大内家の野望 作:一ノ一
燦燦と降り注ぐ太陽に炙られて、肌がチリチリと痛む。
しばらく続いた悪天候の影響か、瀬戸内の波は比較的高く、船は上下に揺れて大変乗り心地が悪い。
小早川水軍と河野水軍を中心にした瀬戸内方面軍の先陣は敵の妨害を考慮して海から安那郡へ侵攻することを選択した。
先発隊三〇〇〇名の小早川軍が深津郡に上陸し、梶島山城へ入った。深津郡はさほど大きな郡ではなく、このすぐ北方に尼子瀬戸内方面軍が在陣する安那郡がある。つまりは目と鼻の先である。
隆景は弘中隆包が率いる大内軍本隊が上陸する前に梶島山城へ入り、足場を固め、情報を集める役割があった。
河野水軍がいつでも動ける状態であったのが功を奏したが、それでも神辺城からの救援要請から半月は経っている。今、こうしている間にも城内の兵糧は枯渇し士気は破滅的な様相を呈しているだろう。
厳しい篭城戦でどれだけ戦えるかは、ひとえに城主の人格と能力に左右される。備蓄が厳しくなって、内乱が起きるか、それとも城兵と共に最期まで戦えるかは装備や経歴、官位の有無よりも心の繋がりが重要だ。さらに、城主の大内家への忠誠心も試される。
それらを考えていくと、余り時間的猶予はない。
山名理興は残念ながら忠誠心に厚い武将ではない。これは、何も特別なことではなく大内家の譜代武将でもなければ、武威に屈したわけでもなく、大内家の支配地域の国人でもない。ただ、大内家のほうが尼子家よりも勢いがあるから好を通じただけの外様の外様である。だからこそ、命を賭けて大内家に尽くす必要がない。このまま戦況が好転しなければ、容易に尼子方に転がるであろう。隆景が僅か三〇〇〇名であっても、先発隊として備後国に乗り込んだのは援軍到来の報せを目に見える形で神辺城に届けるためでもあった。
入城した隆景は、すぐに家臣達に現状の把握を命じた。先に送り込んでいた忍行に通じた者達と連絡を取るだけでなく、地元民からの情報提供を募る。さらに地形や土着の権力者達の情報もより詳しく収集した。
一通りの指示を終えて、隆景は温めの白湯で喉を潤し、汗を拭った。今日は酷く蒸し暑い。水分を適宜補給しなければ、戦う前に倒れてしまう。
「隆景様、備後の絵図をお持ちしました」
「ありがとうございます。では、さっそく」
「はい」
丸めた絵図を持ってきたのは、毛利家家臣渡辺
通は伝説に名高い武士を祖としているが、戦乱の世の常か苦しい少年時代を送ってきた苦労人だ。通の父が毛利元就の弟相合元綱を擁立して元就に叛旗を翻した咎で命を落とすと、備後国の山内直通の下に逃亡し、元服の後に元就に許されて帰参したという経緯がある。
名前の「通」は、恩人である直通から取ったものであり、此度の戦ではその山内家も尼子家の脅威に曝され、すでに城を奪われている。
毛利家中にあっても、通の士気は俄然高い。
備後国内から尼子軍を放逐し、山内家に報恩しなければならないからである。
「まるで瓢箪ですね」
「はい。本当に」
隆景は絵図を見て素直な感想を呟いた。
隆景が瓢箪と言ったのは、神辺城付近の地形である。
海に面した平野部を東西からせり出した山裾が窄めている。隆景がいる梶島山城は山裾の南側で神辺城は北側にある。さらに神辺城は東側の山に築かれた山城だが、そこにたどり着くには東側の山裾を迂回するか、いくつか連なる小山を越えて行くかだろう。そして、そこには尼子家の目が当然ながら光っている。
よって、神辺城を救援するためには、この邪魔者を潰すことから始めるというのが正攻法であった。
「地元の者によれば、尼子軍はこの宇治山城に兵を入れている模様です。これで海から来る我々を妨げるつもりかと。物見を出したところ、相当数守備兵を入れているのが確認できました。具体的な数はまだですが……」
通が指差すのは東側の山裾に築かれた山城だ。決して大きくはなく、城というよりは砦だが、隆起した地形を活かした攻めにくい構造である。神辺城を取り囲む砦の一つであり、海に対する備えの第一というわけだ。
「構いません。城にいくら立て篭もったのか、具体的に算出するのは困難ですから」
構造上、それほど多くの兵を押し込められるわけではない。しかし、それでも地形をうまく使い、後方の本隊と連携すれば少数でも十分に大軍の足を止められるだろう。
「大内本隊を待って、一息に取り囲んでしまうのが一番ですか」
小さな城だが地形を味方につけて防御力が跳ね上がっている。攻め落とすには相応の人数が必要だ。
落城させることができれば御の字。上手く行けば宇治山城を救援に尼子軍が動くかもしれない。そうなれば、いつかと同じように尼子軍と正面から戦うことになるだろう。
神辺城は政治的・地理的に非常に重要な城である。
神辺平野を一望する絶好の位置に建ち、穀倉地帯一帯を監督することができ、さらに京から山口を経て下関に至る街道を監視する役目も併せ持つのだ。まさしく、備後国の要というべき城だ。尼子家が大内家に打撃を与えようとするのなら、確かに真っ先に目を付けてもおかしくはない城であった。
この戦で重要なのは、神辺城を尼子家に渡さないことであり、そのためには尼子家の包囲を解くことと神辺城に兵糧を運び込むことの二つを平行して行う必要がある。
もちろん、尼子家を早々に撤退させれば兵糧の心配はないが、残念ながらそう上手く事は運ばない。
神辺城の東側にあり、尼子軍の死角になっている春日村を経由するという手も考えたが、尼子軍が考慮していないとは思えない。運よく山間を抜けて神辺城下に出ても、包囲している尼子軍との戦いは避けられない。荷物になる兵糧を死守しながら、襲い来る尼子軍と狭い土地で戦えば波に飲まれる砂上の楼閣の如く無為に散らされることとなる。
確実に犠牲が少ない方法を選ぶのであれば、やはり宇治山城を奪い、神辺城への道を切り開くほかにない。
「ともあれ、今日中に蔵王山城の城兵を増員します。その上で、宇治山城に攻めかかる準備を進めるとします」
隆景が指で絵図の一点を指差す。そこは、現状大内軍が兵を進めることのできる限界――――即ち最前線で尼子軍と睨み合う蔵王山城が描かれていた。
現在地からはおよそ一里ほど離れている山城で、宇治山城と神辺城を一目で見ることのできる位置にある。
城を守るのは大内派の安芸国人平賀隆宗であり、平賀一族が蔵王山城へ寄せる尼子軍を今日まで退けてきたのである。
もしも、蔵王山城が尼子軍の手に落ちていたのなら、神辺城の救援はさらに困難な任務となっていたのは間違いない。
■
神辺城と瀬戸内との通行を封鎖する位置に建つ宇治山城は、五段の曲輪で構成されている。山頂の本丸、本丸を囲む二段目、西南に位置する三段目の腰曲輪、四段目が西側から西南に伸びる帯曲輪となり、最下層の五段目が宇治山城最大の曲輪として防御力を支えている。
それでも宇治山城は東西に二〇メートルもない極めて小規模な山城である。地形を活かして防戦しても、背後の天王山に陣を敷く尼子軍本隊の力なくして長く城を守れるものではない。
よって、宇治山城の城兵は死を賭して戦うだけの気骨のある者を選択して入れる必要があった。
それが功を奏したのか、これまでのところ蔵王山城から出てくる大内方の平賀勢との小競り合いでは、負傷者こそ出したものの勝敗を決するほどにはなっておらず、互いに攻め手に欠く状態を維持して来れた。
備後国の趨勢は、神辺城が落ちるか否かにかかっている。神辺城を落としたい尼子軍と神辺城を救援したい大内軍。尼子軍が神辺城に圧力をかけている今、大内軍の援軍の足止めを任される宇治山城の城兵の働きは、この戦の勝敗を別つものでもあった。
そんな宇治山城に弘中隆包や小早川隆景の軍勢が瀬戸内から上陸したとの情報が入ったときには、城兵に閃電が走った。
城主を務める
米原家は、尼子家の中でも名家の一族だ。米原家の祖は近江六角氏の一族である六角治綱で、叔父である定頼の養子になり、
綱寛は、そんな米原家の次代を担う智勇兼備の若武者であった。
綱寛は槍を手に、鎧を着こんで宇治山城に篭る城兵五〇〇と死力を尽くして戦うことを確約して回った。敵勢は一〇〇〇〇を優に超える可能性も否定できない。それほどの大軍を相手に戦うには、城の守りだけでなく士気も高く維持しなければならない。
「我等の背後には牛尾様ら一〇〇〇〇の軍勢がおる。敵は小城と侮って数を恃みに攻めかかってくるやもしれぬが、恐れることは何もない。ただ門を守り、敵を城内に入れないことのみに専念せよ」
と、努めて冷静に語って聞かせた。
若くとも武勇で名を知られた綱寛がそのように落ち着いていたので、城兵一同はいたく感心し、迫る大内軍との戦いに対して悲観的なことを言う者は一人もいなかった。
綱寛の戦略は至極真っ当なもので、ただ只管篭城を続けることである。綱寛の役目はあくまでも時間稼ぎだ。神辺城が落ちるまで瀬戸内から攻め上ってくる大内軍の足止めに徹することが味方の勝利に繋がるのだ。
決して打って出ることはない。まして、相手が毛利の息女となればどのような手を打ってくるか分からない。亀のように閉じ篭って、後方の尼子軍と連携して戦線を維持するのが最善の策であった。
それから七日が過ぎた。
七日の間に大内軍が蔵王山麓に着陣し、小早川軍、河野軍と共に固い陣を敷いていた。大軍である。まともに戦っては押し潰されるほかないが、二度に渡って綱寛は降服勧告の使者を追い返していた。
後ろに遠征軍の本隊が控えている以上、降服する理由などどこにもないからである。
その日は朝から土砂降りだった。叩き付けるような猛烈な雨と突風、そして雷が怒号を放ち、視界は無数の雨粒によってずたずたに引き裂かれる。そんな悪天候であった。
「梅ヶ唐花の旗、俄に動きましてございます!」
全身から水の礫を滴らせ、家臣の一人が飛び込んできた。
「真か!?」
「はっ。平賀勢、蔵王山を出でて大内軍と合流した模様」
「相分かった」
報告を受けた綱寛はすぐさま軍配を握ると、
「落ち着いて門を固めよ。生憎の天気だが、幸いにして大内得意の鉄砲は使えぬ。恐れる必要はない。牛尾様に早馬を出せ。大内に動きありと仔細漏らさず伝えるのだ」
矢継ぎ早に指示を飛ばす。
篭城戦に於いて、大将がやるべきことは限られる。城の外にいる後詰との連絡を恙無く行うことと、城内の士気を保つことくらいであろう。
そして、静まった陣屋内で雨音と雷鳴に耳を済ませる。唾を飲む音すらも恐ろしいほどよく聞こえた。
やがて、とりわけ大きな雷鳴が大気を震わせた直後、地鳴りを思わせる喊声と足音が近付いてきた。
■
初戦から五日が経過した。
宇治山城は、未だ健在。これまでに三度攻撃を行い、尽くが跳ね返されてきた。剛勇でならした河野軍の村上通康も、見事な堅城と膝を打った。
「敵を誉めている場合ですか」
と、隆景は一回り以上も年上の猛将を言葉で刺す。
「誉めるところのない敵を倒したって武門の誇りにはなりゃせんだろうよ」
悪びれず通康は言う。
小早川隆景、村上通康、弘中隆兼、平賀隆宗が一同に集っていた。
「通康さんの仰ることも一理ありますが、しかし、この宇治山を抜かぬことには神辺城の救援はなりませんぞ……」
ごほごほと痰が絡んだような咳をしながら老将隆宗は言った。
「そのとおりですー。わたし達の勝利条件は、神辺城の救援ですので、宇治山城にいつまでもかかずらっているわけには、参りませんねー」
何とも気の抜けた話し方をする少女だと、通康は思った。決して口には出さないが、どうにもこの弘中隆兼は苦手だ。
しかし武辺者にはまったく見えないものの、戦巧者なのは過去の戦歴からも明白だ。あまり目立たないが、要所要所をしっかりと押さえる無難な性格は安定した領国経営にも見て取れる。安芸守護代を任されるだけのことはあるということだ。
それであれば、通康自身の好悪など然したる問題にはならない。個人の感情を理由に内部崩壊させては河野家に迷惑がかかるというものだ。
「小城ながら厄介なのは、この五日で十分分かった。ああも亀みたいに篭られちゃ、小手先の技は通じん。手っ取り早く、数に物を言わせて押し潰してしまうのがいいが……」
「それを許す尼子ではないでしょうね。すでに後詰に三〇〇〇ばかりの敵勢が山向こうに陣を敷いています。下手に軍を動かせば、城とこの後詰の部隊に挟まれてしまうでしょう」
加えて、入り組んだ地形が大軍の展開を許さない。
敵の後詰に注意を払わずに済むのならば、存在を無視して軍を進め、一気呵成に攻め立てて陥落させることは不可能ではない。今の戦力ならば一昼夜のうちに勝敗を決することができるだろう。
だが、そう上手くことは運ばないのが戦場の常だ。後詰でやってきた尼子軍三〇〇〇と小早川軍はすでに一度激突しているのだが、これが士気旺盛で付け入る隙がなく、折を見て兵を引かざるを得なかった。
とりわけ厄介だったのが老将平野久利とその子久基が指揮する三〇〇人の部隊であった。勇猛果敢かつ強力な平野軍は小早川軍に槍先を付け、大いに奮戦して帰っていった。
大きな合戦に出た経験の少ない隆景にとっては、よい刺激を受ける機会だったとも言えなくもないが、小競り合いで大勢に影響はないとはいえ、敵の好きにさせてしまったのは大変悔しさの残るものであった。
「ところで、平賀の爺さんは大丈夫か?」
「某も若くはありませぬからな。長陣の疲れが出たのでしょう。身体は動きますのでご心配には及びませぬ」
老体を酷使しての篭城だったのだ。隆景が着陣するまでの間、自らの手勢のみを恃みに戦を続けてきた心労が祟ったのであろう。隆宗はここのところ、体調を崩し気味であった。
本人は気丈に振る舞っているが、顔色も悪く本来は養生に努めるべきではあるのだろう。だが、歴戦の猛者である彼は戦場を体調不良で離れることを嫌っている。休めといって休む人ではなく、そして彼の存在もまたこの戦場では不可欠の要素であった。
「えー平賀殿には、これからも武勲を立てていただかなければなりませんので、山口より医師をお呼びしますねー」
「それに及びませぬ。某の身体のことは某に一任していただきとうございます」
「それはダメですよー。平賀殿がよくても周りが心配しますのでー」
隆兼は笑顔を浮かべるが、そこには言葉にならない圧があった。決して臆したわけではないが、事実上の司令官である隆兼の言葉に頷かないわけにもいかない。それに、周囲に心配をかけて戦に集中できないというのも問題だ。
「みなさん、休めるときにはきちんと休んでくださいねー。この戦は、決して備後の中で終わるものではありませんからー」
隆景は、隆兼の言葉に無言で頷いた。
尼子軍が二手に分かれて大内領内に侵攻した。これは、山陰山陽地方を揺るがす大きな事件である。かつて、尼子家は毛利家を打倒し安芸国に勢力を広げようと大軍を催し、そして大敗を喫した。
その際、播磨国や美作国、備前国からも兵を集ったため、その方面の圧力が弱まり、敗北と共に国人衆が独立の動きを見せたことがあった。無論、大内家もこの動きを影ながら支援した。播磨国の赤松家、美作国の三浦家、備中国の三村家などが反尼子を表明していた。この内、大内家と尼子家が不可侵条約を結んでいる間に赤松家や三浦家は東進する尼子家に飲まれて服属を強いられ、あるいは和して自らその膝下に入ったが三村家は未だに抗い続けている。ともあれ、長陣は敵味方問わず長期間に渡って軍が領地を離れることになるため、潜在的な敵対勢力が浮上しやすい。仮に、この戦いで尼子家を撤退に追いやったとしても、それで尼子家との戦が終わりになることはなく、各方面で上がるであろう反尼子の旗をどれだけ大内家に引き入れることができるのかという問題とも向き合わなければならない。
そして、それは大内家にも言えることである。
急速に領土を拡大した大内家にも潜在的脅威は存在する。尼子家に敗北すれば、そういった嫌々大内家に従っている者達の独立の気運を高めてしまう。
事はすでに備後一国に収まらないのだ。一度の敗戦が超大国そのものを空中分解させるということが、歴史上間々あるのだから。
龍造寺家のように当主が討ち取られるという最悪の結末を迎えた家だけが、滅びるというわけではない。主家の力が弱まった結果、内部の諸侯が独立を画策して崩れ去るという展開のほうが、むしろ多いのではないか。
尼子家との睨み合いは残念ながら、すぐには終わりそうもない。兵力はほぼ拮抗しているので、正面から戦を挑んではどのような結果になるか分からないうえ、こちらは城攻めまでしなければならない。尼子家のようにじわじわと時間をかけて神辺城を干上がらせるという手は選べないとなれば、多少の出血は覚悟する必要がある。
出来る限り血を流したくはない。しかし、血を流さなければ勝利条件は満たせない。難しい判断が隆景に迫られていた。
■
東方で尼子軍と大内軍が激突しているその時も、西方の情勢は刻一刻と変わり続けている。とりわけ、肥前国内の騒乱が今、最も大きい。大勢力に拡大した龍造寺家を真っ二つに割る内乱状態である。
後継者候補の双方が、それぞれに自らの正統性を主張している。これまで龍造寺家に従っていた国人衆もどちらに就くべきか思案して高みの見物をしている者や、家運を賭けて馳せ参じる者など様々であったが、全体を俯瞰してみると真っ先に兵を挙げた龍造寺信周が優勢との見かたが強い。
少しずつではあるが、信周側に就くことを表明する国人が増えてきている。こうなると、対抗馬の長信はどんどんと不利になっていく。
主家の敗北は御家の滅亡に繋がる。誰もが勝ち馬に乗りたがっているそんな時勢に、敗色濃厚な側に敢て味方をする必要はないのだ。
「やはり島津と結びましたか」
薄暗い部屋の中で、鍋島直茂は秀麗な顔を曇らせた。書状には予想通りの最悪の展開が記載されていて、信周が天草島原地方を手放すことを条件に島津家と同盟を結んだという。
その時、障子戸の向こうで影が動いた。
「直茂姉さん、今、いい?」
障子戸の向こうから康房が声をかけてきた。彼女は直茂の実の妹で、龍造寺家の分家筋に養子入りしたため龍造寺の姓を名乗っている。以前から長信の傍に仕え、公私にわたって補佐してきた姫武将である。
「そのままで。今、わたしと直接顔を合わせるのは避けたほうがいいでしょうから」
「…………でも、いえ。分かりました」
僅かな動揺が伝わってきた。
一月前から、信周は直茂を排除するべく悪評を振り撒き始めたのだ。隆信という偉大な当主を戦死させた軍師、龍造寺家の義理の娘となり当主の座を狙っているなどという離間の計を執ったのだ。
長信は何を馬鹿なと一蹴したが、家中には彼女を快く思わない者も少なくなかった。龍造寺家乗っ取りは眉唾にしても、筑前国での戦については直茂と隆信の間に生じた溝が敗因ではないかと見る向きもあり、直茂は自室に謹慎することになってしまったのである。敬愛する当主が戦で果てた。なぜそうなったのか、誰も明確な説明ができず、これだけの苦境に陥った。誰かに責任を取らせなければ腹の虫が治まらない。そういった悪い空気が蔓延していたところに打ち込まれた離間の計は、家臣の取りまとめに苦慮する長信にとって痛撃となったのだ。
しかし、完全に切り離すこともできない。直茂の能力を失うのは、あまりにも厳しい。出仕を禁じた上で、こうして連絡を取ることは認めていた。
「それで、要件は?」
「あ、はい。えと、本日信房姉さんから書状が届きました。藤津の将兵揃ってわたし達に味方してくれるみたいです。ですが、信俊兄さんは」
「彼は、信周殿との縁がありますからね。心苦しいですが」
姉が味方についてくれたことは心強い。信房は藤津郡の家臣達を取り纏める存在だ。それが味方になるだけでも、大きな戦力増強が見込める上、藤津郡の地理的に島津家と信周軍を分断することも可能となる。
一方で、弟の小河信俊は敵に味方をしてしまった。こればかりは仕方のないことだ。生き残った方が鍋島の血を残すと考えれば悪くはない。
「康房、もう知っているかと思いますが、島津家は信周殿に味方をします。そうなれば、戦力差は絶望的です」
「分かっています。もちろん、龍造寺の当主に相応しいのは長信様ですが、もし武運尽き果てたとしたら、わたしも黄泉までご一緒する覚悟」
康房の言葉に悲壮感はない。日頃思っていることを当たり前のように口にしただけだ。
「では、もう一つ。四天王のお二人は、どうしていますか?」
「成松殿は、静観のご様子です。どちらに就くとも明言しておりません。相手方からも誘いの使者が度々向かっているようではありますが」
「彼らしいですね。是非味方になってほしいところですが、難しいでしょう」
「え、では……」
「あちらに就くということもないでしょう。あの方にとっての主君は隆信様だけですから。しかし、一応、書状は出しておきなさい。様子を窺う意味はあるでしょう」
「はい、分かりました。えーと、後は木下殿なんですが、さっき長信様のところに……あ」
康房の言葉が切れるのと、どかどかと床板を踏み鳴らす音が聞こえてきたのは同時であった。
「お、妹の方か。ちょうどよかった。軍師殿はいるな」
「あ、ちょ、ちょっとぉ」
康房の静止を待たずに障子戸が開け放たれた。スパンと、あまりの勢いに軽妙な音が響いた。
部屋の中に入ってきたのは、ちょうど今話をしていた木下昌直であった。
「木下殿、お久しぶりです」
「お久しぶり、じゃねーよ。軍師殿、ずいぶんとまあ湿気たとこに座ってるな」
ずんずんと歩み寄り、手近なところにある円座を引っ手繰って直茂の前にあぐらをかいて座った。
「ここに来られたということは、お味方くださるということでよろしいのですか?」
「まあな」
「そうですか。いえ、少し驚きました。あなたは、てっきりあちらに就くものと思っていました」
「ん? なんでだ?」
「わたしに好感を持ってはいないですよね」
虚を突かれたというように、昌直はぽかんとした顔をした。
それから、
「まあな」
と、笑みを浮かべた。
「隠してもしょうがねえから白状するけど、軍師殿は苦手だと思ってる。オレは軍師殿の頭にはついていけねーからな。だけど、その、なんだ、嫌いってわけじゃないぞ」
「そうなのですか?」
「……まあ、軍師殿が隆信様の役に立っていたのは事実だし、そりゃ、あのときはオレも気が立ってて突っかかったけど、あんたに二心がなかったのは分かってるからな」
あのときというのは、隆信の討ち死に際し、撤退を表明したときのことを言っているのだ。直茂も昌直も、それどころか隆信の死を知ったすべての将兵が動揺し、冷静さを欠いていた。過去最大級の衝撃であったのは間違いない。
「あれだ、ほら、何て言うかな。苦手ではあっても嫌いじゃないっていうか……あー、まあ、細かいことはいいんだよ! なんだこれ、恥ずかしいな!」
顔を赤らめて昌直は髪をガリガリと掻き乱した。その様子を見て、直茂はついつい笑ってしまった。
「笑うなよ。分かってるよ、オレらしくないこと言ってんのはさ」
「いえ。はい、本当に助かります。あなたの存在は、わたし達にとって大きな支えとなります」
「止めてくれよ、ますます恥ずかしい。オレはただマシなほうに仕えるってだけなんだ。馬鹿だからな。細かいことは考えんのはダメなんだよ」
「こちらのほうがマシですか?」
状況から考えれば、圧倒的に長信派が不利である。どちらがマシかと言われれば、十中八九信周派ではないか。
だが、昌直は直茂の問いに大いに頷いてみせる。
「ああ、断然マシだね。だまし討ちも不意打ちも夜襲も兵法なんだから否定はしない。けどな、慶誾尼様は御屋形様の母君だ。それを……武士でもない母君を害するなんてもっての他だ。あれは、龍造寺家の後継者には相応しくない。要するに、アイツは嫌いだ。気に食わんのだ」
昌直は直情傾向のある武将だ。危機的状況にあって、それが状況を打破するきっかけになることもある。今回は、果たしてどのような結果に結び付くかは不透明だが、気さくな性格の彼女は、将兵から人望がある。実力も兼ね備えているので、上手くすれば不利な状況を覆しうるかもしれない。そうでなくとも低迷する士気を盛り上げる役目は十二分に果たせるだろう。
「とりあえず、軍師殿の蟄居はすぐに取り消してもらう。どう考えても敵のためにしかならないからな」
昌直の行動によって、小さいながらも突破口は開けた。
戦力という面で見れば、まだまだ厳しい状況が続いているが何はともあれ味方を増やすことが重要事項である。正統性のアピールだけでは、足りない。どこの誰に、どのような切り口で話を持ちかけ味方に引き入れるのかという視点がなければ到底この状況をひっくり返すには至らない。
相手が気に入らないからこちらに就くという者もいれば、こちらの条件のほうがいいからこちらに就くという者もいるだろう。そして、相手方に勝たれると困るから、こちらを支援するという者も当然ながら存在する。
義と利の二点から、敵と味方を判別していく作業。これは、直茂の得意とするところであった。