火竜(サラマンダー)も異世界から来るそうですよ?   作:shoshohei

10 / 22
リメイク5話目です


加筆修正しました。

またもや加筆修正しました。 2016/3/24


決着

「全く。これは何とも、愉快なものを見れたのう」

 

 笑いながらの嘆息。

 東の〝階層支配者(フロアマスター)〟白夜叉は、眼前の少年が起こした結果に対する歓びと、若干ながらの呆れを内包して笑みを形作る。

 

 ―――生き残るとは思っていた。己の課した紅蓮の苦境を、きっと乗り越えて生還するだろうと確信もしていた。だって彼ならばそうするだろうから。

 しかしよもや、()()()()()()()()()()で超越しようとは。更には未完成ながらも最終形態を発動させ、あまつさえ半身を竜化させて見せるなどと。かつて闘争を繰り広げた炎竜の面影を思い出す形態に、奇怪な繋がりすら想起してしまう。おまけに少年の変わりようだ。それが更に追い打ちを掛けている。

 一目見ただけで理解できる存在密度。序盤とは比することも烏滸がましいまでに増大した存在強度。過去に相対した時と酷似するこの巡り合わせに、何かしらの定めを感じずにはいられないと喉を震わせて声に喜悦の色を塗る。

 

「しかし、何はともあれさすがだと言っておこうかの。私の紅炎を受け止めただけに留まらず、それを喰らい己が力の糧とするとは。褒め称えよう、御敵よ。やはり私の眼に狂いはなかったようだな」

 

 胸の裡を忙しなく暴れまわる心情を抑制して、白夜の魔王は掛け値なしの賞賛を込めて賛辞を送った。先刻に投げかけた物とは違う、心よりの栄誉である。

 対して誉を受けるナツ・ドラグニルは、何かを不思議がるように右腕に落した視線を上げ、彼女に鱗模様が浮き出た顔面で睥睨する。剥き出しの対抗心が秘められた眼光を受け、鼓動音の回数が跳ね上がって鳴り響くのを自覚した。

 あぁ、何とも心地よい。やはりこれこそが闘争だ、この空気こそが決闘だと。長く味わいたくなる想念をしまい込み、表面上は平静を装いながら白髪の少女は言葉を紡ぐ。

 

「……しかしながらその姿、その炎。随分と面白い事になっているのう。それがおんしの切り札かの?」

 

 強い好奇心が窺い知れる声音での質問。それに火竜はぶっきら棒で、尚且つ明確な挑発で返答した。

 

「さあな。自分で使ってて何だが、俺も詳しいことはよく知らねーし、分かんねえ。けど、さっきとは全然別で、力が溢れてくるってのは分かってる。さっきと同じだと思ってると(ひで)ぇことになんぞ」

 

「ほう? どのように違うのかね? 力が増したことか? 姿が変わった事か? それとも、私と対等に渡り合えるようになったとでもいうのか?」

 

 図に乗るなと、その程度でお前はのぼせ上っているのかと。取り出した扇子で口元を隠す白夜叉も、小馬鹿にした調子で放言する。力を認めたといっても、彼女は生粋の魔王。今こそ善神と言っても差し支えないが、生来より備えた圧倒的な傲慢が消えることは断じてない。故に当然、見縊られれば倍にして返すのが常道である。

 しかし現実は彼女の言う通り。先ほどまでの彼我の力量差は言うに及ばずで、少女が僅かに本気を垣間見せただけでナツは地面に這いつくばらされ、襤褸雑巾の如き醜態を晒してしまう始末。文字通りの歴然だ。

 だと言うのに。星霊の嘲りを、竜は一笑に伏して押し退ける。

 

「対等じゃねえ。―――勝つさ」

 

 絶対に己の勝利を確信している。決意している。信じて止まない確固たるそれを持つ者の言葉で、ナツは躊躇なく告げた。

 連られて、白夜叉の表情も形を変える。期待と歓喜。端正な顔に、その二文字で表現できる感情が表出していく。

 

 そうだ。

 そうだとも。

 そうこなくては。

 口に出せばこんなところだろうか。飾った言葉では他者に伝えきれない想いが、心中を焦がして焼いて熱していく。理性は獰猛な思考で溢れ返り、魂は盛大に踊り狂って止まることを知らない。

 

「よかろう」

 

 扇子を閉じる。

 パチン、という乾いた音と同時に爛々と輝く眼で今一度。改めて敵と認めた少年を覗く。

 

「その自信、私が真正面から粉砕せしめよう。故に、再戦といこうか」

 

「あぁ、始めようぜ。こっからがもっと燃えてくるところだからョ」

 

「そうか、燃えてくるか。……あぁ、そうだな。私も胸を躍らせている。であれば、やはり再度の幕開けは景気付けの意も兼ねてより絢爛にせねばなるまい」

 

 嘯いて、魔王は扇子を持つ右腕を僅かに浮かした。

 あまりにも静かで、音一つしない清流の如き流れる動作。反応してか、ナツは腰を低く落とす。張りつめた空気と生命としての危機を察する器官が彼にそうさせたのだろう。

 

 ―――激戦が再び産声を上げる。

 

 

「このようにな」

 

 右腕を軽く、それこそ蚊を振り払う様な気軽さで薙ぐ。

 

 刹那。

 突発的に発現した陽炎が、(ドラゴン)の魔導士を飲み込んだ。

 血気盛んに息巻くそれは、開幕早々に放った一撃と全く同質の、されども比較して数倍強烈な熱量を有する物。並みの者であればニ十回は殺す鏖殺の炎熱。重傷を負ったナツが直撃すれば、もはや致命傷を免れる術は皆無に等しい。

 

 尤も。

 それは先ほどまでのナツであったらの話ではあるが。

 

「効かねえんだよ」

 

 届くのは人語。響くのは壮健な音声。

 苦悶など微塵も察することが出来ない言葉が白夜叉の鼓膜を震わした直後、少年を燃やしていたはずの陽炎は急速に勢いを衰えさせ始め、紅の焔と同様に一つの口へとうねり捻じれて渦を巻き収縮していく。

 そう、火竜(サラマンダー)の口内へと。

 

「……ふむ。試しで放ってみたものだが、どうやら支障なく喰らえるようになっているようだ。小手先の炎熱では無用の長物、というわけか」

 

 或いは、これは当然なのかもしれない。全力の一端である紅炎を余さず喰らったのだから、いくら威力を上げたと言っても〝質〟が違うあの炎熱では通じないのは自明の理と言えよう。

 実際問題として、美味だと言わんばかりに咀嚼し飲み干し喰らい尽くすナツの総身には、先刻に傷つけた傷以外何一つとして見当たらなかった。

 無傷。魔導士に僅かなりとも痛痒を与えられていない。これが現在の結果である。

 

「当たり前ぇだ。あんだけ馬鹿デカい炎を鱈腹食ったんだ。今更こんなモンがまかり通るはずがねえだろうが」

 

 最後の欠片を腹に収めたナツは、一息つくと見せつけんが如く獰猛な笑みを浮かべた。

 どうだ、始まりとは全てにおいて違うだろう。もう温いなどと蔑むことはできないだろう。そう言いたいのだと示していた。

 意図を理解して、口角を釣り上げ構えを取る白夜叉。

 親しみと闘争心。平穏と喧騒。二つの相反する情念を同棲させた狂喜を噴出させて竜殺しを見据える。傲慢さと共に生まれ持った凶暴性が、竜の闘志に触発されて流れ出そうとしていた。

 

「いやはや、これはすまなんだ。どうやら私は無意識のうちに、何処か油断を許していたらしい。

 ―――故に、此処で邪念を全て排斥する。誇りと覚悟を改めておんしの気概に応えよう。来るがいい」

 

 そこに今までの笑顔は消えていた。表情は引き締まり、見縊りも見下しも存在せず、ただ冷徹な殺意と苛烈な意志だけが混濁して現出している。

 神々としての神威と、魔王としての王威。生まれながらにして二つを持つ絶大な星霊最強個体たる白夜王として、正しく全身全霊で迎え撃とうというのだ。

 呼応して、犬歯を剥く滅竜の魔導士。こちらも上等だと、お前が神威と王威を振りかざすのならば、俺は暴威を用いて力の限り抗おうと。総身に纏う金炎が物語っていた。

 

「今度はこっちからだ―――行くぞォッ!!!」

 

 大きく、大上段からの踏み込みの一歩。真紅の右足が地に触れた直後、足場が砕けたのは勿論のこと。生み出された衝撃は伝搬して亀裂を三キロ先まで迸らせ、雷鳴と聞き間違う轟音を鳴り響かせては周囲の地盤を地震と等しい震度で揺り動かす。起こった事象に尚のこと警戒心を尖らせて、ナツの一挙手一投足に視点を伸ばす白夜叉。僅かでも接敵すれば焼き払おうと、己の周りに緊張の糸を張り巡らせていた。

 だというのに、

 

 

 真正面。

 

 

 気付いた時には視界一杯の竜殺し。真紅に塗られた腕から放たれた黄金色の焔拳が、唸りを上げて懐に迫っていた。

 

「ッッ!!!」

 

 この決闘で初めての息を飲んだ。明確に焦燥を露にしながら、魔王はほぼ反射的に両腕を交錯して盾を作り、燃え盛る拳を真正面から受け止めた。

 瞬間、揺さぶられる視界と重心。今まで幾度と拳撃を喰らおうと微動だにしなかった太陽神の総身を、この闘いにおいて味わうことのなかった重量が圧し掛かる。攻撃から伝わる敵手の力を読み取り、埒外の質量と膂力に瞠目した時には、少女の矮躯は音を彼方に置き去りにして上空へと弾き飛ばされていた。しかと防御していたにも関わらず、だ。

 

「白夜叉様を……殴り飛ばしたっ!?」

 

「それだけじゃないよ、速さもさっきと段違いだ! 凄いよナツ!」

 

 段違いなのは百も承知。驚愕に値するのは力の振れ幅の形にある。黒ウサギ達の驚嘆を辛うじて聞き取りながら、身体で風を切って打ち上げられる白夜叉は、幾百幾千の戦いより培った観察眼で力の在り方を推測し看破する。

 されど、こればかりは考えるまでもなく明白な答えが出せるのだが。

 

「私の炎か…………」

 

 口にする。心底からの得心と共に、此処までの力の出所を。

 

 ―――ナツが喰らった炎。それは太陽と白夜の星霊より生み出されし炎である。

 〝白夜〟とは、特定の北欧諸国に見られる太陽が沈まない現象を指す。薄明の太陽が回り続けるこのゲーム盤が、如実にそれを表していると言えるだろう。

 太陽が沈まないということは、太陽が昇り続けている事を意味する。二つの特質を持つ彼女の炎は、神格を持ち力を衰えさせた今でも変わらない。自身か他者に排除されない限り、永遠と燃え続ける。

 

 そして、ナツ・ドラグニルは炎の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)だ。自身と同属性の物を喰らい、魔力を回復し力を増す。更に先ほど彼は、彼の星霊の陽炎を荒業により喰らっていた。

 それらから導き出される答えは即ち、()()()()()()()()()()()()()()()という事実のみ。

 つまり。とどのつまり今のナツは、超絶足る力を半永久的に振るうことができるということである。

 

 

「―――面白いッ!!」

 

 半ばまでへし折られた扇子を、破顔すると同時に握りつぶす。

 体制を立て直し、発現させた炎熱より出でた推進力で減速した白夜叉は、高度5000メートル時点で下方に向けて右手を翳した。そこに集まるのは、大小さまざまな光の粒子。

 

「温くないと口にしたな? 私に勝利すると抜かしたな? ならばこれも、きっと乗り越えてくれるのであろう?」

 

 収束するは恒星から溢れる核融合の星光。火竜を襤褸雑巾同然に焦がしつけた物の数億倍の光量が、少女の矮小な掌に集まり凝縮して、今か今かと暴れ出す寸前だ。核弾頭を容易く凌駕する放射線は、大陸の一つを塗りつぶして焦土と変えるに違いない。一点へと注がれれば、地殻まで貫きマントルに達する穴を穿つだろう。

 

「乗り越えておくれよ。壁を踏破して、私をもっと熱くしてくれ」

 

 放たれる滅相の陽射し。解放された極光は一陣の閃光と化して酸素を焼き切り、煌きで白夜の空を照り尽して火竜に迫る。

 

「上等だ」

 

 星炎と同じく神性を宿した殺戮の嵐が目の前に迫っても、ナツが意欲溢れた気勢を削ぐことは無かった。相も変わらず熱の籠った笑みを貼り付け、両の脚を地面へと力強く縫い付ける。身体の前面は今も降り注ごうとする星輝に向いていた。

 

「陽炎竜の……」

 

 陽炎竜。恐らくは彼が苦痛の末に会得した境地。太陽の炎を喰らって辿り着いた一つの形態の名であろう。

 一層本物の竜に近づいた魔導士の咢が、僅かなりとも開かれる。隙間から覗けるのは体に纏うものと同色の炎。彼の体に蓄積されていく尋常ならざる力は、先刻に発現した熱線を多少の苦も無く吹き飛ばすであろうことを感じ取れるほど。

 

 そして、備えは整った。

 暴力の数百万歩は先にある力が、迷いなく解き放たれる。

 

「―――咆哮ォォォォォオッッッ!!!!!!」

 

 音が消えた。空気が消失した。

 そう錯覚するほどの爆発的な力の奔流。

 極光に見劣りすることのない極炎として解放された滅竜の魔は、天上から一直線に堕ちる陽光を迎え撃つ。

 星光と竜炎。真っ向から対する形の指向性の力が二つ、溶け合う様に、されど相容れぬとばかりにぶつかり合っては喰らい合い、互いを滅さんと押し付け合う。余波により天と地の双方が振動し、閃熱が宙に含まれた水分を残さず蒸発させ、閃光が雲海を原子の細かさにまで分解していった。

 刹那の完全な拮抗状態を成立させる神威と暴威。余波だけで山河を四つは軽く焼却する鬩ぎ合いはしかし、その天秤が急遽片方に傾き始める。

 

 押されていた。

 生命へ恵みを与える陽射しであり、同時に生命を滅びにまで導く側面を持つ放射線が、出力で徐々に退けられ始めていたのだ。

 

「これはっ、中々…………っ!!」

 

 額に冷や汗を流す白夜叉。今の万全に近い力を注いでいるはずだというのに、彼女が苦心しなければならないほどにナツの咆哮(ブレス)は余りある勢いを有していた。

 竜炎に喰らい尽くされていく光輝。黄金に燃やされていく自身の星光を見て思わず苦笑が漏れる。

 これか、これが〝想いの力〟というものか。感情を具現として願いを結果に繋げる力かと。少しばかりの感嘆すら抱いた、数瞬の間に。

 均衡は、此処に完全に振り切れた。

 

「―――カァッッッ!!!」

 

 気合一喝。強く気勢を増して猛る竜炎は星の輝きを力ずくで粉砕し、直線状にいた白夜叉を呑み込み尚止まらず、大気圏に至るまで驀進して突き抜けた。白い太陽からの光は黄金色により遮断され、空一面が輝く灼熱によって塗り潰されていく。

 

 疑う余地など何処にもない。

 厳然たる事実として、たった一度の竜の息吹が、大陸一つを焼却する光線を凌駕して破壊したのだ。

 

「くっふふふ……」

 

 その現実が、何よりも胸の深奥に火種を落とす。

 総身を隈なく蝕むこの激痛。感性をかき乱すこの熱度。肌を突き破って魂にさえ刻み付けんと暴れる苦悶こそ、闘争による産物。

 辛苦と競争と、更に湧き上がる得も知れぬ高揚感。灼熱に包まれ、和装は破れて爪先から頭の先まであらゆる箇所に火傷を負っていく白夜叉は、何よりもそれこそを甘美と捉えていた。生の実感を得ていた。

 これで斃されるか否かと聞かれれば、また別の話なのだが。

 

「あぁ、コレだ。私は闘い(コレ)がやりたかったのだ!!」

 

 裡に滾る好戦性を乗せて生み出したのは、恒星級の重力を物ともしないとされる太陽風。前兆も無しに炎熱の中か吹き荒れた大質量の塊を以って、纏わりつく竜炎を力任せに振り払う。

 時同じくして、全身に負った数多の裂傷や火傷が時間を巻き戻すかのように傷口を閉ざしていく。数秒と経たずして治癒は終わり、負傷の全ては振出しに戻っていた。

 

 これこそが神霊が持つ回帰能力。最強種の力の一端。

 大陸を消し飛ばす火力? 山河を砕き星を揺るがす拳? なんと小さきことか、なんと些末であることか。

 そのような代物、星の年代記が齎す存在を保持する強制力の前では塵芥同然と言える。

 どれだけ剛力であろが特殊であろうが、()()()()()()を用意するか、年代記に沿った打倒方法を用意するか。この二通りでもなければ神霊を滅することなど到底不可能に近いのだ。

 上位の炎による優位性を失い、逆に相手に手を一つ封じられたと言えども支障はない。これを攻略しない限り、白夜叉の盤石な勝利への可能性は未だ綻びを見せることはないのだから。今の魔法が彼の撃てる最大限の力だとしたら、ナツが得られる勝ちの目は万が一にも億が一にも生えることはない。

 

「さあどうする。どうするんだ」

 

 見下ろす双眼。純粋な好感情が支配した瞳に映る火竜は、しかしさほども動じていなかった。羨望の眼差しをこちらに向けるのみで、絶望など塵ほどにも感じさせる様子はない。

 

「カハハハッ」

 

 この程度では最早動揺は誘えない。立ちはだかる壁の大きさを改めて浮き彫りにしたところで、この段階まで来てしまえば火に薪をくべる作業と同義である。

 呵々と大笑して猛る様相を見せるナツは、片翼を広げ両足をバネの如く折り曲げる。総身には炎が纏わりつき、瞳孔の窺えない黄色の片目が太陽と白夜の化身を見返していた。

 

「面白ェ。否が応でもそこから引き摺り下ろしてやんよ!!」

 

 堪えられない。滲み出る情念に語らせて、足場を粉微塵に砕き飛ばして跳躍。爆発音も爆風も追い抜いて、燃え滾る一つの流星となったナツ・ドラグニルは太陽に向かって一直線に飛翔する。

 愚直なまでにぐんぐんと上昇して牙を剥く火竜に、星霊の興奮の上限は一気に振り切れる。今、この刹那だけは。立場も総じて要らぬ不如意を全て捨て去り、決闘にだけ何から何までを注ぎ込みたいと白夜叉は切に願う。

 

「やってみるといい。私を這いつくばらせてみよ。出来んと思うがなァッ!!」

 

 眼下に迫る御敵に向け、こちらも軛を外し、自らをプラズマを帯びた炎熱で包み込んで小太陽に変貌。今も突き進むナツと同等の速度で直下へと突撃を開始する。

 天地に分かれて真逆から堕ちて昇る二つの太陽は、進撃から一コンマと跨がずに一速で互いの距離を詰め――――――そして激突。

 突進から零れ落ちた力場が場に与える影響はまさしく多種多様。これは戦闘と言うよりは、一種の災害とも例えられて然るべき被害だった。

 

 吹き散らされるは空を埋め尽くしていた竜炎。

 掻き混ぜられ歪曲されたのは二人の周囲の空間。

 鳴動して揺さぶられ、加え一部には地割れを引き起こされたのは遠く下に離れた大地。

 大気は焼かれて熱膨張して形を崩し、ほどなくして破裂していく。

 世界が悲鳴を上げていようとも二人は少しも手を緩めはしなかった。自身が纏った炎の外郭が崩壊しても息つく間もなく続行し、第四宇宙速度において五体を駆使し相手へと己が力を容赦なく振るうのみ。

 

 ―――そこを起点として、人智では測り知ることのできない域に片足を踏み込みんでいく。

 

 焔の(かいな)が拳という形で強襲する。

 顔面に向けられた凶器を、白い素肌の手刀が下段から手首を狙って打ち付け逸らす。返す掌底で中心を強打。

 竜が僅かな苦悶と鮮血を吐き出して吹き飛んだ。されど終わらず、足裏に灯した炎を爆発させ速度を殺すどころか押し返して余りある推進力を即座に生み出す。上下左右縦横に三次元的立体運動を繰り返して反撃。突き出される掌底を、本来は人体の構造上不可能な運動で躱し頭部に炎蹴が見舞われる。

 蹴り飛ばされた白夜も倒れない。瞬時に回復し、波紋として広がる可視化した大気を足場にして蹴り付け、すぐさま飛び回る火竜と同じ土俵に上がって迎撃する。交錯するたびに熱風の手腕と竜炎の爪撃がぶつかり合い、また衝突しては再開する。

 

 ひたすらこの繰り返し。毎秒ごとに数千回と続けられる連撃はまるで光の共食いだ。

 散る火花は戦いの産物。荒々しく殺伐とした戦場を、戦火が激しく華々しく彩る様は一つの芸術品として出しても申し分はない。その美しくも壮烈な削り合いは、高度を高めながら熱を徐々に上げていく。

 

「クッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!」

 

「カッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!」

 

 笑う。嗤う。听う。

 一頭と一柱は高笑いを上げる。己が力を無尽に振るって愉快とばかりに大笑する。

 歓喜と気骨と反骨と狂喜と闘争と情愛。此処に憎悪は存在しない。闘争だというのに、相手を傷つけているというのに。ただ嬉しいと、もっともっととせがむ喜楽の情が満ちている。

 攻性事象を喜々として起こしながら、笑顔を振りまく片割れの太陽神はかつてないまでの充足を感じていた。

 

 ―――素晴らしい。素晴らしい。

 身が震える。涙腺が刺激される。魂魄が踊り狂いたくて仕方がないと暴動している。

 何たる歓喜。何たる高揚。病み付きになって止まれることなど出来ぬ。コレなのだ。コレをしたくてしたくて堪らなかったのだ。

 こうして真正面から死力を尽くし合えるが。妬みや恨みではなく、勝ちたいと一心で拳を交わすことが。闘いを通じて相手の感情が伝わり、相手も同じだと一体感を味わうことがしたかった。故に心情は眼前の男の存在を歓待している。全く同質の興奮を抱いているが故に。

 今はまさにその絶頂期。喜ばしくて何かに書き綴ってしまいたくなるほどに天上破りに飛翔している。

 感謝。あるのは感謝だ。白夜叉はどこまでもありがたく思う。

 ここまでの決闘へと昇華してくれた火竜に。激闘と呼ぶにふさわしいものへと引き上げてくれた竜に。そして何より、よくぞ()()()()()()()()()()()()()

 

 だが譲れぬものはある。何よりも勝利を。負けるための戦など、彼にも自身にも最大級の侮辱と取られて致し方なしの物だ。敗北の選択肢を砕くため、白夜王は速く速くと万力を込めて加速する。

 それはナツも同じ気持ちだということは、打ち合いを通じて悟っていた。ならば尚のこと負けられぬ。東側最強の〝階層支配者〟が一日そこらで現れた新人に打ち負けたとあっては、他の者らにも顔向けができぬというもの。これまで自身に膝を屈した者たちにも申し訳が立たない。

 

 否、もっと単純で子供じみた話で。

 負けたくないのだ。その一心に過ぎない。目先の勝負で苦汁を飲まされるなど我慢ならない。だからこそ理解しやすく、だからこそ想いは強固になる。もとより彼と戦うつもりではあったが、それはまた別。

 命と誇り。いいや、ただの負けず嫌いを胸に掲げた白夜叉は、ここより先を勝負の決め所と覚悟して臨む。打算や後先のことなどかなぐり捨てて、打倒せんと竜へと進撃する。

 同様に、火竜(サラマンダー)も牙を剥いて最強の太陽神へと反逆せしめる。

  

 

「堕ちろよ白夜叉(たいよう)、勝つのは俺だ! 地面の味って奴を噛み締めやがれッ!!!」

 

「戯けよ小僧、堕ちるのは貴様だ! この空に太陽(ほのお)は二つと昇らぬと知れッ!!!」

 

 

 都合数百万回目となる交錯で、両者は放った掌低と拳撃の衝撃によって弾かれる様に距離を取った。

 瞬間。僅かに、ほんの僅かに出来た空隙。それを白夜叉は見逃さない。此処で畳みかけるべくして双掌を虚空に迅速に翳す。途端、空間は軋んで渦を成し、渦中から予兆なくして大多数の水流と土石が雪崩れ込んできた。

 彼女は太陽と白夜の星霊であり、同時に夜叉の神霊としての側面も備えている。彼女に与えられた神格こそそうだ。ならば必然、大地と水の神霊でもある白夜叉が、完全な〝無〟から水と土石を生み出したとしてもなんら不可解なことは無い。

 そして当然、この前方に向かって進むという土砂崩れにも神性が宿っている。半端な物質や力では止めることなど至難の業である。

 されど、この場にお置いては役不足にも程がある。

 

「今更ンな泥遊びで埋もれるかってんだよ…………阿呆がァッ!!!」

 

 舐めているのかと。さぞ憤怒していることが分かる火竜は、混じりけの無い怒気を滲ませて大喝。決闘が始まった時であれば間違いなく脅威であった土水を前にしても、何一つ止まることは無く。

 

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOooooooooooooooooo――――――――ッ!!」

 

 轟哮。咆哮(ブレス)ではなく雄たけび。

 炎を使うまでも無いという意思表示だろう。雄々しくも荒々しい竜の叫びは、質量を伴った振動の壁に変って土石と水を震わし、秘められた神性にさえ至るまで粉々に粉砕して薙ぎ払った。

 荒唐無稽極まる所業によってこじ開けられた道。自分の放った絶叫をも追い越して、火竜は粉となった水滴と土塊の舞う中空を疾駆する。

 

「あぁ、おんしはこの程度では止まらんだろうな。分かっていたさ」

 

 予測していた通りの挙動を行う彼の姿を収め、至極冷静に白夜叉は呟く。

 

 

 ナツの頭上に位置する場所で。

 

「――――――ッ!」

 

 匂いで感付いたか、もしくは先ほどのものが囮だと気づいたのか。息を飲んで振り返り彼女を見上げるナツ。

 しかし一手遅い。何故なら準備は万端。右手を上空に掲げる少女の掌中には、太陽で発生する爆発現象。それを固めて凝縮した一つの火球が顕現させられていた。

 

 即ち太陽フレア。威力にして最大で水素爆弾一億個と同等を有する疑似太陽の具現に他ならない。

 神格の影響で最大火力を引き出すことはできないが、だとしても最低でも核融合エネルギー十万個に相当する火力だ。プロミネンスを喰らって更なる耐熱性を得ていようとも、その上位に在るこの火焔を造作もなく防ぐことは出来まい。

 

 これこそが太陽。これこそが万物均等に焼き尽くす光の(ほむら)

 名のある悪鬼羅刹を、強靭な幻獣の群れを数百万と葬ったこの一撃こそ、真実我が全霊であると知るがいい。

 万感と共に矜持と凶念も混ぜて、白夜が太陽を振り下ろす。

 

「堕ちろォッ!!」

 

 極大なる烈火が乱気流を引き立てながら墜落する。

 咆哮など放つ暇は与えない。拳撃の動作など許される時間は作られてはいない。だというのに、やはり火竜は回避の素振りすら見せない。眦を決して、数万キロメートルに達する巨躯の火球に両腕で受け止めに行った。

 理由は言わずもがな。この瞬間を証明できる機会と信じているからだ。炎竜王の魔法の力の証明の機会と。

 

「ぎッ、ィ、がああああああああああぁぁぁぁぁぁァァァァァッッッ!!!!!」

 

 苦悶と奮起が入り混じった紛糾が弾ける。

 当然だ。本来であれば触れた瞬間に、細胞も残さず消し飛ぶことは当たり前の百万度を優に超える数千万度の熱量の塊だ。ナツのような力を持つ者でなければ、現状に至ることすらあり得ない。

 否、彼であってもこうして必死に叫び散らす始末だ。今受け止めている間にも、総身には超重量が奔り巡って、両腕は紅炎を蹴散らす焔に灼かれて大いに火傷を残しているだろう。上空であることも相まって、足裏からブースター代わりに竜炎を噴出させていなければ、いまごろ強引に押し切られていたかもしれない。証拠として、現在も徐々に徐々に下方に向けて後退させられているのだから。

 

 だが彼はきっと凌駕するだろう。白夜叉には分かる。

 筋金入りの聞き分けの無さと頑固さだけは神にさえ劣らぬ男だ。負けん気の強さと意地を以って、紅炎を喰らった際に得た経験値を糧にして、墜落し切る前にフレアの捕食を可能とすると察することが出来た。

 

「―――だが、そこが私の勝機となり得る」

 

 少年の背後に回った白夜叉は、決定的な一言を口にする。

 そうだ、この時こそが少女にとっての勝機。肉体の変生には僅かなりとも時間を有する。受け止めながらその行為に意識を裂かねばならぬのだから、隙が生まれるのは明白の理。ならば利用しない馬鹿は居ない。そこに特大の物を叩き込めば、彼女の勝利は更なる意味で揺るがぬものとなる。

 この事を一番理解しているはずの魔導士は、見開いた横目で魔王を見据え、恨み言の如き低い言葉を発した。

 

「野郎………ッ!!」

 

「卑怯だ、などと抜かすでないぞ? これがギフトゲームというものだ。空を飛べと言われれば、()()()()()()()()。不死を殺せと言われれば、()()()()()()()()()()()。ならば必定、私の策に嵌ったおんしが悪い」

 

 全てがこの為の布石。太陽フレアでさえも、現状へと導く下準備に過ぎない。

 故に、作戦を見抜けなかったナツによる自業自得。今の構図は貴様が招いた自己責任が返ってきただけなのだと、伸ばした右腕に力を集約させながら白き王は告げる。

 

「しかし、惜しかったのはまた事実。後もう何歩か足りれば勝利に届いたやもしれぬ。認めよう、その力、その気概。おんしは間違いなく強かった」

 

 だから、納得して敗北を受け入れるといい。

 言外にその意味を込め、生み出されたものは地球の六兆分の一に匹敵する質量の荷電粒子(プラズマ)

 つまりは、コロナ質量放出現象である。

 

「―――私の勝ちだ」

 

 勝利宣言と共に、全運動エネルギーにして先ほどのフレアと同程度に昇る集合体を、力の限り斬撃として振るい撃ち出した。それは太陽風を抜き去る速度を維持して、自己相似的に体積を巨躯へ変貌させていきながら無防備を晒すナツを襲う。

 

 前門の太陽フレア。後門のコロナ質量放出。

 詰みだ。挟撃されたナツ・ドラグニルには、二つの現象を同時に弾き返すだけの力は持ち合わせていない。前をどうにかしている間に後ろから斬撃を受けて終わり、後ろに意識を割り振れば前の火球に燃やされて地に墜ちる。

 これで幕引き。これにて終焉。勝敗は白夜王の勝利で決着。最後になってみれば何とも呆気ないものだと、多少の哀愁を白夜叉は抱かずにはいられない。

 

 

 

「いいや」

 

 ―――刹那、だが火竜は笑っていた。

 地上にいた時にも浮かべていた挑発的な笑顔。彼の表情に潜む意志が、まだ終わっていないと暗に示していた。

 何故だ? 何故今笑っていられる? 彼の性格を考えれば、ここは悔恨の念で絶叫して然るべき事態。だというのに、どうして笑うという行動が取れるのだ。

 疑問が僅かな間脳内を埋め尽くし、思考は答えを求めて高速で回転する。

 

「…………まさか」

 

 百戦錬磨の頭脳が弾き出した答えは、馬鹿馬鹿しいと、阿呆らしいと言う他ないもので。

 しかし彼女自身で明言した『突き抜けた馬鹿』であるナツならば、取りかねない……そしてこの事態を打破する唯一の策であることが、何よりも白夜叉の勘を刺激して。

 憶測に過ぎない予感を、竜殺しは現実のものとして実現させる。 

 

「勝つのは―――」

 

 突如消失する炎の噴射。支えを失って急速に押されていく半人半竜の総身。

 いや、そうではない。押されていくのではなく、少年自らが火球を手放し、受け身を取る気配すらなく海老反りをするように後ろへと倒れているのだ。

 丁度、火球と斬撃が上下から真っ向対峙する形になった時。別の言い方をすれば、火竜がフレアの下で真っ逆さまになった時。

 ナツは宙で腰を凄まじい勢いで捻り、

 

「―――俺だァ!!」

 

 火球を直下に蹴り出した。サッカーに置ける技術であるオーバーヘッドよろしく、ナツ・ドラグニルは火球を蹴飛ばしたのだ。

 当然そうなれば、ただでさえ高速で墜落していた火球はより加速し、上空に向けて迅速に昇っていた斬撃に激突する。

 二つの事象の遭遇。太陽から発生する規格外の質量らの本来あり得ない相対は、存在する重力場を十二分に撹乱し磁気嵐を二十は生み出し吹き荒れさせる。

 

「やりおったわ、あやつ…………!」

 

 飛んでくる磁気を鬱陶し気に想いながら、感嘆を吐き出して歯軋りする。

 まさか本当に実行しようとは。なんという愚鈍。なんという無謀。一つでも何かが掛け違えば自身は間違いなく死んでいたというのに。馬鹿は死んでも治らんと言うが、ナツ(あのバカ)はまさしくその典型例と言えよう。

 だが、形成が逆転したことは変えようのない真実だ。白夜叉は撃ち負けぬよう気を抜くわけにはいかないのが精一杯であり、かの滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)と言えば晴れて自由の身。どのような攻撃から追われることも無く、やりたい放題というわけだ。

 ならば取る行動は、単純明快。この一言に尽きる。

 

「やーっとこれでゆっくり喰えるぜ。さっきので段々コツは掴んできたからなぁ。……んじゃあ、いただきます」 

 

 大凡戦場には似つかわしくない、太陽フレアの上から聞こえる悠長で暢気な態度が少しだけ癇に障る。だからと言って何かできるわけでもなく、声の反響と共に火球の体躯が縮小していき、コロナの方向に均衡は崩れつつあった。

 喰らっているのだろう、炎を。彼の大好物を。好きなものは速く食べるタイプのようで、十秒数え終わるころには全ての熱量が口の中に引き込まれていた。

 

「ふぅー。ごちそうさまでした、ってな」

 

 大質量の塊が進行形で来襲してきていても、下腹を二度叩いてゲップを漏らすナツ。

 腕を少し伸ばせば届いてしまいそうな距離にまで迫っているのに、満足だと言わんばかりの吐息を漏らし。

 そして双眸に火を灯し、闘争の猛笑を浮かべた。

 

「喰ったら力が湧いてきた――――――イケるぞおォォッッ!!!」

 

 逸らされる軌道。離れていく標的。

 あと少しで獲物を両断するはずだったコロナの斬撃はしかし、竜炎纏う回し蹴りの唯一発によってあらぬ方角に矛先を弾かれ、虚空の彼方へと消えていった。

 

「な、んと」

 

 その質量。その力。桁違いに跳ね上がった存在強度に思わず漏れる驚愕の言葉。続いて始まって初めて抱く、少しの圧倒感。

 期待以上だとは思っていたが、あの小僧は中々どうして倒れない。敗れ去ったかと思わせて、試練を力強く踏破して何かを掴み取る。

 そうしてしまわれると、何故か無性に懐かしくなって――――――

 

 

「これで終わりだ」

 

 我に返った時には、もう間に合わない。

 見ればナツは両腕を構え、その双腕に尋常ならざる魔力と炎が凝縮していた。気のせいか、空気の流れさえも渦を巻いて見える少年の構えに、この決闘始まって以来の危機感を覚える。

 

 ―――あれは危険だ。あれを喰らってはいけない。

 恐らくこれより解き放たれるのは、星の爆発に匹敵する代物。即ち今はその前兆だ。檻から放り出された獣は、神霊と言う存在を木っ端も残さず破壊し尽す行動に相違ないと言える。

 太陽フレアすら遥かに凌駕して凌駕して下に叩き落すものなのだと、幾千の戦いから培ってきた直感、或いは本能からの警鐘が告げていた。

 故に必死で、迅速かつ的確に迎撃の態勢へと移行する。

 

「滅竜奥義」

 

 だが間に合わない。圧倒的に時間が足りない。

 彼女が防ぐ時間を火竜(サラマンダー)は与えない。

 

 完了したであろう魔力の充填。腕に秘められたのは、()()()()()()。竜の魂を比喩なく刈り取る滅竜の魔法。

 

 それが今、振るわれる。

 

 

 

大紅蓮爆砕刃(だいぐれんばくさいじん)!!!」

 

 

 

 

 

 

 直後。

 

 ゴポリ、と。

 大きく歪められたナツの口から、生命を表す真っ赤なインクが噴き出した。

 

「あ………………?」

 

 当の本人の口から怪訝な声が漏れる。白夜叉でさえも予期せぬ出来事に硬直した。

 決着をつけようと振るっていた腕は速度を緩め、体はぐらりと中心が揺れる。続いて口だけならず鼻や目、傷口といったありとあらゆる体の穴から血を噴き出したナツは、未だ何が起こっているのかも理解できていないような顔をしながら、白眼を剥いて糸の切れた人形のように頭から真っ逆さまに落下していく。

 同時に、決闘の決着を告げる光り輝く〝契約書類〟が白夜叉の虚空に現れる。

 

『勝者―――白夜叉』

 

 冷静に現実を突き付ける〝契約書類〟によって、ようやく白夜叉は我に返った。

 

「いかん…………!」

 

 何のためらいもなく弾丸のように落下していくナツへと向かって急降下していく。

 彼の堕ちる速度を凌駕して先に回り込み、やさしく受け止めた途端、彼らの体が起こす速度は急激に低下し、ふわりと地面に音もなく着地した。力を抑えていても、これくらいの所業は彼女にとっては造作もないことだった。

 

「ナツッ!!」

 

「ナツさん!!」

 

 悲鳴に似た声を上げながらハッピー達が駆け寄ってくる。

 涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにしながら、ハッピーは全身血まみれになったナツの体に泣きつく。

 

「ナツ、ナツ! ねえしっかりしてよ!!」

 

 ぐらぐらと揺らしても、ナツが閉じた目を開けることはない。意識は完全に途絶されていた。

 それでも揺らすことをやめないハッピーの手を、白夜叉が音もなく掴み、優しくその場から退かした。

 

「猫よ、暫し待て。こ奴の状態を確認せねばならんからな」

 

「白夜叉様……?」

 

 いつになく真剣な面持ちで告げる白夜叉に黒ウサギは眉を顰めた。

 白夜叉は医療の神霊ではない。闘いの知識はあれど、その手の専門的な知識はさほど持っていなかったはず。そう思ったからこそ黒ウサギは疑問を感じていた。

 彼女の呟きには答えず、白夜叉はハッピーを退かすと膝を折り、ナツの桜髪の頭にそっと右手を置いた。それでからナツに目を向けたまま瞬き一つせず、その場で皆に聞こえないほどの声量でぶつぶつと何かを口走っている。と、一頻り確認が終わったのか、白夜叉は白髪を揺らし顔を上げて黒ウサギを見据えた。

 

「黒ウサギ」

 

「は、はい」

 

「少しの間だけでいい。こ奴を私に預けられるか?」

 

 突然の申し出に黒ウサギは眉を大きく上下させた。

 しかし白夜叉の曇り一つない眼を見て、更にナツと白夜叉に視線を交互に映しながら彼女は力強く頷く。

 

「……YES。我々の協力者を、ナツさんをお願いします」

 

「うむ。この白夜叉を信頼してくれたことに感謝する。その礼にもならんが、私が責任を持ってこの者を助けることを約束しよう。必ずや、また陽の下を歩けるように尽力する。双女神の旗に賭けて」

 

「オイラも行く!」

 

 話に割り込むように、ハッピーが小さな体を一杯に使ってアピールした。

 自分が生まれる前から自分を守ってくれていた、もはや家族以上に深いところで繋がっている目の前の相棒。その彼が今や血みどろで倒れている。のこのことさっき会った誰かに任せるほど、ハッピーは無責任になったつもりはなかった。

 未だ鼻水と目元が赤い顔でこちらを見上げる子猫を、静謐な瞳で見下ろす白夜叉。

 

「……おんしにとっても、大事な仲間であるのだろうな」

 

「当然だよ! 大切な相棒さ!」

 

 むんっ、と拳を握って誇示するハッピー。

 その姿を見た白夜叉は小さく微笑んだ。

 

「分かった。おんしにも同行を願おうか。良いな? 黒ウサギ」

 

「はい。お願いします」

 

 黒ウサギが快諾する。

 白夜叉はよっこらせとどこか年寄り臭い声を発しながらナツを背負う。小柄な外見とは思えない器用さで、彼の体を落とさずに背中に乗せた。

 そこでふと、何かを思い出した様に黒ウサギたちに振り返った。

 

「そう言えば、ギフトの鑑定がまだだったな」

 

「……確かに、そうでしたね。ですがナツさんがそのような状況では…………」

 

「別に俺はやらなくても構わないぜ。色々といいモンが見れたしな」

 

 ヤハハハ、と笑う十六夜。その言葉に嘘はないようで、実際彼の瞳は満足気な光を宿していた。十六夜に不満はないようだ。

 

「して、そこの娘どもはどうだ?」

 

「……私も別にいいわ。なんだか色々凄まじくて、混乱してるから」

 

「……以下同文」

 

 疲れたように額に手を当てる飛鳥と、少しばかり苦い顔で頷く耀。

 各々が鑑定を遠慮する解答を訊いた白夜叉は、ナツを背負いながら下顎に手を当てた。

 

「……ふむ。確かにおんしたちの言葉も一理ある。しかし仮にも星霊の端くれとして、ましてやお前達の協力者を傷つけた者として何かしらの恩恵は与えねば割に合わんな。簡素で済まんが、これは謝礼として受け取ってくれ」

 

 白夜叉がパンパンと柏手を打つと、その音と共に十六夜達の手元に光り輝く三枚のカードが現れた。

 

「それについて色々と説明してやりたいが、今はこ奴の治療に専念しなければいかんのでな。詳しいことは黒ウサギに訊いてくれ」

 

「色々とすいません、ここまでして頂いて……」

 

「お前が気にすることではないよ、黒ウサギ。…………それではな」

 

 言うだけ言うと、ゲーム盤から元の私室へと場所を移した白夜叉は、問題児達に背を向けて障子を開け廊下を歩く。そこにハッピーが横に並ぶ。

 

「オイラが運ぼうか?」

 

「良い。私が原因なのだ、私が運ぶのが道理であろう?」

 

「……あい。良いなら良いけど」

 

「気遣いは感謝するよ」

 

 隣でとぼとぼと歩く青猫に笑顔を向けながら、血を流しながら意識を取り戻さない少年のことを考えてため息を一つ。

 

(……私の炎を喰らったことで、制御しきれんほどの魔力が生み出され、結果的に暴走した、か。バカたれが)

 

 ふぅ、ともう一つため息をする白夜叉。内心で悪態を突くその表情はしかし、どこか懐かしげな友人にでもあったかのような、旧知の仲であるかのような、そのようなものだった。

 ずり落ちそうになる筋肉質な少年を背負い直し、誰にも聞こえない程の声量で一言。

 

 

「……本当に、重くなったのう」

 

 

 

 

  

 







 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。