静かだ。
恐ろしいくらいに、気持ち悪いくらいに、とんでもなく静かだ。
ディオのことだ、あんな風にジョジョの味方だと公言すれば何かしらふっかけてくると思っていた。
それがどうだろう、何もない。
ジョジョから出かけようと誘いが来たけどそんな気分でもなかったから断った。
けど、家にいたところで何もすることがないのもまた事実。
書斎で適当に本でも読んで時間を潰すとしよう。
それから何分経ったのかはわからない。
僕がいつも時計を所持しているはずもないし、この書斎にも時計はない。
言うなれば、僕が読んだ本の量からしてだいたい30分前後、と言うところだろうか。
静寂を破るものがいた。
『ディオォォォォォォッッ!!』
『人の名を! 気安く呼ぶなジョジョ!』
エントランスの方だろうか。
理由がどうあれ、内容がどうあれ、一つだけ言えるのは、
「僕の読書を邪魔するな……ッ」
本を閉じて書斎をあとにする。
そのまま真っ直ぐエントランスに向かう。
エントランス2階部に着いた僕が見たのは、一方的にいいように殴られ続けているジョジョの姿だった。
正直、僕はここに来て怒鳴り散らしてやろうと思っていた。
だけどディオの顔を見てしまったせいで心底嫌な気分になって、やめることにした。
踵を返してその場を立ち去り、父さんに2人の喧嘩のことを伝えてからまた書斎に引っ込んだ。
しばらくして父さんの怒鳴り声が聞こえて、ようやくスッキリした気分になった。
何冊目かを読み終えた時、書斎のドアがノックされた。
「……入ってどうぞ」
開いたドアから入って来た人物を横目でちらと見た後、僕は新しい本に手をつけた。
「おやおや、君は自室謹慎じゃあなかったのかい? ジョジョ」
彼の目は、僕を刺し殺しそうな鋭い眼光を放っていた。
アニに外出を断られてしまい、さみしく思いながらも僕はエリナと会うために家を出た。
……だけどいつもの野原にエリナの姿はなく、探しに行って見つけた時、エリナは僕の顔をみるなり逃げ出してしまった。
今朝のアニの態度と今のエリナの態度。
どうも不自然なことばかりだ。
またしょんぼりとして家に帰ろうとしたら不快な笑い声が聞こえて来た。
ディオの取り巻き達だった。
「何がおかしいんだ」
「お前教えてやれよ、なんでエリナがお前から逃げたのかさ」
「やだよぉ、俺、ジョジョが傷つくの見たくねぇもーん」
「どういう、ことだ?」
そして知ってしまった。
ディオが嫌がるエリナに無理やりキスをしたこと、エリナをかばったアニを殴ったことを。
ようやく僕は気づくことができた。
帰りが遅く泥まみれになり頬を腫らして帰って来たアニと、そのぎこちない笑顔の本当の意味を。
僕の中に、言いようのない感情が湧き上がって来た。
「ディオォォォォォォッッ!!」
怒りに任せエントランスの扉をぶち開けると、その先にのんきに椅子に座るディオの姿があった。
「人の名を! 気安く呼ぶなジョジョ!」
「ディオ! 僕は絶対許しはしない! 僕のことはどうだっていい! エリナ、そしてアニの、僕の大切な人を傷つけたことが許せない!」
「ほう、聞いたか。だがその様子じゃあエリナやアニから聞いたんじゃないんだろう? 何故2人は君に相談しない?」
「だまれ! 僕のことはどうだっていいと言ったはずだ!」
ディオに向かって殴りかかる。
しかしかわされ、代わりに肘鉄を顔面に打ち込まれた。
「僕に歯向かうのかいジョジョ? いいだろう、ボクシングの時のように身も心も引き裂いてやろう」
誰にも止められない喧嘩、そう思っていたけど、騒ぎを聞きつけた父さんの一喝であっさりと事態は収束してしまった。
だけど僕はまだ、何も納得していない。
「返事はどうしたジョジョ。お前とディオはしばらく自室謹慎をしていろ」
「……はい。……父さん!」
「なんだね」
「アニは今部屋にいる?」
「いや、書斎にいる」
その言葉を聞いてすぐに書斎に向かって走った。
父さんの声もディオの言葉もそのあとだ!
今は……アニに用があるんだ!
書斎の前に着いてみると、中に本当にアニがいるのか不思議なくらい静寂に包まれていた。
それでも小さく、中から本を閉じる音がした。
ドアをノックする。
「……入ってどうぞ」
少しだけ間をおいてアニの返事があった。
ドアを開けると窓際で本を手に取る彼女がいた。
「おやおや、君は自室謹慎じゃあなかったのかい? ジョジョ」
横目で見ただけですぐに視線を本に落とされてしまう。
「君に聞きたいことがあるんだ。いや、聞かなくてはならないことがあるんだ!」
「大声を出さないでくれ、部屋に響く。それで、何?」
「エリナのことだ」
アニがピクリと反応した。
「君の帰りが遅かったあの日、君はディオと会ったね」
「いいや」
「ディオと会い、エリナは無理にキスされ君は殴られた」
「違うね」
「これは全部本当なのか!?」
「私には見に覚えのない出来事だ」
「アニ! なぜ僕に黙っている! なぜ僕に相談してくれなかった!」
アニは答えてくれない。
どうしてなんだ、どうして何も言ってくれないんだ。
僕たちはずっと支え合って来たんじゃないのか……ッ。
「…………ない」
「え?」
「親友との約束を、破れるわけないじゃあないか」
気づいたら、アニは泣いていた。
膝の上に開かれた本の上に何度も滴が吸い込まれる。
「エリナを、これ以上傷つけるわけにはいかなかった。エリナは君に知られたくなかった。エリナは泣いていたんだ! 君に合わせる顔がないと、君が好きだからこの屈辱が許せないと! ……かわいそうなエリナ。私にできるのはこの約束を守ることだけだった」
その時、僕は本当に気づかされた。
ディオはただ2人を傷つけたんじゃなく、心の底から深く傷つけていた。
「アニ、僕は」
「だけれどジョジョ、私たちのことで君が怒り、情のままに行動してはいけない。そうした瞬間君はディオに敗北しているんだ」
「どうすればいいと言うんだ! 君たちが傷つけられて黙っていられるはずがないだろう!」
「屈してはいけない。ジョジョ、もうすでにエリナとの連絡は絶たれている。私たちはそれでもなおディオを嘲笑うかのようにいつも通りの笑顔で過ごさなくてはならない」
エリナとの連絡が絶たれているって……?
それでもなお笑顔で過ごさなくてはならないって……?
なんて残酷な話なんだ!
なぜ君はそんなことができるんだ!
「できるできないではない、やるんだ! 君はディオに負けたままでいいのか!」
アニの目は必死だった。
傷つけられたのはアニのほうだと言うのに、僕は今そんな彼女に諭されてしまっている。
ディオに負けたままだなんて嫌に決まってるさ。
アニが屈しないのに僕が屈するわけないだろう。
「心配するなジョジョ、君にはいつだって私がいる」
「ああ。僕もいつだって君のそばにいるよ」
微笑みかけると、アニは嬉しそうにして目を伏せた。
その直後、持っていた本で頭をはたかれた。
「読書の静寂を破った罰だ」
「な、なんだよそれ」
とりあえず、僕のほうもこれで気持ちを切り替えないといけないな。
ジョジョに向かってあんな風に言った手前、僕がくよくよしているわけにもいかない。
エリナと縁を切らなくてはいけなくなったのはとても残念だが今はいた仕方ない。
ほとぼりが冷めた頃、また会えるのだから。
その日の夕食は2人が自室謹慎なので食卓にいるのは僕と父さんの2人だけだった。
「父さん、2人の自室謹慎はいつまで?」
「2人とも随分と反省していたし、明日の朝には解くさ」
そっか。
それじゃあ明日、またジョジョと2人でどこかに出かけよう。
たまにはジョジョに何か買ってあげようかなぁ?
食事を早めに片付けると、僕は早々にジョジョの部屋を訪ねた。
自室謹慎?
そんなもの本人が部屋からでなければ何も関係ないさ。
「やあジョジョ、グッドニュースだ」
「グッドニュース? なんだいそれは」
「君たちの自室謹慎は明日の朝までだ。明日、朝食をとったら久しぶりに街にでよう」
「本当かい? そうか、明日の朝だね。僕も準備しておくよ」
「それと、念のためだ。ディオが起きて来るよりも先に出かける」
「うん」
おやすみ、と一言残してから僕も部屋へと戻った。
ジョジョと出かけるのはいつぶりになるだろうか。
少し楽しみな自分とさみしさを感じる自分がいる。
なんだか今日は心がとても疲れる一日だったな。
ふっと気を抜いた瞬間に僕は夢の中へと誘われた。
そこは、とても楽しい世界。
僕とジョジョはもちろん、エリナがいてディオもいて、みんなで欠片ほどの悪意のない幸せな日々を過ごす世界。
こんな日が来ればいいと、心の底から思ってしまう。
4人で仲良く、楽しく。
もしこの世界が実現すると言うのなら、僕はそれに全力を尽くしたい。
だけど叶わないことだと気づいているから何もできない。
だからせめて、この世界だけでも安らかに続けばいい。
そんないい気分で目が覚めた時、一番最初に見たのはあろうことかジョジョの顔だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そしてあろうことか、驚きのあまりに僕は彼の顔面に渾身の蹴りをお見舞いしてしまった。
「な、なぜ君が僕の部屋にいるんだ! 入室の許可なんて出してないぞ! な、なな、なんで、よりにもよって……!!」
「す、済まない! 部屋の前を通りかかったら部屋の中から呼ばれた気がして、入って見たら寝言でずっと僕を呼んでいたものだから」
不覚ッ!
寝言でジョジョの名前を呼ぶなんてッ!
「それで、どうかしたのかい?」
「なんでもない! そんなことより着替えるから部屋を出てくれ!」
「ごっごめん!」
着替えと言う言葉を出してようやく彼は、寝ている女子の部屋に不法侵入したことに気がついたのだろう。
顔を真っ赤にして慌てて部屋を飛び出して行った。
そう言う僕も、顔が火照ってしようがない。
まったくジョジョめ、2人で出かけると言う日に限ってこんなことをしてくれる。
もう少しエリナの時のように羞恥と言うものを感じてくれないものか。
僕が1人で意識してしまっているみたいで恥ずかしいじゃあないか。
クローゼットから向日葵色のドレスを出して着替える。
跳ねっぱなしの髪をできるだけ整えてから部屋の外で待つジョジョのところへ行った。
朝が早くて父さんもまだ起きてはいないが、召使に頼んで早めに朝食を出してもらった。
昨日のように2人だけの食事。
だけれど一緒に食べるのは父さんではなくジョジョで……はぁ。
「ジョジョ、マナー」
「うっ」
これだけは何年経っても治りそうにないな。
紳士への道はまだまだ遠い。
「ダニー、行って来ます」
「行ってくるよ。お前への土産もなにか買ってくるさ」
「ワン!」
ジョジョの愛犬、ダニーにも声をかけてから僕たちは屋敷を出てまっすぐ街へと向かった。
ロンドンの街並みはとても賑やかで、貴族も平民も関係なく多くの人々が集っていた。
「ところでアニ、なにか欲しいものでもあるのかい?」
「うん、さすがジョジョだね。こっちだ」
少し込み入った道に入る。
そこは大通りとは違って閑静な場所で、僕がジョースター家に引き取られる前に見つけた店だ。
中に入ってみると、お目当てのものは確かにあった。
「僕はシルバーアクセが好きだが、君には似合わないだろうと思ってね。これでどうだろうか?」
「これはただのプレートじゃあないか」
「そう、ただのプレート。驚くほどになんのひねりもないプレートだ」
「えっと、どういうことだい?」
「こう言うことさ。店長、ここにジョナサン・ジョースターと彫ってくれないか」
「あいよ」
僕らの目の前でプレートにジョジョの名前が刻まれて行く。
「お守りにでもしておくれよ」
出来上がったそれをジョジョに渡す。
シンプルでいい。
僕は本当の本当にジョジョとディオの仲が心配なのだ。
このただの板が彼を守ってくれさえすれば、それでいいのだ。
「それならアニ、これを受け取ってくれ」
いつの間にやらジョジョの手には小さな紙袋があった。
「君が好きだと言うシルバーアクセではないけど」
紙袋の中を確認してみる。
出て来たのはチョーカーだった。
これもまたシンプルなものだが作りはしっかりしていた。
「こんなものいつの間に買ったのさ」
「前にエリナと出かけた時さ。彼女に君が好きそうなものを教えてもらってね」
「おいおい、彼女の前で他の人のプレゼントなど買うか、普通?」
相手がアニだからさ、そう言ってジョジョは笑った。
そのあとは適当に街をぶらつき、帰ったのは日が沈み始めた頃だった。
ところが帰ってすぐに神妙な顔つきの父さんに呼ばれた。
着いてこいと言われ向かった先は裏庭。
その一角に小さく地面が盛り上がった場所があり、十字架が立っていた。
「とても酷い亡骸でな見せずに埋めたよ」
「え……? と、父さん、どう言うこと?」
「ダニーが……何者かによって焼却炉に閉じ込められ、灼かれ死んでしまったのだ」
ダニーが、死んだ?
今朝までとても元気だったじゃないか!
「警察によれば、番犬を邪魔に思った空き巣の仕業ではないか、と」
空き巣?
いいや、僕にはそんな風には思えない。
「「ディオ……」」
心当たりとして口をついて出てしまった言葉は、隣に立ちすくむ彼の声と重なった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ジョジョ!」
叫びながら走り出してしまったジョジョを慌てて追いかける。
家の中に駆け込んだ彼はまっすぐ自分の部屋に入ると、ベッドに潜り込んで叫んでいた。
ダニーが死んでしまったことへの悲しさと、それを行ったであろうディオへの憎しみが嗚咽の中で繰り返される。
僕は何も言えず、ただベッドのそばに座って彼の頭を優しく撫でることしかできなかった。
ディオがやったことには間違いないんだろうけど、なにぶん証拠がないから詰問もできない。
黙ってみてるしかできないなんて、辛すぎる。
そうして、ジョジョが泣き疲れて眠ってしまう2時間後まで、僕はずっと彼のそばにいた。