ちょっと日頃の仕事もしてみたり。
「すまないね、いまはこれがどういうことか説明する時期ではないと思う。その時が来ればちゃんと説明するから、今日は何も聞かないでくれるかい。」
さっきと同じように僕の目をまっすぐ見て、ゆっくりと言った。その目を見つめていると、すぐそこに真空の宇宙があるような、冷たく暗い迫力を感じた。正直言って震え上がるほど怖い。
「わかりました・・・。」
今日は本当にいろいろなことが起こった・・・。と言っても、そう言えば先週からそんなことばかり。ただ、事ここに至っても、本来の田本さんの「ま、殺されはしないでしょ。」みたいな楽天的な考えが・・・支配しているけども、そう言えば殺されかかってもいるんだった。こっちも黙ってやられてはいなかったけど。さらに何か起こると楽しいとさえ思っている。まあ、今の地球での仕事でも、毎日、何か起こらない日はないけど。そりゃ、殺されるようなことはないけどな~。ああ、でも忙しさで死にそうになることはあるけど、と、とりとめなく考えながら鷲羽ちゃんの研究室を出る。
研究室の前で、待っていた水穂さんに、遅いから帰るね、と言って柾木家の玄関に行く。でも、今日はあまりにも身体がほてっている。皇家の樹の力は本当に強い。いかんなぁ。何か知らないけれど、暴れたくなっている。ちょっと水穂さんの力を借りよう。振り返って、見送る水穂さんに、もう一度歩いて近づく。
「あら、何かお忘れ物ですか・・・。」
水穂さんの後ろに手を回して、グッと引き寄せてその唇を奪う。
「ごめん、今日、あとで僕の部屋へ来てくれますか。」
こくり、と頷く水穂さんだった。薄暗い柾木家の廊下、顔はよく見えない。
夕方に乗ってきて、置いたままだったクルマに乗りこんだ。すでに先週樹雷に置いてきていた地球の服に着替えている。運転席から飛び乗って。助手席には一樹と柚樹が仲良く座っている。畳まれた、三次元コピーされたワイシャツとスラックスは、後部座席に置いて、エンジンをかけて出発した。さすがに夜12時を過ぎている時間帯だと、クルマの通行量も少ない。大型トラックが最近は多いが、それもまばらだった。考え事をしながら運転するにはちょうど良かった・・・。ヘッドライトに照らされた道路。日本のクルマは、左側を少し遠くまで照らすような作りである。歩道には誰もいない・・・。あれ、シルバーカー(高齢者用手押し車)を押したお婆ちゃんが歩いている。うわ、こないだ相談があったお婆ちゃんだ。こんな夜中に出歩くのはおかしい。お婆ちゃんが歩いているところを
ちょっと行きすぎ、少し道路が広くなっているところにクルマを寄せてハザードランプをオンして駐める。
「こんばんは。正木のお母さんだよね?役場の田本です。」
気付くと、いかん光学迷彩、と思うとスッと田本さんになる。振り返って助手席を見ると、柚樹さんがこっちを見ている。ぶんぶんと頭を横に振っている。まあ、いいや。お婆ちゃんを放っておけないし。お腹を触ると、あのお腹だった。光学迷彩ではない・・・?
「ああ、どなたさんかなぁ。これから家に帰って、子どもの夕ご飯を作らないといかんのじゃが。」
うを、典型的な認知症の徘徊?と思って、もう少しお話をしてみる。
「○○の正木のお母さんだよね、今から家に帰るんですか?」
「うん、○△の家に帰らないと、子どもが待っとるしなぁ。」
そう言いながら、精一杯の早足でシルバーカーを押して歩いて行こうとする。でも確か、膝関節症でお膝が痛くてあまり出歩けないはず。長年の農作業などでたくさん歩かざるを得なかったのだろう、両足とも大きく外側に湾曲している。そのため、ほとんど足を曲げないで歩いている。このお婆ちゃんのお子さんは、もちろんお嫁に行ったり、さらに子ども(お婆ちゃんの孫)もいたりしていい年である。決してお婆ちゃんがご飯を作らないといけないような歳ではない。そうそう、僕がお母さんと言っているのは、このお婆ちゃんは、今、若いときに還っているから。お婆ちゃん、と呼びかけてもたぶん返答は帰って来ない。
「それじゃあ、一緒にその家に行きますか?」
本当は、警察呼んで、家族に連絡して、といろいろやらなければならない。今は、ある意味樹雷の闘士である。さすがに面倒な手続きが時間を食ってしまう。この方の自宅は、息子さん夫婦と同居である。しかも僕はそのお宅に行ったこともある。
「正木のお母さん、ごめんね。」
そう言って、右手で軽い身体を抱える。僕のお腹には光学迷彩ではなく、脂肪がある。そのお腹がクッションになって抱きかかえてもあまり強い力も要らない。左手でシルバーカーを持つ。そのまま地を蹴って飛び上がる。そう、このまま家に送り届けるのだ。ここから家までほんの1kmもない。そうだ、クルマは・・・。
「惑星探査船モードにチェンジして、不可視フィールドを張って、上空1kmで待機。」
ちなみにこの命令は、銀河標準語で言った。いちおうお婆ちゃんにバレてもいけない。わかんないと思うけど。
「なにするの?。わたしゃ、これから、娘の家に行かないと。」
「お母さん、もうすぐだからね。」
そう言っているうちに、お母さんの家に着いた。家の庭に、お母さんを抱えたまま、音も立てずに着地する。玄関の呼びだしチャイムを押そうとすると、
「あらあら、お母さん、どこに行っていたのよ、探していたのよ。」
突然、背後から女性の声が上がる。びっくぅと驚いて首がすくむ。もしかして見られた?
「あああ、あの、このお婆ちゃん、県道を一人で歩いていて・・・・・・。」
ちょっと待って、と手で合図してその女性は、お婆ちゃんの横にしゃがむ。
「この天狗が、わしをどこか連れて行こうとするのじゃ、ここはどこじゃ、ここはわしの家じゃない、家に帰ってお父さんやまさしにご飯作らんといかん・・・。」
そう言って、玄関で足を踏ん張って家の中に入ろうとしない。僕は妖怪の天狗になってるし・・・。
「そうね、お母さん、さっき電話があってね。まさしさんがね、今日はもう遅いから、妹の香奈子の家で泊まっておいでって。今夜は、だから、この家で寝るのよ。」
その女性は、そう優しく声をかけている。ここは、香奈子の家だから大丈夫よと、何度も言っている。だんだんとお婆ちゃんも落ち着いてきた。
「そうかい、じゃあ今夜は、やっかいになるよ。」
玄関にある、お婆ちゃんの身体に合わせた手すりにつかまって、玄関のスロープを歩いて、ゆっくりと歩いて行く。奥から男性が出てきて、一礼してくれる。お婆ちゃんの手を取って、さあ、こっちだよ、今日はここで寝るんだよ、と部屋に入れている。その様子を見てホッとする。
「すみません、田本様。今日はお世話になりました。」
スッと右手を上げ、敬礼する、その女性。は、敬礼?
「あ、の、さっきこの庭に飛び降りたことは内密に・・・・・・。」
「分かっておりますわ、今は西美波町役場福祉課の田本さんでしょ?」
左目をウインクしている。と言うことは・・・。
「申し遅れました。GP輸送部、太陽系支所、地球管理課長の正木香奈子です。」
なるほど、そういうことか。そう言えばここは正木の姓が多い地区である。柾木天地君の家にほど近い。この家のすぐ横の道を行って、県道に出てすぐが柾木神社入り口である。
光学迷彩?を切って、と思うと、樹雷での姿、天木日亜似の姿に戻った。正木香奈子さんの目が見開かれる。右手を上げ敬礼し、降ろす。返礼しないと、下の者は降ろせない。
「・・・先ほどは、本当にご苦労様でした。見事なお手並みを拝見させて頂きました。」
ええ~っと、と少し考えてしまった。何かいろいろあって・・・、ああ、あの艦隊撃破か。
「優秀な部下と皇家の船のおかげです。特に被害はありませんでしたか?」
頭に手をやると、天木日亜さんの刈り込まれた頭髪が指に触る。
「まあ、先週のGBSで放送されていたとおりの方ですのね。うちの、GP輸送部でも大変な人気で・・・。そうそう先ほどのことは、おかげさまで、こちらに到着していた輸送艦にも、航路にも被害はありませんでした。」
う、またGBS・・・。全銀河ネットで生放送の呪いか。
「とりあえず、話は変わるのですが、お婆ちゃんですが・・・。」
なんだか話題があっちこっちに飛んで忙しいなぁと、思いながら話を切り出す。いちおう役場職員だし、まだ(笑)。
「うちは、夫は地球の人で、さっきのお婆ちゃんは、わたしの姑になります。最近あの様子で、夜、目を離すと家に帰ると言って、出て行ってしまうんです。いまも探しに出るところに田本様が舞い降りてきて・・・。」
ちょっとうつむき加減で話し始める香奈子さん。
「うう~ん、役場職員としては、介護保険の認定取ってデイサービスなどのサービスを受けたり、病院の物忘れ外来を受診することを勧めますが・・・、宇宙の方ですよね、それなら・・・。」
いくらでも治療でも、延命でも、やりたい放題だろうと・・・。
「わたしが結婚するときに、夫ともよく話し合いました。夫とその母は、この地で当たり前に命を終えたいと申しております。息子のまさしはいまGPアカデミーで勉強していますわ。息子は宇宙に上がりたいと、いろいろ見てみたいと言っておりました。」
「ああ、まさしさんは香奈子さんのお子さんなんですね。」
「・・・ええ、もうお義母さんは、夫の顔も、わたしの顔も分からないようです。」
そう言って、前掛けで目元を拭いている。こんな顔をいくつ見てきただろう。
「地球でも、最近、認知症の症状を遅らせるようなお薬がいくつか出てきているようです。あと、デイ・サービスに行って、皆さんとお話ししたり、体操したりして、だいぶ良くなったことも聞きますよ。それに、介護する方も時間ができますしね。」
ゆっくりと頷いて顔を上げる正木香奈子さんだった。
「ありがとうございます。ええ、そうさせて頂きます。明日役場に行きますわ。正直私たちもそろそろ限界でしたの・・・。」
お茶でも、と言う正木香奈子さんだったが、今日はもうさすがに遅いので、これで失礼しますと言って、走り始めた。水穂さんが待っている。急いでクルマの場所まで戻って、惑星探査機モードのままブリッジに転送してもらう。ほんの数キロだがそのまま行って、自宅庭に変形しながら降りた。慌てて、鍵を開けて家に入る。あれ、キッチンが明るい・・・。もう午前1時前だぞ。両親ともさすがに寝ているはずだ。
「・・・ただいま帰りました・・・。」
そうっと、キッチンの引き戸を開けた。