夢にも思わない 作:ODA
「似合ってるよ」
額当てを付けたイタチに、私はそう言った。相変わらず何を考えているのか分からないけど、イタチがいつもより嬉しそうに見えるのはきっと私の気のせいではない。一応彼はまだ七つだから、相応といえば相応の反応である。
昨日、イタチはアカデミーを卒業した。彼は下忍になったのだ。とはいえ、例のサバイバル演習もあるだろうから正式に下忍になった訳ではないんだろうけど。
「卒業おめでとう」
取りあえずだけどね。と、その一言は心の中で思うだけにしておく。まあ、あのサバイバル演習もイタチなら問題ないだろう。楽観視しているつもりはないが、彼が優秀であるのはよく知っているのでそう思わずにはいられない。
「ありがとう」
イタチから素直に返ってきた言葉に、私は少しだけ驚いた。その声が普段よりいくらか明るく思えたからだ。そんな声で礼を述べるだなんて思っていなかった。下忍になれたことが、そんなにも嬉しかったのだろうか。アカデミー卒業くらい、イタチならば当然のことで、大したことではないと思うのだけれど。
「……頑張ってね」
その言葉をどう取るかはイタチ次第。本当のことを話せなくてごめん。でも、応援はしてる。
後日、サバイバル演習に行くことになったイタチの後ろ姿に、私はちょっぴり、ほんのちょっぴりだけど罪悪感を抱いた。
昼間、私はサスケと並んで縁側に座りつつ、せんべいを食べながらイタチのことを考えていた。うちはせんべいは我が家ではよく見かけるお菓子である。隣ではサスケは足をぶらぶらさせながらせんべいを無言でかじり続けていた。なかなか噛み砕けないらしく、サスケの食べるスピードはかなり遅い。二歳児にせんべいはまだ厳しいのだろう。他におやつはなかったのだろうかと疑問を抱いた。もしかすると、母さんは顎を鍛えるためにわざとせんべいをおやつに出したのかもしれないけれど。
「兄さんは大丈夫だよねぇ?」
せんべいを片手に独り言のようにそう言えば、サスケはきょとんとした顔で私を見上げてきた。
「だいじょぶ!」
おそらくは私の質問の意味も分かっていないだろうサスケは、何の根拠があってかはっきりそう言い切った。あまりにも自信たっぷりにサスケが言い切るものだから、私は思わず笑いを漏らしてしまう。ツボに入ったらしく、笑いはなかなか収まらなかった。そんな私をサスケが不思議そうに見ている。
「そうだね、大丈夫だよね」
なんとか笑いを収めてから、私はそう言った。
「兄さん、早く帰ってくるといいね」
「いいね!」
私は青空を見上げた。太陽が眩しい。今日もいい天気だ。青空の向こうに白い雲がぽっかりと浮かんでいた。吹き抜ける風は気持ちがいい。
こんな風に誰かの帰りを待つのも、悪くない。
その後、らしくなく泥だらけになって帰ってきたイタチを私はサスケと一緒に迎え入れた。どうやらイタチの顔を見る限り、サバイバル演習は無事にクリアしてきたらしい。
おめでとう、とは言えないからせめて代わりに。
「おかえり、兄さん」
「おかえり!」
「……ただいま」
誰かを迎え入れるっていうのも、案外悪くない。
初めてのことを行うとき、それが何であれ緊張はするものだと思う。この時の私もそれに違うことなく緊張をしていた。
イタチが下忍となってしばらくして、私は父に呼び出された。イタチも無事に下忍とはいえ、忍となったのだし、私に忍術を教えてくれるということになったのだ。
私は瞼を下ろし、息を深く吸う。大丈夫、心拍数は少し上がっているみたいだけど、頭は冷静だ。多分いける。私は瞼を上げた。陽光が眩しい。傾きかけた太陽の赤が目に刺さるようだと思った。
教わった通り、行動に移す。指を動かし、印を結ぶ。チャクラを練る。チャクラなんてものは、前の世界ではなかった。この世界に生まれてから今まで、多少はその存在を意識してきた。でも、実際に忍術という目に見える形で使うのは初めてだ。だから、そう、これは間違いなく“私”の初めての経験なのだと言える。
ボン、と少しだけ間抜けな音がして、煙がどこからともなく現れる。煙の向こうを見れば、そこには私がもう一人いた。
「出来た……」
深く息が零れる。上手く出来たことに、自分でも意外なほど私は喜んでいた。ずっと先の未来では、この術のことを『教科書忍術』だなんて言う人もいたけど、でも、基本って大切だから。なんて、誰に聞かせる訳でもないのに言い訳めいたことを考えてしまう。
「良くやったな、ナナセ」
なんて、普段はめったに人を褒めたりなんかしない父が言うものだから、私の頬は益々緩んだ。父としてもまだ四つになったばかりの我が子が忍術を使えるのだから、嬉しくもなるのだろう。
でも、きっと父よりもずっと私の方が喜んでいる。今の私の顔は知らない人には見せられないほどだらしないに違いないと思った。
たかだか、分身の術が出来たくらいで大げさな。もし、ここに誰かがいたらそう言ったのかもしれない。だけど、そんな無粋なことを言う人物はここにはいない。
「イタチも驚くだろうな」
それはおそらくは父の独り言だったのだろう。特に意味もなく漏らされただけの独り言。だが、その一言を耳にしたとき、私のあれほど浮かれあがっていた感情は冷水を浴びたかのように急激に冷えた。
「兄さんは……」
「? どうしたナナセ」
「……いえ、何でもありません」
言いかけた言葉を私は慌てて飲み込む。それは言う必要のない言葉で、言うべきではない言葉だ。
「そろそろ帰りましょう」
もうすぐ夕飯だ。母さんもきっとサスケと一緒に帰りを待っている。私は父に帰りを促した。父は大して私の言葉を不審に思うこともなかったようだ。
『兄さんはいくつの時に分身の術を使えるようになったんですか?』
本当は私は父にそう訊きたかったのだ。けれど、同時に訊きたくないとも思ってしまった。
比べても仕方ないのに。イタチはイタチ、私は私なのに。私は何かとイタチに劣等感を感じてしまっているのかもしれない。
「あんな子ども相手に、情けないなぁ」
本当に私って大人気ないと思う。苦笑するしかない。私はきっとイタチに拘りすぎている。
でも、確かに彼は私の中で大きな存在になっていた。彼の名前が出ただけで、心乱されるくらいには。
それを拙いと思いはすれど、自分ではどうすることも出来そうにない。終わりを知っていながら、情けない話だと我ながら思った。
イタチは私にとっての死神だ。情をかけすぎても、かけられすぎても双方共に傷を作るだけである。関わらないのが一番だと言われればその通りなのだろうが、既にそれを行うのは遅すぎる。そもそも生まれた時点で、状況がそれを許してはくれなかった。
いや、それは言い訳だ。生まれて間もなくならまだしも、今の私ならばイタチを適当にあしらうことだって不可能ではない。それこそ、今は無理でも、この先自分ひとりだけ何もかも捨ててこの里からどこか遠くに逃げ延びるという手だってある。ただ生き延びたいのなら、わざわざ手段を選ぶ必要などない。それをしようと思えないのは、何だかんだで私がここを気に入ってしまっているからに他ならないからだ。
だからと言って、運命を変える気概も覚悟も私には未だない。ぐらぐらと揺れ動く天秤のように、私は不安定で頼りないままだ。
「本当に情けない……」
私には覚悟が足りない。
どうして、私はこんなにもダメなんだろうか。我ながら呆れてしまった。
気がつくと、今年もいつの間にか夏になっていた。
日々、私は修行もどきをしながらも、比較的暢気な生活を送っている。
未来のことを思えば、そんなに暢気に構えていていいものかと思わないでもない。が、なるようにしかならないと、私には無責任なことを考えている節がある。
里のために、この世界の未来のために頑張ろうと思えるほど私は善人ではない。世界を救うために死ねと言われたら、私は絶対に嫌だと答えるだろう。私は世界だなんて抽象的なもののために命を賭けるなんて愚かなことはできない。
自分のことなど誰よりもよく知っている。私が動くのならば、多分もっと個人的な理由、個人的な要因のためだけだろう。
ふと雷が鳴った。夏によくある突然の雷雨。突然の雨に、母さんは先ほどまで洗濯物を急いで取り込んでいた。今は洗濯物を家の中に干しなおしているようだ。
私はサスケと一緒に部屋の中にこもったまま、窓の外をじっと見ていた。
「……空が怒ってるみたいね」
独り言のように呟けば、サスケは小さく首を傾げた。
「おこってるの?」
何に、とはサスケは訊かない。代わりにサスケが私に訊いたことは別のことだった。
「あやまる?」
サスケの言葉に私は目を瞬かせた。予想外な言葉に私は答えに窮する。
この空模様が神の怒りの表れだというのならば、神は何に怒っているというのだろう。私に何を求めているというのだろう。
「謝らないよ」
神さまなんかに謝る必要なんかない。謝る必要があるとすれば、その相手は。
私は何も言わずに、弟の小さな手を握る。サスケの手は確かに温かかった。
夏になると、どうして必ずこの手の番組があるんだろうか。
その日の晩、夕食の後、私たちは居間で並んでテレビを見ていた。
無駄におどろおどろした音楽、照明の落ちた薄暗い部屋。黒い長い髪の女が少しずつ迫ってきている。それはお決まりのパターンだった。
こういうのは、どこの世界でも共通なのだろうか。前の世界で見たとある呪いのビデオから現れる青白い顔の女が、ふと頭をよぎって私は小さくぶるりと肩を震わせた。
何がおもしろいのか、サスケはテレビをじっと見ていた。本当はテレビのチャンネルを一刻も早く変えたくて仕方ないのだが、平然と見ている弟にそんなことは言い出せなくて(だって、私がこういうのが苦手だって思われてしまうじゃないか!)、結局は隣で並んで見てしまった。ああ、意地っ張りな自分が恨めしい。
目を逸らせばいいだろうと言われてしまいそうだが、今更、画面から目を離すなんて出来ない。視線を向けた先に何かいたらどうするのだ。それでなくとも、この家は忍の里の名家。私が知らぬところで、変なものがとり憑いていたとしてもおかしくはない。
ようやくテレビは終わったのだが、その終わり方というのがよろしくなかった。本当に大変よろしくない。呪いはまだ解決しておらず、次なる奇怪な事件を予期させるものだった。実に一人で部屋で眠るのが嫌になるような終わり方じゃないか。
「サスケ、今日は一緒に寝ようか」
「? いいよ」
サスケが一人で眠れないような事態になるといけないから、優しい私はサスケと一緒に寝ることを提案した。我ながら、なんて優しい姉なのだろうと思う。今夜は何があっても大丈夫なように、サスケをしっかり抱きしめて寝よう。そうしよう。私はひっそりと決意した。
「……俺は?」
「え?」
不意に今まで黙って私たちを見ていた(のだと思う)イタチが口を開く。私とサスケは殆ど同時にイタチの方へ向き直った。
「兄さんも怖かったの?」
「……」
私は訊くが返事はない。イタチは実は怪談が苦手なのだろうか。すごく意外だ。
その日は結局、狭い布団に三人で無理やり入り込んで眠った。朝、起こしにきた母さんが私たちの姿を見て笑っていたことを、私たちは知らない。
一緒に入れて欲しいなんて言えない。