神薙の軌跡   作:檜山アキラ

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お待たせしました! え、待ってない?
そうは言わずに今年もどうかよろしくお願いいたします。

神薙の軌跡、更新再開でございます。


夕暮れに集う

<4月18日 近郊都市トリスタ>

 

「なんだか凄いことになっちゃったね」

「そうだな」

 エリオットが苦笑を漏らすと、ガイウスが相槌を打った。

 それにつられて、リィンは先程経験した事態を思い返していた。

 旧校舎地下。半月程前にも特別オリエンテーリングで訪れたそこで起こった異変――それは、内装が変わった、などというレベルを遥かに超えるものだった。

 ――内部構造が、明らかに変わっていた。

 石の魔獣と戦った広間はその大きさが半減していたし、散々探索した迷宮部も内部構造が全くの別物へと変じていた。

 最早人智を超えた事態と呼べる状況を前に、リィン達は愕然とした思いを抱かざるを得なかった。

「けど、腕試しにはちょうど良い感じだったし、大きな問題がないようなら今後も調査を続けようと思うんだが」

 学院長からは調査の継続に関してはこちらの裁量に任せると言われ、サラの方でも調査を行うと言っていたので、無理にリィン達が調査を続ける義務はなかった。

 それでも乗りかかった船でもあったし、何より旧校舎の謎が気掛かりということもあり、リィンは3人へと自らの意思を表明した。

「ああ。その時には声を掛けてくれ。協力させてもらおう」

「うぅ……ちょっと怖いけど、これも訓練だと思って僕も協力するよ」

「そう、ですね……」

 ガイウスとエリオットがそれぞれ同意を示してくれる中、リューネだけはどこか上の空、といった返事があるだけだった。

「どうかしたのか?」

「あ、いえ……何でもないですよ」

 迷宮部の奥で遭遇した魔獣との戦いでけがをしたのかと思ったが、どうやらそういうことではないらしい。

「ふむ。疲れが出たのかもしれないな」

「無理しちゃ駄目だよ?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 ガイウスとエリオットから心配されると、リューネが微笑みを浮かべて礼を述べていた。

 その後、部活動に戻るエリオットとガイウスを見送ると、リィンは隣を歩くリューネの様子を窺った。

 彼女の表情は何かを考え込んでいる、といった感じだった。それが妙に気になったリィンは、単刀直入に疑問を投げかけた。

「旧校舎のことで、何か気掛かりでもあるのか?」

「えっと……」

 問われたリューネが視線を泳がせている。だが、少しすると、しっかりとリィンの目を見据えて、返事を送ってきた。

「はい……と言っても、何がどう気になるのかと訊かれると、説明が難しいんですけど」

 旧校舎からは不思議な感じがする、とリューネは溢した。

 あれだけの異変を目の当たりにした今、リィンも首を縦に振らざるを得なかった。

「確かガイウスも旧校舎に入った途端、妙な風を感じるとか言っていたな」

「そうですね。けどガイウスさんもそれが何なのかは分からなかったみたいですが」

 旧校舎には“何か”があるのは間違いなかった。

 しかし、それが“何か”なのかは、今のリィン達では答えようがなかった。

「これ以上考えても、仕方がないか。……これからどうする? さっきので今日の依頼は全部終わらせたが」

「そうですね……まだ時間もありますし、校内や町を回って何か手伝えることを探してみませんか?」

「俺はそれでも構わないが……大丈夫か?」

 朝から動き回っていたので、疲労が溜まっていないかと心配したが、リューネは先程までの様子と打って変わって輝かんばかりの笑顔で答えた。

「大丈夫ですよ! あ、リィンさんこそ大丈夫ですか?」

 正直少し疲れを感じてはいたが、年下の少女に気遣われた挙句、みっともない弱音を吐く、などリィンには考えられなかった。

 ――負けてられないな。

 つい昨日まで、一緒に部活動をどうするか悩んでいたリューネがまるで水を得た魚の如く活き活きとしている。本来の目的から逸れてはいるのだが、それでも何かを成そうと意欲的になっている彼女を見習おうという思いを強くし、リィンはリューネに力強く頷いてみせた。

 

 

 純白の花弁で街中を彩っていたライノの花。

 その花吹雪はさながら、春先に舞い踊る雪の精と比喩されるほどである。

 しかし、美しいがゆえにその栄華の期間は極めて短い。

 半月前に執り行われたトールズ士官学院での入学式。その頃はまさに満開であったライノの花も、今ではその半数以上を散らしてしまっていた。

かつては見事なまでに咲き誇っていた樹木の下。敷地内を白く染める花弁を箒で集めながら用務員のガイラーは寂寥を感じていた。

 来年になればまた拝むことが出来ると思っていても、美しいものが消え行く様には寂しさを禁じ得なかった。

 ――それだけでは、ないのだろう。

 この時期特有の感覚がガイラーの心中に寒風を吹きつける。

 新入生が学院に馴染み始めるこの時期。彼らの中に、一月前まで親しんだ者達の面影を探してしまっている。

 もう彼らはここから巣立ったのだと言い聞かせても、何度同じ経験を積み重ねようとも。

 ――慣れないものだ。

「ふぅ……」

 掃き掃除が一段落したところで、思わず溜息が漏れ出てしまう。

 それは仕事を終えた後の疲労感から来るものからなのか、心労からくるものからなのかは不明だったが、どちらにしても自分は疲れているのだという結論に至った。

 今日は早目に切り上げて、ゆっくり休むことにしよう。

 そう決めて掃除用具などを片付けていると、背後に人の気配を感じた。

 振り返るとそこには、深紅の制服を纏った男女がそこにいた。

 

 

「はぁ~…………」

 夕暮れに染まり始めたグラウンドでアリサは盛大な溜め息を漏らした。

 初の自由行動日。アリサはラクロス部に所属することにし、今日から早速活動に参加することになった。

 活動内容は士官学院ということもあり、それなりにハードな練習ではあったが、それでもぐったりと疲弊する程ではなかった。むしろ程よい疲労感があって清々しいはずであった。

 しかし、現在自身が置かれた状況のせいで、折角の充足感が台無しになっていた。

 ――あの貴族の子……

 脳裏に浮かぶのは、一緒に練習に臨んでいたフェリス・フロラルドという女生徒の姿だ。伯爵家のご令嬢とのことだったが、高飛車で練習の最中もことあるごとにアリサに突っかかってきたのである。

 それに関しては、アリサにとっては想定の範囲内だった。

貴族と平民の軋轢。帝国に根付くその問題を考えれば、彼女の態度も許容出来ずとも受け流すことは可能だった。

 だが、最後の最後でアリサは頭に来てしまった。

 今日の練習が終わり、先輩であるエミリーとテレジアから用具類の片付けを任されたのだが、フェリスは先輩達が居なくなると片付けを放り出して帰ろうとしたのだ。

 流石にアリサもカチンと来てしまい、きつい口調でフェリスを呼び止めたのだが、結果は今ここに居るのがアリサだけだということが答えである。

 ――なにが『片付けなど貴族のすることではありませんでしょう?』よ!?

 フェリスが去り際に残していったセリフを思い出してしまい、折角静まっていた怒りが再沸する。

「はぁ…………」

 そして再び溜め息が口をつく。

 捨て台詞に面食らって捕り逃してしまった以上、自分1人で片付けを済ませてしまわないといけないし、ここで怒っていても片付けが終わるわけではない。

 フェリスのことは、今は保留にし、目の前のことに集中する。

「さてと、早く終わらせましょう」

 誰とはなしに言葉が漏れ出る。

 実際、のんびりしていたらあっという間に日が暮れてしまうだろう。

「大丈夫ですか、アリサさん?」

「片付け、大変そうだな」

 ふと、背後から声を掛けられる。

 聞き覚えのある声に振り返るとそこには、それぞれの深紅の制服を小脇に抱えたリューネとリィンがいた。

「あなた達……どうして」

 確かこの2人は、生徒会の手伝いであちこち走り回っていたはずだ。その二人がどうしてここに来たのかとアリサは言外に尋ねた。

「用務員のガイラーさんに聞いてきたんだ。アリサが1人で片付けをしてるってさ」

「私達の用事はもう済みましたし、お手伝いさせてください」

 そう言う間にも2人はグラウンド脇にある芝生の上に制服を置き、シャツを腕まくりしている。

 正直、その申し出は大変ありがたいものだった。しかし、部に所属していない彼らに手伝わせるというのはしのびなかった。

「そんな、良いわよ……あなた達も疲れているでしょう?」

 どんなことをしてきたかは知らないが、見たところ2人の姿は何故か薄汚れており、手の甲などに擦り傷らしきものが見受けられた。それに気付いてしまうと、尚更手伝ってもらうわけにはいかないと、アリサは思ってしまった。

「それはそうだが……」

「だったら」

「けど、女の子が困っているのを見過ごすわけにはいかないしさ」

「なっ――!?」

 リィンの直截な物言いに、アリサは顔に血が集まってくるのを感じた。

 ――って、何を動揺してるのよ!?

 頬が真っ赤に染まっているだろうが、それは夕暮れが隠してくれていると願い、アリサは努めて平静を装った。

「そ、そう? それならお願い、しようかしら」

「任せてください!」

 鷹揚に頷くリューネの姿が、今のアリサには何よりもありがたかった。

 

 

 用務員室の施錠を確認し、ガイラーは帰路についた。

 一日の仕事を終え、身体は疲れているはずなのに、心は年甲斐もなく弾んでいた。そこには先刻まで感じていた寂寥などなく、あるのは胸を熱くするものだった。

 それはささやかな出会いがもたらしたものだ。

 深紅の制服を纏った新入生。

 今年から設立された特科クラスⅦ組に所属する2人との邂逅が、ガイラーの沈んだ心を引き上げたのだった。

 特に何かをしてもらったわけではない。

 生徒会の手伝いの一環として何かやれることはないかと尋ねられただけだ。

 会話にすれば一分にも満たない時間だっただろう。

 それでもガイラーは2人の姿に目を奪われていた。

 薄汚れた制服。所々見え隠れする傷跡。滲む汗。そして充足を得たかのような表情。

 それらを見た瞬間。ガイラーの胸中に立ち込める霧は掻き消されてしまっていた。

 懸命に何かを成そうとするその姿が眩しく、そして尊いものに感じられたからだ。

 失ったものは確かにある。けれど、新しく得たものもある。

 その初々しい輝きは、年老いてきた肉体に活力を与えてくれる。

 それに失ったものがあるからといって、失ったものの輝きまではなくなってはいない。

 ならば、悲嘆に暮れる必要などない。

 そんなこと分かっていたはずだ。

 それでも繰り返される別れの方に意識が入ってしまうのは年を取った証拠だろうか、と苦笑を浮かべる。

「おや?」

 思索に耽りながら校舎を出ると、前方に先程目にした者達の後姿を捉えた。

 先程と違うのはそこに金髪の少女の姿が加わっていることだ。

 ここからでは会話の内容は聞き取れないが、時折見える横顔は笑顔で溢れていた。

 ――ああ、そうだ。

 この時期特有の光景は、過去への哀愁だけではない。

 出会ったばかりの者達が結んでいく絆の数々。

 そんな輝かしい光景を忘れていたとはなんたることだ。

 大切なことを忘れていたと、ガイラーは反省した。

 彼らの道行きは決して楽なものではないだろう。

 仲違いすることもあるだろうし、巨大な壁にぶつかることもあるだろう。

 それでも今は、力の限りその青春を謳歌して欲しいと願う。

 そして、眼前の光景に目を細め、ガイラーはそっと呟いた。

「実にいいね」

 

 

 ラクロス部の片付けを終えた後、リィンとリューネはアリサの着替えを待ち、連れ立って学院を後にした。

 そしてこのまま寮に向かうつもりだったのだが、アリサの提案によりキルシェに向かう段取りとなっていた。まだ夕食には早いし、軽食でも摘んでいこうか、という流れである。

「でも、本当に良いのか?」

「もう、良いって言っているでしょう」

 リィンは何度目になるかも分からない確認を行っていた。

 キルシェに行くのは問題ないが、アリサの奢りに引け目を感じているのだ。それは隣を歩くリューネも同様だが、アリサは頑として譲ろうとはしなかった。

 アリサ曰く、手伝ってもらったのにお礼をしないのは流儀に反する、とのことだ。

 お礼目当てで手伝ったわけではないので、それとなく断ろうとしたのだが、それだと彼女の気が収まらないらしい。

 これ以上は反感を買うだけだと判断し、素直にアリサの厚意に甘えることにした。

「それで、あなた達は今日一日どんなことをしていたの?」

 学院とトリスタを繋ぐ坂道の中腹辺りでアリサがこちらに話題を振ってきた。

 Ⅶ組のメンバーには生徒会を手伝う旨を伝えていたので、そのことについて訊かれたのだと判断し、リィンは簡潔に今日こなした依頼について説明した。

 途中までは何故か苦笑いを浮かべていたアリサだったが、旧校舎の件になるとその表情を一変させた。

「…………構造が変化する地下迷宮、ね」

「はい。間違いなく以前の迷宮区画とは別物でした」

 アリサの呟きに、リューネが補足するように頷く。

 アリサは暫く黙考していたが、肩を落として嘆息する。

 リィン達同様に、考えても答えが出ないと結論付けたようであった。

「判断材料が少な過ぎるし、今の段階でどうこう言えないわね。……で、旧校舎の調査は今後も続けるのよね?」

「ああ、そのつもりだ」

 リィンが即答すると、アリサは意を決するかのように頷くと、リィンとリューネの前に回りこみ、2人に向き直る。

「だったら、今度からは私も呼んでちょうだい」

「良いんですか?」

 リューネが問うと、アリサは勿論と力強く頷いて見せた。

「クラスメイトとして協力を惜しむつもりはないわ。それに立場上気になるってのもあるし」

「アリサの、立場?」

「どういうことですか?」

 アリサが溢した言葉が引っ掛かり、リィンとリューネは顔を見合わせて首を捻った。

 するとアリサはしまった、という風に視線を泳がせている。

 言い難いことなら詮索するつもりはない、とリィンが伝えようとしたが、その前にアリサの方から話題を逸らされた。

「そ、それにしても良かったわね、貴方達」

「え?」

「どういうことですか?」

 アリサの言っている意味が理解出来ず、再度首を傾げる2人。

 それを見たアリサも自身の言葉足らずを察し、言葉を足してくる。

「昨日までどこのクラブに所属しようか凄く悩んでいたでしょ? 正式に生徒会に入ったわけじゃないにしても、取り敢えずの方針は決まったみたいだし」

 だから良かった、と言うことだろう。

「それに今の貴方達、とても良い顔してるわよ」

 そう付け加えて、アリサが笑みを浮かべている。

 言われてみても自分が今どんな顔をしているかは分からない。けど、今日の手伝いの中で充実を得られたというのならば、ここに来て良かったと思わせてくれる。例え、より大きな悩みを未だ抱えているとしても、である。

 ――けど……

「リューネはともかく、俺も悩んでいるってよく気が付いたな」

 リューネはⅦ組の皆に相談していたぐらいだから当然だとしても、リィンがそのことを打ち明けたのは昨日の放課後が初めてだったのだ。

 何故彼女に自身の悩みの一端を知られていたのだろう、と疑問に思ったときには、言葉を口にしていた。

「なっ――! べ、別にあなたのことを見てたわけでもなにか悩んでるのかなぁとかたまに表情が翳るときがあるけどどうしたのかななんて気になっていたわけじゃないわよ!?」

「そ、そうか……」

 あまりの勢いにリィンは気圧されてしまう。アリサもそこで勢い込んでいることに気付いたのかわざとらしく咳払いをしていた。

 結局、疑問への答えを得ることはなかった。そして、隣を歩くリューネが妙にニコニコしているのが気に掛かった。

「どうかしたのか?」

「あ、いえ……」

 一瞬、リューネの視線がアリサに向けられたが、すぐにリィンへと戻される。

「今日のことを思い返していて……やりたいことの方向性が見えてきたのが嬉しくて」

 

 

 生徒会の手伝いとして任された依頼をこなすたびに、依頼者から向けられる感謝の言葉。

 ありがとう。

 ありふれたその言葉は――レイル達と出会うまで聞いたことがなかったその言葉は、リューネの心を熱くさせた。

 初めて聞いたときはただただ戸惑うばかりだった。

 それがいつしか心に馴染み始めて、聞くと嬉しくなった。

 そして今日、自分が成したことで向けられる感謝の言葉に、その“嬉しさ”が大きくなっていくのを感じた。

 日常的にはおぼろげに感じていたそれは、今日の経験で少しだがその輪郭が露になったと思う。

 きっとその先に、自分のしたいことがあるのだと感じられる。

 ――だから。

「私、生徒会に入ろうと思います」

 突然の決意表明に、リィンとアリサが面食らったかのような表情になる。

 だが、すぐにそれぞれに優しい笑みを浮かべてくれた。

「良いんじゃないかしら」

「ああ。……偉いな、リューネは」

 そして、リィンが近寄ってくると、不意に頭をそっと撫でられる。

「あ……」

「ちょっ!?」

 突然のことに反応が遅れてしまう。

 だが、頭を撫でる手付きはとても優しく、リューネは一切の嫌悪を抱くことはなかった。

 大きくて温かみのある男性の手。

 レイルとは少し違っているが、リューネは言いようのない心地よさを感じていた。

 だが、それも束の間。アリサがリィンに怒鳴ったことで終わってしまった。

「ちょっとリィン! あ、貴方何をしてるよの!?」

「何って……どうかしたのか?」

「どうかしたかって貴方……そんな軽々しく女の子の頭を撫でるもんじゃないわよ!」

「あ……そうか、そうだな。妹にもこうしてたから、つい」

「つい、って……まったく――」

 尚も言い募ろうとするアリサだったが、リューネにはその言葉を聞き終えることが出来なかった。

「え?」

 リューネの視界にこちらへ急接近するエミナが映った。それも見たこともない形相である。

 ――な、なに!?

 疑問に思うも答えはなく、その姿は瞬く間に近付いてくる。

 そして、背後からも同距離に気配を感じた。

 ――これは、お兄ちゃん!?

 何故2人が凄まじい速度でこちらに迫っているのかが分からなかった。

 混乱する頭で状況を把握しようとするが、2人の速度がその時間を与えなかった。

 リューネに出来たのは目の前の光景を見守ることだけだった。

 レイルの腕がリィンの首を刈り取るように、上段から斜めの軌跡を描いて振り抜かれる。

 それと同じタイミングでエミナの拳がリィンの腹部を下方から突き上げる。

 見事なまでのコンビネーション。

 そして、物理法則が生み出した奇跡が、リィンの身体を上空へと跳ね上がらせた。

 上空にて綺麗な円を描いていたリィンは、やがて重力に引かれて地に墜ちた。

 僅か数秒で起きた出来事に呆然としていたリューネだが、正気を取り戻すと地に伏したリィンへと駆け寄った。

 

 

「ふぅ」

 水泳部の活動を終え、ラウラはギムナジウムを後にした。

 アルゼイド流の剣士として、部活動も剣に触れられるものを、と考えもしたのだが、師である父の教えもあり、剣から離れる部活動を選ぶことにしたのである。

 元より湖畔の町レグラムで育ったラウラは、剣術に等しく泳ぎに慣れ親しんでいたのである。そういう意味では水泳部はラウラにとってうってつけの場と言える。

 事実、今日の活動だけでも大いに刺激を受けたので、ラウラは自身の選択に間違いはなかったと確信する。

「ん?」

 手応えを感じながら、中庭を横切ろうとしたら、視界の片隅に見知った姿を捉えた。

 フィーだ。

 彼女はギムナジウムの裏手にある花壇の前で屈みこんでいた。

「フィー?」

「あ、ラウラ。やほー」

 ラウラの呼び掛けに反応したフィーが気の抜けた返事を返してくる。

 その姿は至る所が土埃で汚れていた。そして手にはスコップが握られている。

「もしや、その花壇はそなたが?」

 ラウラはフィーの眼前にある花壇を指し示して訪ねる。他の花壇には名前も分からないような花や野菜などが植えられていたが、フィーの前にあるそこには、まだ花らしい花は見当たらない。恐らく種を植えたばかりなのだろう。

「そ。園芸部に入ったからね」

 どこか誇らしげにVサインで応じるフィーに対し、ラウラは自分の認識を改めていた。

 出会って半月ほどであるが、フィーという少女はまるで猫のような自由奔放とした存在だと思っていたのだ。そんな彼女と植物の世話とが結びつかず、正直面食らった次第である。

「ラウラはもう帰るの?」

「あぁ、そうだが……そなたは?」

「今、終わったところ。すぐ片付けるから一緒に帰ろ」

 そう言ってテキパキと道具類を片していく。

 その様子を見ながら、ラウラは更に自分のフィー像を書き換えていく。

 飄々として表情に乏しいきらいがあるが、フィーは人懐っこい側面を持っている。

 ――猫のようであり、そうではない……不思議な少女だ。

 勿論、彼女は人間なので猫と全く同じ生態をしているわけではないのだが、どうしてもイメージと実際とにズレを感じてしまう。

 それは印象や先入観に囚われている証拠だと、己の未熟さを内心で叱責する。

 そうこうしている内に、フィーの準備も整ったらしい。

「お待たせ。……どうかした?」

「いや、何でもない」

 頭を振って、雑念を振り払う。

 帰り道は不思議と会話が尽きることはなかった。

 ラウラ自身口下手というのもあるが、フィーも物静かなタイプである。だが、何も考えていないように見せかけて色々と考えている節が垣間見えたり、植物――特に花に関しては博識とまではいかないまでも中々の知識量であったり、軽く話を振ってみるだけでも話題に事欠くことはなかった。

「む?」

「おや?」

「あ、ユーシスだ」

 話に身が入っていたため、図書館から出てきたユーシスに気付くのが遅れてしまった。

「そなたも今から帰るのか?」

「ああ」

「なら一緒に行こ」

「……好きにしろ」

 ユーシスが素っ気無く返すと、先を歩き出した。だがその歩調はラウラ達を突き放すようなものではなく、ゆったりとしたものだった。

「あれ?」

「奇遇だな」

 校門に差し掛かったところで背後から声が掛かる。振り向くとそこにはエリオットとガイウスの姿が見受けられた。

 どういった偶然なのか、次々とⅦ組のメンバーが集まり始めていた。

「この調子だと寮までに全員集合とかしちゃったりして」

「それはそれで面白いかもしれぬな」

「さて、どうだろうな」

「ハッ、流石にそれはないだろう」

「賭けてみる?」

 などと他愛もない会話を続けていると、ふとガイウスが口元を緩めたのにラウラは気付いた。

「どうしたのだ?」

「これも女神と風の導きなのだろうな」

 ガイウスが意味深なことを言うに対し、他の4人は首を傾げるばかりだった。

 だが、彼の言わんとしていることは程なくして理解出来た。

 前方。未だ遠く離れてはいるが、Ⅶ組を示す深紅の制服が目に留まったのだ。

 距離があるので誰がいるかは分からないが、恐らく5~6人はいるように見える。

「あはは、本当に集まっちゃうかもね」

「……フン」

 エリオットが楽しそうに笑うのに対し、ユーシスは面倒そうに鼻を鳴らしていた。

 そのやり取りに笑みを浮かべながら見守っていたラウラだったが、徐々に鮮明になってくる級友達の姿に疑問を抱かざるを得なかった。

 ――何をやっているのだ?

 不思議に思ったのは自分だけでなく他のメンバーも首を傾げていた。

 トリスタを横断する川に架けられた橋の上。そこにいるのは正座させられているレイルとエミナに、それを叱っているかのようなリューネとアリサ。その傍らでぐったりしているリィンを介抱しているエマの6人であった。

 益々状況が分からない。

「そなた達、何をやっているのだ?」

 考えても仕方がないので、ラウラは他を代表して彼らに尋ねてみたのだった。

 

 

 レイルとエミナによる弁明とリューネとアリサによる非難の声が飛び交っていたが、エマによって話が纏められ、フィーはようやく状況を把握することが出来た。

「2人共過保護が過ぎる」

『返す言葉もございません』

 フィーの呟きに対し、未だ正座のままという醜態を晒しているレイルとエミナが口を揃えて反省の意を示してくる。

「……本当に反省してる?」

『してるしてる!』

 リューネの静かな問い掛けに、2人が大げさに頷いてみせた。

 それを受けて頬を膨らませていたリューネは仕方ないなという表情を浮かべた。

 2人の犯行がやり過ぎだったとはいえ、根底にあるのがリューネを守ろうとするものだったので、彼女も怒るに怒りきれないのだろう。

「今回は俺の軽率な行動が原因だし、もう良いんじゃないか?」

 と、被害者のリィンもそう言ったことで、ようやく2人が正座から解放される。

「そういや、ほとんど揃ってるな」

 脚を擦りながらレイルが確認すると、この場にいないⅦ組メンバーはマキアスだけであった。

「あ、だったら折角だし」

 エミナが両手を打ち合わせて、提案してくる。

「キルシェで夕飯にしない? マキアスもまだいるだろうし」

 それを聞いて、フィーだけでなくその場にいた1人を除いて誰もが一点に視線を集中させる。

「…………フン」

 全員から注視され、不機嫌そうに嘆息するユーシス。

「俺は別に構わん。が、奴が同席を善しとするかは知ったことではない」

 とりあえずの満場一致を得て、一同はキルシェへと向かった。

 

 

 エミナが店を後にして30分が過ぎた頃。

 そして彼女が他のⅦ組メンバーを引き連れて戻ってきて10分が経過した頃。

 マキアスは目の前の光景に眉根を寄せていた。

「マキアスってば眉間に皴出来てるわよ」

「む……」

 エミナに指摘され眉間を揉み解すが、正直元に戻っているとは思えなかった。

 それだけ現状がマキアスにとって受け入れがたいものだったのである。

 ――何故僕があいつと一緒に夕食を――!

 視線の先、極力距離を取っているはいるが、そこにいるのはマキアスの天敵とも呼べるユーシスだった。

 寮での食事もなるべく時間をずらしていたというのに、まさか共に外食をする羽目になるとは思いもよらなかった。

「……何を考えているんだ、君は」

「ん? 別に。クラスメイトなんだし、一緒に食事しようって誘っただけでしょ」

 その原因とも呼べるエミナに恨みがましい視線を送ると、彼女は飄々と受け流すだけだった。

 確かに、戻ってきた彼女は皆で夕食にしようと誘ってきただけで、そこに強制はなかった。それなのに首を縦に振ったのはマキアスの意思に他ならなかった。だが、彼にそうさせたのもエミナの影響が大きかったのは間違いない。

 先程までの2人で話していた内容が内容なだけに、最初はマキアスとユーシスを仲良くさせよう、などという身の毛がよだつ考えがあるのではないかと思いもしたのだが、特にそういった素振りを見せることはなかった。

 オーダーも済ませてしまった以上、今更とやかく言っても仕方がないと腹を括り、マキアスは黙ってユーシスの様子を窺うことにした。

 ユーシスはマキアスの視線に気付いた様子もなく、レイルやガイウス達と何やら話し込んでいる様子だった。

 楽しそうに話に花を咲かせている。その光景が、マキアスに言い様のない不安を与えていた。

 脳裏に過ぎるのは、先程思い浮かべてしまった疑念。

 ――貴族。そして、ユーシス・アルバレアに対する評価は……

 頭を振って疑念を振り払う。

 そんなことあるわけがない、と。

 結局悶々としたまま、注文していた食事を終え、食後のコーヒーに口を付けたのだが、その味は、これまでにないほど苦かった。

 

 

 ユーシスは違和感を覚えていた。

 それは、マキアスが夕食に同伴することを承諾したことに始まり、席が離れているとはいえ、こちらに食って掛かってこないことによって生じていた。

 ――先程から、こっちを睨んできているがな。

 だが、所詮はそれだけである。

 それについても何か言ってやろうかと思うが、ここに来る途中でエミナから釘を刺されていたので、あえて視線に気付かない振りをしている。

 恐らく、エミナが何かをしたのだろうが、彼女はマキアスの近くに座っているので、それを問い質すことも出来ない。

 ――余計なお節介を。

 ユーシスとしては、マキアスと仲良くしようなどという考えは毛頭ないので、面倒なことこの上なかった。

 それでも、エミナからのお節介ということもあって、ユーシスは真っ向から拒絶するという気を起こせないでいた。

 ――昔から、そうだったな……

 思い返すのは初めて彼女に出会った日のこと。

「……ふっ」

 幼き日の回想と共に口にした紅茶は、とても温かく、優しい風味でユーシスを満たしていった。

 

 

 夕食を終え各々で寛いでいた中、バンッ、という耳を衝く音と共にキルシェの扉が開け放たれた。

 何事かとリィンが視線を向けると、そこには肩を怒らせたサラの姿があった。

「あ、あんた達ね~……」

 鋭い視線でこちらを睨んでくるサラ。すると、彼女は大きく息を吸い、一気に捲くし立ててきた。

「ようやく教頭のねちねちしたお説教から解放されてへとへとで寮に戻ったら誰もいないしもしかしたらと思ってきてみれば案の定でどうしてあたしを誘ってくれなかったのよ!? マスタービール!!」

 こちらへの文句と注文を済ませると、ドカッとカウンターに腰を据える。

「いや、ARCUSで連絡しても通じませんでしたし」

 頃合いを計って、レイルが説明すると、出されたビールを呷ったサラが更に目くじらを立てる。

「だから教頭から説教を受けてたって言ってるでしょ!」

 ならばどうやって誘えば良いのか、とリィンは疑問に思ったが、それを口にすれば絡み酒の標的になるのは目に見えていたので、黙して相手をレイルに任せることにする。

「サラね……教官が怒られるようなことしてるからいけないんじゃ」

「何ですって!」

「おいエミナ、火に油注ぐなって」

「レーイールー、エミナが苛める!」

「教官が生徒に泣き付くなよ!」

 と、サラを中心にした状況が混然としてくる。それに伴い、リィン達はレイルとエミナ、そしてマスターのフレッドを置き去りにしてサラから距離を取ることにした。

「あーもー、こうなったらじゃんじゃん飲んでやる! あんた達も付き合いなさい!」

 サラのテンションがヒートアップして、遂にはレイルとエミナに酒を勧める次第であった。

「ちょ、ちょっとサラ教官! 学生の飲酒は駄目でしょう!?」

 サラの問題発言に真っ先に反応したのはマキアスだった。彼の表情からは巻き込まれたくないという心境以上に、未成年――特に校則で飲酒を禁じられている士官学院生に飲酒させようという違反を見逃せない、といった正義感を感じ取ることが出来た。

「アァン?」

「ひっ」

 だがそれもサラの一睨みで一蹴されてしまう。

「マァキアース、帝国法におけるぅ、飲酒は何歳からぁ?」

「えっ、18歳以上から、ですよね」

 突然振られた質問に動揺しながらも、マキアスが答える。彼が言う通り、帝国法――だけに限った訳ではなく、おおよその諸国家の法――において飲酒は18歳以上からと定められている。

「だぁったら、大丈夫よぉ~。だって、その2人ぃ……20歳なぁんだし~」

『え……えーーーーーーーー!!?』

 突如として明かされた事実にリィン達は驚愕を露にした。

 何故年齢を隠していたのか、妹のリューネや入学前から行動を共にしているフィーはともかく何故ユーシスやラウラまでそのことを知っていたのか等々、キルシェが喧騒に包まれることになる。

「それでも、士官学院生の飲酒は駄目でしょう」

 と、騒ぎの外でリィンが呟くが、酔い潰れて幸せそうに眠るサラの耳に届くことはなかった。

 




 改めましてこんにちは、檜山アキラです。

◆お詫び◆
 まさか2ヶ月も更新を止めてしまうとは自分でも思ってもみませんでした。言い訳としましては、リアルが忙しすぎたというのもありますが、少々スランプ気味でもありました。
 本作を楽しみにして頂いている方々(います、よね?)には大変申し訳ございませんでした。
 これからは、なるべく期間の開かないように更新していけるように頑張ります!

 じゃないと、終わるのに何年掛かるか分かりませんしね……



 本編ですが、早速ですが彼の用務員様に登場してもらいましたが、誰だこれ? といった感じになっちゃいましたね。本来はこれがあるべき姿なのでしょうが、最早私にはそれが仮初の姿に思えてなりません。彼が覚醒する日を楽しみにして、この物語を書き綴っていきます。


◆鉄血宰相の次回予告コーナー◆

 不安はある。
 興奮もある。
 様々な想いを乗せて、鉄路を駆ける。
 若者達を待ち受けるは一体何か?
 黄金色の平原を吹き抜ける風は彼らに何をもたらすのか?
 それはまだ知る由もない。
 次回、神薙の軌跡『交易町ケルディック』!
 次回も貴方の心を――オーバーライズゥッ!!

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