夢にも思わない 作:ODA
イタチが初の国外任務につくことが決まったのは、一月ほど前の話。「お土産買ってきてね」と冗談で私が言えば、イタチは真顔で「わかった」と答えた。おいおい、これから行くのは任務じゃなかったのか。お土産なんか約束して大丈夫なのだろうか。私の心配を予期したようにイタチは言った。
「国外任務と言っても大した任務じゃない」
それくらいの時間はあるだろう。イタチが言うには、そういうことだった。時間があるにしたって、任務というからには仕事である。仕事中に私用でお土産を買うのは一般的には公私混同と言わないだろうか。まあ、本人がそう言うんだからいいんだろう。私は深く考えるのを止めた。
という訳で、お土産を密かに楽しみにしつつイタチを見送ったのは最近の話。で、帰ってきたのがつい前日のこととなる。
イタチは約束通り、私にお土産を買ってきてくれた。イタチのお土産は、可愛らしいと称するよりも綺麗と称する方が似合っている蝶を象った髪飾りだった。
イタチ本人が語ったように、下忍の任務なので国外任務と言えどさほど大きな任務ではなかったのだろう。とは言っても、任務は任務。忍の任務である以上、それがどんなにくだらない内容であったとしても、任務内容が露見するような品物は土産には適さないというのは何となく分かる。だから、イタチはどこででも手に入りそうな装飾品をお土産に選んだのだろう。そうでも考えないと、この髪飾りが土産に選ばれた理由が思いつかない。私はてっきり現地名産の菓子でも買ってくるのかと思っていたのだけれど。
あ、綺麗。そう思ったのは事実だが、蝶の髪飾りは到底今の私に似合うとは思えなかった。私はまだ六つ。ほんの小さな子どもである。十年くらい経てば、それなりには似合うようになるだろうけれど、今の私には豚に真珠と言わざるを得ない。
付けたって子どもが背伸びしているようにしか見えないに決まっている。そもそも付けるような機会もない。こういった装飾品は、私が持っていてもあまり意味がないものだと思う。
「なんでこれ?」
思わずそう訊いたのは、別に気に入らなかった訳じゃなくて、単に疑問に思っただけ。だから、そんな顔をしないで欲しい。
何となくどこか悲しそうなイタチにそんなことを思った。
「嫌だったか?」
「嫌っていうか……」
ただ単に似合わないなぁ、と我ながら思ってしまったのだ。洒落た髪飾りを付ける私も、それを買ってきたイタチも。似合わないし、そんな柄じゃないだろう、私たちはお互いに。
「そういうの、好きだと思ったんだが」
イタチのその一言に、私は思わず瞬きをする。え、なんだそれ。私がいつそんなことを言った。
私の反応で、私の言いたいことを察したらしいイタチは補足するようにさらに続けた。
「前に見ていたからな」
前に? あ、そういえば確かに少し前に買い物に行った時、店に並んだ小物を見ていた記憶がある。うわー、高いなーとかそんなことを考えていただけなんだけど。それを覚えていたのか。
と、そこまで考えて急にむず痒くなった。そんな些細なことをイタチが覚えていただなんて。
「……嫌いじゃないよ」
イタチはきっと私の為に頭を悩ませて、この髪飾りを選んだのだ。イタチが私のことを考えて買ってきてくれたんだから、嫌いになんかなる筈がない。例えそれが多少、的外れであったとしても。
「ありがとう、大事にするから」
言いながら、私は髪飾りを両手に柔らかく包み込んだ。陽光が当たって、蝶の髪飾りはキラキラと輝いていた。
パチンなんて可愛い音じゃなかった。パアンと乾いた、やたらと響く音だった。
驚いたサスケと目が合う。自分がしてしまったことにようやく気が付いて、私は思わず「あ」と声を漏らした。
「ご、ごめん……」
上手く言葉が出て来ない。結局は、俯いてようやく何とか謝罪の言葉を口に出来ただけだった。
サスケの大きな瞳が涙で滲んでいる。左の頬は赤く腫れていた。なんて情けない顔。でも、サスケの顔を、情けない顔にしてしまったのは私だ。
「姉さんなんか大っ嫌い!」
叫びながら、サスケはばたばたと部屋を出て行った。ぐさり、と突き刺さったサスケの言葉は、果たして私の平手打ちとどちらの方が痛いのだろうか。私はぼんやりとサスケの後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
言うなれば、それは兄弟喧嘩というやつである。二つしか年が違わないのだし、お互い六歳と四歳という年齢だ。喧嘩の一つあっても、世間的には何もおかしくはない。今までまともな兄弟喧嘩の一つもなかったことが奇跡的なのだ。
まあ、サスケとは精神年齢が違いすぎたし、私にはサスケを甘やかしてきたという自信はある。だから、今まで喧嘩なんて起きなかった。だというのに。思わずため息が漏れた。
私の手のひらの上にあるのは、壊れた蝶の髪飾り。前日のイタチのお土産である。髪飾りは見事に蝶の羽の部分がポキリと折れてしまっていた。
折ってしまったのはサスケだ。だが、だからって問答無用で平手打ちだなんて、我ながらやりすぎだ。大人気ないとかいう問題ではない。最低だ。
冷静になって考えれば、あの時サスケは私に謝ろうとしていたのだと思う。サスケはそれでなくとも泣きそうな顔をしていた。罪悪感だってあっただろうし、目一杯反省もしているようだった。なのに。
「あー……」
私は壊れた髪飾りを机の上に置いてから、自分のベッドに潜り込んで、頭から毛布を被った。
壊れたと分かった瞬間、サスケの謝罪すら聞こうとせず、私はサスケに思いっきり平手打ちをかましてしまったのだ。きっと相当痛かっただろう。咄嗟のことだ。手加減なんて出来る筈もない。サスケの腫れた左頬を思い出して、罪悪感だけが私の胸を占めた。
生まれてこの方、私は「大嫌い」だなんて、イタチにもサスケにも面と向かって言われたことなんてない。けれど、私のしでかしたことを思えば、そう言われるしかないことをやってしまったと思った。
そりゃあ、サスケも怒って当然だ。なんと言われても仕方ないじゃないか。仕方ないと私自身ちゃんと理解しているのだが……。
なんかもう、ヤバい。ヤバすぎる。泣きそうだ。体が幼くなったせいで、私は涙腺まで緩くなってしまったのだろうか。
サスケの放った言葉のナイフは、私の心に深々と突き刺さってしまった。いや、むしろ現在進行形で刺さりっぱなしである。刺さった刃は、私の一番柔らかい部分を未だぐりぐりと抉り続けている。
もし、こんな状況の私を誰かが見ていたら、呆れてしまうに違いないと思った。第三者から見れば、ただの兄弟喧嘩。落ち込んで、涙を流すなんて中身が成人している女のすることじゃない。これじゃあ、完璧にブラコンじゃないか。否定はしないけれど。
「ナナセ」
不意に、イタチの私を呼ぶ声が部屋の扉の向こうから聞こえた。が、私は返事もしなかったし、毛布から出ることもしなかった。
「夕飯の時間だぞ」
母さんが呼んでいる、とイタチは言った。
「……いらない」
私は毛布にくるまったまま、そう告げた。
ふてくされて泣き寝入りか。しかも、その上夕飯にも顔を出さないだなんて。一体、どこの子どもだ、私は。明らかに中身まで小さな子どもに退行しているとしか思えない。情けないを通り越して、いっそ自分が恥ずかしい。
何をそんなに感情的になっているんだか。感情のままに行動することは子どものすることだなんて、言うまでもなく知っているくせに。
その時、不意にパタンと部屋の扉が動く音がした。私はすぐに察する。イタチが部屋に入ってきたのだ。私から毛布でも剥ぎ取る気かと一瞬身構えたが、そういう訳ではないらしい。
「これが原因か」
呟くようなイタチの声が、部屋の中から聞こえた。方角からして、私の机の横あたりにイタチはいるんだと思う。
何かをイタチが手に取ったかのような物音に、そういえば髪飾りを机の上に出しっぱなしにしたままだったと思い出した。
せっかくイタチが選んでくれたのに、もう壊してしまった。壊してしまったのはサスケだけど、申し訳なくて、私は余計に毛布の中から出て来づらくなった。
「さっき、サスケが泣いて俺のところに来た」
サスケは部屋を飛び出して、イタチのところに行っていたのか。イタチに泣きつくサスケの姿が目に浮かんだ。
「……サスケを許してやって欲しい」
なんで、イタチがそんなことを言うのだ。これじゃあ、私が悪者みたいじゃないか。いや、私が悪いのは紛れもなく事実なんだけど。
なんかもう、イタチにそんなこと言われたらどうでも良くなってきた。イタチがわざわざここに来てこんなことを言うなんて、イタチはサスケに頼まれたに違いない。要するに、サスケも私と仲直りがしたいんだろうと思う。そのための仲を取り持つ役割としてイタチはここに使わされた訳だ。イタチにしてみれば、とんだとばっちりである。
とにかく、サスケは私と仲直りをしたがっているっていうのに、私だけこうやってへこんでいるのはなんとも馬鹿らしい。第三者から見れば、私が拗ねているだけのようにも見えるし。それって何だか大人気ない。
「……怒ってないよ」
だから、私はぽつりとそう呟くように言った。案外、声がしゃんとしていることが自分でも意外だった。
「私が悪かった、ぶってごめん」
イタチが私に夕飯だと声を掛けてきた時から、サスケの存在には気が付いていた。最初からずっと私の部屋の前からサスケの気配がしていたから。部屋の前に立っているのだろうサスケに向かって、私は言った。
「サスケ、お姉ちゃんを許して」
私は毛布からようやく頭を出して、そう言った。上半身を起こして、部屋の前に視線を送る。
しばらくそうしていたが、サスケからは何の返事もない。駄目か。ため息を吐こうとした時だった。
「……ごめんなさい」
消え入りそうなサスケの小さな声が、扉の向こうから聞こえた。私は思わず目を見開く。私が口を開くよりも早くサスケは叫ぶように言った。
「姉さんのこと嫌いじゃないから!」
一度謝ってしまって勢いでもついたのか、サスケは一息でそう言った。
サスケは言い終わると、またバタバタと私の部屋の前から走り出す。思わぬ言葉に、私は呆然としてしまった。我に返ったときには、知らぬ間に私の頬はすっかり緩んでしまっていた。正直、嬉しい。
「良かったな」
イタチの言葉に、私は大きく頷いた。
「……うん!」
惜しむべきはサスケに「好き」ではなく「嫌いじゃない」と言われたことか。
どうせなら、姉さん大好きと言ってくれたら良かったのに。なんて、それは贅沢なワガママだろうか。
余談だが、その兄弟喧嘩以来、私はほんの少しだけイタチにもサスケにも遠慮がなくなったような気がする。あの後くらいから、兄弟らしくなったと思えるようなちょっとした出来事が増えるようになったと思うから。
風鈴の揺れる縁側に腰掛け、スイカを頬張る。ああ、夏だ。夕飯を食べたばかりだっていうのに、冷たいスイカは喉元をすんなり通っていく。
「姉さん、食べ過ぎ」
人がせっかく幸せな気分で食べていたって言うのに。太るよ、と余計なことを言うサスケの頬を軽く引っ張ってやった。乙女に太るは禁句だと、身をもって知るがいい。
「いひゃい、いひゃいよ!」
半分涙目になっているサスケを見て、もうこれくらいでいいかと手を放してやる。ほんのり左の頬が赤くなっているサスケが恨めしそうに私を見ていた。そんなサスケに私はぷいっと背中を向ける。恨みがましい目で見られたままじゃ、せっかくのスイカも不味くなるってものだ。
私が背中を向けたことをいいことにサスケはお返し、とばかりにこっそりと私の頬に手を伸ばしてきた。が、それも予想済みだ。サスケが反撃に移る前にすかさず印を結ぶ。私の頬を抓るべく伸ばされたサスケの指先は私の分身に触れて、そのままスカッと空を掴んだ。
その間にサスケの後ろに回り込んでいた私を、サスケは今度こそ怒ったような、拗ねたような顔で私を見上げた。
まだまだサスケは幼い。当然、忍術を使うことはまだできないから、忍術を使った私を批難したくなる気持ちは分からないでもない。
「ずるい」
サスケは唇を尖らせた。
何を言う。忍であれば、これくらい出来て当然じゃないか。そう私が言おうとした時だった。
「あ」
突然、背後から何者かにがっちり両腕を掴まれた。驚いた私が振り返った先にいたのは……。
「兄さん!」
サスケが嬉しそうな声を上げる。
私はイタチにきっちり両腕を抑えられていて、まとも動くことが出来なくなっていた。両腕をしっかり抑えられているから印も結べない。しまった、これはまずい。
「サスケ、今のうちだ」
うん、とイタチの言葉にサスケは元気よく頷くと私の元に駆け寄ってきた。にこにこと私を見上げるサスケの笑顔が今だけは悪魔の笑顔に見えたのは、多分私の気のせいではない。
私はこれから我が身に起こるだろうことを予見して、頬を引きつらせた。
「いひゃい、いひゃい、いひゃい!」
すっかり暗くなった縁側で、私の絶叫が響く。一分後には、私の両頬はりんごのように赤く腫れていた。
「ずるい……」
私の呟きに、サスケとイタチは二人して笑っていた。