ゼロの使い魔 〜犬神と少女〜   作:隙人

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二十三話

「二人に」

 

ワルドが掲げたワイングラスにルイズは自身の手にあるグラスを当てる。カンと音がなり、中に注がれた赤ワインが小さく波を立てる。ワルドが注がれたワインに口を付けるのを見て、ルイズもおずおずとワインを口の中へ流し込む。

ここは『女神の杵』亭の一室。天蓋着きのベッドに細やかな装飾が施された小棚。小物からろうそくの燭台に至るまで流石はこの町一と言われるだけあって、その内装には豪奢な装飾が施されている。

あの後、突然の訪問者にもかかわらず、ワルドは落ち着き払った態度で二人を歓待した。さらに、キュルケの無理な要求にもこたえ、二人がこの任務に同行することを許した。ルイズは最後まで反対の意を示していたのだが、彼が手にしていた一本の鍵を見て、項垂れてしまった。その顔は見事に赤くなっていた。

急な事ではあったが、運よく一部屋開いていた。ワルドは早速追加でその一部屋を借り、二人に鍵を渡す。相部屋になってしまうがいいかと尋ねていたが、二人は嫌な顔一つせず、鍵を手にさっさと上へと上がっていった。

ギーシュもそれに続いて机に置かれた一本を手に、部屋へと向かっていった。その足取りは重い。よっぽど疲労がたまっていることが伺えた。

ワルドはルイズの肩にそっと手をかけ、ルイズと共に部屋へと歩いていく。もう断ることは出来ない。部屋へと向かう際ルイズはうなだれたまま、彼と一切顔を合わせることなかった。

 

 

「ルイズ。姫殿下から預かった手紙は持っているかい?」

 

「ええ。ここに」

 

ルイズは胸を押さえ、頷いた。手で押さえているその内側に彼女がアンリエッタから預かった手紙がしまわれている。この手紙をアルビオンにいる皇太子に渡すこと、そして王女が以前にしたためた手紙を皇太子から返却願うのが今回の任務だ。彼女がこの手紙の中に何を描いたのかは分からない。だが、彼女からこの任務を任された時、この手紙を見つめていた彼女の表情は、一人の乙女のそれだったのは間違いがなかった。

 

「…心配なのかい?」

 

「え?」

 

「皇太子が手紙を返してくれるかどうか」

 

「…そうね。ちょっと不安はあるわ」

 

ため息をつき、肩を竦めながらルイズは言った。

 

「心配いらないさ。きっとうまくいく」

 

「それは貴方がいるから?」

 

「ああ。君には僕が付いている」

 

「ふふふ。そうね、貴方がいればきっと大丈夫よね。貴方は昔から私の味方で、とても頼もしかったもの」

 

幼い頃を思い出し、ルイズは懐かしむように言った。それにつられてか、ワルドも遠い過去を見つめて、ルイズに語りかける。

 

「なあ、ルイズ。覚えているかい?あの中庭の小舟の事。君がご両親に叱られると、決まって中庭の小舟に逃げ込んでいたな」

 

「もう、変な事ばかり覚えているのね」

 

「ああ、覚えているさ。あの頃の君は君の姉君達と比べられて、苦しそうにしてたからね」

 

「…ほんと、よく覚えてるわね」

 

ワルドは懐かしむようにそれを思い出していたが、それを体験していたルイズは笑みをひきつらせて俯いてしまう。今思い出しても情けない話だと思う。成長した今となっても痛感させられる姉たちとの差。気にしない様にしてはいたが、歳を重ねるたびにその差が自分の目の前に壁となって立ちふさがる。乗り越えようともがき続けているが、それがいつになるのか、自分でも分からない。姉たちと比べても意味はないよとかつて父に言われたことがあったが、否が応でも他人と比べてしまうのは人間故に仕方のないことなのかもしれない。

 

「…ああ。ごめんよルイズ。嫌な思い出だったかな?」

 

ワルドはルイズの様子に気が付き、俯く彼女の肩にそっと手を添える。

 

「ええ。大丈夫。気にしないで」

 

ルイズは愛想よくワルドに笑いかける。心のうちにある思いを隠すように。それを悟られぬように笑みを造る。

 

「そうか…。でもね、ルイズ。君は確かに不器用で失敗ばかりかもしれないけれど、僕は君は他の誰にも負けないものを持っているんだよ」

 

「誰も持っていないモノ?」

 

「そうだ。魅力、とでも言ってもいい。君以外の誰も持ちえていない特別な力だ。自分で言うのもなんだが、僕だって並のメイジじゃない。だからこそわかる。感じるんだ」

 

「まさか」

 

とてもじゃないが、彼女はワルドの言葉を信じられなかった。彼女の目は怪訝そうにワルドを見つめる。自分に在って他人にない力。そんなものがあったらこんなに苦しまずにいられるはずだ。ないからこんなに努力して、見返してやろうとしているというのに。

 

 

「まさか、と思うかい?ルイズ。でも本当の事さ。例えば、そう。君の使い魔だ」

 

「モロが?」

 

「そうだ。あの白狼は、ただそこらにいる狼とは明らかに違う。それはだれが見たって分かることだ」

 

確かに、モロはルイズの目にしてきた狼と明らかに異なっている。その大きさは言うまでもなく、言葉を操り、幼龍ではあるがドラゴンを組み伏せる程の膂力。巨体には似合わない俊敏さ。獣らしからぬ聡明さ。どれを見ても普通ではないことは明らかだった。

 

「あれ程の使い魔を召喚できたことこそ、君の力が特別な物だと証拠づけている」

 

「でも、モロを召喚できたのは偶々…」

 

「偶々なんかじゃなないさ。君の力あってこそだよ。…モロは君だからこそ使役できるんだ。他のメイジが使役できる類の使い魔じゃない」

 

ワルドはルイズの手を取り、両手で優しく包み込む。

 

「僕はね、ルイズ。君はいずれ偉大なメイジになると確信しているんだ。歴史に名を残すような、我らが始祖ブリミルのようなメイジにね」

 

「…」

 

ワルドの表情は真剣そのもので、とても冗談や建前でのたまっているようには見えない。

自分がブリミルのようなメイジになる。俄かどころか到底信じられる話ではなかった。魔法も碌に扱う事の出来ない自分が、何故ブリミルのようなメイジになると断言できるのだろうか。なぜそうも自信をもって言えるのだろうか。ワルドの目には自分はどう映っているのだろうか。ルイズには分からなかった。

 

沈黙が二人の間を分かつ。だが、すぐにそれはやんだ。ワルドは真剣なまなざしを持って彼女を見つめながら、言葉を放った。

 

「ルイズ。この任務が終わったら僕と結婚しよう」

 

その言葉はルイズを困惑させるには十分すぎた。

 

「…え?」

 

突然の告白。話の流れから一切関係のないところからの不意打ちにルイズははっとする。

 

「僕はこのままの地位で終わる気はさらさらない。いずれはこの国を…そして、ハルゲニアを動かせるような貴族になりたいと思ってる」

 

「ちょ、ちょっと待って。まだ私は…」

 

「ルイズ。君はもう子供じゃない。十六にもなったんだ、自分の事は自分で決められるし、父上様も許してくださる。…確かに任務に追われていたとはいえ、何年も君をほったらかいていたことは謝るよ。婚約者だなんて言える義理がないことも分かってる。…だけど、ルイズ。僕には君が必要なんだ」

 

「ワルド…」

 

ルイズは考えた。ワルドと結婚した場合、モロはどうなるのだろうか。その事がルイズの頭をよぎった。ワルドと結婚した場合、十中八九大きな屋敷に住むことになる。そうなったら、モロは鎖でつながれてしまうのだろうか。そこらの犬猫と同じような扱いをされてしまうのだろうか。そうなった場合モロは自分と共にいてくれるだろうか。

私が死ぬまで一緒にいてくれると約束してくれたが、それは自分に首輪がかかることを承知の上での事だったのだろうか。

それはあの狼は望まないことのような気がした。気ではない、もはや確信に近い。モロのいう事をいぶかしんだわけではない。ただ、一生首輪付きの生活をあの狼自身我慢ならないことだろう、そう思ったからだ。

そうなれば、モロはどこか遠くに行ってしまうような、そんな気さえした。

 

…嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。

 

折角自分の呼びかけに答えてくれたモロを、そんな理由で手放したくはない。それはルイズの我儘だ。そんなことは分かってる。だが、そんな我儘に付き合ってくれる使い魔は、もうモロしかいない。モロでなければルイズは嫌なのだ。

 

「…あの、ね。ワルド」

 

「何だい?ルイズ」

 

「その、貴方の気持ちは嬉しい。それは本当よ…。だけど、私はまだ、貴方と釣り合えるようなメイジじゃないわ。もっと修行を積まないといけないし…それに」

 

「それに?」

 

「…小さい頃から思ってたことなの。皆に讃えられるような立派なメイジになって、父上にも母上にも認めてもらうんだって」

 

ルイズはワルドの手からそっと自分の手を抜く。

 

「…だけど、私はまだそれが出来てない。…だから」

 

「どうやら、君の心に誰かが住み始めたようだね」

 

「そ、そんなことない。そんなことないのよ」

 

「いいさ、気にしてない。…わかった。今すぐ返事をくれとは言わない。でも、この任務が終わるころには、君の気持は僕に傾いているはずさ」

 

ルイズはその言葉に頷いた。

 

「さて、もう遅い時間だ。そろそろ寝るとしようか」

 

そして、ワルドはルイズに顔を近づけ、口づけを交わそうとする。だが、ルイズの両手が彼の胸を押さえ、彼の体をそっと押し戻す。

 

「ルイズ?」

 

「ごめんなさい。…でも、私」

 

ワルドは苦笑しながらもルイズの頭にそっと手を乗せる。

 

「急がないよ。僕は」

 

彼の手は優しい手つきで彼女を撫でる。その間、ルイズは俯き彼の顔を見られなかった。

ワルドの告白が嬉しくない訳がない。幼い頃から憧れていた男性に結婚をしようと迫られた時、ルイズの胸はときめいていた。だが、心の内で何かが引っ掛かる。それがネックとなって、彼女を引き留める。

ワルドの手が離れるのと同時に、彼はベットから立ち上がる。

 

「ルイズ、君は先に寝ていてくれ。僕は少し用事を思い出した」

 

「え?用事って何よ?」

 

「なに、大したことじゃないさ。すぐに済む」

 

ワルドは身なりを整え、傍に置いていた羽根つき帽を目深く被る。

 

「先に寝ててくれ。大丈夫、寝こみを襲ったりなんかしないから」

 

扉の前に立ったワルドは彼女にほほ笑みかけ、一人部屋を後にした。

こんな夜更けに一体何の用事があるのだろう。ワルドのとった行動を不思議に思うルイズではあったが、ワルドにはワルドなりの考えあっての事だろう、考えもなしにワルドが動くはずもない、そう自分で納得させ、彼女はベットに潜り込んだ。普段とは違うベットに少しばかり寝づらさも感じていた彼女も、しばらくすると彼女の寝息が聞こえてきた。ろうそくの明かりがぼんやりと照らす室内は寝息以外何も音はない。

 

 

 

 

 

「…ルイズ…君の力は、本当に素敵だよ…」

 

ワルドの放ったつぶやきは、誰に届くでもなく、暗い廊下に霧散した。

 

 

 

 

 

 

翌日。アルビオン行きの船が明日ということもあって、ワルドの提案でこの日は各々で過ごすこととなった。

それを聞くや否や、キュルケはさっそく街へ繰り出していった。タバサはいいのかとルイズは彼女に尋ねた所、タバサは部屋で読書に夢中になっているそうだ。、ギーシュは昨日の疲れもあって、部屋にこもって怠惰な時間を過ごしているし、ワルドも何やら準備があると言って出て行ってしまった。

夫々にそれぞれの時間を歩んでいる中、ルイズはすることもなく、手持無沙汰になってしまった。昼過ぎまで部屋でくつろいだ後、一階に降りて簡単に食事をとり、ルイズは取り敢えず宿から出ることにした。しかし、何を買うとも、どこに行くとも決まっていない。さて、どこに行こう。そう考えていると、ふと、自分の使い魔の事が気にかかった。そういえば、モロはどこにいるのだろうか。気になりだしたら止まらない。昨夜の記憶をたどり、最後まで一緒にいたのはタバサだったことを思い出すと、ルイズは階段を上がり、タバサのいる部屋を訪れる。キュルケの話の通り、窓際の椅子にちょこんと座って、タバサは読書に老け込んでいた。

 

「ねえ、モロがどこにいるか知らない?」

 

ルイズは扉に手をかけたまま、尋ねた。質問の答えが分かればすぐにでも向かえるようにだ。

タバサは本から頭を上げ、ルイズの顔を見る。相変わらず仏頂面のまま、表情に乏しい彼女だったが、ルイズの質問にはすぐに答えてくれる。

 

「…森の方へ行った」

 

「森ね。分かった、ありがとう」

 

それを聞くや否や、ルイズはすぐさま踵を返し、タバサの部屋を後にした。

 

「…ただ、場所までは分からない」

 

タバサの言葉は、勢いよく閉められた扉の音にかき消された。

 

 

 

 

「…ここ、何処よ」

 

宿を飛び出したルイズは、門を潜り抜け、モロのいる森へと足を踏み入れた。ぐんぐんと森の中を進み、モロの姿を探した。あの巨体ならすぐに見つかるだろうと高をくくっていたが、予想に反してなかなか見つけられない。タバサに居場所を詳しく聞かなかったことが災いしていたが、今更戻って聞くのも億劫だと思い、モロの影を探し続けた。それが間違いだった。

気がつけば、完全に道に迷っていた。右を見ても左を見ても目印となるようなものは見当たらず、元来た道を戻ろうにも方角も分からない。獣道の真ん中で、ルイズは途方にくれるしかなかった。

 

「ひっ?!」

 

唐突に鳥が飛び立ち、バサバサと木の葉が揺れる。それだけのことに過ぎないが、その音がルイズにはやけに大きく感じてしまう。それが心細さからなのか、それが本来の大きさなのかはわからないが、ルイズは驚いて悲鳴をあげる。

 

「…モロ…何処なのよ…」

 

早く見つけてしまいたい一心で、ルイズは森の中を彷徨い歩く。一度でも止まってしまえば、そこから動けなくなるような気がする。だから、足を動かす。

 

すると、何処からか獣の唸り声が聞こえてきた。

 

「モロ?」

 

その声から咄嗟に使い魔のことが思い浮かんだ。耳をそばたて、音のする方へ導かれるように進む。茂みをかき分け、そこにモロの姿があることを信じて。

だが、彼女を待っていたのは彼女の望んだものではなかった。

茂みの先には獣がいた。獣は黒々とした毛を纏い、鋭い牙をもって獲物の喉頸に噛み付いている。獲物となった哀れな子鹿はすでに絶命しているようで、目には生気がなく、足はだらんと地面に垂れている。獣はルイズの存在に気づいてはいないようだ。それを証拠に、彼女の隠れる茂みに目を向けず、彼女の目の前で鹿の解体ショーをこさえ始めた。子鹿を地面に寝かせ、柔らかい腹部に牙を突き立て一息に食い破る。中からは鹿の臓器が顔を出し、血液が緑の大地を彩った。獣は牙を使い丁寧に臓器を噛みちぎり、鹿の筋肉に食いつく。クチャクチャと音を立て、次々と子鹿から肉を剥ぎ取っていく。

 

ルイズは目の前の光景に気分を害されずにはいられなかった。普段見たこともない生々しい獣の食事風景に、吐き気がこみ上げてくる。

ルイズは喉元までせり上がった胃液を飲み込む。途端にあの独特の酸っぱさが口内を満たしてくるが、それにかまう余裕はない。獣に気取られないように慎重に後退していく。人生の最後が獣の腹の中ということは何としても避けたかった。

一歩、また一歩と獣との距離をおいていく。今すぐにでも駆け出してしまいたいが、それこそ獣の思う壺。あっという間に追いつかれ、あの子鹿のようになる事は目に見えている。焦っては駄目だと自分に言い聞かせながら、お前なら出来ると己を励ましながら、ゆっくりと足を運ぶ。

 

 

彼女がまた一歩後方へ踏み出した時だ。

バキッ。何かが彼女の足元で折れた。音の正体は見るまでもない、それは木の小枝から発せられた悲鳴だった。彼女の踏み出した足が落ちていた声馬を踏み潰し、小枝は逆への字に折れ曲がった。だが、そんな事は彼女が知っても仕方のない事。それよりも彼女に必要なのはこの状況から逃れる術だった。

小枝の悲鳴を聞きつけた獣は、頭を上げ、ゆっくりと顔を向けた。獣と目があった。

彼女の息が止まる。心臓が荒々しく鼓動し、冷や汗が彼女の頬を伝う。獣が一歩、また一歩と彼女との距離を詰めるたび、彼女の心臓は跳ね上がった。獣の口からは鹿の肉がはみ出し、口元は血肉によって赤黒くなっている。今にその口に自分の血肉も咥えられると思うと震えが止まらない。

 

「こ、来ないで!」

 

ルイズは杖を引き抜き、獣に向けて構える。手の震えが杖に伝わり杖は小刻みに震える。牽制するつもりで構えたものの、その姿からは何一つ脅威になるものは感じられない。それは獣の目から見ても同じ事。虚勢をはる獲物に何を臆する事があろうか。獣はゆっくりと、だが、確実にルイズに迫りくる。今のルイズでは、獣に恐れを抱かせるには役不足だ。

 

では、この獣を退かせる為に何が必要だろうか。

簡単なことだ。獣よりも力があるものが、少し脅かしてやればいい。

 

あと一歩のところまでルイズに迫った獣の足が、止まった。あれほど余裕を見せていた獣の体はピタリと動きを止め、ルイズの後方を見つめている。訳のわからないまま、ルイズは獣につられ、首を回す。

 

「去れ」

 

威圧的な低い声色。殺気をまとったおどろおどろしいその声は、頭の上から獣を押しつぶす。たった二言の短い言葉に、獣は怯え、震え上がった。獣は一歩また一歩と後ろに下がり、踵を返し逃げ出した。

 

「…ここで何をしている」

 

「モロ…」

 

呆気ない獣の退散を見ながら、ルイズはヘナヘナと地面に腰を下ろした。

 

「一人で森を歩くな。馬鹿者が」

 

「でも…」

 

「逃げることすら考えないその大層な頭は、くだらん言い訳を宣う為にあるとはな。私が脅かしてやらなければ、お前は今頃あの狗の腹に収まっていたのだ。それを分かった上で戯言を言おうしているのだな」

 

「…」

 

「身の程をわきまえろとあの時言ったはずだぞ小娘。お前の手前勝手にいつでも私が付いているなぞと思うな」

 

「…ごめん」

 

ルイズは項垂れ、小さな声でモロに謝った。

確かにモロの言った通りだった。何がいるかもわからない森の中を、一人で歩くという危険を全く考えていなかった。ただモロに会いたいという我儘で自分の命を危うく失うことになりかけた。魔法を学んでいるのに、それを唱える余裕すらなかった。

 

「…二度目はないぞ。次はお前自身でなんとかするんだな」

 

「…」

 

「返事は」

 

「…うん」

 

「…彼奴らの元へ戻れ。そこでお前自身の身の振り方でも考えろ」

 

モロの言葉に何も言い返すことができない。自分の未熟さを呪うしか、ルイズには出来ない。

ルイズは立ち上がろうと、手足に力を込める。今日ほどモロの目が嫌に感じたことはない。早くその視線から離れてしまいたいと思うほどだった。

 

「あ、あれ?」

 

だが、なぜか力が入らない。力を手足に加えると地面に流れるように抜けていく。

 

「どうした。さっさと立て」

 

「…腰、抜けちゃったみたい」

 

「…」

 

「あ、あははは…。ごめん」

 

モロの目がさらに鋭さを増す。ふざけていると思われたのだろう。そう思われても不思議ではない。

情けなくて、惨めで、今に涙を流してしまいそうになるが、唇をきっと噛み締めそれをこらえる。

モロの口から溜息が漏れた。それがやけに大きく聞こえたのは気のせいではない。すると、モロはふいにルイズの側により、顔を彼女に近づけていく。

 

「え?…うわ!?」

 

そして、彼女の襟首を咥えると、モロはそのまま持ち上げた。

 

「ちょ、ちょっとモロ!」

 

「大人しくしていろ」

 

ジタバタともがくルイズをモロが一声で制すと、そのまま器用に自分の背まで運ぶ。最後は投げられる形にはなったが、ルイズを背に乗せると、モロは何も言わずに踵を返し、森の中を歩き始めた。

ルイズは思ってもみなかったモロの行動に驚きを隠せなかった。まさか、モロの背に乗る事になるとは彼女自身考えてもみなかった。

 

 

モロは何も言わず、森の中を進んでいく。ルイズは抱きつくような形でモロに体を委ねていた。柔らかな体毛が、モロが歩くたびに揺れ、ルイズの頬を撫でる。

 

「…ねえ、モロ。まだ怒ってる?」

 

「…」

 

「そりゃあ、怒ってるわよね。あなたに迷惑かけちゃったものね…。…ごめんなさい」

 

「…全くだ。呆れてものも言えん」

 

「…」

 

「…お前のことだ。どうせ私を探して森をさまよっていたのだろう。だが、あまり褒められた行動ではないな」

 

「…うん」

 

「…手前の身くらい手前で守れなくては仕様がない。その為に魔法とやらを学んでいるのではないのか?…それが使えないようでは、ただのがらくたと同義ではないか」

 

「…」

 

モロの言葉が彼女の心を抉る。その言葉通り、あの時魔法の一つも唱えられなかった。恐怖で手が震え、頭が真っ白になっていた。何が皆に讃えてもらうだ。何が両親に認めてもらうだ。今の自分はそれを離す立場にも立てていないじゃないか。

ルイズの頬を涙が伝う。無様な醜態をさらすまいと唇をかみしめ、こらえる。モロにこれ以上情けない姿をさらしたくない、彼女の最後の意地だ。

 

「…少しは肝が冷えたか?」

 

「…うん」

 

「…いずれまた同じような事が起きぬとも限らん。それまで、せいぜい己の技を磨け。そうでなければ、お前の命がいくつあっても足りん」

 

それっきり、モロが口を開くことはなかった。

森を抜け、町の入口に辿り着くころにはもう夕暮れ時に差し掛かっていた。夕焼け色に染まる門の前でルイズをおろし、モロはそのすぐ近くの木陰に腰を下ろす。門の前に立つ番兵は剣に手をかけモロに警戒しているようだったが、それがふりだけなのは誰にでもわかる。その証拠に剣にかけた手は震えに震えていた。

ルイズは何か言いたそうにモロに視線をやったが、すぐに下を向き、とぼとぼと宿への道を歩いて行った。彼女の後ろ後姿はひどくもの悲しい雰囲気をたたえていた。

 

 

 

 

今夜、ルイズは恐らく誰とも口を聞くことはないだろう。もっとも、それで迷惑するのは彼女の周りの人間たちであって、私には何の関係もない。だが、いつまでたってもああであるなら、この先を思いやらないではいられないのは事実。だから、今しがたの出来事に少し口を出してしまった。なれないことはするものではないと今になって後悔しているが、あの娘には堪えたようだ。私の言葉に何を思い何を感じ、それを糧に己を磨くのか、果ては只腐らせていくのかはあの娘次第だ。

 

「…せいぜい足掻け。小娘」

 

奴に届かないのは分かって、私は静かに呟いた。

 


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