それは腕だった。
鎖のような文様が何重にも入れ墨の様に刻まれたそれは、本来あるはずの二の腕から先が無い。
防腐作用も含めた液体に漬けられているその腕には、周りの機械からいくつものチューブが突き刺さっている。
「そもそも魔法、いや魔法技術と言うべきか。それは時空に書き込まれた情報体に過ぎない。魂もそこに例外は無く、しかし触媒が無ければ生まれることすらままならない」
呟いたのは仮面をつけ、白い研究服を羽織の様に来たレリウス=クローバーの姿だった。
情報端末に情報を打ち込みながら、独り言のように呟く。
「境界の中の様に魂の情報化の再現は不可能、魂の宿らない物質すら不可であるのなら、行うことが間違っていたか? ……無から有を生み出すことは難しいものだ。貴様が事故さえ起こさなければ、暗黒大戦以前の古びた技術に頼ることもなかったのだが」
境界では全てのモノを形ではなく情報として記憶している。それは世界という存在が情報でできていることを表しているともいえる。
情報であるがゆえに、人間によって表すことも可能となる。そしてその羅列を理解すれば、全ての者を再現できるとも考えられた。
円盤型記憶媒体、刻まれた溝は記憶媒体となり情報を蓄積することができる。レリウスが読み取っているのも似たようなものだった。『腕に刻まれた文様は情報記憶媒体』としてその場所に存在していた。
もっとも、その中身の情報は全て移された後であったが。
「だが、興味深くもある。魂によって精錬された術式兵器として加工できるほどの技術ならば、魂の変質さえもできると言う事か。……ナイン、か。この技術を再現するとは、流石は稀代の魔女と言ったところか」
宙を見たレリウスの先の言葉は消え、手が止まる。
「窯の行うのは魂の情報化と再錬成、逆に『魂は情報化できる』。……劣化しているとはいえ抗体に限りなく近い魂、魂の器、『髪辺りだけでも手に入れば』悪くないサンプルだ」
――――――――――――――――
こんにちは、統制以下略のハザマです。
今回私ハザマは、カグツチのオリエントタウンからお送りしたいと思います。
私が今歩いているのは道は広いですが浮浪者が多く、人が少ない場所を歩いています。
本来私としてもこんな場所に用はありません。オリエントタウンの大通りでのんびり露店を見るなりなんなりで、時間をつぶしてしまえばいいのです。
ラグナさんの襲撃はどうせ夜でしょう。まだ数時間はある状態で支部に向かうのも難しいです。と言うか、『精錬中に鉢合わせになったりしたくありません』。巻き込まれたら笑い話にもなりませんし。
さて、そんなことを考えていたはずだった私、ばれないように視線だけで隣を歩く方を確認しました。
白い銀の髪に赤いロングコート。背中には真っ白に磨かれた大剣を背負ったその人は、緑と赤のオッドアイで真っ直ぐ前を歩いています。
一度見たら忘れにくい人ではあります。人相も悪く犯罪を犯しそうな顔をしていますが、手配書に似た人もいないので犯罪者じゃないでしょう。
「…………」
……さて、現実逃避は終了しましょう。
私の隣を歩く人こそ、噂の御仁、ラグナ=ザ=ブラッドエッジさんです。
……どうしてこうなったのでしょう。私はごく普通に昼食の兼ねた早めの晩食をとっていただけなのに。
中華料理屋に天玉うどんという、一見ミスチョイスなものがメニューにあったからですか?
それを頼んでしまったので、両方同時に反応してしまったからですか? そして暴れそうになったラグナさんと私は普通に店員に殴られたのですが。
なんですか気の流れで何かすること分かったって。文句をつけようとしたラグナさんに「お代わり要るアルカ? 私の拳をネ」ってすがすがしい笑顔を見せてくれたんですけど。というか普通に私ラグナさんの分まで払ってたんですけど。どうしてこうなった。
「……さてと、この辺りでいいか」
ラグナさんが腰の大剣に手をかけたのを見て、私は思わず後ろに飛びのいていました。
一瞬で踏み込むには遠い距離まで離れ再度その姿を見ますと、手をかけられた大剣はそのまま地面に刺して、ラグナさんが此方を睨んできているのが分かります。視線で蟲どころか人を殺せそうな勢いでした。
「……えーとですねぇ、私、どうしてここまで連れてこられたんでしょう?」
とぼけたように言う私に、その視線がますます険しい物になったような気がします。
いや着いてきた私も私ですよ? ですがいかにも殺る気マンマンの姿を見て、逃げ切れると思えるほど私も楽天家ではありません。
ですが、ラグナさんに街中で暴れられても困ります。今、支部の衛士は魂肉体全部、窯の錬成のために使われているのですから、衛士が居ないことで騒ぎになっては面倒です。
時刻は……もう十八時を過ぎました。ノエルさん先に行ってますね、これ。
「テメェがハザマ、で間違ってねぇな?」
「あーはい。統制機構諜報部、諜報員のハザマです。ちなみに非戦闘員です」
貴方と戦闘なんて無理です、という事をアピールしつつ、私は帽子を外して頭を下げました。
そうか、よし死ね、なんて短絡的な行動はとらないでしょう。どこぞのテルミさんじゃないんですから。
私の想像した通り、剣を振るうよりも先に行われたのは問いかけでした。
「……奴を出せ。どんな事情があるかなんざ知ったこっちゃねぇが、こっちには用があんだよ」
「奴、ですか?」
「テメェの中に居る奴の事だ。それとも元々表面に出ていて、惚けてるって言うならそれでもいい。今ここで潰す」
剣に手をかけて此方を睨むラグナさん。さっさと出せ、出なければ殺すという脅し文句でしたが、私にはどうしようもありません。
『彼』に対する制約を解くことはできますけれども、あっという間に乗っ取られたら話になりません。それに出てくるかどうかは『彼』次第。私にはどうしようもありません。
無表情でいますけど内心汗が凄いことになってます。とにかく『彼』に話しかけました。
(すみませーん、すみませーん!! ちょっとー!! ちょ、私じゃなくて指名来ましたよ何時までこの状況でスルーするつもりなんです「あのなぁ、ちったぁ年上に対する言葉遣いってやつを保護者から学ばなかったのか、ラグナくん?」 か……あれ?)
「テメェ……」
「あ、悪いねーラグナくんの保護者殺したの俺だったわ。クソ吸血鬼が保護者だったら口が悪くなんのも無理ねぇよな」
その言葉が口から零れ終わった瞬間、視界がぶれました。
身体の主導権はいつの間にか奪われ、私は意識は存在しますけど私自身の意思では体が動かせない状態になっています。
がきん、という音と共に視界が白いもので隠されたかと思えば、それは強化したダガーナイフと大剣が私の目の前でぶつかり合ったようでした。
その大剣の主のラグナさんと目が合います。正しくは私の身体と、ですけど。そしてその目には憤怒が映っています。
「その汚ねぇ口を閉じやがれ、この糞ヤロウが!」
「いいねぇ、いい憎しみだなラグナちゃんよ。どうせなら俺がしっかり覚醒してから向けてくんねぇか? オラッ」
ラグナさんを弾き飛ばしそのまま跳躍して建物の上に着地すると、剣を構えるラグナさんへと見下ろしました。
戦うのでしょうか。身体は動かせませんけど緊張で喉を鳴らした私は、気を引き締めるように手を握りしめました。
うん? 何かがおかしいですね。
闘技場の観客席に座っていたと思ったら、空間転移でファイターの目の前に送られたような違和感を感じるのですが。
具体的には相手の殺気を感じるぐらいに。
「(ちょ、なんで私に体を戻してるんですか!? 挑発だけのために出てくるなら最後までやってくださいよ!!)」
「(あー? 無理無理、俺が長い時間この躰を動かせないことはお前の方が知ってんだろ? 何なら封印解除すりゃいいんじゃねーの? ま、できんならな)」
無理です。できません。
この躰の優先権は私にあると言うだけで、『私と彼という存在の定義が今だ曖昧なままです。』混ざりかけていた二つの液体に無理やり板を突っ込んで区切り、容器に移し替えただけです。
つまり板が封印、容器が私の腕への刻印という訳です。それを全部取っ払えばまた私という存在は『彼』によって浸食されます。『彼』の事は嫌いではありませんが、私まで消えてしまうのは御免です。
が、私はそう思っていても相手は同じことを思ってくれないのは、明らかに立場が対等であるとは言えないからでしょう。
私が真の蒼への覚醒を求めるのは、それも理由の一つです。液体状だから混ざるのです。だからアークエネミーや蒼の魔導書も発動できなかったりするのは術式のコードが曖昧なせいで負担が大きいのです。近くに境界があって情報の補足があれば別ですけど。
それなら、固体にすればいいんです。そのために真の蒼による観測は完全にこの世界に定着させ、魂が混ざり合う事もありえないでしょう。
そんな先の事よりもまずは目の前の問題です。
目の前を走る大剣を体を後ろへ逸らすことで回避し、追撃に獣の顔を模された波動をこれまた大地を蹴って跳躍することで回避し、同じく跳躍し拳を構えるラグナさんの一撃は、見事に腹へと吸い込まれていきました。
叫び声をあげるまでもなく吹き飛ばされた私は、空き家の壁へと衝突し、そのまま中へと入ってしまったようです。
蒼の魔導書によって魂を削られ、焼けるような痛みを我慢しながら、私は辺りを見渡しました。いや本当にヤバイです。世界に存在するための重要な物へと鑢で削られていくような痛みです。
古びた家のその場所はどうやら台所であったようで、錆びてボロボロになったナイフやらフォークが私の手元に散乱していました。
まさに瞬殺。本職の衛士の群れを簡単に突き進める人外と諜報員を並べれば当然こうなりますね。
「立て」
言葉を発したのはラグナさんでした。
私が直撃して破壊した壁の大穴から、私を見下ろし腕を前に構えています。
……本当にやばいです。ラグナさんの反対側にガラスでできた窓があり、そこを逃げ道にできないかと考えましたが、実力差を考えればそれも難しいです。
あっけなく私吹き飛ばされましたけど、しっかり体を強化して障壁まで張ったのにこの状態です。
腐ってもS級犯罪者である死神です。勝てるわけがありません。生きるための手段を考えるために頭が思考を始めても、良い答えは出てきません。
実際の時間にしてほんの数秒、ですが答えが出ないという現実を導き出した私に、語りかける声がありました。
「(情けねぇな)」
いや、殆どあなたのせいです。
なんとか穏便に済ませようとしていたのにこの結果です。
「(だろうな。俺としてはこのままハザマちゃんが逝っても面白いんだが……、何時までも調子に乗らせんのも気にくわねぇ)」
「あれ……私……は?」
呆けたように呟く私の近くにいつの間にか寄ったのか、ラグナさんの大剣が倒れる私の首のすぐ近くへと突き刺さっていました。
妙なことに私を見る視線に何も表情がありませんでした。蒼の魔導書である右腕で大剣を握り締めている手には力が入り、油断を見せているようではなさそうです。
流石にこの状況で楽観的なれません。
さらには生き残るための策は私にはありません。つまり、どんなものであろうと『彼』の助言を受け入れなければならないようです。
「テメェには用は無い。さっさと奴を出せ」
―――――――――――――――――
ラグナが右手で握りしめた剣は喉元近くに突き刺され、何か抵抗をしようものなら直ぐに動かせる、そんな姿勢をとっているつもりだった。
見下ろす統制機構の諜報員は、数年前に見た姿と大きく変わりはない。寧ろ自分が昔小さかったことも相まって今の姿は小さく見える。
ハザマ、その存在を知ったのはブラッドエッジの名を使い始める少し前の事だった。
自分の意思ではなく、上位の存在によってその体を操られ動く人形。だがその人形には意思があり、その人格を攻めることはできない。
自分の世界を壊したのはその上位存在であって、ハザマの罪ではない。師匠である獣兵衛にそういわれたとき、感じたことは怒りだった。
だからどうした、何も知らない、自分の意思じゃない、それが俺の全てを奪う免罪符になるわけがない。
獣兵衛の重苦しい表情と、レイチェルの沈黙をその身に受けながらも、そう言わないわけにはいかなかった。
世界を壊すと決めたときから、犠牲者が出ることは当然で、そしてその重荷を背負っていくことも覚悟していた。だが、その犠牲者を出すことが目的ではない。
自分が殺したいのはこの男ではない。人形の糸の先に居る主こそ、自分にとっての敵に他ならない。
だから、待った。目の前に転がるハザマがその存在を引きずり落とすことを。
「……どうして殺さないのでしょうか? S級の犯罪者となれば、私なんて床の埃と同じ、吹けば吹き飛ぶような存在ですよね?」
首だけ傾け此方を見上たその表情は、嘲笑の色が見て取れる。
無言で腹を蹴り飛ばすが、少しむせた以外ににやにやと笑うことは変わらず、無意識に剣を強く握っていた。
「テメェには用はない。生きたかったらテルミを出せ。何度も言わせんなこの馬鹿が」
「あー、用があるのはテルミさんでしたか。いやはや、私も出せたら直ぐに出してはいるんですけどねぇ……生憎と『面識がない』ものですから」
その言葉は嘘であることは明確だった。『少なくともラグナにはそう思えた』。
圧倒的に不利な状態にあるにもかかわらず、にやけた顔で此方を見下し、挑発してきている。
文字通り、人形か。糸を操るもののために生きる、そういう存在になっているということだろうか。
「それに"生きたかったら"ですか。なんとも死神様は優しいお方ですねぇ。支部を一つ壊滅させたついでに何人の人が死んだのでしょうか。私だけ特別扱いなんて、嬉しくて涙が出ますよ」
「……何が言いたい」
「だからその優しさに便乗して逃げさせてもらうって言ってんだよ、。魔素抗体術式、解放」
ぞわり、という嫌な予感。そしてどこか懐かしいような違和感が身体に走り、言葉を全て聞く前に右腕を動かし、その首を刎ねようとした。
操り人形であるのなら、こいつはテルミの駒の一部であることは間違いない。なら、情報を引き出せないと分かったのなら殺しておくのが正解だ。
ハザマの目の前に術式が発動したことを表す白い紋章が現れ消えた。ハザマが身体を起こすと共に散乱したナイフを掴み、投げるまで数秒、対してラグナは右腕を動かすだけで事は終わる。
『蒼の魔導書』である右腕を動かせば、この予感についても杞憂に終わるはずだった。
「なっ」
動かない。
きつく握りしめられた右腕、『蒼の魔導書』は肉体ではなく、まるで本物の精巧な義手の様で、自分の意思では動かなかった。
当然、大剣を動かすこともかなわない。その合間にもハザマの行動は完了している。
顔面に一本、心臓へ一本投げられたナイフは、本来の用途を成すものではなく、果実を切るための果物ナイフだ。
だが、魔導書がハザマの術式によって停止した今では、それさえもラグナに致命的な傷を負わせる道具となり得る。
左足で地面を蹴り飛ばし、倒れこむように回避して体勢を立て直したのもつかの間、身体をバネのように飛び上がらせたハザマは、倒れこんだラグナに目もくれずに窓へと走る。
「っちぃ! テメェ、待ちやがれ!」
叫んだ言葉は無視され、身体の前で腕を交差させたハザマは、ガラスを破りながら窓へと飛び込み、外へと着地した。それを確認しラグナも追いかけるようにして窓へと走り、外へ出る。
だが、まだ夕方の時刻とは言え冬のこの季節では辺りは影につつまれるため、視界も悪い。なによりも走るのに何も動かない右腕は邪魔でしかなかった。
全力で走るハザマとそれを追いかけるラグナ。追いかけているのは十全の諜報員であり、逃げに徹された時点で追いつけないことは確定している。
数回曲がり角を曲がり、再度開けた区域へと差し掛かる。その時点でラグナの視界にダークグレーの諜報員の姿は見えなくなっていた。
見失った、その事実を実感し、言いようのない悔しさが胸にこみ上げ吐き出された。
「……クソッ!!」
拳が作られた右腕を壁へと叩きつける。
廃墟ばかりが広がるその区域ではそれを咎める者もおらず、壁を殴る音だけが空しくあたりに響き渡る。
ふと、ラグナが疑問を感じたのはそのときだった。
右腕が動く。先ほどまで欠片も動こうとしなかった魔導書は、まるで自分の右腕の様によくなじんでそこに存在している。
「無様ね、ラグナ」
そしてその声を聴き、うんざりする様に顔をしかめる。
何時からそこに居たのだろうか、開けた道の外灯の上には人影があり、冷めた視線でラグナを見下ろしてた。
黒いドレスに髪を二つに分けたリボンは、ウサギの耳の様にピンと立っている。雨も降っておらず、ましてや日差しもないこの時刻に黒い傘をさした少女、レイチェル=アルカードは、先ほどハザマが見せていた笑みとはまた別の、嘲笑の笑みを見せている。
「おいウサギ! テメェ。見てたならなんで止めなかった!」
「あら、私が貴方の言葉に従う義理は無いのだけれど。それに下僕としての言葉遣いがなっていないのではなくて?」
透かした顔で、今からお茶でもするかのような涼しげな表情に、ラグナは思わず歯の奥を噛みしめた。
そうっス、なってないっスよ、と便乗するお供1の声がさらにその苛立ちを加速させた。
「誰がテメェの下僕だ! じゃあなんだ、わざわざ俺を笑うためだけにここに来たってか? はっ、暇つぶしなら自分達(テメェら)だけで茶会でもやってろ!」
「下僕が随分な口をきけるようになったのね。仕付けするのは主人の仕事だけど、今回は本当にあなたには用はなかったもの」
その言葉にラグナはどこか違和感を覚えていた。
行く先行く先でちょっかいを出してくるレイチェルだったが、基本的に意味が無いことの方が多い。意味があったとしてもそれをありげに話すため、本当に意味があるかどうかもう分からないのが普通だった。
それが用がある、だと? その対象が自分ではないことも驚きだが、それをラグナ自身に話されることも違和感の一部だった。
「……あっそーですか! 用が無ぇなら俺はもう行くぞ」
軽く手を挙げてレイチェルに背を向ける。
やるべきことが今ある現状で、何も話さないのなら興味を向ける必要もない。それよりも考えるべきこともあった。
先ほどのハザマの術式。白い紋章と共に現れたその効果は一見何も起こらないように見えたが、自分の右腕のみ、その効果ははっきりと表れていた。
腕が、正しく言うならば蒼の魔導書が全く起動しない状態。
「そういえば、腕はきちんと動くのかしら、ラグナ?」
「……どういうことだウサギ、テメェ何を知っている?」
先ほどの出来事を示唆するような言葉の呟きが届き、出しかけた足を止めラグナはレイチェルを睨む。それでもどこ吹く風で涼しげな表情に笑みを作っただけだった。
「とても懐かしい雰囲気を感じたからまさかとは思ったけれど、そう。やはりミツヨシの言っていた通りだったのね」
「おい、自分だけ納得してんじゃねぇよ。ウサギ、アレはなんだ?」
アレ、ハザマの術式は考えてみれば違和感しかない。
蒼の魔導書の働きを阻害する術式、そもそもそんなものを統制機構が発明できるのか。できたとしても、自分が感じた『違和感』はいったいなんだったのか。
術式が発動していたのはほんの短い時間であり、追いかけているときには無意識ではあったが、すでに蒼の魔導書が動かなくなった、ということは無かったはずだ。
そして、違和感。遠い昔に感じた感覚ではあるが、なぜそれがあの術式を発動した瞬間に現れたのか。
「……呆れた、ミツヨシは貴方になにも話していなかったようね。いえ、それが正解かしら。だってあの術式には……」
――――――――――――――――――――
「おぼろろろろろろろろろおうぇぇぇぇぇぇぇえ。きもちわるいきもちわるいきもちらうし」
「(ハザマちゃんあんまり無様なところ見せてくれんなよ、笑うだけで腹筋が割れちまうじゃねぇか!)」
時刻は既に18時は回っています。ノエルさんからの電話がひっきりなしになっていますけど出る気になりません、というより出たら通信機に色々なものがかかります。
現在は路地裏で、まるで飲みすぎて許容量を超えてしまった中年の様に、身体の中身をリバースしている最中です。
風邪と車酔い酒酔い船酔いがいっぺんに体へと押しかけたような気持ち悪さに、私自身が限界だったのか、路地裏の陰で四つん這いになって吐いてしまいました。
「なんですかなんですかなんなんですかぁ!? あのマスクオヤジとあなた何考えて私にあんなの仕込んだんですか? 馬鹿ですかそうですか死んでください」
「(おいおい、なんとかラグナちゃんから逃げ切れたんだぜ? どこに文句言う筋があるってんだ」
「納得いかないのはどうして貴方はピンピンしているんですか!? あんな術式発動してヤバイのは貴方のはずでしょう!」
「(べっつにー、あのクソババア本人だったらやべぇけど、アレ疑似的な魂だぜ? 苦しむのは肉体だけってな」
「~~~~~~~!!!?!?!」
なんとか気持ちの悪い波も収まり、支部へ向かおうと考えたときには、もう30分も過ぎていました。
ラグナさんへと発動した術式、それは魂自体を触媒の一部とし、作り上げられた術式でした。
効果は単純で、黒き獣関係の術式の発動を阻害するというもの。これがあればたとえ相手が蒼の魔導書でも問題ありません。という説明を『彼』から教えられました。
さて、此処で問題。この躰は純粋な肉体ですか。いいえ違います。レリウスさん特製、体中が『蒼の魔導書のようなもの』という素晴らしいボディ。
発動する気はありません、というかしたら私が滅ぶと思いましたが、そこで彼が 強 制 発 動 !
死ぬかと思いました。吐くもの全部吐いて胃まで出てくるかと思えるほど気持ち悪かったです。毒だって吐きたくなります。
ノエルさんのメールを確認しつつ、私は支部に向かいます。なんでも要約すると、”キサラギ少佐がぼろ雑巾の姿で見つかり、少し補修したけどどうしたらいいですか?”というものでした。
ラグナさん、行動速くないですか? そしてキサラギさん……。とりあえずラグナさんは地下に居るだろうあの人に任せるとして、ノエルさんはどうするべきでしょうか。
私が境界に接続したのももう一か月も前になります。細かいところまで覚えていませんけど、そのままだとノエルさんが死亡することは覚えています。
「”先にラグナ=ザ=ブラッドエッジを追ってください。衛士用のエレベーターがあるので直ぐに追いつけます”……と。こんなもんですね」
「(へぇ、行かせんのかよ、素体の所に)」
「……勝手にそうなるよう、世界は修正を加えるでしょう? なんとかこの場所からなら追いつけるでしょうし、万一死にそうになったら回収しましょう。覚醒する前に死なれても困りますから」
「(で、ラグナちゃんはあの英雄様にってか? おいおい、そんな事象が何度あったと思っている?)」
「……なんとかなれば幸いなんですけどね。こればっかりは運です」
そう、覚醒するもしないもノエルさん自身の問題ですし、全部上手くいくことを目指しても、ダメなこともあるでしょう。
では私は布団の中でガタガタ震えるのか、といわれれば否と答えます。やれるところまでやってみましょう。それでもダメなら窯の中にでも飛び込むつもりです。この身体はレリウスさん特製、なんとかなるかもしれません。
「(楽しみだなぁおい、全部終わるか、それとも首の皮一枚繋がるのか、こんな任務、スリルがあって楽しいだろう)」
笑う彼の言葉に私は頭を抱えたくなりましたが、そんなことをしている時間も惜しいです。
統制機構支部、私のこれからの運命もそこで決まるとなると、少しばかりですが緊張してきました。
ですがこの緊張さえも私が生きている証です。それを情報という名の文字の羅列へと変えられるのは御免です。
そんなふうに支部へと向かう私のポケットの中で、通信機がだれかからの着信を受け取りました。