境界の彼方~G-ゴジラ-を継ぐ者~   作:フォレス・ノースウッド

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第九話 - 襲撃

 四月十六日の月曜の放課後。

 美月は未来の入部申請の手続き云々で遅れるとのことで、俺と秋人は先に部室に入ると、その美貌を何やら深刻そうに形作った博臣がいた。

 

「博臣……何があったんだ?」

 

 俺は半分聞き流す姿勢を取ることにする、このシスコン上級生がこんな顔をする時は大抵自分からは至極どうでもいい話と相場が決まっていたからだ。

 

「アッキー、たっくん、まずはこれを見てくれ」

 

 言われた通り、机に目を向けると、そこにはアイドルソング系の音楽CDやらライブのDVDやらが入ったパッケージが大量に、しかも中の円盤型ソフトは全て痛々しい亀裂が走っていた。中には完全に破片と化したのもある。

 

「事故じゃないよな……まさかここにあるの全部こうなってるのか?」

 

 痕跡から、どう見ても人為的に破壊されたものだ。

 念の入れ過ぎた込み様な破片が、犯人の恨みの強さを物語っている。

 

「前兆ならあった……一昨日の夜に音楽を聞こうとプレーヤーを起動させたら………曲が全てアイドルソングからヘヴィメタルバンド系に変わっていた」

「犯人は美月だ、間違いない」

「アッキーもそう思うか?」

「当たり前だ」

 

 秋人はそう断言する。俺も博臣の証言から美月が犯人だと絞りこんでいた。と言うか博臣の家族関係と、強烈な怨念の籠もった壊し様からして、あいつ以外にあり得ない。

 ブチ切れた理由も明らかだ。

 

「こっそりアイドルのオーディションに応募なんかするからだろ?」

「澤海、どうしてそうだと?」

「見ろよ」

 

 俺が指差した先には、美月の写真と、〝HNDガールズ〟ってユニット名なアイドル新メンバーオーディションの応募用紙と、それを入れて送る予定だった封筒が机上に置かれていた。

 

「写真は学生証用のやつをコピーしたのだし、用紙の筆跡はヒロのもの、大方こっそりこれを送ろうとしたのをミツキに感づかれたんだろ?」

「博臣……本当なのか?」

 

 博臣は苦汁の表情で頷いた。

 こいつのことだ。アイドル系の曲を聞いている内に晴れ舞台に立つ妹の姿を現実にしたい欲求に駆られたってとこだ。

 

「たっくんの推理した通りさ」

「どうして本人に確認を取らなかったんだ?」

「『家族が勝手に応募しちゃって』とか、よくある話だろ?」

 

 いや……確かに本人の了承を取らず親が勝手に応募した結果デビューしてしまった話は、よく聞きはするが………博臣の意図が読めた俺は呆れて溜め息を吐く。もうこの手の息が出るのは何度目か……途中までは数えてた筈なのだが、すっかり回数は綺麗さっぱり忘れてしまった。

 

「想像してみろ! 大人数の中センターを陣取り、可愛い制服(コスチューム)に身を包み、マイクスタンドに跨って熱唱する天使(みつき)の姿を」

 

 ああ……またしても実妹のことで熱く語り始めましたよこのシスコンは………いよいよ雲行きが怪しい方向へと流れ出した。

 目を瞑って熱弁する博臣の瞼の裏のスクリーンでは、美月がセンターなアイドルグループのライブ中の模様が再生中であると嫌でも分かった。

 

「め……メガネを掛けさせても良いか?」

「細かいことは気にしないさ」

 

 欲望に負けた秋人も目を閉じて映写し始めやがった。無論メンバー全員メガネッ子だと容易に読みとれた。

 

 俺も実は特撮系を嗜む身、だから好きな人は好きなのだってのは認めるが、多分自分には一生縁のないアイドルに関わる話題など、当然付いていけず置いてけぼりをくらう。追いつきたい気は皆無だが。

 

「壮観だな……」

「だろう?」

 

 たく、一昨日見たばっかだぞ……この変態どものメンタルシンクロ現象。今のこいつらならイェーガーを余裕で操縦できるかもしれない。性癖なんてしょうもない理由で心を一つに的展開なんて、プロットに入れる以前のレベルで却下だけど。

 そろそろ女性陣が来る頃合い、その二人の前に脳内上映を強制中断させよう。

 美月本人には罵詈雑言の嵐ものだし、さすがに未来だって〝不愉快です〟と不快な目で切り捨てるのは目に見えていた。

 なあに、こっちにはとっておきの一手がある。

 

「おい、もしミツキをメガネ妹系キャラでアイドルデビューさせてみろ、にわかシスコンとにわかメガネストを大量発生させることになるぞ」

「「なっ!?」」

 

 俺から発せられた会心の言葉(ねっせん)は、変態たちの幻想を粉々に砕いた。

〝にわか〟、誰だって一度はその道を通るのに、深みへと入れこんだ奴ほど嫌う概念。ある嗜好への度を越した愛を持つこいつらには、その効力が最大限に発揮される。

 

「「しまったぁぁぁぁーー!! そこは盲点だったぁぁぁぁぁーーー!!!」」

 

 背後に稲妻でも走りそうな驚愕の顔を浮かべて仲良くハモったお二方は、俺から進言されるまで考えもしなかった現実と、自力では気づくこともできなかった自身を恥じて攻め立て、仲良く同時に顔芸とセットで絶叫するのであった。

 それを目にした俺は反対に気分が良かった。中々見ごたえのある絶望に染まった顔を見せてもらったので、さっきまでの醜態を目にした際生じたストレスはチャラにするとしよう。

 それにこれで美月にアイドルの偶像なんて〝仮面〟を付けずに済む。あいつを思い……〝今〟を踏まえれば、そんなものまで背負わせるわけにはいかない。

 秋人たちが絶望している間、俺は机上のCDにDVDの群れを博臣の鞄に放り込んた。

 全部入れた直後、入れ違いに部室のドアが乱暴気味に開かれ、不機嫌顔の美月と、彼女の現状に少しオドオドしている未来が入ってきた。

 ドア開口の轟音のショックで、二人のテンションは瞬時に平時に戻る。

 美月の機嫌の悪さは手続きの面倒さに、変態たちの変態妄想を第六感で漠然と受け取ったからかもしれない。直接聞き出すのは絶対地雷になるので、詳細は問わないでおこう。

 

「聞いて頂戴、今日から正式に栗山さんは我が文芸部の部員となったわ」

「改めて、よろしくお願いします」

 

 ペコリと未来が頭を下げた。

 

「秋人、後でいいから栗山さんに部の規則と部室の使い方を説明しておいてね、それと夏号から栗山さんにも小説を書いてもらうから、そっちの教育もお願い」

「…………」

 

 そんで美月はペラペラと秋人に指示もとい命令を次々と下す。いきなりの奇襲だったので秋人は絶句するしかない。

 

「栗山さんを勧誘した責任くらいは取りなさい」

 

 美月個人としては気に入ってはいるものの、栗山未来は名瀬家から要注意人物としてマークされていたのだ。そんな彼女を実質異界士な学生たちの溜まり場たる文芸部に誘ったわけである。誘うだけ誘って入部したら知らんぷりは流石に無責任ではあった。

 

「わかったよ」

 

 秋人もそう行き着いた様で部長の命を承諾した。

 

「アキ、俺にも手伝わしてくれ」

 

 助け舟を出した俺に秋人は『助かるよ』って顔をし、美月はほんの少々だが慌てた様子を見せた。部長としては副部長に丸投げる魂胆だったので、ひら部員も後輩指導を名乗り出るとは予想だにしなかった様子だ。

 美月みたいに攻めることに長ける手合いは、逆に攻め返されるのが弱い。

 メカゴジラがその典型だった。圧倒的火力で押し切り、放電アンカーで仕留めようとするまではよかったのに、体内放射でのエネルギー逆流によるお返しで駆動炉のオーバーヒートによる機能不全なんて情けない負けっぷりを初陣で晒してしまったのだから。

 

「ぺーぺーなひら部員の澤海が無理して付き合うことはないのに……」

「ミライ君に一度遊びにこいって言ったのは俺だ、なら俺にも勧誘責任ってやつがあるだろ?」

「栗山さん、本当かしら?」

「はい、確かに一昨日の昼にお誘いを受けました」

「なら……仕方ないわね」

 

 こうも筋が通り、理路整然に返されては持ち前の毒の籠もった物言いを発揮しようがなく、微妙に悔しそうにむくれる美月だった。博臣の過剰な妹愛は理解できない自分でも、可愛いと思えるむくれ顔だなと、ポーカーフェイスの裏で心中そう呟く俺である。

 こうした前置きの後、本日の部活動は開始された。

 

 

 

 

 

「妹キャラが一人もいない……これは没だな」

「博臣、趣味趣向だけで判断するな」

 

 シスコン兄の選考基準に苦言を呈した以外は、厳かな環境下の中それなりのペースで選考作業は進んでいった。

 たった今読んでいた作品をラストまで進ませて一息ついた僕は、初日ながら作業に集中している新入部員な栗山さんに目をやる。赤縁眼鏡の奥の大きな瞳は、すらすらと活字を読みとっていた。

 

「あのさ栗山さん」

「なんでしょう?」

 

 本を広げたまま、こちらに目を合わせてくる。あれほど入れこんだ様子から、僕の薦めた作品を気に入ってくれたようだ。

 

「前から気になってたんだけど……」

 

 喜びを奥に引っ込ませつつ、僕は思いきった質問を投げる。

 

「どうして長月市(このまち)に来たのかな?」

 

 静謐さは維持されたまま、部室の空気が決定的に変質した。宙の酸素が硬化でもしたかのように重々しい。

 不意を突かれたにも等しい栗山さんは、童顔な容貌に三つの大きな穴を象っていた。

 他の三人の様子を見るが、素人目からは主だった変化は見られない。特に平時と戦闘時のギャップが激しい澤海はいつものややダウナーな雰囲気で作業を続けている。

 その彼から〝良心に響くから余り深追いするな〟と忠告されたけど………それでも僕は知っておきたかった。

 このメガネの美少女が〝背負っているもの〟の正体を。

 部活の最中に切り出したのは、栗山さんと他の三人、双方の反応を見たかったからでもあるし、彼女の口から直に名瀬家からの疑惑を払しょくさせておきたかったからもある。

 

「栗山さんには申し訳ないけど、今の内に博臣たちの家から抱かれてた疑いを晴らしておきたいんだよ、今長月(ここ)には異界士がわんさか来てるらしくて、どうも妖夢が弱る時期を狙って大物を―――」

「〝虚ろな影〟」

 

 僕から先んじる形で、博臣が単刀直入に核心へと踏み入った。

 

「やつを討伐する為に、この地に来たんだろ? 未来ちゃん」

 

 まさか博臣の口から例の大型妖夢の名が出ると予想し得なかったので、僕は何も言えぬまま美貌の異界士と後輩を交互にみやることしかできない。

 けれど冷静に考えれば……逃亡中の母も長月市に虚ろな影が来ると把握できたのだ、名瀬家が例の大型妖夢の動きを読むくらい不思議でもなんでもない。

 

「どうして……そう思われるんですか?」

「凪を利用した売名行為にはうってつけな妖夢だからね、こちらとしても穏便に進めたいから、質問には素直に答えてくれないかな?」

 

 言葉そのものには温和で気を遣ったものなのに、その癖言い様や態度は脅迫じみていて………どころじゃない、どこからどう聞いても脅迫だった。

 今の博臣からはいつもの軽薄さは消失し、代わりに獲物を見つけた猛禽の如き真剣な眼差しを持った〝異界士〟としての顔に変身している。

 

「虚ろな影で……間違いありません」

 

 隠しきれないと判断したのか、栗山さんが思いの他正直に明かしてくれた。

 体は委縮して、僕の眼からは実際の体格よりも小さく映る。僕も穏やかな気分ではいられない……でもこの状況に挟める上手い言葉もなかった。

 

「それにしても、世の中には悪い奴がいるものだね」

 

 独り言のようで、とても聞き逃せない勿体ぶった一言を博臣は漏らす。

 

「どういうことかしら? 返答次第では二度と『お兄ちゃん』と呼ばないわよ、今回の凪の管轄な私を差し置いてこそこそと………」

 

 当然兄の態度に美月が納得する筈も無く、博臣にとっては処刑宣告にも等しき切り札を出してきた。裏で動かれた事実は、彼女の異界士としての自尊心を傷つけてしまったようだ。

 

「親切心で情報提供しているのに脅迫はよくないな、これでも俺は名瀬家の幹部クラスだぞ? それを動かすのにどれだけの金額が必要か分かっているのか?」

 

 対して兄は冷徹に斬って捨てる。いつもは美月を溺愛している博臣が、ここまで実妹に冷たく応じる様は見たことがなく、それゆえ美月も面喰らっていた。

 とは言え、そこで白旗を上げる美月でもなく。

 

「博臣お兄ちゃん♪」

「素直に諦めなさい」

 

 妹はあざといくらいの調子で普段ぞんざいに扱う実兄に『お兄ちゃん』と呼んだが、博臣は動じず。

 

「博臣お兄たん♪」

「語尾を可愛くしても無駄だ」

 

 続けての第二撃にも応じず。

 

「博臣『バキューン』!」

 

 しまいには、とても文章で明文できそうにない放送禁止用語を口走った。そういうとこ本当期待を裏切らない名瀬家の末っ子令嬢である。

 まだ諦めるつもりはない様で、今度は栗山さんの耳に何やらひそひそと話しだした。

 

「良いからとっとと話せ、ヒロオミが言う悪い奴ってのは、虚ろな影を非道なやり方で討つ気な外道どもだろ?」

 

 しかし美月の栗山さんを巻き込んでの次なる攻めは、実行されることはなかった。

 

「おやまあ、たっくんには筒抜けだったか? 見抜かれたのでは仕方ないな……白状するよ」

 

 澤海がガードを固くした博臣の牙城をあっさり崩したのだ。人間としての知性と、動物的な鋭い直感を併せ持った彼は、時として僕らより先に物事の本質に斬り込んでしまうことがある。

 顔つきを見れば彼も〝異界士〟の時のものに変身し、さすがに見る者を畏怖させ、屈服させる圧力まで行かずとも、目つきは闘争に臨む〝ゴジラ〟に近くなっていた。

 いや、それより澤海は、今何て言った?

 

「アッキー、虚ろな影についてはどれくらい知ってる?」

「成長段階のある超大妖夢で、成体に近づいたら実害を与えるって性質を持つ―――くらいだけど……」

「成体にまで、あるいはその日知段階前に達した虚ろな影は討伐依頼が殺到する、大きなリスクに目を瞑れば富と名声を一挙に得られるからね」

「ちょっと待って、虚ろな影は実体のない妖夢なのよ? いくら凪の恩恵があるからと言って、そいつを討伐して名声を得ようなんて、自殺行為だわ」

「ミツキ、確かに実体のねえやつに喧嘩売るのはとんだ大馬鹿だが……やつを倒す方法なら、一つだけある」

 

 美月が投げた疑問を、博臣に代わって澤海が答えた。

 直後、虚ろな影が話題に上がってから畏縮していた栗山さんの顔色がさらに青ざめていく。瞳は眼前の光景を捉えていない………何か嫌な思い出が再生でもされているような感じがした。

 話題の発端を作っておいて何だが、早いとこ切り上げた方が良いと判断した。

 

「澤海……その方法って何だよ?」

「実体(かたち)がないなら―――肉体(かたち)があるものに移してやるんだよ」

 

 肉体を持つものに移す? 澤海の言葉を、心の内でオウム返しをした。

 澤海の今の発言と、その前の言葉の中に入っていた〝非道〟や〝外道〟といった単語から僕なりにその方法を推理してみた結果、寒気が走った。

まさかそれって、虚ろな影を―――

 

 

 

 

 

 未来がこの地に来訪してきた目的が〝虚ろな影〟絡みだったと判明して時点で、博臣は名瀬家の代表として彼女のバックにあるものを掘り出すつもりだったのだろう。

 しかし、尋問の真似事は強制的にお開きになる。

 部室の窓が、いきなり奇声を上げて砕け散った。

 俺以外の四人の視線が、窓側に集中する。

 

「ドアだ!」

 

 反対に俺はそう四人に発すると、立ち上がりながら最も近くにいた美月を庇えるよう抱き寄せ、扉の方へ指の銃口を向けた。秋人も咄嗟に未来を庇い建てる。

 乱暴に開放された扉から、物体が中へと侵入しようとする。そいつに俺は、指(じゅうこう)から青の光弾を放った。閉鎖的環境もあって、弾丸は物体に直撃し、扉を開け放つほどの勢いが衝撃で削がれて、相手は怯む。

 程なく、ロープ状の物体がそいつを縛り上げた。正体は博臣のマフラーだった。それは彼の暖をとるだけでなく、檻を応用することで異界士としての彼の得物にもなる裏の顔があった。

 

「伏せろ!」

 

 博臣の意図を汲んだ俺は邪魔にならぬ様、美月を抱いたまましゃがむ。美貌の異界士は捕縛した侵入者を透明(ガラス)の隔たりがほとんど無くなった窓の外に向かって投げつけ、物体が俺達の頭上を通り過ぎた。

 いつもの日常(ぶかつどう)が突如壊された状況に、さしもの美月も動揺を隠せず、体は震えていた。高圧的に振る舞う顔も、恐怖で強張って硬直している。

〝檻〟をマスターしているだけあり、美月も異界士としての実力は低くはない……が、専ら事務方の任に着くことが多い彼女は、実戦の場数においてはこの部の部員の中で最も少なかった。

 

〝こわいよ! たすけてぇぇぇ!〟

 

 手が美月の震えを感じ取ると同時に、宇宙から来た俺の〝分身〟に襲われた時の〝チビスケ〟を思い出させる。その記憶と現況が怒りに火を点け、闘争心を湧きあがらせた。

 よりによって部活中に喧嘩売ってくるとは、良い度胸してるじゃねえか………その報いをたっぷり味あわせてやる。

 

「ヒロ、ミツキを頼む」

「待て!」

 

 博臣(あに)に美月(いもうと)を託し、俺は襲撃者への反撃の為に窓から飛び降りようとしたところへ、博臣に引きとめられた。

 

「たっくん、できれば襲撃した妖夢を殺さず生け捕りにしてほしい」

「何ぃ?…………たく、保障はしねえぞ!」

 

 博臣の申し出に対し、半ば吐き捨てるも同然にそう答えた俺は窓から跳び、校庭の砂の大地に降り立つ。

 まだ部活動中の時間帯グラウンドには誰もいない、それどころか空も雲も太陽も、周囲のありとあらゆるものが昼の空より淡い水色がかった色合いになっていた。

 博臣の仕業によるものだ。ここは名瀬家代々の檻(いのう)の応用で作り上げた異空間たる結界の中。色彩を除いて校舎と同じ形なのは、地理的環境がほぼ反映されるからだ。

 非日常な空間の中で俺と対峙する奴を一言で表現すれば……〝人狼〟と呼ぶべきか。顔と頭は狼そのもの、対して死に装束見てえに真っ白い着流しを来た体つきは人間に近かった。

 どうにも解せえねな……よりによって学校に来るとは。この高校は常に名瀬一族が施した結界が張られ、並の妖夢では進入どころか消滅させられてしまう。

 先週末俺が敢行した作戦は例外。あれは博臣にも予め、秋人が被っていた未来からのストーキングへの対策によるものだと意図を伝えた上で、結界の強度を一時的に弱めてもらって校舎内におびき出したからだ。

 普段なら妖夢が入り込むなど絶対あり得ない………だとすれば、最初からおびき出すつもりだったな。

〝凪〟と〝虚ろな影〟が同時に押し寄せるこの珍しい状況を利用して、名瀬一族を失墜させようと企む連中をあぶり出す為に。

 そして博臣の読み通り、その連中が妖夢を使って餌に喰らいついてきた。

 証拠ならはっきりある。人狼の目は虚ろで、こちらを見据えているのに、視線の感触が希薄、これは妖夢がその意志を乗っ取られていると示している。

 犯人は……本来狩る対象であり、敵である妖夢を操り使役できる〝妖夢使い〟、俺にとっては――〝自分の手を汚す根性のない〟――一番気に食わない類の人種(いかいし)だ。

そいつらが糸を引く人狼など、さっさとぶちのめし熱線で消し炭にしたい衝動を抑える。犯人の尻尾を掴む手掛かりとなるこの人狼を生け捕りにしてほしいと博臣から依頼を受けた以上、できる限り果たすしかない。

 人狼が疾走して、こっちに肉薄してくる。俺の身体を裂こうと振るわれ、ギリギリのとこで躱した。

 せっかくの〝日常〟を侵し、秋人や美月たちに手を出しやがった許し難い相手に、つい致命傷になる攻撃を与えそうになる。敵と見なした奴は完膚無きまで叩きのめすのが基本な俺からすれば、殺さずに捕えるのは難しい話だった。

 攻めあぐねている中、左手からの逆袈裟からの一撃を擦れ違い様に避けるが、五つの内三つの爪が頬の表皮を裂いた。

 

「ちっ……」

 

 舌打ちして一旦跳びのく。頭に血を登らせまいと、片手を軽くスナップする。変身に携帯使うかのライダーからの受け売りだが、思考をクリアにするには持ってこいな手癖だった。一回振っただけで熱くなった脳内が澄み渡ってすっきりする。頬の傷もG細胞の再生遺伝子が働いて直ぐに塞がった。

 奴の主な武器はあの両手の爪、あれを潰せばどうにか生け捕りにできそうだ。

 人狼が再び疾走して距離を詰めてくる。

 攻撃の隙間からカウンターをぶち込むべく待ち構えようとした刹那――

 

「澤海君! 下がって!」

 

 背後から顧問のニノさんの声が、博臣から事前に捕獲を頼まれたいたってところか……言われた通り後方へ跳躍して下がる。

 前進していた妖夢の周囲の空間が歪みだし、全方位からのしかかる圧力で人狼が呻き声を上げた。

 まだ宙を飛んでいた俺は右手を突き出して虚空を掴みあげるニノさんを目にした。

 人狼を襲った現象は、ニノさんの異能によるものだ。自らの視界内にある物体をプレスする重力操作の能力で、妖夢は全身を圧迫されている。

 お返しさせてもらうぞ!

 右足に体内で生成したエネルギーを集めて疾駆。

 

「ハァ!」

 

 人狼の鳩尾へ中段のバックキックを当てる。微妙な時間差を置き、衝撃が対象の肉体に届いたのを見越した俺は足裏から放った青白いエネルギーの衝撃波で、人狼を突き飛ばす。

 ダメージの尾が引く隙にニノさんへ目線で合図し、頷いた彼女とともに併走。

 そのまま同時に20メートルほど跳び上がり。

 

「デリャ!」

 

 ようやく起き上がった妖夢の肩部に降下の勢いを相乗させた飛び蹴りを打ちつけた。

 骨が砕かれる音と一緒に、何度も地面と衝突して転がる人狼。

 今のニノさんとのジャンピングキックで奴は気絶した上に、両肩の骨はずたずたに破砕されている。これではまともに主武装の爪は使えない。

 どうにか生きたまま戦闘不能に追い込んだので、部室に運んで博臣からの依頼を果たそうと倒れる人狼に近づいた俺は、奴の口から血が流れているのを目にした。

 単に口の中を切ったにしては出血量が多過ぎる……急いで妖夢に駆け寄り、鋭い牙の伸びた口を開くと―――

 

「澤海君……まさか」

 

 俺は頷き返した。

 

「こいつ……舌を噛み切りやがった」

 

 人狼は……というより人狼を操っていた妖夢使いは、操っていた人外に自殺を強要させる〝離れ業〟を、俺達に見せつけたのだった。

 

つづく。


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