ゼロの使い魔 〜犬神と少女〜   作:隙人

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二十一話

魔法学院を発ってから彼此半日が過ぎた。昇りかけだった日も西へと傾きつつあり、その光はオレンジ色の暖色を湛えていた。アルビオンを目指す一行は、夕暮れに染まる港町ラ・ロシェールに辿り着いていた。ここから船に乗り、アルビオン大陸へと渡航するという計画だ。一足先に着いたワルドとルイズは、港町の近くでグリフォンから降りると徒歩で町の中へと入る。

 

「君は彼らが来るのを待っていてくれ。私は船があるかどうか見てくる」

 

そう言ってワルドはルイズを待たせ、桟橋の方へと歩いて行ってしまった。残されたルイズは乱雑に置かれている樽の一つに腰掛け、入り口の方へ顔を向ける。ギーシュとモロの姿はまだ見えない。本来なら二日はかかる距離をその日に到着することが出来たのだから、かなりの速度で飛ばしてきたのは確かだ。それに追いついて来れないのは仕方のないことだ。

ルイズは自分の胸に手を当て、内ポケットに忍ばせているものに触れる。昨夜遅くに彼女の部屋を訪れた者、王女アンリエッタから預かった物がそこにある。

 

「姫様…」

 

ルイズはそれに触れることで今一度、自分に課された使命を思い出していた。自分の肩にはトリステインの未来がかかっている。これを果たせるかどうかによってトリステインの先行きが決まってくると思うと、途端に足が竦み始める。駄目だ、自分が弱気になってどうする。姫様は私を信じて頼ってくれたのではないか。ルイズは自らにはっぱをかけ、腹をくくる。

丁度その時、港町の入口から馬の蹄の音が近寄ってくることに気付いた。ルイズはその方へ目をやると、馬の背にもたれかかるようにして乗ったギーシュが、ゆっくりと入り口から現れていた。

 

「遅かったわね」

 

「君たちが早すぎるんだよ…。ここに来るまでに2回も馬を乗り換えたんだからな…」

 

ギーシュはルイズの傍まで馬でよると、ぐったりとしながらゆっくりと下馬する。

 

「あれ、ワルド子爵は?」

 

「今船があるか確認しているとこ。あればそれに乗ってアルビオンまで行くわよ」

 

「はあ、一晩ぐらいここに泊まればいいじゃないか。僕はもうへとへとだよ」

 

げんなりとしながら、ギーシュも樽の上に腰掛ける。

 

「疲れてるのは分かるけど、あんたの都合で任務を遅らせるわけにはいかないの。わかるでしょう?」

 

「それもそうだけど…」

 

「残念だが、彼の言った通りになりそうだ」

 

と、桟橋の方からゆっくりとワルドが歩いてきた。ルイズは樽から立ち上がり、彼の方を振り返る。

 

「船頭の話だと、明後日にならないとアルビオンへ船は出ないそうだ。それまで、私たちはここで待機という事になる」

 

「そんな…」

 

ルイズはがっくりと肩を落とし、項垂れてしまう。

 

「ま、まあしょうがないよ。焦っても船が無いことにはどうにもならない。なら、それまでに英気を養っておくのも悪くはないと思うよ」

 

ギーシュはそんな彼女の肩をポンポンと叩きながら、励ましの言葉をかける。

 

「…あんた、実はほっとしてるんじゃない?」

 

「べ、別にそんなことないさ!僕だって今すぐにでもアルビオンに行きたいよ!」

 

「…嘘くさ」

 

「まあまあ、おしゃべりはその辺にしておこう。それより泊まるところを探さないと」

 

ワルドの仲裁によって、ギーシュはルイズの詰問からは逃れられた。そして、ワルドを先頭に宿屋を求め夕暮れに染まるラ・ロシェールを進んでいった。ただ、その後も彼女のじとっとした視線は彼を捉えて離れなかった。

 

「あれ?そういえば、ギーシュ、あんたモロがどこ行ったか知らない?」

 

「ん?ああ、途中まで一緒にいたんだけど、用が出来たとか言って森の中に消えていったよ」

 

「…フーン。まあモロの事だし、放っておいても大丈夫だとは思うけど…」

 

心配、というほどでもないが、モロの言う用とはいったい何なのか。ルイズには見当もつかなかった。

 

 

 

 

 

 

「ハア…ハア…」

 

一人の男が息を切らしながら、薄暗い森の中を必死に走っていた。ただひたすらに、なりふり構わずに走っていた。木の根に蹴躓きながらも、木の枝で肌を傷つけながらも、何かから必死に逃げていた。その形相は恐怖に凍てつき、目にはウルウルと涙を湛えている。

こんなはずじゃなかった。男は頭でそう呟く。もっと楽な仕事のはずだった。ここを通る魔法学院の生徒を襲えという、ただそれだけの仕事だったはずだ。

 

依頼してきたのは二人の男女だった。一人は緑色の長い髪の女。腰には杖、それだけでこの女がメイジであることはわかった。後、隠していたようだが、その片方の腕はおそらく義手だろう。もう一人の男は顔を仮面で隠していたから人相は分からない。だが、あのしゃんとした佇まいから、何処かの貴族だという事は把握できた。

どこの誰で、何が目的だ。とは聞かなかった。俺たち傭兵は金さえもらえればそれでいい。下手に探りを入れてクライアントが逃げたりしたら、俺たちの収入はゼロ、道端で野垂れ死ぬしかない。

幸いにもこの貴族風の男は羽振りがいいようで、小袋いっぱいの金貨を投げてよこした。前金だ、男はそう言っていた。成功すればその倍の報酬を支払う。男はさらにそう付け加えてきた。

こんな好条件を断るような奴はいない。俺はすぐに仲間を呼び集め、依頼された場所へ向かった。

 

そこに到着するや否や、俺たちは奇襲の準備に取り掛かった。念入りに場所を確認し、奇襲は崖の上から一気に畳みかける方法に決まった。俺たちは崖をよじ登り、弓矢を構え、馬鹿な餓鬼が通りかかるのを今か今かと待ち構えていた。

そして、地面を踏みしだく蹄の音が聞こえてきた。蛙が蛇の口に飛び込んでくる。焦ることはない。確実に獲物を喰らうために、最高のタイミングを俺は見定める。そして、絶好の機会の到来に俺は仲間に合図を送った。今だ、やれと。

 

「ギャッ…!」

 

だが、そんなときに聞こえてきたのは、仲間の奇妙な声だった。叫び声の出来損ないのような、奇声だった。俺を含め仲間たちがその声の方へ振り返った。途端に皆が息を呑んだ。

そこには仲間のうちの一人がいた。だが、その首から上には何かでかい顔があった。狼だ、それもかなりでかい。その顔が仲間の頭を咥えている。食われているんだ、そうだと分かった頃には、仲間の首を狼が噛み砕いていた。

ゴリッと嫌な音を立てながら、仲間の胴と頭が分かれた。それを俺はただ呆然と見つめていた。まるで夢でも見ているのではないかと思うほど、それを現実だとは思えなかった。

 

ようやく現実のものだと分かったのは、狼が仲間をもう一人、その牙で噛み砕いて見せてくれたからだ。

 

「ひ、ひいいいい!!」

「な、何だこいつは!?」

「化け物…!」

 

俺と同様に仲間たちも今自分たちが起これている現状を把握できたのだろう。口々に喚き、取り乱し、その場は混乱の極致に達していた。

 

「て、てめえら!慌てんじゃねえ!今すぐそいつに矢を射かけろ!!」

 

俺の号令に仲間は即座に反応し、すぐさま行動に移した。それは日ごろよりも何倍も早く、かつ正確だった。人間死にたくないと必死になればいつも以上の力を発揮できると聞いたことがあるが、今まさしくそれが実行されている。

俺自身も矢を構え、寸分たがわずに狼に狙いを定める。そして、

 

「撃てやあああ!!」

 

気合一声。俺の雄たけびにも似た号令に合わせ、矢の雨が狼に向けて殺到する。狼は反応できないのか、両目をつぶるだけでその場を動かない。そして、一斉に矢は狼の肉体に突き刺さった。

狼の白い毛並みは狼自身の血で彩られ、斑点のように狼の肌に浮き出てくる。

 

「は、ははははは!何だ、大したことねえじゃねえか!」

 

勝った。俺はそう思った。なんにせよ人間に獣風情が勝てるわけはなかったのだ。

 

「さて…、こいつの皮はなかなか上物そうだ…」

 

俺は狼の元へ近づいていく。俺の人生の中でこんなに大きな狼は見たことがない。こいつの皮を剥げば臨時収入として俺の懐は膨れることは間違いない。

俺は狼の前に立つ。近くで見れば見るほどいい毛並みをしている。俺はその白い毛並みに触れようと手を伸ばす。

 

「か、頭。なんか変ですぜ…」

 

だが、俺の背後にいる仲間が震えた声で俺を呼び止めた。

 

「ああ?何が変…!!」

 

その時、俺は気づいた。とうに絶命したとばかり思っていた狼の目が開かれ、俺をじっと見つめていたのだ。

 

「…は?」

 

一瞬の思考停止の後、俺の体は空を舞った。狼が鼻で俺をはじきとばしただけだったが、それに気が付いたのは大木に強かに背中を打ち付けた後だった。

 

「グホッ!!」

 

肺にたまっていた酸素が一気に吐き出される。パニックになりかけるが、歯をくいしばることでなんとか意識を保つ。

ゆっくりと深呼吸をしてみる。あばらが何本か逝っているようで、呼吸するたびに胸に違和感を覚えた。

 

「クソッ…!何だってんだ…」

 

俺はよろよろと立ち上がり、狼と仲間がいる方へ目をやった。

狼には痛覚というものがないのだろうか。体のあちこちに矢が刺さっているというのに、まるで意に介せず、つまらなそうに仲間たちを見つめている。対して仲間は目の前の狼の姿におびえ切って、すっかり腰を抜かしている。

 

「う、うわあああ!?」

 

仲間の一人が何を思ったか、剣を引き抜き、狼に真っ向から挑みかかった。恐怖で頭が可笑しくなったのか、仲間の静止も聞かず、狼の眼前へと剣を振るう。それでも狼は動じることはない。狼は仲間が剣を振り下ろすよりも先に、仲間を地面へと押し倒し、その喉を食いちぎる。

仲間は抵抗する時間も与えられず、喉から赤い赤い液体を垂れ流した。

 

「ば、化け物…!」

「嫌だ、嫌だ死にたくない!」

「神様…」

 

仲間の無惨な死に方を目にした他の奴らは、口々に泣き言を喚き散らす。もはや、奴らに戦意などないに等しい。後は、狼の腹に収まるか、狼の気が済むまで弄ばれて死ぬかの二つしかない。

俺は今すぐにでも逃げ出したかった。こんなのは依頼の内容にはない、まったくの予想外の事態だ。こんなのに付き合って死ぬよりかは生きて別の依頼主を待つ方がよっぽどいい。

 

「て、てめえら…今すぐここから…」

 

だから俺は、声を震わせながら仲間に指示を出そうとした。逃げろと。だが、旨くその言葉が出てこなかった。

俺が言葉を発すると同時に、狼の首が俺のいる方へと向いたのだ。その途端に俺の喉は引き締まり、言葉がでなくなる。

邪魔をするな、邪魔をすればお前も喰らってやると、狼の目はあんにそう告げていた。

逃げろ。俺の本能がそう告げていた。逃げろ、逃げなければお前まで奴の餌食にされるぞ。このままだと奴にはらわたを引き裂かれ、奴の晩飯にされるぞ。そんなのはまっぴらごめんだろう?だったら逃げろ。早く。

俺は震える足を何とか動かし、暗い森の中を駆け抜けた。振り返ることなく、必死になって走り抜けた。

後ろでは仲間が俺を呼ぶ声がした。戻るべきだ、頭ではそうわかるのだが、体は恐怖に支配され、走ることをやめなかった。

 

俺の背後から狼の遠吠えが聞こえてきた。その直ぐ後だ、仲間たちの断末魔が森の中に木霊した。

 

逃げなければ。俺は狼の声が聞こえなくなるまで、あの牙が俺に届かないよう祈りながら、夜の暗い森の中を走り続けた。


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