大内家の野望   作:一ノ一

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その七十五

 戦局の意外な展開にさしもの晴持も言葉を失った。

 晴持の位置からは伊東家の動向までは見えない。平地であり、見通しが悪い。家臣たちからの報告や自ら櫓に昇り戦場を眺めることもあったが、常に全体を把握できるわけではない。そういうこともあって、伊東家の突出で前衛が崩れたという情報は目視ではなく、家臣からの報告で知った。

「意味が分からんのだが」

「某も、詳しくは……ともかく、伊東軍が突出したことで、その他の者どもも引きずり出された模様」

「伊東家の近くには黒木家がいただろう。家永はどうしたんだ?」

「黒木殿は伊東殿を制止すること能わず、やむを得ず伊東殿の救援に向かわれたとのこと」

「何してんだ……!」

 晴持は陣幕を出た。

 伊東軍の動きによって動いた戦局で、周囲が動揺しているのを感じた。

「晴持様ッ。伊東軍が……!」

「飛び出したんだろ。これから、確認する。島津の動きに注意を払うように伝達しろ」

 家臣に声をかけながら、櫓に登った。

 そして、白川の向こうで、伊東軍に引きずり出された味方が次々と島津軍の背を追っていくのが見えた。

 中段の軍も、前段が空になった穴を埋めるために前に出なければならないと判断したようだ。この状況は、明らかな罠。伊東軍が上手く島津軍の追い首を成功して戻ってこれれば問題にはならないが、もしも釣り野伏せだったら、伊東軍は壊滅する。それどころか、反転した島津軍が左翼の穴を突いてこちらの内部にまで攻め寄せて来る可能性すらあった。

「やられた……か」

「若様ッ、あれを……! 伊東軍が島津軍に飲まれますッ!」

 櫓で物見を担当していた家臣が叫んだ。

 晴持にもその様が見えていた。

 反転というよりも、初めから控えていた島津軍の殿軍がそのまま伊東軍に反撃の狼煙を上げたのである。

 それに合わせて逃げていたはずの将兵が集合して、殿軍の背後に並んだ。事ここに至って、伊東軍等突出した者たちは島津軍の反撃に気付いたようだが、もう遅い。

 個々人で敵を追いかけていた彼等の隊列は乱れに乱れて軍としての機能を喪失している。

 これでは個人で統制の取れた島津軍と戦うようなものだ。

 狩る側から狩られる側に転落した伊東軍は、家臣が述べたように島津軍に為す術なく飲み込まれていく。

 鎧袖一触。島津軍の凶悪な戦闘能力をまざまざと見せ付けられている。

「俺は戻るが、状況は常に報告しろ」

「はいッ」

 島津軍が伊東軍等前衛の部隊を壊滅させる程度のために、計略を仕掛けるとは思えない。

 本格的な攻撃はこれから始まると見ていいだろう。

 晴持は櫓を降りて陣幕に戻る。

「晴持様、前衛部隊が壊乱しております」

「分かっている」

 中段を前に動かして穴を塞ぐか、そもそも防衛線を中段以後に再設定するか。白川を天然の堀とする戦略に変わりはないが、今を乗り越えるために何が必要か――――。

「晴持様! 島津軍の左翼に動きがあります!」

 飛び込んできたのは光秀だった。

 島津軍の左翼というと、こちらの右翼側だ。陣形の崩れは、左翼ほどではないが、追い首に出た国人が皆無というわけではない。

「誰の部隊だ?」

「率いる者は定かではありませんが、三〇〇〇以上の大軍と見えます」

 島津軍の左翼となると、島津義弘が陣を張っていたはず。まさか、義弘が出てきたか。

「まだ、崩れているのは前衛だけだ。立て直す時間がなければ、道雪と隆房を中心に、中段で踏み留まってもらうしかない」

「突出した前衛部隊は如何なさいますか?」

「救援を送ることは許さない」

 ここで前に出れば、敵の思う壺だ。崩れていない前衛は、そのまま最前線を維持し、中段を守りの中心に切り替える。出て行った者はやむを得ない。救う手立てがない。無事に逃げ戻ってくることを祈るしかないのだ。

 島津軍が本格的な攻勢に出たのは明白だ。こちらの前衛が総崩れになっているが、それに釣られて後ろまで崩れれば一貫の終わりだ。敵の計略に嵌ったという事実は、すでに全体に知れ渡っていることだ。この時点で大内軍の士気は下がり、島津軍の士気は最高潮に達している。将士の間に横たわる不安を何とか解消するには、はっきりとした命令が必要だ。

 逃げるか戦うか。その二択を明確化して全員に伝えれば、それだけで踏み止まれる。

「右翼の部隊は隆房が抑える。正面には紹運がいるから問題はない」

 戦に慣れている紹運と道雪が中央にいる。ここが柱のように全体を安定させているのだ。前衛も中央が一番固まっている。これは、紹運が上手く味方の突出を抑えてくれたからだ。

 あの軍は国人連合ではなく大友軍を主体としていたことも功を奏したわけだ。

「まだ完全に敵の術中に嵌ったわけじゃない。あくまでも敵は前から来る。囲まれたわけじゃない。それぞれの部隊が自分たちの役割をこなせば、持ち堪えることはできる」

 島津軍は精強だが、こちらも負けてはいない。崩れた部隊で防げないのは当然だが、無事な部隊が対応すればよいのだ。何も焦ることはない。

 

 

 

 晴持が思うとおり、島津軍とて容易く晴持まで一直線というわけにはいかない。

 左翼から展開し、中入りを敢行した義弘の部隊に相対したのは隆房が率いる大内軍であった。

 大内軍の中でも精鋭揃いの最強部隊だ。これが槍先を揃えて島津軍の強襲を受け止めた。

「どぅりゃああああ!」

 義弘が吼えた。 

 深く兜を被り、鎧に身を固め、超重量を物ともしないで巨大な槍を軽々と振り回し、大内兵を薙ぎ払う。

「義弘様。あまり突出されませぬよう」

「分かってる!」

 言いながら、さらに纏めて三人の首が胴から切り飛ばした。

「ひっ」

 大内兵が後ずさるほどの気迫。一撃の重さは鎧を砕き、兜ごと頭蓋を割る。一騎当千の姫武将の活躍に、島津軍は士気をさらに上げた。

 また、彼女の傍には新納忠元が控えて義弘が孤立しないように上手く兵を動かしている。細かな指示が意味を成さない戦場で、確実に義弘を不意打ちから守るために目を光らせている。さらに自ら槍を手にして大内兵を突き殺している。

「島津義弘ここに有りッ。どうした、どうした。天下の大内兵が情けない。我こそはと思う者は、わたしの首を挙げてみろッ!」

 突いて薙いで跳ね飛ばす。分かりやすいほどの剛勇だ。遠目から見れば、島津兵と大内兵とでは躍動感が違うということに気付くだろう。

 一人一人が、まるで背中に翼が生えているかのように軽やかに大内兵に飛び掛っている。

 対する大内兵も懸命に抗っている。隆房と共に多くの戦場を戦ってきた猛者を中核とする部隊だ。正面からの戦いで後れを取るわけにはいかない。

 意地を見せる大内兵を、一蹴しながら義弘は兵をさらに前に進めようとする。そこに、朱槍が襲い掛かった。

「ッ……!」

 辛うじて防いだ朱槍の矛先が、素早く義弘の喉に攻め込んだ。

 三合の打ち合いで、相手の馬が離れる。

「あなたは……」

「陶隆房。悪いけど、これ以上先には進ませない」

 戦場の熱狂から離れたような精悍な表情で、隆房は義弘に語りかけた。

「陶隆房? 大将格じゃない。よくも、ここまで出てきたものね!」

 義弘としては、隆房を討ち取ればこの戦は勝ったも同然だ。大内軍の中段は崩壊し、晴持への道が開ける。

 義弘の打ち込みを、隆房は朱槍で弾き返した。

「その言葉――――そのまま返すよ、鬼島津!」

 義弘の兜から火花が散った。

「義弘様ッ」

「邪魔させるな!」

 忠元に切り込んだのは、隆房の妹の隆信が率いる一隊だった。義弘と忠元を分断し、勢いをそぎ落とす。

 義弘が孤立すれば、島津軍の動きは鈍りに鈍る。態勢を立て直す時間を稼ぐには十分であると言えた。

「チィ。こんなことしてる場合じゃないんだけどな!」

「じゃあ、さっさと帰れば?」

「あはは、冗談。あたしは前に用があんのよ!」

 豪風を纏った槍が隆房の小柄な身体を馬ごと押し返す。あまりに重い一撃に隆房が顔を歪める。

 そもそも、隆房とまともに打ち合うことのできる武将自体がほとんどいない。

 ましてや笑顔を浮かべて反撃してくる者など、どれだけいることか。精鋭揃いの隆房の部隊で、義弘と張り合えるのは大将の隆房しかいない。

 とはいえ、戦えないことはない。

 義弘さえ封じれば、島津軍はここで足を止めるしかない。奇襲部隊は時間をかければ、目的を達成できなくなる。

 義弘が引き連れる部隊は大軍だが、それでも隆房が背負う大内軍が態勢を立て直して迎撃に出れば、足止めから反撃に転じることも不可能ではない。

 結局のところ、個人の武勇で覆せる戦局には限度がある。その一方で、大将一人の生死が部隊を存続を左右することは常識であった。しかし、義弘が活躍すればするほど島津軍は勢い付く。どうあっても義弘を止めなければ、大内軍が押し込まれてしまう。隆房が義弘の前に出るしかなかったのだ。

 

 

 ■

 

 

「島津義弘を陶殿が抑えていますか」

 道雪が顔を険しくして呟く。

 伊東軍をきっかけにして、大内軍の守りは崩れつつある。土手に開いた鼠の穴も同然で、そこから一気に決壊することも考えられるだけに、細心の注意が必要だった。

「道雪様。如何致しましょうか?」

「腰を据えて前を見なさい。わたしたちの欠点は機動力のなさですが、それが奏功することもあります」

 と、いつも通りの口調で道雪は家臣に言う。

 道雪は足が動かない。馬に乗れないし、走ることもできない。そのため、戦場では輿に乗って移動している。結果、道雪の部隊は機動力で他の部隊に及ばない一方、どっしりと腰を据えた戦が得意だった。

「現状では右翼と正面からの敵……ですか」

 釣り野伏せであれば、三方から取り囲んでの殲滅戦となるが、南郷谷の地形では大内軍を取り囲む奇襲攻撃は不可能だ。

 伊東軍ら前衛部隊を引きずり出して袋たたきにするのも合理的ではない。彼等が潰れたところで、こちらは揺るぎもしない。

 確かに大きな打撃を被ることにはなるだろう。

 正面から来る島津軍は紹運の部隊が何とか対応している。しかし、逃げてくる味方を収容しながらでは、満足な戦にはならないだろう。

 状況次第では、味方ごと敵を討つというような非情な選択を迫られるかもしれない。

 

 

 道雪が全体像を把握しようと頭を働かせている時、その正面にいる紹運はそれどころではなかった。

 迫る島津軍に直接相対しなければならず、全体にまで目を向ける余裕がないからだ。

「島津の十文字か」

 目を細めた紹運が敵の旗を目視する。伊東軍を追い散らした島津軍が、眼前で二つに分かれたのだ。

 中央の紹運の部隊を目掛けて進軍してくるのが、敵中央の本隊であろう。分かれた別働隊は、そのまま大内軍の正面を避けて右翼を狙う構えだ。そちらはそちらに任せるとして、今は正面の敵を追い払うようにしなければならない。

「遠目ではありますが、あれは四女の島津家久ではないかと」

 家臣が紹運に話しかけた。

「知っているのか?」

「某、耳川の戦にて高城攻めに加わっていたことがございます」

「そうか。なるほど、あれが噂に聞く島津家久か。いつの間に肥前から戻ってきたんだ」

 開戦から一月余りが経っている。

 肥前国からここまでやって来るには十分な時間ではあったが、大内軍はその情報をまったく入手していなかった。

 上手く情報を隠したか、それとも相当な強行軍で南郷谷までやって来たのか。

「とにかく、あれはここで止める。それ以外にない」

 逃げ戻ってくる味方を収容しつつ、島津家久の進軍を止めるために、紹運は自軍の鉄砲を全面に押し出した。

 ここで踏み止まるのならば、味方を助ける余裕はない。収容するといっても、それは運のいい者に限られる。左右のどこかに逃げて、敵に備える必要のないところに逃れた者ならば助けることもできるだろう。

 島津軍に鉄砲を撃てば、味方に当たるかもしれない。

 だが、それを分かった上で紹運は非情な決断を下した。

「味方に当たるかもしれないが、致し方ない。――――撃て」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 歳久が見下ろす戦場で、島津軍が大内軍を押し込んでいる。

 敵の崩れ方が甘い。隊列が整った部隊が多く、本陣まで混乱が波及していないのが分かる。歳久は内心で舌打ちをして、爪を噛んだ。

 できることならば、このまま大内軍の半ばまで崩れてくれればよかったが、やはりそこまでは上手く運ばない。

 野戦で取れる策は限られてくる。陣形をどう整えるかということと、何時攻めかかるかということくらいだ。

 後は、前線に出る兵の力量と勢いに任せるしかないというのが戦の怖いところだ。

「さすがに大友の二将は揺らぎませんね」

 紹運と道雪が大黒柱のように中央で戦列を支えている。混乱が全体に波及しないのは、彼女たちがどっしりと構えているためだろう。

 これを策で切り崩すのは、状況からして不可能だ。力で押すしかない。今のままでは、薄皮一枚を剥ぎ取っただけで、心臓には届かない。

 それでも僅かにでも穴が開いたのだから、そこを基点にして穿ち抜けるしかないではないか。

「家久と義弘様が上手く崩してくれました。総攻撃の時間です」

「御意」

 さらに歳久は攻撃的な圧を加える決断をした。

 兵力に大きな差はまだないのだ。崩れた相手に対して士気も含めて島津軍が優位に立っている今が最大の好機であることに疑いの余地はない。

 後は怒涛の勢いで、敵勢と切り結ぶのみだ。

 号令の下で島津軍が正面から次々に大内軍の陣に向かって駆け出した。左右も何も関係がない。

 全員が死力を尽くして、我武者羅に戦う。島津軍が最も得意とする戦い方だ。

「京被れに薩摩魂を見せ付けてやりますよ」

 九国の中で優れた将は各地に散見される。義弘だけではなく、他家にもこれはという武将はいる。しかし、兵の質で見れば島津軍が頭一つ飛びぬけていると歳久は考えている。

 要素となるのはいくつかある。

 まず、農業が難しく貧しい土地のために肉食の習慣があること。肉体面で頑丈になりやすい下地がある。

 そして、お国柄。戦はどこの国でも日常的に起こっていることだが、薩摩国や大隅国も島津家の内乱が長く続いた影響で戦慣れしてしまっている。もともと貧しいためか、戦い、奪うことで生計を立てる厳しい気質が育った。

 加えて、他国との最大の違いが軍制だ。

 島津軍には、士分の兵の割合が多いという特徴がある。

 島津家では、領国支配に地頭・衆中制度を導入している。

 これは、島津家独自の制度で、土地の管理を地頭として一門衆や重臣に任せ、その管理下に士分の家臣を就ける。地頭に管理される者たちは衆中と呼ばれて普段は田畑を耕すが、戦となればすぐに武器を持ってその土地の地頭の下に駆けつけることになっている。

 戦場でも日常生活でも衆中の侍は地頭の指図を受け、その命令は絶対遵守の法として機能する。

 その一方で、衆中は地頭の家臣ではない。衆中はあくまでも島津家の直臣扱いだ。そのために、頻繁に配置換えが行われ、地頭と衆中、そして土地が過度に結び付くことを防いでいる。

 こうした制度を、島津家は戦で獲得した土地で敷き、その土地の地侍たちを急速に家臣化することに成功した。

 島津家の直臣なので活躍すれば、より高い身分に取り立てられる可能性がある。

 生産性の低い土地を与えられるよりは、出世して身分を高めるほうが貧困から抜け出しやすいという心理も働いて、戦場で大きな活躍をしてくれるようになる。

 もっとも、今回の戦で物を言ったのは国人衆をどのように束ねていくのかという両家の方針の違いだろう。

 大内家のやり方は甘い。

 島津家のように厳しい軍律で縛っていない。大内家に従う国人の多くは、戦と武力を背景に従わせた国人ではなく大内家に庇護されている立場の国人だ。

 大内家は立場上彼等を支援することになるが、結果的に各々に対する強制力は弱まる。あくまでも「支援」だからだ。

 もともと、国境近くの国人は二大勢力に挟まれればどちらにも尻尾を振るし、それを戦国の倣いとして黙認されている。

 信州真田を例にすれば、彼等は武田家に近寄りながら、同時に上杉家にも贈り物を贈り、連絡を取り合っている。両家はそれを承知しながら真田家を処罰できない。悪いように扱えば、身を守るために敵に就いてしまうからだ。

 こうした浮き草のような国人たちをどのように扱い味方にするかというのが、戦の趨勢を決する大問題であり、この戦でも大内家が彼等から甘く見られていたからこそ、島津家が付け入る隙を作ることができた。

 恐らく、いや、間違いなく今が一番の攻め時だ。

 ここを逃せば次はない。

 千載一遇の好機に、最後の切り札を使って勝負を決める。

 我武者羅に下手糞に乱れた大内家の陣形を突き崩して大内晴持の首を狙う。それができる一騎当千の武将と最強の精鋭で、敵の左翼を迂回強襲する。

 

 

 

 ■

 

 

 

 総攻めの合図と共に、島津軍が一斉に攻撃態勢に入った。

 家久率いる正面軍は、さらに背後から駆けつけてくる北郷軍や頴娃(えい)軍、喜入軍、入来院軍などの譜代、一門の軍勢に、肥後国人衆まで動員した大攻勢の先頭に立つことになった。

「一気に増えた。うん、みんなー、負けてらんないよー。不手際あれば、切腹覚悟! いいね!」

「御意ッ!」

 家久の号令で、大内軍正面を固める高橋紹運の部隊に向けて発砲、前列の崩れに反応し突撃を敢行する。冬の白川を乗り越えて、家久の先鋒が高橋軍と間隙を交えた。

 怒涛の攻勢に対応するには、敵もまた相当の人数と陣形を組まなければならない。乱雑に入り乱れていては総崩れになる。

 左翼中段の吉川元春は、軍を前に押し出すしかない。

 吉川軍は、乱れに乱れた左翼を取り纏めながら、敗残兵を糾合して素早く陣形を固めている。なるほど、さすがは音に聞こえた毛利元就の子だ。三姉妹の中で最も武勇に優れていると評判の元春は、島津四姉妹で言うところの義弘のような存在だろうか。

 年齢は、きっと家久と同じくらいではないだろうか。まだまだ子どもだと侮られることもある程度だと聞いている。

「鎌田さんなら、吉川軍にも引けを取らないし、何とかなるか」

 どっと敵の左翼に攻撃を加えようと駆けているのは、鎌田軍を中心とした島津軍の右翼である。率いるのは島津四天王の一人、鎌田政年の嫡男、鎌田政広。家久とは軍を同じくすることが多く、軍配者として後方にいる機会が多い。冷静で落ち着いた用兵が評判の武将である。

「いい感じになってきた」

 家久の軍は正面を攻撃しつつ、僅かに矛先を左にずらしている。敵の敗残兵も左側に向かって追い立てるようにしたし、攻撃も同じように中央やや左よりを意識した。

 総攻撃前のそうした下準備によって、大内軍の右翼――――島津家から見て左翼側に敵の守りが偏ったのである。

 さらに、義弘による強襲で隆房が動かざるを得なかった。大内軍は全体的に防御の主軸が歪んだ状態となっている。

「鬼道雪がいくら頑張ったって限度はあるもんね。吉川元春も前に出てきた。これでやっと弘ねえの出番だ」

 

 

 

 ■

 

 

 

 大内軍右翼。

 隆房が率いる大内軍は、島津軍の強襲部隊の足止めに成功していた。

 凶悪な突破力に出鼻を挫かれた隆房たちだが、義弘を隆房が受け止めたことで鼓舞され、猛烈な反撃に出ていた。

 槍と槍が打ち合い、刀と刀が火花を散らす。

 義弘を誰かが突こうとすれば、島津方の誰かがそれを阻止し、隆房を誰かが突こうとすれば、大内方の誰かがそれを阻止した。

「だあッ!」

 振り下ろした隆房の朱槍を義弘が槍の柄で受け止める。

「く……!」

「まだまだぁ!」

 隆房は槍を回して石突側を振り上げる。身を反らして躱した義弘の顔面を、ぎらりと光る刃を狙う。

 義弘はそれを顔を逸らして回避した。

 掠めた刃で首の薄皮が切れて血が滲む。

 一騎打ちは隆房が押していた。

 隆房の猛攻が、義弘の籠手を打った。その痛みで義弘は顔を歪めて、槍を取り落としてしまった。

「しまっ……!」

「島津義弘、覚悟!」

「や……ッ!」

 咄嗟に義弘は頭を低くして兜を盾にした。隆房の槍は兜を上滑りして、火花を散らせたが、義弘の首を獲るには至らなかった。

 兜を打たれた衝撃で、義弘の顔が跳ね上がる。

「痛ッ……」

「しぶといッ」

 追撃をかける隆房の前に、忠元が割り込んだ。

 返り血で頭の先から真っ赤に染まった無骨な男だ。

「そこまでぞッ」

「邪魔を……うわたッ」

 忠元の槍勢もまた凄まじい。さすがに島津家の大将格なだけのことはあり、凡百の兵士では歯が立たないだろう。

「姉さん、ごめんなさい!」

「つべこべ言わない、次!」

「は、はいッ」

 忠元を抑えられなかった妹を黙らせて別の兵に当たらせる隆房。

 義弘と忠元の追撃を警戒した隆房が朱槍を構え直した。

「あの……た、忠元さん。ありがとうございます」

「よい、下がれ」

「あ、はい……すみません」

 義弘が、それまでの勇猛さをなくしたかのように後ろに下がっていく。

 隆房の胸中に一抹の不安が湧き上がった。

「陶様ッ。至急、お耳に入れたき儀がございます!」

 そんな隆房の下に、一人の兵が駆け寄った。大内軍の伝令である。息せき切って、戦場の真っ只中にいる隆房の下に駆けて来たのだ。

 一騎打ちが一時的にしても睨み合いになったことで、飛び込む隙ができたのだ。

「何?」

「陶様と戦っておられた相手、島津義弘ではない……別人であるとのこと!」

「……どういう」

「耳川にて、島津義弘を直接見た者がおりました。兜の下の顔が、よく似てはいるが別人であると断言しております!」

 隆房は息が詰まったかのような錯覚に陥った。

 目を見開いて、忠元とその後ろに下がった「義弘」を見る。

 確かに、島津義弘の顔を直接見知っている者は大内軍の中にはいない。よく似た誰かに義弘の鎧と兜を渡せば、簡単に島津義弘を演出できる。

 要するに影武者だが、この手法は敗戦時に大将を逃がすための変わり身として使われるのが定石だ。

 攻め時に、武功を上げなければならない状況で敢て他人の振りをする等、非常識だ。

「あんた、誰よ」

「誰って、さっき言いました……わたしが島津義弘です」

「戯言をッ」

 隆房が義弘に向けて突き出す槍を、忠元が弾く。

「さすがに重く、鋭い筋だ。見事」

 隆房が唇を噛んで、顔を歪めた。

 これは不味いと直感した。

 島津家は本気の本気でこの戦に勝ちに来ている。隆房が義弘を抑えるために出てくることを、敵が初めから想定していたとすれば、本物の義弘が、本物の精鋭部隊を率いてどこかに潜んでいるのは明白である。

 つまり、晴持の身に危険が迫っている。

「ぐ……!」

 忠元が振り下ろした槍が、隆房を掠めた。

「余所見を禁物……義弘様は真正の傑物だが、わしもまた長年の経験があるのでな。ジジイと思って侮っていると、痛い目を見るぞ?」

「こいつ……」

 どうやら、目の前の武将が新納忠元本人なのは間違いないようだ。

 とすれば、この精強な軍の中核を担っているのは義弘の軍ではなく忠元の軍ということか。それが、さも義弘に率いられているかのように振る舞っていたわけだ。本来の大将は、目の前の男だったのだ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

「ひゃあー、これはすごい。今までにない大戦だ」

 中央を攻める島津軍の最後列に彼女はいた。

 各地で土煙を上げ、鉄砲の轟音と硝煙が風に流れていく。

 全体的に島津軍が優勢になったが、戦は水物、生き物だ。流れが変われば、今度は大内軍の逆襲もありえる。

「源平合戦の平家にはなりたくはないし」

「潮目が変わらぬうちに、行きますか、義弘様」

 黒髪黒瞳の少女が人好きのする笑みを浮かべる。

 肩に担ぐ大身の槍、身に付けた鎧兜はすべて隆房と一騎打ちを演じた姫武将と同じ物だ。それでも、身に纏う雰囲気が異なっている。破格の存在感とも言うべきものが、この少女からは漂っているのだ。

「盛淳に無茶振りしちゃったり、ここは一つ派手に決めないとね」

「しかし、よりにもよって義弘様の御名を名乗らせるなど……」

 失礼だと言うのは、義弘が認めている以上口にはできない。義弘としては、義弘の影武者としてこの大きな戦いに出陣させてしまったことを申し訳ないと思っているくらいだ。

「畠山殿は、義弘様をずっと見て育っておりますから、例えこの戦で屍を曝すことになろうと本望でしょう」

「あんまり気持ちのいいことじゃないんだけどね。死ぬことは恐れないけど、どうせなら笑って薩摩に帰りたいし。みんなでね。ま、勝たなきゃ始まらないし、勝つために頑張るんだけどね」

 畠山盛淳。

 それが、義弘の影武者を務めた姫武将の名前だ。

 容姿が義弘に似ていたことと、義弘を参考にして武芸に励んだことで義弘の「物真似」ができるようになった。本当に一時的にだが、義弘が乗り移ったのではないかというほどに見事な演技ができるのだ。

 普段は不敬を咎められかねないのでやらないが、義弘が宴会などで投げかける無茶振りによく応えている。それが、ここで役に立った。

「ある程度まで敵陣に近付いたら、一気に右翼をすり抜ける。合図はあたしがする」

 義弘の部隊は、家久たちの部隊の後ろに隠れている。高台から見下ろせば分かるが、大内家の位置では、櫓の登っているものくらいしか分からないだろう。おまけに、それが義弘の部隊だということは、まったく気付いていないはずだ。

「じゃ、覚悟決めて――――行くよ」

 そうして真打が戦場に現れる。

 島津軍最大最強の精鋭部隊が、大内晴持の首のみを狙って表舞台に躍り出たのであった。


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