神薙の軌跡   作:檜山アキラ

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 気付けば、俺は深い霧の中にいた。
 ここがどこで、今がいつなのかも分からない。
 あるのは全身を包み込む浮遊感と心に影を差す寂寥感のみだった。
 暫くの間、果てなく続く霧の中を漂っていたが、ふとした瞬間、少しだけではあるが霧が薄らいだ。
 真っ白に染まっていた視界に色が宿った。それもまた白を基調とした光景だったが、薄紫や碧といった色合いが落ち着いた気品を感じさせた。
 ここは……どこかの部屋、か?
 徐々に鮮明になっていく視界が部屋内の様子を認識していく。
 清潔感が保たれた寝具や調度品など、そのどれもが一級品であると感じられる。そのことから推測してどこかの貴族の館の一室なのではないかと推測出来た。
 依然として霧が残った視界と浮遊感。この段階で、これが夢であると理解出来たが、それならそれで別の疑問が浮かび上がってくる。
 俺は、ここを知らない。
 見たこともない光景を、夢に見ることがあるのだろうか?
 それともこれは、俺の失われた記憶……?
 そんなことを考えていると、突如、視界が明滅し始めた。
 これは!?
 訳も分からず、抗う術もなく、明滅が収まるのをただ待ち続けていた。
 それは一瞬だったのか、あるいは何時間にも及んだのか判然としなかったが、明滅が収まった頃には次の変化が訪れていた。
 場所は先程と同じ部屋だと思うが、目の前。突然、ベッドに腰掛けた少女が現れた。
 彼女に見覚えがあった。
 今の彼女より幼く、髪も少し短かったが、間違いない。
 エミナ・ローレッジ。
 トールズ士官学院1年Ⅶ組。先月末の入学式で出会ったクラスメイト。
 その彼女がこちらを凄まじい剣幕でこちらを仰ぎ見ている。澄み切った翡翠の双眸には涙を浮かべている。
 何故?
 疑問を浮かべても答えはどこにもなかった。
 少しでも状況を把握するため、周囲を窺おうとしたが、視界は正面に座るエミナを見下ろしているまま動こうとしなかった。
『――ねぇ、どうし――さんが――属な――』
 不意にエミナが口を開いたかと思うと、不鮮明な声が聞こえてきた。大半がよく聞き取れなかったが、何かに対して憤りや悲しみ、その他にも様々な感情がごちゃ混ぜになったかのような声だと思った。
『諦め――ようや――まだお前の――が――属だと――ない』
 すると今度は俺が喋っているかのような感覚に見舞われる。
 しかし、その声は俺のものではないし、そもそも俺の意思に関係なく言葉が喉を震わせていた。
 この声……まさか、レイルか?
 いつも聞きなれたものよりも少し低いが、きっと間違いないだろう。
 ……じゃあ、これは、この夢と思っていたものは、レイルの記憶?
 1つの推論に辿り着いたとき、目の前で感情を露にしていたエミナが立ち上がり、こちらへと詰め寄ってくる。
 そして、怒りを通り越し、憎しみすら感じさせる声を浴びせてきた。
『――私に、お父さんを殺せって言うの!!?』



第1章 新学期~初めての実習~
私のしたいこと


<4月17日 近郊都市トリスタ>

 

「そういや、2人はクラブ決めたの?」

お昼休み。学生会館内の食堂で昼食をとっていたリューネは、ふとエミナからそう尋ねられた。

「まだ決めてないけど、良さそうな所は見つけた」

 同席していたフィーが少しだけ口角を上げてVサインを示す。

「そんなこと言って、昼寝しやすそうとかじゃないでしょうね」

「エミナ失礼」

 エミナの疑いの目を受けてフィーが不満そうに頬を膨らませていた。

 だが、普段からフィーはよく昼寝をしているので、エミナの疑いも無理からぬものだった。

「で、リューネはどうなの?」

「え……」

 半月前のことを思い返していて上の空だったリューネは、エミナの呼び掛けによって現実に呼び戻された。

「私は、まだ何も」

 一応、Ⅶ組の女子で時間が合ったメンバーとは放課後を利用してクラブ見学をしていたのだが、リューネにはどれもがピンとこなかったのである。

「どういうのが良いのかなぁ……お姉ちゃんはどう思う?」

「そうねぇ……」

 すると、エミナが腕を組んで唸りだした。1分近く唸った挙句、返ってきた答えは、

「こういうことは、リューネの気持ちが大事だしね。リューネがやってみたいことをするべきだと思うわ」

 というものだった。

「……私が、やってみたいこと」

 そう言われてもリューネはより困惑してしまう。

 思い返してみると、今まで自分は『したい』だとか『してほしい』ということから縁遠かった。

 ――全くなかったというわけではないけど……

 前者は『思い出を作りたい』と『レイルとエミナと一緒にいたい』の2つで、後者は1つ。『私を

「まぁ、そこまで深く考えなくても。少しでも興味が湧いたものにチャレンジすれば良いんじゃない?」

 思考の海に埋もれていた意識がエミナの声によって引き上げられる。どうやら、クラブ選びのことで深く悩んでいるように思われたらしく、その凝り固まった様子を解きほぐすためにエミナが軽い口調で言ってきた。

 それに乗じてフィーも「ファイト」と応援の言葉を送ってきてくれている。

 本当のところは別のことを考えていたのだが、わざわざ弁解して話をややこしくするものどうかと思い、曖昧に頷いておくことにする。

「お姉ちゃんの方はどうなの? この間一緒に見て回ったときには凄く悩んでいたみたいだけど」

「そうなのよね~。一応、2つに絞れてはいるんだけど」

「へぇ、どことどこ?」

 フィーが尋ねると、エミナが苦笑しながら答えてくれた。

「うん……調理部か技術部なんだけど」

 

 

「――お疲れ様。今日の授業も一通り終わりね」

 リューネにとって午後の授業は瞬く間に過ぎ去り、気が付けば放課後、終業のHRが始まっていた。

 サラからは明日が自由行動日なるもので、その日の過ごし方について連絡がなされていた。自身の過ごし方を一例として挙げたときにはクラス中が微妙な雰囲気に包まれていた。その後は、クラス委員長のエマや副委員長のマキアスが何点か質問していた。

「えっと、学院の各施設などは開放されるのでしょうか?」

「図書館の自習スペースが使えるとありがたいんですが……」

「ええ、そのあたりは一通り使えるから安心なさい。それとクラブ活動も自由行動日にやってることが多いからそちらの方で聞いてみると良いわね」

「…………」

 クラブ活動。

 今まさにリューネの頭を悩ませている話題が挙がってきた。そこで、昼間の会話のことを思い出す。

 エミナがどちらにしようかと悩んでいる2つのクラブ。調理部と技術部。全く別系統のクラブだが、エミナには明確な目的意識があって決めかねているとのことだった。

 料理のスキルの上達のために調理部を選ぶか、幼い頃から導力器弄りに縁があったり今の彼女の得物である導力銃を自分でカスタマイズ出来るように技術部を選ぶか、そのどちらかで悩んでいると、エミナは語った。

 どちらにしても、はっきりとした目的がある。

 けど、リューネにはそれがない。だからどうすれば良いのかが分からないでした。

 原因は、自分でも分かっている。

 ――依存、してるから。

 レイル達と出会う前は言わずもがなだが、その後にしてもリューネは彼等に付いていくことに執着していた。

 レイル達がいれば大丈夫。いつしかその思いが自分の中で当たり前になっていた。

 けど、折角手にすることが出来た自分の人生。彼等に依存しっぱなしで良いわけがないと、今更になって思い知らされる。

「――それと来週なんだけど、水曜日に実技テストがあるから」

 質問に答えていたサラが、忘れていたと言わんばかりにそう言い出した。

「実技テスト……」

「それは一体どういう……?」

 リューネも入学して今まで聞いたことのない話にクラス中がざわつくが、レイルとエミナは動じていなかった。

「ま、ちょっとした戦闘訓練の一環ってところね。一応、評価対象のテストだから体調には気を付けておきなさい。なまらない程度に身体を鍛えておくのも良いかもね」

「……フン、面白い」

「ううっ……何かイヤな予感がするなぁ」

「……ふぁぁ…………」

 サラの言葉を聞いて口々に感想を漏らしているが、フィーだけは眠たげに欠伸をかみ殺していた。

「そして――その実技テストの後なんだけど。改めてⅦ組ならではの重要なカリキュラムを説明するわ」

 Ⅶ組だけのカリキュラム。

 これについてはリューネも事前にレイル達から聞かされている。

 Ⅶ組が設立された主な目的の1つ。それがついに始まろうとしていたのだ。

「ま、そういう意味でも明日の自由行動日は有意義に過ごすことをお勧めするわ。――HRは以上。副委員長、挨拶して」

「は、はい。起立――礼」

 サラに促されてマキアスが号令する。その後、何人かが教室を後にする中、リューネはレイル達に明日のことを相談しようと声を掛けようとした。

 ――あ……

 そこで自分の行動に気が付く。

 つい先程、彼等に依存していてはいけないと考えていたはずなのに、こうしてまた3人に頼ろうとしていた。

 ――駄目だなぁ、私……

 などと自己嫌悪に囚われていると、教室を出ていこうとしたサラが振り返り、レイルとエミナを呼びつけた。

「ちょっと話したいことがあるから、付いてきて」

 と、2人の返事も聞かずにサラは先に行ってしまったが、どちらも不満そうな感じもなく、リューネに一声掛けてから彼女の後を追う。

「じゃあ、ちょっと行ってくるな」

「また後でね」

 図らずしも、今だけとはいえ2人に頼ろうとする状況から脱することが出来た。

 ――後はフィーちゃんだけど……

 そう思いフィーの姿を探すと、いつの間にか来ていた白い制服の女性と何やら話し込んでいた。相手の女生徒の佇まいはとても大人びていて、おそらく2年生なのだろう。

「ごめん、リューネ。ちょっと行くところあるから……」

「うん。気にしないで、行ってきてね」

 上級生の女性といくらか話した後、フィーが来てその旨を伝えてくる。

特に約束があったわけではないけど、入学から今日に至るまで、行動を共にしてきたこともあってか、フィーが珍しく申し訳なさそうにする。

 そんなフィーを気遣い、リューネは努めて明るく振る舞う。

 後ろ髪を引かれながらも、フィーが上級生と一緒にどこかへ向かった。

 これで、1人になれたわけだが、今までが今までであったため、不安を拭い去ることは出来なかった。

 ――って、こんなことじゃ駄目だよね……

 気持ちを奮い立たせ1人で校内見て回ろうかと思ったが、教室にまだ残っているメンバーが会話に興じているのに気が付いた。

 リィンにエリオット、それにガイウスだった。

 3人は実技テストのことで話しこんでいるようだった。

「実技テストかぁ……ちょっと憂鬱だなぁ。魔導杖もまだちゃんと使いこなせてないし」

「そんなに心配なら一緒に稽古でもしておくか? 修練場もあるみたいだし、良かったら付き合うぞ」

「あ、うん……ありがたいんだけど、実はこの後、クラブの方に顔を出そうと思ってるんだ」

 話がクラブのことに変わった。参考までに彼らの話を聞いてみたいと思ったリューネはタイミングを見計らい、話に加わった。

「エリオットさんは、もう決めたんですか?」

「あ、リューネ。うん……吹奏楽部だよ。と言っても担当するのはバイオリンになりそうだけど」

 リューネの飛び入りに特に抵抗を見せることなく、エリオットははにかんでみせてくれた。それが非常に嬉しく感じられたが、それを表に出すと折角の話の腰が折れてしまうので、話の続きを促すことにした。

「バイオリン、弾けるんですね……以前から音楽を?」

「うん。趣味の範囲でだけど、どうせならもっと腕を磨きたいと思ってね」

 と言うエリオットはどこか照れくさそうな感じだった。

「ガイウスさんはどの部に入るか決めましたか?」

「ああ、オレは美術部という所に入ろうかと思っている」

「美術部……ちょっと意外だな」

「ガイウス、絵とか描くんだ?」

 リィンやエリオットと同じく、リューネも少なからず驚きを覚えた。失礼とは思いながらも、どうしてもガイウスと美術というものが結びつかなかったのだ。

「故郷にいた頃、たまに趣味で描いていた。ほぼ我流だから、きちんとした技術を習えるのはありがたいと思ってな」

「そうでしたか……」

「ちょっと見たい気がするな」

「だね。機会があれば見せて欲しいな」

「ああ。楽しみにしていてくれ」

 ガイウスが快く承諾している。彼としても自分の作品を誰かに見てもらいたいと思っているのだろう。

 ――凄いなぁ……

 エリオットやガイウスも目的を持って、自分のやりたいことをやろうとしている。その姿がリューネにはとても眩しく見えてしまった。

「ところで、リューネはもうどこか決めたのか?」

「私、ですか?」

 突然リィンから話を向けられ、リューネは内心焦ってしまった。

 エリオットやガイウスがきちんと決めている一方で、候補ですら決まっていない自分に言いようのない後ろめたさを感じたからだ。

 だが、次のリィンの一言は、リューネが予想していたものとは全く異なっていた。

「実は、俺はまだ全然決まってなくてさ。良かったら参考までに訊かせてもらえないか?」

「あ……」

 まさか自分と同じように悩んでいる人がこんなにも近くにいるとは思ってもいなかった。それゆえに、間抜けな声を漏らしてしまったが、気を取り直して自分も正直に告白した。

「その、私もまだ決めてないんです」

「そうなのか? じゃあ、この後一緒に校内を見て回らないか?」

「良いんですか?」

 と聞き返したものの、1人を不安に感じていたリューネにとって、それは願ってもない申し出だった。

 リィンも同じ悩みを共有できる者がいて、気が楽になったようである。ならば断る意味はないと判断し、リューネは首を縦に振った。

「良かった、まだ残ってたわね」

「サラ教官?」

 話が纏まったところで、サラが教室に戻ってきた。少し困ったような表情をしていたので、どうしたのかと尋ねてみると、

「いや~、実は誰かに頼みたいことがあったのよ。この学院の生徒会で君達Ⅶ組に関わる物を受け取って欲しい物があってね」

 ということだった。そういうことなら、先程声を掛けたレイルとエミナに頼めば良かったのではと疑問に思うと、それを感じ取ったのかサラが肩を竦めてみせた。

「あの2人は用があるみたいでね。他に暇を持て余している子達がいないか探しに来たってわけ。そうねぇ……リィンとリューネ、暇してない?」

 名を呼ばれたリューネは、もう1人のリィンを窺う。

 すると彼もリューネを見て頷いき、サラへと向き直る。

「――ええ、大丈夫ですよ。生徒会という所にこの後、行けば良いんですね?」

「え、でも……」

「良いのか?」

「ああ、2人はこれからクラブの方に行くんだろう?」

「私とリィンさんはまだ決めていませんし、見学ついでに受け取ってきます」

「そっか……じゃあ、お願いしようかな」

「よろしく頼む」

「決まったようね。生徒会室は、学生会館の2階にあるわ。遅くまで開いてるはずだから――それじゃあヨロシクね❤」

「? ええ……」

 リューネはサラの笑顔に予感めいたものを感じたが、それが何なのか分からずリィンと共に首を傾げるばかりだった。

 

 

 サラ曰くクラブ活動は自由行動日に実施されていることが多いとのことだったが、放課後である今でも多くのクラブが執り行われていた。

 しかもその大半が新入部員確保のための勧誘を熱心に行っていた。

 Ⅶ組メンバーを見かけたのは、ラクロス部・水泳部・吹奏楽部・美術部の4つだ。

 ラクロス部ではアリサとエマが見学しており、水泳部ではラウラがいたが、彼女は既に入部を決めていたようだった。残る2つは先程エリオットとガイウスが言っていたクラブで、2人共既に活動に参加しているようだった。

 他にもフェンシング部や馬術部、調理部なども回ってみたが、やはりリューネにはぴんとこない感じであり、それはリィンもまた同じ様であった。

「……そろそろ生徒会室に向かおうか」

「そうですね」

 一通り見て回ったことで日もだいぶ傾いてきていた。サラも遅くまで開いているとは言っていたが、あまり遅くに窺うのも失礼だろうし、2人は生徒会室へと向かうことにした。

 学生会館は敷地内の東側に位置する。本校舎のよって出来た影の中を進み、目的の場所まで辿り着く。

「生徒会室は、確か2階にあるって言ってましたよね」

「ああ。早速入ってみよう」

 と、リィンが学生会館の扉を開こうとした瞬間。

「よ、後輩君たち」

 突如、背後から声を掛けられた。

「えっと……?」

 振り返ると、ピアスにバンダナといった装飾品を見に付け、濃緑色の制服を着崩した男子生徒が近付いてくるところだった。

「お勤めゴクローさん。入学して半月になるが調子の方はどうよ?」

 何故声を掛けられたのか分からないリューネ達は面食らうばかりだが、その様子を気にした風もなくバンダナ姿の青年は軽い調子で続けてくる。

 話し振りからして恐らく先輩のようであったので、2人はなるべく失礼のないように努めるようにした。

「――ええ。正直大変ですけど、今は何とかやっている状況です」

「今はまだ大丈夫ですけど、授業なども本格化したら目が回りそうな気がしますね」

 すると、バンダナ姿の青年は妙に嬉しそうに笑みを溢して、うんうんと何度も首を縦に振っていた。

「特にお前さん達は色々てんこ盛りだろうからなー。ま、せいぜい肩の力を抜くんだな」

「は、はあ……」

「……分かりました」

 そこで会話が一区切りしたので、このタイミングを逃さずリィンが彼に尋ねた。

「えっと、先輩ですよね。名前を窺っても構いませんか?」

 しかし、先輩だろう彼はそう焦るなと言って、リィンを制した。

「代わりといっちゃなんだが、まずはお近付きの印に面白い手品を見せてやるよ」

『手品……?』

 リューネとリィンが顔を見合わせていると彼はポケットを弄りだした。が、目的の物が見当たらなかったので、苦笑しながらこう頼んできた。

「ちょいと50ミラコインを貸してくれねえか?」

 先輩に要求を不振そうにしていたが、リィンが財布から50ミラコインを取り出して先輩に渡した。

 満面の笑みでそれを受け取った先輩は、肩に担いでいたバッグを地面に下ろし、居住まいを正した。

「そんじゃあ――よーく見とけよ」

 すると、コインを親指で弾き上げる。リューネとリィンは自然とその行く先を視線で追った。回転しながら宙を舞うコイン。上昇する力が失われ、中空で一瞬の停滞を経て、地面目掛けて落ちてくる。

 先輩は腕を交差させた瞬間にそれを掴み取ったようで、握り拳のまま両手を突き出してくる。

「――さて問題。右手と左手。どっちにコインがある?」

「それは――右手、ですよね」

「私もそう思います」

 それなりに動体視力には自信のあるリューネからすれば、彼は間違いなく右手でコインを掴んだはずである。そして、リィンも同じく右手を示したので間違いではないだろうと思った。だが、先輩は口角を吊り上げて、してやったりといった表情を浮かべる。

「残念、ハズレだ」

 開かれた右手には何も握られていなかった。

 ――そんな……

 結構自信があったのだが、事実として先輩の右手にはコインが握られていなかった。ということは、コインは左手の中ということになる。

「って、あれ? 手品っていうことは――」

 リィンが何かに気付いたようで、その疑念を口にしようとすると、先輩が早々に“手品”の結末を教えてくれた。

「え」

「そんな!?」

 開かれた左手にも何も握られていなかった。

 その結果にリューネとリィンは目を剥いて、先輩の手のひらを凝視した。それで50ミラコインがひょっこり出てくるわけではなかったが、あまりの出来事に思考が追いついていなかった。

「フフン、まあその調子で精進しろってことだ。せいぜいサラのしごきにも踏ん張って耐えて行くんだな。あと、生徒会室は2階の通路奥の部屋だぜ――そんじゃ、よい週末を」

 彼は下ろした荷物を再び肩に提げ、後ろ手に手を振って去っていた。

 2人は呆然とその後姿を見送るだけだったが、彼の姿が見えなくなったところでリィンがふと呟いた。

「あ、50ミラ……」

 言われてみればリィンが差し出した50ミラは返してもらうことなく、先輩は去っていってしまった。

「……一本、取られちゃいましたね」

「ああ、完全にな。それに俺達が生徒会室に行くことも何故か知っていたみたいだし」

 2年生もクセモノ揃いみたいだ、と締めくくりリィンが肩を落とした。

 

 

 リィンはリューネと共に生徒会室を訪れていた。

 生徒会室と表札を掲げられた入り口前で中の様子を窺うと、人の気配を感じられたので、控え目にノックをする。

 すると朗らかな女子の声が聞こえてきた。

「はいはーい。鍵は掛かってないからそのままどーぞ」

 その声は聞き覚えがあった。

 ――確か、入学式の日に正門で出迎えてくれた……

 リューネを窺うと、彼女もやはり聞き覚えがあったらしく、目をぱちくりとさせながらこちらを振り仰いでいた。

 しかし、いつまでも呆けているわけにもいかず、気を取り直して扉を開くことにした。

「――はい、失礼します」

 部屋の中にはやはりというか、予想通りの人物がいた。

 少し癖のある長髪を青いリボンでまとめた小柄で幼い顔立ちの女子生徒。

 間違いなく入学式に出会った人物であった。

「2週間ぶりだね。生徒会室へようこそ。リィン・シュバルツァー君、リューネ・クラウザーさん。――サラ教官の用事で来たんでしょ?」

「え、ええ。そうですが……生徒会の方だったんですね」

 そう言ってリィンは目の前の女子生徒を窺う。あまりじろじろ見ていては失礼なので、気付かれないようにこっそりと、ではあるが。

 ――飛び級なのか……? 改めてみるとリューネやフィーと同じか、下手をするとそれよりも年下に見えるんだが……

「えへへ、生徒会長を務めている2年のトワ・ハーシェルです。改めてよろしくね、リィン君、リューネちゃん」

 これ以上にないという程の笑顔で名乗る彼女の言葉がリィンの鼓膜を振るわせた。しかし、その意味を理解するのに数瞬を要した。そして、リューネと共に驚きの声を上げた。

『せ、生徒会長っ!?』

 予想もしていなかった役職名に度肝を抜かれてしまった。

 しかし、当の本人は何故リィン達が驚いているのか分からないといった様子だった。

「うん、そうだけど? これから、君達新入生に関わることも覆いと思うんだ。困っていることや相談したいことがあったら是非生徒会まで来てね? いっしょうけんめいサポートさせてもらうからっ」

「は、はい……」

「その、よろしくお願いします」

 未だ理解が追いついておらず、恐らく同じ状態であろうリューネと顔を見合わせる。

 しかし、それで目の前の現実がどうこうなるわけではないので、事実として受け入れて話を進めることにした。

「……コホン。それでサラ教官の用事ですが。自分達Ⅶ組に関する何かを預かってもらっているとか?」

「あ、うんうん。これなんだけど……はい、どうぞ。上からリィン君とリューネちゃんのだよ」

「これは……学生手帳、ですか?」

「そういえばまだ貰っていませんでしたよね」

 聞けば、Ⅶ組のカリキュラムや支給された戦術オーブメントが通常とは異なるため別発注となり、その編集作業の遅れから届くのが遅くなったとのことだった。

「そうだったんですか……って、そもそも、それって生徒会の仕事なんですか? 明らかに教官が手配するべき仕事のような気が……」

 そう疑問を抱いても、トワ自身は特に苦にした様子もなく、

「うーん、サラ教官もいっつも忙しそうだし……他の教官の仕事を手伝うことも多いから、今更って感じかなぁ?」

 と、あっけらかんと言ってのけるのだった。

 ――良い人だ……途方もなく。

 その人の良さに付け込んで仕事を押し付けたであろう担当教官に代わり、リィンは内心で目の前の女性に謝罪しておいた。

「――えっと、それでは他の手帳をⅦ組の皆に渡しておけば良いんですね?」

「うん、よろしくねー。それにしても、リィン君達も1年なのに感心しちゃうな」

「……?」

「えっと、何がでしょうか?」

 トワが何を言っているのか分からず、首を傾げてしまう。

 リューネも不思議そうにしており、その言葉の意味を問うていた。

「えへへ、サラ教官からバッチリ事情は聞いてるから。何でも生徒会のお仕事を手伝ってくれるんでしょ? うんうん。流石、新生Ⅶ組だねっ」

 ますます話が見えなくなってきた。しかし、トワはこちらの疑念に気付くことなく話を続けていく。

「生徒会で処理しきれないお仕事を手伝ってくれるんでしょう? 特科クラスの名に相応しい生徒として自らを高めようって――皆張り切っているから生徒会の仕事を回してあげてってサラ教官に頼まれたんだけど」

『……………………』

 そこまで言われて、先程抱いたサラ教官への違和感を思い出していた。

『――それじゃあヨロシクね❤』

――あの“❤”はこれか……

自分達の担当教官はあろうことか生徒を労働力として無償提供したらしい。しかも当人達の承諾など一切なしで。

 流石にそれはと呆れ返っていると、ようやくこちらの様子に気付いたようで、トワが心配そうに慌てだした。

「ひょ、ひょっとしてわたし、何か勘違いしちゃってた……? 入学したばかりの子達に無理難題を押し付けようとしてたとかっ……!?」

「そ、それは……」

 目尻に光る雫を溜めながら、こちらを見上げるトワ。その様子に、リィンはどうしても否定の言葉を吐くことが出来なかった。

 それに、ある意味ではこれは良い機会なのかもしれないと感じられた。ただこの場には自分以外にもリューネがいるので彼女の意志も確認しておいた方が良いだろう。

「……すみません、ちょっと待ってもらって良いでしょうか?」

「リィンさん?」

 トワに断りを入れ、リューネを部屋の隅へと連れて行く。そして、トワには聞こえないよう小声で囁きかけてくる。

「俺は、この話に乗っても良いと思うんだが、リューネはどうする?」

「私は……」

 やはりと言うか、目の前の少女は突然の話にどうするかを決めかねていた。それでも逡巡の後には、彼女なりの答えを口にしていた。

「その……正直、どのクラブもしっくり来ませんでしたし……だったらいっそのこと、生徒会のお手伝いをさせて頂きながらやりたいことを見つければ良いのかなぁ、なんて」

 言葉が徐々に尻すぼみになっていたが、2人の意見は一致した。そうと決まれば、早速トワへと返事を送る。

「お待たせしました。――その、サラ教官の話通りです。随分お忙しそうですし、遠慮なく仕事を回して下さい」

「そ、そっかぁ……ビックリしちゃった。えへへ、でも安心して。あまり大変な仕事は回さないから。えっとね、大抵のものは士官学院や町の人達からの依頼になると思うんだ」

「依頼……ですか?」

「うん、生徒会に寄せられた色々な意見や要望ってところかな。今日中にまとめて、朝までに寮の郵便受けに入れておくから。とりあえずリィン君のポストに入れても良いかな?」

 特に異論はなかったので、2人はトワへと頷き返した。

 

 

 学生会館を出た頃には日はすっかり暮れていた。

 あの後、リューネとリィンはトワから夕食をご馳走になり、その際に生徒会を始めとする学院やトリスタの話を聞かせてもらっていた。

 事前に今日の夕食担当であるエミナに連絡しておいたので、ある程度遅くなっても大丈夫だろうが、それでもあまり心配を掛けさせたくなかったので、そろそろ寮に戻ることにした。

 ――そういえば……

 エミナに連絡した際、彼女の声音が妙に嬉しそうな、けどどこか寂しそうな感じだったのが気になったが、今は気にしても仕方がないので、頭の片隅にその疑問を追いやった。

「クラブ決めで悩んでいたのに、予想外の流れになっちゃいましたね」

「そうだな」

 とリィンが苦笑したところで、彼のARCUSから耳に良く響く高音が鳴り響いた。

 どうやら誰かから彼のARCUSに通信を飛ばしてきたようである。

「えっと……リィン・シュバルツァーです」

 すかさず通信回線を開きリィンが名乗ると、相手からの声が聞こえてきたようである。そして徐々に眉間に皴を寄せていく。

「……その愛しの教え子をだまし討ちしてくれましたね。どういうつもりなんですか?」

 どうやら相手はサラのようであった。その後幾度か会話を交わしていると、リィンがARCUSの盤面を操作し始めた。すると、今まで聞こえなかったサラの声がこちらにも聞こえるようになった。

『リューネも聞こえるかしら?』

「あ、はい。しっかりと聞こえます」

 通信の副次機能としてのスピーカーモード、というものらしい。これを起動させることで受話口から聞こえる相手からの音声を大きくすると共に、通話口の集音範囲を拡げられる、とのことだった。

『――で、今回のことだけど。詳しくは言えないけど来週伝えるカリキュラムにもちょっと関係してるのよ。誰かにそのリハーサルをやってもらおうと思ってね。生徒会が忙しすぎるのも確かだし、一石二鳥の采配だと思わない?』

「生徒会の仕事を増やしているのは教官達な気もするんですが…………まぁ、趣旨は判りました。明日の自由行動日に生徒会の手伝いをすれば良いんですね?」

『あくまで君達の判断に任せるわ。特定のクラブに入るつもりなら無理にとは言わないわよ?』

 サラはそう言うが、2人してどのクラブにもピンと来ていないのが現状なので、断る理由は特になかった。

 しかし、リィンにはまだ思うところがあったようで、それをサラへと突き付けた。

「――1つだけ訊かせてください。どうして俺達なんですか?」

『……………………』

 サラは黙ったままリィンの言葉を聞いていた。

「クラス委員長はエマだし、副委員長はマキアスですよね? 身分で言うなら、ユーシスやラウラのような真っ当な貴族出身者までいる――なのに何故、俺達なんですか?」

『ふふっ……まずはリィン。それは君が、あのクラスの“重心”とでも言えるからよ』

「え……」

『“中心”じゃないわ。あくまで“重心”よ。対立する貴族生徒と平民生徒。留学生までいるこの状況において君の存在はある意味“特別”だわ。それは否定しないわよね?』

「それは……」

「……?」

 リィンが押し黙ってしまう。

 何故彼が“特別”なのか理解出来ないリューネは首を傾げるばかりだった。

 そんな2人を気にすることなく、サラの言葉は続いていく。

『そしてあたしは、その“重心”にまずは働きかけることにした。Ⅶ組という初めての試みが今後どうなるかを見極めるために。それが君を選んだ理由よ』

「それでは、私は?」

 リィンが選ばれた理由は何となくだが理解出来たが、自分が選ばれた理由は何なのかはさっぱりだった。

『リューネの場合はもっと単純な話よ。――もっと広い“世界”を知ってほしい、ってのが理由よ』

「…………あ」

 そう言われ、状況が何となくだが理解することが出来た。

 ――お兄ちゃん達だ。

 きっと2人――いや、きっとフィーもがリューネのことを思って、サラに進言したのだろう。

『言っておくけど、別にあの子達に頼まれたからじゃないわよ? リューネの話を聞いたあたし自身がそう願っただけ。そこは勘違いしないように』

 しかしサラが告げた言葉はリューネの想像とは異なるものだった。

 ――どうして?

 というのが正直な思いだった。

 出会ってまだ半月しか経っていない自分に、何故彼女はこうまで気に掛けてくれるのか?

 いや。

 本当は分かっているはずだ。

 これこそが人の“優しさ”なのだと。

 それはあの場所で、あの人達を通して感じていたものと同じだ。

 全ての人がそうであるというわけではない。けど、だからといって“これ”が彼女らに限った“特別”でないことをリューネはもう知っていた。

 自分に向けられる無償の“優しさ”を感じ、リューネの胸に暖かい何かがこみ上げてきた。

「サラ教官……」

『うぐっ、うぐっ――っぷはー!』

 だがそれも、導力波に乗せられて届いた声により、一瞬で冷え切ってしまった。

「……サラ教官。何を飲んでいるんですか?」

 折角の感動が台無しにされ、幾分声音を低くしてサラへと問い掛ける。

『ビールよ、ビール。週末なのに部屋で寂しく1人酒に決まってるじゃないの。まったくもう、ダンディで素敵なオジサマの知り合いでもいたら一緒に飲みに行ってるんだけど』

「あのですね……」

 良い話だと感じていたのに締まらないことこの上なかった。リィンもリィンで苦笑しながら明後日の方向へと視線を泳がせている。

『――ま、あんまり深く考えずにやってみたら? 2人共“何か”を見つけようと少し焦ってるみたいだけど……それだと、見つけられるものも見落としちゃうわよ?』

『!?』

 内心感じていた焦りを言い当てられ、リューネだけでなくリィンも驚いた表情を浮かべる。

『ふふっ、あくまで自分のペースでね。そうすれば自分の“立ち位置”も見えてくるでしょうし』

 後は寮の門限に遅れないように、と付け加えて通信は終了した。

「サラ教官にはお見通しだったみたいですね」

「だな。適当に見えて、しっかり俺達のこと見てくれているんだな」

 これで普段からしっかりしていればとても魅力的な女性なのに、と冗談交じり話しながら、2人は帰路に着いた。

「ふふ……自分のペースで、かぁ」

 先程のサラの言葉を復唱する。少し前を歩いていたリィンがどうかしたのかと尋ねてくるが、リューネは適当に笑って誤魔化した。

「何でもありません。さあ、早く帰らないとお兄ちゃん達が心配してると思います」

「あ、ああ。そうだな」

 リィンの背中を押して、寮への道を急ぐ。

 けど、リューネの心はとても落ち着いたものだった。

 ――焦る必要はない。

 自分のペースで、したいことを見つけていこう。

 




お久しぶりです、檜山アキラです。
ようやく閃Ⅱをクリア出来たので、こうして連載再会させて頂く事になりました。
しかし、ファルコムさんは今回もやってくれましたね。
まだ未プレイ・未クリアの方もいらっしゃるでしょうし、詳しいことは書かないように気を付けないとですね。

さて、ようやく第1章に突入し、自由行動日の前日からスタートとなりました。今回はしたいことを見つけようとするリューネのお話です。彼女はリィンと共に生徒会のお手伝いをしていくことになりましたが、果たして彼女は自分のしたいことを見つけられるのでしょうか?

次回と次々回はそれぞれエミナとレイルに焦点を絞って初の自由行動日を描いていこうと思います。



トールズ士官学院1年Ⅶ組副委員長、マキアス・レーグニッツ。
彼は日々頭を悩ませていた。
傲岸不遜でことあるごとに見下すような喋り方、思い出すだけで怒りがこみ上げてくるアイツ。
毎日のように奴と顔を合わさざるを得ないこの状況を作り出したのは、女神の采配か悪魔の悪戯か……
いずれ胃に穴が開くのではないかと、今日も胃薬が手放せない。
そんな彼に、奴と親しげにしている女性から声が掛かる。
それは救いの手か、あるいは絶望の告げるものなのか……今の彼には、まだ、分からない。
次回、神薙の軌跡『副委員長の悩み』!
次回も貴方の心を、オーバーライズッ!!



1度こういうのやってみたかったんです。後悔も反省もしておりません。次のサブタイトルもあくまで仮です。はい。
あ、ちなみにナレーションは宰相閣下です。

なにはともあれ、次回もお楽しみにして頂ければ幸いです。

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