「アニ、僕はしばらく家を空けるよ」
ジョジョは、そう言って冬の夜にジョースター邸をあとにした。
私が見つけてしまった手紙をきっかけにディオの恐ろしい企みに気づいたジョジョが、父さんを助けるためにロンドンへと向かったのだ。
「父さんのことは頼んだ」
そう言い残して。
父さんの部屋には多くの優秀な医師が集められ、彼らから渡される薬以外は飲んではいけないとジョジョは父さんに言いつけていた。
私は気づくことができなかった。
まさか、執事の代わりにと薬を運んでいたディオが道中それと毒をすり替えていただなんて。
「父さん、ジョジョは大丈夫かしら」
たった1人で出かけてしまった幼馴染みが心配で仕方がない。
無茶をしなければいいのだけれどと願ったところで彼はそれを裏切るだろう。
「心配ないさアニ。ジョジョはきっと帰ってくる。それにあの子はもう立派な大人だ、アニもよく知っているだろう」
「ええ、もちろんです」
やはり、今はただ信じて待つことしかできないようだ。
……本当に待つだけでいいのだろうか、私にも何かできることがあるんじゃあないか?
ジョジョは父さんを助けるために薬の正体を求めに単身ロンドンに出向いたのだ、私だって今まで受けてきた充分すぎる恩義を返してあげたい。
何か、ないものか……。
「アニ」
「なあに父さん」
「ディオを、責めてやらないでくれ」
「どうして!」
「彼はきっと寂しかったのだ。私がもっと君たち同様に愛してあげることがてきたなら、きっと」
こんなことを言うのは嫌だけど、この人はどうかしてる!
自分のことを殺そうとしていたかもしれない人の子を責めるなだとか自分が悪いだとか、普通の人間はそんなこと考えもできない!
よほどパラメータの振り切れた善人か頭のぶっ飛んだ奇人しかそんことは不可能だ!
「勘違いしないでくれ、許すという意味ではない。もちろんディオがしてしまったことは許されることではないだろう。だが、彼の心を汲み取ってやりなさい」
ディオの心ですって?
あんな、あんなドス黒い人間の心なんて……。
……そう言えば、私達はあまりにもディオのことを知らなすぎるのではないだろうか。
ジョジョが言っていた。
父親の名誉にかけて身の潔白を誓わせようとした時の、ディオの父親へ対する憎悪と怒りはあまりにも異常すぎるものだと。
ディオは一体ロンドンでどんな生活をしていたのだろうか。
ダリオ・ブランドーとはどんな人物だったのだろうか。
全てを知らなければいけないと、そう思った。
「父さん、しばらく看病の席を外します。お医者様の言うことをちゃんと聞いていてくださいね」
「ああ、わかった」
調べなければ。
全てをはっきりさせるためにも。
私はあの海辺へ向かった。
夢で見た、あの海辺。
ここのすぐ側には河口がある。
川をまっすぐ登ればそのままロンドンへとたどり着ける場所だ。
私は海辺からロンドンに向けて移動し、その道中でディオ・ブランドーもしくはダリオ・ブランドーを知らないかと路行く人に尋ねまわった。
最初こそなんの収穫もなかったが、ロンドンに近づくにつれて耳にしたことがある、見たことがある、会ったことがある、と手掛かりを掴むことに成功した。
ダリオ・ブランドーという男はかなり粗暴で、盗みなどを平気で犯す悪党であったらしい。
そんな彼の息子であるディオ・ブランドーはとても聡明な少年で、幼くして母を失ってからは酒に明け暮れる父親と2人で暮らしていたそうだ。
働きもせず騒ぎ立てすぐに暴力を振るう父親の酒代は、ディオが賭博に手を出してなんとか稼いでいたという。
「……父さんの言う通り、愛されなかった子なんだわ、彼」
環境があれほどまでに性格を歪めてしまったというのだろうか。
「そう言えばディオって子、一時期ずっと人を探していたらしいよ」
「え?」
その話を持ち込んできたのは、いかにも喋り好きと言わんばかりの風貌の女性だった。
「なんでも、妹さんがいなくなってしまったらしいのよ。母親は違う人なんだけど、その子と歳が近かったから気にかけていたんでしょうね。けどその子の母親が死んでから妹さん、姿を見せなくなったのよ。噂じゃ捨てられたって」
ディオに、妹?
そんな話は聞いたこともないし手紙にも書かれていなかった。
ディオには、異母兄妹がいたって?
粗暴な父親、可哀想な母親、捨てられた娘……。
私の中である仮説が立った。
いやまさか、そんなこと、あるはずが……。
「あ、あの、その母親と妹の容姿、わかりますか?」
明かりが一つも付いていない屋敷に、しばらく出かけていたディオが帰ってきた。
真っ暗であることに対して執事を叱咤するディオだが、それに応えたのは執事ではなかった。
「やあディオ」
「ジョジョッ。か、帰っていたのか。そうか、無事だったんだな」
「ディオ、君の企みはもうおしまいだよ。父さんにはさっき解毒剤を飲ませたからね」
ディオは何も答えない。
「私は悲しいよ、ディオ」
「父さん……!」
ロウソクの光で父さんが照らされる。
私はその側にじっと控えていた。
「もう警察もこの屋敷の中で控えている。観念するんだ」
またしてもディオは答えない。
ふらふらと、エントランスに置かれた椅子に腰をかけたディオは、しばらく考えているようだった。
小さく息をつくと、それまで伏せていた顔を上げた。
「すまなかった……俺が今までしてきたことは、本当に愚かだった……。こんな俺を引き取ってくれた父さんを殺して遺産を奪おうなんて、俺はどうかしていた……!」
そうか、君は……ジョースター家の遺産が目的だったのか。
父さんを病気に見せかけて手に掛けてしまえば、正式な養子になった自分にも大金が舞い込むと、そう思っていたんだね。
ディオの懺悔は続いた。
貧しい生活をしていたこと、粗暴な父親の元で育ったこと、それが自身の野望を膨張させこんな結果を招いてしまったのだと。
ディオは嘆いていた。
ジョジョが許しの言葉を紡ごうとした時、それは“彼”によって妨げられた。
「騙されちゃあ駄目ですぜ、ジョースターさん」
暗がりの中から現れた新たな人物。
「誰だ、お前は」
「俺かい? 俺はお人好しなジョースターさんが気になってノコノコ着いてきちまったスピードワゴンさ」
ロンドンのオーガストリートという場所に向かった際に出会ったという男で、彼の協力のおかげで薬の正体を早い段階で掴むことが出来たらしい。
「おれぁ生まれてからずっと暗黒街で生き、いろんな悪党を見て来た。だから悪い人間といい人間の区別は「におい」で分かる! こいつはくせえッー! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ! 環境で悪党になった? 違うね、お前は生まれ持っての大悪党だ!」
だいぶはっきり言うんだねこの人。
「本当に、そうなのかな」
気付けばそんな言葉が口をついて出た。
「アニ?」
「ディオは、本当に生まれ持っての大悪党なの? 死んだ母親のドレスを売ってしまえと言い放った父親を憎む彼が、行方不明になった妹を必死になって捜す彼が、本当に生まれ持っての大悪党なの? 私には、そうは思えない」
「貴様、知ったような口を聞くなよッ」
「では問おうディオッ! 君はどうして捨てられた赤子を探した! 母親の違う妹を探した! 海に捨てられたと知って何故絶望した!」
ディオの表情が驚きの色に染まった。
何故それを知っている、そう言いたげだった。
そしてそれは、ディオだけではなく、ここにいる全員が同じようであった。
「君と腹違いの妹は母親に似て君とは違うみすぼらしい赤毛だったそうだね。だけどその瞳だけは君とそっくりの赤い色をしていた」
「アニ、君は何を言って」
「ノニード・ブランドー。それが赤子の名前だそうじゃないか。君の生家の近所に住んでいた人がすべて教えてくれたんだ」
ジョジョの手が、ディオの唇が、震えているのがわかった。
きっと私も、体が震えている。
私は、しっかりと息を吸いこんだ。
「君は、私の兄ではないのか?」
ずっと知りたかった、ずっと会いたかった本当の家族は、こんなにも近くて、こんなにも遠かった。
ようやく会えた時には、もう全てが遅すぎたなんて。
「……ノニードは、もう1人の俺だった」
そうしてディオは語り出した。
「あの最低な父親に愛人と子供がいたと知った時、俺の母親は受け入れ、連れ子は俺の妹になった。だが、最低な父親はいつまで経っても最低な父親で、暴力が絶えないクズだったから兄として俺が守るべきだと無意識に感じていたんだ。あいつの母親が死んですぐに姿を消した後も」
私達は黙って彼の話を聞いている。
「だいぶ捜したな。せっかくできた妹で、俺自身を見ている気分になる存在で、だから捜した。あのクズによって海に捨てられたと聞いたのは、しばらくしてからだ。今頃サメの餌にでもなっているだろうと、言われたのはな」
話している間、ディオは1度たりとも私の方を見ようとはしなかった。
この暗がりの中だ、どんな感情でこの話をしているのかは私は知り得ない。
だけどあの夢が現実であったことや、それでも私を求めていてくれた人がいたこと、捜していた人と互いにようやく出会えたこと、その感情だけは確かに私の中を支配していた。
「お願いディオ、自首して。自首なら刑が軽くなるんでしょう? 罪を償って戻ってきた時は、そうしたら今度こそ私の兄になって」
今の私が口に出せる、心の底からの願い。
ジョジョもきっと罪を償って友人が帰ってくることを願っている。
もしかしたらエゴなのかもしれない。
そうだとしてもこれが私たちの願いで望みなのだ。
確かにディオは、私に、ジョジョに、そしてエリナに、たくさん酷いことをしてきた、許せないことをしてきた。
それと同時に7年もの間ずっと一緒に過ごしてきた大切な家族でもあった。
失いたくはなかった。
この気持ちは親を失った私たち3人なら、同じ家に生まれてしまった私とディオなら、きっと通じ合えるはず。
そう信じてる。
「……そうだねアンジェリカ、いや、ノニード。おかげで目が覚めたよ。俺は自首する」
「ディオ……」
「ジョジョ、手錠は君にかけてほしい。せめての餞別のつもりで頼むよ」
ジョジョは警官から手錠を受け取ると、静かにディオに近づいた。
「ジョースターさん、気をつけてくだせェ」
スピードワゴンの忠告にも優しく笑いかけ、ジョジョは手錠をかけようとする。
「なあジョジョ、人って言うのは考えを張り巡らせる程に脆くなっていく、限界のある生き物だな」
「ディオ……?」
「だったら、人を超えなきゃあな」
「何を、言って」
その時、とてつもなく嫌な予感がした。
「ジョジョ離れて!」
「ジョースターさん離れて!」
私とスピードワゴンが叫んだのは同時だった。
ディオが懐に手を入れる。
「俺は、人間をやめるぞ! ジョジョォーーッ!!」
取り出したのは、石仮面だった。
まさか、そんな。
ジョジョの机の、鍵のかかった引き出しにしまわれていたはずのそれをどうしてディオが持っている!?
しかもそれだけではない、ディオはもう片方の手にナイフを持っていた。
「止めて!!」
咄嗟に体が動いた。
グジャァッ!
嫌な音がなり、暗がりでも分かるほどに鮮血が飛び散った。
余談。
ノニード→noneed→No need(要らない)
余談その2。
スピードワゴンのセリフはスマホで打ってたらsimejiパイセンが勝手に変換してくださった。漫画読んでないから合ってるのかわかんないけど。