大内家の野望 作:一ノ一
晴持が山口に帰還して後、畿内からは様々な情報が舞い込んできた。
十河一存や三好実休の死は、さすがに隠し切れず、瞬く間に周辺各国に広まっていった。
三好家が受けた打撃は、想像以上のもので、和泉国の支配権を完全に喪失し、南河内国までも畠山家の手に帰した。畠山高政は、笑いが止まらないだろう。積年の恨みの一割でも返せたのだ。高屋城も取り戻し、追い落とされた名家は、復権のきざしを見せ始めている。
重臣たちを集めた軍議の間でも、当然三好家の話題が取り上げられる。
「三好は、なかなか大変なことになったわね」
と、飛び込んでくる書状や伝令の報告を受けながら義隆は呟く。
「他人事ではありませんぞ、御屋形様。三好が揺れるとなれば、その影響は計り知れませぬ」
「四国の情勢も変化する可能性もあります」
杉重矩と相良武任が、危惧を口にする。
「幕府の事もあります。長慶は、将軍殿下を事実上の軟禁状態に置いているようです。この一件で、その状況に変化があるかもしれません」
晴持がさらに付け加える。
三好家と領土を接しているのは四国だけだが、幕府を手中に収めているという問題は大きい。将軍の意向を操作できるというだけで、諸国に対して優位に立てる。
三好家と敵対するより、取り入ったほうが得策だと判断する勢力は少なくない。
三好長慶は、天下に最も近い人物と言えるだろう。
しかし、その足元が揺らいできている。
「三好政権を支えていた一族のうち、二人までもがこの世を去った。これを、好機と見る輩は多々おりましょう。特に阿波は油断なりませぬ」
「阿波、ね。どう思う?」
「恐れながら……」
重矩が、恭しく頭を下げる。
「阿波は三好の本拠地とはいえ、そのすべてを掌握しているわけではありませぬ。とりわけ、実休めには深い恨みを持つ者もおります。ご存知かとは思いまするが」
「持隆殿のことね」
阿波守護であった細川持隆が、阿波国の完全掌握を目論む三好実休によって殺害された事件は、阿波国内に暗い影を落とした。
実休は、持隆の家臣という扱いであった。しかし、実質的には京で力を付けた長慶の命に従っており、持隆には守護の実権などなかった。当然、両者は対立する。そして、何がきっかけだったのかは不明ながら、実休は主君に当たる持隆を殺害し、その子を守護に挿げ替えたのである。
それに反発し、大規模な戦が起こった。実休はこれを鎮圧したが、不穏分子は未だに燻っている状況だ。
「阿波の戦にて、先代の阿波屋形を慕う者たちはほぼ全滅の憂き目となりましたが、その一族郎党のすべてが根絶やしになったわけではありませぬ」
「その者たちが、阿波で兵を挙げるかもしれないってことね」
「如何にも。さすれば、領土を接する土佐にも兵乱があるやもしれませぬ」
「そこまで大きなモノになるかしら?」
「あくまでも極論でございます。が、万一ということもありえまする」
阿波国に動乱の兆しがあるというのは事実だ。その種は、ずいぶんと前から撒かれている。問題は、三好家がどう対処するかである。
たとえ、阿波国で、反三好の戦が勃発したとしても、大した兵力は集まらないだろう。二千に届けばいい方だ。となると、いくら十河一存や三好実休を欠いて混乱する三好家であろうと、鎮圧できない道理はない。
どこかに助けを求めてくる可能性は高い。
「ならば、これを機に三好と一戦するのは如何か?」
と、声が上がる。
石見守護代の問田隆盛である。
「実休めは御屋形様の姉君の仇でもあります。阿波公方様も閉塞されており、これを救援すると申せば大義名分も立ちましょう。三好討伐の兵を挙げれば、反三好勢力は挙ってお味方するに違いありません」
熱を込めて、隆盛は言う。
「某も、問田殿に同感です。今の大内家の力であれば、先代、そして先々代の如く中国路の諸国人を従えての上洛も叶いましょう。問田殿が仰るとおり、三好に反感を持つ者も少なくない今、姉君の仇を討つ絶好の機会と考えます」
同意を示したのは、隆盛と同じ石見国人の吉見正頼であった。
「吉見殿に同意いただけるとは、珍しいこともあるものですな」
「親族衆の一員として、当然の事を申したまでのことです。義姉上の弔い合戦とならば、我が手勢が先陣を切るのもやぶさかではありません」
正頼の妻は、義隆の実の姉である大宮姫だ。もともとは、正頼の兄である隆頼の妻であったが、隆頼が後継者がないままに殺害されたため、その弟の正頼に跡目を継がせてその正妻となった。
義興は多くの周辺大名に自分の娘を嫁がせているが、自分の家臣に娘を与えたのはこの一例のみである。吉見家をそれだけ重視していたということの証左であろう。
「今、三好と戦っても得るものはないと思う。それよりも、九国と尼子に注意するべきじゃない?」
と、疑義を呈したのは陶隆房だった。
「三好だって馬鹿じゃない。阿波で事が起こるだろうってのは分かってるし、撤退した三好軍の多くは淡路島と阿波に引き上げたって聞いてる。てことは、三好軍が阿波にいるんだから、兵を挙げたって先手を取られるのは目に見えてる」
「それも、大内の兵を持ってすれば蹴散らせましょう。伊予から讃岐、土佐から阿波と攻め入ればよいのです」
隆房の意見に、あからさまな不快感を示したのは正頼であった。
眉根を寄せて、即座に隆房に食って掛かったのだ。
「四国を落としても、三好の拠点は京にあるんだから、軍を率いて上洛するまで戦は終わらないよ。京を落としても、その後の統治を考えれば、現実的じゃないでしょ」
もちろん、隆房も負けてはいない。
「いずれは三好と対峙するのは明白。敵が最も弱っているうちに叩くのは兵法の常道でしょう。懸念は尼子ですが、出陣すれば中国路の諸国も大内の威勢になびくは必定。その兵力を以てすれば、尼子すら飲みこめましょう」
「その尼子が独立したのだって、そうやって軍を京に進めた隙を突いたからでしょ。同じ事を繰り返すのは、得策じゃない」
「陶殿は御屋形様が同じ過ちを繰り返されると仰るのですか?」
「そういうことを言ってるんじゃない! 三好と戦うのは時期尚早だって言ってるの!」
「今、この機を逃して如何とするのですか。三好が最も弱った今こそ、打って出る時でしょう。陶殿ともあろう方が、まさか臆されましたか?」
「不用意に必要のない戦を仕掛けるのは、馬鹿のすることだよ」
「一息に京まで上れる好機を逃すほうが、如何なものかと思いますがね」
バチバチと火花が飛び交う。
正頼の意見と隆房の意見の両方に、理があるのは聞いていて分かる。
「そこまでにしなさい。二人とも、勝手に喧嘩しない」
二人が睨み合いになったところで、義隆が口を挟んだ。
呆れたような、困ったような、そんな表情である。
自分と関わりのないところで、勝手に家臣同士が争うのが一番当主としては困るのだ。
「晴持、あなたはどう思う?」
と、義隆が晴持に意見を求めた。
「そうですね」
晴持は一拍置いてから、
「吉見殿のご意見も分かりますが、現時点では三好との戦は時期尚早……という隆房の意見に賛成です」
三好家と争うなどとんでもない、というのが晴持の考えだ。
「確かに、今の三好家は揺れておりますが、だからといって有能な家臣がすべて失われたわけではありません。十河一存と三好実休は大物ですが、何も家臣は彼等だけではないのですから、すぐに立て直すでしょう。三好は織田と結び、六角を陥れましたので背後を脅かす者もおりません。開戦すれば、全面戦争となることは必定です。九国が安定していない今、そこまでするのは危険でしょう」
一存と実休の存在感は大きい。この二人が一気に抜けてしまったので、三好家が大きく根幹から揺らいでいるのは明白だが、同時にそれを支えるのも家臣だ。二人が抜けた穴はそうそうに塞がれるだろう。畠山家がどこまで態勢を立て直した三好家と対決できるのかを見定める必要はありそうだ。
「何より、困るのは勝った後です。三好に勝利し京に入ったとして、そこから天下に号令するのは困難でしょう。せめて、中国路を完全に押さえ、尼子を制圧しなければなりません。準備不足のまま上洛すれば、三好家の二の舞になるだけです」
三好長慶が京の支配者となったのは、江口の戦いで管領軍を打ち倒したからだが、その勢いのまま京に入ってしまった。そのまま畿内一円の支配者となったが、当然ながら様々な問題を一手に引き受ける事になった。
最大の問題は将軍の扱いだろう。
征夷大将軍は、京に健在だ。その権威は、京から離れるほどに強くなる傾向がある。
晴持は、義輝と直接言葉を交わしたことがある。
あの強烈な個性を有する将軍が、虜囚の運命を簡単に受け入れるはずがない。長慶は、義輝の扱いにずいぶんと困っているようだし、義隆が長慶を追い落として京に入ったとしても同じ展開になるのは目に見えている。
京に入ったら入ったらで、さらに周辺国人との戦いが待っている。その向こうには織田家や浅井家もいるのだ。それとも戦うことを考えると、やはり山陰、山陽は完全に制圧した上で入京したいところである。
おまけに、今でも幕府は三好家の手中にある。三好家を下手に刺激して大内討伐の御教書でも出された日には、権威を利用してきた大内家だからこそ大きな打撃を受けかねないし、島津家など服属していない遠方の諸勢力が活気付く可能性もあった。
「重矩は?」
「わしは、若様と同意見ですな。戦うべきは、他にもおりましょう。確かに、姉君の事を思うと心苦しいところではありまするが、上洛するにも陸路の確実な確保は必要でありましょう。京は、なかなかに遠き場所でございます」
「なるほどね……他に意見ある人はいる?」
義隆は、全体を見渡したが、特に手は上がらなかった。
「じゃあ、三好の件は様子見。阿波の変事に備える事とする」
義隆がそう決定し、この話はここで終わった。
晴持と重矩の双方が隆房の意見を支持したのが大きかったのだろう。さすがに次期当主と重鎮の一人を相手に意見するほどの剛の者はいないようだった。
何より、やはり厭戦気分というのはあるのだ。
四国から九国に至るまで、大内家は頻繁に戦を繰り返してきたので出費も嵩んでいる。そろそろ戦続きの状況に一区切りを付けたいというのが、山口に在住する重臣たちの本音ではあった。
三好家と敵対すれば、泥沼化するのが分かっているのだ。確かに勝ち目のない戦いではない。今の大内家が兵を動員すれば、一〇〇〇〇〇人に届く兵力を準備できるだろう。もちろん、そんな数を用意すれば、負担も極めて大きなものとなる。国力を著しく弱めるのは明らかで、現実的な数字ではない。三好家と、場合によっては織田家、さらに畠山家に根来衆らとの戦いを想定するのならば、かなりの準備が必要だ。
正頼が言う仇討ちの戦ができないわけではないのだ。
万が一にも成功してしまったら、その後に終わりが見えないということが問題なのだ。
京に攻め入るというのは、それだけ覚悟がいる。
義隆の祖父政弘も父義興も、京で戦ったが、結局山口に戻っている。京で得たものなど、何もないのだ。
■
「隆房と正頼にも困ったものね」
と、義隆は渋い顔でごちた。
義隆の私室で、晴持しかいない。
「どうしたものですかね、あれは……」
晴持も同感だった。
重臣同士の対立というのはいつの時代も主家を惑わせる。
おまけに隆房も正頼も大身だ。それぞれが国主並の兵力を動員できる。
筆頭家老の陶隆房と姉の嫁ぎ先である吉見正頼の対立は義隆にとっても由々しき事態であった。
だが、それは今に始まったことではなく、隆房と正頼が生まれる前から続く一族間の対立である。それこそ、祖父の代から陶家と吉見家は反目していた。ゆえに一朝一夕の解決は難しい。こじれにこじれて、顔を合わせれば睨み合いという状況だ。
「でも、まあ隆房が血気に逸らなくなったのはいい変化よね」
「そうですね。ずいぶんと、落ち着いてきたと思います。以前の隆房なら、逆に三好攻めに同意していたかもしれませんから」
隆房の精神的な成長は、大内家にとっても大きな出来事である。
ここ数年の間に、隆房は将として急激に成長した。立場が人を変えるというが、陶家の後を継ぎ、筆頭家老となったことも影響しているのだろう。
しかし、そんな隆房であっても正頼が相手だと冷静さを欠くところがある。そして、普段は落ち着いている正頼も隆房に対してだけは刺々しくなる。
祖父から続く対立構造は、理屈を越えて二人の間に亀裂を入れていたのである。単純な個人の対立であれば、修復できなくもないが、一族を絡めているとその取り巻きも含めて問題を大きくしてしまう。
「できるだけ、二人がぶつからないようにしたいところだけどね」
「出会い頭に刃傷沙汰になるようなことは、さすがにないと思いますが、戦の際の備えを遠くするとか、そういった対応は必要かもしれませんね……」
はあ、と二人でため息をつく。
他人の喧嘩にまで心を砕かなければならないというのは、大変心苦しいところだった。
「ま、こればかりはどうにもね。で、晴持、また人を雇ったんだって?」
「耳が早いですね」
「小柄で可愛い娘なんだって?」
「まあ、そうですね」
「ほう……で、もう抱いたの?」
「抱いてませんよ。義姉上、飛躍しすぎです。有能であると思ったから雇ったのです」
「ふーん……」
なにやら疑いの眼差しを向けられているようである。
「晴持がまた姫武将に声をかけたと持ちきりよ。わたしはまだお声がけいただいていないのに余所者なんて……みたいに恨み節を言う女性もいるくらいだっていうのに」
「そういう関係になるために連れてきたわけじゃないですって。第一、俺が声をかけたのなんてそんなに多くないんですけど」
「まあ、ね。実際はね。隆豊と通直くらい? まあ、瀬戸内の向こうで全然構ってもらってない通直がこういう噂をどう思ってるか分かんないし、近くで晴持見てる隆豊があのほんわかした笑顔の裏側でどんなどろどろ抱えてるのかも知らないけどねー」
「何か怖いこと言わないください」
「女の執念舐めてると、酷い目に会うかもよ」
身震いするようなことを義隆は言う。
古来、女の妄執の恐ろしさは語り継がれるものである。嫉妬に狂った女が、鬼になるというのは平安の世から語られるものであって、この時代でも実しやかに伝えられている。
あるいは、義隆は隆豊や通直から晴持に関するなんらかの愚痴を聞いているのかもしれない。
遠方の通直にも、小まめに手紙を送ったりと気を使っているのだが、瀬戸内海を挟んでいて行き来が簡単ではないというのが、難しいところだった。
「それで、その黒田の娘は使えるの?」
「間違いなく。そろそろ福崎に着いた頃合と思いますので、義陽の下であれこれと働いてもらう予定です」
「ま、使えるのならいいんだけどね。播磨の伝手も欲しかったところだし」
三好家との対立を避ける方針を執ったとはいえ、上洛そのものを諦めたわけではない。足場固めをして、準備を整えた上で兵を発する必要があるというだけなのだ。
いずれにしても、尼子家という障害を取り除かなければならない。依然として山陰に無視できない勢力を維持している尼子家は、大内家としても早期に排除したい大敵である。
それこそ、父の代からの因縁の相手だ。これを下さなければ、上洛など夢のまた夢である。
逃げるようにして義隆の私室を辞した晴持は、自分の屋敷に戻り、蝋燭に火を灯す。ぼんやりと室内が明るくなる。今日は明るい月夜だ。外から入ってくる冷たい月光だけでも、室内を照らすには十分に思えたが、火の明かりというのは安心感をもたらしてくれる。
眠気がやって来るまで、もうしばらく時間がかかりそうだ。
寝つきは悪くないものの、あれこれと慌しかったために、気持ちが昂ぶってしまっているようだ。
しかしながら、寝るまでの時間をどう過ごすべきか。白湯でも飲んで気持ちを落ち着かせるかとも思ったが、準備が面倒だ。妙に目が冴えて仕方がないが、やはり大人しく明かりを消して布団に潜っておくべきだろうか。
「あの、晴持様。夜分遅くに申し訳ありません」
と、光秀の声がする。
光秀がこんなに遅い時間帯にやって来るのは珍しいことだった。来るにしても晴持と事前に打ち合わせてからということがほとんどで、突然やって来たのは記憶にない。
「光秀、どうかしたのか?」
「あ……いえ、その……ぅ……」
月明かりが差し込む障子戸の向こうで座り込んだ光秀の影がゆらゆらと揺れている。
なかなか入ってこない光秀に何かあったのではと思った晴持は、障子戸まで歩み寄り、戸を空けた。
「ふあっ!?」
今まで聞いたことのない珍妙な声を上げた光秀。
「は、晴持様ッ……えと、これは、その……!」
と、見る見る顔を紅くしていく光秀。
晴持は晴持で、固まっていた。涙目になる光秀の格好が、まさかのメイド服だったからだ。
九国で宗像家から送られたメイド服で、光秀に与えたままになっていたものだ。
「とりあえず、入れ」
「はい」
光秀をそのままにしておくわけにもいかない。夜の帳が下りて、人の目が届かなくなっているとはいえ、見回りの者もいるのだ。
「その格好できたのか?」
「う、上に羽織りを……」
「そうか」
ただの着物ではなく、時に奇抜な服装をする者もいる。メイド服は大いに目立つものだが、突飛な格好を好む武将の衣服を考えるとまだ地味なほうかもしれない。上から何か羽織っていれば、この暗闇だ。さほど目立たないだろう。
「それで、急に、どうしたんだ?」
「それは……その」
正座をする光秀は、エプロンが皺になることも気にせずギュッと白い布地を握りこんでいた。よほど緊張しているものと見える。
顔をますます紅くして、視線があちこちに彷徨っている。
「……夜這いか?」
「ぁ……ぅ……ぅ」
まさかと思ったが、図星のようだ。光秀はもうこれ以上紅くなる事はないだろうというほど顔を染め上げて俯いてしまった。
生真面目で恥ずかしがりやの光秀が夜遅くにメイド服を着こんでこっそりやって来たのだから、それくらいはさすがに分かるが、そこまでするとは想像の範疇を超えていた。
光秀のような真面目な性格だと、追い詰められてタガが外れると、突発的に驚異的な行動力を見せることがあるものだが。
「も、申し訳ありません。こ、今宵のことは、どうかお忘れくださいッ!」
急に光秀が頭を下げて脱兎の如く逃げ出そうと立ち上がる。
逃げようとする光秀を晴持は腕を掴んで引き止めた。
「待て待て、急展開過ぎる。とりあえず、落ち着いて、話を聞かせてくれ」
「う、ぅ……」
光秀は言葉もなくしおしおとしゃがみこんだ。居た堪れなくなり逃げ出そうとしたのに、それを止められてしまったのだ。
もう煮るなり食うなり好きにしてくれとばかりに、諦観の表情を浮かべた。
「とにかく、光秀。そのなんだ、要件は大体想像がついたが、唐突に過ぎると思うぞ」
「……はい。その、お察しの通りです……。今宵は、晴持様に抱いていただければと、思って参りました」
「それでメイド服まで着てきたのか」
「はい。秀満が、普段の格好ではなく晴持様にお褒めいただいた服で臨むべきだと申しまして……」
「明智一族の者だったな、確か」
「そうです。秀満とわたしは従姉妹の関係にあります。幼少からの付き合いがありまして、晴持様に拾っていただいた直後から、わたしの下に馳せ参じてくれたのです」
光秀にとってはよい相談役でもある。幼馴染で従姉妹となると、かなり信頼できる間柄なのだ。
「わたしは、晴持様に拾い上げていただいてから、ずっと晴持様の臣としてお力になれればと思って職務に邁進しておりました」
「分かってる。それは、重々承知している。光秀の働きは目覚しいものがあるからな。俺の想像以上によくしてくれているよ」
「ありがとうございます。そう仰っていただけるだけで、わたしは満たされていて、それで十分だと思っていたのです……ですが、わたしはいつしかあなた様を、目で追ってしまうようになりました。主君としてでなく、男性として……はしたなくも、あなた様に求められたいと、思うようになりました。あなた様に、懸想をしました」
一度言葉にしたら、滔々と思いが溢れてくるようになった。
光秀は自分の胸中の思いを、ゆっくりと言葉に変えていく。
「わたしを……将としてだけでなく、側女としてでもお傍に置いていただけないでしょうか?」
覚悟を決めた瞳で光秀は晴持を見つめてくる。
もう視線を逸らそうとはしなかった。
こんなにも慕われて、どうしてこの想いを無碍にできるだろうか。
「光秀に、それほど想われていたとは思わなかった。俺の不明だな……そして、俺は幸せ者だ。こうまでして慕ってくれる人がいるんだからな」
「晴持様……」
「光秀の想い、ありがたく受け取らせてもらう」
「あ、ぅ……よろしいのですか? 本当に、わたしなどが……」
「今更何を言ってるんだ。あまり自分を卑下するのは感心しない」
晴持は光秀を抱き寄せる。
将として戦場を駆け抜けていながら、彼女の身体は線が細く、華奢だ。
「今日は泊まっていくんだろう?」
「あ……はい、その、不束者ですが、よろしくお願いします……」
光秀は夢でも見ているかのように半ば放心しつつ、そう言って晴持の胸に顔を埋めた。
光秀の後ろに丹羽殿が!