咲-Saki- もし咲が家族麻雀で覚醒してたら   作:サイレン

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咲-Saki- はねバド! 同時投稿!

オマケもあるよ








10-6

 

 

『前半戦終了! なんということでしょうか、清澄の宮永選手が半荘(ハンチャン)だけで十万点以上もの差を覆しトップに躍り出ました! 圧倒的、圧倒的な強さです!』

『化け物……』

 

「………………………」

 

 実況アナウンサーの村吉みさきと解説のプロ雀士の野依理沙の声が耳を素通りしていく。

 決勝を明日に控え、準決勝の結果を見届ける為にホテルの部屋でのんびりと観戦していたのだが、あまりの対局内容に呆然と固まってしまった。

 

 

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 親友の驚愕を太腿の寝心地具合が硬くなったことで察した園城寺怜は、口をあんぐりと開けている清水谷竜華を一瞥してニヤニヤと笑っていた。

 

「いや〜、予想しとったけどこれほどとはウチも驚きや。咲ちゃんマジ強いんやな〜」

「…………」

「これは決勝の一校は清澄に決定やな。ウチの相手は一年の片岡さんって子かぁ〜。あの娘も結構なヤバさやから心労がががー……」

「…………」

「もう一校はどこやろな〜。てっきり臨海やと思っとったけど……」

「…………」

 

 うむむーと怜は顎に指を寄せて黙考する。

 ()()に考えれば臨海が上がってくるだろう。既にリードはかなり食い潰されているが宮守と有珠山からするとまだ遠く、ネリー自身が本領を発揮しているようには思えない。法則性の不明な超火力を残している筈だから、二位抜けならば最も可能性が高いだろう。

 

 だがそれは()()という概念が通用する場合に限る。

 あの場には宮永咲という深刻なバグが存在しているのだ。

 

 咲が入る事でゲームバランスが根底から崩壊して、従来の普通が実現不可能になってしまう。半荘で十万点以上の差をひっくり返しているのが何よりもの証拠だ。

 特筆して最悪なのは咲の点数調整技術。三校調整などという神の如き御技を繰り出す化け物なのだ、相手次第では三校同時に飛ばすのなんて赤子の手を捻るくらいに容易だろう。この点は咲の気分次第なので推測は不可能だが。

 

 たとえネリーが超火力を打つけても、終わった途端に取り返されては意味がない。解決方法は一撃でどこかを飛ばすか、オーラスまで攻勢を緩めないかの二つだが、これは他の要素を無視したご都合主義の側面が強い。

 あの場には咲ですら数局手をこまねく異常事態も起きているようだし、ぶっちゃけ怜程度ではどう転ぶか予想出来ないのだ。

 

「なぁ、竜華はどう思ってるん? どこが勝ち上がるんかな? やっぱ臨海?」

「…………」

「竜華ー、いつまで固まっとんねん」

「…………」

 

 返事が無い。ただの屍のようだ。

 

「……えいっ」

 

 見上げる姿勢で怜はたわわに実った柔らかな双丘を揉みしだいた。

 

「──わっきゃあっ⁉︎ いきなり何するんや、怜!」

「竜華が無視するからやん」

 

 やっと起動した竜華のおっぱいを揉みながら憮然と言い訳をする怜。

 竜華は即座に不埒な両手を叩き落とした。

 

「無視しとったのは謝る。でもアレヤバいやん! あっ、アレやない咲ちゃんな。咲ちゃんメッチャヤバいやんけ! なんなんあの強さ、聞いとらんのやけど‼︎」

「そりゃ聞いとらんわ。でも大星からなんとなく聞いとったんやろ?」

「そ、それはまぁ確かにそうなんやけど……」

 

 これはどう考えても予想外やろ、という喉まで上がっていた愚痴みたいな一言はなんとか飲み込んだ。

 あの大星淡が勝ちを確信させない相手なのだ。照の妹でもあるし当然強いのだろうと竜華だって思っていた。

 ただそれは常識的に強いのだろうという甘い見込みだった。

 幾ら何でも照は超えないだろうと知らず高を括っていた。

 

 蓋を開けてみればこれだ。

 

「いやいやいや……ぶっちゃけ照より遥かに厄介やで? 連続和了しとるし、嶺上開花はバンバン和了るし、ドラはガンガン乗るし、これに加えて点数調整も出来るんやろ? ウチ明日咲ちゃんと対局するんやけど? 大星もいるんやけど? えっ、マジでどないしよ……」

 

 大星淡に宮永咲。明日の決勝で対局するであろう超大型一年生の二人は、竜華ではもう理解が及ばない領域の打ち手だ。

 真面に打つかって勝てるイメージがこれっぽっちも浮かばない。無極点を維持して防御に徹しても、あの《牌に愛された子》達の本領は攻撃にある。ロン和了りされるのは論外だとしても、ツモを積み重ねられれば着実に点数は奪われるだろう。故に此方も攻めに転じる必要があるが、性質(たち)が悪い事にあの二人は防御も生半可ではないのだ。

 

(やっぱり正面衝突はウチじゃ無理やな。ならどうするか……大星は咲ちゃんを目の敵にしとる……趣味やないけどね、あの二人を潰し合わせるくらいしか方法が浮かばんな)

 

 勝手に削り合ってくれれば儲けものだ。少なくとも、淡を咲に嗾けるのは難しくはないと竜華は思う。この線で戦略を立てるのが正しい気がした。

 

(あとは攻撃やけど……)

 

 少し悩んで、ハッとする。

 

「なぁ、怜」

「ん、なんや?」

「今日ずっと膝枕しとったけど、あの不思議パワーの注入ってしとるんか?」

「もちやで。スーパー怜ちゃんとなったウチのパワーは以前より効果アップ間違い無しや!」

「よし、信じたる」

 

 怜の頭を抑えつけるように竜華は撫でる。藁にもすがる思いで聞いてみたが、実際に現象として確認出来ているのだから頼りにさせてもらおう。

 これで目処は立った。後は本番で最善を尽くすのみだ。

 

「あっ、因みになんやけど」

「ん?」

 

 神妙な顔をして仰向けになった怜を竜華は見下ろして首を傾げる。

 怜はドヤっと片側の口角を吊り上げた。

 

「ウチのスーパー怜ちゃんパワーはおっぱいにも込められるで」

「なめんな」

 

 ただのセクハラか本当のことか判断付かないが、そんなことをしてまで勝ちを拾いたいとは思わない。元々自分の力ではないのだ、全力を賭して負けるのであれば受け入れるのみである。女としての尊厳を失いそうな行為を許す気は流石になかった。

 残念そうな顔をする心がおっさんな親友を撫でながら、それでもウネウネと蠢く両手を片手で叩き落とし続ける竜華だった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

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「……これはひどい」

 

 本当にもう色々と酷いと、倒壊した家屋の瓦礫のように折り重なってるエース二人を見て弘世菫は深々と溜め息を吐いた。

 気持ちは分かるが真面目に付き合ってられないと感じた菫は、一度部屋から退散して常備されている紅茶と照が買い込んでいるお菓子をお茶請けとして拝借した後、死体置き場側のテーブルでティータイムと洒落込む。

 紅茶で喉を潤し、糖分で頭の餌付けを終わらせ、憂鬱だと嘆く内心を面倒事の撤去は早い方が良いと宥めすかして、ようやく踏み切る気になった菫は口を開いた。

 

「……それで、お前たちは何をしてるんだ?」

『どうやったら(サキ)に勝てるかを考えてる』

「悩み事はまともだったんだな……」

 

 一先ず安堵する。これで淡が明日の対局が嫌だとか、照が姉としての立場がとか言い出したら菫的には目も当てられなかった。淡はともかく照は大分気が早いので懊悩するだけ無駄だと思うが、藪を余計に突く必要はないと菫は放置する。

 直近の問題はやはり淡だ。ほぼ確実となった清澄との一戦で最も難儀な将を務めるのだから。

 

「済まないが私からはなんとも言えん。知っていたつもりだったが、まさか咲ちゃんがあれ程の力を隠していたとは思わなかった」

 

 菫たちは当然準決勝第二試合大将戦を観戦していた。

 観る前から清澄が上がるのを半ば断定していたが、咲がこうまで自身の力を誇示したのは想定外で全国に波及した衝撃は計り知れないだろう。照の妹という前情報に恥じない結果を容易く叩き出した咲は本当に化け物染みている。

 

「菫、一つ良いことを教えてあげる」

「なんだ」

「咲は多分まだ本当の全力じゃない」

「……嘘だろ?」

「ホント。あの娘が本当に相手を叩き潰すと決めた時の気迫をまだ感じない。……あの時の咲は凄かった」

 

 顔を伏せた状態で語られるのは照と咲の過去。

 宮永家の家族麻雀に終止符を打った咲の蹂躙劇、その詳細であった。

 

 あの日の咲は誰の目から見ても激怒していた。冷め果てた瞳に映る極黒の敵意。爆発した怒りが空間を軋ませて、波濤の如き威圧感を以ってその場を支配。気力を粉微塵に砕かれ震え上がる相手に猶予を与えず、冷徹なまでに計算し尽くされた闘牌で圧倒する。

 終わらそうと思えば何時でも終局に導けただろうが咲はそんな逃げ道を許さず、苦しんで後悔し明確で絶望的な力量差を一切の容赦無く叩き付けてから三人同時に吹き飛ばしたのだ。

 

「咲の珍しいところは感情が怒りに支配されるほど冷徹になること。しかもストレスを一度で発散するんじゃなくて、気が済むまで長い時間を掛けて相手を甚振るタイプ。……思えばこの時から咲の性格が悪くなったのかも……」

 

 急転直下でダウナーに落ちる照。妹の話題になると高確率で情緒不安定に陥る姉の姿がそこにはあった。菫は全力で無視した。

 だが齎された情報の価値は高い。聞いている限り咲の最後のリミッター解除には怒りが必要らしい。幼少期の話なので鮮度は低いが、少なくとも覚醒に至った経緯としては確かなので、ある程度は信用できるだろう。

 

「……だが淡は生きているだけで周りをイラつかせる天才だからな……目の前にいるだけで咲ちゃんがキレる可能性は十分……」

「ちょっとそれどういう意味⁉︎」

 

 菫の不名誉過ぎる独り言に瞬時に沸騰した淡ががばりと顔を上げた。此奴の沸点は本当に低いなと菫は呆れを隠さず溜め息を漏らし、やっと会話が成立しそうだと淡に目を向ける。

 

「それで、どうなんだ淡? 咲ちゃんに勝つ方法を考えてたんだろ?」

「まぁそうなんだけどさー……今日の見てちょっと計画に変更が生じたんだよねー」

「ほぉー、ちなみに元の計画を言ってみろ」

「別にいいけど。いやさ、私はてっきりサキは最初は様子見っていうか遊びに入ると思ってたんだよね。だから前半戦は防御に徹して点差を保って、後半戦で畳み掛けて勝ち逃げしようかなーって。団体戦ならではの必勝パターン的な?」

 

 このアホがこんな風に物事を筋道立てて考えられるなんて。菫は感動で泣きそうだった。入部当初では想像も付かない進歩だ。これまで苦労が報われて清々しい気持ちに満たされてゆく。

 

「そうか……ぐすっ。それで、計画をどう変更するんだ?」

「なんで涙ぐんでるのか知らないしツッコんだら絶対腹立つだろうからしないよ私は……変更といっても大まかな流れを変える気はないよ。サキの出方次第だけど、前半戦でどのくらい攻めに転じるかを見極めるだけだし」

 

 淡は自身の戦い方の欠点を理解している。攻める時は徹底した攻撃態勢で、守る時は徹頭徹尾守るしか出来ないのだ。

 唯一の例外は七星と名付けたあの闘牌だが、淡にとってあれは正真正銘の必殺技。未だ完璧な制御下に置いたとは言えず、咲の前で乱用できる代物ではない。

 その点咲は攻守の切り替えも自由で全てが高水準に纏まっている。大将という立ち位置も厄介で、後がない状況で相手の心の余裕を押し潰し、対局を自分が思い描く形に運んでいくのだ。

 

「ゔ〜〜〜ん。でもやる気になってるサキを放っておくと()()なるのか……」

 

 誤算だったのは、興味の対象が無くなった場合の咲があそこまでひたすらに攻勢に出ることと、その異常な攻撃力の高さだった。

 

「千里山もどっちかって言うと防御型だし……。こうなったら場を荒らしてくれそうな有珠山が上がって欲しいな〜。でも有珠山は中堅までが弱いから、テルの暴れ具合では大将戦まで続くか分かんない。それはそれでイヤだ……ならまだ全容が把握できてない臨海かな〜。アレはサキに相当激おこっぽいし、ちょっかいかけてくれるでしょ」

 

 かけられるかはあの娘次第だけど、と淡は意地悪い笑みを刻んでネリーの健闘を他人事のように祈ってみる。

 

 ともあれ、咲との決戦は明日の話だ。

 ひとまずはこの後の後半戦を観戦して勝利の糸口を探してみるかと淡は起き上がり、

 

 ズンッ‼︎ と常軌を逸した重圧に押し潰されそうになった。

 

『なっ……⁉︎』

「あっ……」

 

 淡と菫の驚愕に反して照だけは落ち着いていた。理由は簡単で、心当たりがあったからだ。

 下手人が誰かは知らないが、どうやら何処かの馬鹿が虎の尾を踏んだらしい。

 

 照は布団に顔を押し付けて考える。

 この後訪れるだろうマスコミからの質問を──妹へのコメントの内容をどうすれば波風立たないように出来るかを必死で考えることにした。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 がこんっと缶飲料が落ちる音。

 お手洗いを済ませ手持ち無沙汰となった咲は喉と頭を潤すため、プルタブを開けてアイスココアを口に含んだ。

 

「ふぅ、ありがとね和ちゃん。お金は後で返すから」

「分かりました。それにしても、咲さんの全力は初めて見た気がします」

「あははは……まぁ、偶には自分の出せる全力を出さないとね?」

「私としては常に出して頂きたいのですが……」

 

 この数日、休憩時間には必ず和のジト目を見てる気がすると咲は苦笑で誤魔化しながら、雑談の話題として対局内容を振ってみる。

 

「それでどう、和ちゃん。私の対局はお気に召した?」

「はい。プラマイゼロなんかより余程良いです。むしろこれが普通ですからね?」

「私は好きなんだけどなー」

「恐らくですが、咲さんのプラマイゼロが好きなのは咲さんだけです」

 

 咲のプラマイゼロは弄ばれているのと同義だ。真性の被虐趣味の人間以外ならほぼ確実に神経を逆撫でされるだろう。

 練習などの遊びでなく公式戦で使われては尚の事。咲は天然で格差を叩き付けるのだから性根がねじ曲がっている。今後もプラマイゼロをやりたそうにする咲に、ダメ絶対と厳守させるのが大変だと和は既に気疲れしそうだった。

 

「……あっ」

 

 自販機側で駄弁っていたからだろう。見覚えのある他人が通路から現れた。

 

「おや? 清澄の副将と大将ですね」

「あなたは臨海の……」

(チェー)明華(ミョンファ)と申します」

「原村和です。こちらは……」

「宮永咲です。以後お見知り置きを、風神(ヴァントール)

「あら、私も有名になりましたね〜。こちらこそよろしくお願いします」

 

 ほんわかと微笑む明華。現在進行系の対戦相手にも関わらずその態度は穏やかそのもので、和としては珍しいものを見る目で瞳を数度瞬いた。

 

「今は日傘をお持ちじゃないんですね?」

「そうですね〜。ちょっと外出るだけですし、あれは対局以外では室内で差さないですよ〜」

「お守り的な感じですか?」

「まぁそんな感じでしょうか? そちらの方も可愛らしいぬいぐるみを持ってますし」

「エトペンって言うんですよ?」

 

 珍妙な人間はもう一人いたらしい。和やかに喋る咲と明華に問答無用で巻き込まれた和は、常識的な範囲での会話を交わすことにした。この場で剣呑な空気を出す方が無為である。

 

「そう思えば、明華さんはお一人ですか?」

「いえ、後から……」

「──明華? 誰と話しているの?」

 

 明華の言葉を遮って現れたのは色素の薄い短髪の女性。咲と和に覚えは無く、その気安さから明華の知り合いだということしか分からない。

 直接誰何するのは気が咎めたため二人は視線で明華に答えを求めると、明華は当然とばかりに女性を手招きする。

 

「監督、こちら清澄の原村和選手と宮永咲選手ですよ〜」

「言われなくても分かるわよ。……初めまして、私は臨海女子麻雀部の監督を務めているAlexandra(アレクサンドラ) Windheim(ヴィンドハイム)よ」

 

 自己紹介するアレクサンドラは咲に手を差し出した。ご大層な挨拶の仕方に内心首を傾げつつ、咲は礼儀として握手を交わして名乗りを返す。

 和にも同様の行動をしたアレクサンドラは対戦相手である二人に対して顔を顰めることなく、むしろ笑顔を浮かべて咲に向き直った。

 

「こんな場所で貴方に会えるなんてね」

「はぁー……」

 

 気の抜けた返事しかできない。咲には何故アレクサンドラが上機嫌なのかが判らないのだ。初対面の相手に縮こまるような可愛らしい心胆はしてないが、咲としてはアレクサンドラの態度には疑問符が湧いて怪訝さが際立った。

 咲の当惑具合にアレクサンドラは気付いていないのか、咲に距離を詰めるように話し出す。

 

「貴方とは会いたいと思っていたのよ」

「そうですか……どのようなご用件なんでしょうか?」

「ええ。貴方、臨海に来る気はない?」

「…………は?」

 

 あまりの突飛さに素っ頓狂な声が出た。

 此奴は何を言ってるんだと怪しむ。状況を考えれば、とても正気の沙汰とは思えない発言だ。自身の学校の大将が対局している最中にその相手を勧誘するなど、性格が捻じ曲がっていると自覚する咲からして人間性を疑う。

 怪訝が嫌悪に変貌するまで時は掛からなかった。表に出すような下手を打つ咲ではないが、アレクサンドラへの信用は地の底に落ちる。

 

 さっさと切り上げたいと咲は思うが、最近問題行動が多いのを久に咎められたばかりだ。相手校の監督に粗相をしてしまえば雷が落ちるのは想像に難くない。

 丁寧に対応するしかないと咲はまず頭を下げた。

 

「失礼しました。突然のことで不躾な真似を」

「構わないわ。それでどう? 臨海は麻雀を打ち込むには十分以上の環境が整っているわ。寮だってあるから生活にも問題はないし、貴方レベルなら学費全額免除でもおかしくない。卒業後プロに行く貴方にも悪い話とは思わないけど」

 

 聞くだけなら好条件だ。全国屈指の超強豪校の監督直々の誘いであるし、強さを求める者からしたら垂涎ものなのだろう。

 しかし、咲の食指はピクリとも動かない。目の前の人物に教えを請うなど冗談ではない。

 腹芸で大事なのは表情を笑顔で塗り潰すことだ。

 

「そうですね。確かに悪い話とは思いません」

「そう? なら」

「ただ、私は現状で満足しています。せっかく頂いたお話なので大会後に検討はさせてもらいますね」

 

 機先を削ぐように言葉を被せて、咲はこの会話を終わらそうと試みた。ここまで付き合えば最低限の義理は果たしたと言えるだろう。

 休憩時間も残り短い。最後に和と散歩でもして咲は気持ちを一新するつもりだった。

 

 アレクサンドラが食い下がらなければ。

 

「待って、どこが不満なのか教えてくれないかしら? 貴方が乗り気じゃないのは分かったわ」

 

 咲の言動から、アレクサンドラはそうと確信していた。

 これでも日本に来て長い。日本における「検討します」「機会があれば」「ご縁があったら」はほとんどお断りの文句に等しいと知っている。

 しかも咲は現状で困っていないと強い否定を入れてきた。その気が更々ないと簡単に判断出来る。咲としては諦めてほしくて言った一言が余計だったのだ。

 

「不満なんてありませんよ。ただ学校を変えるのは色んな人に迷惑をかけるかもしれないので、その点の検討をですね……」

「そういう建前はいらないわ。貴方には是非ウチに来て欲しいから、不満な点があれば可能な限り改善する」

 

 ピクリ、と影を落とした咲が反応を示す。

 

「そうですか、では要望があります」

「ええ」

「私と同格以上の選手を三人用意出来ますか?」

「⁉︎」

 

 アレクサンドラは固まった。

 その姿を見て咲は踵を返す。

 

「その三人を私の前に連れて来て下さい。私が満足したら転校も真剣に考えます」

 

 はっきり言おう、これは無理難題だ。

 

 咲と同格の選手は現状で照しか有力候補がいない。龍門渕の天江衣、白糸台の大星淡、永水の神代小蒔などもその候補に上がるが、彼女ら全員を勧誘するのは実質不可能。海外の選手にはまだその可能性があるのかもしれないが、その中でもエース級である選手は既に獲得済み。

 ではそのエース級──ネリーや明華を前に出して咲が満足するかと考えると、厳しいだろう。いくら本領を発揮出来ていないとは言え、ネリーがあの様なのだ。咲が頷くとは到底思えない。

 

 つまり、咲は突き離す気しかないという事だ。

 

 年下の、しかも未だ学生の身分に舐められている。

 アレクサンドラがむきになって反論するのも無理はなかった。

 

「そう言うなら尚更臨海の方がいいわ! ウチなら強い選手は自然と集まってくるし、設備や環境も充実している。清澄()()では貴方の実力に見合わない。現に結果に表れてる。貴方以外はただの()()()()と変わらないじゃない!」

 

 

 

 

 

 ──瞬間、空気が凍てついた。

 

 

 

 

 

 五臓六腑に鉛を無理矢理ブチ込まれたような重さが身体にのし掛かる。

 吐き気すら催す怖気にアレクサンドラと明華は身を竦ませ、金縛りになったように全身を震わすことしか出来ない。理性の残滓が和への影響を減少させているのだろうが、かつてない咲の様子に和ですら冷や汗を流した。

 

 それは唯一の逆鱗だった。

 触れてはいけない忌諱だった。

 決して低くはない沸点を一瞬で蒸発させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「──お前、今なんて言った?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────っっっ⁉︎」

 

 吐き捨てられた絶対零度の声音に総毛立つ。甚大な悪寒が背筋を走り抜け、恐怖が湯水の如く湧き出ては止まらない。

 最後の一線を踏み躙り、罪の意識無く飛び越えた。

 アレクサンドラは禁忌を犯したのだ。

 

「……清澄を馬鹿にしたな?」

 

 静謐に、凄絶に、咲はゆっくりと紡ぐ。

 込められる万感の思いはこの場にいる誰にも、和にも分からないだろう。

 

 咲は一人ぼっちだった。

 自身の行いで家庭は崩壊し、手に余る威圧を制御出来ず同級生は離れ、孤独な日常を余儀無くされていた。父と京太郎だけが咲を気に掛けてくれていた。

 変わったのは高校入学後だ。

 気紛れだったのだろうが、京太郎がきっかけをくれた。

 反骨心だったのだろうが、和が楔を打ち込んでくれた。

 我欲に近かっただろうが、久が引っ張り上げてくれた。

 優希もまこも、取り繕うことなく自然と接してくれた。

 

 仮面を外した自分を受け入れてくれたのだ。

 敬遠していた麻雀が繋ぎ合わせてくれたのだ。

 

 心から信頼できる仲間に初めて恵まれたのだ。

 

 そんな掛け替えの無い人たちを侮辱されて冷静でいられるほど、咲は温厚でも薄情でもなかった。

 

「京ちゃんを、優希ちゃんを、染谷先輩を、部長を、……和ちゃんを虚仮にしたなァ、お前ぇええええええッッッ‼︎‼︎」

 

 物理的な圧力すら錯覚させる怒りの咆哮が会場全体に轟く。漲るは小さな体躯に収まり切らない莫大なる敵愾の念。迸る赫怒が埒外の波動となり東京全域を震撼させ、範囲内にいた数多の人間を魂から震え上がらせた。

 

 その圧を一身で受けたアレクサンドラはあまりの恐ろしさに顔面蒼白となり、腰が抜けたのかペタンとその場に座り込んでしまう。

 間近で余波を受けた明華は倒れこそしなかったものの、天敵に睨まれた被食者の気持ちを味わっていた。

 

 かつて見たことが無い感情の発露。しかも飄々とした態度が常の咲が自制心を忘れ、今にも相手に掴み掛かってもおかしくない怒気を発散している。

 尋常ではない異常事態。

 だからこそ逸早く平静を取り戻したのは和だった。

 

「……さ、咲さん! 落ち着いてください! お願いですから落ち着いてください‼︎」

 

 形振り構わず和は後ろから咲に抱き付く。全身を使って咲の怒りを宥めるように自身の熱を伝えていく。

 和は今の状態の咲に驚きはしたが、怖いとは思わなかった。咲が怒っているのは自分たちの為なのだ。どうして怖れることがある。

 アレクサンドラの言に一理ある人は少なからず存在するだろう。咲が強過ぎるのは紛れも無い事実であり、準決勝に至っては団体戦開始時より減った点数でバトンを渡したのが現実だから。

 

 それでも咲は感情が振り切れる怒りを露わにしてくれた。

 足手纏いと言われて激怒した。

 そんなことを欠片ほども思っていないからこそ。

 

 和はそれがとても嬉しかった。

 

「大丈夫です、咲さん。私は平気です。部長たちもきっと気にしません。怒ってくれてありがとうございます。だから、いつもの咲さんに戻って下さい」

「…………」

 

 煮え滾っていた血が少しずつ冷めていき、咲の瞳に理性の光が灯される。

 

「……ありがとう、和ちゃん。もう大丈夫だよ」

 

 首だけ回して微笑む咲を見て和はゆっくりと手を離す。

 爆散していた覇気は収まり、咲の制御下に戻る。沸騰した頭は冷たさを思い出し、されど鎮まりはしていない赫怒をアレクサンドラに叩き付けた。

 

「はっきり言います。貴方の元へ行く気は毛頭ありません。二度と私の前に姿を現わすな」

 

 凝縮された害意に晒され、アレクサンドラの呼吸が止まる。咲が本気だったら気を失っていたかもしれない。

 アレクサンドラへの関心が塵芥と化した咲は明華に向き直った。

 

「すみません、明華さん。あなたを巻き込んでしまって」

「いいえ、謝罪する必要はありません。悪いのは此方ですから、私から謝らせていただきます。この度はあなたを不快にさせ、本当に申し訳ございません」

「……お気遣い感謝いたします。明華さん、今度は卓の前でお会いしましょう」

「ええ、世界で待っています」

 

 咲は一礼の後、和と共に通路の陰へと消えていく。

 見えなくなるまで見届けていた明華は、緊張の解放から大きく長い息を吐き出した。

 

「……ふぅ〜〜〜、すごく疲れました。余計なことをしてくれましたね、監督」

「……今回は素直に謝るわ」

 

 明華の手を借りながら立ち上がったアレクサンドラはふらつく身体に活を入れる。全身汗でベタついていて早く着替えたいほどだった。

 当初の目的を今更ながらに思い出した二人は人数分の飲み物を買い、控え室への道を帰っていく。

 

「あれが宮永咲ですか〜。すごいですね〜、怖いですね〜、あれは想定を遥かに超えています」

「だから昨晩言ったじゃない、チャンピオンより厄介だって」

「ネリーは大丈夫でしょうか?」

「…………」

 

 無言に包まれた二人はただ歩く。

 まだ後半戦が残されている。今の出来事を経て、咲が憂さ晴らしにネリーを狙い撃ちにするのは予想可能な未来の一つだ。

 

「……今回はネリーも、奥の手の一つや二つは出さざるを得ないでしょうね」

「あっ、それは結構楽しみですね」

 

 チームメイトの心配は程々に、控え室前へと辿り着いた二人は扉を開けた。

 

 大将後半戦、準決勝最後の半荘が始まる。

 

 

 

 

 

 






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