大内家の野望   作:一ノ一

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その四十六

 龍造寺軍の威容に圧倒される。

 少し前までは一城の主だった彼も、今はただ戦功を挙げ領地を取り戻す事を宿願とする一人の将士でしかない。

 生唾を飲む。

 思えば、これほど大きな戦の最前線に立つなど初めてではないか。初陣から龍造寺家に攻められるまで、彼は小競り合いくらいしか経験していないのだから。地方の地方、主家筋と微妙な関係を続けているだけの一領主だった彼には、あまりも厳しく、大きな戦いだった。

 喉が渇く。

 雄叫びを上げて押し寄せてくる敵兵の数と圧に、やはり気持ちが萎えかける。

 元犬尾城主河崎鎮堯が任されたのは、左右に設けられた長屋の右側だった。率いるは犬尾城が健在だった頃から従ってくれている兵に加え、晴持から貸し与えられた兵の合計二百であった。

 数は心もとない。丘と左側の長屋にも兵を配し、最前線全体で千五百余名。その上で、こちらはあくまでも守りに徹する。

 川の対岸まで続き、盆地への入口を封鎖する長屋を建設するというあまりにも意外性のある戦術は、一先ずは形を見た。

 板一枚向こうが戦場だが、それでも守られているという安心感は大きい。戦いの経験が少ない彼と彼の兵も、これならば多少は落ち着いていられる。

 川の水が足元を流れている。

 突貫工事だったので、城はおろか彼がかつて暮らしていた屋敷にも劣る防御力。しかし、だからといって一方的に蹂躙されるとは思わなかった。

「構えぇーーーー!!」

 弓と鉄砲が木壁に作られた狭間から敵兵に向けられる。

「よいか、引きつけてから撃つのだ! まだ、待て!」

 噂に聞く鉄砲がどの程度の武器か、鎮堯はよく知らないし鉄砲で敵を狙うのは晴持の兵だ。鎮堯の兵は弓矢で敵を狙う。

 どちらも同じ射撃武器である、とだけ分かっていれば後は指示するだけでいい。

 晴持の鉄砲兵は、何をすべきかよく分かっている。鎮堯の指示にもよく従い、冷静に敵に銃口を向けたまま静かに引き金に指をかけている。

「ひきつけよ、ひきつけよ……」

 それは、自分に言い聞かせているかのようであった。

 鎮堯は、狭間から敵の姿を見る。

 龍造寺家の軍勢は川の流れに邪魔をされて、広く展開できない。地形を上手く使った防御陣は、敵の動きを制限するのにうまく働いている。

 丘に配された兵が、弓と鉄砲で龍造寺軍に攻撃を始めた。その向こうからも銃声が聞こえてくる。

「なるほど、これならば……」

 相手としては一気呵成に攻め寄せたいところだろうが、長屋に攻め込むには川の両端から攻めるしかない。長屋の中央からならば、敵の側面を一方的に叩けるという事なのだ。

 それが、兵達により大きな安心感を与えている。

「鎮堯様……」

「もう暫し待て」

 あと少し、あと少し。

 機を見失えば、こちらが不利になるのは変わらないのだ。

 鎮堯に任されたのは、この長屋で可能な限り敵を食い止める事だ。敵も焦れる。こちらも焦れる。その中でどこまで冷静に判断ができるのか。

 そのため、鎮堯は事前に「この線を敵が越えたら射撃許可を出す」という線を事前に定め、兵達にも伝えていた。

 よって、長屋の中も全体的に比較的冷静でいられたのだ。

 そして、その時が来る。

 丘からの矢玉を潜り、味方の遺体を踏み越えてやって来た敵兵が銃撃許可線を踏み越えた。

「鎮堯様」

「よし! ――――撃てェ!!」

 号令の下で、構えられた銃口が、鏃が一斉に龍造寺兵の襲い掛かる。

 銃声が響いた瞬間、線を踏み越えた敵勢がバタバタと倒れ伏せる。

「おお……」

 鎮堯は銃の威力と轟音に思わず感嘆の声を漏らす。

「あれほど屈強な龍造寺兵がこうもあっさりと」

 緊張ではない。勝機に触れた昂揚感に、鎮堯は再び生唾を飲んだ。

 しかし、鉄砲も完璧な武器ではない。

「撃った者は早急に次弾を装填せよ。射手交代、構え!」

 連射ができない鉄砲は、射手を交代して間断ない銃火を加えるしかない。加えて、弓兵に攻撃を続けさせ、敵の足を止めるのだ。

「鉄砲、撃て!」

 二度目の轟音。

 飛び出した弾丸が、敵の鎧を弾き火花を散らせ、鮮血を強いた。

 龍造寺軍もやられるばかりではない。矢玉が長屋に向けて放たれて、壁板を貫通して数人の兵が苦悶の声を上げる。中には脳天に銃弾が直撃して即死した者もいた。

「おのれ。身を低くせい! 極力、相手から自分が見えぬようにするのだ!」

 言っているそばから壁に穴が開く。銃撃の音が響く。長屋の内壁には、石を詰めた竹束が並べられていて、敵の銃撃をよく防いでいるが、その間隙を縫って銃弾が飛び込んでくる。相手にはこちらの様子はほとんど見えない。だが、狭間の位置からある程度射手の居場所は特定できるのだ。

 その当たりに撃ち込めばいい。

 鉄砲の命中精度は低い。狙って撃ってもまず当たらない。ならば、凡その位置に撃ち込む程度がちょうどいいのだ。

「怯むな、撃て! 弓、休まず矢を射放て! 敵を近づけるな!」

 壁板が弾ける。

 竹束を止めていた縄が千切れて、束がバラけた。構うな、撃ち続けろと指示が飛ぶ。銃火の中で、いつ終わるとも知れない戦いが延々と続くのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

「始まったか」

 鎧を着た晴持は陣の中で静かに座っていた。

 盆地の中央に五段に分けて柵を設け、堀を作り、徹底して要塞化を推し進めていた晴持は、そのできばえに多少の不満を残しながらも、少ない時間の中でよくやったと内心で作業に当たった者達を誉めた。

 鉄砲の音と敵味方の喊声が半里離れたここまで届いてくる。

「龍造寺は、挑発には乗ってきたか」

「乗るしかないのでしょうね。あちらは……」

 真剣な表情で、光秀が晴持の呟きを拾った。

「ですが、晴持様、これからは」

「ああ、こちらの思惑通りにはいかないだろうな」

 いつだって戦場は怖いのだ。

 可能な限り顔を出さないようにしているものの、それでも死ぬのは怖い。痛いのは怖い。そして、そんな場所に知人も知らない誰かも送り出さなければならない自分の立場が歯がゆい。

 だから、できるだけ早期に、最小の犠牲で戦を終わらせたい。主に晴持の精神衛生のためにだ。

 空を見上げると、雨はしばらく降りそうもないというほどの晴天だ。つい、昨日までは雨が降ったりやんだりを繰り返していたのに、この変わりようだった。

「やっぱり晴れ間を狙ってきたな」

「雨が降ればあちらの鉄砲も使えなくなりますからね。野戦ならばともかく、長屋を抜くには矢よりも鉄砲が有効ですし」

 矢よりも鉄砲のほうが貫通力がある。歴史に於いて山城から平城に日本の城郭構成が変わってきたのも、鉄砲が広まったからだという。鉄砲の威力は、山城のような小さな櫓の寄せ集めをあっさりと貫く事ができるのだ。

 それを思えば、今回用意した長屋は鉄砲の餌食となろう。

 それでも、川岸からしか攻め寄せることができない龍造寺軍と川の上にも陣が敷けるため側面をつけるこちらでは、まだこちらのほうが優位ではある。少数でも、時間を稼ぐことは不可能ではない。問題は、長屋と中央の丘のどれか一つが崩れたときにすべてが瓦解するということだ。一気呵成に敵は黒木郷になだれ込んでくることだろう。そうなれば、長屋も放棄するしかない。

「龍造寺がどれだけ入口で足を止めるかで、戦が長引くかどうかが決まるな」

 長屋も丘も敵の足止めにはなっても撃退はできない。それは晴持も割り切っている。何にしても、あそこは死地なのだ。何かあれば全力で撤退するように伝えてはいる。盆地の入口を封鎖するだけの長屋だ。

「はあ……」

「何か?」

 晴持のため息に、光秀が心配そうな顔をする。

「いや……なんでもない」

 光秀に、いいや、この戦場で口にすることではない。

 兵を死地に送り出すのが堪えるなどという弱音は士気に関わる。何を今更と呆れられても文句は言えない。

 あの最前線で戦っている将兵のどれくらいが、戦の後に生き残っているだろうか。最後尾にいる晴持ですら、死んでいるかもしれない戦場にあって、その最も過酷な場所で戦っているのだ。

 まず生き残るまい。

 死ぬと分かって送り出している。

 だからこそ、最も龍造寺家に対して恨みを持つ河崎一門をあの長屋に配置したのだ。

 龍造寺家と真っ先に斬り合いたいという気概を持つ一族。犬尾城を失い、領地を奪われた彼等には龍造寺家と戦う理由がある。戦わなければ武士の面目が立たぬと、自ら死地に出向いたのだ。――――これは晴持が主導した策である。ならば、晴持が死地に出向くように仕向けたも同然であろう。

 彼等とて死にたいわけではない。死ぬ覚悟など問うのは無粋だ。殺す覚悟を問うのも無意味。ここはそういう場所なのだ。生きるために死地に赴き、生きるために敵を殺すのだ。自分のためではない。自分の家族が、自分の家臣が、自分の魂が生き続けるために戦場に出る。それしかないのが小領主に生まれた者の宿命だ。自分の命は、そのために使い潰す。戦わなければ、自分だけでなく家族も家臣も路頭に迷い、命も尊厳も失うことになりかねない。それが河崎鎮堯が戦地に出る理由なのだ。

 だから晴持は、大内という大きな看板を背負う者として鎮堯の意思を守らなければならない。この戦に勝利して、犬尾の城を鎮堯の一族に継がせる。願わくば、それが鎮堯であってほしいものだ。

 軍配を握り締め、晴持は今も命を賭して戦っている者達を思う。

 彼等の思いを無駄にしないというのは、どこまでも晴持のエゴでしかないのだろう。

 戦は開戦までにどれだけ準備を進められるかで勝敗が決まると思っている。その準備のために、彼等には命を賭けてもらう。

 あくまでも準備段階。

 今はまだ、大内の戦は始まってもいないのだ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 百武賢兼は父親の代から龍造寺家に仕える比較的新参者の家の出身である。

 氏は源氏で関東から肥前に移り住んだ戸田の一門であったという。賢兼自身もかつては戸田を姓としていたが、主君隆信より「百人並の武勇」を持つと賞賛され、百武の姓を下賜された。

「百人並の武勇も、鉄砲が相手ではどうにもならぬか」

 やれやれと賢兼は嘆息する。

 任されたのは丘の左右に展開する長屋の攻略。

 突貫工事で作ったと見える長屋の防御力は低く、紙のようと表現して差し障りのないものだが、あの下を流れる川が厄介だ。

 川のおかげで、賢兼の軍は川岸に縦列を作って行くしかない。そうすると丘の上から長屋の中から総攻撃を受けてしまって中々前に進めないのだ。

 薄皮一枚でも天然の地形を利用すれば、厄介な城塞へと早変わり。賢兼側からも鉄砲を撃ちかけているが、敵兵の姿がよく見えないので当たっているのかどうかも定かではない。

 こうなっては味方の士気も徐々に下がってきてしまう。自分達が一方的に撃ち抜かれているだけに思えてしまうからだ。

 後方で指揮を取る賢兼ならばまだしも、前線で直接相手と戦う兵にとっては堪ったものではないだろう。

 威勢のいい兵から先に撃たれて地に伏せる。負傷兵は突撃を命じるごとに増えていく。

「ふぅむ、なるほど確かにこれは城攻めだ」

 せめて広く部隊を展開させることができれば、鉄砲の弾幕も薄くなって壁に取り付くことができるのだが。

 三度目の突撃を銃撃と弓矢で跳ね返されて、賢兼は攻め手を変える頃合かと思い始めた。

 戦いが始まって一刻と少し。

 このままじりじりと戦っていても、あの長屋を打ち壊すことはできるだろう。

 主君から百人力と評された武勇だけが賢兼の長所ではない。戦況を分析し、冷静に対処する将帥の才もまた彼の長所である。

 文武に秀でた猛将としての顔こそが、戦場における賢兼の本質。

「そろそろ隆信様が焦れてくる頃合か」

 これが本当の城攻めであれば、一年、二年と年単位で時間をかける場合もあっただろう。しかし、これは野戦だ。実質的には城攻めに近い状態にはなっていても、ここを乗り越えれば自分達の得意とする野戦に持ち込めるのだと思えば、隆信は積極策を選ぶだろう。

 そのとき、彼女が何をするのかということが問題だ。

 柳川城のような力押しも、この際は許容できる。実際、あの長屋も丘も犠牲を省みずに攻め寄せれば陥落させるのは簡単だ。

「百武様!」

 駆け込んできた伝令兵は、隆信から遣わされた者だった。

「隆信様は何と?」

「は。早急に長屋を攻め落とすべく、火をかけよとのお達し」

「ふむ、火か。隆信様も然様にされると?」

 隆信の軍勢は中央の丘を攻め取るために戦っている。見たところ、丘の斜面には四段からなる柵が設けられていて、隆信の兵は頭上からの矢玉に苦戦している。

「隆信様の策までは何とも」

「うむ、分かった。隆信様には了解いたしたとお伝えあれ」

 伝令を下がらせた後、すぐに賢兼は火矢を放つことを命じた。

 一矢や二矢では、火災にはならない。だが、闇雲に攻めるよりもずっと効果的なのは確かだ。

 そして、隆信も火攻めを敢行したらしい。

 赤い射線が無数に空中に刻まれて、丘の木々の中に消える。

「上に陣取ったのが運の尽きか……我等の狙いはあくまでも敵の本陣。野戦に持ち込むことか」

 隆信はあの丘に陣を敷くという考えを持っていない。

 あそこはあくまでも通過点に過ぎず、そのために丸ごと焼き払っても痛くも痒くもないのだ。奪うべき物資も城塞もない。ならば、勢いのままに蹴散らすのみと思い切って火をかけた。それが功を奏したらしい。雨上がりでしめった木々にはなかなか火がつかない。それでも、何度も何度も繰り返していけば、やがては大火となって敵陣を焼き払う。

 火と煙は高いほうへと登っていく。

 戦において高所に陣取るのは定石だが、その定石も盤ごとひっくり返されれば一たまりもないということか。

 生木が燃えてもうもうと煙が立ち上るようになると、さすがの大内兵も限界を迎えて陣を捨てて散っていく。

「やれやれ、あれではこちらも丘を取れん。まったく、仕方のない人だ」

 火勢が強くなり、煙で味方にまで被害が出る。隆信は頭に血が上れば、あの丘を登れと言い出しかねない。

「よし、丘は落ち、敵は左右で分断されたぞ! この機を逃すな! 我等も火を放ち、敵陣を打ち壊せ!」

 下知に従って兵が動き出す。火矢が飛び、長屋の壁に次々と刺さっていく。心なしか鉄砲の弾幕も薄くなっている。

 やはり火の効果は凄まじい。

 心理的にも相手を追い込んでいる。

 続けて射よ、と賢兼は声をかける。

 歴戦の猛者の勘が、あの長屋の崩壊を感じ取っていた。

 

 

 

 


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