選択
とある夏の日。
ラウラが俺の通う中学に転入してきて、しばらく経ったころ。
「あっつー……」
「なんでこの炎天下の中グラウンドを走り回らなきゃならないんだ?」
「本気で熱中症になりかねんよ、これは」
昼休み直後の5時間目という、もっとも暑さが厳しい時間帯に行われる体育のサッカー。
15分間ボールを追って走り回った後、男子達は給水タイムをとっていた。
俺も弾と数馬と一緒に移動し、おのおの近くに置いていた水筒から水分補給を行ったところだ。
「女子の方はどうなってるかね」
喉をしっかり潤してコートに戻る途中、弾がもうひとつのコートの方へ視線をやった。
男子よりも先に給水タイムをとっていた女子達は、すでに試合を再開している。男子以上にやる気の有無がはっきり分かれており、積極的にボールを追う人もいればほとんど同じ場所に立ちっぱなしの人もいた。
「おおっ」
その中で、ひときわ目立つ存在がひとつ。
「すごいな、ラウラさん」
「あの距離からシュート入るのか」
コートの中央付近でボールを拾ったラウラが、流れるようなドリブルからあっという間に得点を決めてしまった。
その光景に感心したような声を漏らす数馬と弾。
俺はというと、すごいと思うと同時に、まあこのくらいなら軽々やっちゃうんだろうな、なんて感想も抱いていた。
「さすがというか、なんというか」
以前男3人で襲いかかった時も、軽くあしらわれてしまったし。
小柄な体を補うには十分すぎるほど、運動神経がずば抜けている。
同じチームの女子とハイタッチを交わすラウラを見ながら、いつの間にか俺達は足を止めていた。
「しかし、ああやってスポーツで躍動している女の子はエロい。なあ数馬」
「同意見。普段と髪型が違うのも加算ポイントに入る」
「……そうなのか?」
長い髪が邪魔になるのだろう。体育の時間は、ラウラはいつものストレートを後ろで束ねている。
でも、それだけでエロいという発想に果たして行きつくのだろうか。
「わからないのか一夏。半袖短パンで汗をかく美少女の素晴らしさが」
「ほら、もっとよく見てみろ。ラウラさんの体つきを」
がしっと肩と頭を2人につかまれ、視線を固定されてしまった。
「むう……」
確かにラウラは可愛いけど、毎日家と学校で顔を合わせているわけだしなあ。
頑張ってる姿は魅力的だけど、遠くから見るだけでどきっとすることは――
「ラウラちゃんの胸……」
「ラウラさんのふともも……」
「ラウラちゃんのふくらはぎ……」
「み、耳元でささやくな気持ち悪い!」
催眠音声みたいなしゃべり方に苦しめられているうちに、コートにいた先生からお呼びがかかったために、この話は打ち切られた。
まったく、2人とも悪乗りがひどい。
*
夏の体育はやっぱり疲れる。
くたくたになって教室に戻ってくると、俺は席について大きく息を吐いた。
「ふうー」
「疲れているようだな。一夏」
頭上から聞きなれた女の子の声が降ってきたので、顔を上げる。
「こう熱いとな……あれ」
声の主は、思った通りラウラだった。
でも、髪型がいつもと違う。
「髪、くくったままなのか」
「ああ、これか? たまにはこのままで過ごしてみたらどうだと、花梨に言われてな」
「へえ」
今のラウラの髪型は、ストレートではなくポニーテール。サッカーをしていた時と同じだ。
「似合っているか?」
「おう。運動している時以外はいつもおろしてるから、新鮮な感じがする」
「そうか」
うれしそうに笑うラウラ。
「なら、いつものと比べるとどちらがいい」
「え? そうだな……うーん」
ストレートのラウラと、ポニーテールのラウラか。
銀色の髪がすらっと伸びているのもきれいだが、今みたいに体の動きに合わせてひょこひょこ髪が動くのも可愛い。
どっちがいいと聞かれると……
「まあ、両方同じくらい好きかな。うん」
「同じくらいか。むう」
はっきりした答えが欲しかったのだろうか、ちょっと残念そうな顔になる。
とはいえ、考えてもなかなか決められないしなあ。
「ねえ」
ちょっと沈黙が続いていたところ、横から割りこんでくる声が。
「灯下さん」
「前から思ってたんだけど、織斑くんはちょっと優柔不断なところがあると思うのよ」
「え、いきなりなに?」
ラウラの隣に立った灯下さんは、椅子に座っている俺を腕を組んだまま見下ろす。
「いきなりじゃないよ。鈴のもどかしい頑張りを見守っている時からずっと思ってたんだから」
「は、はあ」
鈴のもどかしい頑張りってなんだ? いまいち思い当たる節がないんだが、とりあえず灯下さんはいたって真面目だった。
「ラウラちゃんもそう思うでしょ?」
「わ、私か? そういうことはよくわからんが……まあ、どちらでもいいと答えることが多いような気がしないでもない」
「だよね」
ラウラにも半分肯定されてしまった。
自分ではそうは思わないんだが、俺って優柔不断なんだろうか。
「というわけで、放課後私がチェックします」
「……えぇ?」
*
6時間目が終わり、迎えた放課後。
「では織斑くん。これから私が出す2択に対してきちんと答えを出してください」
俺の席にやって来た灯下さんの手には、何やらメモらしきものが握られている。
そして、彼女の両脇を固めるように人里さんと中入江さんが立っていた。
「ちゃんと全部答えられたら、優柔不断の汚名は返上ってことで」
「……わかった」
正直あまり乗り気はしないのだが、断らせない威圧感を3人から感じるので素直に従うことにする。
「ラウラちゃん。あそこの4人は何やってんだ?」
「何やら一夏の優柔不断度をチェックするらしいぞ」
「ふーん。面白そうだから俺達も見てくか」
俺と親しい面子も集まってきて、教室の隅にそこそこ大きな集団ができてしまった。
遠巻きに様子をうかがっているクラスメイトもちらほらといる。
「ではまず第1問。ラーメンとおでんはどちらが好き?」
「うーん。ラーメンは味噌がうまいし、でもおでんも具の種類が多くていいよなー」
「ちゃんとどっちかに決めないと駄目だからね」
「わかってるよ」
急かされても答えは出ない。
じっくり考えて、どちらかを選ぶとするなら。
「ラーメンかな」
「ふむ。ラーメンってことは、こっちに1票ね」
「1票?」
「あ、織斑くんは気にしないでいいよー」
灯下さんのつぶやきが気になったのだが、人里さんに軽く流されてしまった。
「じゃあ次。中国とドイツはどっちが好き?」
「食べ物の次は国か」
ドイツという単語にラウラが反応していたが、過去を恐れるとかそういった態度ではないようなので放っておく。
「どっちもたいして詳しいわけじゃないけど、ドイツかな。国旗がかっこいい」
「理由はどうあれ、答えを出すことが大事だからね」
「今度はこっちに1票っと」
思いつきみたいな理由だったが、別にOKらしい。相変わらず、何かぶつぶつ言っているのが気にかかるけど。
「第3問。アジア人の女の子と白人の女の子、どっち?」
「……うん?」
なんか、質問の傾向変わってないか。
「ほら、早く早く」
「えーっと。これ、別に答えられなくても優柔不断にはならないような」
「いちいち細かいことは気にしない!」
「ええー……じゃあ、アジア人? 別に白人だからって差別するわけでもないけどな」
大事なのはそれ以外の部分だし。
フォローの意味もこめてラウラの方を向いて笑いかけると、あっちも微笑みながらうなずいた。わかっているさ、のサインらしい。
「第4問。元気系とクール系、女子の性格としてどっちが好き?」
「また女の子の話?」
これも一概に一方を選べるような問いじゃないと思うんだが……
「クール系? 俺じゃ逆立ちしてもなれない性格だし」
「おー、また並んだ。じゃあ次は……ええと、体型については2人ともアレだから聞かなくてよし」
周囲と相談しながらうんうんとうなずく灯下さん。
「それじゃ、第5問だね」
「まだやるのか?」
「ごめんごめん。これで最後だから」
両手を合わせて謝りながら、彼女は5つ目の質問を口にした。
「ツインテールとストレート。どっちが好き?」
「って、また髪型の話か」
本当、これに関しては決め難いんだよなあ。
「……なあ、弾。これってやっぱり、そうだよな」
「相当あからさまだしな。完全にあの2人の比較をやってる」
「弾も数馬も、何をぶつぶつ言っているのだ?」
ギャラリーの会話が耳に入ってくるが、あっちもよくわからないことを話していた。
「どっちもいい。じゃ、駄目なんだよな」
「うん」
そうは言っても、髪型なんてその人に似合う形が一番いいんだろうし。
それ単体で好みを選ぶのは、どうにも難しい。
何か、俺にとって『これだ!』と言えるようなお気に入りの髪型は――
「……あ」
「決まったの?」
3人の顔を見ていて、あることに気づいた。
「いや。灯下さんの髪型なら、迷わず好きって言えるんだけどなーと」
「……え、ええっ!? 私っ!?」
サイドポニーって言うんだったか。髪を束ねて、横に垂らしたあの形。
俺の好みと言えば、これだ。どこがどういいのかと聞かれると答えられないけど。
「いいよな、それ」
「えっと、それはどうもありがとう。うん」
自分に話が振られるとは思っていなかったのか、慌てた様子の灯下さん。若干照れているようにも見える。
「そ、そっか。織斑くん、私の髪型が好きなんだ……って、ちがーう!!」
「うおっ」
急に大声出されるとびっくりする。
「そういう風に話を逸らしちゃ駄目! ちゃんと2択に答えなきゃ」
「えー」
「はい。今の態度がよろしくないので2問追加です」
「えーっ!?」
結局、その後もいろいろあって帰りはだいぶ遅くなってしまった。
*
「早く帰って夕飯の用意しなくちゃな」
「大変だったな。お疲れ様だ」
みんなと別れて、ラウラと2人の帰り道。
今日の献立を頭に浮かべながら、彼女の隣を歩く。
「夕食の準備は、私も手伝うからな」
「ああ、頼りにしてる」
地道に練習を重ねたおかげで、今ではラウラも一人前に料理ができるようになった。まだレパートリーは少ないけど、俺がずっと見張っていなければならない状況からは卒業している。
「一夏」
「ん?」
「先ほど、枝理達にいろいろ言われていたようだが……私は、優柔不断でも一夏のことが好きだ」
「………!」
不意打ちに近い、真っ直ぐな言葉と笑顔だった。
ラウラは本当に、思ったことを素直に口にする。
「ば、馬鹿。面と向かって照れるようなこと言うな」
「む? 好きなのに好きと言って何が悪い。あと顔が赤いぞ」
「いや、それはだな」
ラウラの『好き』は、もちろん家族としての『好き』なのだろう。
そうだとわかっていても、思わずドキリとしてしまうのは止められないわけで。
純真無垢な妹分に理由を説明するのは、なかなか骨が折れる作業だった。
*
そんな感じの、夏の日の思い出の1ページ。
春休みになって唐突にそれを思い出したのは、今現在俺が置かれている状況が原因だろう。
「一夏。小柄でスレンダーな女とグラマーな女、お前はどちらが好みなのだ?」
2人きりの自宅のリビング。
ソファーに座って一緒にテレビを見ている最中、小柄な恋人にそんなことを尋ねられた。
「急にどうしたんだよ」
「一般的に、男はスタイルの優れた女に惹かれやすい。お前はどうなのかと思ってな」
じーっと視線を送ってくる。割と真面目な調子の言葉に、俺はちょっと戸惑った。
「……どっちにも、それぞれのよさがあると思うぞ。うん」
「逃げるな。2択で答えてもらわなければ困る」
「だってお前、前に言ってただろ。優柔不断な俺も好きだって」
「時にははっきりとした判断が必要になることもある」
それって果たして今なんだろうか、と思わなくもないのだが。
じりじりと距離を詰めてくるので、言いづらいけど素直な気持ちを口にすることに決めた。
「体型だけで言えば、グラマーな方が好きです」
「………」
ぴし、とラウラの体が固まった。
……怖い。何が怖いかって、完全に無表情なのがめちゃくちゃ怖い。
「えっと、怒ってる?」
恐る恐る様子をうかがうと、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「私が無理に聞いたのに、望みの答えを得られなかっただけで怒るのは理不尽が過ぎるだろう」
「そ、そうか」
「だが」
ほっとしたのもつかの間。
なぜかラウラは、ニヤリと笑みを浮かべてさらに距離を詰めてきた。
「ら、ラウラ?」
「この間、枝理達にアドバイスをもらった。たまには積極的に行った方がいい、とな」
「それってどういう――」
身構える俺に対し、ラウラは機敏な動きを披露して。
「……え?」
すとん、と、俺の膝の上に腰を下ろした。
「どうだ。小柄だとこういうこともできるのだ」
「む……」
確かにこれは、すっぽりと膝に収まるお手頃サイズ。この状態でも余裕でテレビ画面が見える。
「だ、抱きしめるのも簡単だぞ」
今度の売り文句は、ちょっと照れ気味だった。
期待に応えて後ろから腕を回すと、女の子の柔らかい感触が全身に伝わってくる。
「……正直、癖になりそう」
「そうだろう、そうだろう。やはりグラマーなど必要な……ひふっ!? 馬鹿、急にくすぐるな、ふふっ」
そのまま番組が終わるまで、ずーっとくっついていちゃいちゃしていた。
小さな恋人というのも、いいもんだ。
……小さいのがいいと言っても、ロリコンじゃないからな。
いろいろと想像の余地を残す感じで締めていくスタイル。一夏の一人称で進む以上、すべてのキャラのすべての心情を語ることはできないですし。
というわけで、ちっちゃいヒロインもいいよね、ということを伝えたかったお話でした。
感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
多分番外編はまた書くので、次回もよろしくお願いします。