ゼロの使い魔 〜犬神と少女〜   作:隙人

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二十四話

日もとっぷりと暮れ、町全体が濃い闇の中へ落ちた頃。森の中をザワザワと蠢く気配に、目を伏せながらも、モロは耳ざとくその気配を辿っていた。日暮れとともにその気配は色濃くなり、町へと近寄ってくる。始めは旅人か何かだと思いもしたが、人目をはばかるようにわざわざ森の中を進む旅人はいない。

 

「…」

 

10、20、まだ現れる。ぞろぞろと群れをなした人間共が人里の中へと流れ込んでいく。歩くたびにちゃきちゃきと音を立てるのは何度も耳にした刀のそれに違いない。何をしでかそうとしているかは分からないが、ろくでもないことだろうとは容易に想像がつく。

さて、どうしたものか。とモロが他人事のように考えていると、地を揺らしながら月明かりに照らされた何かが町の中に現れた。

巨人。モロの背丈を優に超えるその大きな人影は、まさしく巨人のようだった。だが、モロは人間以上に夜目が利く。それとは全く別の何かだとすぐに分かった。ごつごつとした表面に異常に太い胴体と手足。そして(わっぱ)が粘土で作ったような出来の悪い顔。とても巨人を名乗るにはふさわしくない、泥人形だった。だが、その人形にはモロはどこか見覚えがあった。それは、そう、いつぞやの女が操っていた人形にそっくりだった。

よく見れば、人形の肩に人影が見える。頭巾をかぶり顔を改めることは出来ないが、肉付から女であることがわかる。その横にはもう一人いるようだが、こちらは全く見覚えがない。女の仲間であろうことは分かるが、それだけだ。

すると、女の顔がモロの方に向いた。やはり、あの時の女だ。女はどうやらすでにモロの存在に気が付いているらしく、頬を釣り上げて笑って見せる。不快感をあおるような笑い方だ。見ていて決して気分がいい物ではない。

モロの事を見つめる女に、女の仲間が何やら言葉を投げかけているようだ。それを女は軽くあしらうしぐさを見せると、モロから目を離し、目の前の建物へと目を向けた。それと同時に、彼奴等を乗せた人形の腕がゆっくりと後ろへ引き絞られる。十分に力が籠められると、目標めがけて勢いよく突き出された。

人形の拳は建物の一室に突き刺さり、もうもうと土煙が舞い上がり、一瞬にして瓦礫の山に変えた。それが合図だったのだろう。人形の陰に潜んでいた野党共が一斉にその建物へと攻め立てていく。

 

「…小賢しい真似を」

 

その建物がただの人間の家ならばよかったが、生憎そこはルイズ達が泊まっている宿屋だ。すでに立ち上がっていたモロはすぐさま駆け出し、喧騒の中へと身を投じていった。

 

 

 

 

「ルイズ、こっちだ!」

 

ワルドに促されるまま、ルイズは階段を駆け下りた。先ほど突然現れたフーケを乗せたゴーレムによって、彼女たちの部屋は瓦礫とかした。危うくその瓦礫に飲まれそうになるのを丁度姿を現したワルドに救ってもらい、今に至っている。

 

「どうしてあいつがいるのよ?!監獄送りになったはずじゃない!」

 

「どうやら脱走したらしいな。まったく、大した怪盗だ」

 

「ちょっと、感心してる場合じゃないでしょ?!」

 

「ああ。急いでここを抜けるぞ」

 

ルイズとワルドが一階に降りると、そこはまさしく修羅場だった。乱暴に開け放たれた扉から弓矢を構えた男たちが一斉に矢を射る。一階にいた客たちは無残にもその矢の餌食となり、背に何本もの矢が刺さって倒れ伏せている。その近くにはついさっきまで口にしていた酒が溢れ、血と混ざり合い、床に大きな血溜りを作り出していた。

ルイズとワルドは姿勢を低くしつつ、他の3人の元へと急ぐ。

 

ルイズ達とは別に、一階で食事を取っていたキュルケ、タバサ、ギーシュの三人は机を横に倒し、その陰に隠れ難を逃れていた。なんとか応戦しようと試みているようだが、男達も馬鹿ではない。初戦に何人か犠牲をだしながらも、彼女達の唱える魔法の射程を理解し、その射程外から矢をいかけている。魔法を唱えようと顔を上げたなら、すぐ様矢の嵐が襲いかかってくる。

 

「ああ、もう!」

 

苛立ったキュルケは声を荒げ、拳で床を叩く。こっちは先ほどから何の抵抗も出来ないのに、あっちはお構いなしに矢を射かけてくる。襲撃者の好きなようさせている現状が、彼女は心底気に食わない。

 

「やつら、私たちが消耗するまでああして矢を射ってくるつもりよ。ホント、鬱陶しいったらありゃしないわ」

 

机の陰から襲撃者を覗き見ながら、キュルケはルイズ達に言葉をかける。

 

「あいつら、一体何なのよ」

 

次々に飛来する矢にビクビクとしながら、ルイズはキュルケに尋ねる。

 

「知らないわよ。こっちがご飯食べてたら、あいつら私たちを見るなりいきなり襲ってきたんだから」

 

「恐らくアルビオンの貴族に雇われた傭兵だろう。私たちも先ほどフーケに襲撃を受けた」

 

ルイズとキュルケの会話にワルドが割ってはいる。

 

「はあ?なんでフーケまでいるのよ。折角私達で捕まえたのに」

 

キュルケは目を丸くして驚いた。もっとも、モロに襲われ瀕死の状態の彼女を捕縛しただけなのだが、キュルケにしてみれば些細なことに過ぎない。

 

「そうまでして、私たちを止めたいということだろう。奴らにしても都合の悪いことはない方がいいに決まっている」

 

「…はあ、なんだか面倒なことに首突っ込んじゃったみたいね。私達」

 

キュルケは首を傾け、隣に座るタバサに目を向けた。弓矢が今もここに向かって射られているというのに、彼女の表情はいつもと変わらず、膝の上にある本に目を落としている。まるで彼女だけが日常の中にいるようだ。ルイズはそれがどこか安心を得られもしたが、同時にこんな状況でも変わらないその態度に不気味さも感じた。

 

「もしあいつらが攻め込んで来たら、僕のゴーレムが相手をしてやる」

 

ギーシュが威勢よく胸を張った。ただ、その顔は見るも青ざめ、杖を握る手は恐怖で震えている。威勢だけなら認められるが、とても戦力としては頼りない。

 

「あんたのゴーレムじゃ、せいぜい一個小隊が限界よ。相手の数はそれ以上っぽいし、何よりメイジとの戦慣れしてる傭兵たちよ。あんたじゃ力不足もいいとこじゃない」

 

戦力差を見て、キュルケはギーシュに言って聞かせる。少し険のある言い方だが、こうでも言わないとあきらめてくれないだろうと思って言い切る。

 

「や、やってみなければ分からないじゃないか」

 

その言葉に少しばかり堪えたのか、ギーシュは言葉を詰まらせながら言い返す。

 

「その震える手でいったい何が出来るってのよ。悪いけど、私はあんたより戦をちょっと知ってるのよ。だから言えることだけど、貴方が出ていったところで何も変わらないし誰も得をしない。むしろこっちの状況を悪くするだけよ」

 

「僕はグラモン元帥の息子だぞ。このまま傭兵共に遅れをとっていられるか!」

 

「ったく、口だけは達者なんだから。そんなんだから、トリステインの貴族は戦に負けるのよ」

 

ギーシュは啖呵を切って机の陰から立ち上がろうとする。だが、ワルドに襟首を掴まれ引き倒される。何をする!そう言いたかったが、ワルドの有無を言わさぬ威圧に押され、押し黙った。

 

「いいか、諸君。この場合、半分の人間が目的地に辿り着けば任務は成功する」

 

ワルドの言葉を聞いたタバサは本を閉じ、真っ直ぐにワルドを見つめる。その表情は全く変わらないものの、雰囲気がより冷たくなったように感じる。

タバサは片手に持っていた杖でキュルケ、ギーシュ、そして自分を差し「囮」と短くいった。

 

「時間は?」

 

「今すぐ」

 

「よし、行くぞルイズ」

 

「え、なに?どういう事?」

 

全く状況を把握できていないルイズは一人うろたえるばかりだ。

 

「彼女たちには「囮」の役目を担ってもらう。あの傭兵たちを彼女たちがひきつけている間に、私たちは桟橋へと向かう。以上だ」

 

「で、でも。モロがまだ来てないわ!」

 

「ルイズ、今はそんなことを言っている場合じゃない。あの狼はおいていく」

 

「でも…」

 

「ルイズ、いい加減にしてくれ。君にはなすべき任務があるはずだ。その任務と君の我儘どちらが大切なんだ」

 

ワルドはルイズに言って聞かせる。鋭い剣幕と凄味のある声は昨日までのワルドとは思えないほどだ。これが、騎士としてのワルドの姿なのだ。

 

「ま、仕方ないわね。貴女が何をしにアルビオンくんだりまで行くかなんて私達知らないもの」

 

キュルケは杖をいじりながら、なんてことなさそうに言った。そこに襲撃者に対する恐怖など微塵もない。

 

「はあ、僕たちはここで死ぬのかな。これじゃ、姫殿下やモンモラシーに二度と会えなくなってしまうじゃないか」

 

それとは対照的に、先ほどの威勢はどこへやら。ギーシュはおどおどとしながらしきりに自身の造花の杖を確かめている。

 

「行って、あの狼は必ず行く」

 

タバサはルイズ達に先を急ぐよう促す。

 

「ほら、ちゃっちゃと行きなさいよ。あいつなら心配ないわよ。こんなことで死ぬような奴に見えないし、それはあんた自身一番わかってることじゃない」

 

「う、うん。…わかった、行ってくる」

 

ルイズはやがて決心したように深くうなずき、踵を返しワルドと共に厨房の裏口へと向かう。背後からは矢が次々と飛んできていたが、タバサの張った風の障壁のおかげで彼女たちに一本たりと届くことはなかった。

厨房に入り扉を閉めた途端、扉の向こう側から爆発音が響いてきた。反撃ののろしがあがったようだ。だが、それに構っている時間はない。ワルドと共に慎重に裏口へとたどり着くと、外を注意深く警戒しながら、二人は夜の闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

「やあ、久しぶりだね。化け物」

 

宿へと急ぐモロの前に、ゴーレムに乗ったフーケが立ちふさがる。

 

「退け女。貴様にかまけている暇などない」

 

「あんたになくても、こっちにはあるんだよ!」

 

フーケの言葉と共に、ゴーレムの拳がモロへと迫る。モロはそれを横に飛び退き、避ける。ゴーレムの拳は何もない地面へ突き刺さり、もうもうと土煙があたりに立ち込めた。これによってモロの姿を消してくれる。これは僥倖とばかりに、それに乗じてモロはすぐさま宿の方へと駆け抜ける。だが土煙を抜けた先に待っていたの分厚い岩の壁だった。

 

「む?!」

 

岩の壁、ゴーレムの図太い足だ。それは見る見るうちにモロの目前へと迫り、モロの体をかちあげる。その衝撃は猪の突進をも勝る。

モロの巨躯が宙に浮く。崖から飛び降りる時とはまた違う類の浮遊感に、気持ち悪さを感じずにはいられなかったが、それも一瞬のこと。すぐに慣れ親しんだ地面へ叩きつけられた。ゴロゴロと数メートルほど転がり、足を踏ん張り何とか止まった。だが、無傷でとはいかない。

本能的に顔を背け、体をひねったことで岩壁の衝突を横腹にもらい、皮は剥がれ白い体毛が赤色に変わる。骨も何本かやられ、内臓に突き刺さっているようだ。呼吸をするたびに鋭い痛みが走る。

腹の奥から何かがこみ上げ、口から吐き出す。途端に口の中は鉄の味が広がり、ざらりとした嫌な舌触りに顔をしかめた。

 

「あんたにはこの腕の借りがあるからねえ。これからたっぷりとそれを返そうじゃないか。簡単に死ねるなんて思わないことだね」

 

フーケはモロに右手を掲げ、まざまざと見せつける。人肌の色とは程遠い、黒茶色の腕。表面には木目が走り、月明かりで異様にテカテカと照り出している。

 

「…なるほど、ずいぶんと威勢がいいじゃないか。怯えながら無様に這い蹲っていた奴だったとは、到底思えんな」

 

「…そんな減らず口も二度と叩けないよう躾をしないとねぇ…ん?」

 

ゆっくりとゴーレムの足が歩を刻もうとした時。目の前の狼にフーケは違和感を覚え、ゴーレムを立ち止まらせた。見ると、赤く彩られた体毛部分が次第に白く、元の通りに戻っている。それに皮膚の裂傷も、まるで始めからなかったかのように消え失せていっている。

 

「…流石は神獣様だね、そんじょそこらの獣とは勝手が違うようだ」

 

「…」

 

「簡単に死なれちゃ困るとは言ったけど、これは死ぬかどうかも分かったもんじゃないね」

 

言いながら、止まっていたゴーレムの足はまた歩を刻み始める。だからと言って諦めるわけがなかった。

女の背後では今も男たちが次々と矢を射かけている。あの建物の中で一体何人が生き残っているだろうか。あの小娘たちが遅れをとるとは思えないが、何時までも無事でいる保証はない。女の相手にあまり時間をかけすぎても状況は不利になる一方だ。だが、仮に目の前の女とゴーレムを無視して男たちに襲いかかろうと、数に物を言わせて責め立てられるのがオチだ。とても分が悪い。それに、目の前のフーケがそれを許すとも考えられない。

女と野党共を相手にすることなく、ルイズの元へたどり着く。なんとも難儀なことこの上ない。

モロがふと目線をずらすと、宿の影から何者かが飛び出してくるの見えた。女と男の二人組だ。二人組はこちらになど目もくれず、一目散に走り去っていく。その先に何があるかなど、モロは知らない。さして重要なことでもない。

だが、その二人の事、特に片割れの小娘の事はよく知っている。どうやらいらぬ心配をしていたようだ。

 

「何をよそ見してるんだい?あんたを殺そうって奴が目の前にいるってのにさ」

 

「…」

 

「…何を考えてるのか知らないけど、あんたがここで死ぬことに変わりはないよ!」

 

フーケの言葉に合わせゴーレムの拳がモロへと振り下ろされる。それでも、モロはゴーレムの、フーケの姿など見向きもせず二人の姿を目で追っていく。その態度がフーケの感情を逆なでているとも知らずに。

だが、モロとてわざわざ攻撃を喰らうつもりは一切ない。拳が自身を捉える前に後ろに飛び退くと、地面へと突き刺さったこぶしの上に飛び乗る。そして、一息に岩の腕を駆け上がった。これにはフーケも驚き、一瞬固まってしまうがすぐにゴーレムのもう一方の腕を使い、モロを押しつぶさんとその手を伸ばす。

頭上から迫る強大な手のひら、モロはそれにすら全く臆する様子がない。ただ前を見つめ、岩の腕を駆けていく。その目にフーケも、ゴーレムも映ってはいない。

 

「つぶれろ、つぶれてしまえ!化け物!」

 

モロの足よりも速く、ゴーレムの手がモロへと迫る。次の瞬間には狼の体はゴーレムの手の下敷きとなる。無惨にも押しつぶされた狼の死体を思い浮かばせ、フーケは内心ほくそ笑んだ。あくまで痛めつけるつもりだったが、奴を殺せるのだからそれくらい我慢しよう。幾分早い勝利の余韻にフーケはにやけ顏を治すことができない。

 

「…は?」

 

だが、思わぬところで表情を改めることとなる。フーケはわが目を疑った。狼の頭上にあったゴーレムの手は見事に狼を押しつぶし、その死体が目の前にあるはずだった。だが、ゴーレムの手は狼を押しつぶそうとした瞬間、その手が突然動きを止めた。フーケ自身は何の命令も与えていない。何をしている、さっさと潰せ!杖を降り、ゴーレムに何度も動く様命じるが、一向に動く気配がない。

フーケが困惑しているうちに、もうすでに目前にまで狼は迫っている。魔法を詠唱する時間はもうない。

 

「くっ…」

 

フーケは目を瞑り身構える。今に自分の頭が奴の牙にもがれていく様が瞼の裏に映し出される。あまりにも馬鹿馬鹿しく、無慈悲にもがれていく自分の顔。悪夢のようなこれが笑える冗談だったらどんなによかったか。

身体が凍りついたように固まり、立ち尽くしていたフーケの頬を一陣の風が撫でる。いよいよかとさらに身を強張らせるフーケ。だが、一向に痛みが襲いかかってくる気配がない。何かが可笑しい。フーケは恐る恐る薄眼を開いていく。月明かりに照らされた森が眼下に広がり、自身のゴーレムの腕が地面に突き刺さっている。狼を叩き潰そうと伸ばされ、不自然に止まったゴーレムの腕が目先にある。だが、肝心の狼の姿がない。

 

「…まさか」

 

フーケは背後を振り返る。そこには丁度狼が地を蹴り駆け出そうとする姿があった。さっき感じた風は自分の脇を走り過ぎた狼によるものだとフーケは悟った。

 

「待て!」

 

彼女の叫びに、狼が耳を貸すはずもなかった。

 

 

 

 

ルイズとワルドは宿屋の陰から飛び出すと、街道を駆け抜け港へと続く長い階段を登る。幸いにもここに来るまで追手らしい人影には出くわしていない。キュルケたちの囮がうまく功を奏したようだ。けれど、何時暗がりから獲物を携えた悪漢が出てくるのかも分からなのだ。油断はできない。

だが、警戒とは裏腹に一度として襲撃のないまま二人は遂に港へとたどり着いた。ここまで敵に遭遇はしなかったのは幸運か、もしくは敵の罠かは分からない。ルイズには先を行くワルドの後を追う事しかできなかった。

二人は桟橋を抜け、停泊している船の甲板へと進む。甲板には数人の、恐らくは船員だろう男たちが樽を枕に寝そべっていた。ワルドは近くに転がっている男の横腹を足で小突いた。

 

「おい、今すぐ船長を呼べ」

 

「ん、んあ?今何つった?」

 

寝ぼけ眼をこすり、気怠そうなに身を起こす。ワルドの背後にいても分かるほどの酒気に、ルイズは思わず顔を顰めた。

 

「この船の船長を呼べ、そう言ったんだ」

 

「ああ?こんな夜更けにうちの船長に何の用があんだ?それにてめえ誰だ?」

 

「…いいから、早く呼ばないか」

 

ワルドは徐に杖を引き抜き男に構える。

 

「…チッ。貴族様かよ」

 

睨みを利かせ尊大な態度をとっていた男だったが、杖を見た途端ばつが悪そうに目線を逸らす。杖を所持している事、それが意味することが分からないほど男も馬鹿ではなかった。

 

「分かったな?」

 

「…これだから貴族ってのは」

 

男は二人に背を向け、船の船室へと歩いていく。何やら呟いているようだったが、ワルドはさして興味を示さず杖を腰に挿した。

それから数分も経たないうちに男が消えた扉が乱暴に開け放たれ、先ほどの男とは別の男が姿を現した。

 

「さ、先ほどは部下が失礼をいたしました。申し訳ありません」

 

どうやら男はこの船の船長らしい。船長は二人の前に立つと、船長帽を取り深々と頭を下げる。

 

「いやいい。魔法衛士隊隊長のワルドだ」

 

「こ、これはこれは。して、魔法衛士隊の隊長様が一体どのようなご用向きで?」

 

「これより、アルビオンへ我々を乗せて飛んでもらいたい」

 

「アルビオン?!それは無理です!」

 

目を丸くし、船長はワルドの言葉に耳を疑った。目の前の貴族はそれがどれだけ無茶なことかわかっていない。わかっていれば、そんなバカげた頼みを提案してくるわけがない。

 

「なぜだ?」

 

「アルビオンがラ・ロシェールへと近づくのは明日の朝です。今残っている風石だけではとてもじゃないがたどり着けません。仮に出れたとしても今のままでは片道分しかなく帰りの分がないんです。そうなりゃ不正運行が簡単に知られ、私を含めこの船の乗員全員が路頭に迷うことになる!」

 

「こちらは女王陛下直々の下命を仰せつかっている。私たちに逆らう事はそれすなわち女王陛下に逆らうことと同じことだ。それでもいいのか?」

 

「うっ…」

 

船長は言葉を詰まらせ押し黙ってしまう。

 

「風石で足りなければ私がそれを補おう。私は風のスクウェアだ、片道ぐらいはどうにかできる」

 

「…畏まりました。その代り手間賃は弾んでもらいますよ」

 

「構わない。そうだな…この船の積み荷は何だ?」

 

「硫黄です。今のアルビオンじゃこいつはどんな宝石よりも価値がある。いい得意先ですよ」

 

「その売値と同額を払おう」

 

「…それはどうも。おい仕事だ!さっさと起きろ!」

 

ワルドの言葉を聞き、まんざらでもなさそうに船長は頷く。その一瞬、船長の目の色が変わった事にルイズは気付いた。

 

「船長!何かがこっちに来ます!」

 

その時、ルイズ達の頭上から男の声が降ってきた。ルイズは首を傾け上を見上げた。暗くてよくは見えないが、見張り台の上に何者かがいた。そいつが何事か声を荒げている。

 

「なんだ、何が来るって?!」

 

「で、でかい狼です。それもかなりの大きさの!」

 

「テメェまだ寝ぼけてやんのか!?そんなのがこの世にいるわけがないだろ!」

 

「それ、白くて大きな狼?!」

 

船長の声に負けないくらい、ルイズは声を張り上げ頭上にいる男に飛ばす。

 

「あ、ああ。そうだ、あんなの見たことねぇ」

 

「モロだわ、やっぱり来てくれた」

 

ルイズは二人の元を離れ甲板の手すりから身を乗り出し、目を凝らして使い魔の姿を探す。

 

「船長。船を出してくれ」

 

「は、よろしいんですか?」

 

「構わない。我々にあれを待っている時間はない。それはルイズ、あの娘もわかっていることだ」

 

桟橋の先を見つめ、今か今かとモロを待つルイズ。それをよそにワルドは船長も置いて船室へと向かっていく。男はそれを呼び止めようとはせず目で追うだけにとどめた。ルイズを少しばかり見つめはしたが、すぐに目をそらし己の職務を果たそうと部下たちに下知を飛ばした。

 

 

 

 

あと少し、あと少しであの船に手が届く。だが、そんなモロをあざ笑うかのように、空に停泊する船がゆっくりと浮上を始めた。空に在る船とは夢物語にでも出てきそうな代物だったが、この巷が夢物語そのものである事はとうに分かりきっている。

 

「せっかちな人間どもだ。待つ事もできんのか」

 

足に力を込めさらに加速しようと試みる。だが、痛めた足にいくら力を込めようと上手くいかない。まるで穴でも空いたように込めた力が流れ出ていく。ここに来るまでの道中、怪しげな仮面の男に執拗に攻め立てられた結果だ。回復も追いつかず、血は流れ出たままだ。

 

桟橋の先にまで辿り着いた。船は頭上高く舞い上がりモロが乗ることを許さない。傷はとうに治りきっていたがもはや遅い。飛び移ることなど叶わず、諦める他ない。

ふと何者かが船の手すりから身を乗り出し、こちらを見下ろしていたことに気づいた。長い髪をたなびかせた影、ルイズだ。

 

「小娘…」

 

ルイズはモロに向け何かを叫んでいるようだった。だが、船が空気を突き破り進む音が、その声をかき消した。

それでも、ただ一言。

 

「…必ず来て!!」

 

その言葉。風切りの音がほんの一瞬止んだ隙に捻じ込まれた、その言葉だけはモロの耳にしかと届いた。


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