火竜(サラマンダー)も異世界から来るそうですよ?   作:shoshohei

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 またもや長かったので、分割しました


DRAGON FORCE

 気が付けば、視界は余すところ無く紅炎によって塗り潰されていた。

 他の色が交わる余地は微塵もなく、見渡す限りの紅蓮、紅蓮、紅蓮、紅蓮。ただ只管なまでの紅蓮の一色のみ。触れる万象を灰燼へと帰す、絶死の炎の色が支配する世界だ。

 逃げ場など満遍なく燃焼しつくされた内界では、体の自由さえ何一つ思い通りにすることだってままならない。行動を起こそうと動いても、考え得る諸々が覆われて封殺された。

 当然と言える。何故なら、此処には生物が活動するための要素が隅々まで排除されているのだから。紅炎だけが形成し活動することができるこの炎獄の檻では、それ以外のものは概念に至るまで、平伏してただ消え逝くしか道は残されていないのだろう。

 

 呼吸をしようと思っても息ができない。つまりは酸素が存在しないということ。

 耳へと何の音も入ってこない。つまりは聴覚が上手く機能していないということ。

 足掻こうと思っても四肢がピクリとも動かない。つまりは力が入らないということ。

 鼻で嗅ごうと思っても匂いを感じない。つまりは嗅覚が働いていないということ。

 体に纏わりつく炎熱に熱さを感じない。つまりは痛覚や感覚が麻痺しかけているということ。

 食らおうと思っても何も変化が起こらない。つまりは何も変わってはいないということ。

 

 万策が無為に終わる。何もかもが許容されず、為すがままに炙られるだけ。形が有ろうが無かろうが、全てを均等に髄まで焼き滅ぼす爆熱の空間に晒されて、千切れかけた右腕も、焼け爛れた肉体も、骨も、恐らくは細胞に至るまで溶かされ侵され削減されてゆく。

 きっとあと数分足らずで、この狂気に満ち満ちた炎熱は己を魂魄の欠片も残さず綺麗さっぱり消し去るだろうと、激痛によって麻痺した感性でナツ・ドラグニルはぼんやりと感じていた。

 

「………………、」

 

 最早思考は普段通りには回転しない。己の総身が燃えていくことを、事象として機械のように流れ作業で感知することしかできない。過ぎ去る時間を無駄に過ごし、現状を正しく認識することができないでいる。今現在、命の危機に直面しているというのに危機感が作動しないのだ。

 代わりに浮かんでくるのは、ただ燃えたのだという味気の無い単純な感想。

 

 赤黒い表皮の一部が焦げ落ちて、そして燃えた。

 肉体が沸騰して一滴の血が多量の血が滴り落ち、そして燃えた。

 抉れた右腕も燃えていく。左腕もいつかは焼けて燃えていく。この体もいずれは燃えて、骨の根本まで燃えて、きっと魂までもが燃えてとにかく燃えてとりあえず燃えて存在自体が燃えていってただ燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて燃えて―――――

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうした先で、自分はどうなる?

 燃え尽きて無くなったら、イグニールに会うという願いはどうなってしまう?

 ここで死んだ後に、願いは果たせるのか? 誇りを証明できるのか? 炎竜王(イグニール)の炎は温くないと、見返すことができるのか?

 

「…………………?」

 

 ふと沸き起こった疑問。何の予兆もなく生まれた謎は、癌細胞のように分裂を繰り返し増殖していく。

 されどまた、体内に巣食う悪細胞を迎撃する赤血球の如き回答も生まれることも世の常。未だ激しく燃やされる竜殺しは、己の中で自問自答し回答を導き出した。

 

 否。

 否否。

 否否否。

 断じて否と言える。簡単に、容易く否と確信を持って答えられる。

 此処で死ねば、イグニールには会えなくなる。

 此処で消えれば、願いは果たせなくなる。誇りは証明できなくなる。

 力の比べ合いだって生涯不可能になること請け合いだ。だって死んでしまうのだから。何もかも消えて無くなってしまうのだから。

 つまりは負けてしまうのだ。呆気もなく敗北して、炎竜王の魔法は太陽には届かなかったのだと。所詮は焔を纏うだけの堕落する蜥蜴なのだと、後世までナメられ続けるに違いない。

 

 考えてみればなんて事はない、稚児でさえ少し手間を掛ければ解ることだ。この麻痺しかけた思考であっても何ら難しいことはなく、出された回答も至極単純。誰もが早々に理解できるであろうし、これより先に思考の余地のある答えなど何一つとてない。

 

 だというのに。

 そこで止まって納得して、全部投げ捨てて終わってしまうことが、火竜(サラマンダー)にはどうしても出来ない。出された答えに対して否はないと、潔く断ずることなど決してしたくはないとする自分を否定できない。

 脳は問答の完結を示している。しかし胸の内は―――渦巻く気持ちや心は、このままの幕引きを拒絶する熱度を持っていた。

 

(―――終、れるかァッ!!!)

 

 頭を侵していた痺れを、意識を壊そうとしていた激痛を。

 強固に固められた意志の力で、強引に力ずくで弾き返す。微睡み掛けていた双眸に光が戻り、増して大きく開く。瓦解しかけていた自我を、反骨心一つで無理やりに現実へと引き戻した。

 

 そうだ。こんな終わりなど認めない。こんな終焉など許せない。許せるはずもない。

 自身はまだ願いを果たしていない。まだ望みを叶えてはいない。だというのに、此処で何もかも流されるままに終えて疾く死ぬと? この炎に囲まれて焼殺されると? 笑って済ませていい話ではない。

 何の為にあんなことをしたのだ。何故愚直なまでに進んで炎に焦がされたのだ。身の丈を弁えず。恐怖する内情すら押し込んで挑んだのはどうしてだ。

 

(勝つためだろうが!!)

 

 勝利の為に。見返す為に。

 この辛苦を乗り越え、あの白陽に一泡吹かせてやるため。逆境を克服し、もっと強くなって願いへと近づくための秘策であったはずだ。ならばこの瞬間に呆けているなど、愚の骨頂に他ならぬだろう。何故なら今こそが、()()を掴むに相応しい絶好の好機と言えるのだから。今まで受けてきた痛みを生かすチャンスが、向こうの方からやってきたのだから。

 ここを逃せば紛いも無く絶命する。魂魄として塵ほどにも残されず、完全無欠に消滅するに違いない。

 

 故に、これは賭けだ。

 彼の周りを覆い囲む紅炎(プロミネンス)の檻が、いち早く彼を焼失させるか。

 火竜(サラマンダー)が紅炎よりも迅速に、的確に性質と特徴を()()()()、受け入られるだけの〝器〟を完成させるか。早い者勝ちのシンプルで危険な賭博。実に分かり易いと言えよう。

 尤も、危険な勝負という意味では、この策を思いついた時に言えるのであるが。そんなものは今更にすぎるというものだ。

 

(気合いを入れろ、歯ァ食い縛って限界まで耐え抜きやがれ!)

 

 声は出ない。身体は動かない。腕も、足も、四肢は全て感覚を失って操縦権を略奪されている。

 だが口だけは動く。呼吸は出来ずとも、息を吸い込むという動作だけが出来れば十二分。ただ喰らうという現象を起こすことが出来れば、そこから反逆の糸口が掴んでみせる。

 だからこそ、今一度。残存している多量とは呼べぬ魔力と散々焼かれて得た経験を以って、再度陽炎の捕食に全霊で挑みかかる。以前の神殺しの炎……滅神魔導士(ゴッドスレイヤー)を名乗ったあの男の黒い炎と同じ捕食方法では駄目だ。アレを遥かに凌駕する性質を持ったこの紅炎は、質も量も何かもが桁外れて違いすぎる。魔力を空にして、異質な炎を喰らうだけの器を作るだけでは到底及びつかない。最強の太陽神の炎は生半可なことでは喰らうことはできない。

 

「……………………、」

 

 ならば、そう。また別の方法で試す他ない。瞼を閉じ、己自身の意識に潜行しながら、ナツ・ドラグニルは決断する。

 器に空きを作るだけでは敵わない。であるならば、()()()()()()()()()()の所業を起こさねば間に合わない。つまるところは、残った魔力を用いた肉体の変換。白夜叉の炎から受けた痛みからの情報を基に、どのように変えれば馴染むのか、どのような器ならば炎を受け入れられるのか。それを糧にして身体を組み替えていくのだ。

 原理としては、生物の環境に適応する能力、もしくは進化論にある一説に近いか。

 元来水中で生息していた生命体が、陸上で生活できるように身体機能を変化させていったように。

 異なる場所で育った生き物が、起源が同じ種族でも事細かに細部が異なるように。

 人間の免疫系が、病原菌への対抗適応を行うように。

 何度も焼かれて焼かれて燃やされた結果の果てに〝慣れ〟を覚え、この炎熱の地獄の中でも生き残れる機能を獲得する。太陽の中でも息をして、動けるだけの生命へと己を変えていくのである。

 

 ―――竜の肺は焔を吹き、竜の鱗は焔を溶かし、竜の爪は焔を纏う。

 この伝承が指し示す内容の通りに、焔に溶かされぬ鱗に変性させ、焔を纏える爪に変形させなければならない。それが、炎竜王の証明になると信奉するが故に。

 この御業こそ正しく、己の身体を変質させる(スレイヤー)魔導士ならではと言ったところであろう。

 

 しかし足りない。

 まだ届かない。

 あの光り輝く星の炎を喰らうには、まだ要素が不足している。腹の中に納まったところで、今度は陽炎の殺傷性に耐えきるだけの強靭性と消化できるだけの機構が存在していない。

 だから、

 

(使えるモンは全部使え、正体なんざ知ったことかッ!! どのみちここを超えなきゃ何も始まらねえんだ!!)

 

 箱庭の世界に来た時より感じていた謎の違和感―――発生源、正体共に不明な〝力〟。変化した滅竜魔法に混入しているこれを使い、可能な限り白夜叉の炎が持つ万象を燃やし尽くす威力を抑え込む。行為の意義は咀嚼と似たようなものだ。腹に納まりやすくするため、より消化しやすくするため、腹を下さぬ為に分解して溶かしてゆく。加え行使していて判明した事だが、どうやらこの〝力〟は滅竜魔法の質に比例して増大していく傾向にあるようだ。

 ならば、ナツの魔法が強大な物に変れば変わるほど、その身に宿る不可解な何かも力を増していくに違いない。分かれば容易い。だとすれば実行に移すのみ。己が魔法をより一歩、この炎の神威に近づけるだけだ。

 つまりは、滅竜魔法の形態の向上。滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)の根底に眠る、最終形態と謳われた竜の力(ドラゴンフォース)の発現を示していることに他ならない。

 

 だが出来るのか。今までは他者の強大な炎や、高濃度の魔力の塊を捕食することで発動を可能としていたが、第三世代の彼らのように自力での開放の経験はナツにはない。魔水晶(ラクリマ)を埋め込んだ訳でも無く、また補助的な役目を果たす他者からの炎も強大な魔力も無い。そんな様で可能なのか。

 

(出来るか出来ないかじゃねえ。やるんだ)

 

 可能不可能は大した問題ではない。選択肢など最初から一つだと、総身に残った魔力を張り巡らせながらナツは揺るがない。

 猶予は一刻として残されていない。表皮は既に焼け落ちて、体のあちこちで筋肉の腱が見え隠れしている程に炎が侵食し始めている。こうなれば最早捕食と器の強化、更に肉体の書き換えを並行して実行していく以外に生き残る術はない。

 率直に判断して、ナツは呼吸の動作を取った。自然、此処には酸素が存在しないので、代わりに紅炎が遠慮なく彼の肺を伝って体内に吸引されていく。

 

「―――――――――」

 

 その時ふと、火竜(サラマンダー)は奇妙な感覚に襲われた。

 喉を焦がしていく触感でも、胃を突き破りかねない勢いで暴れる熱量とも違う。本来この状況下では決して感じ得るはずもない、何とも不可解で馬鹿馬鹿しい感覚。

 

 自分は、()()()()()()()()()

 あの少女とは出会ったことも無い。この炎を以前には浴びたことも無い。だというのに、()()()()()()()()()()()()()()()という、まるで魂にまで刻み付けられたかのような強烈な既知感。

 何だこれは? 何なのだこれは? 自分はこれを体験したことはないのに。どこで、いつ、どのような状態でこれを経験したかの記憶すらないというのに。なのにこの存在の奥底に、脳裏に過る摩訶不思議で不可解なこれは何だというのか。

 分からない。分からない。全く以って不明瞭だ。どうしてこのような異様な懐かしさを覚える。己にとっては間違いなく未知と言えるはずなのに、何故既知たる感傷が胸を燻ぶるのだ。一体全体どういう訳で――――

 

 

 

(デジャヴ感じてる場合じゃねえだろッ)

 

 既知感に埋め尽くされていた意識を、目標へと進む活力によって振り払う。

 今は得体のしれぬものに構っている暇など一コンマ一秒たりとも在りはしない。その証拠に、胃は今にも決壊しそうなほどに内面は満遍なく損傷して、血管も同じく千切れんばかりに傷ついているのが解る。痛覚が麻痺した今だからこそ冷静に判断できるが、これがいつもと同じ状態であったならば転げまわっていたに違いない。

 

 故に、速く、速く速くと体に鞭打つ。

 熱さなど全て置き去った。口から血が零れてこようと構わなかった。こじ開けた際の負担など頓着しなかった。体中の目や鼻や口、果ては傷口に至るまでの穴という穴から炎が吹き出ようとも、一切を無視して続行した。

 今はただ、この刹那に置いては喰らうこと以外はどのような事象だろうと些末と捨てて、自己の進化にだけ何もかもを注ぎ込んだ。

 

 だから、これだけやって無様に死ぬなんて許さないと、何よりもナツは自分に形容しがたい怒りを抱いて打破への手を休めない。

 かつてエーテリオンを喰らった時の記憶を。

 かつてジェラールの咎の炎を喰らった時の記憶を。

 かつて他者の協力の下、第二魔法源(セカンド・オリジン)を発動させた時の記憶を糧に、どのようにしてドラゴンフォースを発動していたのかを死に物狂いで思い出す。

 右半身が消し炭同然に変貌し始め、後数十秒でも過ぎれば硝子細工よりも柔く撓んで、ボロボロと骨ごと崩れ始めるだろう中でも決して諦めない。

 

 負けられないから。死ぬわけにはいかないから。

 ただ一心に前を向いて、あの星霊への勝利を腹の中で暴れる七千度にも劣らぬ熱量で渇望して。窮地の打破を限りなく願って。

 その臨界点を超えた激情が、超越への引き金を引く。

 

「―――掴んだ」

 

 本来、出るはずのない呟き。呼吸もままならなかったはずの炎獄の中でしかし、確実にナツは呟いた。

 時同じくして、突発的に訪れる変異。総身から紅炎に混じって、黄金色の炎熱が溢れ出し、足の先から顔面、更には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その事態が指し示す意味は、最早語るに及ばない。言葉は不要と言ってもいいだろう。何故なら簡潔かつ明白に、純粋に現実へと表れているのだから。

 

 感情と直結し、昂ぶりに比例して力を具現化させる太古の魔法(エンシャント・スペル)

 ならば次なる段階の鍵もまた、強く強く白熱して滾り続ける〝想いの力〟であるのも必然と言えよう。

 であればこそ、これから呼び起こされるだろうことも、至極当然の結果。

 死地の淵に立たされ、かつてないまでの純度の想念より喚起された、単純な事実の発現と共に。

 

 ナツ・ドラグニルは、竜の力への扉に手を掛ける。

 

  

 

 

 

 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

 

 

 

 

 

 

 件の竜殺しが火柱に呑み込まれてから数分が経った頃。 

 その時に、何の前触れもなく〝ソレ〟は沸き立った。

 

 最初の異変は、微々たるものだった。

 気を付けなければ逃してしまいそうな、極小且つ細かな差異。されど感知することができたならば、一際浮き彫りになるような異常性を持っていた。

 故に、全員の中で優れた聴覚を持っていた春日部耀と黒ウサギが、〝ソレ〟が生み出す波紋をいち早く感じ取ったことは殊更珍しいと言えないのかもしれない。

 

「……今の音」

 

「これは……」

 

 音源を探して、聞き取った方角へと目を彷徨わせる二人。双眸の行く末には未だ轟々と収まる気配を見せず、成層圏をも貫かんばかりに立ち昇り、遠く離れている黒ウサギ達のもとまで届く熱気を発している灼熱の火柱が一つ。そしてこの現象を引き起こした白夜叉が紅炎の至近距離に居るだけ。音と言えば、あの超熱の塊が酸素を蒸発させていく轟音以外にあり得ないのだが。彼女らが聞き取った音声はまた毛色が違っていた。

 双耳に引っ掛かったのは、本来であるならば此処では絶対に聞こえないような、ノイズめいた音。小さくだが、確かにこの場では不釣り合いな音が聞こえたのだ。

 

「……春日部さん?  黒ウサギも。どうしたの?」

 

 今の今まで眼前の火柱に圧倒されていた久遠飛鳥が、二人の機微に気が付いたのか怪訝な瞳で問う。

 当の者らはどこか腑に落ちない様子で、音の正体を捜索しながら空返事を返した。

 

「うん。何か、変な音がしたんだけど」

 

「YES。どこかくぐもった雑音のようなものでした。何かが……そう、水が排水溝に吸い込まれていく時みたいな。火柱の方から聞こえた気がしたのですが―――」

 

 言いかけて、少女らは言葉を半ばで止め表情を互いに見合わせた。自分たちの発言を思い返して、とても重要なことを見逃している気がしてならなかったから。飛鳥も気づいたのだろう、二人と同じく顔を並べてハッとした表情を浮かべている。

 同時に寸分の狂いもなく同じ点に着目した彼女たちは、双眸を見開きながら脳裏に重点を並べていく。

 

 音がしたのは火柱の方角から。

 どこかくぐもった、水が排水溝に吸い込まれていくような音。

 原因は十中八九今も轟々と天空に伸びる紅炎に違いない。今は大気を焼き切る騒音しか耳に入ってこないが、あの炎がただの炎熱ではない以上、本来簡単に焼けないものまで焼いて面妖な音を立てても不思議ではない。

 問題はこの先だ。黒ウサギ達が言動を中断させた理由は、ここに関する疑問にあった。

 

 では、あの火柱に先ほど呑み込まれたのは誰だ?

 影も形も無く紅炎の中に消えた彼は、一体どのような力を持っていた? 

  

「…………もしかして」

 

「い、いえ、でもっ。先ほどは太刀打ちできずに燃やされていたはずです! それが今になっていきなり」

 

「出来るようにした、ってことじゃない?」

 

 会話に横やりを入れたのは、少年の相棒であるハッピーの声。視線を向けた先に立つ青い猫は、未だ文字通り熱気が溢れかえる戦場を見つめ続けていた。

 彼の表情に悲壮感はない。あの桜髪の少年が生存している確率はほぼゼロと言っても過言ではないのに、何故か変わらず揺らぎのない真摯な瞳を保っている。

 

「出来るようにしたって、どうやって……」

 

「方法とかはオイラにも分からないよ。でもね、ナツならそういうことも出来ちゃうんじゃないかなって気はするんだ。前にも雷とか、たくさんの属性が混じった魔法を食べちゃったって話もあったからね」

 

「なるほどな。よく知ってるじゃねえか」

 

 感心した調子で漏らす逆廻十六夜は、子猫と同じく戦地を見やりながらどこか楽しげだった。

 白夜叉の()()全力の一端を見れたことに対してなのか、または別のことに関する興味なのかは定かではないが、兎に角金髪少年は何かに期待しているようだった。

 

「あい。だってナツの相棒だし、同じギルドの仲間で家族だからね、〝妖精の尻尾〟は」

 

「ほう。そりゃまた硬い絆だことで。……まあ何はともあれ、理屈や理論も何もへったくれもねえもんだが、これで()()に対しての合点はなんとなく行ったわな」

 

()()? それに合点て……十六夜君、何を言っているの?」

 

 妙に納得して話を進めていく一人と一匹。置いてけぼりを喰らう女性陣達の疑念を代表して、飛鳥が問いを投げかけた。全く以って話が全然見えてこない。

 しかし彼女たちとは対照的に、さも当然であるかのように十六夜は返答する。

 

「何をって、まだ分からねえのか? お嬢様たちは」

 

 人差し指を立てる快楽主義者。その指先で一つの方向を指さしながら、彼は告げる。

 

「今も現在進行形で進んでる、あの火柱で起きてることに気づいてねえのかよ」

 

 何を、と。

 少女が問いかける前に、一つの解答が示された。

 

 

 グラリ、と。

 つい一秒前まで一点の綻びすら見られなかった紅蓮の火柱が、明確に、大きくその芯を揺らし始めた。

 

「…………まさか」

 

「あぁ、そのまさかだろうぜ」

 

 口角を釣り上げる十六夜の表情には驚きはない。まるでこうなることを事前に知っていたとでも、こうなって欲しいと願望していたとでも言うように、ヘッドホンの少年は喜楽を表面上に露にしている。

 

「俺も正味馬鹿馬鹿しいとは思ってるんだがなぁ、いやはやどうして。〝コレ〟は馬鹿さ加減が突き抜けてロマンすら感じちまう始末でよ。見ている方まで楽しくなってきちまう」

 

 彼が悦を交えて語る中でも状態は絶えず変わり続ける。

 

 ―――ゴプリ、と。

 

 先ほどは黒ウサギと耀しか聞き取ることが出来なかった雑音が、今度は常人並みの聴覚しか持ち得ない飛鳥の耳にも届くほどに大きく、明確に濁った音を立てて揺らいでいく。

 

 ―――ゴプリ、ゴプリ。

 

 異変はそれだけに留まらない。

 成層圏をも貫いていた紅炎(プロミネンス)は、一点を中心にして直立の形を崩し始めたのだ。

 

 ―――ゴプリゴプリゴプリ。

 

 音の回数が増えた瞬間、瓦解し始めた場所へ炎熱が渦を巻いて収束していく。七千度の熱量が一気に吸引される様は、掃除機に周囲に散らばる塵屑が吸い込まれていく様に酷似していた。

 火の粉を撒き散らして通常であれば起こるはずのないあり得ない現象を前にして、黒ウサギ達は思わず半口を開けて見入ってしまう。

 

「炎が、吸われて……」

 

「ううん。喰われてるんだよ。炎を喰らう魔法にね」

 

 ―――ゴプリゴプリゴプリゴプリ、と。

 

 猫の魔導士が躊躇なく断じた時には、吸収は―――否、捕食はもう終わっていた。

 轟々とした灼熱は一片残らず消え去り、今まで紅の柱に焦がし尽された大地に〝ソレ〟は立っていた。

 マフラーを鮮血で濡らし、僅かにふらふらとした覚束ない足取りながらも、〝ソレ〟は確かに立っていた。

 疑うべきも無く立っていた。紛いも無く立っていた。

 融解した地を踏みしめる〝ソレ〟―――半身を異形の物と化したナツ・ドラグニルの生還を、彼の所業に言葉を失くす飛鳥たちを気にもせず、十六夜は呆れと期待と馬鹿馬鹿しさと歓喜と歓喜と歓喜が籠った声音で出迎える。

 

 

「復活ッッ!!! ……ってところかァ? なあ、()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()。ヤハハハハハハハハハハハハッ!!!」

 

 弾ける哄笑。快楽主義者は、己が見た事実に腹を抱えてただただ笑う。並大抵の幻想では動じない十六夜が大笑するほどに、あの火竜が行った行為は愉快で奇天烈で理解不能なものだった。

 人間が七千度を誇る紅炎を喰らったのだ。これを異常だと言わずしてなんと言う。かつて見たことがない荒唐無稽なその未知が、とてつもなく愉快だと十六夜は笑っている。

 

 金髪少年の高笑いが響く中、相棒の生還を信じて止まなかったハッピーは、しかし打って変わって驚愕に瞳を揺らしていた。五体満足な姿を見た時は正直安堵したが、今はその安心を上回る衝撃が体内を巡っている。

 

「あの魔力、あの炎、あの光…………あれって」

 

 無意識的に吐き出す。

 彼の眼差しに居る少年―――否、彼を少年と呼称して良いのかは甚だ疑問だろう。それほどまでにナツの姿は常軌を逸していたのだから。

 

 彼の右腕を覆うのは、血の様に紅い真紅の鱗。指先から生えるのは、見るだけで逞しさを感じさせる鋭利な凶爪。

 額の右半面からは一本の角が突きだし、背中の右半身からは一枚の強靭な翼が雄々しく発現している。

 顔面の半分に至っては、もはや人間の面影はないに等しいと言っても過言ではないだろう。

 鋭い眼光を宿した黄色い瞳。口から生える鋭い牙。ぼさぼさだった桜髪は頭部を覆う鱗に変わり、まさしく爬虫類のそれである。全身の肌にも、鱗を思わせる模様がちらほらと見えており、総身は金色の炎を纏っている。

 この現象を、あの炎を、その光を、ハッピーは知っている。

 だが。

 

「ドラゴンフォース……なの?」

 

 芯のない呟き。それはハッピーが、今のナツの姿を知らないが故のもの。あのような姿は見たことがない。アースランドに居た頃に見た最終形態よりも、アレは大きく異なっている。あれではまるで、本物の(ドラゴン)の姿ではないか。今の今まで、このようなことは一度たりとも無かったというのに、ナツに、滅竜魔法に、何が起きているのか。

 青い猫の疑念は膨らんでいくばかり。本当に、一体どうしてと。

 

箱庭の世界(ここ)は、一体何なの?」

 

 彼の言葉に答える者は非ず。答えの出る筈もない疑問を抱き、眼前の光景に圧倒されながらも、ハッピーはこの決闘の行く末を見届けるべく意識を集中させた。

 

 


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