境界の彼方~G-ゴジラ-を継ぐ者~   作:フォレス・ノースウッド

10 / 47
第六話 ‐ 文芸部の騒がしい日常

「あんがとよ」

 

 食堂のカウンターから、注文したデカチャーシュー付き大盛りチャンポン麺チャーハンセットと、海老ピラフを受け取った俺は奥の方のエリアに向かい。

 

「待たせたな」

「いえ、奢らせて頂きありがとうございます」

 

 先に座していた栗山未来の前に彼女が注文したピラフを置き、真向かいになる席に腰かけ、腕に掛けていた手さげ袋をテーブルの角に置く。

 

「「いただきます」」

 

 日本人が飯を食べる前にやるこの挨拶をする。今の言葉には『命(たべもの)をありがたく頂く』なんて意味がある。

 生きていくことは〝命〟を食うこと、そいつは生きている者例外なく持っている宿命(さだめ)で、俺――ゴジラもまたそいつから逃れられない。

 主な食糧源が放射性物質なゴジラになってからも、クジラとかサメとかシャチとかイカとかの海生生物を食すことがあったからな。

 その上で、だからこそそれに感謝しようって考え方は、人間も粋なこと考えるのだなと、我ながら感銘を受けたものだ。

 箸で細かく切り分けたチャーシューの一部と野菜を麺と一緒に食べ、味を堪能する。元々ゴジラザウルスは雑食性、なので色んな食材が入ってるちゃんぽんは絶好の料理だ。

 美味い、今日も食堂のおばさんが作ったこいつは絶品の域。生物が生きていくのに必要な義務でしかない食に娯楽性を見い出し嗜むのは、人間の種の良いとこだ。

 一方で調子乗って食料源以外の目的で取り過ぎてしまい、禁止してもやらかす奴らがいたり、勝手かつ一方的な屁理屈で殺しちゃいけないなどと言って余計に生態系狂わして裏目に出る〝無様〟な面もあるけど。

 どうも知性ばっかり発達させた人間は、そういうバランスを取るのがめっちゃ下手くそだった。

 人間になっても、俺には動物的感性(してん)も少なからず残っているので、こうも考えてしまう。

 

「あの……」

 

 未来が何やら言いたそうに尋ねてくる。

 

「ここ数日は、本当に申し訳ありませんでした……お友達にご迷惑を掛けて」

 

 一旦スプーンを置いた未来は、こう言って頭を下げた。

 謝罪内容はここ数日の秋人への心身両方の面で苦痛を与えた件。

 

「アキにちゃんと謝ったんだろ?」

「はい」

「ならもういいさ、俺もお前を妖夢釣りの〝餌〟にしたんだし、おあいこだ」

 

 磁力が金属を引き寄せるのと一緒で、異能の力は異能を、異界士の異能は妖夢を引き寄せてしまう。

 あのまま連日その異能を使って秋人と追いかけっこしていたら、いずれ目に付いた妖夢が二人を襲うなんてこともあり得た。

 ならばいっそ、敢えてその状況を誘発させてやろうと、昨夜の作戦を実行させたのだ。

 実際に妖夢を呼び寄せた状況を起こしてしまえば、無闇に異能は使わない方が良いと戒められるし、喰らいついてきた妖夢を俺(ゴジラ)の力で叩きのめすことで、『これ以上秋人に手を出せばお前もこうなるぞ』と見せしめにもなる。効果は覿面で、その日の内に秋人と彼女の間に手打ちが交わされた。

 これで秋人の日常を脅かす〝不穏要素〟の一つは払しょくされたわけだ。

 ただ、その為に栗山未来に妖夢を釣る〝餌〟の役を押し付けもしたので、こちらからも何らかのお詫びの措置をしなきゃならない。

 

「こいつはせめてものお詫びってことで」

 

 俺は制服の内ポケットから封筒を取り出して見せる。

 

「それは?」

「あのバッタ男の妖夢石を金に変えたもんさ」

 

 倒された妖夢が残す妖夢石は、専門の鑑定士によって現金に換金することができる。

 あのバッタ男は結構珍種、噂によればとある漫画家はあの妖夢を目撃したことがあり、それがインスパイアとなって自由の守護者〝仮○ライダー〟が生まれたのでは―――なんて都市伝説が、特撮ファンな異界士たちの間で囁かれている。

 俺が倒したその一体は、二十万もの金額に換えることができた。

 

「その半分の諭吉さん十人が入ってる」

「じゅ―――十万!? あの妖夢そんなに!?」

 

 ちゃき~~ん。

 よくアニメとかで聞く効果音がほんとに鳴った気がした。

 赤縁眼鏡の奥の目は、見れば\のマークができている。

 

「それと」

 

 足下に置いていた手さげ袋に入れていた一冊の本を取り出してテーブルに置き、その上に封筒を添える。

 

「どどどど――どうして先輩がこれを!?」

「この間本屋に行ったら偶々見かけたんだよ、どっちを買おうか迷ってるお前をな、お金は趣味にでも自由に使ってくれ」

 

 差し出したのは、彼女の〝趣味〟であろうものに関連するものだ。

 で、未来はと言うと、目をキラキラとさせて〝欲しい〟って欲求を正直に見せた………かと思いきや我に返って、手で頭を抱え『受け取るか、断るか』の二択による葛藤に苛まれていた。

 ほんとそう言う分かりやすいとこ、秋人にそっくりだなと、つい笑みが浮かんだ。彼女のその素直さは嫌いじゃない。

 でも、このまま未来を苦悩させ続けるのもアレだ。

 

「わるい、過ぎた施しだったな」

 

 札の入った封が乗る書物を手に取ろうとすると、ほぼ同時に彼女の葛藤でぶるぶる震える手も置かれた。

 こっちが引っ込めようとすると引っ張り、逆に差し出そうして押すと押し返される………おい、どっちなんだてめえ。

 

「受け取れません……」

「せめてどうするかはっきりさせてからにしろ! 言動がちぐはぐだぞ」

 

 たく……よくそこまで人間の象徴(ことば)を空虚にできるな。

 柄でもないのに、秋人くらいのテンションで突っ込んでしまった。こういうハイかつキレっキレなツッコミはあいつの役目だと言うのに。

 

「すみません………では、ありがたく」

「最初からそう言えっての」

 

 暫くすると心の揺れが治まったらしく、彼女は受け取ってくれた。

 お詫びの品を渡すか否かの交渉を終えて、昼飯を再開。

 先にこちらのちゃんぽんとチャーハンを食べ終えると。

 

「あの、こちらからも聞きたいことがあるのですが?」

「何だ?」

 

 まだ少しピラフが残る未来は、何やら聞きたいご様子。

 

「黒宮先輩と秋人先輩って……どう知り合ったのかな……って」

 

 質問の中身は、俺と秋人が初めて会った時の経緯、別にトップシークレットってわけでもないし、話しても問題はないか。

 

「もう三年前だ、あの頃の俺は異界士やりつつ放浪しててな―――」

 

 風の向くまま気の向くまま、流れに身を任せて、この長月市に来た時、異界士と妖夢……らしいのだが他の奴とは違う妙な気配を感じた。

 奇妙な気の正体を掴もうと、森の中に入り発生源の下へと急ぐと、自分の立っていた位置から100m先で、追いつめられる金髪の少年と、追いつめる異界士の少年と少女を捉えた。

 追いつめた方の少年の傲岸さに満ちた目に最初吐き気がしたが、直ぐに追われる方から禍々しい瘴気と、かつての自分に匹敵する憎悪が溢れだし、奴は――神原秋人はケダモノへと成り果てた。

 

「暴走したアキをぶちのめして、結果的に名瀬家の子息(せがれ)どもを助けた俺は、あっちからの依頼で秋人(あいつ)の監視をすることになったんだよ」

「先輩って……そんなに……」

 

 未来はきっと〝危険〟なのかと言いたかったのだろう。

 けれど秋人の人柄を多少なりとも知った今の彼女には、とてもその一言を口に出せそうになかった。

 

「あいつは親譲りの異能の力を全く制御できてないんだ、そういう点じゃ、ゴジラである俺よりも厄介なもんを背負ってるのさ」

「だから……あの時の先輩はあれ程までに怒っていたんですね、せっかく学校に通えるようになった神原先輩の妖夢の〝血〟を、私が暴走させてしまうかもしれなかったから」

「ああ」

 

 俺が未来にあそこまでの怒りを見せたのは、ゴジラの本能に駆られたことに、友達に傷つけられた怒りと、今までもあいつが受けてきた理不尽への怒りだけじゃない………気まぐれな運の巡り合わせで、異界士(にんげん)にも妖夢からも追われる逃亡生活から脱却し、曲りなりにも〝普通の生活〟を過ごせるようになった秋人の現在(いま)を、絶対に壊させない想いもあったからだ。

 安息の地を追われた俺は、核の光すら憎しみの力に変えて自らの糧とし、人間どもを絶望の淵に追い込む破壊神となった……そんな業を、あいつにまで背負わせたくない。

 どれだけ迫害されても、他人への情を捨てなかったあいつだけは……〝ゴジラ〟にしたくない、させたくない。

 もし本当に〝ゴジラ〟と化して、あいつの人の心が消えたその時、一思いに殺す覚悟は、名瀬の依頼を了承した時から腹を括ってる。妖夢の血が秋人の尊厳を汚すくらいなら、せめて引導を渡してやるのがせめてもの手向け。

 だがその時を迎えぬ様、とことん抗う気だってある。

 

「知らなかったとは言え………ほんとにすみませんでした」

 

 罪悪感を刺激されたようで、改めて未来は頭を下げてきた。

 正直まだまだ人間には気に食わないことが多くあるが、かといってこの少女をこれ以上苦しめる気も無い。

 

「もうその話は水に流すって言ったろ? 奢ったのはその為の手打ちだ」

「はい」

 

 それでも彼女の瞳は曇っていた。

 優し過ぎるな……この子も―――人でなしの碌でなしと化し、とうに良心捨てているのに人間の振りした悪魔どもよりは、秋人や未来のようなやつらの方が良いに決まっている。

 だけど、時として良心に善意や優しさは………持ち主の心を苦しめる毒になることもある……ずっと心に持つべきものだが、持ち続けるには相当苦労する厄介な代物だ。

 未来の心境を思えば……〝聞く〟のはやめた方がよさそうだな。

 どういう目的で長月市に来たのか?

 他の外来の異界士との繋がりはないのか?

 あったとしたら、そいつらは何をしようとしているのか?

 今の未来に、これらの質問は酷だ。

 本人に聞くまでも無く、分かったことも幾つかある。

 

〝もう、私に関わらないで下さい〟

 

 何やら事情を抱えていることは間違いないし、秋人には〝単純接触の原理〟と説明したけどそれは嘘で、本当はあいつがストーキングにうんざりして、意識的に彼女への関心を断絶させる為が真の理由だった可能性は、彼女の人柄を見ればあり得ない話でもない。

 長月市には、他の異界士とたまたま同じ時期に来てしまったかもしれない……実は組んでる奴らが彼女に何も知らせて無いって可能性もまだ否めないけど、ここまで隠し事が下手で、他人との交わりを強迫観念の域で避けているとなると……一人で来たってのが、現状一番手。

 これだけ収穫があれば、今日はそれで充分だ。

 

「午後も部活あるから、先に行くぜ」

「は……はい」

 

 皿の中身が空になったお盆を持って、その場を去ろうとし、二~三歩進んだ辺りで立ち止まり。

 

「あと一つ聞くが、昨日部活勧誘したアキに、もう関わらないでくれって、言ったそうだな」

 

 未来に背を向けたまま、もう一言問う。

 

「はい、私には……誰かと一緒になる資格なんて――」

「〝無い〟……か?」

「はい」

 

 ここまで他人と関わることに〝恐れ〟を抱かす元凶は、血を操る異能も関係あるのが明らかだが………他にも決定打になったものがあるな。

 

「気をつけろ」

「え?」

「自分から〝関わるな〟って言う程、実はまだ未練があるって思われやすいんだよ、まあ………気が向いたら一度文芸部(うち)に来てくれ、それなりのもてなしはしてやる」

 

 最後にそう付け加えて、俺は食堂を後にした。

 背後から自分を見る栗山未来の視線は、見えなくなるまでずっと続いていた。

 

 

 

 

 

 文芸部用部室のある階に着くと、腕を組んだ美月が柱の一つに背を預けて待っていた。

 いつも高圧的なお嬢様な彼女は、いつもより不機嫌そうな顔で。

 

「行くわよ」

 

 と、一言発すると部室に向かって歩き出す。

 続いて俺も歩を進めて、美月と横並びになる位置まで追いついた。

 ご機嫌斜めな理由は分かっている。敢えて何も言わず黙っているのは、向こうから切り出させる魂胆だからな。

 

「何か……言いなさいよ」

 

 Sなお嬢様も痺れを切らした様で、先に口を開いた。

 

「位置が分かってる地雷を踏みに行く趣味はない」

 

 大抵のティーンエイジャー主人公がここで〝何で怒ってるのか?〟などと聞いたら、却ってヒロインを怒らせるのは、ある種の定石な展開、生憎そちらを選ぶほど俺も馬鹿じゃない。

 

「踏みに行かない時点でそれも地雷なのよ、分かってるのかしら?」

 

 ただ美月に限って言えば、この状況で何を選んでも結局地雷になってしまう不条理なのだが。

 これ以上のはぐらかしはしない方が良いな、そろそろちゃんと言っておこう。

 

「心配するな、俺は栗山未来を巡ってあのメガネストと張り合う気はねえよ」

 

 機嫌が斜めに傾いていた理由は、言ってしまうと食堂で傍からは仲良さそうに話している自分と未来に、少なからず妬いてしまったからだった。

 一昔前の男にひたすら尽くす女性像に真っ向からNOと突きつけ、その卓越した話術で以て逆に手懐けてしまうタイプな美月も、こんな女の子らしい一面は確かに持っている。

 

「なら……最初から言いなさいよ」

 

 はぐらかされた美月はそっぽを向いた。角度的に見えにくくとも、頬の赤味と膨れ具合からむくれ面をしてるのはバレバレだ。

 刺々しい雰囲気は大分和らぎ、さっきよりも確実に機嫌はよくなっている……が、転んでもただでは起きないのが美月。

 

「でも罰として今日は久々にホットケーキ〝奢りなさい〟、これは部長命令よ」

 

 こちらに目を向きなおし、指を差してくる。

 そらきた、部長という絶対的権力を行使して、不可避の命令を押しつけてくる。大抵の奴の指図なんて、くそったれも同然だが、美月が相手なら悪くないかなってのが本音だ。

 内容は俺自作のホットケーキを食べさせろってもの。長年一人で放浪していたし、下宿先の写真館兼喫茶店の店番の経験で、料理のスキルはそれなりに持っていた。食糧は自分で確保するのが必須だった野生動物の感覚もあって、それぐらいの腕前は持って然るべきって持論もあるからだ。

 

「分かったよ、放課後遊びに来い、久しぶりに振る舞ってやる」

「前より不味かったから承知しないわよ」

「期待して待っててくれ、おかわりは自由だ」

 

 横顔に目をやると、やっといつもの美月に戻った。

 いや……口元をよく見ると、微妙に嬉しそうに綻んでいる。

 ホットケーキを所望するとことか、やっぱこいつも〝女の子〟だよな、悪友の間柄な俺でもそこを認めるのはやぶさかではない。

 

「ん?」

「あら?」

 

 部室の出入り口に着いた俺達は、目に映る青い半透明のフィールドが乱れる様を前に揃って声を上げる。

 

「何だ? この〝檻〟の乱れよう……」

 

〝檻〟は名瀬一族特有の異能。空間そのものに干渉することで、結界みたく防御は勿論、攻撃にも、使用者の気配遮断にも、対象の捕縛にも、妖夢の策敵にさえ使える汎用性に優れた術。上級の域な檻の使い手ともなれば、ゴジラの熱線でも打ち破るのは難しい。

 この〝檻〟によって、名瀬一族は名家であり、数ある異界士の大本の一つにたらしめているのだ。

 で……部室の周りに張り巡され、防音機能を高めている檻は、使い手の心情の影響か………乱れに乱れていた。これなら人間体時の俺の単純な腕力でも破壊は容易だ。

 

「またあの〝変態ども〟が何かしでかしたようね」

 

 というか、それ以外にあり得ない。

 同じ檻の使い手な美月は、常人には不可視なフィールドのドア部分を中和させ、中に入ると………秋人ともう一人の部員が、激情剥き出しに何やら罵詈雑言を吐き合っていた。獣同士の威嚇の方がまだ品があると思うくらい、それはそれは下品で下劣な罵り合いだった。

 

「ミツキ、アキから貰った眼鏡持ってるか?」

「あるけど、どうして………なる程、それは名案ね♪」

「だろ? ヒロに止めを刺すには絶好の武器だ♪」

 

 こちらもこちらで、悪知恵が働いた俺達はウシシと邪悪な笑みを浮かべ合う。

 美月は制服のポケットから取り出した秋人からのプレゼントな伊達眼鏡を、キリッと額に掛けた。

 中々似合う。黒髪ロングな大和撫子風のルックスと名家の出なだけあり、知的さがより強調されていた。

 

「そこの変態二人、ここを神聖な部室と知っての狼藉かしら?」

 

 眼鏡を掛ける美月の呼び掛けで、罵り合うあまり俺達の存在にまったく気づいてなかった変態どもは、ようしく部室は自分らだけで無い状況になっていると知る。

 一人はメガネストの秋人であり、もう一人である―――今年度は最高学年を意味する緑のネクタイに、もう春もまっ盛りなのに結構値の張りそうでおしゃれなマフラーを首に巻いたマッシュルームヘッドな美貌の三年生こそ、今朝俺達の話題にも上がった美月の兄――名瀬博臣(なせ・ひろおみ)。

 秋人と同じく名前から二文字とって〝ヒロ〟と俺は呼んでいる。

 他に言えることと言えば……度を超し過ぎて当人からドン引きされている実妹美月への愛と、妹という概念へのあくなき愛、つまりシスコンだ。

 眼鏡姿な美月を目にした二人の反応は、綺麗に対照的で。

 

「美月! ついに………ついに眼鏡の素晴らしさに目覚めてくれたんだな!」

 

 秋人は実に大喜び、メガネストなこいつにとっては最高に至福なひと時。

 

「はぁ………あぁ………美月が………我が女神(いもうと)が………眼鏡に侵されたぁ………」

 

 対して博臣は………当人にとっては愚行にも等しい妹が眼鏡を掛けた行為に、美月が結婚するを通り越して………この世の終わりを目の当たりにしたのかと思わす程、青ざめて絶望のどん底に突き落とされた顔をし、泣き崩れていった。

 もしこいつがゲートだったら、確実にファントムが生まれ出ていたことだろう。

 博臣の絶望した様を見た俺と美月は、充足感溢れる満面の笑みでハイタッチし合った。

 さっきの罵り合いの中に、『よくも美月に眼鏡を!』なんてのがあったから、今のきのこ頭に最大のダメージを与えられると判断し、美月に眼鏡を付けるよう進言、利害が一致した彼女は喜んで掛けてくれたわけ。

 

「私はそこの変態兄貴に一泡吹かせたかっただけよ」

 

 目的が達せられた美月は、もう用済みと眼鏡を机に放り投げた。

 別に眼鏡に思い入れなどない俺にとって軽くスルーできるが――

 

「眼鏡様に……何たる仕打ちを」

 

 メガネストなこいつにとっては仏様を足蹴にするも同然な扱いだったので、丁重に拾い上げ、眼鏡拭きでレンズを丁寧に掃除する。

 

「どうやら熱くなりすぎたようだな」

 

 と、メンタルダメージから回復した博臣が告げ。

 

「しかしこの一見無意味なやり取りが活かされる機会もあるだろう」

 

 と、秋人はカッコつけ気味に応じ。

 

「一生活かされねえだろ、阿保どもが」

 

 と、俺は一刃のもとに切り捨てた。

 こいつらにとっては全身全霊の討論だったろうが、俺にとっちゃ美月が放り投げた眼鏡以上にどうでもいい話である。

 美月もそれには同意見で、反論も許さぬタイミングと口調で。

 

「それより変態兄貴」

 

 至極真っ当な暴言(せいろん)を吐く。

 

「〝お兄ちゃん〟と呼べといつも言ってるだろ?」

「じゃあ変態お兄ちゃん、檻をとっとと解除しやがって下さい」

「おう、分かった♪」

 

 彼女なりの譲歩な敬語と粗暴さの混じった申し出に、心底嬉しそうに手で虚空を横薙ぎに斬って檻を解除させた。

 

「〝変態〟は良いのかよ!」

 

 お前も人のこと言えねえだろ。

 ゴジラの俺ですら、引きに引く変態嗜好をこの二人の男子部員は持っている……お陰でこの中じゃ一番突飛な存在の俺が常識人の方である有様だ。

 

「では選考の続きを始めるわよ」

 

 そんなこんなで、午後の部活動が開始された。

 秋人たちは互いの性癖に関するあの罵り合いで、実は全くお昼は食べずじまい。しかし美月は、知ったことか、自業自得だと部長権限で強引に二人を説き伏せて、選考作業に参加させた。

 

「たっくん、もし君の読んだ中に実の妹シリーズとか、義理の妹シリーズとか、できれば妹しか登場しない作品があれば――」

「ねえよ、お前以外に妹の概念をこよなく愛する奴がいるなどと期待するな」

「つれないね……どうしてみんな妹の素晴らしさを理解しようとしないのやら」

 

 普段の物腰である軽薄で余裕ぶった態度の博臣は、一応先輩方の小説に目を通してはいるけれど、やっぱり〝妹〟を中心軸に価値観が廻っているこのシスコンがいる程度では、作業の進行速度は五十歩百歩未満だ。

 ちなみに俺はこいつから〝たっくん〟と呼ばれている。アッキーと呼ばれている秋人はアイドル崩れの変なニックネームと揶揄していたが、こっちはいちいち癇に障っても疲れるだけだと、実名の読みが一緒な某ライダーの変身者と同じあだ名で呼ばれるのを半ば容認していた。

 秋人もシスコンの傍若無人振りにうんざりとした顔をし、溜め息吐いた美月に至っては、声には出さず口の動きだけで二文字の単語を呟いた。

 それを読唇した博臣は、見るものに気色悪さを齎す恍惚とした顔で。

 

「『す・き』」

 

 と答えた。当然見当違いの誤った解答である。

 

「どうみても『し・ね』だろ!」

 

 正解の一つを秋人が答えてツッコむ。唇の動きは『き・めぇ』にも読めるからだ。美月のことだからどっちの意味も入っているだろう。

 博臣の思考を踏まえると、前述の意味だと察しはしたが、それは妹の照れ隠しで、実際は〝好き〟って意味だと無駄に深読みした……ってところか、全く以ておめでたい兄貴だ。

 重過ぎる妹愛の乗った誤解答された美月は、ヘドロの海から浮かんできたヘドラでも見てそうな顔で兄を蔑んでいた。

 日頃の美月とのやり取りを見てると、自分をこんなぞんざいに扱うところもひっくるめて実妹を溺愛していると思えてならない。

 ダメだ……こいつをプロファイルしている暇などなかった。

 今は選考に意識を集中させるのみ、俺も秋人も美月も付き合ってはいられないと、博臣を完全無視して作業に没頭していた。

 そこから何分経過しただろうか……部室扉からこんこんとノック音が鳴った。

 叩き具合からニノさんじゃない。位置と加減から見て小柄な女子、おそるおそるノックした音からはジレンマが見られ、部室前に来るまでに相当思い悩んでいたことが窺える。

 思った以上に早かったな、と俺は内心微笑んだ。

 一番扉の近場にいた秋人がそれを開けると………案の定そこには、赤縁眼鏡を掛ける栗山未来の姿が、そこにはあった。

 

つづく

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。