稲妻の王子 作:heavygear
ここはダエーワ国の首都タヒト。
つい先日までは、太陽の日差しに燦々と焼かれておりましたが、今現在は連日土砂降りの真っ最中です。タヒトに設けられた水路に目を向けると、轟々と凄い勢いで増水した水が流れ、長雨だと人に気付かせるでしょう。また、この長雨の所為でダエーワ国各地に洪水による被害がいくつも発生しているようです。河川に近付く人は注意が必要なレベルのようです。
しかし、都市に住む人々が何時洪水に襲われるのか戦々恐々としている様子はあまりありません。
何故でしょう?
それはこの長雨が毎年の事だと皆が知っているのですから……。
そう、雨季に入ったのです。言っておきますが、前回の『踊るナーナランジャ』の所為ではありませんよ。雨季です。雨季。
国を支える農業や生活用水はこの雨季の雨に依存していると言っても過言ではありません。なにしろ雨季の雨が少ないと、食料が不足し飢餓に苦しむ者が多く出る事になるのです。危険な洪水が生じる事もありますが、多くの人々は長雨を神の恩恵と賞していました。
さて、高温多湿な環境になった首都タヒトに御住まいのインドラ王子9歳は如何御過ごしでしょうか?
視点を白亜の王城へと向けてみましょう。
「ほあーーーーっ! ちょわーーーーっ! うあたぁっ!!!」
なにやら奇声を発する生き物がいるようです。
場所は、離宮の横に設けられたドーム状の屋根を持つ建物。そこから奇声が漏れ出ているようですね。
建物に入ると半地下まで床が掘られており、地下闘技場……もとい小規模の錬兵場を思わせます。その錬兵場の片隅に我らがインドラ王子が居りました。奇声もそうですが、御姿もちょっと凄い事になっていますね。
水遊び時と同じルンギー(腰巻)一丁のお姿で、香油で塗りたくったのかお肌がヌルヌルテカテカです。
しかも、地面に突き刺さった長い柱に足を絡めて奇声を発しているので、下手なポールダンスの真似事のように思え、傍から見るとちょっと引くレベルでした。さらに、両手は鳥の真似をしているかの如くバタつかせており、間抜けさのレベルが上がっております。
どうやら終にオツムがぶっ壊れたようですね。合掌。チーンッ。
「ほれほれ、威勢のいい声ばかり出しちょらんで、さっさと上がらんかいっ!」
これまたルンギー一丁の爺様が、酒の入った瓢箪片手にインドラ王子を怒鳴ります。インドラの奇行を見守る爺様も王子様に負けておりません。背が低く、横幅が無駄に広いという、等身を縮めたレスラーのような体格のムキムキマッチョ。ドワーフかよっとツッコミが来そうな素晴らしい体格をしております。しかも、髪型はモヒカンで顔は熊のような髭に覆われており、厳つい身体は全身古傷だらけ、さらに両の手足や背中にトライバルな刺青があり、とっても世紀末な姿をした爺様でした。
「ぅぬぬぬぬぬぅっ!」
爺様の言葉に唸り声で答え、インドラの身体が少しだけ柱を上昇します。ふむふむ、よく解りませんが足の力のみで柱を登ろうとしているようですね。気合全開で、徐々にですが少しづつ上へと登ってゆきます。
残るは後僅か。
左足だけを柱に絡め、右の足裏を柱の平らな頂上へとかけます。足の指で頂上部分をしっかり掴み、身体を持ち上げようと試みます。後一息です、ガンバレ!
「こおおおぉぉっ! ほわったぁっ!!」
ズルッ
「にょわぁぁぁっ!!」
登りきろうとしましたが、足の指まで油塗れのため最後はあえなく落下しました。モヒカン爺が落下するインドラの身体をヌチャッと受け止めます。ヌルヌルが嫌なのか、すぐにインドラをそっと地面に下ろしました。
「まだまだ精進が足らんのぉ」
9歳の子供に何言ってんだこのジジイな感想ですね。
「ぜーっ、ぜーっ……んぐっ。も、申し訳ありません導師サンガムっ。ぜーはーっ」
抜き出しの地面に座り込み、息を整えるインドラ。
世紀末な爺様の名前はサンガムのようです。サンガムは疲労困憊のインドラを見て、これ以上の鍛錬は無理だと判断しました。
「ふうむ。今日はここで終いじゃ。筋をちゃんと解しておけよ」
「はい。……っとと」
立ち上がろうとするインドラですが、足が生まれたての小鹿のように震えて立ち上がれないようです。
「そのまま座っちょれ」
「申し訳ありません。導師サンガム、今日の御指導に感謝を」
「うむ」
合掌し、礼を言うインドラ。
サンガムもまた合掌しての答礼を返します。
なるほど、オイルを塗ってのポールダンスではなく、足腰を鍛えるための鍛錬だったようですね。油を塗る事によって登り難くし、脚の筋肉を鍛えるだけでなく、身体のバランス感覚を鍛えるために、ああいった事をさせたのでしょう。でも、教師役のあの格好はないと思いますが、どうなんでしょう? あれが一般的な教師の姿なら、普通の人は感性か精神のどちらかが破壊されそうです。
インドラ王子の受ける武術の授業は大変そうですね。主に精神的が……。
カルーリカと呼ばれる武術がある。
ダエーワ国とその周辺諸国に、古き時代から長きに渡り伝えられる戦闘術。
剣、盾、三叉戟、槌鉾等およそ十種の武器を使用する武器術に、蹴り技等素手での打撃技や関節技を多様する格闘術、薬草マッサージを含む整体術と、その洗練された技術は多岐にわたり、全てを修練するのは難しいと言える。
専門的な知識や技術の多さから、いくつかの流派が存在する事となった。
派生した中の三流派が、主流となりカルーリカを支えている。
その三流派とは、武器術を基本とした軍狼派、素手格闘に拘る紅鶴派、薬草医術専門の孔雀派である。
他にも、弓と蹴り技を組み合わせた昇竜派、三叉戟と投網を使う水練重視の緑鰐派、仙術を組み合わせた闘仙派、エステはお任せ愛猫派等々、武術から離れたものも含めて様々な流派が存在した。
探せば、暗殺に特化したホクトなんちゃらやナントか108派とかもあるかも知れない。いや、ねぇよ。……ないよね?
閑話休題。
導師サンガムは紅鶴派に属するカルーリカの使い手である。
そして、ダエーワ国最強の拳士の誉れを受け、他国からはダエーワ国最凶最悪の小鬼と呼ばれる猛者であった。
その鍛え上げられた拳と脚は岩をも砕き、戦場を飛び回る様は紅鶴(フラミンゴ)のように華麗だと評され、身体に刻み込まれた護法紋は獅子の心を持つ勇者と謳われている。
しかし、気まぐれで放浪癖がある気分屋が災いして、信用がいまひとつの老人であった。自己の鍛錬と旨い酒にしか興味がない所為で、弟子はおろか道場も持たない始末。軍に招かれた事もあるのだが、遅刻や無断欠席が多く、生真面目な武士達からかなり嫌われていた。その上、ディヤウス4世の祖父ディヤウス3世を『お前のツラが気にくわない』という理由でぶん殴った経歴を持つとんでもない人物であります。
インドラの武術指南役を受けたのもいい加減なもので、理由の8割は酒代欲しさである。残り2割は、『勘』という凄い理由であった。
信用の低いサンガムだが、インドラ王子の武術指南だけは、遅刻1つせず真面目にこなしていた。
遅刻と無断欠席を減らすアイデアをインドラが出し、それを実行したのである。
そのアイデアとは?
予定時刻までに鍛錬場に来たら、城で呑まれているちょっと良い酒を瓢箪一杯分プレゼントである。これのおかげで、サンガムは真面目に武術指南役を続ける事となった。
餌付けならぬ酒付けである。こんなのに引っ掛かるなよ、サンガム。
さて、いい加減な性格で見た目はドン引きレベルのサンガムは、餌付け策を仕掛けたインドラ王子の事を怒る事なく、一応ですが高く評価していました。まさに変人は変人を知るですね。
日がな一日をダンスに費やしたり、城の猫や孔雀と何時間もニャアニャア言いながら戯れたり、プールでアホみたいに泳ぎまくったりと、奇行が目立つインドラ王子に紅鶴派カルーリカの才を見出したのもサンガムでした。まあ、獅子や鳥を模した戦闘体勢をとる格闘武術ですから、そのうち誰か気付く程度の事かもしれませんがね。
「げふっ……。クックックッ……。おもしろい小童よ。あの細い成りでマラカンブ(地面に突き刺さった長い柱)を登りきろうとするとは……。護法紋を刻んでからの鍛錬が楽しみじゃわい。(グビリッ)……ぷはぁっ」
酒を呷りながら王城を去る導師サンガムは、鮫のように笑っておりました。土砂降りの雨の中、傘もささず歩くサンガムと偶々すれ違った通行人達は、彼の凶悪な笑顔にドン引きし、道を次々と空けて行きます。すいません、もう悪役にしか見えないですよ。
導師サンガム。
この男が、将来『稲妻の王子』と称される第三王子インドラを鍛え上げたと云われる導師の一人である。
ドドドドドドッ……パオ~ンッ!
可愛らしい地響きと共に、4本の牙と2つの角を持つ子象アイラの登場です。
侍従達に脚をマッサージしてもらっている休憩中のインドラ王子へと突し――いや、駆けてゆきます。侍従達は脱兎の如くインドラから離れました。
「おぉっ、アイラッ!」
「パオ~ンッ!」
「よしよし、心配して来てくれたんだね? お前は本当っ良い子だなぁ」
地面に座ったままのインドラに身体をスリスリ寄せるアイラ。子供と牛サイズの体格差により、インドラはコテンッと押し倒されてしまい、知らない人が見たら子供が子象に襲われているようにしか見えません。
インドラは手を伸ばして、アイラのおでこをナデナデします。アイラはとても気持ちよさそうにに目を細めて、インドラに撫でられました。褐色の肌の半裸少年と白い象の心温まる触れ合いですね。その光景を見ていたショタ気のある侍女の一人は、鼻から愛が零れ落ちそうになっていました。逃げてー、インドラ逃げてー。
ツンツクツンッ!
なかなか起き上がらないインドラの脚を、心配そうに長いお鼻でツンツン突いて触るアイラ。
「あばばばばばばばばばっ!!」
ビクッ!
筋肉痛で痛む両足を突かれて、面白い悲鳴を上げて地面を転がるインドラにビックリするアイラ。油塗れの上に土塗れになり、インドラ王子の身体はさらにドロドロに汚れました。
「ぶはぁっ!」
おっと、とある侍女さん独身24歳の鼻から、真っ赤な愛が吹き零れてしまった模様。彼女の近くにいた他の侍女さんは、彼女を虫を見るような目で冷ややかに見ていました。
罪作りなお子様ですね、インドラ王子は。
ちなみに、とある侍女さん独身24歳は、護衛役の方々に両脇を押さえられた状態で、どこかに連れ去られたそうです。怖いですねぇ。
さてさて、所変わって、ここは離宮の一室。
インドラ王子の次の習い事が始まろうとしていました。
アイラとの触れ合いに後ろ髪を引かれつつも、汚れた身体をお風呂で清め、食事を済ませたインドラの前に、次の教師役が現れます。
女性が着用する民族衣装であるサリーを纏った『おっさん』であるっ!!
もう教師じゃなくて、狂師だよね?
彼の名は、シンバ。
薬草マッサージを含む整体術や美容術を重視する愛猫派カルーリカを修め、百を超える踊りを習得した芸術担当の教師である。
両刀使いだが、奥さんと息子を二人持つ立派(?)な男でもある。最近のお悩みは14歳になる長男が反抗期になった事らしいが、ノーコメントでお願いします。
この国にマトモな人材はいないのだろうかと、小一時間ディヤウス4世に問い詰めたいものだ。
「ん~~~っ。ダメね。ダメダメッ! インドラ王子様の御髪は、こう可愛くもあり凛々しくもあり高貴な感じで――」
出会い頭に授業そっちのけで、突然の髪談義開幕である。
側付きの侍女に駄目だししながら、結ってあるインドラの髪を解いて、結い直し始めた。インドラ王子の内心はきっとこうだろう。
……キモイし、ウゼェ……
南方生まれの母の血が濃く出たインドラの赤い髪の毛は、緩やかなウェーブを描く長髪である。ダエーワ国の9割近い人の髪は黒髪直毛が多く、インドラの赤髪は少し珍しいようだ。あーだこーだ言いながら、シンバと侍女がインドラの赤髪を弄繰り回す。
「香油をベッタリして固めるなんて、不敬よっ! 不敬っ! いい? こう結って、こう櫛で留めれば――」
「ダエーワでは、これが伝統なんですっ! こうして、こうっ! 前髪は後ろに撫で付けて――」
「……はぁ~っ」
二人の争いに、ため息を零すインドラ王子。
導師シンバ妻子持ち42歳と侍女18歳来年結婚のバトルは何時もの事であった。導師シンバの背後に控えている楽師達もうんざりした表情である。
インドラの赤い髪が纏まるのに一時間半程が経過した。
シンバと侍女はバトル終了後は、とてもイイ笑顔で握手していたが、それはどうでもいい事だろう。
ようやく舞踏指南の始まりである。
「ハイッ! トントントトトッ、トーンッ!」
笛や打楽器、弦楽器が奏でるリズムに乗り、ダエーワ独特のステップを踏み、インドラは舞った。
しかし、午前中の鍛錬の影響だろう。上半身の動きに脚が付いてきてないようで、どうにもキレがない。
「止めっ!」
開始十秒でストップがかかった。
インドラの不調に気付いてはいたが、これは酷い。シンバはそんな表情であった。
そして、ズイッとインドラに顔を近付ける。
「インドラ王子」
「はっ、はい」
「もしかして、導師サンガムにマラカンブを登らされませんでしたか?」
「はい。登りました」
キショイおっさんに顔を近付かれて引き気味のインドラは正直に答えた。
「あんのっ、クソジジィッ!! 今日は型を教えるだけって言ってたのにっ! おおおおお、おのれぇぇっ! わ、わわわたしししのおおぉ、楽しい一時をぶぶぶぶ壊しやがてえええぇっ!!! ゆゆ許さんんんっ! 今日こそはぶっ殺してやるわよっ!」
「「「「ひぃっ!!」」」」
青筋経ててキレる導師シンバに、周囲は思いっきり引いた。ええ、般若のような形相です。
「キシャアアアアアアァッ!!!!」
ジャマダハルと呼ばれるパンチダガーの一種を両手に握り、導師シンバはけたたましい奇声を上げながら、土砂降りの外へと飛び出して行きました。
おいっ、舞踏の授業はよいのか?
「…………」
沈黙に包まれる室内。ザーザー降りしきる雨音だけが響きます。
「……おほんっ。一曲如何ですか、インドラ王子?」
沈黙に――いや、微妙な空気に耐え切れなくなった楽師の一人がそう言った。彼の行動に、GJと他の楽師は親指を立てます。
「んじゃ、適当に。あの様子じゃ、夕刻までに戻ってきそうにないもんなぁ」
「「「ですよねぇ~」」」
「しっかし、おもろいおっさんだなぁ。導師シンバは……」
楽師達の奏でる曲に耳を傾けながら、インドラ王子は窓から覗く雨空を眺めておられました。
「シャアァッ!! シャアァッ! シャアァッ!」
「うおっ! 危ねっ!」
「殺す殺す殺す殺す殺す……シャアアアァァァッ!!」
「クックックッ……カーッカッカッ! 遅いっ! 遅いわぁっ! ほぉれ、ワシを捕らえてみぃ? カ~~ッ、ペッ!!」
「キシャマァァッ!!!!」
土砂降りの雨の中、サンガムを追い駆けるシンバの姿があった。
とんでもない速さで屋根から塀へと飛び移り、塀から屋根へ、屋根から道へと、フィクションのニンジャの如く街中を疾走する二人。住民や住居に被害を出さずに殺陣を行う技量は正に達人である。
長雨に退屈を感じていたとある少年の前を、物騒な二人が駆け抜けて行く。
「なあ? かーちゃん、あのひとたち、雨なのに何して――」
「しっ! 関わっちゃダメよ」
少年の口を塞ぐ母親。
そんな一幕もあったが、モヒカンジジィと女装したおっさんの追い駆けっこは夜遅くまで続いたとか……。
導師シンバ。
この男が、後に『稲妻の王子』と名高い第三王子インドラを鍛えたと云われる導師の一人であった。
悪夢だろうな、こんな変人が師匠だったら……。
導師サンガムと導師シンバの後日談。
追い駆けっこの翌日、疲れ果てたところを兵士達に捕らえられ、一週間程牢に入れられたらしい。
雨季にも負けず、ダエーワ国は平和であった。
平和だったんだよ!!
そう、平和。
はあぁぁ~~~~っ。
第三王子インドラの明日はどっちだっ!?
誤字脱字など御座いましたら感想にでも報告していただけたら幸いです。
それでは、また