大内家の野望   作:一ノ一

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その四十四

 風が冷たい、と晴持は不意に思った。

 工事の様子を見るために、猫尾城下の屋敷の外に出た直後の事だった。

 太陽は真上に輝き、日差しは強い。だから、気温そのものは高く、直射日光は肌を焼くには十分な強さがあるのだが、さわさわと梢を揺らす風には秋の気配が混ざりこんでいた。

「今年は夏が早く終わるかもしれないな」

「そうですね。その分、実りが悪くならなければよいのですが」

 光秀は目の前に広がる田園風景に心配そうな視線を向ける。

 まだ収穫には早いが、稲の発育は例年並みだというので今年は飢饉に見舞われなくて済むだろう。敵軍に攻め込まれた村は略奪を受けて干上がるのが戦の常。篭城戦となれば、その城下の田から稲を刈り取って糧食を得るだけでなく敵を精神的に追い込む戦術があるのは語るまでもない事だろう。長期戦における食料は現地調達で賄う場合もある。心苦しいが、それが戦場の常識なのだ。

 一里四方の盆地のあちらこちらで力自慢の男達が声を上げて汗水たらして働いている。中には晴持の配下の武士も混じっており、要塞化に全力を注いでいるのだ。

 地形を利用した天然の要害として、黒木郷は山を城壁とした要塞となる。二本の川の出口を柵で塞げば、後は山道を通る以外に黒木郷に攻め入る道はない。

「この分なら、平野へ通じる道を塞ぐだけでも相当な効果が期待できますが」

「うん、まあ、そうだろう。そのために工事してるわけだし」

 もちろん、巨大城塞は男のロマンであり憧れだ。ここまでやったのだから、上手く活用したいところではある。

 しかし、晴持としても道雪としても、ここを巨大要塞として最後まで活用するつもりは毛頭ない。いっその事、見かけだけでいいとすら思えるくらいだが、かといって手を抜けば相手に余計な不審感を抱かせる事になるし、味方も不安にしてしまう。だから、本来の目的は上層部の一部しか知らせていないのだった。

「龍造寺の誰がこっちに来るのか、だな」

 順当に考えれば、四天王の誰かが兵を預かって攻め寄せてくるだろう。

 犬尾城を攻略した信常エリが可能性としては高い。再び兵を率いて自分が攻略した土地の奪回に動くのではないかとの意見は、大友家からも大内家からも出ているところだった。

 龍造寺四天王の一人、信常エリ。

 彼女は何者か。

 前世の知識など高が知れている。戦国武将の専門家でもない晴持の前世では、よほど有名でなければ武将の名前など知る事もなかった。龍造寺隆信という名前は薄らと、大内家に関して言えばほとんど知識がなかったほどだ。その上で知識をひっくり返しても信常エリなる武将の名前は知らない。単に晴持が知らないだけで、前世の世界でも名の通った武将なのかもしれないが。

 ともあれ、判断材料となるのは現実の今、この時の情報だけだ。

 龍造寺四天王の一角に数えられるほどに有能。龍造寺家中にあって猛将の誉れ高く、自ら敵陣に切り込み槍を振るう陶隆房に酷似した性格の武将と言えるだろう。

 名のある武将と一騎打ちを演じる危険は、道雪に槍を打ち込まれた経験からいやと言うほど理解している。あの時と異なり、今の道雪は下半身不随となってしまったが、その武勇は衰えるどころかむしろ増しているようにすら思える。

 輿に乗り、戦場を縦横無尽に駆け回る事もできるというのだから、彼女の配下の武将がどれほど恐ろしい力を持っているのか窺えるというものだ。

 川の流れに沿って、晴持は光秀と数人の配下を連れて行く。

 馬の足音に気付いた人足達が頭を下げ、平伏するのを制止し、時には馬から下りて言葉を交わし、たっぷり一刻ばかり使って、黒木郷を見て回った。

 山に囲まれた黒木郷は、工事に使う木々に困る事はない。いくらでも切り出して利用する事ができる。人数をかければ、瞬く間に大規模な野戦陣地を築き上げる事ができる。

 問題は、これを如何にして利用するか。

 陣城の目的は、敵が容易く近付けないようにする事が第一である。馬防柵も、堀も、物見台もすべてはそのためにこそあり、必殺を期すのであれば、陣城とは別に相手の急所を突く部隊を用意している必要がある。つまりは人数がかかるのだ。何にしても戦争は数という事だ。

「吉と出るか凶と出るか」

「晴持様?」

 自室に戻った晴持が誰にともなく呟いた言葉を、光秀が拾った。

「如何されましたか?」

「いや、この策が上手く嵌るか否か。それを考えていた」

 失敗すれば、無駄な労力をかけるだけでなく戦を長期化させる事になる。負けはしないだろうが、島津家との戦いを視野に入れれば、後々苦しくなるのは自明の理だ。

「光秀はどう思う?」

「正直を申しまして、賭けだと。これまでも、そのような事例はありましたが、今回は特に。失敗しても危険がないというだけましではありますが」

「賭けだよな。うん、そう思うよ、俺も」

 問題は相手がどう動くかである。

 あからさまに野戦築城の真っ最中の晴持達に対して龍造寺家がどのような反応をするのかを見極めなければならない。

 もしも、こっちに向かってこないで隆房が篭る中島城に攻めかかれば、逆に晴持達が相手に攻めかからなければならなくなる。

 それでも二方面からの挟撃になるからこちらが有利と言えなくもないが、平野での野戦は何が起こるか分からないのが恐ろしいところである。

 負けるとは思わない。

 だが、果たして勝ちきれるかどうか。

 島津家との戦いを想定して、消耗を最小限に抑えなければならない晴持達は、それだけ相手との激突を避ける必要に迫られている。

 言ってみれば、それこそが龍造寺家に相対する大内・大友連合の弱みであった。

「晴持様」

「大丈夫だ。隆房達にはいざとなれば城を破却した後、撤退し、こちらと合流するよう伝えている」

 決戦はあくまでも黒木郷にて行うというのが、道雪と語り合い定めた方針である。

 隆房達最前線で戦っている兵達は、言い方は悪いが時間稼ぎと陽動である。陽動にすら、全力を傾けなければならないほど、龍造寺家の戦力は想定以上に強大だったのである。

「まあ、光秀がいれば何とかなるけどな」

「煽てたって何も変わりませんよ」

 光秀は小さく笑みを浮かべる。

 他愛のない会話。

 戦場でなければ、いくらでもしていたいがそうはいかないのが世の常だ。

 独特の車輪が廊下を踏みしめる音が近付いてくる。

 ギシギシと。

 立花道雪の美しい顔がひょっこりと開け放たれた障子戸の間から現れる。

「晴持様、明智殿、お時間をいただいてよろしいでしょうか?」

 彼女が現れる時は大きく分けて二通り。

 やることがなくて暇を持て余し、からかいやすい人間を探している時と深刻な事態に相談を必要とする時の何れかだ。

 道雪の表情を見れば、今回は後者の可能性が高いと見える。

 晴持は道雪を室内に迎え入れた。

 茶で一服した後、道雪は静かに口を開いた。

「先ほど、わたしの下に伝令がやって参りました。阿蘇家からの使者です」

 その言葉に晴持と光秀が表情を固くした。

 阿蘇家は肥後国で最大の影響力を誇った国人の一つである。相良家が没落した今、文字通りの最大勢力である。

 肥後国は大内家や龍造寺家のような大名に成長する家が存在せず、大小様々な国人達が離合集散を繰り返していた国である。

 そんな肥後国で阿蘇家が大きな勢力となれたのは、阿蘇家が遥か古代から続く権威ある一族だという事が大きい。阿蘇家は大和朝廷以前から阿蘇山を祀る司祭的な立場から豪族となったとされる。神話的には神武天皇の第二子を祖とする家系であり、朝廷から高位を賜り大いに発展した。中央から遠いこの九州に於いて、朝廷から与えられる高位の官職がどれほどの意義を有するのか、それは金を払ってでも官位を手に入れようとする数多の大名国人の動きを見れば分かる事だろう。

 そして、阿蘇家は今対島津家の防衛線を指揮する重要な位置にいる。事が終われば肥後国の大部分を阿蘇家に任せてもいいのではないかと思えるくらいには、彼の地での盟主として務めを果たしている。

「阿蘇家から使者が来た、とすると……」

「はい。島津がいよいよ動き始めました」

「……そうか。来るか」

 予想よりも多少遅かった。

 が、総勢七〇〇〇を号す大軍で北上し、北肥後国を纏める阿蘇家を殲滅せんと動き始めたというのだから、最早大内家は島津家の脅威に曝されていると自覚してよいだろう。

「この報せ、龍造寺家にも届いているだろうな」

「間違いなく。もしかしたら、わたし達よりも早く事の仔細を掴んでいるかもしれません」

「かもしれないな」

 島津家と一応の協力関係にある龍造寺家が島津北上の報に接していないと考えるほうが愚かである。

 となれば、間違いなく龍造寺家にも動きがあるはずだ。

「光秀、諸将を招集してくれ。島津、龍造寺の動向を話し合いたい」

「承知しました」

 言葉少なに光秀は退室していく。無駄口を利かず、やるべきことを最大効率で完遂するよくできた部下である。

 

 

 龍造寺家の動きに目を光らせなければならないので、外に幾人かの将を出しているが、概ね全員が集合する事ができた。

 基本的に黒木郷の中にしかいないのだから、集めようと思えばすぐに呼び集める事ができるのだ。

「単刀直入に言おう。島津が北上の動きを見せている」

 その一言で、ざわ、と軍議の間が僅かに揺れた。大友家からやって来た将の中には、とりわけ様々な表情を見る事ができる。恐怖か怒りか。島津家にしてやられ、凋落の一途を辿った大友家に仕える者としては、島津家に対して敵愾心を燃やす者も少なくないのだ。 

「さて、島津の思うところのある者もいるだろうが、まずは伝えるだけ伝えさせてくれ。島津は二女義弘を大将に七〇〇〇の大軍で肥後を北上、二日前の時点では駒返城を攻囲し始めたとのことだ。阿蘇殿と相良殿が共同でこれに当たり、白川を防衛線として島津に相対するとの書状が届いた」

「持ちますか、島津相手に」

 ある将が尋ねてくる。

「ふむ、何とも言えないところだが、持たせてもらわなければ困る。すでに長宗我部の者達に救援を命じたし、阿蘇家の功臣である甲斐宗運もいる。一朝一夕に防衛線を突破される事はないだろう」

 欲を言えば、押し返すくらいは言いたかった。

 しかし、仮にも島津家。それも、本気で肥後国を攻め落とそうとしている相手だ。まかり間違っても楽観的に事を捉えるわけにはいかない。

「この事態はもとより想定済みのもの。そこまで大きく動揺する必要はないだろうが、龍造寺が行動を変えてくる可能性は高い」

「島津家北上の報を受けた隆信殿が果たしてどのような行動に出るかという事ですね」

 発言したのは紹運であった。

 艶のある赤毛の総髪を流麗に後ろに流した彼女は、武器さえ持たなければ長身の美女として男達の視線を一身に浴びた事だろう。

 だが、実際はそうはならない。

 いや、影で彼女を慕う者は多いが露骨に下心を見せる輩はまずいない。いるとすればよほどの自信家か馬鹿だけだろう。

 それほどまでに高橋紹運という人物は女性というよりも武勇の者として認識されているのだ。

「島津家の北上は我々にとっては危惧すべき事態では? こちらからもいくらか軍勢を割いて救援に当たらせるのがよろしいかと」

 大友の将が発言した。

「確かに、現状筑後平野にいる我らが軍勢は龍造寺を圧倒しております。ならば、一部を救援に差し向ける事も可能でしょう」

「島津の北進を止める事ができれば、その分だけ龍造寺との戦いに時間をかける事もできるというもの」

 口々に発言が飛び出してくる。

 とりわけ大友系の武将からは島津家の北進を食い止めるために、援軍を出すべきだという意見が多く出た。

 だが、それは龍造寺家との戦いに集中できていない証拠である。まだ、阿蘇家が敗北すると決まったわけではない。長宗我部元親が救援に向かった以上、そう容易く防衛線が破られるはずもない。つまり、押さえはできている。

「いえ、ここで救援を送れば龍造寺のまたとない餌食とされかねません」

 反対意見を出したのは光秀だった。それは晴持の意を汲んだ発言でもあり、光秀の意見をさらに補強するために道雪が口を開いた。

「光秀殿に賛成ですね。龍造寺もまた援軍を呼び寄せています。明日中には数が倍に膨らむ予想です」

 敵兵が二倍になれば、戦の勝利はさらに難しくなる。

 龍造寺家も大内家の動きに対応するために、素早く増援を決定し、一〇〇〇〇人近い大軍を本国から送り込んでいるという。

 敵は複数の城に軍勢を分断配置しており、一つひとつ攻め落とすとなると時間がかかる。少なくとも、敵の援軍が駆けつけてくるまでに龍造寺家の本隊と雌雄を決するのは難しいと思われた。

「短期決戦が最重要だ。しかし、短期決戦を挑む余裕はない。当初の予定通り、事を運ぶしかない」

 龍造寺家の戦力が援軍を含まない数であれば、隆房と協力して挟撃する事もできただろう。だが、そうはいかない。肥前国と筑後国の一部を制圧した龍造寺家の力ならば、一〇〇〇〇人以上を動員する事も不可能ではないと分かりきっていた。

「道雪殿」

「はい」

「龍造寺は来るか」

「来るでしょう」

 道雪は断言した。

「隆信殿にとって島津は競争相手ですから。島津が動いたとなれば、当然焦ります。あの方の性格ですから、犬尾城の借りを返そうと躍起になるでしょうし」

「俺達に時間をかけられない理由があるように、あちらにもあちらで短期決戦をしなければならない理由があるか」

 当初の予定は変更しない。

 黒木郷で攻め寄せてくる龍造寺軍を撃退する。

 懸念事項があるとすれば、いきり立つ隆信を諭す誰かがいる事だ。もしも、島津家と歩調を合わせようとすれば、こちらが仕掛けた罠はまったく意味を失ってしまうのだから。

 だが、その心配はまずないだろうというのが軍議の結論だった。

 隆信は元々島津家を出し抜くつもりで兵を起こしている。今になって島津家に擦り寄るのは彼女の誇りが許さない。龍造寺家と島津家は互いにまったく異なる選択をした。龍造寺家は島津家よりも早く行動し、より多くの領土を一気呵成に攻め取る選択を、島津家は漁夫の利を狙い大国同士の共倒れを狙いつつ、領土拡大の期を虎視眈々と狙っていた。

 どちらの選択が正しいのかは結果がでない事には何とも言えない。もしかしたら、龍造寺家の策が当たって瞬く間に九州北部を占領できたかもしれないのだ。

 島津家の北上を吉と認識する見方もある。

 もともと、島津家が動こうが動くまいが、島津家が動いたという偽の情報を流す予定ではあったのだ。それが真実味を帯びたというだけだった。

 策がなるか否かはやって見ない事には分からない。苦しいのは、この策が当面は龍造寺家の動きに合わせなければならないという受動的な点であろう。

 待ちの戦はそれだけ苦しいものだ。

 だが、それも数日の苦しみだ。龍造寺家の事情や隆信の性格を考慮すれば、戦力が整い次第攻めに転じる事だろう。

 その時こそ、大内・大友連合と龍造寺家との最後の戦いが幕を開けるのである。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 晴持達の予想の通り、島津家北上の報は隆信の下にも届いていた。

 直茂が方々に飛ばした物見が、海沿いを北上したのち内陸部へ向かう島津軍を確認していたのである。

「どーなってるの、状況はっ!」

 苛立たしげに問うのは龍造寺家当主隆信。

 不遇の時代を過ごした後、当主としての実権を握るや、天性の戦勘と武勇で肥前国の覇者となった女だ。見た目だけならば少女と呼んでも差し支えあるまい。

 しかし、その性格は熊と形容されるに相応しい力強さと凶暴さを併せ持っていた。

 緊急招集された軍議で、島津家の動きが報告されたのだが、隆信は目に見えて不快感を示していた。

「島津義弘を大将とする一軍が肥後国の半ばまで進軍しております。現在は、阿蘇家を中心に五分五分の戦いと言えるでしょう。島津が阿蘇を屈服させるか、それとも島津が退くかは不透明です」

「大内は」

「相変わらずです。黒木郷に篭り、城塞化を進めております」

 隆信は舌打ちをした。

「何考えてんだか。とっとと出て来いってのよ」

「大内としても、島津の北上は見過ごせないはずです。長期戦を視野に入れているとは思えません」

 直茂は声に感情を込めず、意見を述べた。

「島津家とわたし達を同時に相手にするのは、大内家と大友家が連合していたとしても厳しいはずです。とりわけ大友家は島津家によって大幅に戦力を減らされているわけですから二方面作戦は避けたいと思うでしょう」

 耳川の戦いが大友家に与えた影響は大きい。

 当主の劇的な交代と軍制改革はもとより、大内家の事実上傘下に収まった事は長い大友家の歴史の中で最大の変化と言える。

 とはいえ、過去の栄光はすでにない。

 大友家は単体での戦力がほとんど残っていない。優秀な将と搾り出した兵で軍を維持しているのが現状であり、優秀な将と言っても多くが耳川の戦いで討ち死にしているために人手不足は否めない。

「大内が長期戦を避けるっていうのなら、どうして向こうは黒木郷に城なんて作っているんだ?」

 エリがきょとんとして尋ねた。

「恐らくは、我々を招き寄せる罠ということでしょうね」

 回答は円城寺信胤からもたらされた。

 直茂と共に龍造寺家の知将として活躍する姫武将である。

「罠?」

「あからさまな挑発です。犬尾城を奪われた我々としては士気を回復するために明確な一手が必要です。それを迎え撃つのが相手の狙いでしょう」

 城攻めは野戦よりもリスクが大きい。

 相手は野戦に近い状況ながら、龍造寺家に城攻めを強いる事ができる。陣城は龍造寺家には珍しい考え方ではあったが、その脅威は如実に理解できた。

「なら、こっちが動かなければ、相手は打って出てくるかもしれないわけか?」

「そうなるのではないでしょうか。ですが、その場合は今の陣形では挟撃される事になります。場合によっては陣を払い、新たに敷きなおす必要があるでしょう」

 敵と味方の位置関係がよくない。

 西島城の隆房を相手にしながら、別方面から攻めてくる晴持の軍勢を相手にするのは難しい。陣形を整えるため、軍を下げる必要があった。

「そんな事したら、せっかく作った陣地を手放す事になるでしょ。また士気が下がるじゃないの」

「隆信様。場合によっては、という事です。援軍が合流すれば、陣を守りつつ本隊のみを押し下げる事で対処可能かと」

 直茂が隆信を諭すように言った。

「まどろっこしい。一息に揉み潰してしまいたいわ」

「相手が相手です。柳川の時のような手は控えるべきかと」

 柳川城を無理矢理攻略した際、隆信は城を力攻めで落とした。

 結果、守りに於いて右に出るモノのない強大な城である柳川城を多くの犠牲を出しながら手に入れる事ができた。龍造寺家そのものは勢いに乗る事ができ、筑後平野の多くを制圧できたわけだ。代償として国人達の心が離れてしまったが、どうという事はない。勢力としては弱小もいいところ。一度取り込めたのだから、取り潰すのも難しくない。

「援軍はいつ来るの?」

「明朝には」

「そう」

 しばらく、隆信は口を噤んだ。

 沈黙が室内を支配する。

 援軍として送り込まれるのは一〇〇〇〇人の大軍である。今、この地にいる人数と合わせて二〇〇〇〇人だ。西島城の城兵を遙かに上回っており、数で押し潰す事は不可能ではない。だが、その際は黒木郷の大内勢に背後を突かれる可能性が高く、こちらが不利となる。

 島津家と歩調を合わせるという手――――これは、安全策ではある。危険は少なく、確実に筑後平野を奪い取る事ができるだろう。だが、そこまでだ。その時点で島津家は肥後国を手中に収めており日向国、豊後国といった豊かな土地に派兵する道を手に入れてしまっているだろう。

 島津家との共同作戦は後々に不利になる。島津家とは何れ戦わなければならない以上、向こうよりも多くの領地を確保しなければ割に合わない。

「失礼します」

 そこに飛び込んできたのは伝令兵だ。慌てた様子で駆け込んで、膝をついた。

「何があった?」

 隆信が尋ねると伝令兵は、

「黒木郷の大内勢に動きがありました。兵の一部が肥後方面に移動を始めた模様です」

 と言った。

 それを聞いた隆信は目を見開いて口をぽかんと開けた。

「何、動いたの?」

「は、目視で確認いたしましたので間違いございません」

「ふむ、……数は?」

「移動を始めたのは二〇〇〇ほどかと思われます」

「そう。ご苦労、下がっていいわ」

 伝令を下げてから、隆信は腕を組んで黙り込んだ。

 果たして、彼女の内面がどのようなものなのか。

 諸将には窺い知る事はできなかったが、大内家が動き始めたという事実が隆信を刺激するのは避けられないと思われた。

 ある者は不安げな視線を主に向け、またある者は緊張に喉鳴らす。そして、直茂は――――。

 

 

 


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