウーロン茶を入れようと冷蔵庫を開け、一瞬僕の体は凝固した。

 作った覚えのないオムライスが、ラップされて置かれている。しかも卵の表面にはケチャップで「あっくん」と不格好な文体で書かれていた。

 

 忘れようのない……母――神原弥生の字だった。

 

 そうか……澤海はこれのことを言ってたんだ。

 多分あいつは、日頃オムライスを食べてる僕から、あれは単に好物なだけでなく……いわゆる〝お袋の味〟であると見抜いていたのだ。

 僕は母お手製のオムライスを取り出し、レンジで温めた。

 ウーロン茶とテーブルの上に並べて、料理上手な怪獣王が作ったのと比べて少々ブサイクなオムレツの生地をチキンライスと一緒に頬張る。

 やっぱり……昔いつも作ってくれたのと変わらず、塩気が強過ぎて不味かった、いかに澤海の方が旨くて美味いと痛感してしまう味だった。

 それでも僕はひたすら食べ続ける。

 

「こんなの作ってる暇あんなら、顔ぐらい合わせろよな」

 

 こうは強がってはみたけど、瞼から涙が零れっぱなしだった。

 オムライスが好きであることを覚えててくれた………それだけで感極まってしまうくらい、嬉しかったから。

 

「ほんと不味いな」

 

 と愚痴ながらも、最後まで僕はお袋の味を食べ尽くしていった。

 

つづく。




なんで秋人がオムライスが好物なのかと言うと、今回の話でも取り上げられた通り、あのアバンギャルドな母がいつも作っていた本人にとっては得意料理だったわけです。

当然不味い代物だったのですが、それが秋人にとってはお袋の味なので、普通に美味いオムライスでは物足りないと感じてしまい、いつも自炊する時は決まってオムライスなのでした。
彼にとっては「一度失われた日常の温もり」の一つでもあったわけで、澤海は漠然とそれを見抜いていたわけです。

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