咲-Saki- もし咲が家族麻雀で覚醒してたら   作:サイレン

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おっ待たせしましたー!

忘れてる方に向けて前回のあらすじ

やったね臨海、2位抜けだよ!


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10-9

 

 長時間の対局の末に、準決勝第二試合は閉幕した。

 

 結果だけ見れば清澄高校の圧勝だ。二位の臨海とはおよそ9万点の差を付けており、しかもこの点差は大将戦だけで稼いだと言っても過言では無く、咲との実力差をまざまざと見せ付けられた結末となった。

 

 そう、勝負は決したのだ。

 決勝へと駒を進めたのは清澄と臨海。

 どんな結果だろうと対局は終わったのだから緊迫とした空気が緩み、選手は各々と行動を起こすのが普通だ。

 

 しかし、対局室は依然張り詰めた緊張に満ち満ちていた。

 

「ありがとうございました」

 

 その中で平然と謝辞を述べたのは咲だった。静かに立ち上がりぺっこりんと行儀良く頭を下げ、健闘を讃え別れを切り出す。

 普段であれば豊音と爽ならどんなに悲しくとも言葉を返しただろう。無視するという選択肢は無かった筈だ。

 だが今だけは、咲の面前で激烈な怒りを隠そうともしないネリーがいるこの場では、容易に身動きが取れなかった。

 

「…………?」

 

 咲は豊音と爽の様子にきょとんと小首を傾げて訝しむが、思うところがあるのだろうと察してそれ以上口を開くことなく退室を決める。

 素足の状態であったから軽く足裏を手で払い、身体を前かがみに靴下を履いていく。下準備を終えた咲はそのまま靴を履き、出口へ歩を進めようと立ち上がった。

 

「……待て、宮永」

 

 そのタイミングで声を掛けられる。

 名前を呼ばれたので咲は振り向くが、その瞳には砂粒ほどの関心もない。

 心底どうでもいいという眼差しが、心底どうでもよくなった存在へと向けられる。

 

「ん? なに?」

「お前……どうしてオーラスの和了りを見逃した……?」

 

 言葉の節々に隠しきれない赫怒が漏れ出ている。

 当然咲はその事実に気付いたが、恐れを感じる事も無ければまともに取り合うつもりもなかった。

 

「えー、何のことだか分からないなー?」

 

 常とはかけ離れた剽軽な仕草で咲は肩をすくめた。そんな新たな一面を見て、豊音と爽に湧いたのは得も言えぬ恐怖だったのを咲は知らない。

 一方その舐め腐った態度を真正面から取られた彼女、ネリー・ヴィルサラーゼは苛立ちを加速させ大きく声を荒げた。

 

「惚けるな! 分からないとでも思ったか! お前が嶺上開花を見逃したことぐらい分かってるんだよ‼︎ どうして見逃した⁉︎ 答えろ!」

 

 ──あぁ、コイツは本当に思い通りに動いてくれるな。

 

 嗤いを堪えるのが大変だった。

 こうまで思惑通りに手の平で転がってくれると、愉快を通り越してもはや哀れにしか思えない。

 咲は震える口角を噛み殺し、極めて穏やかな表情を取り繕う。

 

「そんなの簡単だよ。あの場で私が和了ったら、()()()()()でしょ?」

「…………は?」

 

 素っ頓狂な声が漏れた。同時に、荒々しく発散されていた怒気がピタリと止まる。

 発声者はネリーだけだったが、両脇にて座したままの豊音と爽も無言で同様の反応を示していた。

 理解が及ばないのだ。

 何が面白くないのかが分からないのだ。

 ネリーは、豊音は、爽は、全員が当事者で闘った身だから、咲が言わんとしていることを把握出来なかったのだ。

 

「……お前、今、なんて……」

 

 想定外の返答に呆けたネリーが途切れ途切れに疑問を述べる。

 その反応に咲は柔らかく小首を傾げ、嗜虐心と親切心を履き違えた心遣いを発揮して懇切丁寧な解説を行う。

 

「よく考えてみてよ。オーラスで一位とは大差があって、二位はどこの学校も可能性があった。こんな状況なら、()()()()はみんな二位争いにしか目が向かないよね? そんな時に一位がしゃしゃり出たら、興醒めになっちゃうと思わない?」

 

 空気が凍った。

 そうとしか表現できない重たい静寂が対局室に伸し掛かった。

 ニコリと笑顔を浮かべる咲を正面に、瞳を見開いた状態でネリーは静止する。咲の発言を受けて思考停止に陥ったかのように固まってしまった。

 

「…………ふ、」

 

 暫くののち、再起動したネリーは全身を細かく震わせ何事かを呟く。

 段々と大きくなった震えが最高潮に達し、前触れ無くそれが止まった──次の瞬間、ネリーの髪の毛が一斉に逆立った。

 

 

 

「巫ッッッ山戯るなぁああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎」

 

 

 

 喉が張り裂けんばかりの咆哮が空気を震撼させる。

 咲は涼し気な顔を崩さずに耳に両手を当ててやり過ごすが、ネリーの怒りは一回叫んだだけでは収まらないようだった。

 

「お前ぇ、お前ぇええッッッ‼︎ 宮永ぁああッッッ‼︎」

 

 人生でこれ程に怒り狂ったことがない。そう断言できるくらいにネリーは荒れた。

 

 ネリーは察してしまったのだ。咲の本当の狙いを。

 

 あの場で咲が和了ったら面白くない。確かにその通りだ。視点を変えれば咲の言うことは尤もであり、納得せざるを得えない考えではある。

 

 だが、それなら咲は大人しく静観していればよかったのだ。

 わざわざ危険を冒して攻めに転じる必要性は皆無だった。

 

 それでも咲が槓をして嶺上牌を手にし、あまつさえ和了りを見逃した理由は、「自分はいつでも和了れるけど、誰かが和了るまで待ってあげるよ」というメッセージに他ならない。

 

 しかもこれは、ネリーだけを狙い定めて送ったメッセージだったのだ。

 咲は対局中に分かっていた。この三人の競り合いはネリーが勝つと。

 だからこそ咲はこのような行動に及んだのだ。

 

 そこまでを正しく理解したからこそ、自尊心の高いネリーがブチ切れない訳が無かった。

 

 咲のこの行為は言葉通りの、観客を楽しませようなどというお持て成しの精神では決してない。

 決勝進出の切符を自分たちの実力で掴め取れるようにといった、慈悲深さによって与えられた訳でもない。

 

 遥か高みからネリーを見下ろし足で踏み潰しながら、「良かったね、私のお陰で勝ちが拾えて」と嘲笑うためだったのだ。

 

「……煩いなぁ。負け犬の遠吠えはいいけど、もっと静かにしてよね」

 

 咲は仮面を脱ぎ捨てる。

 ネリーは状況を理解した。自分が如何に無様だったかを把握してしまった。

 ならばあとは詰めを残すのみ。

 鬱陶しい羽虫を捕らえた後にする事は簡単だ。

 

「……それにしても」

 

 声音の温度を氷点下まで落とし、我慢の限界を超えた咲の口角は歪に吊り上がった。

 

「よくもまぁあんな無様を晒しておいてそんな態度が取れるよね。その醜く肥え太ったプライドだけは褒めてあげるよ」

 

 心の真芯を抉り抜く酷烈な言葉に、静寂がのし掛かる。

 直球過ぎる侮蔑に怒髪天を衝いたネリーは咄嗟に言い返そうとする。

 

「ッッッ⁉︎」

 

 だが、ネリーは何も言わなかった。

 否、言えなかった。

 咲から押し付けられる鬼気と称するべき凶悪な重圧に強制的に黙らされたのだ。

 それはまるで、弱者が圧倒的強者を相手に為すすべなく跪くのを体現したような光景だった。

 

 身の程を弁えたその殊勝な態度に咲は満足したのか一つ頷き、血赤の双眸に嘲りを乗せたまま、ゆっくりゆっくりと歩を進める。

 こつこつと足音がだけ木霊し、対局室の出口とは逆方向にぐるりと卓を回った咲は、ネリーの真後ろで脚を止めた。

 身体を前倒しに、ネリーの側頭部へ顔を寄せて。

 

 これが、最後の仕上げ。

 

 咲はネリーの耳許で囁いた。

 

「またね、()()()。私にとって貴方は、名前を覚える価値すら無かったよ」

 

 

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 ビシリ、と何か大事なものが罅割れる音を幻聴に、咲は満面の笑みを浮かべる。

 負け犬の力も心も完膚無きまでに叩き潰してやっと、咲の鬱憤は晴れたのだ。

 

 用が無くなった咲はそのまま脚を止めることなく、対局室を後にする。

 咲が居なくなったことで漸く身体の自由を取り戻した三人のうち、豊音と爽は逸早く立ち上がり、「ありがとうございました!」と叫ぶように言い捨てて足早に対局室から退室した。

 

 残ったネリーは微動だにしない。

 時間が止まったかのような静けさの中、ネリーから発散されるのは膨大な怒気で。

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッッッ‼︎‼︎‼︎」

 

 絶叫が響き渡る。

 会場全体にまで木霊したそれは、怒りと悲しみに満ちた慟哭にとても良く似ていた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

「……ただいまー」

『豊音ーーーーっ‼︎』

「わぁっ⁉︎」

 

 扉を開けたと同時、仲間たち全員が抱き付いてきた。

 いきなりの事態に当然驚き豊音は可愛らしい悲鳴を上げてしまうが、四人分の体重を掛けられても一歩後ずさるだけで留まることに成功したのは流石だろう。

 

「ど、どうしたの?」

「豊音ちゃんと生きてる?」

「ツラクナイ、ツラクナイヨー!」

「生きる希望とか失ってないよね⁉︎」

「豊音は何も悪くないからね!」

 

 矢継ぎ早に告げられる言葉の種類がなんかすごい。

 一体何事かと豊音は一瞬真剣に頭を悩ませ、即座にその理由に思い当たって、あぁ……と万感の思いがこもった吐息を漏らす。

 

「あはは、私は大丈夫だよー。直接被害? にあったわけじゃないし。宮永さんがすごいってことは最初から分かってたしねー」

 

 本心のままに打ち明けた豊音は苦笑する。咲からの仕打ちを真正面から受けたのはネリーに違いなく、豊音は余波だけだったのでそこまで深刻な状態に陥ってはいない。まぁきついことに違いはなかったが。

 あっけらかんとした様子に仲間たち全員が疑いの目をもって豊音が強がってないのかじっと見据え、本当に大丈夫なのだろうと安堵したのはしばらく経ってからだった。

 

「豊音、おかえり」

「はい、ただいま戻りましたー」

 

 仲間たちの抱擁から解放され控え室へと入った豊音を出迎えのは監督であるトシだ。

 ゆったりとした動作で一杯のお茶を注ぎ、豊音に座るように促して柔らかく微笑む。

 

「お疲れ様、豊音」

「ありがとうございまーす」

 

 疲れた身体を労わるようにゆっくりとお茶を飲む豊音。夏真っ盛りではあったが、冷房とは別に冷え切った心身が温かさを取り戻していくようだ。

 一息吐いて落ち着いた豊音は、そのままトシへと頭を下げた。

 

「ごめんなさい、負けちゃいました」

「豊音の所為ではないわ。むしろ謝るのは私の方、みんなを決勝まで連れて行けなくてごめんね」

 

 トシは全員に向けて謝罪の言葉を口にする。

 それを聞いて全員が必死に否定し始めた。

 

「そんなことない。みんな頑張った、私に悔いはない」

「タノシカッタヨ!」

「ホントそう! 準決勝まで勝ち上がれたのを褒めるべき!」

「私たちは全力を尽くせました。先生には感謝しかありません」

「ここまで来れたのは先生のお陰です! だから謝らないでください!」

「みんな……ありがとね」

 

 本心から感謝を込められた言葉の数々にトシの瞳が微かに潤む。

 しかしそれをトシは堪えた。

 今泣いていいのはこの子達だ。大人である自分が先に取り乱すわけにはいかない。

 

「豊音」

「はい」

「力を二つ同時に使ったね?」

「……はい」

 

 オーラスの豊音の闘牌は鬼気迫るものがあった。

 運命を司るネリーに対抗するために仏滅を展開し、勝利へと繋がる蜘蛛の糸を登るが如き小さな可能性を目指して赤口まで行使した。

 歪つな悲鳴を上げる身体を無視して豊音が限界を踏み越えたのを、トシははっきりと感じ取ったのだ。

 

「単刀直入に聞くわ、調子はどうかしら?」

「……正直に言うと分からないです。しばらく使えない気もするけど、頑張れば他のは出来るかな……っていう、なんというかその……」

「成る程ね、分かったわ」

 

 顎に手を寄せてトシは豊音の言葉を整理する。

 本人の意思次第だろうが、恐らく仏滅と赤口以外は無理を通せば行使可能なのだろう。

 そして豊音はみんなの為なら躊躇いなく無理が出来てしまう子だ。

 止めても無駄であるならば、応援する方がどちらも気分が良い。

 

「私たちはこれで負けてしまったけれど、最後に五位決定戦があるわ。これが正真正銘の最後。みんなで頑張りましょう」

『はいっ!』

「豊音、本当にお疲れ様」

「はいっ! ……私、本当に、頑張ったんです……」

 

 思わず、といった様子で豊音から言葉が零れる。

 

「みんなとのお祭りを終わらせたくないって。私が大将なんだから頑張らないとって。

 さっきのオーラスで、何かを超えられた気がしたけど……結局、届かなかった」

 

 仲間に囲まれて、恩師に激励を受けて。

 ようやく実感が追い付いてきた豊音の頰に、一筋の涙が伝う。

 

「ごめんね、みんな。悔いはないけど、やっぱり悔しいね……っ」

『……っ!』

 

 泣き笑いのくしゃくしゃの表情の豊音を見て、全員の涙腺が決壊する。

 みんなで抱き合って悲しみを分かち合うのを、トシはハンカチで目を抑えながらただただ見つめていた。

 

 

 

 宮守女子、準決勝にて敗退。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「ごめん、ムリだった」

『いや、あれは仕方ない』

 

 有珠山高校控え室。

 爽の軽い謝罪に誓子と揺杏が返したのは励ましですらなかったが、責めている感じは微塵も無かった。

 続いて後輩たちがやって来るが、彼女たちも全くといっていい程にあっけらかんとしていた。

 

「最後まで素敵でした」

「はい、本当にすごい対局でした。見ててハラハラして楽しかったです」

「私は楽しくはなかったなー。メッチャ疲れた……」

 

 空いていたソファに爽はだらしなくもゴロンと寝転がる。

 普段であればおいコラと誓子が注意するのだが、今だけは全面的に爽の行動を見逃すつもりだった。

 

 あんな目にあったのだ。メンタルが強めの爽もしんどかったのだろう。

 

「てかマジ信じらんなーい! 知ってる? 私役満二回和了ってるんだよ? いやまぁね、収支自体はプラスだよ? 2万ちょい、役満二回和了って2万ちょい。……ファーーーーーーッ‼︎」

 

 あ、壊れた。

 絡まれたくないなと考えが一致した四人は早々に無視する方針を固めて、各々が後片付けに勤しんでいた。

 

「カムイもぶっ飛ばされるし、てか宮永さん怖いし、……宮永さんホント怖いし! あの子なんなん? 本当に人間なん? 人の形をしたナニカじゃないの? 誰かとこの想いを共有して愚痴り合いたい! 今なら宮守の姉帯さんと親友になれる気がする! ……ファーーーーーーッ‼︎」

 

 爽はしばらく止まらなかった。

 誰一人慰めようとはしなかった。

 

「……さて、撤収するわよ」

 

 誓子が手を二回叩いて引き上げ宣言をする。

 手荷物をまとめた四人は最後に爽を見るが、動く気配はない。

 はぁあああっ……、と大きな溜め息を吐いて、誓子は爽の元へと近付き。

 

「いい加減にしなさい」

 

 スパンッ、と頭をはたく。

 現実を見失っていた爽はその一撃で帰ってきた。

 

「……あれ? もう帰るん?」

「帰るわよ。ただでさえ大将戦長くて外真っ暗なんだから。さっさと帰って寝て、明日の五位決定戦に備えるのよ」

「……それもそうだねー」

 

 よいしょっ、と爽は身を起こして立ち上がる。

 まとめてあった自身の荷物を手に取って、爽は控え室を出る直前、最後に一度だけ振り向いた。

 

「いやー、現実は厳しいねー」

 

 

 

 有珠山高校、準決勝にて敗退。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 臨海女子控え室。

 かつてない重苦しい空気がその一室に満ちていた。

 主な原因は先程から座ったまま微動だにしないアレクサンドラなのだが、選手達も一様に瞑目した状態で待機している。

 ただこの空気に耐えられなくなったのか、明華は一度大きく手を打って雰囲気を一新させる。

 

「どんよりはここまででいいですねー。ネリーが戻るまでもう時間がありません。……どうします?」

 

 どうするというのは、何て言って迎えるかという意味に他ならない。

 正しく理解した面々は、先程よりも更に難しい顔をして腕を組み始めた。

 

「励ましたりなんかしたら本気の殺意をぶつけてきそうだわ……」

「かと言って、責めても同じことデス。ネリーはおこさまですカラ」

「静観が一番いいのでは? 最終的には智葉と監督の判断に任せます」

「……基本は静観で、態度が度が過ぎるようなら私から言おう」

 

 そもそも、此処にいる全員はネリーを責めるつもりなど毛頭無い。

 二位抜けで決勝進出は決めたのだ。最低限の仕事を果たしたネリーにこれといった不満は無い。

 ただ、あれだけの虚仮にされたネリーがどんな顔で帰ってくるのか、それだけが予想出来ず戦々恐々としていたのだ。

 

 思い出して、改めて明華は唸る。

 

「いやー、それにしても……。宮永さんはスゴイですね。あの状態のネリーを真っ向から叩き潰せるなんて」

「あの場にはそれだけではなかったようデスが、彼女が紛れも無い実力者なのはたしかデス。いつか対局したいデスネ」

「遠からず対局することになるでしょう。彼女はプロ入りを宣言してますから」

 

 世界を舞台に争う明華、ダヴァン、慧宇の三人は早くも咲との対局を想像している。早ければ三年後には激突するのだと思うと、気も引き締まるものだ。

 三人の雑談を聞いていた智葉がピクリと反応した。

 

「そこまでだ」

 

 外の気配を感じ取った智葉が忠告すると、言わんとしていることを理解した三人も口をつぐんだ。

 

 ネリーの前で咲の話など、厳禁に決まっている。

 

 ギィ……と、扉が開く。

 

 同時に、途轍も無い圧が撒き散らされた。

 別にこれでビビったりするほど此処にいる面々は温室育ちではないが、全員がめんどくさそうという思いを隠した。

 おかえりの一言を言うのも憚られる覇気をネリーは撒き散らしているが、何も言わないのも逆にネリーを苛立たせそうだ。

 思考が一致した部員はチラリとアレクサンドラを一瞥する。

 言わんとしていることを把握したアレクサンドラは、普段と同様の声音でネリーを迎えた。

 

「おかえりなさい、ネリー」

「潰す潰す殺す殺す宮永宮永宮永……」

 

 ──こっわ……。

 明華は素直にそう思った。

 

 ほとんど同じ感想を浮かべた他のメンバーはもう話し掛けるのを止める。しばらく放っておけば会話くらいは出来るだろう。

 ネリーにもその気はないのか、自分の荷物だけ持って即座に控え室を後にした。ぶつぶつと殺意すら篭った呪詛を垂れ流しながら。

 

『…………』

 

 沈黙が振り降りる。

 気が楽になったと言えばそうなのだが、どこか釈然としない気持ちであるのも事実。

 しかしネリーに直接突っかかる気も起きず、全員が重たい溜め息を漏らしてお開きの空気となった。

 

「……帰りましょう」

 

 アレクサンドラの言葉に従って、各々が帰り支度を進める。

 

 明日の決勝戦は不安だらけだ。

 ネリーがあの調子からどうなるか想像が付かない上に、宮永咲という化け物がどう来るかも予想出来ない。加えて白糸台の大星淡に千里山の清水谷竜華も加わるとなると、確実な勝利に繋げる為にいくら稼げばいいのか。

 

 加えて決勝戦の先鋒にはもう一人怪物がいる。

 

 頂上決戦も目前に控え、臨海女子はいまいち乗り切れない気持ちで準決勝を終えた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「申し訳ありません。自分を抑えられませんでした」

 

 開口一番に謝罪を口にして、咲は深々と頭を下げる。

 腕を組んで咲のつむじを見下ろしていた久は、諦めたように大きく息を吐いた。

 

「咲、あなたは勝ってきてくれたわ。その点について責めるつもりはないわよ。本当によくやってくれたわ、お疲れ様。……でもね」

 

 一呼吸だけ溜めて、久は咲の頭に手を伸ばす。

 

「真剣勝負の場であれはいけないわ。まぁ、私たちが不甲斐ない所為なのは分かってるけどね」

 

 咲はてっきり鉄拳制裁かと覚悟していたが、久は柔らかく頭を撫でるだけであった。

 

「怒ってくれてありがとう。もう充分よ」

「…………本当に、すみませんでした」

 

 されるがままの咲はしばらくその姿勢から動かなかった。

 予想はしていたが、何故咲がこうなったのか和が話したのだろう。

 

 昨夜、咲は和に誓った。全ての相手を、全力をもって徹底的に叩き潰すと。その言葉をここに居る全員が聞いている。

 これまでも咲は問題児ではあったが、一度交わした大切な約束を違えるような真似はしてこなかった。

 そんな咲が後半戦になって唐突にブレ始めたのだ。呆れるより先に心配が浮かんでもおかしくはない。

 

 頭から伝わる体温は温かく、咲の身体の緊張が解かれていく。

 実は此処に来るまでにインタビューに揉みくちゃにされ、控え室に入るのもやらかした後で気まずいという状態だったのだ。咲にしては疲れていた。

 なお、インタビューでは偉大なる姉を見習って猫を三百匹くらい被って挑んだ。

 

 顔を上げた咲は残りの部員の元へ足を運ぶ。

 

「咲ちゃーん! 流石は咲ちゃんだじぇ!」

「ほんによーやってくれた」

「軽くつまめるもん買って来といたぜ」

「優希ちゃん、染谷先輩、京ちゃん……ありがとう」

 

 咲は思う。やっぱり自分は間違っていなかった。

 臨海を虚仮に下ろして何度も何度も徹底的に踏み潰した行いは正義だったと。

 だって仲間は誰一人大っぴらに咎めないじゃないか。久のあれは軽い注意みたいなものだ。最終的にはよくやってくれたと褒めてくれたし。

 

 視界の端に映る桃色の覇気はきっと気のせいだ。そうに違いない。

 

 さっきから全力で見ないふりをし続けている咲は、用意されたお菓子を求めて京太郎の隣に座った。

 

「京ちゃんはセンスが良いからね。お菓子も私好みだよ」

「そうだろーそうだろー。ほら、食え食え」

「頂きまーす」

 

 中にチョコが詰まったパンダ型のクッキー菓子を口に運ぶ咲。

 口内にたどり着く直前、横から伸びてきた掌にパンダが握り潰された。

 

「咲さん、私を無視するなんてどうしたんですか?」

「……あはは〜。和ちゃん、食べ物を粗末にしちゃいけないんだよ?」

「ご安心を。ちゃんと食べますので」

 

 据わった目で粉々に砕け散ったパンダを食べる和。もう超怖い。

 気付けば京太郎含めた面々が退室の準備を始めて散らばっていた。最近思うが、裏切りの思い切りがみんな良過ぎる。

 咲は頭の中で戦略を高速で巡らせて、逆転の一手を見つけ出そうとする。

 

「ちゃんと勝ってきたよ、和ちゃん。プラマイゼロでも無いし、不満だったかな?」

「そうですね、一位抜けについては流石は咲さんです。事情も事情ですから、ある程度の()()()には目を瞑りましょう」

 

 微笑む和を見て、咲は早々に諦めた。

 

「ですが、オーラスだけは見逃せません。和了り拒否なんて言語道断です」

「はい、すみませんでした。申し訳ございません。明日から頑張ります」

 

 咲には誠心誠意謝るしか選択肢が残されていなかった。

 

 

 

「んじゃ撤収するわよ。早く帰ってご飯食べてお風呂入って寝ないとね。明日は決勝よ、頑張りましょ」

『はいっ!』

 

 久の掛け声に応じ、各々が帰る支度を整える。

 

「咲ちゃんの荷物はまとめてあるじぇ!」

「ありがとう、優希ちゃん」

 

 長時間の対局でやはり空腹気味だった咲は菓子を食べながら、遂に辿り着いた舞台の先を思う。

 

(さぁて、明日はやっと白糸台との直接対決。淡ちゃんはどれだけ強くなったかな?)

 

 数ヶ月前は本気を出す価値も無かった相手だった淡だが、準決勝では随分と成長した姿を観れた。期待以上の変貌を遂げた今、対局するのがそれなりに愉しみである。

 竜華も竜華で不可思議な闘牌をモノにしており、実際に対峙するのが待ち遠しい。

 今日の相手は残念極まりない手応えの無さではあったが、まぁオマケとしてならあしらってやっても構わないだろう。

 

 空きっ腹にとりあえず糖分を詰め込んだ咲は、来たる決勝戦を思い浮かべて笑みを浮かべた。

 

(直接対決できないのは残念だけど、それは個人戦のお楽しみ)

 

 鋭利な眼光を放つ瞳は、次の標的を捉えている。

 獰猛に口元を歪ませて、咲は笑みを深くした。

 

「叩き潰してあげるよ、お姉ちゃん」

 

 

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準決勝編、これにて完結!

※以下駄文、最後にイラスト

いやー、ついにここまで来ました。
仕事が忙しくて一年近くサボったり、ツイ○ター始めたり、他作品に浮気したり(現在進行形:鬼滅の刃)、誰だよこんな待たせた奴。本当にすんません!!

残すは決勝のみ。
優希ちゃんと照さんが大暴れ。残念ながらここでは玄ちゃんは出ませんが……
書く上での問題は二つ。
一つ目は辻垣内さんの力の全容がまだ掴みきれてない点。
二つ目はナインズゲートなんて意味不明な必殺技を手に入れた照さんが強過ぎる件。……個人的に八尺瓊勾玉の能力も考えてるのにどうしよう……

まぁ最終的には咲さんに全部ぶん投げるんですが(笑)

最後に
あらすじにも置いておきましたが、イラストです。

牌に愛された子


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