IS BURST EXTRA INFINITY 作:K@zuKY
ツーマンセル・トーナメント当日の朝。
センクラッドとシロウとロビンフッドは早めの朝食を採り終えて、のんびりと一夏達の状態やツーマンセル・トーナメントについての意見交換をしていた。
シロウはカチャカチャと食器洗い器を使わずに食器を洗っては水気を拭き取り、ロビンフッドはクリーナーで床についている埃や汚れを取りつつ磨いて、センクラッドはテーブルや椅子の足を磨きながら、という些か所帯染みた状態での、会話だ。
まぁ、実際そんな事をしなくとも本来ならば船体を覆っているシールドラインを流用して張り巡らせておけば掃除要らずなのだが、フォトン蓄積値の問題とシロウのストレス発散の為に途中から切っているので、こうなったのである。
何気にシロウは自室のみならず、センクラッドの眼を盗んでは他の元英霊達の部屋の掃除をしたり食事を作ってやったりと割とやりたい放題しており、それが発覚するにはもう少し時計の針を進ませる必要があるが、それは割愛する。
「――俺の方は、まぁ、アレから2回話してるが、大分落ち着いてきたな。取り合えず、目下の目標はボーデヴィッヒに勝つ事だそうだ」
「ふぅん。まぁ、よくわかんねーけど頑張れば良いんじゃないの? んで、シロウは? 確かヒーロー大好きっ子と接触してたよな?」
「あー……」
何処と無く気まずげな声を出すシロウに、怪訝な表情で視る2人。
「おいシロウ、お前さん一体何をやらかした?」
「いや、やらかしたわけではないのだがね。ただ、経験に基づいた正義の味方像を話したところ、ちょっとスレた感が出てきてしまったというか……」
「……つまり現実知っちゃった、と言う奴か」
「シロウの過去、ねぇ……一体どこまで話したのやら」
センクラッドは妥当な結果だと頷き、ロビンフッドは渋い顔になった。
シロウが簪に話した事は、正義と悪の相違点と類似性や、大衆の味方と個人の味方は別物で有る事、アニメに出てくるヒーローのような存在は、現実にも居るには居るが、往々にして時の権力者に利用された挙句、謀殺されたり、最後には仲間に後ろから撃たれるのが世の常である事等を、実体験込み込みの理不尽添えで話した。
結果。
それはもう凹んだ。自身の拠り所である部分にして仮初ではあるが、その根幹すらもぶち抜かれた形だったのもあり、簪は大いに凹んだ。
依存先を徹底的とまではいかないが潰されたのだ、暫くは不安定だろう。
……ちなみに今朝方の事だが、本音が簪の様子を見に行った際に「正義って、報われないんだね……」と、何処か達観したような瞳で語られていたりする。ついでに言えば、その様子を楯無に報告したら、現在進行形で楯無がセンクラッド達の部屋にダッシュで向かっていたりもする。
「さて怜治。取り合えず脇に置いといてだ。私とロビンはどういうポジションにつけば良いかね」
「オレは姿隠して傍に居れば良いだろ? シロウは簪さんトコか、違うなら場所探して俺がカウンタースナイプか結界使用でいんじゃね?」
「結界はともかくとして順当に考えれば、そうなるだろうな」
「お? って事はトラブルでも想定してんの?」
「いや、無いと思いたいんだが……やっぱり、なぁんか引っ掛かるんだよな」
何が?と表情で示した2人に、椅子を磨く手を止めて、頭をポリポリと掻いたセンクラッドは自身の考えを述べた。
「左眼が反応し過ぎて過敏になっているからかもしれんが、まーた襲撃されるような気がする。特に最近になって敵意とか恐怖とかを感知し過ぎてなぁ」
「流石にそれは……いや、無い訳ではないと思うが……しかしそんなに感知しているのか?」
「正直、感知範囲を下げようか検討したくなってくる位だよ。あぁ、なんだ、来るのか……? と思っても仕方ないレベルの」
そんなにか……と眉間に皺を寄せて思案するシロウ。簪にかまけている間に、怜治がそこまで敵意を感知していたとするならば、問題と言える。
ただ、ロビンフッドが護衛に回っている為、自分まで張り付く事をしなくても問題ないと判断はしていた。
以前の状態――つまり神秘や概念が付与されていない現代武器では倒しきれない存在であるサーヴァントと、受肉している今では条件からして違うとは言えども、その能力は通常の人間の限界すら一足飛びで超えているし、強化魔術を駆使すれば9mmパラペラムなぞ豆鉄砲以下だ。
ただ、布石は打つべきだろう、とシロウが以前渡されたアリーナの図面を脳裏に書き起こして戦術構築を見直し始めるが、そこでロビンフッドが何かに気付いたようで、センクラッドへ問いかけた。
「そいや、大将1回襲われたんだっけ? そん時はどしたの?」
「普通に撲殺したよ」
事も無げにそう言われたロビンフッドは、眼を丸くして「いや意味がわからないんだけど」と呟いた。そんなに意味が判らんハナシでもないだろう、と返したセンクラッドに、バカ言っちゃいかんぜと首を全力で振って否定し始めるロビンフッド。
思案していたシロウがそれを聞いて、諦念を通り越して仏のような慈愛に満ちた眼差しで洗い物を見ながら一生懸命、それこそキュッキュと音が結構な音量になる程度に拭いていた。その心というか胃付近には思い出し怒りが原因の頭痛があったりするのだが、それを表に出さないのは、もう諦めているからだ。生前の自分の頑固さを知悉しているが、怜治に関しては更に頑固だ。意固地にならないだけマシだが、それも愉快犯的な性質がたまーに出るのでトータルマイナスであるし。
ただまぁ、諦めていたとしても限界があり、突破する度に怒声を伴った説教をブチ撒けるハメになるのは既定路線だ。昔と比べると随分とまぁ心と感情表現が豊かになったものだと指摘されているのだ。クー・フーリン達を筆頭に。
「い、いやいやいや、銃とか弓とか、最悪でも剣とか槍とか使うじゃん? んな事、オレらでも無理だ。つーか、撲殺て」
「使わなかったぞ。種明かしをするとだな……実は使ったのは炎を噴出させた拳だ」
「……あれ? ええと、大将て魔術師だっけ? それともオラクル細胞ってそんなんできんの?」
「魔術適正は残念ながらなかったよ。グラール人の技術は半端ないって事さ。それにアラガミという観点からみれば極太レーザーや転移型の迫撃砲を扱う奴もいたし……いや、やれないから、無理だからな? そういうのが出来るアラガミがいるってだけで、流石に想像力の範囲外だから無理だからな、イヤマジで」
ドン引きしたと言う風な2人の顔を見て、流石に俺も出来たら自分に引くわと言わんばかりに、全力で否定するセンクラッド。
アニメやドラマや映像媒体で観たものを想像し、創造して作り出す事にも限界はある。脳内という意味での内部出力までは可能だが、外部出力するとなると流石にどうにも出来ない部分が多い。手から連続してエネルギー波を出すなんて夢のまた夢だ。そもそもそんな事に労力を費やすならばグラールの武器を使えば良いし、神機開放して重砲から記録しているオラクルバレットをぶっ放した方が手っ取り早い。尤もオラクルバレットはその特性上、グレードEXの武器よりもヤバイ代物なので、ぶっ放すなんて夢のまた夢だ。意図せず増殖した結果、地球に定着なんてした日にはセンクラッド達主導のノヴァ計画発動なんてオチになりかねない。
……いや、ISの開発経緯から見るに、ソッチのほうが本来の目的は達成できそうな気がしないでもないのだが。あれ宇宙進出用に作成されたものだし。まぁ、問題が山積みになり、責任を持てないのでやることはないのだが。
「ハナシがズレたが、んなメンドクサイ事せんでも出来るんだよ。科学でな」
センクラッドが立ち上がり、両手を挙げて、一言呟く。
「流動在・心乃臓」
センクラッドの拳から肘までが蒼白い炎に包まれたのを見て、ギョッとするロビンフッド。そういえばロビンフッドは見たことが無かった……というよりシロウしか見たことが無かったんだっけな、と思い返していると、ロビンフッドがしげしげと拳を見詰めて、
「え、それ一体どうなってんの? ナックルって、どこにもないじゃん」
「透明化させた薄手のグローブの外側から火炎型に偽装したフォトンを噴出させてんだよ」
「それ、熱くない?」
「装備している本人のシールドライン限定で威力判定を除外しているから問題ない」
「それまた凄いこって……」
炎を消すように腕を振る事で送還プログラムが働いてナノトランサーに流動在・心乃臓を戻すセンクラッドを見て、もう俺が知っている科学じゃねぇや、と零すロビンフッド。2050年代前後までの、それも聖杯から与えられた必要最低限の知識しかないロビンフッドからしてみれば、科学で概念武装に近い武器が作成されているなんて夢のような話だ。そういやラウラちゃんも宝具持ってたよなぁ……この世界と良い、大将と言い、どうして常識外れな事すっかねぇ……とぼやくしかなかったのだが。
「って待った、ISって空飛べるんだろ。どうやって殴ったんだよ」
「そりゃお前さん、こう、距離を詰めて殴るだけだろう?」
「怜治、言葉が足りていないぞ。相手が地上に降りていたから殴り飛ばせた、と言わないと、君も空を飛べる事になってしまう」
「あー地上ね、成る程成る程、それなら撲殺も……ってやっぱり納得できるか!! どういう事だよ一体、説明を求め――」
尚も聞きたげなロビンフッドだったが、強いノック音が3度した事で、センクラッドにクリーナーを手渡し、身を翻して姿を消した。
センクラッドが指で扉を開けると。
「ファーロスさん!!」
「――まぁ色々な意味でわかってはいたが何だ一体」
眼を吊り上げ、腰に手を当てた楯無がそこに居た。どうやら怒っていると言うか、やや興奮状態に陥っているようだ。
負の感情が真っ直ぐ部屋に向かっている事から随分前から察知していたセンクラッドだったが、何でコイツこんなに怒ってんだ?と鳩頭ばりの思考で考えようとして、ノックの直後から引き攣った愛想笑いを小さく浮かべているシロウが視界の端に居る事に気付いた為、あぁそうか、コイツと簪さんの対話が原因か、と思い出しながら放ったセンクラッドの言葉は少々酷い。
カッカッと靴音を高らかに響かせて、椅子を磨いていたセンクラッドの真正面に立って見下ろしポジションを取りつつ、ビシリと指を差して叫ぶようにして言い放った。
「どういう事なの、簪ちゃんすんごくキャラ変わってるそうじゃない!? 紅茶片手に遠い眼をして黄昏ているとか、どういうキャラに仕立て上げたの!!」
「いや俺に言われても。簪さんに話したのはシロウだぞ」
「現場責任者は貴方でしょうがッ」
がぁっと噛み付いてくるシスコン。見上げているセンクラッドは、もう少し指を前に伸ばしたらそこから視えかねないので下がって欲しいなぁ、今の俺は全身感覚器なので、と戯けた事を考えながらシロウの方を向いた。
「そういえばシロウ、結局お前さんはどれを話したんだよ」
「どれと言われても……文字通り私の半生を脚色無し、かつ言える範囲をだよ」
「ふむ。なら割と普通だな」
「普通だろう?」
「普通じゃないでしょうが!! あれだけやさぐれた簪ちゃんを見るの初めてよ、一体全体どういう事なの!!」
どういう事って言われても、と2人は顔を見合わせた。2人が言う普通とは、別に過去が普通だったとかではない。いや、異常な過去を持っていたり凄惨な現実に身を置いていたが故に英雄に至った者が多数派を占めるグラール太陽系+元英霊組(ついでに言うとゴッドイーター組も何らかのトラウマ持ちばかりだったが)からみれば普通かもしれないが、そういう意味ではない。
想定通りという意味で、普通と言っているのだが、当然楯無はそれに気付く筈もない。
シロウに丸投げした感があるセンクラッドだが、正直言ってシロウが自身の過去を話す事など想定内の内であり、それを聞いた結果、簪の根幹を揺さぶるのも判りきっていた。
そこからどうするかが、重要なのだ。フォローはするが、本人が能動的に動かねば意味が無い。
変わるという事は、自身でしか為し得ない事。他人がどうこうしようとしても補助程度までしか出来る事は無い。それ以上の事をするのなら、相手を人形めいた精神状態にせねば不可能だ。そしてシロウもセンクラッドもそんな事をする気はないし、宗教家でもない。
ただ、重ね重ね言うが、フォローは出来る範囲でし続けなければ投げっぱなしになってしまう事は流石に理解している。特にシロウは持ち前の責任感からそうはならないように注意し続けていた。
「だがな、更識。お前さんも判っているとは思うが、一度大きなショックを与えないとあの手のタイプは全然聞かんぞ。特に思春期真っ只中の学生ってのは結構どころか、かなり視野が狭くなるものだ」
「何やら重みのある言い方をしているようだけども、アレは流石に無いわよ。見ていないからそう言えるのッ」
鼻息荒く、舌鋒鋭く、ついでに目付きも危険な輝きを宿しているシスコン3号。無い無い絶対に無い、あんなのおかしいよと子供のように――いや、年齢的には未成年だが――言っている楯無を見て、流石に不安になってきたのか、チラリと横目でシロウを見ながらセンクラッドは確認した。
「無銘の正義の味方について語っただけなんだよな、シロウ?」
「そうさな。要約すると正義を名乗るには悪が必要であり、またその定義は容易にどちらにも転がる上に、正義と悪において社会性の正しさとは全く何の関係も無いモノ、とも伝えたが」
あぁ、これは故意犯だ……と言いたいが、セイギノミカタを語る上でどうにも外せない、譲れない部分でも有る事を知っているセンクラッドやロビンフッドからすれば、妥当だとしか言えない。とても夢見る少女に聞かせるようなハナシではないのだが。
溜息混じりに、センクラッドは楯無がぎょっとするような確認の為の言葉を呟く。
「ストレートに伝えるのは構わんと思うが……どうせお前さんの事だ、30万人の命と500人の命のハナシとか、言ったんだろう?」
「――え?」
「当然だ。正義というものはすべからくそうだ。ダレカを救いたいのならばナニカを切り捨てる。等価交換にしない為には少数に犠牲となって貰う。――そうしなければ、成り立つものも成り立たなくなる」
淡々と語るシロウ。楯無ですらも、為政者の影として動いている更識の当主だ、シロウの前言に現実を見出し、軽く顔を顰めても肯定せざるを得ないが、問題はその後、センクラッドが放った言葉と、それを肯定するシロウに衝撃を受けていた。
当然だが、初耳なのだから。
「あの、ちょっと待って。その話って一体?」
シロウが一瞬、センクラッドに視線を向けるも、構わんと言わんばかりに頷いた為、表情を動かさずに、祈るような声色で、だがはっきりとした声量で呟いた。
「30万人が住まう都市を救う為に、500人が乗っていた航空機に犠牲になって貰ったのだよ。何せ、機内には拡散性が極めて高い殺人ウィルスが蔓延していたのでね。撃墜するしか方法が無かった」
何でもない事のように語るシロウに、二重の衝撃を受けて硬直する楯無。幾らなんでもそこまでの犠牲を強いるような事件は、地球では殆ど起きていないのだ。
シロウの言葉を肯定するように、センクラッドは言葉を繋いだ。
「まぁ、俺もそれ以上の数を天秤にかけ続けていた立場だ、シロウのケースで考えれば正しいだろうさ」
「はい?」
「は?」
「へ?」
センクラッドがさらっと混ぜた劇薬めいた言葉は事実だ。
例えばグラール太陽系においては、精神体となり、亜空間へと逃避してSEED襲来を凌いだ旧人類が、失われた肉体を補う為に現人類の精神部分を殺して肉体を乗っ取ろうとしていた。
クローニングして新たな肉体を作れば良いだろうに、と気付いたセンクラッドが紆余曲折を経て仲間達の協力の元旧人類の大多数を説得し、恭順させ、拒否した者達は容赦無く滅びて貰ったのだが、これはまだ良いケースだろう。
ムーンセルにおいてはデータの強奪という形を採っていたが、結果的に見れば左眼と自身との共鳴現象によって、とある存在に例外処理を行わせるきっかけを作り、意思無き存在に自我を持たせ、宙の外に封印されていた筈の存在すら呼び起こすというとんでもない結果をもたらしていた。つまり、間接的にだが意図せずしてその世界を破滅させかけていたりもする。この場合は気付いてもいないが。
アラガミが跋扈していた世界に関してはもっとも酷い事をしている。
当然、聞かされていない者達からすれば、劇薬過ぎて凍り付いてしまうしかない。思わず姿を隠しているロビンフッドが反応してしまう位だ。そして今此処で言う必要も無いというのに、センクラッドは言った。
言った後で、面々に不思議そうな顔をして、だが内心では「まぁ、そうなるよな。だが自重はしない」と呟いている辺り、とんだ最低野郎である。
「む? どうした、シーンとして」
「……私も人の事を言えたものではないがな、基本的にマスターがしている事は尋常ではないという事に気付いた方が良い」
「まぁ、宇宙単位まで広げれば普通かもしれんがな」
少しばかり皮肉気に呟くセンクラッドの胸中は極めて複雑だ。手の込んだ自殺を試みようとしたシロウの並行世界の存在と比較しても本当に酷い。
最初期の頃なぞ人体実験のせいで人間をやめざるを得なくなったので、それをやらかした奴らは種族ごと滅亡させて溜飲を下げさせて貰う、という酷い報復(八つ当たり)を考えていた過去があるのだ。脱出した早々に幻視の巫女に出会っていなければ、きっとそのままグラールを滅ぼし、最終的には自滅していたのは間違いない。
色んな意味で黒歴史だったなアレは、と思い返しながらも、話題がズレている事に気付いていた為、咳払いをして路線を戻すセンクラッド。
「まぁ、それはともかく、簪さんの精神状態が少々アレな事になっているのなら、シロウがフォローを入れるから問題はあんまりない。どちらかといえばお前さんが後は頑張らないとダメだろう」
「そこで私に振る!? い、いやまぁ、頑張りはするけど、あんな簪ちゃん相手にどう立ち回れっていうのよ」
「立ち回るというか、普通にお姉ちゃんと一緒に遊ばない? 的なノリでどうにか出来そうだと思うが」
楯無は頭を抱えた。この男、発言内容と声のギャップが凄いのだ。魔王とか洋画に出てくるラスボスのような声なのに、どうしてこう色々アレな発言がポンポン飛び出すのか。
そう思っていた矢先に、
「まぁ、確かにソレ位の意気が必要な気がしないでもないがね」
「う?」
シロウが割り込んだのだ。
やれやれと溜息をつきながら、皿をキュッキュキュッキュキュッキュッキュとリズミカルに拭いているシロウ。
「確認したい事があるのだが、君と簪嬢は話し合った事はあるのかね?」
「んー……ここ数年は無いわ。話そうにもタイミングを逸していたし」
簪の嘘がここでバレたわけだが、シロウはそれで確信した。
センクラッドが楯無に言い放ったシスコンという言葉と言動が合致し、ついでに記録的な意味で姉妹喧嘩をしていた黒髪と紫髪の少女達を何となく思い浮かべて。
あぁ、この程度の綻びならば、きっとすぐに直る、と確信したのだ。
アレらと比較するのは少々どころか非常に拙い気がしないでもないが。何せスケールが違いすぎるので。
「そうか……なら確かに、マスターの言も一理ある」
「どういう事?」
「簪嬢は君と話し合いをしたと言っていたのだよ。ついでにないがしろにされているとも思っているようだ」
言葉にならない呻き声をあげる楯無。
話し合いなぞ殆どした事が無い。腹を割って話す事もしていないのに、そう言われているという事は、つまるところ何らかの理由で避けられていると思って良いだろう。
妹の性格や性質を考えれば判る事だった。完全な逃避行為と諦念、そして姉に対する恐怖。それに気付かぬフリをしていたのは、先送りをしていたのは、他ならぬ自分だ。
項垂れて、空気と同居するような小さな音を発する楯無。
「そこまで……そこまで私は追い込んでいたのかしら……?」
「些細な擦れ違いから拗れるのは良くあるハナシだ。そこを解消するには本人が行くしかないだろう。俺達は依存先を潰した。不安定になっている今だからこそ、話す価値がある。あぁ、ハナシは変わるがな更識。ここ暫くはちょくちょくとシロウが居なくなったりしているが、俺に関しては問題ない。姿無き護衛がいるし、基本的には此処から出ていない。まぁ、流石に今日はトーナメントを観戦するから外出するが、それも有る程度までなら凌げるだろう。万が一襲撃があったとしても、な」
シロウの言葉を聞いて、メンドウザイシスコンズという認識が当たっていた事に若干辟易しながら、低い声で朗々と語ってみせたセンクラッド。その内容はあからさま過ぎる程、簪の事を指している。ついでに襲撃も加味しての発言だ。
「――確かに、簪嬢と偶然話している時に君が現れるのなら、私は何も言えんよ」
呆然としている楯無の耳朶にすんなりと入り込んできたシロウの言葉を吟味し、思考し、何かしら強い決意を秘めたのか、小さく頷いた楯無の瞳は、小さな輝きを宿していた。
ちなみに、本当に小声でロビンフッドが「アンタらすーげぇ穴だらけ……」とぼやいていたが、3名とも黙殺している。自分にとって有利になるのならスルーするのは社会において常識だ。
「そうね、そうかもしれないわね」
「――話は、纏まったようだな」
背後から溜息混じりに呟かれた言葉に、楯無はピシリと固まった。
楯無の背後、つまり部屋の入り口のドアは、センクラッドの意思によって半開きになったまま放置されていたりする。
そこに千冬が立っていた。
険しい表情をしている……と思いきやそうでもない、どちらかと言えばどんな表情で視れば良いのか、という微妙なそれだ。
千冬としても本日の事を話しているのならば気にはしなかったのだが、身内の話をしていたと気付いてしまっていた。人の事をまったく言えない立場な為、微妙な、本当に微妙な感じで佇んでいた。怒るに怒れず、を地で行く事になろうとは、と思っている感じで。
「おはよう、千冬」
「おはよう、センクラッド。それにシロウも……ロビンは、居るのか」
「あいあい、ここに居るぜー」
陽気通り越してノー天気な声が思ったよりも至近距離で聞こえた為、眼を見開いて咄嗟に数歩下がる千冬を見て、クックッと底意地の悪さを垣間見せる笑顔を浮かべたセンクラッドが、
「まぁ、慣れろとは言わんが、それでも一々驚いていたら持たんぞ、色々」
「そう言うなマスター。私とて最初は苦労……というよりも驚いたものだ、普通なら誰だって面食らうものだろう」
「――あの時か。確かに苦労したな。なぁ、ロビン?」
「勘弁してくれよ……」
苦笑しながら最後の一枚の皿を名残惜しげに拭き終えたシロウが割って入り、センクラッドがその笑顔のままロビンフッドが居る場所を完璧に察知したような素振りでからかいに走った事で、紅潮しかけた頬を誤魔化す時間を得た千冬は、咳払いをして、
「そろそろ時間だが……」
「あぁ、大丈夫だ。別に今日全部やるってわけじゃない。暇潰しで掃除してただけだしな」
「そうか。それで――」
楯無を呼ぼうとした千冬だったが、何時の間にやら姿を消していた為、溜息を大きく吐いて誤魔化した。
まぁ良い。私的な事で迷惑をかけているのは私もだ、注意はしないでおこう、と思い直し、千冬は踵を返した。
ついてこい、と言っているのだと気付いた3名が追従する。ロビンフッドの気配を欠片も掴ませない技能は流石としか言い様が無い。
足音を響かせて進み、何時もと違う進路を取って歩く一団。
世間話に花を咲かせ、何時ものリンカーンに乗り、発進して暫くの時間が経過した後、千冬が切り出した。
「なぁ、センクラッド」
「あぁ、少し待て……あぁ、良し。それで、一夏と簪のトラブルの事か?」
「――生徒会から、ではないようだな」
「千冬、もう更識達から聞いているだろう? 別に遠まわしに聞かんで良いよ。ストレートに話してくれると俺が楽だ」
入室してきた時から、負の感情……それも、幾許かの後悔と幾つもの苦悩を宿している事を視て取ったセンクラッドは、ただ淡々とした口調で返した。
緩やかな口調で、或いは力無く千冬は独り言のような声を零した。
「私はな、センクラッド。良かれと思ってやってきた事が最近になって全部裏目に出ているようでな」
「だろうな」
「……おまけに、余裕を持って生きるという事が出来なかった」
「見たまんまだな」
「…………弟にも、教え子にも理解されない私をどう思う」
最後の言葉は、疑問ではなく、完全な独り言の様相を呈していた。センクラッドの肯定加減が余りにもフルボッコ側に振り切っていた事もあり、また、何と言うか、コレは自分でもらしくないと気付いているからだ。
これでどうせ「何でもない」とか言ったらそれはそれであれよあれよという間に内容をポロリと言わされると勘付いてもいる。感情を読める超能力を持っているならそうしてくるだろう、このお節介さんは、とも察していた。故に、最初から言わなければ良かったというわけにもいかない、有る意味において千冬は詰んでいた。
また、同類認定、恋愛疑惑、IS学園内外でのトラブル、異星人絡みのトラブル等で数え役満クラスに心身共に参っていた千冬にその発想は既に無い。
抱え過ぎてその重荷でダメになるタイプの彼女が無意識下で頼りにしていた後輩の真耶や、愛する弟の一夏に全く余裕が無いという事が大きな原因の1つだ。
表情を若干痛ましげに変えたシロウが口を開きかけたのだが、眼で制したセンクラッドによって言葉は肺へと押し戻される。
「俺が経験した人間関係上、理解されない、と言う事は大抵の場合、理解して貰おうとしていない可能性が高い。勿論、そうなった原因は相手にもあると思うがな」
「……あぁ、判ってる」
そう言われる事は予想した通りだった。大体の者なら千冬を擁護しているだろう。或いは相手が悪いという論調で話が進むかだ。それは、無敗のまま世界最強の座に君臨し続けた結果、神格、或いは信仰化された弊害によるものだ。
だがセンクラッドは違う。異星人という立場もあるが、客観的に人を見ている。それ故にかけられる言葉は予想していたのだが、やはり実際に言われるとなると堪えるものがあった。
「ただまぁ、今は別に良いんじゃないか」
「――うん?」
「お前さん達はまだまだ若い。時間をかけて理解させるという事を覚えていけば良い。逸ったりしてもどうにもならん問題は往々にして良くあるものだしな」
「そう、か……?」
「何も今すぐに関係や理解を深める必要は無いだろう。時間をかければ良いというものでもないが、それでももう少し余裕を持っても良い。こんな時こそ緩くいけ、緩く。そういう気構えで十分乗り越えられる筈さ。お前さんはまだ若い。焦れば焦るほど、人間関係はドツボに嵌るものだ」
最初の17年間はともかくとして、異世界に放り込まれて激動の時代や世界を生き抜いた男の言葉は、地を這うような低い声も相まって深みのある意味を持っていた。千冬が噛み締めるようにしてセンクラッドから貰った言葉を反芻し、何度か頷いたのを見て、センクラッドは余計な一言を呟いた。
「それに、誰も死別はしてないだろう。なら、どうとでもやり直せるし、関係なんて幾らでも作っていけるものだ」
死んだら、関係も何もあったもんじゃないからな。そう付け加えたセンクラッドの声は、昏い色を宿しており、余りに重い響きを持っていた為、思わず横顔を見詰める千冬。
悼むように眼を閉じているセンクラッドの表情は、ハッキリと悔恨を伴った灰色を宿していた。
どうやら話を振ったら予想外に重い地雷を踏み抜いたのだと気付いた千冬は、どうしたものかと地味に焦るハメに陥ったのだが、センクラッドが眼を開くと、その色は消失し、元の内情を読ませぬ表情で固められていた。
「まぁ、今のが余計な一言だったのは自覚しているからさておき」
「自覚していたのか」
思わずツッコミを入れてしまう千冬だが、センクラッドは当然だろうと肩を竦めただけで話を続ける。シロウや姿を消しているロビンフッドまでもが視線で「なら言うなよ」とツッコミを入れてもいるが、それすらもセンクラッドは綺麗に読み取って顎に手をやりながら視線を外す事で華麗にスルーした。
「俺がお前さんに一番言いたい事は、もう少し素や過去を曝け出してみても良いんじゃないかって事だな。俺やシロウと話している時のお前さんを出せば良い。それに、全部出せとは言わんが、自分を出さずに察してくれ、というのは土台無理なハナシだろう?」
「そうさせて貰えないのが世間というものでな――」
「千冬、誰かだか何かだか判らんが、他のせいにしないように。弟の為か誰かの為かは知らんが、面の皮厚くなり過ぎてどうして良いか判らないとなる前に、チャッチャとそこら辺を意識して出すべきだぞ。時間をかけすぎたらお前さんの場合、無理でした、になりそう……いや、なる。なるな絶対」
事も無げに言うセンクラッドだが、千冬は暗い顔になるばかりだ。そんな簡単に素を曝け出せる様な人物が居るわけがない。千冬の立場を利用してくる魑魅魍魎どもなぞ掃いて捨てる程居る。そんな奴らに素を見せるのは論外としても、やはり高すぎる地位というか、立場というものが絡むと人は容易に変わるものだ。
親から捨てられ、世間の風を存分に浴び、裏の人間達の欲望を眼にしてきた千冬の人を見る眼は確かにある。だが、見る眼が厳しすぎて、心を固くし過ぎて素を出せない様に生きてきてもいるから、どうしようもない。
その苦悩を視て取ったセンクラッドは、吐息1つ出した後、
「仕方ないな。弟や教え子に対して、相手が知らない一面を見せて理解させたい、という方向なら、結構簡単にやれる部類が幾つか思いついている、それをやってみようか」
「何? それは本当か?」
「あぁ、何事も勇気さえあれば問題ない。背中は俺達が押してやるし、たまになら引っ張ってやる。後はお前さん次第だ」
と、ナチュラルに巻き込まれたシロウとロビンフッドの心境は、全く違うものだった。
シロウは千冬と知り合って結構な日数が経過しているのもあり、まぁ、その位なら私が手伝うのも吝かではない、と考えており、ロビンフッドの場合は、千冬ちゃんと知り合って間もない上に、まーた無茶振り来たよ。口説くか狙撃か暗殺か破壊工作じゃないなら俺は役立たずだっつーの、そういうのはクーあたりに頼めよ、マジで。と考えている。
千冬は、暫く考え込み、意を決して頭を下げた。
「頼む」
「判った。だが、重ね重ね言うが、お前さんが変わらない、或いはやらないとなった場合は元の木阿弥だからな」
「いや、やる、やらせて貰う」
「そうか、なら色々用意しておこう。まぁ、後は、アレだ。元々俺達は関わると決めていたからな。更識と簪さんと一夏の問題は、お前さんとボーデヴィッヒさんと一夏の問題にも繋っているし」
その言葉に、パチパチと眼を瞬かせ、次いで眉根を寄せる千冬。更識姉妹と一夏、織斑姉弟と教え子がどう繋がるのかが判らなかったのだ。
脳裏に類似点を並べ上げ、千冬が思った事を口に出していくと、センクラッドは概ねその通りだと首肯した。
「簪さんは更識を見ていて、楯無を見ていない。一夏は千冬を見ていて、ブリュンヒルデを見ていない。ボーデヴィッヒさんはブリュンヒルデを見ていて、千冬を見ていない。結局のところ、片方は説明不足で、もう片方は押し付けてるんだよ。だから、それを知らしめるのがこの場合、重要なポイントだ。まぁ、更識がそこを判っているか知らんがな」
ロビンフッドは、いやいやそんな簡単なモンじゃねぇよ、肉親の問題は男女関係よりもきっついべよ、俺らの時代でもドギツイのあったじゃねぇか、と突っ込みを入れようとして、車の中とはいえ、今自分は姿を消して行動しなければならなかったという事を思い出して、やむを得ず黙り込んだ。
シロウは何処か遠い眼で虚空を見詰めていた。センクラッドの言に色々思うところが確実にあったのだろう。説明不足云々が特に。硝子の心にカラドボルグがドリドリしているレベルだ。
「それで、その方法とは?」
「トーナメントが終わってからで良いだろう。流石に自室以外だと気を配りながらという風にしか出来ないからな。舌も回らん。用意はしておいてやる」
その言葉で、ようやく自分が今の今まで何をしていたかを把握する千冬。恐らくはセンクラッドが今まで防諜をしてくれていたのだと察し――実際はそんな事は無いのだが――失態だ、と臍を噛んで、
「す――」
「良いから。謝らないように。もし言うならありがとうだ。あぁでも、コレ位で礼を言われても困るからありがとうも無しだ」
「頼むから言葉を取らないでくれ……」
と零しつつも、少しばかり表情を明るくさせる千冬。まぁ、ぎくしゃくしている弟や弟子との関係において突破口が開ける可能性があるのだ、明るくもなるだろう。自力で出来る程、器用ではなかったのだから。
だが、千冬は知らない。
センクラッドが言った『幾つか』の危険さを。
シロウは割かし判りやすく顔を顰めていたのだが、千冬はそれを曲解して受け取っていた。護衛という立場からしてみれば、千冬が持ち込んだ問題と言うのは普通ならスルーすべき個人的な案件だ。故に、シロウの表情はそれを咎めているものと思ってしまっていた。
実際はそんな事は無い。
基本的にはお人好しな世界のブラウニーことシロウが顔を歪めたのは、センクラッドの意図が嫌な予感と共に何となく察知できたからだ。伊達に長い付き合いをしていないし、伊達に未来予知に近しい先天的特性である心眼(偽)を持っているわけではないのだ。
ただ、その察知しているつもりのシロウでさえ、後日センクラッドが提示した案の1つで絶句し、ロビンフッドはそれに対して「大将サイッコー!!」と快哉を上げながら全力でGOサインを送り、クー・フーリンですらニヤニヤ笑いながら「いいぞもっとやれ」というノリで眺める事態になるとは夢想だにしなかった。
「――そろそろだ」
「あれが、会場か。人が多いな」
「2万人を収容可能だ。既に満員だよ」
バーカウンターに備え付けられているディスプレイに、件のISアリーナが映し出され、整然とした列を作って順番待ちをしている観客達を眼にした感想が、それだ。
今年に限って言えば、異星人が観覧するという事を大々的に喧伝した結果でもあるし、IS学園という閉じた場所ではなく、市のISアリーナを用いた事もあって、喧伝した時期が殆ど無いにも関わらず、チケットは完売している。
また、警備員の多さも目立っている。何気に民間企業からではなく、公務員で構成されていたりする。まぁ、コレは異星人に対する配慮というよりは、観客同士の、もっと言えば女性から男性へのトラブルを防ぐ事が目的であった。
見知らぬ男性を顎でこき使おうとしている女性をセンクラッド達が視たらどうなるかなぞ、殆どの者は判る筈だ。
幸い、センクラッドが居る場所ではそういうトラブルは起きなかったのだが、あるにはあった。
来賓用の出入り口でチェックを受け、最奥にある特別車両用の停車場所で降車したセンクラッド達を出迎えたのは、ヴァイツゼッカーと倉持だった。
「お久しぶりです、ファーロスさん」
「こちらこそ、お久しぶりです、ヴァイツゼッカーさん、倉持さん」
握手をし、ヴァイツゼッカーが一歩先を進み、倉持がセンクラッドの左側に移動し、先導を始める。
緊張と苦悩を宿しているヴァイツゼッカーの心に、若干の引っ掛かりを覚えながらもセンクラッドはそれをスルーした。
お偉いさんなら誰もが持ち得るものだと思ったからである。
その苦悩が自らに降りかかる極大の災難に絡むとは、夢にも思わなかったのだ。