夢にも思わない 作:ODA
少ない下忍の給料を地道に貯め続けたおかげで、愛らしい顔をしたピンクのブタくんはそれなりに重く育ってくれた。振れば、ジャラジャラと小気味よい音がする。
ブタくんの黒光りするつぶらな瞳を見つめていると、これから彼を割ってしまうことに罪悪感を感じてしまいそうになる。ので、今はブタくんは私におしりを向けた状態だ。
床には新聞紙を敷き、いざ割らんという段階になってこんなにも心苦しい気分になるとは思わなかった。愛着というのは、知らず知らずに湧いてしまうものらしい。私がその容姿を結構気に入っていたのも多分理由の一つだろう。次に買う時は、別れを惜しまずに済むようにもっと不細工な貯金箱を買おうと、私は密かに心に決めた。
すまない、ブタくん。許して欲しい。願わくば、次に君が生まれ変わる時は割らずに取り出せる貯金箱になっていてもらいたいものだ。私はブタくんに金鎚を振り下ろした。
さて、どうしようと私は考える。
財布の中はブタくんの尊い犠牲のおかげで今までにないほど、温かい。にもかかわらず、私はそのお金で何を買うのかを決めていなかった。何に遣うのかは決めていたのだけれど。
彼の好きなものを買うのが一番だろう。だって、これは彼に贈るプレゼントを選んでいるのだから。
彼の好きなもの……と、考えて最初に浮かんだのは食べ物だった。おいおい、好きなものイコール好きな食べ物と結び付く思考はどうなんだと我ながらに思う。少なくとも、私は飢えるような生活は送っていない筈だが。大体、誕生日プレゼントに失せものは駄目だろう。どうせなら、ちゃんと形として残るもの、しかも相手に喜ばれるものをあげたい。
記憶を頼りに、何がいいだろうかと私は必死に考えを巡らせる。小さな男の子が喜ぶようなものなんて私には想像もつかない。サスケに訊いてみれば参考になるかもしれない、と考えて、彼とサスケの嗜好は正反対だったと思い至り、止めた。
観葉植物、なんてどうだろうか。彼の部屋には確か観葉植物が多くあった気がする。室内用観葉植物なら手も掛からないし、長持ちするだろう。形として残るものという条件、それに喜んでもらえるものという条件をクリアしている。よし、そうしよう。私は思い立って、部屋を出た。
玄関で靴を履いていると、ちょうどイタチも出掛けるらしく鉢合わせた。
「出掛けるのか?」
「ちょっとね。兄さんは修行?」
靴を履き終えた私は、立ち上がりながら訊いた。予想通り、イタチは私に肯定を返す。対する私は、珍しくよそ行きの服装だった。しかも、動き回るには少々不似合いな服装。修行には到底見えない。
だからだろう。イタチは物珍しい目で私を見ている。私は任務がない日も修行するか図書館に寄るかくらいしかしないから、実際物珍しかったに違いない。今日は図書館に寄る日でもないし。
「怪我には気を付けてね」
そんなイタチの視線をすり抜けながら、これから修行に向かうという彼に一応そんな言葉をかけた。まあ、イタチだから大丈夫だろうけれど一応だ、一応。
「ああ」
小さな声であったが、返事がちゃんと返ってきたことが嬉しかった。
里の中をしばらく歩くと、とある花屋がある。私はその花屋の中を覗き込んだ。
店を覗く私の姿に、店番でもしていたのだろうか、金髪の女の子が母親を呼んだ。気の強そうな活発な少女。多分、サスケと同い年くらいだ。実際に同い年なんだろう。少女には、幼いながらサスケと同期になる彼女の面影があった。
少女に呼ばれてうちの母とそれほど年の変わらない女性が、店の奥から現れる。女性は私の姿を認めて小さく微笑んでみせた。多分、女性は少女の母親なのだろう。
人見知りしない性格なのか、少女は母親から少し離れた場所で、興味深そうに私を眺めている。
「何か探し物?」
しゃがみこんでわざわざ私に目線を合わせてくれながら、女性は訊いた。
「室内用の観葉植物を。あまり大きくなくて、手間の掛からないものがいいです。人に贈ろうと思っています」
私がそう言えば、女性は幾つか候補となる小さな鉢植えを私の前に差し出した。青々とした葉を広げているもの。膨らんだ赤いつぼみを付けているもの。私は一つ一つを見比べて、吟味した。
結局、迷った挙げ句に選んだのはコリウスの鉢植えだった。これならきちんと世話をすれば、冬も越せる筈だし、なんとかなるだろう。
選んだコリウスをラッピングしてもらった。私は代金を払うと、ぺこりと頭を下げて店を後にしようとする。
が、金髪少女に呼び止められた。
「はい」
なんだろうと、不思議に思えば、少女は小さな四角い紙切れを私の手に握らせた。メッセージカードだ。
「贈り物なんでしょ?」
そう言う少女に他意はない。少女は綺麗な笑顔で私を見上げていた。女の子らしく繊細な気遣いだと、私は心の中で感心する。まだ、彼女はこんなにも幼いのに。
「ありがとう」
サスケと同い年の少女の可愛らしい気遣いを無碍になんて出来る筈もなくて、私は彼女からメッセージカードを受け取る。お礼を述べれば、少女は可愛らしく破顔した。
けれど、内心、私はメッセージカードを見つめたまま、どうしたものかと悩んでしまう。
メッセージカードか、一体何を書くべきか。
家に帰ってから、鉢植えを机に置き、私はメッセージカードを前に散々頭を抱えた。こういうのは昔から苦手なのだ。何と書けばよいのか、いい言葉が浮かばない。
私は知らぬ間に親の仇を見るような目でメッセージカードを睨み付けていたらしい。その時偶然、私の部屋に訪れたサスケが『今日の姉さんは何かあったのかもしれない。すごく怖かった』と、後にイタチにだけ語ったと言う。それを私が知るのは一週間ほど後の話だ。
散々悩んだ挙げ句、書いたのは結局、誕生日おめでとうの一言だけだったというのだから、世話はない。シンプルな言葉しか浮かばない私は、やっぱり人を喜ばせる行為は苦手なのだろう。
メッセージカードを書き終えると、私は予め用意して置いた箱に鉢植えを詰め、箱を包み紙でくるんだ。そして、箱を持ったまま再び家を出た。この後にも予定が残っている。
ぺこりと会釈をして、その部屋に入る。前もって面会を希望していたおかげで、あっさりと中に通してもらえた。
部屋の中央奥に座る老人を見据えながら、私は用件を果たすべく口を開く。
「火影様にお願い……というか、依頼があります」
私の言葉に里長の老人はふむ、と僅かに声を漏らした。老人は探るように、私を見つめる。私はそれに気が付きながらも目を逸らさなかった。
わざわざ火影に直談判する程の依頼とは何か。老人の目は私に先を促していた。老人の反応に、私はあらかじめ用意していた言葉を返す。
「依頼内容は、物品の運搬です」
言いながら、私は綺麗にラッピングされた箱を老人の前に差し出した。オレンジの包み紙で包装されたその中身は先程買ったコリウスの鉢植えだ。包み紙の色は彼をイメージして選ばせてもらった。
「これをある人に届けて欲しいんです。ただし、送り主の名前は伏せたままで。本来なら火影様に頼むような内容ではないかもしれませんが、火影様にお頼みするのが一番確実だと思いました」
彼は火影に保護されていると言っても過言ではない。実際、彼はこの老人の配慮がなければ、まともな生活など出来やしなかっただろう。……まあ、今でもこの老人の目を隠れるようにして、里の者から謂われない迫害を受けてはいたが。
彼はこの時期になると人前には姿をさらさなくなる、と人伝に聞いたことがある。九尾への恐怖も恨みも未だ人々の心に深く刻まれていた。だから、この時期になるとあの少年に冷たい里の人々はより顕著に冷酷になる。それが理由なのかもしれない。
とにかく、現時点で間違いなく彼の味方である人物は、私の知る範囲内ではこの老人しかいないのだ。
「ほぉ」
「期日は明日。お願い出来ますか?」
老人は顎に手を当て考える素振りをしながら、目を細めた。細くなった目はちらりと箱を見てから、また私へと向いた。
「お主の依頼の内容は分かった。じゃが、一つ聞かせてもらってもよいかの」
「なんでしょうか」
「何故、それを自分で渡そうとしないのじゃ」
老人の問いに、私は目を伏せてから少しだけ頭の中で言葉を探した。
「……役者不足だから、です」
私は呟くようにそれだけを答える。彼の質問は核心をつくものだが、私の答えは曖昧なものだ。けれど、その苦みを伝えるには十分な一言ではないだろうか。
あの少年の支えになるには私では役者不足なのだろうと思ったら、苦い思いをせずには居られなかった。
あの哀れな少年を救う人物がいるとすれば、それは私ではない。私はただ彼に同情しているだけで、彼の背負うものを代わりに背負ってやることも、隣に立って支えてやることも出来ない。もし、その役目を得る人物がいるとしたら、多分。
確信や予言よりももっと確かな未来を私は知っている。だから、そう。これは運命だ。もっとも、それは何年も先のことだろうけれど。
弟と彼が出会った時、余計な種を蒔いておかない為にも、私は正面からあの少年の前に姿を晒すことは出来ない。運命をねじ曲げてやろうというほどの気概は私にはないのだ。
私はただの傍観者だ。あまりにも無力で、無責任な傍観者。ステージに上がるのは、私には荷が重い。
「そうか」
役者不足、というたった一言からこの聡い老人は私の考えをどれくらい理解したのだろうか。分からないが、老人はこれ以上何も問わなかった。
「私からも一つ聞いてもよろしいでしょうか」
私は至極真面目な顔で老人を見据えた。
「何じゃ?」
「この場合は火影指名の依頼になるんでしょうか? それなりにお金は準備して来てますが、火影様指名だなんて指名料が想像もつかなくて」
もしかしたら、足りないかもしれません。私がそう言えば、里長である老人は声を上げて笑った。
「おはよう」
「おはよう、サスケ」
その日の朝、母さんの隣りで、おにぎりを握っていたら、まだ寝ぼけ眼のサスケが顔をのぞかせた。
「……おはよう」
意識がはっきり覚醒していないのか、単純に私が台所に立っていることに驚きが隠せないのか。サスケの動きが何だか鈍い。瞼をぱちぱちさせながら、サスケはあいさつしたまま停止している。
「何してるの、姉さん」
たっぷり四十秒くらいかけて、ようやくサスケは私にそう訊いた。
母さんは私の横で、そんな私たちをにこにこしながら楽しそうに見ている。
「何って、おにぎりを作ってるのよ」
見たまんまを答えれば、そういう意味じゃないとサスケは頬を膨らませた。からかわれているという自覚はあるらしい。そのサスケの可愛らしい拗ね方に、私は笑みを深くした。
しかし、まぁ、あんまりからかい過ぎると、サスケはきっと本格的に怒り出すので、からかいはここまで。私はごめん、ごめんとサスケに謝る。
笑いながら謝ったところで、誠意には欠けるだろうなと自分でも思ったけど、自然と笑みがこぼれてしまうんだから仕方がない。
何をしているのかなんていうのは一目瞭然。サスケが訊きたいのは、どうして私がおにぎりなんか作っているのかということだろう。
私だって最低限の炊事は出来るが、母さんには負ける。はっきり言って、私の料理は美味いもんじゃない。それが分かっているから、私は自ら台所に立つなんてほとんどしない人間だ。何かあるのかと勘ぐられて当然なのである。
「天気がいいからピクニックに行こうかと思って」
今日は休日だ。任務もない。
いつものように、修行だなんだと一日を過ごしてもいいけれど、たまには違う過ごし方をしたって罰は当たらないだろう。だって、息抜きは必要じゃないか。
「姉さん一人で?」
サスケの問いに、私はがっくりと頭を垂れる。
さすがにそれは寂しすぎるだろう。それに、一人じゃこんなには食べられないに決まってる。私が作ったおにぎりの量は一人分にしては明らかに多い。
「サスケ君、今日のご予定を伺っても?」
そこまで言えば、サスケもさすがに察しがついたらしい。元々大きな目をさらにまん丸にして、嬉しそうに笑った。
「兄さんは? 兄さんも誘おう!」
「勿論」
イタチだって今日はオフなのだ。誘わない理由がない。最初から準備していたおにぎりは三人前だ。
「良かったわね、サスケ」
嬉しそうにはしゃぐサスケに母さんはそう言って、微笑んでみせた。
イタチとサスケと三人で山道を歩く。秋も暮れを迎えて、山々の色が美しい。黄金色の山道に、燃えるような紅葉、晴天の空。最高のピクニック日和だ。
「サスケ、あんまりはしゃぐと危ないよ」
修行でなら出掛けたことはあるけれど、三人揃ってピクニックとなると、多分私が下忍になって以来だ。サスケがはしゃぐ気持ちも分からない訳じゃない。
とはいえ、やっぱり山道でぴょこぴょこ動き回るサスケは見ていてちょっと不安だったりする。なので、私はサスケの右手を捕まえることにした。
「サスケ、姉さんと手を繋ごう」
そう言って手を繋げば、サスケは素直に握り返してくれた。サスケの小さな手のひらは温かい。その温かさが嬉しいと感じる。
「兄さんも繋ごう」
サスケはそう言うと、自分の左手をイタチに差し出した。
「ああ」
イタチもサスケの左手を私と同じように掴む。
サスケを真ん中に三人で並んで山道を歩く。平和だなぁと、私はひっそりと思った。
「目的地についたら、一緒に遊ぼうよ」
そんな可愛らしいサスケの提案を断る理由は私たちにはない。勿論だと、私もイタチも頷いてみせる。
「何して遊ぼうか?」
「えーとね、鬼ごっこでしょ、かくれんぼでしょ、それから……」
次々と遊びの種類を列挙していくサスケに、私は思わず笑った。
「いくらなんでも、そんなには無理かな」
「えー! じゃあ、鬼ごっこ!」
「決まりだな」
そうして、私たちは目的地を目指す。
昼食の後、私たちはサスケのリクエスト通り、鬼ごっこをすることになった。
とはいえ、下忍でしかなくとも一介の忍と、アカデミーにもまだ通っていないサスケではハンデが有りすぎる。
勿論、そこそこに手を抜いて捕まってはあげる気だけど、そればかりじゃサスケもつまんないだろう。最近のサスケはこちらが手を抜いていると知ると頬を膨らませることも多いから、サスケに嫌われたくない私としては乱発はできない。
という訳で、サスケが鬼の時は、私たちはサスケの見える範囲内しか移動しないということに決めた。まあ、それは大体建前で、本音はサスケの迷子防止や危険からの保護というのが目的だ。危険な場所に行く気はないが、山道である以上、ちょっと目を離した隙にサスケが怪我をしてしまうことも有り得るし。
ぶっちゃけ、イタチが本気出したら、どれだけハンデもらっても私だって捕まえられる気がしない。忍具や忍術が使えれば、とは思ったが、それじゃあただの演習だ。そもそもサスケが不利になる。
という訳で、当然ながら忍術の使用は禁止となった。
「はい、タッチ」
サスケの肩にポンと手を触れれば、サスケはずるいと私に向かって叫んだ。
「姉さん、さっきから俺ばっかり狙ってるだろ!」
さすがにバレたか。だからと言って、代わりに捕まってやるなんて言うつもりはない。勝負の世界は非情なのだ。
「頑張ってね、サスケ」
ひらひらと手を振りながら、サスケから距離を取る。
勿論、しばらく追いかけ回されたら捕まってやるつもりだ。けれど、後もう少しの間、サスケには私を追いかけてもらおうと思う。
「ナナセ」
そんな私にイタチが声を掛けた。
「あれじゃ、サスケが可哀想だ」
イタチの提言に、私はさすがにやり過ぎたかと少しだけ反省する。
「だって、嬉しいんだもん」
――あんなに一生懸命追いかけてもらえることが。
私はサスケに聞こえないように、小さな声で呟く。
こちらに向かって真っ直ぐに走ってくるサスケの姿が愛おしい。愛されてるなぁ、なんて勘違いしそうになってしまう。追いかけられるっていうのがこんなに嬉しいことだなんて知らなかった。
「まあ、兄さんはいつもサスケに追いかけられているから、分からないかもしれないけど」
いつだって、サスケが見てるのはイタチだ。その半分くらいは私のことも見てくれているとは思う。でも、サスケの目標で、サスケが追いかけているのはイタチでしかない。ほんの少しだけ、それが妬ける。
兄さん、兄さんとイタチの後を追うサスケは格別に可愛いのだけれど、偶にイタチが羨ましいと思ってしまう。私だって、少しくらいはあんな風に追いかけてもらいたくもなるのだ。
「サスケはナナセのことが好きだ」
「うん、知ってる」
サスケに好かれているというだけで、身を過ぎた幸せだ。だから、それ以上を望むのは私には過ぎた願い。分かっているから、鬼ごっこで我慢しようと思う。
「サスケは……、急いで逃げないとすぐに追いついて来るぞ」
その言葉に、私は驚いてイタチを見る。私はもっとイタチはサスケのことを子ども扱いしているものだと思っていた。それなのに、そんな発言をするイタチが意外で仕方ない。
「二人も俺を猛追してくる人間がいるんだ。先を行くのも大変だろう?」
イタチはそう言って、鮮やかに笑った。
「ちょっ……、それって……!」
「姉さん捕まえたー!」
気が付けば、満面の笑顔のサスケが私の腕に触れていた。振り返れば、いつの間にかイタチはもういない。
――やられた!
会話で注意を逸らして、サスケに私を捕まえさせるだなんて。
私は頬を膨らませると、イタチを追うべく走り出した。