フェンリルに勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 作:ノシ棒
寝心地の悪い鋼鉄の寝台が背中の熱を奪っていく。
腕輪の換装時に使用された適合台に、ぼんやりとユウは横たわっていた。
天井から吊るされたモニターに映るラケルの微笑みに生返事を返しつつ、時が過ぎるのを待つ。
定期健診。ラケル博士による問診の、質疑応答中である。
ブラッド隊はその発足から現在に至るまで、新機軸の理論と技術とで構成された部隊である。
その体一つとっても機密の塊りだ。とても通常の医療職員では検診を任せられない。
ブラッドの身体、心理的データは全てがラケルの統括として一括管理されていた。
定期健診もまた、ラケルの領分である。
心理ストレステストも兼ねての問診は、ラケルの性格が反映されているのだろう、難解な例えが多くて辟易とさせられた。
榊博士の詩的な言い回しもうんざりさせられたものだが、やはり博士という人種はややこしい者が多いのだろうか。
極東に居たころも定期健診は嫌という程受けてきたが、どうにも勝手が違うのは、ここが技術の最先端を往くフライアであるが故。
今は第二世代機と呼ばれる可変タイプ神機も、ユウがゴッドイーターとなった当時は新型機であった。
出撃の合間を縫うようにひっきりなしにデータ採集が行われており、それが後に続く新型機にフィードバックされ続けていたと聞く。
ただ、神経接合の問題上、検査には全身麻酔をかけなければゴッドイーターでさえ耐え難い痛みが付きまとった。
第三世代機となりその点が改善されたのだろう。
これまでは事前に睡眠薬を投与され眠らされ、決まって検査明けは自室のベッドの上だった。それを考えれば痛みがないのはありがたい。
腕輪を解して神経にねじ込まれたオラクル細胞の棘。それを逆さにヤスリ掛けされるような激痛が、今となっては懐かしくも思える。
全身をミミズが這い回るような不快感に目をつぶれば、だが。
『最後の質問をしましょう』
モニター越しに・・・・・・黒のベール越しに、ラケルが微笑む。
内側をどこまでも見透かしたような笑みだった。
事実、機器に繋がれた状態ではリアルタイムでバイタルがチェックされている。
脳反応さえ精査されているのだから、嘘も誤魔化しも利かない。
全てがお見通しなのだろう。
それに苛立ちを感じている、ということさえ。
『あなたの『意志』は・・・・・・“ここ”にありますか?』
硬いベッドの上で首を傾げる。
質問の意図が解らない。
ここ、とラケルは自らの頭蓋を指し示す。
『あなたのその『意志』は、どこに宿っているのでしょう? “ここ”にちゃあんと、収まっていますか?』
――――――ラケル博士、その・・・・・・心理的なテストでしょうか? 答えの出ない問答で、ストレス耐性をはかる、とか?
『あら、あら、賢い子は好きですよ? うふふ、ふふ・・・・・・。少し、講義をしてあげましょう。そのまま、楽にして聞いていてください』
モニターからラケルの顔が消える。
代わりに映されたのは、3D映像・・・・・・ゆっくりと回転する“脳”のモデリング画像が映された。
『大脳皮質、大脳辺緑系・・・・・・前頭葉に、視床下部、扁桃体・・・・・・人間の脳というものは、まさに芸術。
自然の中で進化した、他に代えのない究極演算装置・・・・・・その演算は、全てが意志という一つの結果を出すために集約しています。
ええ、いわゆる心や、精神というものですね。そう、心は脳によって作られるのです』
心・・・・・・すなわち、意思である。
脳によって意思は、心は作られるとラケルは説明する。
映された脳モデルの、精神を司る部位や回路が明るく光る。
『脳はとてもデリケートな部位。ほんの少しの傷で・・・・・・見た目にはわからないくらいに、ほんの少しだけの傷が付いたら、もう駄目になってしまう。
オラクル技術全盛期の現代でさえ、脳のブラックボックスはほとんど解明することが出来ていません。
たとえ脳の損傷を元通りに治療する技術が生み出されたとして、果たして治療を受けたその人は、“前”のその人と同じと言えるでしょうか?
脳をメモリの集合体と考えるならば、治療とはメモリの増設であり・・・・・・ワークスペースの拡大でしかありません。
そのメモリを行使するべき意志は、どこからきたのでしょう? どこから生まれたのでしょう?
“遊び場”が拡大しただけだというのに、まるで別人となってしまっていたのなら、意思とはいったい、どこに宿っているのでしょうか』
――――――ラケル博士、質問の意図が・・・・・・。
『意志とは、脳のネットワーク。その形を言うのだとしたら。
神経細胞が生み出したニューロンの火花、その総体であるのだとしたら。
さて、そこに異物が混入した時・・・・・・脳のカタチが変わってしまったのだとしたら、果たしてその意志は“その人のもの”であると言えるでしょうか?』
背筋にヒヤリとした冷たさがあった。
硬いベッドの、鋼材の冷気ではない。
『そもそもゴッドイーターとは、神機を持つ者を指す言葉ではないのです。
偏食因子を体内に投与された者を指して、ゴッドイーターと言う・・・・・・。その偏食因子が、人体組織を微量のオラクル細胞に置換し、様々な恩恵をもたらすこととなる。
筋力の増加。感覚の鋭敏化。保有するエネルギー絶対値の上昇。外気呼吸によるオラクルパルスの摂取蓄積。
少しの刺激・・・・・・回復錠による治癒能力向上も解りやすい例でしょう。あれはオラクル細胞に餌をやっているのですから。
ゴッドイーターの超常的な戦闘能力。それらは全て、オラクル細胞があなたの体に結び付いてもたらした恩恵なのです。
そう・・・・・・感応現象もまた――――――』
知らず、ユウの指は額へと伸びていた。
モニタに映らずとも解る。
ラケルはきっと今、満足そうな微笑を浮かべていることだろう。
『感応現象とは、微量のオラクル細胞が脳神経へと融合した結果、発生する現象です。
さて、ユウ・・・・・・私が言いたいことが、賢いあなたならばもう、解りますね?』
――――――脳にオラクル細胞が混ざった・・・・・・俺の心はもう、以前のものとは違う・・・・・・俺のものではない、と?
「ある者は――――――孤高の頂へ望まず昇り。
ある者は――――――劣等感を澱のように募らせ。
ある者は――――――罪過を自ら重くし膝を着き。
ある者は――――――自我を封じ救済という名の苦痛から逃れ。
ある者は――――――記憶を捨てることで憎悪の牙を引き抜いた。
全て・・・・・・そう、全てが戦うために。戦うという、意志の名の下に――――――」
しかし、果たしてその意志とは、いったい誰のものなのか。
ラケルが微笑む。
微笑みという名の無表情を脱ぎ捨てて、真に。
『脳神経にオラクル細胞が癒着した者は、大小の差はあれど、皆精神に何らかの変調を来たします。
多くは元来持ち得た人格の肥大化・・・・・・ゴッドイーターらしくある、ある種の勇ましさや傲慢として。
あなたはたくさん、たくさん見てきたはず。幼い第二世代のゴッドイーター達が、喜び勇んで勇敢にアラガミへと立ち向かい、そして無残に散っていった様を。
即席でゴッドイーター《インスタントソルジャー》となれるのは、それなりの理由があったということ。
アラガミ相手に命を掛けさせるというのに、ゴッドイーターのメンタル面へ向けた訓練は驚くほどに少ないのは、これが理由ですね。
戦闘への恐怖を取り去る後催眠暗示、マインドコントロールも不要となるのですから、ローコストで素晴らしいですね。これ以上ない、兵士の作成方法であると言えるでしょう。
全て、あなた達の脳に住まうオラクル細胞の、命令によるものですよ。
戦え――――――そして、食らえ、と』
ゴッドイーターの戦闘力は、身体に宿るオラクル細胞に因る。
そして、オラクル細胞を飼っている以上、捕喰の宿命から逃れることが出来ない。
それは身体内部の老廃物や、生体電流などでまかなわれているのだと言われてきた。
だが、そうではないのだとしたら。
オラクル細胞そのものの研究は、実際はアンタッチャブルなものと化している。
その性質は解明されつつあるが、本質はまるで解っていないのだ。
榊博士は、第二世代以降の感応現象の要因は、神機由来のオラクル細胞であると言っていた。
神機が望むもの・・・・・・それは、アラガミを喰う事に他ならない。
『精神の後ろ暗い部分が肥大化したとして、しかしその“ストレス”がなければ戦えないのだとしたら、“そうする”のが自然ではないでしょうか?』
宿主の脳を知らず支配し、自発的にアラガミと戦うよう仕向けているとしても何ら不思議ではない。
その理由が、ストレス・・・・・・抱えた苦悩であったとしても。むしろそれを巨大化させることで、戦うための枷とするのではないか。
まるで、首輪を付けられた闘奴のように。
寄生生物が、宿主の行動や思考を歪めることは、自然界では全くおかしなことではない。
脳に結びついた神機型オラクル細胞が、寄生虫じみた働きをしたとしても、むしろ道理である。
人間に搭載された精神というシステムが戦闘に適さないのだとしたら、それを改造することさえしよう。
神機の世代が上がる毎に脳とのオラクル細胞の結び付きが強まるのだとしたら。
ブラッド隊の面子は、既に――――――。
――――――つまり・・・・・・第二世代以降のゴッドイーターは、より戦いに適した形へと、その意思が整形されている、と? 極めて自然にみえるように?
モニタにラケルが戻る。
その表情は、常の微笑みの無表情へと立ち戻っていた。
ただ、その瞳には、計り知れない程の深さ・・・・・・暗い虚が感じられた。
『同じ質問をしましょう、ユウ。
二世代機間に渡り、神機から長期間の改造を受け続けたあなたの脳は、あなたの意志が、ちゃあんと保存されていますか?
感情の分離、自我の剥離が著しいあなたの精神構造は。
戦いにおいて、まるでゲームのキャラクターを動かしているかのように感じる、あなたのその感覚は。
親しい友人と話していたとして、思考と感情が表に出ることがない、あなたの矛盾した思考体系は。
かつてのあなた・・・・・・あなた本来のものであると、証明できますか?
あなたの『意志』は・・・・・・“ここ”にありますか?』
――――――俺は。
ユウは寸瞬、答えに詰まった。
その問いを肯定することは、今のユウには不可能なことであった。
告白するならば、この意思が、確かに自分のものであるなどと思ってはいない。
明らかに外部からの操作を受けている。それを自覚している。
神機からの改造・・・・・・改良を受け続けている。
人は神機と、脳というワークスペースを共有しているだけなのか。
それとも、意志に寄生する何か・・・・・・それが神機というアラガミの在り方なのだろうか。
――――――意志とは、ただの情報に過ぎないとは、俺は思えません。
脳から生み出されるだけのものなのだとしたら、心とはあまりにも・・・・・・非合理的すぎる。
精神が物理的なものであるのだとしたら、合理的でなければならない。
自分の命を捨てて誰かを代わりに生かそうなんて、思うことすら許されないことでしょう? でも、俺は何度もそれを見てきた。
俺がそうであるように、意志もまた矛盾に満ち溢れている。そうとしか言えません。
人間存在とは、脳神経が織り成す輝きの、影でしかないのでしょうか。
俺はそうは思えません。
人間の本質が意志なのだとしたら、その意志はどこにあるのか、どこから生まれるのか・・・・・・俺には解りません。脳ではないと、そう思います。
でも、一つだけ解ることがあります。感じているだけ・・・・・・それこそ、脳の錯覚が生み出した幻想なのかもしれません。
きっと博士の言うそれは、“ここ”にはない。そう思っています。確信があります。でも、どこにあるかは。
心とは・・・・・・精神とは・・・・・・意志とは・・・・・・何なんでしょうね。一体どこにあるものか、俺も知りたい。
ユウの独白は、一定の満足をラケルにもたらすものであったらしい。
くすくすと笑うラケルは、また無表情の微笑みではなくなっていた。
先生が生徒の至らない回答を可愛がって笑うような、そんなくすぐったさを感じて、ユウもまたつられて笑ってしまった。
初めて、ラケルと通じ合えたような気がした。
『ならば、探すとよいでしょう。ブラッドとは、血の意志を刃に掲げる者達。意志の力を振るう者達。あなたの答えを、この意志の舞台《部隊》で』
――――――博士も、ジョークを言ったりするんですね。それもあんまり上手くない・・・・・・。
『解っていても、言わない方がいい事もある。解りますね、賢いユウくん?』
――――――ひぇ。
かつて、ある科学者が言った。
魂は存在せず、精神は神経細胞の火花にすぎず。
神のいない無慈悲な世界で、たった一人で生きねばならぬとしても、なお。
なお、我は意志の名の元に命じる。
「生きよ――――――と。そう・・・・・・生きておらねば、何を為す事もなく、為されることもないのですから。
ええ、ええ・・・・・・生きなければ。生きていてもらわなければ。だって、そうでしょう?」
電源の落ちたモニタは、ラケルの声をユウに運ぶことはなかった。
あるいは聞こえていたとして、果たしてユウに何か出来ただろうか。
きっと、届くことはない。
それは積み重ねた意志の差。
今は未だ――――――。
「“生きていた”ものでなければ・・・・・・とても食べられませんから、ねえ?」
□ ■ □
祈れと言われたことがある。許しを乞え、と。
ずっと幼い頃の話。何が癇に障ったか解らないが、サディズムに富んだ戦技教官に、眼窩に拳銃を突き入れられた時のことだ。
足が泥になる程に殴られて、耳などとうに塞がれてしまっていた。ただ、口の動きがそう言っているように見えた。
なぜそうしろと言ったのかは解らない。ただ、言われた理由は解っていた。私があまりにも劣等品だったからだ。
これは処分だった。
当然であると思った。
自分などよりももっと有能な子が先に処分されたのは、単にこの教官の気紛れにすぎなかった。
むしろ、自分がなぜここまで残っていたのかが不思議に思っていた。
堅い銃口を押し当てられ出血する眼球で、鉄の冷たさを感じながら思ったのは、処分相当は当然である、という納得である。
この教官の、不必要な趣味的言動が、自分を生かしていたにすぎなかったのだ。
子供達を殴り、悲鳴を上げさせ、儀式めいた文句を謳い処分を下す。
泣かない自分を我慢強い子であると勘違いし、最後のデザートとして残しておいたのだろう。
激鉄が起こされ、引き金に指が掛かってもなお、私は泣かなかった。
処分されることは当然の事である。感傷など抱きようもない。当たり前の事に、心が動くことはない。
あるいは、心など、私にはなかったのかもしれない。
ロボット・シエル。
私はきっと、心までもブリキで出来た、おもちゃの人形だ。
「父よ。天にまします我らの父よ。ねがわくは――――――」
続けて唱えよと命じられた聖句を、何の感慨も無く述べる。
許したまえ。
おお、許したまえ。
掴み上げられた腕が折れてもなお感情の色を見せぬ私に、教官が激昂する。
果たしてこの命が閉じられるのは、聖句を言い終わるのが先か、教官の辛抱が切れるのが先か。
聖句曰く、願わくば。最後の望みを述べますは。
最後の、願い。私に願いなど、そんなものはあっただろうか。それを抱いたことなど、あっただろうか。
突きつけられた拳銃。引き金が軋む。
願いとは。望みとは。許しとは。
わからない。
ただ、ふと、思ったことがあった。
手紙の返事を、まだ書いていなかったな、と。
ああ・・・・・・最後に、願わくば、手紙を書きたい。
久しぶりに手紙をくれたあの人に、どうか届きますよう。
文面に元気がなかったように感じたあの人へと、希望に溢れた言葉を尽くし、手紙を書きたい。
それを呼んで、微笑んでくれたなら。
それだけで、私はもう。
ああ・・・・・・それだけが、私の願いだった。
何の色もない、空のような生の中、私がたった一つ抱いた祈り。
どうか、君が笑っていられますよう。
願いはあった。ここに、あった。
ならばきっと、私の命に、意味はあったのだ。
許したまえ。ああ、君よ、許したまえ。
君が心を尽くしたであろう手紙の返事を、私は書くことができない。
どうか気分を害さないでほしい。
ああ、ああ。少しだけでいい。
ほんの少しだけでいいから。
だから。
引き金が引き絞られ。激鉄が落ちた。
鉄を叩く音。
命の終わる音を聞いた。
「よかった」
死神の鎌の如く、弾丸は命を容易く奪っていった。
弾は、シエルの眼を穿ち脳を破壊する・・・・・・はずだった。
顔面に降り注ぐ生暖かさは、返り血の飛沫。
目の前にいる教官が、頭部のいくらかを失って、ぐらりと倒れ込んだ。
拳銃が、暴発したのだった。
「これで、返事が書ける・・・・・・」
支えを失って崩れ落ちる体。
浴びた血が、まるで涙のように頬を伝って落ちた。
きっと私は、微笑んでいるのだろう。震える手足は歓喜によるものに違いない。
全身が何故か、眼球に感じた銃口よりもなお冷たく、寒く、震えだす。
ポケットに忍ばせていた手紙を取り出す。震える指先が、送り主の名を撫でた。
寒さが消えることがない。吐く吐息までも凍り付いてしまいそう。
きっと、こんなにも寒々しい灰色の空の下にいるせいだ。
命が消えるのは当然で。この世界では誰がそうなったとしても不思議ではなく。だからまた、こうして生き延びたのはただの偶然で。
だから、願いは、希望は・・・・・・抱いてしまえば虚しくなるだけだった。
だって――――――それが叶わぬことと、理解し切ってしまっているのだから。
ならば、魂まで凍りつくかのような寒さはきっと、身の内側から染み出したものなのだろう。
知らねばよかった。こんなものなど。
でも。
「ふ、ふ・・・・・・」
私はただただ、手紙を胸へと掻き抱いた。
なんて、冷たい――――――。
□ ■ □
「お帰りなさい、ジュリウス隊長」
「フラン! ブラッド隊はまだ現場か?」
「はい。まだ神機兵の随伴任務から帰還しておりませんが」
「戦闘状況は!?」
「神機兵γは大型アラガミとの戦闘テスト終了後、待機。現在データ送信中です。
神機兵βが小型アラガミと戦闘続行中。シエルさんがその護衛に当たっています」
『こちらシエル、神機兵β背部に大きな損傷。フライア、判断願います』
「了解。神機兵βを活動停止します。シエルさん、アラガミを撃退し、神機兵を護衛してください」
「待て、フラン! 帰還の途中で赤い雲を見かけた! ここはもう極東区域だ、あれはおそらく・・・・・・」
『こちらギル。ここからも“赤乱雲”を確認した』
『すっげえ・・・・・・初めて見た。本当に赤いでやんの・・・・・・』
「小型のアラガミであるからと、シエルに単独で当たらせるべきではなかったか・・・・・・! 総員即時撤退だ! 一刻を争うぞ!」
『いいえ、隊長。既に赤い雨が降り始めました。ここからの移動は困難です』
『マジかよ・・・・・・!』
『ねえ、シエルちゃん、大丈夫なの!? 確か赤い雨にうたれたら、病気になっちゃうんでしょ!? 致死率100%だって・・・・・・』
「全員防護服着用! シエルはその場で雨をしのぎつつ、救援を・・・・・・」
「待て! 勝手に命令を出すな!」
「グレム局長・・・・・・!」
「神機兵が最優先だろう。おい、その、なんとかいう奴聞こえているな? アラガミに傷つけられないように守り続けろ」
「馬鹿な! 赤い雨の中では戦いようが!」
「俺が! ここの! 最高責任者だ! いいから命令を守れ! 神機兵を守れ! 命に代えてもだ! わかったか!」
「人命軽視も甚だしい! あの雨の恐ろしさは貴方も知っているはずだ!」
「それがどうした? 貴様達は死ぬのが仕事だろう? 人命? お前達ゴッドイーターが、人と同じ命だと? 馬鹿馬鹿しい」
「それが局長の言う言葉か・・・・・・!」
『隊長・・・・・・隊長の命令には従えません』
「シエル! それは、俺の言葉だからか? すまないと思っている。過去の俺が吐いた言葉は、もう飲み込むことは出来ない。
幼さ故の無知だったと言い訳するつもりもない。心から謝罪する! だから頼む、シエル! 俺の言うことを聞いてくれ!」
『いいえ隊長、いいのです。私は何とも思ってはいません』
「シエル!」
『不十分な装備での救援活動は、高確率で“赤い雨”の二次被害を招きます。よって上官であるグレム局長の命令を優先し、各部隊現場で待機すべきかと考えます』
「自分だけでなく、皆にも戦い続けろと・・・・・・! シエル、頼む・・・・・・どうしたらお前に、お前の心に届くんだ・・・・・・」
「だめです。無線が切られています!」
「ふん・・・・・・なかなかよく躾けてあるじゃないか。結構結構」
『アーーーーッ!?』
「今度はなんだ!?」
「クジョウ博士からです!」
『副隊長! 困ります! あーっ! 副隊長副隊長副隊長! あーっ! 困ります! あーっ! 副隊長困りますあーっ!』
「ユウか!? ユウが何かしたのか!?」
『えっと、ナナよりフライアへ。えっ・・・・・・とね、その』
「ナナ! ユウが・・・・・・副隊長が動いたんだな!」
『う、うん・・・・・・えっと、副隊長が、その』
「そうか・・・・・・いや、なら、いい。あとはユウに任せておけ。神機兵がいなければ任務もなにもないだろう。全員撤退しろ!」
『お、おいジュリウス、アイツ放っておいていいのか?』
『すげーっ! すげーっ! いいなーっ! 俺も俺も! なー、俺も!』
『煩いぞロミオ! それどころじゃねえだろうが!』
「いいさ。放っておけ。どうせ、生きて還える。フッ・・・・・・はははっ! ユウのやつ、まったく!」
「おい、ふざけるな! 何が起きている! 報告しろ!」
『えっと・・・・・・副隊長が、ね? 神機兵に乗って行っちゃった・・・・・・』
□ ■ □
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
ちょっと触ってみたかっただけなんです!
だってリアルロボじゃん?
超かっこいいって、少しくらい触っても怒られないよねって、そう思うじゃん?
変なとこ触っちゃって、背中ぱかーって開いて、びっくりして転んだ拍子にコックピットにジャストイン!
しちゃってからのオートコマンドが何かバグって、勝手に動き出しちゃって、たぶん任務失敗したりしてても!
お、俺のせいじゃないよね? ねっ?
俺は悪くねぇ!
いや、ちょっ。
こいつ、動くぞ!
なんかぐんぐん加速してるっていうか、このGの掛かり方はヤバイ!
どうヤバイっていうか、神機兵が自分の稼動で軋んでるくらいヤバイ。絶対これ限界機動超えてるでしょ!
うわー何か超バーニア吹かしてる音がするう。
ひいいいいいい速いいいいいい死ぬうううううう!
ァアアアアイムシンカアアアアトゥトゥトゥトゥウウウウウウッ!
空中で二段バーニア吹かしてクイックターンしてる! すごい! やめて!
明らかに限界値超えたオーバードブーストしてアラガミ振り切ってる! 速い! 死んじゃう!
ミサイルサーカス避けるとかじゃないねんぞ! 極東はだいたいどこもアラガミサーカスだけど!
追加装甲とバーニアを空中でパージ!
走る! 神機兵走る!
これって試作装備で捨てたらダメな奴ですよねごめんなさい!
おっとシユウ発見こんにちは!
ダイナミックお邪魔します! サヨナラ!
も、もうだめ吐く・・・・・・これ以上はもう吐いちゃう!
だからお願いおろしてぇ!
もう限界!
限界だからぁ!
「神機・・・・・・兵・・・・・・?」
つらいつらいきつい。
しかし小汚い戦場に吹く一陣の風!
おっぱ・・・・・・シエル発見!
――――――シエル。
土砂降りになった赤い雨の中。
停止した神機兵の影の下、生気の失せた眼で雨に染みる地面を見るシエルがいた。
神機をだらりと構えているのは、先ほどのシユウの群れと交戦しようとしていたのだろう。
真っ白な顔色は決死の覚悟か、あるいは諦観が現れたものか。
こちらとしては、群がるシユウ達を後ろから討っただけの簡単な仕事だったが。
なぜシエルが未だ撤退していないのか。そういえばジュリウスが何か無線で叫んでいたが、神機兵を触るのに夢中で聞いていなかった。
逃げ遅れていたのか。危ない所だった。
都合よくコントロールが戻る神機兵くん。
こいつ、中の人絶対神機様だろ。
中の人って言い方おかしいけど、絶対これ中の人そうでしょ。
――――――こっちに来て、俺の下に。ここに座って。ほら。
人間のそれよりも何倍も大きな手のひらを差し出す。
シエルは何事か思うような、思わぬような、ぼんやりとした表情でしばらくこちらを見上げていたが、差し出された神機兵の手を椅子として腰掛けた。
雨にうたれた跡がないか、機械の眼が確認を始める。スリーサイズの情報や、透過撮影で衣服の下までモニタに映されたのは役得である。
停止した神機兵の肩を抱くようにして影を作れば、二機の神機兵が作る即席の対アラガミ装甲テントは、一人くらいであれば完全に赤い雨から身を守ることができる。
後は雨が止むのを待つだけだ。
額から汗が滲む。息が上がる。
そもそも無人型であり調整された訳でもない神機兵に、バグを用いた強引な乗り込み・・・・・・ハッキングを掛けたのだ。
有人用神機兵であっても現在の段階では、ゴッドイーターでさえかなりのリスクを伴うものなのだ。
体に掛かる負担は、通常のそれとは比較にならないだろう。
骨が軋み、筋肉が千切れていく音がする。毛細血管が破れてじわじわと皮膚の下に血が溜まっていく。内臓のいくつかが捩れたかもしれない。
でも声はあげない。
呻き声でさえも、飲み込んでみせなければならない。
本当ならいつもみたいに喚き散らしたい。でも、それは出来ない相談だ。
だって、そりゃあ・・・・・・シエルに聞こえちゃ、まずいよな。
ただ静かに、雨の落ちる音だけを聞く。
「・・・・・・」
しかし全神経を手のひらに集中すれば、こんな程度の苦痛など吹き飛ぼうものだな!
神機兵すごいね。感覚とかほんと生身のままみたいな。
手のひらの感覚までしっかり!
そう、シエルを乗せた、この手のひらの感覚までも、しっかりと!
程よい重さ、スカートのフリルの手触り、ちょっと捲くれ上がったふともも部分の素肌の感触、汗でしっとりとした肌、ショーツのゴム部分の凹凸・・・・・・!
そして・・・・・・そして・・・・・・この手のひらに伝わる・・・・・・圧倒的感覚ッ! ボリューム感ッ!
かつてこの世で最も尊ばれる聖人の一人が、こう述べた。
人はパンのみに生きるにあらず。
それは、人はたった一つの価値観で生きているのではない、という真理を説く言葉。
単一からなる固定観念の否定。あらゆる価値観の共存こそが人の道理であるとする真理。
すなわち・・・・・・ムーブメントである。
人はおっぱいだけに生きるにあらず。
おわかりか?
――――――おいで。もっと体を預けて。今日は、少し寒い。
「・・・・・・はい」
もっと、こう、もっと身を寄せて密着して。
大丈夫、大丈夫、ユウヲシンジテー。
ああ・・・・・・シエルちゃんのしりえる柔らかいなりぃ・・・・・・。
げーへへへムーブメント!
手のひらの上がフィルダウスやー!
シエルちゃんの! 生! しりえる!
げーへへへ! ムーブメントォ! げーへへへ!
はあはあ。
これは神機兵の副作用で息が上がってるだけだから。
はあはあ。はあはあ!
息が上がってるから指がもにょもにょ動いたって仕方ないよね!
はあはあ!
割れ目にこうフィットして場所をさぐったりしても仕方ないよね!
ねっ!
いいじゃん。
シリアスやる前にご褒美もらったてさ。
耐えられねーよちきそん。
え、もう限界だってずっと言ってたっけ?
無調整神機兵に乗るのは苦痛だって?
ああ、うん、そんなこともありましたね。
しかし! すべては未来のムーブメントのために!
俺は限界を超えるぞーッ!
□ ■ □
リノリウムの床を靴底が叩く一定の音が、訥々と廊下に響いていた。
施設内最下層にある一角は、旧時代の古風然としたフライアにあって似つかわしくない場所。
独房へと向かって、シエルは廊下を歩く。
手には簡素な食事が盛り付けられたプレートが。
運ぶ足取りは常のシエルらしい一定リズムの洗練されたもの。
しかしその表情は、まっさらに漂白されたものであった。
まるで人間味の無い、不気味なものに。
これまでであれば、そこには僅かな困惑が宿っていた。
他者との接触に恐れ、そして少しの希望を見出していた色が。
ハリネズミのジレンマとでも言うべき、どこか人を求め距離を測りかねているその姿を、皆好ましく思っていたものだ。
ブラッド隊の面々も、頭が堅いという点が不満とも述べてはいたが、それだけである。シエルの人格やその物事に向かう姿勢は否定してはいなかった。
それはシエルの根底に、何がしかの、人間として好ましい色を見出していたからだった。
だが、今はもう。ナナですらシエルに対応しかねている。
マネキンに愛想良く話しかける者がいたのならば、それはもはや人ではないからだ。
シエルはまるで、心が壊れて人間ではなくなってしまったかのようだった。
故障した機械のような。
無機物が人の似姿となり、人を真似ているかのような、不気味な存在へとシエルは成り果てていた。
蒼白な顔色は、むしろそれが当然のものであった。機械に人肌など似合うはずもない。
赤い雨がふったあの日。神機兵のテストが施工された日に、シエルは人間的なあらゆる全てを取り零してしまったのだ。
いったい、シエルに何があってそうなったかは、誰にも解らない。シエル自身にすら解らないだろう。
命の危機を目前にして、走馬灯染みた何かがシエルの脳内を駆け回り、そして決して失ってはいけないものを破壊し尽くした。
理解できることは、それだけだった。
「ユウに食事を持っていってやってくれ」
ジュリウスは笑いながらそう言って、食事のプレートをシエルに手渡した。
顔面が殴られたかのように腫れ上がっていたが、シエルは何も問わなかった。
他者のことなど、もはやどうでもよい・・・・・・という態度ではない。他者はもはや認識の外にいるかのような、奇妙な感触があった。入力に応答を返しただけ。これも不気味さの一環である。
ジュリウスはそれを正確に把握していたが、特に何も言うことはない。
「ん? ああ、これか。駆逐最強は誰かという講談をしていてな。戦闘妖精だと言ったらどうも気に喰わなかったようでな。なら、戦争しかないなと。まあ気にするな」
腫れた頬をさすって照れくさそうに笑っていた。そこには無言の信頼があった。
この男に似つかわしくない、男臭い笑みであった。
「過ちは雪ぐことはできない。失われたものは取り返すことが出来ない。なんでかな・・・・・・あいつと話していると、それもまたいいような気がしてくる。
新しいものを作っていくのには、何も無い、まっさらなところからの方がいい。からっぽだというのなら、良いものを詰め込みたいと、そう思える。
シエル、お前から信頼される隊長であるよう、俺は努力する。努力することを、俺は約束する。
だから、嫌味な奴だとは思わないでくれ。そう思われてしまったら、少し、その、男として惨めだ。
さ・・・・・・ユウのところへ運んでいってやってくれ。殴られた仕返しに飯を抜いてやったから、腹をすかせている頃合だ」
ゴッドイーターの指揮系統は、局長の意向が優先されることになる。
隊長の下した命令に背いたシエルは、しかし局長の命を遂行せんとしたために、何のお咎めもなしという結果になった。
だが、ユウは、独房にて謹慎処分。
副隊長にあるまじき行いであり、思想矯正が必要であるとの処断によるもの。
抑制剤を打たれ食事の時にのみ拘束を解かれるという、排泄も満足にできない程の、ゴッドイーターとしてかなり重い処分が下されることとなった。
ジュリウスの独断でかなりの融通が利くようになり、薬剤の投与は見送られ趣向品の差し入れも可とはなっているらしいが、独房が過ごしやすいはずもない。
――――――めし・・・・・・めしぃ・・・・・・。
独房の格子窓から両手を突き出して、うにうにと動かすユウがいた。
B級映画のゾンビじみた動き。
とても重処分をくらった副隊長には見えない。
「食事をお持ちしました」
――――――ひゃっはー! 飯だ飯だぁ!
言うが早いかプレートを奪い取り、食事をかき込むユウ。
味はとにかく腹いっぱい喰えることの方が大事なのだろう。栄養剤を溶かし込んだだけのペーストを美味そうに頬張っている。
スプーンを咥えるたび、頬がありえない大きさに膨らんでいく。
――――――ムシャコラ、ムシャコラァ!
「あと、これも。どうぞ、頼まれていた紙とペンです。封筒と、切手も」
――――――おー、サンキュー。いやー、やること無いもんだから、手紙でも書こうかなってさ。
「貴方も・・・・・・」
――――――うん?
「いえ、何でもありません」
――――――そう? ま、暇ならさ、ちょっと話し相手になってよ。ジュリウスだと喧嘩になるからさ。ぽいぬだろうが常識的に考えて・・・・・・。
どうぞ、とシエルは手を前で組み扉の前に立つ。
格子窓から見えるユウは、既に食事を終えていたようだった。
ペンと便箋、そして国際便の封筒をユウは受け取ると、慣れた手つきで便箋を壁へと押し当てる。
机など独房には備え付けられていないからだった。
話をしようと自分から提案しておいて、そっぽを向くなどと礼を失する行いであるが、そんな小さなことを気にする人間はここにはいない。
あるいは、人間ではなくなりかけているから、人の機微など気にならなく・・・・・・気にすることが出来なくなっているのか。
――――――そいやシエルも神機兵に乗ったことあるんだっけ。あれすごいね。自分の手足みたいに動かせたし、手のひらの感触まで・・・・・・うん。まあね、うん。
「神経接続がされていますから」
――――――神機兵に乗ってたのはゴッドイーターになる前のことなんだって?
「はい」
――――――ああ、子供の頃か。他にも搭乗者はいた?
「はい」
――――――訓練所ね。集団行動が初めてって感じじゃなかったのはそれかな。で、その子供達っていうのは、ゴッドイーター予備軍として?
「はい」
――――――初めから人材のプールとしてカウントされてたのか。適合する神機もないし、遊ばせておく余裕も時間もないしで、神機兵のテストに使ったってとこか。
「はい」
――――――そこの暮らしはどうだった? それなりに楽しかった?
「はい」
――――――みんな、神機兵に乗れば死ぬって、解ってたのに?
「――――――はい」
――――――ああ、一人だけ生き残っちゃったんだ。
ふむん、とユウは鼻を鳴らして曖昧に答えた。
日本人らしいどうとでも取れる反応は、聞くものを苛立たせる効果があるらしい。明らかに“解っていて”そのような対応をされているのだから、一塩であろう。
特に、後ろ暗い部分を抱えている者にとっては、嫌が応にも。
シエルの組まれた拳に、細い爪が喰い込んだ。
「貴方の行動は・・・・・・理解に苦しみます」
結局のところ、シエルの鉛色の精神性は、防衛機構の一種でしかなかった。
鎖で編んだ鎧の隙間にするりと潜り込み、心臓を一突きする才。ユウの持つ戦いの才は、多くの死地を超え、心理の裏の読み合いにまでその領域を延ばしている。
神懸っているというよりは、もはや悪魔的だ。明確な自覚や意図もなく抉り抜いているのだから、魔物の所業である。
「こんな・・・・・・懲罰房に入れられるなんて解っていたのに。神機兵の搭乗だって、本来入念な事前検査が必要なんです。最悪、命を落とすことだって、本当に・・・・・・」
――――――そいえばさ、切手って舐める派? それとも水に濡らす派?
「話を聞いていないのですか」
――――――よし、書けた。
「・・・・・・ホント、命令違反だらけですね、貴方は」
――――――それを言うなら、そっちもでしょ。
「それは・・・・・・はい」
――――――皮肉としちゃ上出来だよ。それなりに効く。哲学者の顔してるより、そっちの方がいいさ。
「私は、何も」
――――――フランス人っていうのは哲学が好きだってのは知ってるけど、考えすぎな奴が多くていけないな。当ててやろうか? 人の手をとってはいけないって、そう感じてるんだろ?
「・・・・・・」
――――――正確に言えば、目の前に差し出された手をとることで、これまでに自分を救ってくれようと人たちの想いを無にしてしまうんじゃないかと思っている。
その人たちが必死になってこんな自分に尽くしてくれたことを、踏みにじることになってしまうんじゃないかって。
シエルは何も答えなかった。
うつむき、拳を握る。感情の色を見せることがなかったシエルにとって、それは明確な答えであった。
――――――ここで人にすがってしまったら、これまで自分を救おうとしてくれた人の想いは、命は、どこにいってしまうんだろうか。
なんでこんな安易に手をとろうとするのか。あんなにも救おうとしてやったのに、命をかけてまで、なのに今になって何故。自分達の行いは無駄だったのか。無意味だったのか。
そう思うに違いない・・・・・・ってさ。哲学だよね。俺もちょっと前までそんなだったからよく解るよ。
「あなたは・・・・・・私は・・・・・・」
――――――シエル、目を逸らしちゃダメだ。
シエルはユウを見ることが出来なかった。
きっとユウはシエルを射抜くように見詰めていると、それが解っていても。
その瞳に邪気はなく、澄んだ水のような、碧空のような清らかさが宿っていると解っていても。
それでも、なお。
「出来ません・・・・・・私には、出来ません・・・・・・」
――――――シエル、俺を見るんだ。
「出来ません・・・・・・出来ないのです! 私はたくさんの手を、救いに差し伸べてくれた手を振り払ってきた! ここで誰かに縋ることは、彼等への裏切りになってしまう!
それだけは・・・・・・それだけは出来ない・・・・・・出来ません・・・・・・だから・・・・・・」
――――――シエル。こっちを見て。
「もう・・・・・・疲れました・・・・・・わたしは、もう・・・・・・」
――――――シエル。
「なぜ私が生きているのでしょうか。あの子達が死んで、何故私などが。死にたいなどと言うつもりはありません。ですが・・・・・・疲れました。生きることに、もう、疲れたんです・・・・・・」
魂は疲弊する。
生を手放し、自らの存在を取り零し、意志を失って。
シエルはゴッドイーターとなり、肉体的に復活したのだろう。シエルの肉体の端々に感じる違和感の正体とは、回復錠によって無理やりに治癒された形跡だった。
オラクル細胞は、シエルの肉体を再生し、生をその身の内へと吹き込んだ。
だが、もうシエルは、精神的死を迎えていたのだ。
無感動で無表情。それは、防衛機構によるものだ。
疲弊という、魂から染み出した毒から、自らを守るための。
ユウは天を仰いだ。独房の蛍光灯は嫌に白く清潔で、こんなところもフライアなのだな、と感じさせる。
――――――心ってのは、どこにあるんだろうな。
「ここ、ろ・・・・・・」
――――――意志のありかは、どこなんだろう。心がどこにあるかわからないのなら、想いも、願いも、全部消えてなくなってしまうのかな。
だったら喜びも悲しみも、全部錯覚なのかって。俺は・・・・・・そうは思わない。シエル、その手がそんなにも胸を掻き毟っているのは、そこんところが苦しいからだろう?
「むねが、くるしい・・・・・・」
知らず、シエルの両の手は胸の前で掻き合わされていた。
同年代の同性に比べても豊満な乳房が悲痛に形を変え、ブラウスのボタンがいくつか引きちぎれていた。
爪が割れて、ブラウスに朱の模様が点々と増えていく。
膝が床に着く。肩が震え、立ち上がることが出来ないままに。
「くるしい・・・・・・くるしいんです・・・・・・ここが、すごく・・・・・・!」
魂に皹が入っていく音がした。確かに、した。
表情には表れ難いというのはもはや性格なのだろう。
だが、額から顎下まで延々と流れ落ちる汗と、一転を見詰めた焦点の合わない瞳が雄弁に物語る。
ユウはこれほどまでに苦悩に満ち溢れた顔を、見たことは無かった。
――――――痛いな、ここんところが、すごく痛い。なんでかな、ここに心なんて入ってないのにな。
過去を振り返れば、過ちばかりだ。
過ごした時が全て、胸の中を抉り取るかのような傷跡となっている。
ああ、だとしても。
たとえ、胸の傷が痛んだとしても。
――――――シエル、話し振っといて悪いんだけどさ、これ、手紙・・・・・・出しておいてくれないかな。
「て、がみ・・・・・・」
――――――そう、手紙をさ。ほら、受け取ってくれ、シエル。
「・・・・・・」
――――――俺の、一番最初の友達に宛てた手紙なんだ。きっと・・・・・・いや、これを最後の手紙にしようと思ってる。だからさ、頼むよ。
シエルはよろけて立ち上がると、格子窓から差し出された手紙を受け取ろうとした。
しかし、どうしても手紙に触れることは出来なかった。
何日も寝ずに過ごしたかのように髪はほつれ、目の下が黒ずんだ、幽鬼のような姿となっていた。
間違いがないか確認してくれ、というユウの言葉に反射的に手紙へと目を通す。
送り先は、フェンリルが保有する郵便施設の私書コード。
物理的に機能するメールアドレスのようなものだ。
郵便物は指定された居住区に一時保管され、このコードが入力された場所へと再配達される仕組みである。
例え住所不定無職であったとしても、お互いの私書コードさえ把握していればつつがなく郵便物の取引が出来るシステムである。
それは、シエルがよく知る、馴染み深いコードだった。
宛名と差出人もまた――――――。
「は・・・・・・ッ、あ・・・・・・ああッ!」
――――――思うんだ。俺も、自分だけが救われていいのかって、そう考えていた時がある。ここで助けてくれなんて言うのは、俺を助けようとしてくれた人達への酷い裏切りなんじゃないかって。
いや・・・・・・恐れていたんだ。その人たちが俺を恨むんじゃないかって、そう思っていた。それだけは嫌だった。それだけは。
でもそうじゃない。そうじゃないんだ。
その人たちが俺を許さないだなんて、そう思うことこそが彼らへの裏切りだったんだよ。
彼らはきっと、祈ってくれたはずだ。そうだ、祈りなんだ。
こんな世界の中で、自分以外の誰かが救われて欲しい。そう心の底から思うことは、これはもう、祈り以外にない。
きっとあなたが、誰かと手をつなげます様にと。
「あなたは・・・・・・あなたは・・・・・・ああっ! あああっ!」
――――――信じたはずだ。きっと大丈夫だと。そう信じて逝ったはずだ。いつかきっと、と。
彼らはそれを信じることができた人たちだった。知っていたからだ。つながっていると。
この世界に生きる人たちはきっとつながっているんだって。全てはつながっているんだって。
俺たちは、そのつながりが解らない側だ。でも、信じることは出来るんじゃないかな。
あの人達と同じように・・・・・・つながりの中に、“そこ”に、心が生まれるんだって。
「ああ・・・・・・ああ・・・・・・ここに、どうして、わたしは・・・・・・ああ!」
――――――自分の命を投げ出すことが出来たのは・・・・・・出来てしまったのは、守るべきものがあったからなんだろう。
それは祈りであり、つながりであり・・・・・・彼らの意志だったんだと、俺は思う。
許してくれるかなんて、そう考えること自体がズレてるんだよ。
俺達が笑えば、きっとあの人達はさ、ほら・・・・・・ほっとするんじゃないかな? よかったってさ。
人の間と書いて、人間と読む。
ラケルは言った。心とは、脳の中にある現象であると。
ユウはそうは思わなかった。ならばどこにあるとは、はっきりとは言えなかった。
だが、今は言える。今だけは。
「命令、よりも・・・・・・自分、よりも・・・・・・守りたい、大事なもの」
シエルは見た。
そこには昔の、子供の頃の自分がいた。生気の失せた目でぼんやりと空を見つめていた。
何の望みも願いもない、灰色であった子供の頃の自分だった。
灰色の子供は手紙を手に持っていた。灰色の世界で、たった一つ見つけた価値あるものだった。
手紙をそっと胸に抱きしめて、そして・・・・・・世界が鮮やかな色で満ち溢れた。
輝きで満ちた世界の中。
子供のシエルを、かつて祈りを抱いた人達が微笑み、見守り、抱きしめていた。
それに気付くことなく、子供のシエルはただ寒さ震えていた。
どうして忘れてしまっていたのだろう。
つながっていた。つながっていたのだ。
探していた心は、ずっとそこにあったのだ。
つながりの間にこそ心が生まれ、そしてそれはきっと、彼らが運んできてくれたものだった。
子供のシエルがふいに顔を上げた。
瞬間、全てが幻であったかのように消え去っていた。
感応現象――――――第二世代機以降のゴッドイーターの間に起きる、精神間の次世代コミュニケーションの形。精神が形となる瞬間だった。
だが、シエルは見た。見たのだ。
あの子供のシエルは、その表情は。
子供らしく、穏やかに微笑んでいて――――――。
シエルはただ自然に、理解していた。
ユウもまた、同じ想いを抱いていることを。
心のある場所とはきっと、この震える、冷たい指の先に。
手と手の間に、あるのだと。
そう、今は言える。今だけは。
「とっても・・・・・・あたたかいですね・・・・・・」
格子窓から出されたユウの手。手紙を握ったままの手の上へと。
シエルは震える両の手を重ね、包み込む。
その姿はまるで、祈りを捧げているかのようで。
その祈りはきっと、かつてあの人達が抱いた祈りと同じものだ。
通じている。つながっている。すべてと。だからあの人達は、皆、微笑んでいたのか。
シエルはユウの手に頬をすり寄せた。
雫が両の目からとめどなく溢れ、零れ落ちていった。
すべてを優しく洗い流すように。それは救いだった。
シエルはあらゆる過去を許し、全てを受け入れていた。
だって、こんなにもあたたかいのだから。
零れる涙を拭うユウの手から、手紙が落ちた。
廊下へと落ち、封が開き、便箋が顔を覗かせる。
何も書かれていない、真っ白な便箋が。
ただ静かに、この世で最も清らかな雨を受け止めていた。
この手紙がフェンリルの郵便施設へと届くことはないだろう。
封筒に、切手は貼られていなかった。
最後の手紙は白色の――――――涙の色をしていた。
心の色を。
□ ■ □
親愛なるアランへ――――――Re:You(君の友人より)
(´・ω・`) 副隊長にさせられたお。書類チェックしなきゃいけないお。
(´・ω・`) もう疲れたおっおっ。出撃したいお。しゃちくばんざいだお。
(´・ω・`) でもみんなの書類に個性が出てて面白いお。シエルは超几帳面だ・・・・・・お?
(´・ω・`) あれこの筆跡みたことある・・・・・・?
(´・ω・`) シエル・アラン・・・・・・そん? アラ、ン、アララララ、ファーーーー!
こんなことがありました。
なんかこう、物語進めようとすると詰め込みになって文字数がどんどん増えていきますねどうしよう。
2万文字いきそうだったので、かなり削除をしています。うーん。
もっとスマートに場面展開してストーリーをもりっと進められるようになりたいなあ。悩みます。
ぐぬぬ・・・・・・最初期のダイジェスト方式に戻すか・・・・・・!
毎回みなさまからご感想およびアドバイスをいただきまして、ありがたい限りです。
ご返送できずに申し訳ありません。
ですが、すべてのご感想に目を通しております。
みなさまのお声がとても励みになります。
よーーーし次もがんばっちゃうぞーーーという気持ちになります。
ほんと感想いただけるのが嬉しいですね!
ありがとうございました!
つ、つぎはもう少し早く投稿・・・・・・できるといいな、うん!
それでは!
パルクールジツを駆使してゾンビスレイヤーするニンジャになりに戻ります。