五河四季の朝は早い。彼はいつものように六時に起き、朝食を作る。
食パンをオーブンに入れ、フライパンにバターを溶かしてからかき混ぜた卵を落とす。それが終われば今度は油をひいてベーコンを焼く。
彼の日課はこうも簡単な朝食作りから始まる。
「さて、我がペットを起こすか」
彼は窓からお隣のマンションに向かって飛んだ。いや本当である。
彼の身体スペック状、不可能ではない。なぜなら精霊という災害レベルの力とタメが張れるくらい肉体は強くなっている。今回は強化魔法で脚力を強くされてるわけだ。
さてお隣に住むのはその災害レベルだった少女こと夜刀神十香だ。夜色の髪を伸ばした和服が似合う日本人の容姿だ。
そんな彼女だが朝には弱い。元々子どもっぽいからこそ、そんな彼女を愛しく感じる四季だが遅れることは許さない。
ベランダへ降りた四季は錬金術で扉を作り、そこから入る。きなこパンの抱き枕を抱き締める十香に彼は嘆息を吐いた。
(また目覚ましを壊したな)
四季お手製の目覚ましが無惨にスクラップにされていた。この目覚ましは時間になると独特なオッサン声で『はろぉう、えぶりぃばでぃ。ぶるぁぁぁぁぁ!』と何度も何度も叫ぶはた迷惑な目覚ましである。
さらに普通の女の子には破壊できないくらい丈夫――――だったが、どうやら十香の馬鹿力の前ではただのガラクタでしかないようだ。
なので彼はいつものように起こすことにした。
まず布団を剥がす。これには肌寒い十香もううむ、とみじろぐ。
次に冷蔵庫から氷を出す。それを貯めた桶を用意する。
そして最後にそれをぶっかける――――
――――わけでもなく、スタンガン(改造済み)で起こす。
「あばばばばばばばば!?」
「よし、起きたな。十香、朝飯だぞ。さあ、起きて今日も元気に過ごそうじゃないか」
「……………………」
「なんだ。返事がない屍ごっこか? 全くお前もお茶目になったものだ」
「何やってんのよ馬鹿兄貴ぃぃぃぃぃッッ!!」
寝室の扉から四季の義妹、五河琴里がシャウトしながらドロップキックをしてくる。それが迫る前に彼は桶を琴里の顔面にパイ投げした。地味に痛いどころでは済まない痛みに彼女は悶絶した。
「いきなり何をするマイシスターよ」
「あんたも何してんのよ!? 女の子に」
「爽やか系主人公らしく寝坊する女の子を起こしたまでだ。どうだ。すばらしいフラグだろ」
「十香の死亡フラグしかないわよ! てか、私に何投げてるのよ。めちゃくちゃ痛いじゃない!」
「それは悪い。今度はナイフにしてやるから安心しろ」
「さりげなく私の死亡フラグ立った!?」
琴里はもう二度とドロップキックはしまいと誓うが、残念だが彼女はツッコミ体質のため、それはできない相談である。
とは言え、そんな感じに十香を起こした四季はいつものように弁当を渡して、登校した。
十香がお隣に来てからかれこれ二週間が経った。今ではこんな感じに十香の面倒を見ながら、いつもの日常を過ごす彼なのだが、彼の日常は普通ではない。
現に十香の首にはチョッカーという名前の首輪がつけられている。ファッションに見えるが実はこれこそ、十香の立ち位置を示すものである。
「さあ朝の散歩もとい登校だ。さっさとついてこい」
「うむ! 後でなでなでしてくれるのか!?」
「ああ、いくらでもな」
パァァと喜ぶ十香に四季は悪そうな笑みを浮かべる。四季にとって十香という精霊はペットである。忠実に行動すればご褒美を与えるというシステムである。
もはや人間ではないが彼女には人権はない。四季の前では忠犬十香に成り下がるのだ。
彼と彼女は歩いていると曲がり角からヌッと女の子が出てきた。このままでは四季と彼女はぶつかる。なので、四季は、
「邪魔」
「きゃっ」
蹴る。この男はあろうことか女の子を蹴ったのだ。それには女の子も不服になるのも無理もない。
「ちょっと! いきなり何するのよ」
「障害物を駆除したまでだ。この俺のペットとの散歩を邪魔する輩は容赦なく排除するのが俺のガロード」
「だからって普通に女の子を蹴るの!? どうかしてるわあなた!」
「どうかしてるのは当たり前だ。俺は世間一般で言う変人だ。お前ら凡人が理解できるはずもない」
「いやそれただの社会不適合者でしょ」
女の子に辛辣な言葉を言われるも彼は気にしていない。なぜなら変人だからである。
「ところでブス。とっと失せろ」
「さりげなくひどい! ってブスはないでしょ、ブスは!」
「ならばお前は十香と比べてかわいいと? コイツより美少女だと言いたいわけ?」
「うっ、それは……」
さすがに隣にいる彼女と比べれば自分などかわいいとは言えない。しかし彼女は普通より、やや上だと自負しているプライドがあった。
だから、言った。
「その子と比べればかわいくないのは自分よ。けど、私は普通より上のはずよ!」
このとき彼女は感情論になっていた。ゆえに論理的に反論すればよかった。そうしなかった結果が、四季の口から言われた。
「え、なにこの自意識過剰。鏡見てきたらナルシスト?」
「おぉ、シキの言っていたナルシィストとは目の前にいる女のことなんだな! うむ、感謝するぞナルシィストよ!」
ボロクソである。ズバズバである。彼女はメンタル的に耐えきれなくなり、目からぶわーと涙を流しながら去った。
なんだったんだアイツ、と四季が呟くと耳に入っていたインカムから通信が入った。琴里からである。
『……四季、いくらなんでもあれはひどいわよ』
「黙れ。ペットと飼い主の仲を裂こうとしたナルシストにお仕置きしただけだ。文句あるか」
『気づいてたのね』
先程のタイミングの良さは偶然もあり得るが四季の耳には足音が聞こえなかった。つまり予めに角にいたということがしっくりくる。
仮にこれが偶然だったのなら、彼は足音に気づき、頭の中で演算し、歩く速度を変えてぶつかることを阻止するのだ。
なのでいくら言われようが彼が悪い、と琴里には反論はできない。
『確かに、あの子は<ラタトクス>の機関員よ。だからって蹴るのはないでしょ。蹴るのは!』
「じゃあするな。こんなテンプレみたいなフラグで俺が満足するとでも? 次回からはパンをくわえて車で轢け!」
『それ完全に殺人事件!』
琴里は思う。
もうコイツにこのテンプレは使わない、と。
使ったら仕掛け役の子のハートがブレイクされる。
四季と十香が学校についたとき、時計の針が八時二十分をさしていた。そろそろまずいな、と四季は昇降口で履き替えていた。
「五河先輩!」
「なんだ?」
声をかけてきたのは一年生の後輩だった。しかし見たことがない。四季にとって初対面の女の子だ。
「あの、五河先輩のことが好きです! よかったら読んでください……ッ」
四季に差し出したのは白い長方形の封がされた手紙だった。そう、これこそラブコメの王道的な告白、ラブレターである。
四季に衝撃が走った。まさか今の世の中でもラブレターを自分に渡す告白が目の前で起こることとは思いもしなかった。
「ラブレターか。まさか本人に直接渡すとはお前はスゴいな」
「あ、ありがとうございます……」
「だが、それは受け取れない。俺はお前のことを知らないし、何より変人がお前のような普通の女と釣り合うことはできない」
「ッ……そう、ですか……」
だが、と四季は続けて言った。
「お前の勇気は俺なんかより、お前を見てくれている男に言ってやればいい。ソイツこそ、お前に相応しい男だと俺は確信できる」
悲しそうな彼女の頭を撫で、彼は手を振った。その背中を後輩の少女はボーと見つめていた。
彼の対応はまさに紳士の鏡である。
『……せっかくの告白を断るなんて』
「ぶっちゃけ、お前や十香がいるからいらないと思って」
『ッ……!?』
「おや、うれしいのかな?」
『う、うれしくないわよ! ふんっ。私も学校あるからもう勝手にしてなさい!』
「ククク、はいよ」
義妹の照れ隠しを微笑ましく思い、彼は教室の扉を開けた。そこにいたのは我らのいじられキャラである殿町だ。
「おっ、相変わらずアツアツだねぇ。ヒューヒュー」
「殿町、だからと言って黒板に相合い傘を書くな」
「へっ、世の中の非リア充の小さな抵抗を受けやがれ!」
「いやチョークが勿体ないからやめろ。黒板が汚れるからやめろ。あと、汚い息を出すのもやめろ」
「さりげなく死ねと申すか!?」
今日も平常運転な四季に十香は困った顔になる。
「ぬ……一緒に登校したら駄目なのか?」
「いや、大いに良いことだ。殿町のようなモテない、目立てない、使えないの三冠王が揃った人種に俺達の仲の良さを見せつけることでヤツに幸せを与えてやるのさ」
「おぉ、さすがシキだ! そこまで考えてやるくらい心優しいのだな!」
「いや気づいて十香ちゃん! それ俺が惨めだからこそ見せつけてやるってことだから!」
「む? 殿町はいらないのか? 私達のらぶらぶが」
「むしろ欲しいわぁぁぁぁぁッ! チクショオぉぉぉぉぉッ!」
殿町は四季達から走り去った。彼の目から汗が出ていることに十香は首を傾げた。それに萌えを感じた四季はなでなでしてやるとほにゃーと表情を崩した。
その光景を微笑ましく見るもの、嫉妬するもの、もしくは不服そうに見るものの視線を彼は感じた。
チャイムは鳴り、担任のタマちゃん先生が入ってきた。どこからどう見ても生徒と間違えそうなのだが、彼女はれっきとした先生である。
そんな彼女から転校生が来るというお知らせが四季の耳に届いた。
(転校生? こんな時期にここに? 胡散臭いな)
と考えつつも彼は設計図に何かを描いていた。それは錬金術に関わるもので、常人には理解できない理論と文字が書いてあった。
「さあ入ってきてくださぁい~」
扉から入ってきたときクラスの男子が声に出した。白い肌色に黒髪。前髪が左目を隠しており、瞳は紅だ。
まさに絶世の美少女というのに相応しいくらい彼女の容姿と雰囲気は美しかった。
黒板には『時崎狂三』という文字が書かれ、彼女は頭を下げた。
「時崎狂三ですわ」
そして驚くことを言ってのけた。
「わたくし、精霊ですわ」
ニコリと微笑む彼女にクラスはポカーンとなる。それもそうだ。いきなり自分は精霊ですとか言われれば誰だって呆然となる。
しかし精霊という言葉を意味する者達は違った。
例えば十香。彼女もまた同族であり、彼女の発言には唖然となっているが、彼女は「本当に私と同じなのか?」という驚きである。
例えば折紙。彼女もまた精霊を知る者であり、ASTという精霊を抹殺する組織の一員だ。そのためか、彼女の視線には警戒と敵意が混じったものが込められていた。
狂三は二つの違う視線にクスリと笑って、自分の目的の少年に視線を向けた。彼もまた自分を見ているのだろうかと少しの期待を込めていた。
しかし
断言しよう。コイツは二つの視線を向けてなかった。
むしろ、
「ッ!? まさかこれは幻のルート。『猫耳お姉ちゃん』だと!? 殿町、来い。一緒に萌えの至高を見ようではないか!」
「空気読めよお前!」
……狂三に視線すら向けてなかった。というかギャルゲーしていた。
先ほどまで設計図を描いていたのに、なぜか携帯ゲーム機を出してプレイしていたのだ。
狂三は殿町という男がツッコミを入れてくれなかったら、自分がキャラ崩壊していたかもしれないと思った。
(ふ、ふふふ……このわたくしに目もくれずゲームをしていたなんて四季さんはかなりの強敵のようですわ)
狂三は内心グッと拳を握る。今まで狂三を見てきた男達は誰もが自身の美しさに陶酔していた。
しかしこの男は自分よりもゲームを優先していた。そんな女のプライドを傷つけられれば彼女は黙っていない。
(見てくださいまし。このわたくしのアプローチで必ず振り向かせてやりますわ!)
彼女はまた微笑む。その笑みにまた男子達はうっとりする。
しかし変人は気にせずゲームをしていた。
(そういえば誰だコイツ? 精霊という名前だっけ)
四季は肝心なことに名前を覚えていなかった。
どうしよう分身狂三さんがドンマイなパターンに……。