「それで……例の場所はどんな様子なのよ?」
目の前の彼女がその瞳を鋭くして私に問い掛けてくる。
「今はまだなにも……試練が始まった様子もないし」
「……そう」
私の答えに彼女が目を伏せる。少しの間、何かを考えていたようだったが、突然その瞼を持ち上げ、こちらを見据えてくる。
「婆様の占い通りなら、候補者はあの学院にいるみたいだからその内試練は始まるでしょうけど……それ以前に」
彼女がそこで言葉を区切り、私の目をじっと見詰めてくる。それだけで彼女が言わんとしていることが分かり、私は冷や汗を浮かべてしまう。
「だいたいの目星はついているけど……ごめんなさい。特定は出来てないの」
「はぁ~」
彼女がやれやれといった様子で溜め息を溢した。
「そんな調子で本当に使命を全う出来るのかしらね?」
「それは……」
私自身、自分の力不足を痛感しているだけに、他から指摘を受けると返す言葉がなかった。
「ともかく、アンタは候補者の特定を急ぎなさいよね」
「ええ、分かってるわ」
なら良いけど、と言って彼女がこの場を去ろうとする。しかし、ふと立ち止まり、こちらを振り返った。
「話は変わるけど、例の彼らはどうなの?」
随分と抽象的な質問ではあったが、長年連れ添っている彼女の意図はすぐに汲み取ることが出来た。
「そっちも何も。ごく普通に接してくれているし、もしかしたら気付いていないのかも」
「どうだか……彼らも裏の世界で生きる存在だし、私達の事を知っていても不思議じゃないのよ」
彼女の言葉を聞き、私は彼らのことについて考える。
神薙の一族。
詳しくは知らないが、大崩壊以降裏社会で暗躍する悪しきものを討つ存在として私達の一族にて語られている。
私達ほどではないにしろ、その存在を知る者は大陸広しと言えどごく一部に限られているとのことらしい。
そしてその中核となる存在が――クラウザー家。
私のクラスメイトである兄妹の姓が正にそれなのだ。
妹であるリューネさんは養子であるが、レイルさん――先の特別オリエンテーリングにて神薙流剣術を以ってガーゴイルを屠った彼は、間違いなく彼の一族の末裔と見て然るべきだと思う。
そして、彼の恋人であるエミナさん、そして彼等3人となにかと行動を共にするフィーちゃんは、恐らくある程度の事情にも通じていると考えて間違いはないはずだ。
「悪い人達では、ないと思うけど……」
「油断しちゃ駄目よ」
彼女が私を諌める様にきっぱりと告げてくる。
「彼らの目的が分からない以上警戒するに越したことはないわ」
「……そうね。けど、もし彼らが敵対しないなら――」
「任せるわ」
彼女がこちらの言葉を遮ってくる。そして、再びこちらに背を向け、歩みを再開する。
「しっかりやりなさいよ――エマ」
振り返ることなくそう言い残した彼女が私の視界から消えていくのを、私は黙したまま見送った。
<4月18日 近郊都市トリスタ>
初の行動日とあり、トリスタの町は色めき立つ新入生を筆頭にかなりの賑わいを見せていた。
そんな中レイルは1人、学生会館へと訪れていた。
エミナとは先程まで一緒にいたが、彼女は技術部への見学に向かうため、学生会館前で別れた。
そして、リューネは生徒会の手伝いをすると昨夜に聞かされており、今朝も早くからリィンと寮を出ていた。
この半年、リューネはいつもレイルやエミナと行動を共にしていた。血は繋がらずとも本当の妹として接してきた彼女が自分達の手を離れ、己の意思で何かをしようとしている今、それを喜びこそすれ、阻むつもりはない。
リューネにはもっと広い世界を見て欲しい。ならば、今リューネがしようとしていることこそ、彼らの望み通りに他ならなかった。
――それでも、寂しく感じるのは俺の我侭だよな。
姉として慕われているエミナも同様に感じているだろうが、昨日2人してリューネへの過保護を反省したばかりである。今はただ、彼女の成長を見守っていくだけだ。そう決めたところで、兄として多大な信頼を受けていたレイルとしては複雑な思いであった。
しかしいつまでも思い悩んでいても仕方がないことなので、レイルは1度深呼吸をし、気持ちを切り替える。
そうこうしている内に目的の場所まで辿り着いていた。
学生会館の2階。階段を上がってすぐの部屋である。
丁寧に3回ノックすると、暫くして中から女性の声が返ってきた。
「失礼します」
扉を開けて中を窺うと、レイルの鼻腔を刺激するものがあった。
長い年月と共に積み重ねてきた書籍独特の匂いである。
部屋の両サイドに設けられた書棚にはギッシリと書籍が納められており、部屋の奥にあるテーブル上にも様々な本が積まれていた。
図書館の書庫と同質の雰囲気に満ちたここは、文芸部の部室である。
「もしかして、見学の方ですか?」
テーブルの向こう、詰まれた書籍の奥から眼鏡を掛けた女子生徒が顔を出してくる。
腰まで伸びた黒髪をゴムで纏めた女子が、戸惑いを瞳に浮かべている。
レイルは相手を不安がらせないよう、落ち着いた調子で答える。
「はい。お邪魔しても構いませんか?」
「え、ええ! 是非どうぞ」
レイルが見学に来たと知ると、女子生徒が色めき立ち、レイルを招き入れた。
話を聞けば、女子生徒はドロテといい、文芸部の部長とのことだった。
「こうして見学に来てくれて嬉しいです。今年は新入部員がゼロでしたので」
「そうなんですか?」
トールズは文武両道を掲げているものの、士官学院という特色上、クラブ活動はどうしても文よりも武の方が盛んである。それを差し引いても、まさか新入部員がゼロだとは思ってもいなかった。
しかも2年生も積極的に活動しているのはドロテぐらいで、他は軒並み幽霊部員という有様である。
「……寂しい話ですね」
「そうなんですよ。古代より脈々と受け継がれてきた文学の系譜――士官学院だからこそ、そういったものにも精力的に取り組んで然るべきだとは思いませんか?」
「そうですね。軍人としては無用のものかもしれませんが、それ以前に人としての豊かさ――教養というのは蔑ろにして良いものではありませんよね」
「分かって頂けますか!?」
レイルが同調すると、ドロテが目を輝かして身を乗り出してくる。
周囲に話が合う人が少なかったと語ったドロテが、水を得た魚の如く饒舌になっていく。
レイルにしても幼い頃から読書を嗜んできたのだが、彼も同等に語り合える存在が少なかったこともあり、自然と話に熱が込められていく。
近年大流行した作品についての語り合いから始まり、中世の歴史考察を踏まえた作品などの見解を述べ合っていく。
「ふふ、私の話に付いて来て頂けるとは……レイルさんもかなりの読書家ですね」
「俺なんかはまだまだですよ。ドロテ部長こそ、どの作品もかなり読み込んでいらっしゃるみたいじゃないですか」
「それほどでも」
ドロテは謙遜するが、その表情は柔和に綻んでおり、レイルとの話にかなりご満悦の様子であった。
ただ、それはレイルも同様であり、鏡を見ずとも己の表情が満ち足りたものになっていると分かる。
――これは決まりだな。
他のクラブも見学していたが、今ここで得た充足を勝るものはなかった。ゆえに、レイルは文芸部に入部すると心に決めたが、それを目の前の彼女に告げるより先に確認しておくことがあった。
「ところでドロテ部長。文芸部の活動は今みたいな作品についての討論がメインになってくるんですか?」
レイルがそう尋ねるとドロテはばつが悪そうに、先にそちらを説明するべきでしたね、と言って居住まいを正した。
「基本的にうちの活動は作品評論のレポート作成や先程の討論も行っています。部員は私だけですがたまにトマス教官が遊びに来られて、討論はそのときに実施しています」
「トマス教官が」
トマス・ライサンダー。
歴史と文学を担当する教官で、専門分野の博識さはかなりのものであり、大半の生徒が彼の執り行う授業に惹き込まれるという噂である。しかし、授業という枠組みの外で彼の薀蓄語りが始まると何時間も拘束されるのが玉に瑕である。
「ってトマス教官のことはともかく……も、と言うことはそれ以外にも活動しているんですよね」
「はい。現在、文芸部の活動は作品制作を主軸にしているんですよ」
「へぇ!」
レイルは思わず感嘆の声を漏らしていた。
まさか作品制作をしているとまでは思ってもいなかったので、彼女から告げられた言葉がより一層レイルの好奇心を刺激していた。
「ということはドロテ部長の作品もあるんですよね?」
「はい。といっても、未熟な拙作ばかりですけど」
「それは、今この部室に?」
「そう、ですけど?」
問いの意図が分からなかったのか、ドロテがきょとんとした表情で首を傾げている。
そんな彼女に対し失礼とは思いつつも、レイルは湧き出る好奇心を抑えずに彼女へ告げる。
「その作品、読ませてもらって良いですか?」
◆
「…………え?」
ドロテは最初、目の前の彼が何を言ったのか理解出来ずにいた。
頭の中で先程彼が言い放った言葉を反芻してみる。
――ソノサクヒン、ヨマセテモラッテイイデスカ?
その作品、読ませてもらって良いですか?
彼は間違いなくそう言ったはずだ。
つまりそれは、
「ッ!!?」
言葉の意味を理解した瞬間、ドロテは全身の血液が沸騰したかのような錯覚に見舞われた。だがそれはすぐに極寒の地に薄着で放り出されたかのような感覚へと変わる。
――そ、そんなの無理です!!
ただの作品を見せると言うのであれば、彼女もまたそれ程抵抗を感じることはなかっただろうが、今この部室においてある彼女の作品に問題があった。
長い間1人で活動していたため、ドロテは自身の趣味である“とあるジャンル”の作品ばかり書いていたのである。
――あれを誰かに、特に男性に読まれるわけには!
折角の見学者であるレイルにアレを読まれたら、彼が入部しないという可能性も考えられたので、尚のことドロテの抵抗感が強まっていく。
――そうだ!
第2学生寮の自室に戻れば、ごく普通な作品も置いてあるのだ。レイルにはそれを読んでもらおうと決め、ドロテは立ち上がろうとしたが、
――取りに戻っている間に、ここにあるアレらを読まれては――!
適当な理由を付けて、一緒に第2学生寮まで来てもらうという発想は今のドロテには思いつかず、彼女の混乱は増す一方であった。
――ど、どうすれば……
ドロテは混乱の窮みに陥り、遂には頭を抱えてしまった。
「ドロテ部長」
ドロテの様子をいぶかしんだのか、レイルが彼女に呼び掛ける。ドロテは恐る恐るレイルへと視線を向ける。
「読まれたくないのであれば、無理にとは言いませんよ」
「そ、それは……」
ドロテにとって、それは救いの手だった。彼の言葉に乗じて、自分の作品を読ませない。それで解決する、はずだった。
「けど……それで良いんですか?」
「!?」
曖昧な問い掛けだったが、ドロテには彼の言葉が心の奥底まで響き渡った。
――そう、ですよね……
プロの作家ではないにしても、物語の紡ぎ手が、作り上げた作品をひた隠しにするなど本末転倒ではないか。
他者に語り、読まれるために、物語は生み出されるのだ。
「…………レイルさんこそ、良いんですね? 私の作品は、特にその、男性には受け入れ難いものだと思いますよ」
「構いませんよ。これまでも様々なジャンルのものを読んできましたし――むしろどんなものが読めるのか楽しみですよ」
そう言って笑みを浮かべるレイルを見て、ドロテは決心した。
アレを読んだ結果、レイルが文芸部に入部しなくても構わない。
これ以上、自分自身を偽るのは、終わりにしよう。
心が決まれば、後は行動するのみである。
ドロテは書棚から我流で装丁した原稿用紙の束を取り出し、レイルへと差し出した。
不安は未だに心を覆っている。けど、これが彼女にとっての新しい1歩となった。
◆
「は、はいっ!」
エマが扉をノックすると、中から裏返った女性の声が返ってきた。
自分のノックに驚いたのだろうかと怪訝に思いつつも、エマは目の前の扉を開く。
中にいたのは長い黒髪をゴムで束ねた女子生徒と、もう1人。赤い制服を身に纏った銀髪の男子生徒――レイルがいた。
女子生徒――恐らく先輩であろう彼女は何故かそわそわして、傍らにいる人物をちらちらと窺っている。その人物、レイルの方は手元にある書籍に真剣な面持ちで目を通している。
――えっと……
まさかレイルがここにいるとは思っていなかったので、鼓動が一瞬跳ね上がるが、レイルの方はまだこちらを視界に捉えていなかったようなので、気付かれない内に平静を装う。
「えっと、見学の方ですか?」
エマが呼吸を整えていると、女子生徒が落ち着かない様子で問い掛けてくる。
「は、はい。そうなんですけど」
そう答えながら、レイルへと視線を向ける。女子生徒も同様に彼の様子を窺う。
すると突然、レイルが手元の書籍を閉じ、そこでようやくエマへと視線を移した。
「よう、エマ。来ていたのは気付いていたけど、これに集中しちまってたよ」
そう言ってレイルが手にしていたものを掲げてみせた。
「それは?」
「先輩が書いた作品だよ」
レイルの傍らで女子生徒が畏まって身を縮めていた。
レイルが喋り出したことで部屋の中の緊張感が和らぎ、エマはレイルの言う先輩――ドロテより椅子を勧められたので、お言葉に甘えることにした。
「それで、どうでしたか?」
ドロテが緊張の面持ちでレイルに尋ねていた。
詳しい経緯は分からないが、レイルが読んでいた作品について感想を求めているようであった。
「そうですね……」
問われたレイルは、目を閉じて作品の内容を振り返っているようだった。
「最初は身分が違う少年達の友情物語かなと読んでいたんですけど、途中からは……衝撃を受けました」
「ッ!」
レイルの言葉を聞いたドロテが全身を硬直させる。俯きがちなその顔には冷や汗が浮かんでいる。
エマは彼女の様子を疑問を覚えるが、状況を把握しきれていない今、自分が口を挟むべきではないと思い、レイルの次の言葉を待った。
「王国騎士団に所属する貴族のユージーンとかつて騎士団に所属していたが離反した平民のシモン。幼い頃からの親友である2人が、互いの信念のために道を分かつ。互いに譲れぬもののため、2人は剣を取る。そして対立する中、2人は自身の気持ちに気付くわけですね」
「…………はい」
ドロテがか細い声で頷く。その表情は全身の血が集まっているのかと思わせる程、真っ赤に染まっていた。
「過ぎ去りし日に交わした約束。貴族と平民の確執。王国に渦巻く陰謀。様々な要素が絡み合い、2人の愛を加速させていく。とても、感動しました」
「!?」
「……………………はい?」
レイルの感想にドロテはバッと面を上げた。まるで予想外のコメントに驚いているようだった。
そしてエマも、レイルの言葉に思考が停止してしまい、再起動するのに時間を要してしまった。
――レイルさんは今何と?
2人の愛を加速させていく。
エマは、ユージーンとシモンはどちらも男性だと思っていた。名前からして男性のそれであるし、先程レイルは『身分違いの少年達』と言っていたので、それは間違いないと思っていた。
けど、愛?
いや、とエマは頭を振った。
きっと自分の勘違いで、愛は愛でも友愛の類だろうと思うことにした。しかし、
「貴族と平民という身分の差に葛藤することに加え、男性同士という背徳に懊悩する2人。その心情の描かれ方がとても丁寧で、思わず話にのめり込んでいましたよ」
というレイルのセリフにエマの一縷の望みは打ち砕かれてしまった。
つまり、レイルが読んだドロテの作品というのは、男性同士の愛を綴った物語ということである。
――えっと……
自分は来る場所を間違えたのではないか、とエマの脳裏に疑念が過ぎった。
昔から本を読むことが好きで、文芸部という環境はエマにとって願ってもないものだと思っていた。
しかしいざ来てみれば、そこは自分の知らない混沌の巣窟のように感じられた。
ここは危険だと、エマの本能が警鐘を鳴らしている。ここにいると、自分はもう後戻り出来ない深淵へと堕ちてしまうだろう、と。
レイルがここに入部すれば、探りを入れるのにも丁度良いと思ったのだが、それに伴う代償が割に合わないと感じられた。
ならば、ここは撤退するのみ――
「エマも読んでみたらどうだ?」
「ひゃい!?」
突然話を振られ、機先を封じられたエマは素っ頓狂な声を出してしまった。
だが、レイルはそんなエマの様子を気にした風もなく、手にした書籍を差し出してくる。
「確かに万人受けする話じゃないかもしれないけど、かなりのクオリティーだと思うぞ」
「は、はぁ……」
エマは差し出された書籍とレイルの顔を交互に見遣る。そのついでにドロテの様子を窺うと、先程同様に顔を紅潮させていたが、その原因は羞恥というより興奮と呼べるものだった。
どうやら、この本を読むまで自分が解放されることはない。そう悟ったエマは渋々書籍を受け取った。
◆
夕暮れ時。
エマは未だ冷めぬ頬の火照りを隠すかのように、俯きがちに歩いていた。
場所は正門を抜けたところ、士官学院とトリスタの町を繋ぐ坂道。そして隣には満足げな笑みを浮かべているレイルだった。
あれからエマはレイルとドロテが見守る中、ドロテの作品を読まされることになった。
結論だけ述べると……面白かったのである。
男性同士の恋愛とあって、エマは顔を真っ赤に染めながら読み進めていたのだが、徐々に作品そのものの出来に感嘆し、続きが気になって仕方がなかったのだ。
読み終わる頃には作品世界の中に没頭してしまっていた。
そのことを素直に告げると、作者であるドロテだけでなくレイルも嬉しそうな表情を浮かべていた。
男性同士のそれに関心を覚えたわけではないので、そこはしっかりと否定したが、あれだけの作品を作り上げるドロテ――そして文芸部に対する興味が湧いたのは確かだった。
結果、レイルの誘いもあり、エマは文芸部に所属することになった。
「それにしても……レイルさんがあのようなものに興味があるだなんて思いもしませんでした」
エマがそう言うと、レイルは一瞬何のことを言われているのか理解出来ていない様子だった。しかし、すぐにはっと目を見開くと、慌てて弁解してくる。
「ちょっと待ってくれ! 別に俺は男色趣味じゃないからな」
「本当ですか? それにしては随分熱く語られていましたよね」
「それは、ドロテ部長の作品が面白かったからで……決して他意はないからな」
エマが悪戯っぽく茶化すと、レイルがぶすっとした表情で睨んでくる。
その様子が妙に子供っぽくて、エマはつい堪えきれずに笑ってしまった。
「な、笑うなよ」
「ふふっ……ごめんなさい」
「ったく…………良かった」
「え?」
不意に、レイルが溢した言葉にエマは驚いてしまった。彼の言葉の意味が理解出来ず、溢れ出ていた笑いが一瞬で引き去ってしまう。
レイルの真意が分からぬまま、エマは隣の彼を振り仰ぐ。
「エマって、俺の前だと他の皆といるとき以上に……何て言うか、構えてる? って感じだったからさ」
「そ、そうでしょうか?」
突然の指摘を受け、エマは手の平に嫌な汗が浮かぶのを感じた。
確かに、レイルに対して警戒心を抱いていたのは間違いないが、なるべく自然を装ってきたつもりだった。
だが、目の前の彼にそれは通じなかったようだ。
他と同じように接してきたつもりだったが、こちらの警戒を悟られてしまっていた。
そして今、彼はこちらに探りを入れてきている。
偶然か、あるいは作為的にか、周囲に2人以外の人影はない。
――不味いですね……
彼がエマにとってどのような立ち位置にいるか分からない以上、今の状況は決して良いものとは言えなかった。
エマの身体に緊張が走る。
「いや~、もしかして知らない内に嫌な思いでもさせてたかなぁ、って不安だったんだけど、どうやらそうじゃないみたいで安心したよ」
「……………………」
――はい?
安堵の表情でレイルがそのようなこと言ってきた。
想像していたものと全く異なるそれは、エマにとって完全なる不意打ちだった。
しかし、いつまでも呆けていては怪しまれるので、エマは持てる頭脳を駆使して、どうにか取り繕った。
「嫌な思いだなんてしてませんよ? …………ただ、エミナさんとの、その仲睦まじい様子を見せられると、どう接したものかと」
「あー、アレが原因かぁ」
アレ、というのは恐らく、以前に行ったお茶会での出来事を指しているのだろうと思った。
やっぱりやり過ぎだったかな、と独り言を呟いているレイルを傍目に、エマはほっと一息を吐いた。
――な、なんとか誤魔化せました。
レイルが勝手に勘違いしてくれたというのが大きいが、どうにか詮索されずに済ますことが出来た。
どうやら、彼に対する警戒心は杞憂のようであったみたいだ。
なんて彼女に報告すると、甘い! と叱られるだろうが、一先ずは安心して良いのかもしれなかった。
「あら?」
緊張と共に流れた時間が終わり、気付けばエマとレイルは坂を下り終えていた。
そしてエマは前方に見知った人影を捉えた。
赤い制服を纏う3人組。
「リィンさんとアリサさん、それにリューネちゃんですよね」
「あいつらも今から帰りかな……おー――」
「あ――」
少し離れていたので、レイルが大声で3人に呼び掛けようとしていたが、その動作が途中で停止した。
それはエマも同じで、目の前の3人――正しくはリィンの行動に視線を釘付けにしていた。
どういう経緯かは知らないが、突然、リィンがリューネの頭を撫でたのである。
はっきりとは分からないが、リューネは少し照れくさそうに、そしてアリサは愕然としているように見受けられた。
そして、隣にいるレイルは――
「ひっ!?」
まるで鬼のような形相で前方を睨み付けていた。
先程のじゃれ合いの中で浮かべたものとは比べようがないまでに凄まじい剣幕だった。
人という存在は、これほどまでの表情を浮かべることが出来るのかと、エマはこのとき初めて知った。
すると、レイルが何の初動もなく、凄まじいスピードで駆け出していった。
「レイルさん!?」
止める間もなく、レイルがリィン達との距離を詰めていく。
接触まで数瞬というところで、エマは気付いた。
リィン達の向こう側から朱色の髪を振り乱した女性が掛けてくるのを。
――あれは、エミナさん!?
彼女が向かってくる様子は、レイルのそれと同様であり、ただ一点を睨んでいた。
睨まれた対象――リィンがようやく2人の接近に気付いた。
だが、既に手遅れだった。
避けることも防ぐことも叶わぬまま、得物を狩るために放たれた挟撃がリィンを襲い、どういう物理法則が働いたのか、彼の身体が数アージュ上空へと弾き飛ばされていた。
上空で何回転もしたリィンが地面へと叩きつけられる。
なおも追い討ちを掛けようとするレイルとエミナを、リューネとアリサが必死で止めているようだった。
「あ、はは……」
エマは苦笑いを浮かべ、すぐに治療が出来るようにARCUSを起動させながら、彼らへと近付いていった。
お久しぶりです、檜山アキラです。
今回はレイルサイドで自由行動日をお送りいたしました。
え? ドロテさんのキャラが違う?
まぁ、彼女は初っ端からフルスロットルでしたが、神薙の軌跡ではまだまだ腐敗が始まる前の状態にしておきました。
今後彼女が腐っていく様子をお楽しみください!
エマに関しては腐らせるつもりはありませんが、腐敗の侵食に抗う姿は描くことになると思います……って、どこかで読んだことがあるような?
はい、正直申し上げましてあの方をただの用務員するか同士<G>にするか思い悩んでいます。人様の作品のキャラですし、どうしたものかと……けど、最早あの人をただの用務員として見ることが出来ない私がいます。
…………テッチーさん、よ ろ し い で す か ?
◆鉄血宰相の次回予告コーナー◆
賑やかな時間は瞬く間に過ぎ去り、世界は黄昏に包まれる。
集う若者達。
そこには僅かながらの変化が孕む。
ある者は戸惑い、ある者は座して猛省を強いられる。
欠片達は歪ながらも身を寄せ、1つの形を紡ぎ出す。
それこそが……掛け替えのないものだと、彼らはまだ知らない。
次回、神薙の軌跡『夕暮れに集う』!
次回も貴方の心を――オーバーライズゥッ!!
◆
いつまで続くんだ自由行動日。
はい、次回で自由行動日は終了致します。
最近ペースが落ち気味なので、ここいらで気合を入れなおさないと……
次回も楽しみにして頂けるなら幸いです。