楽しい夢を見る。
自分と同じ金色の髪の男の子。手を引かれ一緒に歩いているのだろうか?
とても暖かくて、優しい夢。
でも、自分自身が知らない夢。どこで見たのか、それとも聞いたのか。
形さえも無い空ろのような夢。
少年が振り向く。その少年は―――――――
【ジン=キサラギの捜索、および確保せよ】。目が覚めてから何度見直してもそう書かれている命令書を見直す。
仮眠室でベッドに腰掛けたらそのまま寝てしまったのだろう。まだぼんやりとした意識を戻すため、自分のポーチから書類を再度取り出した。
青い帽子とポンチョを着込んだ少女……ノエル=ヴァーミリオンは、誰にも聞こえないよう、小さく溜息をついた。
数日前、「少し出てくる」という言葉と共に部屋を出た自分の上司の最後を思い出し、ノエルは思わずため息を吐いていた。まさかそのまま失踪するとはだれが考えるだろうか。
仮眠室のベッドから体を起こし、ぼんやりと手に取った報告書を眺めながら考える。
マコトのお見舞い以来から、ジンはどこか落ち着きのない様子だった。尋ねるとすぐに「なんでもない」と言って睨むので、ノエルは踏み込んでいけなかったということもある。
次の報告書に目を通すが、あまり頭の中に入ってこない。仮眠室、とはいってもノエルは自室のようにぐっすり寝てしまっていた。頭が働かないのも仕方ないだろう。
そこには用紙の半分ほど使って、指名手配犯の似顔絵が描かれていた。余りにも似ていない。凶悪犯であるということを印象付けるために、わざと描かれているのだとノエルは思う。
小さい子供たちの落書き帳にされそう、と。意識は外れ名前へと移った。
「……ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」
何故かはわからない。だけど自分の意識はこの名前に惹かれていくように感じる。
何かをしてほしい、ということが本能で言っているように感じるのに、それがなんなのかが分からない。
ノエルはじっとそれがなんなのか探ろうとする。ゆっくり目を閉じて集中しようとして……くぅ、と小さくとも確かにお腹が鳴った。
「そういえば……お腹減ったな」
起きてみれば前の食事から十時間は経っていただろう。それじゃあ食事をとりに行こうかな、とノエルの思考は指名手配犯の名前から食事へと移っていた。
寝ていただけ、と言ってもお腹は減るし、ぼんやりとした頭を戻すには食事は必須。
そう自分を納得させて思わずうなずく。決して出される食事がおいしいからとかそんなことはない。
朝なのにデザートも出されるから逃すわけにはいかないとか、そういう理由じゃない。朝食は一日のエネルギー源。そうノエルは思い、何度も頷く。
外に出る前に水道の鏡を再度見て軽く寝癖を直し、ナチュラルメイクだけ済ます。
今日のデザートはなんだろなー、と。小さな期待を胸に、ノエルは部屋を後にした。
…………
………………
……………………
「いやあ素晴らしいですねゆで卵! この艶この色この感触! お風呂上がりの子供のような暖かさ柔らかさだ・ん・りょ・く! さてまずは一口……? あれ、ヴァーミリオン少尉じゃないですか。おはようございます」
「お、おはようございます……」
すごく、近寄りたくない。黒いスーツに白い髪、今回の任務での上司を見て、ノエルは思わずそう思った。
食堂で選んだフレンチトーストを置いて、自分が前に座ったのも構わず、熱狂的にゆで卵について一人語りを始めた大尉に対して、何も思わないというわけがない。マイナスイメージを。
自分が前に来たから語り始めたのではなくて、独り言だったらしい。それを考えるともっと怖い。悪い人ではないのだけれど。そう思うノエルのハザマに対するイメージが段々と変わってきた。
大胆にむかれている最後のゆで卵を、ほくほくした顔で食べているのを見ると、よほどゆで卵が好きなのだろう。隣の器に大量の殻が積まれていた。
「……すごい量の殻ですね。確かに卵は栄養がたくさんありますけど、少々偏って食べ過ぎではありませんか?」
「む、良いんです私が好きなんですから。そういうヴァーミリオン少尉も……フレンチトースト二枚にカフェオレ、それにアイスですか。太りますよ? 勿論胸ではなくお腹が。意外とカロリー高いですし」
「い、いいんです! 朝なんですから! 沢山栄養とるべきなんですから! 胸もお腹も関係ありません!」
「どちらかというとブランチのような気もしますけど……殆ど冗談ですよ。そんな恨めしそうな目で見ないでください。傷つきます」
どうやら自分は恨めしそうな目をしていたらしい。というか殆ど冗談ならどれが冗談ではなかったのだろう。場合によってはセクハラで訴えたくなっていた。
マコトからは確かに聞いていた。自然にセクハラをしていくような人だと。マコトは慣れているようだったけど、上司には一方的に嫌われていたから、慣れそうにもない。慣れる必要はないけれども。
曰く、初対面でよ、夜の相手(勿論お酒的な意味です)を頼んだり、勝手にお尻(尾)を揉んだり……。
だけど話しているマコトはむしろ楽しそうだった。本人も大尉のことはす、好きだと言っていたからかもしれない。
そこまで思い、マコトって趣味悪いな、という言葉で締める。どちらもフレンドリー的な意味ではあったが、趣味悪いのは事実であるため、本人が聞けば笑ってその通りだと言うだろう。
「それにしてもよかった。衛士の人たちってお堅い人が多いですから。ヴァーミリオン少尉が諜報部の軽い風紀を理解してくれて助かります」
「いったい誰のせいですかもう!」
軽く笑うハザマを放置して、朝食のフレンチトーストに舌鼓をうつ。せっかく出された朝食。カロリーなどという雑念は放置して、楽しもうと意識を集中させた。
確かに初めからお互い堅くなるのはなし、ということを先に言われたのだ。
ノエルとしてはリラックスできるといえばできなくもない。秘書官としてジンの補助をしていた時よりは気持ちが楽なこともある。もちろん任務のことを含めてはいないけれども。
フレンチトーストを咀嚼しながら思う。そうした思考に捕らわれてしまったのだろう。咀嚼するのが不十分にもかかわらず、フレンチトーストは喉へと行ってしまった。
「ああそうでした。カグツチに着くまでに任務について少し話して……大丈夫ですか? はいカフェオレ」
「けほっけほ……あ、ありがとうございます」
少しだけむせってしまい、ハザマから渡されたカフェオレに手をつけた。そしてそのままカフェオレで喉の奥まで流し込む。
かすかに感じられるカフェオレの苦みと、全体的に感じる濃い苦みと、甘さが隠れるどころかかき消された苦みが口の中で感じられた。
「~~~~~!?!?!?」
「あ、これ私のブラックコーヒーでした。すみません間違えまし……だからそんなに恨めしそうに見ないでくださいってば」
たとえるなら真正面から来たボールを受け止めようとしたら、空間転移で真横から飛んできたような気分だった。
甘みを待ち構えていた舌の上でコーヒーが躍り、苦みを口全体に拡散させたのは言うまでもない。
私でからかってるのかな……。そんな言葉が頭をよぎり、ノエルは恨めしそうにハザマを見た。
ノエルの頭の上では、相手は上官だよ~。そんなことしちゃだめだよ~、と、頭の中で天使にデフォルメされたノエルが警告している。しかし数秒後にはなんなくベルヴェルグに撃ち落されていた。
ノエルからの恨めしそうな視線を感じ、居心地が悪そうにしたハザマは、わざとらしく咳払いをしてから食器を避けて座り直る。
真剣な表情に戻したハザマを見て、思わずノエルも座り直し、トーストを切り分けたナイフを一旦置いた。
「任務の話をしましょう。あ、食べながらで結構ですよ」
「あ、はい」
そう言われフォークでそのままトーストを口に運んだ。味をじっくり楽しみながら食べられないのは、少しだけ残念だ。
話したことはそこまで重要なことではなかった。
失踪間際のジンの様子や、ラグナ=ザ=ブラッドエッジがかかわっている可能性など、簡略的に説明したものだのだろう。
「もともとラグナ=ザ=ブラッドエッジの調査については、ヴァーミリオン少尉に降るはずの命令だったはずなんですけどねぇ」
「え、そうなのですか?」
「そうなのですかって貴女……。そこからキサラギ少佐の向かった場所を読み取れたって……報告書に書いて置いたはずですけど?」
「うっ…………目は通しました。どうやら見逃してたみたいです」
ラグナ=ザ=ブラッドエッジはどこの階層都市でも、支部を破壊して行動している。
キサラギ少佐はラグナ=ザ=ブラッドエッジに強い興味を引いている。それが報告書に書かれていたことだった。
つまり、支部に居れば両者とも遭遇できる。そう考えて問題ない。ノエルもハザマに実際聞いてみたところ、その想定であっているようだった。
「えっと、カグツチへの到着が1100時ですよね? それまでずっと支部で待機ですか?」
「いえいえ、きっちりラグナ=ザ=ブラッドエッジについての調査も行いますよ。1800時に支部で合流しましょう」
「……え? べ、別々に調査するのですか?」
「いや、そんな捨てられた猫みたいな目で見ないでください。士官学校でもアンケートみたいなことをしたでしょう。似たようなものですよ」
「その……そういったことは殆どマコトやツバキ……友人に任せっきりだったというか、なんといいますか、必修の単位ではなかったので……」
「くそ、なんて時代ですか! 衛士と諜報員との間でこんなにも訓練内容の差があるとは思いませんでした!」
わざとらしく頭を抱えるハザマ大尉と対照的に、ノエルは小さくなって顔を赤くすることしかできなかった。どうしてあのとき頑張っておかなかったのだろう、と。
後悔することになるのなら、マコトの付き合いで取った授業とはいえ、真面目にやるべきだった。思い直しても後の祭りである。
書類の整理や情報を纏めることはあっても、現地での聞き込みという任務は実質初めてであるといってもいい。初めてのことであるのだから、多少なりとも緊張や不安は存在する。
大きく溜息を吐かれ、ノエルはさらに体が小さくなったように感じていた。どう考えても呆れられているのだろう。
「……いえ、文句は言えませんね。衛士にまで調査を任せたのは諜報部の人材不足が原因ですし。イカルガに特攻なんて馬鹿させるから……」
「ハザマ大尉?」
「ああいえ、何でもありません。経験が無いのなら仕方ないですね。私もついていきましょう。現地で覚えてください」
「は、はい! 了解しました!」
意外にも小さく笑ったハザマを見て、ほっと一息ついた。
かすかにあった不安や緊張が取れていたような気がする。何より、話しにくいということもなさそうだ。セクハラはあるけれども。
この調子なら任務もうまくいくかもしれない。キサラギ少佐を探して、戻ってくるように言うだけの簡単な任務だろう。不安になることは……あんまりない。
想像しているよりも、ノエルはハザマの態度にリラックスできたと言えるだろう。それが現地でよかったのかどうかは別の話ではあったが。
―――――――――――――
『ガキの御守りは大変だなぁハザマちゃんよぉ』
ヴァーミリオン少尉が立ち去ってから数分、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲む私に、彼に話しかけられました。
「そうは言っても暇ですから。窯の錬成とか私じゃできませんから。任せますね」
『ああ、そこは問題ない。……だがお前も案外薄情だな。このままだと支部の衛士はみーんな窯の錬成に使われることになるんだぜ?』
「その辺りはもう慣れました。こう見えても諜報員ですから」
これから多くの人間の魂を生贄にされることを知っている。
そうだとしても私はただ知っているだけです。物語を動かすことのできる英雄でもなければ、その流れを壊す破壊者にもなり得ない。言うなら一般人A。序盤に食い殺される役目がお似合いの人間です。
全部の人間を救えるようなこともできませんし、自分本位にしか動けないただの人間です。
『だが、お前はこの
「ええ。躰的にはそういう存在ですから。だけど私は先を知ってしまいましたから。未来を求めたいんですよ」
『そのための必要な犠牲ってかぁ? 酔狂な奴だ。俺の望みを聞かなければ、大量の犠牲はなかった可能性もあったんだが? こんな状態だ。制する方法が思いつかなかったとも思えないんだがなぁ?』
自嘲する様に話す彼に、私も小さく笑いました。
そんなことをすればおそらく肝心なところで足を引っ張られてしまうでしょう。この躰のことを、気にする事も無く。
繰り返す世界。知ってるものが見れば、それは世界の終焉のようにしか感じません。そんなものに向かっていく一般人はいないでしょう。
今更ですね。彼と共に居る時点で、私は一般人であることはありえない。
「ああ、意外ですけど私、貴方のことそんなに嫌いじゃないですから」
『……はっ』
吐き捨てるように意識から消えていくのを感じて、私も思わず笑いました。
牢の中で枷をはめている相手に対して、そう考えてしまうのは平等なことであると考えることは不可能です。おそらく一方的な考えでしょう。
それでも、と。私は思う。悪態をつき、私はため息交じりにそれを答え、くだらない日常から解放されるために好き勝手して、私はそれを追いかける。どんな形であれ、両方笑っていることができました。
もしも私も彼も、別々の躰に居て普通の人間であったとしたなら。
友、と。そう呼ぶこともできたかもしれません。
次回からCT入ります。