大内家の野望   作:一ノ一

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その七

 火の手に包まれる城を見て、晴持は勝利を確信する。

 隆豊から入ってきた情報によれば、尼子家の主要な者はドサクサに紛れて逃亡したらしく、追撃の兵を出して欲しいとの事だった。

 そこで、晴持は警戒に当たっていた隆元らを追撃部隊として編制し、山を迂回して回りこむように尼子勢の追走を始めさせた。

 また、それとは別の部隊には山狩りを命じる。

 山道を使わずに逃げるとなれば、山のどこから逃げてもおかしくはない。逃亡兵がどこから出てくるか分からないので、足腰の強い者を中心にして山中に散らせた。

 燃える城が闇を焼き、麓まで明るく照らす。

 火の光は雪原に反射して、多くの伏せ兵の居場所を明らかにした。

 命を賭して、追撃部隊の足を遅らせようという忠義心の篤い者達である。生かしておいても、後々大内家の害になる者達だ。こういう者達を、晴持は執拗なまでに狩り出して討ち果たした。

「降伏ならば、考えなくもないが、僅かでも抵抗するそぶりを見せたものは尽く斬れ」

 害悪は須らく討ち果たすべし。

 それが、大内家の発展のためになるのだから、晴持は首がいくつ転がろうとも苛烈に対処する。固めた表情の奥で歯を食いしばりながら、痛む胸を鎧に隠す。

 戦国時代に生まれてずいぶんと経つが、やはり人死は辛いものがある。昨今は、慣れもあって外面を作る事はできるが、生首などは直視するものではない。

 夜風が強くなってきたころ、空から雪が舞い落ちてきた。

「今宵は冷えるか」

 晴持は呟いた。肌を切るような冷たい風。何も対処しなければ、兵は凍えてしまうだろう。

「酒の供出と、……追撃も、早々に切り上げさせた方がいいな」

 尼子勢が連れてきた兵のうち、どれくらいが出雲国に無事帰る事ができるだろうか。

 兵糧が元就に焼き払われて餓え、体力を消耗した兵が、極寒の中で山を越えなければならない。多くの兵が冬将軍に押し包まれて脱落する事だろう。もしかしたら、尼子詮久もまた寒さに負けてしまうかもしれない。

「隆春、君の兵はまだ動けるか?」

「はい、問題なく」

 内藤隆春は、口数の少ない真面目な武将だ。内藤家は藤原秀郷の流れを汲む一族で、長門国の守護代を務めている。

 戦の何たるかも心得ているので、たとえ尼子家の本隊が逃亡したからといって気を抜いてはいけないという事を理解しているだろう。

「奇襲に気をつけねばならない。物見を方々に出し、情報を集めつつ、いつでも対処できるように準備だけは入念にしていてくれ」

「承知しました。晴持様」

 この勝ち始めが危険な時間帯だ。

 相手の伏せ兵の中に、晴持達が見落とした一隊があって、それが本陣に強襲を掛けたとなれば、まともに抗しきる事はできないかもしれない。

 それが人間の心理というものである。

「死兵が最も危険と心得ております。もしも、そのような事態となってもわたしが楯となり、お守りします」

「ああ、ありがとう。君がいるのはとても、心強いよ」

「晴持様も、決して油断なさらぬよう」

 そう言い残して隆春は自軍の指揮に向かった。

 隆春の理知的で静かな物言いは、所謂委員長的な固さを感じさせる。今までで一度も冗談を言った事がないのではないだろうか。少なくとも、晴持は彼女が冗談を言ったところに出くわした事はなかった。

「一段落したら隆房の見舞いに行くか」

 敢えて私的な計画を脳裏に作り上げ、緊張感を解す。あまり、目の前の事に入り込みすぎると、どうしても視野が狭くなってしまう。

 晴持は茶漬けをさらさらと腹に送り込んで、寝ずの指揮を執った。

 翌朝、雪が止んで朝日が差す頃になって、やっと晴持は睡眠を取ったのだった。

 

 

 晴持が目を覚ましたのは、未だ日が天上に昇りきっていない頃だ。おそらく三刻と寝ていないだろう。だが、寒さのためか、それ以上眠り続ける事はできなかった。妙に頭が冴えているのは、戦場の興奮が未だ身体の中にあるからだろうか。

 寝違えたのか首が痛む。外に出て、目に飛び込んできたのは、太陽を反射する銀世界であった。昨夜のうちに降り積もった雪が、太陽を受けて輝いている。

「明るくなると、どれだけ降ったか分かるな」

 夜のうちはそれほど気にしなかったのだが、一晩でかなりの量の雪が降ったらしい。

「若様、お早うございます」

「隆豊か、お早う。といっても、もうかなり遅いけどな」

 隆豊はクスクスと笑った。

「尼子勢の追撃ですが、昨夜一晩で総計五〇〇人ほどを討ち果たしました。隆元殿達も、尼子勢を追い散らしましたが雪が深く追撃を断念されたとの事です」

「そうか。まあ、昨日は吹雪いてた時間もあったからな、それは仕方がない」

 真冬の夜、それも吹雪の中を行軍するなど危険すぎる。五〇〇年後と違って、この時代は街灯もないし、GPSもない。迷ったら、その時点でほぼ死ぬ。そして、それは尼子家の方が深刻だろう。

「それでは、わたしは隊の指揮に戻りますので」

「ああ、後一踏ん張り、頑張ってくれ」

 尼子勢を安芸国から駆逐し、残る仕事は安全を確認する事だけだ。晴持が自ら動いて為すべき事はもうない。

 晴持は、自分の指揮が必要なくなったと思い、左右の臣にその場を任せて隆房を見舞う事にした。

 

 

 晴持が隆房のいる陣にやってきたとき、騒ぎがあった。

 隆房の家臣達が、団子になって口口に叫んでいるのだ。

「おとなしくしてください、戦は終わったのです!」

「せっかく血が止まったというのに、また傷が開きますぞ!」

「うるさーい! 城取りに失敗したからには、尼子勢を一人でも多く討たないと示しがつかないじゃないの!」

「若様からも今は身を休めよと、言われていたではありませんか!」

「もうしっかり休んだ! どいて!」

「いいえ退きませぬ。お嬢に何かあっては、若様にも御屋形様にも会わせる顔がありませぬ」

 案の定、隆房は尼子勢の追撃をしたいと駄駄を捏ねていた。彼女の性格ならば、そういう事もあり得る、むしろあって当たり前だとは思っていたが、ここまで予想通りだと苦笑するしかない。

「ずいぶんと元気になったみたいだな。安心したぞ、隆房」

 少し大きめの声で家臣団子に声をかける。

 一瞬、騒ぎは静まり、ぎょっとしたように家臣達はこちらを向いた。

「晴持様!? これは、とんだご無礼を!」

「わ、若!? なんでここに!?」

 晴持は平伏しようとする隆房の臣を手で制す。

「戦もずいぶんと落ち着いたからな。見舞いに来たんだ」

「見舞い!? そ、んな事してもらわなくても、あたし元気だし」

 隆房は自分を押さえる家臣の腕を振りほどいて両手を挙げる。自分はまだ戦えるという事を、晴持に伝えたいらしい。

「隆房。右手がちゃんと挙がってないぞ」

 だが、隆房の肩は本人の意思とは無関係にその運動を拒否していた。左手に比べて右手は角度が浅い。

「これは、包帯が邪魔だから……」

「つべこべ言うな。これ以上文句言ったら、命令無視でしょっ引くぞ」

「ええぇ……そんなぁ」

 絶望した、というような表情で、隆房は消沈する。晴持は隆房の首根っこを掴んで、陣中に連行した。

 隆房の傷は、本人が言うほど軽いものではなかった。というのは、彼女の家臣から聞きだした事だ。槍で刺されたのだ。しかも、そのまま前に出たものだから、肩にできた傷は大きなものになる。

「痕にならないといいがな」

 そうは言うが、話を聞いたところによれば、隆房の傷の大きさは相当のもので、塞がっても痕が残るのはほぼ確実だろう。外科手術できないものだから、怪我も布で押さえつけ、感染症を防ぐ薬を使うなどするしかない。

 晴持の呟きを耳にした拗ねた猫のようにふてくされていた隆房が身体を揺らす。

「どうした?」

「若は、さ。傷が付いてるの、嫌い?」

「何で、そんな事」

「だって、あまり見栄えがよくないし……」

「大内家のために傷ついてくれたんだ。感謝こそすれ嫌いになんてならないよ」

「ほんと?」

「ああ」

「そっか、よかった」

 一転して、隆房はふやけた笑みを浮かべた。

「これからも頼むぞ、隆房。お前がいないと、大内家は回らんからな」

 そう言って、晴持は隆房の肩を叩いた。この時、晴持は、間違って隆房の右肩を叩いてしまった。尼子久幸の槍を受けたというその場所である。服に隠れて見えないが、痛々しい傷を包帯で押さえつけているところである。

「ひぎゃいッ」

 びくん、と隆房は身体を跳ねさせた。それから、涙目になって唇を引き結ぶ。

「あ、しまった、すまない。隆房。大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫……」

 痛みに耐えるように俯く隆房を、晴持は慌てて支える。

 同時に、これだけ痛んでいるのに、戦場に出ようとしていたのかと呆れもした。

 その意地と根性には、感服して余りあるが、やはり身体を大切にしてもらわなければ今後に支障を来たす。隆房の武力は大内家中でも抜きん出ているのだ。つまらぬ戦でダメになって欲しくはない。

「本当に大丈夫なのか?」

「うん。平気、痛いのには慣れてるから」

 そう言って顔を上げた隆房は、頬を紅潮させているものの笑みを浮かべていた。

「それに、なんだか若に痛い事されてると思うと、こう、ぞくぞくきちゃった」

「隆房、お前疲れてるんだよ」 

 若干引きながら晴持は、隆房にすぐに寝るように指示した。

 不満げな隆房を言い包めて、晴持は陶の陣中を辞した。

 

 

 

 □

 

 

 

 尼子本陣の壊乱と、逃亡は青山城の炎上によって瞬く間に戦場に伝わった。

 本陣の危急を察して慌てて駆けつけてきた尼子家の部隊や別の地に陣取っていた部隊は、それをみて恐慌状態に陥り、我先にと出雲国へ逃げ去っていく。

 日没ゆえに、兵を退いていた毛利元就もこれには目を剥いた。

「よもや、落としてしまったのですか!?」

 いかに大内勢が優勢であったとしても、山城を陥落させるのは容易ではない。今回の戦いでも、尼子勢に打撃を与えはしても、致命的なところまでは踏み込めないだろうというのが元就の見立てであった。

 指揮していたのは大内晴持だという。

「やはり、彼の人は侮れませんね」

 毛利という国人が、大きく飛翔するために取るべき手段は、そう多くない。

 一つには婚姻や養子縁組で味方を増やしていくという手があるが、はてさて、どうしたものか。

「今後、大内家の安芸への影響力がますます強まりますね。いや、もうすでに属国と考えてもいいという状態ですか」

 安芸国の分郡守護である安芸武田家が滅び、その城を大内家が乗っ取ったのだ。彼らが次に取る行動は大体予想できる。

「元春。隆家、疲れているとは思いますが、もう一働きできますか?」

 元就は、元春と隆家に尋ねた。

 敵陣を切り崩し、必死の戦いから戻ったばかりで兵は休息を必要としている。傷ついた者も多い。

「あたしは大丈夫。夜戦?」

「夜戦というほどではありません。ただの落ち武者狩りですよ」

「尼子家を追撃するのですね。承知しました」

 頬に一文字の傷が走っている隆家が、しっかりと頷いた。疲労の色は隠せていないが、主にやれと言われればやるのが家臣である。

「あたしも問題なし! むしろ、暴れたりない感じだしね!」

 元春は、元気が有り余っているようで、馬上で身体を前後に揺らして万全である事を示そうとしている。

「では、大内家に負けないように、尼子家の追撃を頼みます」

「まっかせて!」

 胸を強く叩いて、元春は五〇〇の兵を率いて本隊から離れる。その元春を、隆家は守るように追いかける。窮鼠猫を噛むとも言う。元春が如何に優れた武将であっても、戦の直後で身体に疲労が溜まっているのは元就の目から見てもはっきりと分かる。本人がああは言ったが、実際はかなりきついはずだ。文字通り追い詰められた尼子兵を相手に油断して痛い目をみなければいいが。

「よろしかったのですか?」

 家臣に尋ねられて、元就は静かに頷いた。

「ええ、あの娘の隊が最も士気が高いんですもの。それに、ここで尼子家を追撃しなければ、毛利家は大内家に二度と面と向かって物を言えなくなります」

 もともと、毛利家の立場は低い。それなりに力を示しておかなければ、大内家に利用されるだけで擦り潰されてしまうだろう。

 今回の戦は、毛利家が大内家に援軍を頼んで軍を出してもらっている。その事実だけでも、世に毛利家が大内家の傘の下に就いたと知らしめる事になっているのだ。

 そこまでになった上で尼子家を蹴散らしたのが大内家だけだったという事になれば、毛利家はあくまでも大内家に従う国人の一つという位置付けから抜け出せなくなる。

 無理を押してでも、尼子家を追撃するのは、毛利家の存在感を強めておかなければならないという切迫した事情が絡んでいるのだ。

 元就は物憂げな表情で尼子家が逃れたと思われる石見路の方角を見る。

 濁った重い雲が西から膨らむように流れてきて、群青色の空を塗り潰してく。

「冷えてきましたな」

「ええ、早く城に戻りましょう。まだ、戦が完全に終わったわけではありませんし」

 粉雪が舞う中で、毛利勢は守備兵と城に篭る領民達の歓声を浴びて凱旋した。

 

 

 翌日の午後、大内家の陣を元就は自ら訪れた。

 尼子家の残存勢力が完全に吉田から撤退したのを確認したので、これからは戦後処理に入らなくてはならない。

 踏み荒らされた田畑に関しては、早めの刈り入れを推奨したので問題にはならない。いくらかの減収にはなったが、たわわに実った米を敵に刈り取られるよりはましである。その一方で、焼き払われた城下の復旧や、失われた兵力の確認など、元就がする事は多岐に渡る。そして、その仕事の中には、大内家の中でどれだけ毛利家の立場を守っていけるかという外交も含まれる。

 攻め込んできた尼子勢を、毛利勢だけで撃退できれば、そのような事を心配する必要もなかった。だが、そのような事は到底不可能で、元就は大内家の力を借りる形で尼子勢を撃退した。

 この戦いで、安芸国内では毛利家の威信は高まった。安芸国内で二つに割れていた国人衆のうち、大内方に就いた国人達は今後外交でも圧倒的に有利になる。そして、その国人衆の頂点に毛利家は納まる事ができたのだ。

 ただし、それは毛利家に手を出せば、大内家が出てくる、という『虎の威を借る狐』でしかない。実状は、大内家の傘下に組み込まれたに等しい。大内家を頼るという事は、大内家の意向には逆らえなくなるという事である。

 おまけに、尼子勢の主要な部隊を蹴散らしたのは、大内勢だった。それは、毛利家の手勢だけでは、勝利は覚束なかったと知らしめる事になりかねない。

 元就には、今後とも大内家に二心なく協力すると表明しつつ、極力大内家の干渉を排除できるように落としどころを探る必要があった。

「この度は、遠く周防より当家のためにご助成戴きまして、真にありがとう存じます。この元就、晴持様の差配にいたく感激し、目から鱗が落ちるようでした。このご恩を胸に刻み、大内様に一朝事あらば、わたし達の手勢が楯となり剣となって駆けつけましょう」

 晴持は、元就の言を社交辞令か定型句のようなものと割り切って、それほど真に受けはしなかった。それを元就は表情と仕草から読み取る。

 煽てて付け上がるような将であれば、その武威だけを頼みにしていればいいのだが、そうではない場合は策を弄するのも面倒である。

「元就殿の冴え渡る采配こそ、天下に誇るべきものでしょう。私が尼子の大将であれば、あなたを相手にして恐れ戦いたであろう事は間違いありません。その毛利が、今後も大内と共に立ってくれるのであれば、これほど心強い事はありません」

 晴持は、そう言って元就の功を誉めた。しかも、自分を引き合いに出して元就を高めるような言い回しである。これには、元就も晴持の腹の内を掴みかねた。

 上手くすれば、そのまま毛利を完全に取り込めてしまえるこの場で、晴持は毛利の立場を確立するような事をする。

「ところで、元就殿。元就殿の御家来衆は、すでに戦勝祝いの宴などされましたか?」

 晴持の問いに、元就は否と答える。

「未だ伏せ兵の有無など定かならぬ時、皆気を引き締めて守りに当たっております」

「そうですか。さすがは毛利の強兵。ですが、敵勢もほとんどが出雲へ敗走した事が確認できておりますし、気を緩めてもよい頃合かと。そこで、尼子家を追い散らした事を祝して、宴など如何かと思いまして」

「はあ……」

 と、元就は晴持の申し出に要領を得ない声で相槌を打つ。

「双方、今後も手を取り合うとなれば、一度くらいは酒を酌み交わすのも一興ではありませんか?」

 晴持の誘いに、元就は微笑んだ。

 兵には疲れが溜まっているし、精神も緊張し続けている。尼子が去ったからとすぐに緊張感から解放されるわけではない。見えない尼子兵が今夜にでも襲ってくるかもしれないという疑心暗鬼は、長期間、篭城していた兵の間に漂うよくない空気だ。酒はそうした緊張を解き解すのにちょうどいい。

 それに、晴持は毛利家の内情を、そして元就は大内家の内情を探る事ができる。自分よりも立場が上の晴持からの誘いを断るわけにもいかないが、毛利家にも利がある誘いだ。

「それもいいかもしれませんね。時頃はいつにしましょうか?」

「今日の夜にでも」

「承知いたしました。では、皆にもそのように伝えます」

 そうして、大内家と毛利家を交えた酒盛りが始まるのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 酒盛りは大いに盛り上がっている。

 会場となったのは、郡山城の評定の間である。まさか、雪が降り積もる外で酒盛りというわけにも行かない。

 これまでにも、戦の最中に陣中で幾度か酒が振舞われた事があったが、それは士気を維持したり、身体を温めたりするのが目的で、娯楽性はほとんどなかった。あったとしても、敵がいつ攻めてくるか分からない状況で酔いつぶれるような飲み方をするわけにはいかず、晴持自身がそのように言い含めていた。だから、宴という軽い雰囲気の中で飲み交わすのは、数ヶ月ぶりの事である。

 晴持と元就は、両軍の大将という事で上座に座っている。両者は更に晴持が上に位置しているが、宴が始まってすぐに晴持は無礼講ゆえと言ってさっさと上座を後にしてしまっていた。酒瓶を片手にうろつき、目に付いた臣に酒を配って戻ってきた晴持に、元就が尋ねた。

「これほど、景気よく酒を振舞われて良かったのですか?」

「ええ、大丈夫です。冬季の戦には酒が必須と思い、雪が降る前に取り寄せていたのですが、少々多すぎまして。持って帰るにも荷物になりますから、ここで大いに飲み喰らった方がいいでしょう」

「なるほど、そういう事ですか」

 元就は頷いて、室内を見渡す。はじめは、互いに甘く見られたくはないと意地を張っていた諸将も、今はすっかり打ち解けたようである。

「よい雰囲気ですね」

 晴持がそのように言うと、元就は、

「はい。そのようで。それもこれも晴持様の援兵のおかげです」

「私は何もしていません。ただ、皆が優秀だっただけの事」

「ご謙遜を」

 元就は、隣に座ってちびちびと酒を舐めるようにしている晴持を観察する。大内家という誰がどう見ても強大で文化的な家に引き取られ、その身に流れる血は一条氏。家柄も血統も、そんじょそこらの武士とは天と地ほども離れている彼が、毛利家を一国人と卑下していないのは言葉を交わして感じた。実に、真面目な好青年だという印象である。 

 謙遜ができるというのも高評価だ。

 名家の者はそれだけ選民思想が強く、下の者には目も向けないという意識を持つ者も珍しくない昨今で、毛利家に不利にならない扱いをしてくれるのはありがたい事だった。

「ところで、晴持様」

「何か?」

「わたしに、何か仰りたい事があったのではありませんか?」

 晴持は、一瞬驚いたような顔をして、それから苦笑した。

「どうして、そのように思われましたか」

「なんとなくです。女の勘ですよ。外れていれば、酔っ払いの妄言と笑ってください」

「いえいえ、そんな。実は、元就殿は尼子家の内情をよくご存知ですので、これから先の事を考えるに当たって、お話を伺いたいというように思っておりました」

「わたしに答えられるものであれば、何なりと。しかし、性急では?」

「……今回の戦。少々、勝ちすぎました」

 晴持は、顔を引き締めて周囲を見渡し、声を潜めた。

 元就も、その意図するところを察して視線を走らせる。宴の空気を壊してしまえば、一挙に友好の空気が崩れてしまうかもしれないからである。

「強引に尼子を攻めよと言い出す輩が現れるかもしれないと」

「はい」

「確かに。それはあると思います。勝ち馬に乗ろうという者も多い。安芸国内で大内様に従わぬのは、もはや桜尾城のみ。ここを攻略すれば、安芸はすべて大内様に靡きましょう。それだけを見れば、大内様に勢いありと判断できると思います」

 今回の戦の結果、安芸国は大内家の勢力圏に完全に落ちた。尼子家と大内家を天秤に掛けていた小勢力も、大内家に心を寄せる事だろう。

 問題となるのは、その先である。

「勢いがあるからと言って、そのまま尼子家に挑みかかってよいものか……」

「武断的な人物ほど、その場の勢いで敵を倒せと訴えるものです。ちなみに、何故、そのようにお悩みになるのですか?」

「それは、尼子家ほどの大家がこの敗戦だけで戦う力を失うとは思えませんから」

 尼子家は大内家に匹敵する巨大な勢力だ。今回は、三〇〇〇〇の兵を繰り出しておきながら戦果を上げる事ができず、真冬の山道を逃げ帰る羽目になったが、それでも尼子家という家の力は油断ならぬものだ。

 敗戦が影響してずるずると滅亡の道を歩んだ例としては織田信長に負けた武田勝頼が挙げられるが、それも、武田家の戦力を回復する前に重臣達の裏切りがあったし、その土壌が元々あったからこそあっけなく潰れる事になった。要するに、あれは内部分裂で滅んだのである。

 尼子家はどうかというと、大内家は尼子家の内情に詳しくない。地理にも疎く、彼らの本拠である月山冨田城を攻略できるか否かの判断も覚束ない。敵の情報があまりにも少ない中で、どうして尼子攻めができるだろうか。

「尼子家は、おそらく出雲や備後に予備の兵力を持っていると思います」

 それが、元就が出した結論であった。

「三〇〇〇〇人の兵も全滅するわけではありません。確かに、これで尼子方の国人達の中から離反者は出るでしょうが、それは尼子も分かっているはずです」

「となれば、逆に今回の敗戦から家中を引き締めに掛かるかも知れないわけですね」

「はい。敗北を知り、成長する余地を十分に残してるのもまた事実。尼子が進んで大内様に手を出す事はないかと思いますが、東進は続けるでしょう」

「そうですか。それではその内、尼子家の中で動きがあるかもしれない、ですね」

「はい」

 元就は頷き、杯を傾ける。それから、晴持の杯に酒を注いだ。

「尼子家の内部分裂は、起こりえますか?」

「分かりません。ですが、塩冶殿の時のような大乱にはおそらく繋がらないかと」

 元就が言うのは、かつて塩冶興久が起こした反乱である。興久は、尼子経久の息子で、塩冶氏の養子となった人物だ。様々な権力争いや不満を背景に激発した興久の反乱は、出雲国を二分する大乱となった。その時は、大内家と尼子家は比較的親密だったために、興久は支援が得られず、最期は備後国で自害した。

 その乱以来、尼子家は主家の力を強める中央集権的な方向に舵を切った。よって、今叛旗を翻しても、その勢いは興久の時ほど大きくはならないというのが、元就の見方であった。

「尼子の中には、新宮党という派閥ができ始めているようです」

「新宮党……」

「尼子久幸殿を筆頭とする武断的な集団です。此度の戦で久幸殿は討ち死にしましたから、次代はおそらく国久殿となると思います」

 新宮党は、居館を月山富田城の北麓にある新宮谷に構えている事にちなんだ呼び名だ。尼子家の戦を支える戦闘集団として、非常に強い影響力を持っている。

「国久殿は、武勇を誇り、誇りの強さが故に増長していると専らの噂です。直接お会いしたのは、ずいぶんと前になりますが、そのような傾向のある方だとは思っておりました」

「なるほど。それなら、新宮党の動きは、注視する必要がありますね」

「はい」

 新宮党が、今後どのように動くかで尼子家の内情は大きく変わる。もしも、増長しているという国久を討伐する事になれば、それは尼子家が膿を出したという事になる。内乱になれば付け入る隙もあるだろうが、そうでなければ、尼子本家の権力を強化する流れになるだろう。新宮党がそのままであれば、後々も合戦に出て手柄を立てる事になるが、その都度彼らの増長が増していくばかりとなる。

 尼子家が抱える不安の芽となるか。

「わたしの個人的な意見を申し上げれば、月山冨田城を攻撃するのは時期尚早かと」

「ふむ……やはり、情報もなく尼子の現状が不明なうちは迂闊に手を出すべきではないですか」

「はい。それに、心を寄せてくる国人のうち、どれだけが真に信頼できるのか分かりませんから」

 戦場で裏切られれば、その時点で大内勢の優位性はひっくり返る。

 関ヶ原の戦いが小早川秀秋の裏切りによって決したように、強壮な軍も内側からの攻撃には弱い。

「気をつけなければなりませんね」

 晴持は、神妙な様子で元就の意見を聞いた。

 今後どういう方向に行く事になろうとも、尼子家に手を出す際には足元を固めながら漸進していくのがいいのだろう。

 

 

 

 元就は、隆元の下にそっと歩み寄った。

「隆元」

「お母さん、どうしたの?」

 自分の隣に跪く元就に、隆元は首を傾げる。

「あなた、頑張って晴持様と男女の仲になりなさい」

 耳元で囁かれた事に、隆元は反応はかなり遅れた。脳がそれを理解した時、沸騰したように顔を紅くした。

「なぁ、な、な、な……」

「毛利家の安泰のためよ。いろいろと考えたのだけれど、大内家中で毛利の発言力を高める手っ取り早い手がそれなの」

「だからって、いとも簡単に言わないでよ」

「大丈夫、別に嫁げと言っているわけじゃないの。一夜の過ちでいいから、胤を持って帰ってきてね」

「娘の将来をなんだと思ってるの!?」

 隆元の反論を元就は笑みとともに受け流した。無礼講の中での冗談だろう、と隆元は思いたかったが、この母が言う事もまた理解できる。それが自分に関わるものでなければ、特に反論もしなかっただろう。

 結局、言うだけ言って去っていく元就の背中を恨めしそうに眺める事しか、隆元にはできなかった。

 


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