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結局、家に戻った時には夜の7時をまわってしまっていた。夕方には戻ると言っておいたのだが、当然ながらすでに陽は沈んでしまっている。
「ただいま。悪い千冬姉、遅くなっちまった」
ラウラと2人で玄関に入り、開口一番謝罪する。もともと近くにいたのか、千冬姉はすぐに廊下まで出てきた。
「おかえり。気にすることはないが、何かあったのか」
「いや、高台の公園に行ってたんだけど、ラウラが思いのほかそこの景色に見惚れちゃってて」
「なっ……馬鹿を言うな。見惚れていたのは一夏の方だろう。私はただ、いろいろと考え事をしていただけだ」
「え、そうだったのか? 俺も途中から、景色見るよりラウラと話す方に集中してたんだけど」
「要するに、もっと早く戻れたということか」
わざわざ日没後まで公園に居座る必要はなかったらしい。でもまあ、ラウラといろんなことを話せたからよしとしよう。
「……なるほど。確かに、何かあったようだな」
俺達の様子を見て、千冬姉はほっとしたような表情を浮かべている。心配事が解決したような、そんな感じの顔だった。
「すぐに夕飯用意するから」
いつまでも玄関で話している理由もないので、靴を脱いでリビングに向かう。ラウラも俺にならって移動しようとしたところ、千冬姉に呼び止められた。
「ああ、そうだ。ラウラ、お前は私に、何か言うことはないのか」
「はい……?」
立ち止まって一瞬呆けた彼女だが、すぐに何かに気づいたようにハッと体を震わせた。
「……た、ただいま戻りました。教官」
しゃべり硬っ!
「硬いぞ」
姉弟揃って同じ感想を抱いていた。
一方ラウラは、どこを修正すればいいのかいまいちわからないと困っている様子。
「俺と同じこと言えばいいんだよ」
小声で助け舟を出してやると、今度はなぜか緊張した面持ちに。さっきから感情表現が明らかに豊かになっていて、ちょっと面白い。
「し、しかし、教官相手にあまり砕けた言葉は」
「んなこと気にする必要ないって。本人が希望してるんだし」
はっきり言ってしまえば、そもそももう教官じゃないし。
一緒に暮らしていく以上、千冬姉も余計な壁は取り去りたいんだろう。
「で、では」
しばらく躊躇していたラウラだったが、やがて意を決したように千冬姉に向き直る。
「……た、ただいま」
「おかえり」
口をすぼめてうつむくラウラと、そんな彼女に微笑む俺の姉。
たったそれだけのやり取りが、不思議と俺の心に強い印象を残した。
「さて、飯だ飯」
昨日作ったカレーの残りがあるから、簡単なサラダでも追加すれば短時間で夕食の用意ができるだろう。
決して手抜きと言うなかれ。効率がいいだけだからな。
*
週が明けて、月曜日の朝。
「行ってくる」
「おう、いってらっしゃい」
俺が家を出るよりも早く、千冬姉はIS学園に向かう。週の初めはいつも、こうして玄関まで出て見送りをしている。
でも今日は、見送りの人数がひとり多い。
「ご武運を」
だから硬いって。なんで胸に手当てて敬礼してるんだよ。
「私はこれから戦場にでも向かうのか」
「ただの学園ならともかく、IS学園ですから」
「え、IS学園ってそんなにヤバいところなのか?」
俺まで不安になってきたんだが。もしかして定期的に謎の組織からの襲撃があったりするのか?
なんて考えているのがばれたのか、千冬姉が呆れたような視線を送ってきた。
「そんなわけないだろう。生徒には特定の場所以外でのISの展開を禁止しているし、学園のセキュリティもちゃんとしている。そうそうトラブルは起こらんさ」
「だよな」
なんかあるんならニュースになったりしてるだろうし。IS学園に関して、少なくとも俺は悪い噂は聞いたことがない。
「………」
言うべき言葉はわかっているのだろう。
でもやっぱり抵抗があるみたいで、ラウラはしきりに口を開けたり閉じたりしている。
「い」
それでも、彼女は自分の力で、自分の意思でその一言を紡いだ。
「い、いってらっしゃい……」
「ああ、行ってくる」
ぽん、とラウラの頭の上に手を置いて、優しく撫でる千冬姉。
その間、ラウラはずっと照れくさそうに下を向いていた。正直、可愛い。
「一夏」
ラウラから手を離し、ドアに手をかけたところで、千冬姉は俺の方を振り向いた。
「なんだ?」
「頼んだぞ」
「……もちろん」
何を、というのはわかりきっているので、任せろと言わんばかりに笑っておく。
安心したような顔になった千冬姉は、今度こそ外へ出て行った。
「さて、俺も学校行く準備するか」
「そうか、一夏もすぐ出るのか」
まるで今気づいたかのようにつぶやくラウラ。毎朝同じ時間に家出てるんだが、ひょっとして印象に残っていなかったのか?
「朝食の後はすぐ部屋に戻っていたから、お前がどうしているのかは知らなかったし、関心も抱いていなかった」
そこまで言って、彼女は申し訳なさそうに俺を見る。
「食べるだけ食べて何もしないとは、振り返ってみると最低の居候だな。……すまない」
「仕方ないさ」
本当は、ラウラだって一歩前に進みたかったはずだ。同じ場所に留まったままでいいと考えていたわけじゃない。
だが、彼女は他人に同情されることを恐れていた。トラウマが、彼女の足をがんじがらめに縛っていたんだ。
そのがんじがらめの縄を、なんとかほどくことができた。だから今、ラウラは変わろうとしている。
「しかし」
「申し訳ないと思ってるんなら、これから頑張ればいいだろ?」
そうだな、さしあたっては……。
「とりあえず、俺のことも見送ってくれ」
「一夏……」
ちょっと呆けてから、ラウラは微笑みながら元気よく返事をした。
「ああ、任せろ!」
学校に行ったら、改めて弾達にお礼を言っておかないとな。
*
その日の夕食は、なんとなくの思いつきでミートパスタにしてみた。
カチャカチャとフォークと食器がこすれる音だけが、しばらく続く。
2人きりの食卓だけど、もう氷点下ということはない。お互い口数は多い方じゃないが、会話がないのと会話ができないのとではまったく違う。
「そういえば、今まで聞き忘れてたんだけど」
「む、なんだ?」
こうして話題が頭に浮かんだ時に、自由に尋ねられるのは本当にいい。
「好きな食べ物とかあるか? 教えてくれたら、今度作ってみようと思うんだが」
「ふむ……いや、特に好き嫌いはないな。極端な話、食えればなんでもいい」
「ありゃ」
残念だな。せっかくやる気出てたのに。
「だが、お前の作る料理はうまい。軍の味気ない食事よりも、ずっと食が進む」
「はは、そりゃうれしいな」
ラウラは思ったことは素直に言うタイプっぽいし、お世辞じゃないんだろう。
「これを毎日食べられないとは、教官も残念に思っていることだろう」
「それはおおげさじゃないか?」
「そうか? 本気で言っているのだがな」
確かにクラス内でも上手い方だという自信はあるけど、そこまで褒められるほどの出来じゃないと思う。あくまで将来専業主夫やれるかもってくらいだ。
「教官は、料理ができるのか?」
「あー……しばらく作ったの見たことないけど、あんまりできる方じゃないなあ」
俺が小さかった頃は、織斑家の食事は大きく分けて3パターンだった。
外で何か買ってくる。近所の篠ノ之さん家でごちそうになる。千冬姉が作る。
で、俺の記憶の中では、千冬姉の料理のレパートリーはカレーと野菜炒めしかなかったような気がする。味の方は……まあ、うまかった。姉の手料理によるプラス補正こみでだけど。
「そうなのか」
「仕事頑張ってくれてるから、できなくても全然かまわないんだけどな。家事は俺が担当してるし」
「適材適所、というやつだな」
「その通り」
……ただ、将来千冬姉が結婚するとしたら、相手の男の人はその辺ちゃんとした人であってほしい。うちの姉は気を抜く時は本当にずぼらだから。たまに下着姿で歩き回る癖はいつになったら治してくれるのだろうか。
「せめて俺程度には家事ができないと、安心してお嫁にやれないよな……」
「何をぶつぶつ言っているのだ?」
「……はっ、いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだ」
「そうか。しかし、教官にも不得意な分野というものはあるのだな」
うなずいて、パスタを一口頬張るラウラ。
うーん。
「なあ、そろそろその教官っていうのやめないか?」
「……なぜだ?」
「朝のやり取りでも思ったんだけどさ。なんというか、他人行儀な感じがするんだよな」
あいさつが堅苦しかったりするのと同じで、その呼び方も直した方がいいんじゃないだろうか。そう考えたので、思い切って提案してみた。
「しかし、教官は私より上の立場にあたる人で」
「それは向こうでの話だろ。ここは日本で、しかも俺達は同じ家に住んでるんだ。千冬姉だって、もっと砕けたしゃべり方してほしいって思ってるはずだ」
だからこそ、『ただいま』や『いってらっしゃい』を言わせようとしていたわけだし。
「では、どう呼べばいい? 織斑さん、か?」
「俺も織斑だぞ」
「一夏は一夏と呼ぶから区別はつく」
「そっちがよくてもこっちはややこしい」
どっかで混乱しそうだ。それにまだ他人行儀っぽさが残ってる。
「なら、千冬さん、でどうだ」
「そうだな、それならよさそうだけど……でも、なんかひねりが足りないよなあ」
「待て。ひねる必要がどこにある」
ラウラのツッコミは置いといて、もうちょっと考えてみる。
名前で呼ぶだけでも千冬姉は十分うれしいだろうけど、もっと喜ばせようとすると。
「あ、そうだ」
ひとつ思いついた。
「俺と同じ呼び方はどうだ」
「お前と同じ? つまり」
「そう、千冬姉だ」
自信満々に答えたら、どういうわけかジト目で睨まれてしまった。
「何を言っている。私とあの人は姉妹ではないのだぞ」
「実際に姉妹じゃなくても、近い関係になることは可能だろ?」
この際だし、俺の素直な気持ちも洗いざらい吐いてしまっておこう。
「ついでに俺にとっても妹みたいなもんだし」
「なっ、私がか!?」
「だってもう1ヶ月以上同じ家に住んでるんだぜ? ちゃんと話せるようになったのはつい最近だけど、顔を合わせる機会は本当に多いし……俺としては、半分家族みたいに思ってる」
「……家族」
目を丸くしたラウラは、俺の言葉に驚きを隠せないようだった。ちょっと突拍子のない話だったかもしれない。
「千冬姉も、俺と同じなんじゃないかと思う」
「そうなのか? 私は、一度もそんなことを聞いた覚えは」
「俺はあの人の弟だぞ? 信じろ」
意外と照れ屋で素直じゃない面のある千冬姉だ。素直に言葉にしない可能性は結構高い。
「千冬姉はさ、あんまり他人に内側まで踏みこませようとしない人なんだ」
美人なのに彼氏ができた形跡すらないのは、そういう面があるからだろう。
「でも、ラウラに対しては違った。わざわざ日本にある自分の家まで連れてきた」
いくら教え子が傷心だったとしても、普通はそこまでしないはずだ。
でも、千冬姉は家に住まわせた。内側を曝け出した。
「多分、そういうことなんだよ」
「………」
黙りこんでしまったラウラに向かって、俺はできる限りの笑顔を見せた。
「ラウラ自身の気持ちはどうだ? 千冬姉がお姉さんだとしたら、嫌か?」
「そんなことはない! 私のような人間のためにここまでしてくれたのだ。感謝こそすれ、嫌うようなことなどありえない。だから……姉でも、いいと思う」
「そうか」
それはよかった。俺もうれしい。
「試しに呼んでみるくらい、いいだろう? 嫌なら嫌って、千冬姉もそう言うさ」
再び沈黙。
考える時間を十分取ってから、ラウラはゆっくりと顔を上げた。
「……千冬姉、という呼び方はしっくりこない」
困ったような笑みを浮かべて、彼女は俺の提案に対する答えを出す。
「姉さんとなら、呼んでみてもいい」
その日から、ラウラの千冬姉を『姉さん』と呼ぶ練習が始まり。
迎えた週末の土曜日、成果が披露されることとなった。
「お、おかえりなさい。……ち、千冬姉さん」
「………」
呼ばれた瞬間、硬直する千冬姉。
「……ああ、ただいま」
でも驚いていたのは一瞬で、すぐに冷静な態度を取り戻していた。
表面上はあまり感慨を抱いていない風に見えたが、実際はどうだったのだろう。
俺は千冬姉じゃないから、本人の心の中までは見通せない。
……でも、参考までに言っておくことがあるとすれば。
その時の千冬姉は、やけに顔の筋肉がひきつってるみたいだったとか。
ラウラに姉さんと呼ばれて以降、しばらく鼻歌を歌う頻度がやたら増えていたとか。
そういうところから、察するべきなんだろうな。
前半のシーンの地の文にあった「しゃべり硬っ!」という表現は、「しゃべり方」と「硬い」をかけて「しゃべり硬っ」とした一夏の渾身のネタです。笑ってあげてください。
感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。