賑やかな会場。結婚式場と言えば華やかしいが、雰囲気はどこか卑しい風にしか見えない。それはこの会場の中身を知っているからこそ、感じることかもしれない。
僕たちは息を潜め、会場の場を見渡す。葉留佳さんの親戚たちが集まるこの会場に、もうすぐ二木さんも姿を現すだろう。
「理樹くん……」
僕の後ろのすぐそばから、葉留佳さんの不安に色付いた声が僕の耳に届く。葉留佳さんの不安に揺れる瞳をしっかりと見詰め、僕はその不安の色を取り除くように、力強く頷いた。
「大丈夫だよ、葉留佳さん。 きっとうまくいく」
ちゃんとその辺りの保険もかけているつもりだ。
僕は、ミッションの前の夜を思い出す―――
僕の呼びかけに、みんなが応えてくれた。リトルバスターズの面々だけでなく、古式さんやあーちゃん先輩まで。
その日の夜、深夜と言える時間帯に僕は校舎の裏庭に一人で来ていた。みんなが寝静まった、静かな裏庭で、僕はある人物を待っていた。
闇が溶け込んだ裏庭は、見慣れているはずなのに視界が悪いだけで異世界のようにも感じられてしまう。そんな場所に一人でいれば、背後から近付く気配など、僕には気付きもできなかった。
「動くな」
腰に押しつけられる冷たい感触。
「2年E組、出席番号22番、直枝理樹だな?」
手を挙げた僕は、コクリと頷く。
「証拠は?」
「こんな夜更けに、ここに来る人なんて僕以外にいないと思うけど?」
「それもそうね」
僕の腰から、当てられていた冷たい感触が離れる。その冷たい感触の正体は確かめようがないが、知らない方がよさそうなので詮索はしない。
僕は振り返る。そして目の前にいたのは、一人の女生徒。彼女を知る者は、リトルバスターズの中では僕しかいない。彼女は別のクラスの生徒であり、そしてちょっと特別な人だからだ。
暗い闇が被さっているため、彼女の姿は至近距離とはいえはっきりとは見えない。だが、その中でも黄金のような金髪と、サファイアの宝石に似た蒼い瞳は、彼女という存在を強く示していた。
「こんな夜更けに呼び出して悪かったけど、生憎こっちにも事情があってね。 夜の顔、でないとあなたには会えないから」
「うん、それは僕も承知しているつもりだよ。 出来れば君とは、この用件とは関係なく、お昼の顔としての君との関係を持ちたかったけど……それは野暮というものだね」
「悪いけど、仕事以上の範囲内ではあなたとは会えない。 私はただの雇われだから」
彼女と知り合ったのは、突然僕の携帯に彼女が電話をかけてきたことだった。
彼女はとある方面から依頼されたプロのスパイだと言う。彼女は二木さんを助ける僕たちに惜しみなく助力を与えてくれた。諜報活動を得意とする彼女は必要な情報を揃え、事あるごとに僕に伝えてくれた。ここまで準備が進んだのも、彼女のおかげでもある。
誰が彼女を雇ったのか。おそらく、三枝本家と二木家を良く思わない末席辺りの分家が仕組んだのではないかと考えられている。葉留佳さんが言うには、三枝家の筆頭に立つ三枝本家とそれに次ぐ二木家は確かに数ある分家の中では内外に誇る力を持つが、それを良く思わない分家も存在するそうだ。
二木さんを三枝本家と二木家の陰謀から救い出したいとする僕たち。もし僕たちが二木さんを救い出す事が出来れば、三枝本家と二木家の陰謀は崩れ、その面子も丸潰れとなるだろう。それは三枝本家と二木家の失脚に繋がる可能性も秘めている。そしてそれを望む、三枝本家と二木家を敵視する分家の利害が一致したことにより、彼らは僕たちに協力する。
二木さんとデートに行ったあの日に出会った怪しい仮面の男。あの男もそれに関連した人物なのかもしれない。あくまでこれもまた推測だが、そういうこともあって、彼女の存在もまた僕たちにすんなりと受け入れられていた。
僕と葉留佳さんが考えた推測が正しければ、彼女は心強い味方だ。向こうがどういう思惑であれ、二木さんを助ける事が出来るなら、何でも良いと思っていた。
「そっちの準備は整ったかしら?」
「うん。 人数も集まったし、色々と明日の準備は整ったよ」
「こっちもあらかたの準備は万全よ。 こっちが完璧にバックアップしてあげるから、安心して思う存分暴れなさい。 逃亡ルートも確保してあるし、資金は既に三枝葉留佳の両親から調達する旨を了承済みよ」
「わかった」
「それじゃ、明日のためにも十分に休養を取りなさい。 私からは以上よ。 そちらからは何か質問はある?」
「あ、一つ聞きたいことがあったんだ」
「なに?」
「君はどうして、僕たちに―――いや、二木さんにここまでしてくれるの?」
「……………」
暗くて表情がよく見えないが、彼女が目を丸くしている気配が伝わる。
「……何を聞きたいのか知らないけど、あたしはその二木佳奈多とか言う娘のことはよく知らないわ。これは本当よ」
「でも、君からは仕事柄というより、君個人の優しさが感じられたよ。 二木さんや僕たちのことを知っていなかったら、そんなことはできない」
「あ、あたしはプロのスパイなのよ? あなたたちのことは仕事の関係上知っておく必要があるんだから当然よ……」
「それでも、君の力は確かにとても助かったよ。 ―――ありがとう」
「……よ、用件はそれだけ? さっさと寝ないと、明日の作戦に支障をきたすわよ?」
「そうだね。 今まで協力をありがとう」
「お礼はいらないわ。 あたしは―――スパイ、なんだから……」
彼女が背を向け、歩き去ろうとする。この場から逃げようとするかのように去る彼女に、僕は最後に声をかける。
「君とは、また会えたらいいね。 今度は、友達として」
一瞬、彼女の足が止まったが、彼女は僕の方に振り向きかけるや否や、また歩き出してしまった。
やがて、彼女の揺れる金髪と背中は闇の中へと消えていき、静寂が支配した裏庭には僕一人だけが残った。
皆が寝静まり、物音一つしない女子寮の廊下を、あたしは自分の部屋に帰るべく一人で歩いていた。
さっきの彼の言葉が胸に閊え、離れない。もう、こんな気持ちになるのは止めようと決めていたのに。
今日で彼と会うことも、無いだろう。もしくは明日で全てが決まり、そして終わる。
あたしは自分の部屋の前に止まる。表札には、あたしと、そしてあたしのルームメイトの名前が刻まれている。
「ただいま……」
静かにドアを開け、真っ暗な空間の中をあたしは足を忍ばせる。眠っているであろうルームメイトを起こさないよう気を付けて、あたしは自分のベッドへと向かった。
静寂な空間に、彼女の可愛らしい寝息が聞こえる。あたしは制服を脱ぎ出すと、ベッドに身を倒した。
明日のためにも、身体を休ませておかなければならない。
あたしが目を閉じようとしたその時、彼女の寝言があたしの耳にはっきりと届いた。
「むにゅ……佳奈多さん……待ってて、くださぁい……」
「……!」
あたしは閉じかけた目を開け、熟睡しているはずの彼女の方を見る。
「不肖クドリャフカ……必ず佳奈多さんを……助けてみせます……なのですぅ……」
犬のように布団の中に丸まって、可愛らしい寝息を立てているルームメイトに、あたしはクスリと微笑んだ。
「この娘のためにも、この娘が大好きな人を助けてあげなくちゃ―――ね」
あたしは少し乱れた布団を、彼女にかけてあげた。
「おやすみ、能美さん」
あたしのルームメイトであり唯一の友人である、能美クドリャフカに、あたしは静かにおやすみを言った。
二木佳奈多という女生徒については、よく彼女から聞かされた話だった。彼女がどれだけ二木佳奈多を慕っていたのか、よくわかるほどに。
ある些細なきっかけで自分をルームメイトにしてくれた、純粋無垢の心優しい少女のためにも、あたしは彼らが彼女を必ず助けることができるように全力で力になってあげないといけない。
そして、その救出作戦にはこの目の前にいる小さな少女も参加するというのだから、ますます力になってあげなくてはいけない。
「頑張ろうね、能美さん……」
寝息を立てるわんこに、あたしは優しく囁いたのだった。