飛び散る鮮血。
その時、世界の全てが停止したかのように思えた。
深々と突き刺さったナイフ、流れ出る血液。
「「父さん!!」」
ジョジョを庇おうとしたのだろうか、彼に覆いかぶさるようにして背中を一突きされてしまったのは、あろう事か私達の父、ジョージ・ジョースターだった。
「いや、嫌よ死なないで……!」
体温が奪われていくのがはっきりわかってしまう父さんの手を握る。
できもしないのに、私の体温を分けてあげられやしないかと期待を込めてきつくきつく握りしめる。
「何をしている、奴を撃てェ!!」
警察達が石仮面を装着してしまったディオに向かって一斉射撃をし、その勢いで彼は窓を突き破って外へと吹き飛ばされた。
ピクリとも動かなくなったディオを見てスピードワゴンや警官数人がこちらに駆け寄ってきた。
私はただひたすら、父さんの手を握り締めていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい父さん、私がもっと早く動けていれば、父さんは」
「僕こそ、普段ならよけられたのに、思わず石仮面に気を取られてしまったから」
「2人とも、自分を責めてはいけないよ。もちろん、ディオのこともね」
あの時と同じことを、父さんは告げていた。
しっかり者のディオにあまり時間を割いてやれなかったから、実の息子であるジョジョにばかり気をかけてしまったから、だから彼は寂しかったのだろうと、父さんは告げていた。
最初は否定的ではあったけどさっきまでは私もそう思いたかった。
そう、さっきまでは。
今ではもうディオを許すどころか理解しようとすら思うことはできなくなっていた。
彼と分かり合うことは永久的に不可能なのだと既に理解してしまったから。
「ジョジョ、アニ……。悪くないものだな、愛する息子と娘の腕の中で死んでいくというのは」
「そんなこと言わないできっと助かるわ、だから……っ」
口ではそう言っても、手を握っていた私には悟ってしまった。
体温も力も、もう幾分も残っていない父さんの手。
「これからも、2人で仲良く……」
その言葉を最後に、父さんは息絶えた。
私の3度目の父にして私に最も愛を教えてくれた父、ジョージ・ジョースターは、今この瞬間、息を引き取った。
もう名前を呼んでくれないのだと、もう撫でてはくれないのだと、もう笑ってくれないのだと、わかってしまった時にはもう溢れ零れる涙を止めることはできなくなっていた。
叫ぶことすら不毛であると感じてしまいただ何も言わず何も考えずそのためだけの機械になってしまったかのように涙を流し続けた。
誰かが何か言っていても言葉として私の頭には届いてくれない。
耳障りな音。
今の私には全てがそう思えた。
ジョジョが決意を示していようと、ディオの死体が消えていようと、警部の頭部がぶっ飛ばされていようと、ディオが実は生きていようと、どれも雑音でしかない。
世界は、雑音で溢れている。
「あー、煩いなァ」
静かに立ち上がって上を見れば、天井に張り付いたディオがじっとこちらを見下ろしている。
無感動に無感情にそこにいる存在を眺め見定め興醒めする。
誰かに何かを求めちゃあいない、ただ静かにしてくれるならばそれに越したことはないのだ。
そのためには、世界から雑音をなくすためには、あそこにいるアレを殺さなくちゃいけない。
「ねえそこの君、大人しく僕に殺されてくれよ」
「WRYYYYYY、図に乗るなよノニード」
「誰、それ」
近くの甲冑が握っていた槍を奪い取り雑音を発するソレに向けて突き付けるが、ソレは怯む様子すら見せない。
「アニ、君が手を出しちゃあいけない! 君は逃げるんだ!」
「逃げる意味がわからない。どこに逃げるんだい? ここには家も父さんもいるじゃあないか」
「君まで殺されてしまうぞ!」
「煩いなァ、僕がどこで死のうと君には関係ないじゃあないか」
「アニ!」
ここは僕が育った場所だ、ここは僕を愛してくれた人がいた場所だ、ここは僕の故郷だ……ここで死んだところで悔いの一つも残りやしない。
たとえそれがどんな結末を招こうとも。
「言っただろうジョジョ。僕は君のために生きて、君のために死ぬ。今がその時であるだけなのさ」
槍を握り直す。
「いいだろう、ならば望み通り、貴様の命ここで散らせてやるッ」
ソレが僕に向かって急降下してくる、僕はソレに向けて槍を突き立てる、槍はソレの体を貫く……。
そうなるはずだった。
槍が体を貫こうとするその前に、いや、槍を突き立てようとするその前に、確かに握っていたはずの槍が僕の手の中から消え去っていた。
摩擦が起きたのだろうか僕の掌には血が滲んでいる。
「勝手なことは許さないよ、アニ」
僕の後ろに、槍を掴んだジョジョが立っていた。
その
「今が僕のために死ぬ時だって? それは違う。本当に僕のことを思ってくれているというのなら、今は僕のために生きる時じゃあないか」
だけれど僕は大して驚いてはいない。
ジョジョならやりかねない行為だ、予想はできている。
驚きはしていないが、怒りはしている。
なにせ僕の行動を邪魔してくれたのだから怒るに決まっている。
「怒り、情のままに行動してはいけない。そうした瞬間にディオに敗北しているんだ。7年前、アニが僕を諭した時の言葉だ。頼むから正気になってくれよ」
「おかしなことを言ってくれるじゃあないか。今の僕が正気でないと?」
「ああ、そうだ」
少しだけジョジョから目線を外す。
「ならば問おう。自らの肩に槍が突き刺さっているのにも気づかずに平然としている君は正気と言えるか」
刹那、ジョジョの絶叫が屋敷内に響き渡った。
槍がぐちゃぐちゃに歪みねじ曲がってアレを貫いていたはずの鋒がジョジョの肩に深々と突き刺さっていた。
「鉄の槍如きでこのディオを止められるとでも思ったかマヌケ!」
「ならば鉄の槍如きでなければ止められるのかい?」
近くに転がっていた警官の死体から拳銃を取り上げ撃鉄を起こしてそれに銃口を向ける。
「無駄無駄ァッ!」
引鉄を引く直前、自分の呼吸の流れが変化したのがなんとなくわかった。
変化した呼吸がどのような効果をもたらしてくれるかも、直感的にわかっていた。
「銃など効かぬわァッ!」
「止めろ嬢ちゃん!」
煩い。
呟きと共に飛び出した鉛玉は若干ブレながらもソレの肩に撃ち込まれた。
ニヤリと笑みを浮かべたのは果たしてどちらか。
「な、何だこれは……ッ」
傷口が、鉛玉に触れた皮膚が、細胞が、ドロドロに溶け始めたのを見てソレは悲鳴に似た声を上げた。
悲鳴が聞けるのはなんとも心地よく感じてしまうな。
だがやはり所詮は雑音でしかない、徹底的に排除しなければ、望む安寧は存在しない。
「何をしたんだアニ」
「さてね、傷が修復できないほどにダメージでも受けたんじゃあないか?」
どうでもいいと言わんばかりの返答をしてもう1度発砲しようとし、弾がもう込められていないことに気付いた。
ちっ、石仮面をかぶった時に無駄に撃っていたのかこの警官は。
拳銃を投げ捨てると、弾が入っていないと気付いたソレが好機とでも見たのか近くにいたまだ生きている警官を捕らえ、首に指を刺すとそこから彼の血を吸い出した。
するとどうだろうか、せっかくつけてやった傷がみるまに治ってしまった。
「回復だなんてずるいじゃあないか」
「WRYYYYYY……だから無駄だと言ったのだ」
「だったら、回復できないほどの傷ならどうだ」
そう声を張ったのはジョジョだった。
手には火のついた燭台、足元にはランプが転がっている。
「無駄だと言っているッ」
「無駄かどうかはやってみないとわからないさ」
ランプが割られ中から漏れだしたオイルがカーペットに染み込んでいき、ジョジョはそこに燭台を落とした。
ぼうっと、一瞬にして広がった火炎は、待つことなく辺りを火の海へと変えた。
「アニ、スピードワゴン。君達は逃げてくれ。僕は、ここでディオを倒す!」
「ジョジョ!」
「ジョースターさん!」
追いかけようとすれば、崩れ始めた屋敷の梁が燃え盛りながら道を塞いでしまう。
そんな中でジョジョは上へと向かい、アレはジョジョを追って壁を歩いていった。
「ジョジョ……ッ」
「屋敷から出るぞ嬢ちゃん。このままじゃ屋敷の下敷きになっちまう」
「離せスピードワゴンッ」
腕を掴んでくる手を振りほどこうとしても叶わないほどに彼の力は強かった。
抵抗も虚しく僕は屋敷の外へと引きずり出されてしまった。
屋敷の中で死ぬことになんの躊躇いもないというのに。
やがて屋敷の屋根に姿を現したジョジョは、ついで現れたディオに掴みかかると、飛び込むようにまた屋敷の中に姿を消した。
「ジョースターさんまたさ、自分ごと火の海に飛び込んでディオを焼き尽くす気だってのか!?」
スピードワゴンが叫ぶ中で僕はじっと焼き尽くされようとしているジョースター邸を見つめていた。
夜の空を紅く照らす紅蓮の炎を眺めているうちに、だんだんと正気に戻っていくのを感じた。
それと同時に、自分が今まで正気とはとても言えない状態であったのだとようやく気づいた。
だからだろうか。
炎の中から弾かれるようにして現れたジョジョを見ても、駆け寄ることを躊躇してしまった。
今の自分にそんな資格はないんだと、思ってしまった。
「生きてる……ジョースターさんは、生きてる!!」
嬉しそうに叫ぶスピードワゴンの肩を静かに叩くくらいしか、できそうになかった。
「スピードワゴン、ジョジョのことは今から教える病院に連れていって欲しい。その後のことは、頼んでもいいだろうか」
「おう」
僕が伝えたのは、エリナが働くあの病院。
この2人は既に会うことを許されている、ならば近くに置いてやるのが道理だろう。
「僕のことは、火から逃げ遅れて死んだと伝えてくれ」
そこに僕はいらない。
僕の理想郷はもう作れないとわかりきっているのだから、せめてジョジョとエリナには幸せになって欲しい。
そして彼らを見守るのはもう僕の仕事じゃない、ここにいるスピードワゴンの仕事であると、そう確信してしまった。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえぜ。あんたがいなくなったらジョースターさんの心の支えがなくなっちまうだろう」
「心の支えならいるよ、充分な程にね」
だから僕は、ジョジョの前から去るよ。
やるべき事を、やりきるためにも。
さよならジョジョ、君と出会えたことを僕は誇りに思い一生忘れないよ。
別れの証として、僕は彼の手にチョーカーを握らせた。