ゼロの使い魔 〜犬神と少女〜   作:隙人

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十二話

あの騒動の後、生徒たちは何事もなかったように勉学に身を入れていた。教師の言葉を聞き逃すまいと耳をそばだたせ、黒板に書かれた文字を必死に紙に写し取っていく。そんな中、ルイズはぼうっと窓の外を眺めていた。

あれからだいぶ時もたち、気づけばこの日最後の授業にさしかかっている。日も随分と傾き、夕日の暖かな茜色の光が窓から射し込んでくる。だが、ルイズの目にはそんなものは映らない。いや、それどころかその目はどこか遠くをとらえているようで何もとらえてはいないのだ。ただただ何とはなしに頬杖をついて、何とはなしに外に目を向けるという作業に近い動作を行っているに過ぎない。授業の終わりを告げる鐘が響いたとしても、その形を解くことはなく、それに気づいたころには周囲の生徒が机から立ち上がり、教室を後にしていた。

もう終わったのか。教室に一人取り残されたルイズは机に広げられている教科書を一冊一冊机の中に押入れる。全てを仕舞い終えると、重い腰を上げ誰もいない教室を後にした。

 

廊下を進み、外へと続く扉の前に立ち止まるとその取っ手に手をかける。それを回すと小気味のいい音が鳴り留め金が外れる。その音を耳に入れるや否や、取っ手を持ったまま前に押し込む。すると、扉は何の抵抗も見せずに力に促され、ゆっくりと片側に開いた。

 

外には今朝の惨状がそのまま残されていた。いつもなら生徒の声がするのだが、変わり果てた本塔の前は他の誰の姿もない。皆早々に部屋に戻ってしまったのだろう。生徒の姿のない本塔前の広場は寂れたような静けさに包まれていた。

だが、ルイズにして見ればそれは些細なことに過ぎず、彼女の足は自然といつもと同じように同じ場所を目指す。

 

「おまたせ」

 

そこには周囲の状況とは打って変わって、何の変化も感じられない堂々とした姿をした狼がいた。

モロはルイズの姿をとらえると、ゆっくりと腰を上げ、彼女を見ることなく足を動かす。ルイズはその後を何も言わずに付いて行く。

沈黙を保ったまま、獣と少女は共に同じ場所を目指して歩き進む。普段ならすぐに着いてしまう短い距離なのだが、重い静けさのせいかそれが随分長く感じてしまう。その間、ルイズはモロのその大きな体を惜しげもなく眺め続ける。白い見事な体毛を体いっぱいに湛えたその大きな体からは想像もできない俊敏さで、幼かったとはいえ、龍の攻撃をいとも容易く躱し、組み伏せてしまうその膂力に舌を巻かされた。

それに加え、あれほどの痛手を一瞬のうちに癒してしまう回復力には目を見張るほどだ。

だが、それゆえにこの狼が何なのかが分からなくなっていく。思えば、一番近くにいる自分はこの狼のことを何も知らないではないか。知っていることといえば、この狼が”山犬”という種族であって、言葉を操れることぐらいだ。どこに住んでどんな暮らしをしていたのかすら自分は知らないのだ。

 

知らないのであれば聞けばいいではないかと他人は言うだろうが、それが言葉にするのも憚れるような事でもあれば無理に聞くようなこともできない。ではこのまま何も知らずにいるのかと聞かれれば、否だ。このまま無知のまま過ごすなど、ルイズは気になって授業にも集中できない。現に今日そうだった。

 

聞こうか聞かまいか悶々と考えていると先に歩いていたモロが立ち止った。ルイズは考えるのに夢中でそれに気づかずに、その体にぶつかってしまう。

 

「な、なに?どうしたの?」

 

「…着いたぞ」

 

「え?」

 

ルイズはモロの陰から前を見やると、見慣れたレンガ造りの寮塔が聳え立っていた。考え事をしている間にいつのまにか我が家についていたのだ。

 

「…どうした?早く行け」

 

「う、うん。…あの、モロ」

 

「なんだ?」

 

「……ううん、何でもない。それじゃあね、お休み」

 

ルイズは喉から出かかった言葉を飲み込み、さっさと塔の扉に向かいその中へと入っていった。

 

モロはそんなルイズの心情など知るはずもなく、またいつものように木陰に腰をおろし、首を空へと向ける。

茜色から夜の藍色に変わる最中に見られる、何とも言えない藍紫色の大空がそこにはあった。

だが、その光景が見れるのも束の間、あっというまに夜の闇があたりを侵食し始める。煌々と光り輝いていた太陽は平野の陰に沈み、今までなりを潜めていた二つの月が怪しげな光を放ちながらゆっくりと顔を出してくる。

未だにこの光景にはなれないでいるモロだが、二つの月を眺めるのも乙なものだと最近は思いはじめていた。

 

上空を見上げたまま数時間が経とうかとしていた時、背後の茂みから何者かの気配を感じた。モロはその相手に気取られないようにそっと横目にその方を見やると、茂みががさごそと不自然に揺れ動いていた。その端からは爬虫類を思わせる尻尾が見え隠れしている。モロはその尾っぽに見覚えがあった。

 

「…さっさと出てきたらどうだ?」

 

「キュイ?!」

 

モロの言葉に、茂みに潜む者は驚いたのか、特徴的な鳴き声をあげた。

 

「…もう少しマシな隠れ方を覚えた方がいいぞ?青蜥蜴」

 

「誰が青蜥蜴なのね!私にはちゃんとイルククゥって名前があるのね!」

 

憤然と声を上げながら、茂みから大きな蜥蜴、ではなく青い鱗をまとった龍が現れた。それを目にしたモロは不敵な笑みをその顔に浮かべた。

 

「やっと言葉を話す気になったか」

 

「あ……」

 

何か不味いことをしたのだろうか。イルククゥと名乗った龍はあたふたと落ち着きがなくなる。

 

「別に気にすることはない。ここには私以外なにもいやしない」

 

「そ、そうなのね。あのちびすけは人前で喋るなといっただけなのね。だからこれはノーカンなのね」

 

言い訳じみて聞こえるのはきっと気のせいだろう。風龍はおずおずとモロに歩み寄り、そのそばに腰を下ろす。

 

「それで、私に何か用か?」

 

「あの、その…傷は大丈夫なのね?」

 

「あんなものは傷でもなんでもない。心配するに及ばんさ」

 

「そう、なのね。でも、ごめんなさいなのね。私もついカッとなって…」

 

「…あの小娘に何か言われたか?」

 

「べ、別にちびすけに謝ってこいって言われたから来たわけじゃないのね!謝らないと杖でお仕置きされるのが怖いからでもないのね!」

 

「…単純な奴だ」

 

イルククゥはまた馬鹿にされたと思い込み、モロの隣で大いに騒ぎ立てる。だが、モロはどうでもよさそうにそれを聞き流していた。

ひとしきり騒いだところで落ち着いたのか、イルククゥは荒く乱れた息を整えるとモロに向き直り、その顔をまじまじと眺め始める。

 

「今度は何だ?」

 

「あの…あなたが良ければでいいのね。私があなたに魔法を教えてあげるのね」

 

「…なぜそんなことを?」

 

「あなたに怪我を負わせてしまったお詫びなのね」

 

そういうとイルククゥはそっと目をふせ、静かに言葉を紡ぐ。すると、驚いたことにイルククゥの身が光で包まれたかと思うと一瞬にしてモロの目の前には人間の娘が現れたのだ。これにはモロも思わず目を丸くする。

 

「ほう…これは奇怪な術を使う」

 

「これをあなたに教えようと思うのね。どうなのね?」

 

「…」

 

モロはしばらく考えるそぶりを見せる。イルククゥはその間、人間の姿のままモロの顔をじっと眺めていた。

夜の広場に沈黙が流れる。その間聞こえてくのは虫の鳴き声と草の中を飛び回る羽音だけだ。

 

「…いや、やめておこう」

 

「どうしてなのね?」

 

「…ただ、人間が嫌いなだけだ。わざわざ人間の姿に化けたいなどと私は思わぬ」

 

「そう…なのね」

 

イルククゥは至極残念そうにしょげてしまう。

 

「…もう用は済んだか?」

 

「…うん」

 

「ではもう行け」

 

「…わかったのね。…でも、気が変わったらいつでも言って欲しいのね。そうでなくても、あなたに何か恩返ししなきゃ私が嫌なのね」

 

「…用があれば声をかけよう」

 

「約束なのね」

 

そう言うとイルククゥはまた元の姿に戻ると、踵を返し元来た道を引き返していった。

その姿が消えるまでモロはその背中を見送っていた。

 

 

一人きりになったモロはまた空を見上げる。満天の夜空には見渡す限り星々が煌き光り、モロの目を楽しませる。が、やはり森から見える夜空には及ばない。

鑑賞する気分も失せ、闇夜の空から目を離し、モロはそっと瞼を下ろした。

やがて、うつらうつらと意識が朦朧とし始めた頃。不審な物音がモロの耳に届いた。人間の耳では聞き取れないほどの微かな音だ。普段のこの時間は物音一つしない静寂に包まれているのだが、今日の日は何時もとは違うらしい。

気になってその方向へ目を向けると、本塔の陰から黒い人影が走り去っていく姿があった。

不審な影はモロの存在などには気が付いていないようで、全く見向きもせずに茂みの中へと入っていった。

 

ああも夜目がきくという輩はおそらく野党の類だろう。そうあたりをつけたモロは、微々たる興味も消え去り、今度こそ眠りにつこうと目を閉じる。

だが、それも大きな気配を感じたことによって唐突に中断させられることになった。

嫌気がさしながらも目を開け、気配の元へ目を向ける。

そこには二つの月の明かりを受けた巨人が、壁を崩壊させ、去って行く姿があった。


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