ゼロの使い魔 〜犬神と少女〜   作:隙人

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十九話

フーケを捕縛した日から、かれこれ一週間が過ぎたある日の夜。ルイズは夢を見ていた。夢なんて、もう此処何年も見ることがなかったものだが、この日見たものは彼女の脳裏にひどく焼きついて離れることはなかった。

その舞台は彼女が幼少のころ、彼女の実家であるヴァリエール邸での出来事だ。彼女は何かから逃げていた。理由は思い出せないが、とにかく逃げなければと走り続けていた。短い足を懸命に動かし、石ころに蹴躓きながらも走り続ける。ときおり追っ手がいないかと背後を気にするものの、そこには誰もおらず、夕暮れに染まる森があるだけだ。森の林を抜け、向かう先には彼女の隠れ家である池がある。この池は以前は二人の姉がボートを使って遊んだり、彼女の父であるヴァリエール公爵が近しい貴族たちを招いて食事を楽しんだ場所であったが、月日が経つに連れてここに来る時間も余力も失っていき、気づけばルイズ以外に誰も寄り付かない寂れた場所になってしまった。

池の近くまで来ると、ここまで来れば安心だとルイズはほっと胸をなでおろし、息を整える。そして、池の端に停泊している小さなボートに乗り込む。かつては姉たちが乗り回していたこのボートも本来の機能を忘れ、今となってはルイズの格好の隠れ家となっている。ボートにかかっている布をめくると、そこからボートの中へと入る。ボートの中にはあらかじめ屋敷から持ってきた毛布二枚とランタンが置かれている。ルイズは再度布をボートにかけ中の様子を見えなくすると、用意していたマッチでランタンに火を灯す。ぼやっとした暖色の光がボートの中を明るく照らす。

ほとぼりが冷めるまでここにいようと決め、ルイズは毛布を体にかけ、座席を枕に仰向けに寝転がる。

 

…そうだ、思い出した。たしかこの時は自分の魔法の不出来さで母様にこっ酷く叱られたんだ。姉二人は平然と魔法を使いこなすのに対して、私は今も変わらず爆発を起こしていた。その度に母様に説教をうけ、こうしてここへ逃げてきていた。今に思えば自分を心配しての行為だったと理解できるのだが、この頃はそうとは思えずに、母様は私のことが嫌いなのだと思い込んでいた。

 

ルイズはボートにかかった布の端を手に掴み、少し開けて外の様子を伺う。外は漆黒の闇に包まれ、静寂が辺りを覆っている。とても、近くに人がいるようには思えない。

一先ずは胸をなでおろし、また布をかぶせボートの中へと戻ろうとした。

 

「小娘」

 

だが、何者かの声がルイズを呼び止めたことで、布にかかっていた手が止まる。先程まではなんの気配も感じなかったのに、一体なんだ。ルイズは恐る恐る声のした方向へ目を向けた。すると、そこには彼女のよく知る大狼が闇から這い出るように歩み寄ってきている姿があった。

 

「何時までそこでいじけているつもりだ。そうしていても何も変わらんことぐらい、馬鹿なお前でもわかるだろう」

 

「モロ…」

 

モロの姿を認めると、ルイズはボートから抜け出し、ランタンを手にその近くへと歩み寄る。

暗闇の中ではランタンの明かりなど心細いものだが、互いの位置を確認するぐらいにはそれで十分だ。

 

「なんでこんなところにいるのよ?」

 

「お前が心配で探しに来た。とでも言えば満足か?」

 

「ふふ、何よそれ」

 

モロが冗談を言うとは珍しい。普段のあの狼ならそんなのは滅多にないことだが、それも夢のおかげであろう。

 

「でも、ありがと。理由がどうであれ私の所へ来てくれて」

 

「理由などありはしない。歩いた先にお前がいただけことさ」

 

「それでもいいわよ。結果的に私の所へ来てくれたんだから」

 

そう言いながら、ルイズはモロの身体に抱きつく。やはりこの柔らかさは夢の中でも健在だ。柔らかい白毛に彼女は顔を埋め、すりすりと擦り付ける。それだけで彼女の心は幸せに満ち溢れていく。

 

「全く…お前と言う奴は…」

 

この夢の中のモロはなんだか優しい。まるで母親のような暖かさでルイズを包み込んでくれる。こんな雰囲気のモロも中々にいい。現実にもこうであったなら良いのにと思ってしまう。

 

「ルイズ、夕食の時間よ!もう怒っていないから出ていらっしゃい」

 

「あ、母様が呼んでる。モロ、行こう」

 

そう言って彼女はモロから離れ、屋敷への帰路につこうとする。当然、モロも自分の後に続いてくるものだと思っていた彼女だが、背後の気配がまったく動かないことに気付いた。振り返ると、モロは足元に置かれたランタンの明かりに照らされながら、そこから一歩も動こうとはしていなかった。

不思議に思った彼女は再度モロに歩み寄ろうとするが、それよりも先にモロは踵を返し、彼女に背を向けて歩き始めた。

驚いたルイズはその背中を目指して駆け寄ろうとする。だが、いくら足を動かしても使い魔との距離は縮まらず、反対に広がっていくばかりだ。

 

「待って、待ってよ!」

 

ルイズは必死の声を張り上げ、使い魔を呼び止めようとする。だが、モロは黙したまま振り向きもしない。

 

「ねえ、どうしたのよ?!何で返事してくれないの?」

 

「…」

 

「ねえ、モロッたら!」

 

半ば泣き顔になりながら、ルイズは懸命に走り寄ろうとする。だが、モロは一向に歩みを止めることはない。そのうちモロの体は闇に吸い込まれ、消えていった。

その姿が消えようとも、ルイズはモロの姿を追って走り続けた。

 

「どこ、どこに行ったのよモロ!!あなた約束したじゃない、私が死ぬまで私の使い魔をしてくれるって言ったじゃない!何で、何で黙って私の前からいなくなるのよ!!」

 

彼女がどんなに声を張り上げ暗闇に訴えかけようと、其処からは何の返答もない。

ルイズは疲れ果て、とうとうしゃがみこんで泣き伏せってしまう。

 

「モロ…行かないでよ…一人にしないで…」

 

そんなつぶやきに応えるものはこの場にはいない。独りきりになったルイズの周りには闇が押し寄せ、彼女を覆っていった。

 

時刻は深夜をとうに過ぎ、間も無く日の出の時刻になろうとしている頃。ベットに横たわるルイズの頬を一筋の泪が流れ落ちる。

 

「モロ…」

 

夢現の中、ルイズのつぶやきは虚空へと消え去り、霧散した。

 

 

そんな夢を見てからか、ルイズはいつも以上にモロの側を離れようとはしなかった。朝は何時もよりも早くに目を覚まし、真っ先にモロの元へと向かいその体に抱き付く。朝食の時間になっても離れようとはせず、食事をとらずに授業に出ることもあった。授業が終わると寮に向かう際中であってもモロのそばを離れることなく、着いたら着いたでそこから長い間モロの体にしがみつく。モロは最初の頃は別段気にすることもなかったが、さすがに妙に感じて彼女に探りを入れてみた。だが、彼女は抱きしめる力を強めるだけで何も答えはしなかった。時間が経てばマシになっていくだろうと今となっては放っておいてはいるが、それでも、やかましく思えてくるのは否めない。

 

そこからまた一週間ほど過ぎたころ、ルイズが落ち着きを取り戻すのと反して、学院中の人々の落ち着きがなくなっていた。この国の王女殿下が急遽この学院へ行幸されることにが決まったらしく、皆大慌てにその準備にいそしんでいた。

モロはその様子を興味なさげに見つめていた。どれほどに位が高かろうともそれは人間の中だけの話。モロにとっては何の関係のない話ではあった。

そして、王女ご来賓の日。全学年の授業全てが休みとなり、王女を迎え入れるため教員生徒の全員が校門前に集っていた。その中にはルイズを始め、キュルケ、タバサ、ギーシュなどモロの知った顔ぶれもちらほらと存在していたが、興味のないものに首を突っ込む気はほとほとなく、モロは木陰の傍から様子を窺うに留まっていた。

時刻は正午に差し掛かろうとした時、ついに王女を乗せた豪奢な馬車が姿を現した。馬車が校門を過ぎると、教員生徒たちは拍手喝采で出迎え、用意していた花びらを舞い散らせる。青空の下、舞い散る花びらの中を馬車は進み、本塔の少し前で停車する。人だかりのせいでモロの位置からでは王女の姿を見ることは叶わなかったが、突如として喧騒が立ったことで王女が学院に降り立ったことだけは把握できた。そこからぞろぞろと人間たちが塔の中へと入っていき、喧騒に包まれていたこの場は静寂を取り戻していった。

 

「なんだか、騒がしかったのね。今日は何かあるのね?」

 

すると、背後の茂みからのそりと蒼龍イルククゥが姿を現し、何食わぬ顔でモロの隣に腰を据える。

この龍はあの夜からやたらとモロに構ってくるが、それについてもモロは特にいう事はなく、イルククゥの好きにさせている。時たま喧しく思える時もあるが、感情的に怒鳴り散らすような子供じみた真似をやるほどモロも間抜けではなかった。

 

「…国主の娘がここに来ているのだ」

 

つぶやくように、何気なくイルククゥに声をかける。

 

「娘って、お姫様なのね?」

 

「そうらしい」

 

「ふーん…、お姫様と言っても案外暇なのね」

 

人間に使われているお前が言えたことか。内心毒づきながら、モロはおもむろに腰を上げ、校門の方へと歩き進んでいく。

 

「どこに行くのね?」

 

イルククゥは当然の様にモロに追随し、そんなことを聞いてくる。

 

「私がどこに行こうと、お前には関係のないことだ」

 

「それもそうなのね…。なら、私も…」

 

「付いてくるな」

 

「ええ…」

 

イルククゥは口を尖らせ、子供のように頬を膨らませる。不満たっぷりといった様子だが、モロは一切気にすることはない。モロは校門を抜け、イルククゥを置き去り一足飛びに森を駆け抜けて行った。

 

「…つまんないのね!!」

 

地団駄を踏みながら駄々をこねはじめる。それを他の使い魔たちは不思議そうに眺めているが、イルククゥが一睨みすると、蜘蛛の子を散らすようにその場から離れて行った。

 

 

 

 

その日の夜。ルイズを寮塔に送り届けてから数時間後の事。何時もの様に木陰に寝そべりながら、首を傾げ月を眺めていると、どこからか人の気配を感じ取った。その気配は草を踏みしだきながら、段々とモロいる方向、ではなく、寮塔の方へと近寄ってきている。何気なく気配の方へ目を逸らすと、そこには奇妙な人影がいた。真黒な頭巾で顔を隠し、黒いローブで体を覆ったその人影は人目でも気にしているのかキョロキョロとあたりを注意深く見回している。

モロは首だけを動かし、その動きを追っていく。その人影は寮塔の目の前に立つとさらに注意深く辺りを見回し始めた。と、その首がモロの方向を向いて止まった。どうやら目が合っているらしいが、フードを被っているためどんな表情をしているかは見えない。見えないが、わなわなと膝を震わせ始めたため、怯えていることは把握できた。やれやれとため息をつき、近寄ろうと腰を上げるが、モロが立ち上がる前にその人影は寮塔の中へ逃げ込むように消えていった。

釈然としないが、気に留めることでもない為、モロは再び腰を下ろし木陰の元で寝そべる。その数分後、ルイズの部屋から彼女の驚愕する声が耳に届いたとしても、モロにとっては些細なことに過ぎなかった。


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