IS BURST EXTRA INFINITY   作:K@zuKY

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EX―IS10:簪と対話

 更識簪。

 日本の裏を取り仕切る暗部、更識家の次女。IS関連以外にも高い知性と見た目にそぐわぬ運動神経を持つ才女。

 普段は人形の様な、何処か無機質な雰囲気を纏っている彼女だが、今は困惑して男が手にしている2本の魔法瓶を凝視していた。

 何故なら。

 

「それで、どちらが良いかね?」

「……緑茶でお願いします」

 

 異星人の護衛役が接触してきたからだ。

 幾らやっても埒が明かない、愛機予定の打鉄弐式を完成させようと、教師から特例として第2アリーナのBピットでプログラムの構築や修正、ISを纏ってのトライアンドエラーを繰り返している時に、浅黒い肌に真っ白な頭髪を逆立てている、紅と赤の衣服を纏う美丈夫が現れた。

 最初見た時は何かの間違いだろうと思ったのだ。だって此処には自分しか居ないのだから。

 何の目的があって自分と接触してきたか、流石の簪も想像の埒外だ。幾らなんでも「姉との仲や一夏との確執をどうにかする」なんて個人的極まりない目的があるとは夢想だにしなかったのである。

 

「君は、此処で何を?」

「――え?」

 

 予想もしない形で予想出来ない質問をされたと気付いたのは、3秒後。表情を崩してぽかんと見詰めた簪に悪気は無いし他意も無い。

 だが、ハッと我に返り、瞬時に思考を奔らせる簪。安易に打ち明けるべきではない、と判断し、出したのは当たり障りの無い言葉。

 

「このISの、調整を。ええと……」

「あぁ失礼。シロウと呼んで欲しい。君は?」

「簪、更識簪です」

 

 共に名乗りを上げて、挨拶をした後、シロウはISを視界に収めて腕組みをした。

 上半身につけるパーツは薄く、しなやかと言っても良い装甲が主軸で、目立つ部分といえば肩部にある大型のウィングスラスターとジェットブースターだ。

 下半身につけるパーツは外に広がるスカートタイプのアーマーで連結方式ではなく、独立方式を採用しているようだ。

 色を蒼と白に染めれば彼女のような鎧(形状)にも見えない事は無いか、と最近センクラッドに毒されすぎて愚にも付かない、或いは郷愁染みた過去の重ね合わせをしている事に気付き、口から小さな自嘲めいた嘆息を吐きつつ、

 

「ふむ……そのIS、倉持技研の系列のように見えるが、まさか新型か?」

 

 ズバリ核心を突いた言葉に、表情を強張らせる簪。異星人が看破するとは思わなかったが故の、表情の推移。だが、何かしらを言う前に、シロウが再度、言葉を発した。

 

「あぁいや、いきなりですまない。私は元々……機械弄りが趣味でね。織斑教諭から教本を渡されて寸暇を惜しんで読破したのだよ。それで、形状を見て、見てきた物と違うと感じたので言ってみたのだが」

「いえ……あってます」

「成る程、しかし細部まで見なければまるで別物に見える。装甲と安定を取った打鉄とは違い、随分シャープな感じになったのだな。コレは、君が?」

「えぇ……まだ、未完成品、ですけど」

 

 言外に、余り見られては困る、と言う意味を込めたのだが、シロウはまるで気にした素振りも見せず、成る程と頷いて見詰めている。静謐で、荘厳とも言える雰囲気を放つ不思議な男に、簪は挟む言葉を持たない。

 10秒ほどして、シロウがポツリと、

 

「触っても?」

「……どうぞ」

 

 ISを操作出来るわけではない。通説では遺伝子情報での判定が高いと言われている以上、眼の前の男が操れるとも考え難いし、情報収集ならばもっとやりやすい場所や機会がある。と判断しての、言動だった。

 カツカツ、と黒いブーツを鳴らして進むシロウを見て、改めて簪は思う。隙が無いと。

 ただ歩くだけでも判る、その姿に隙らしい隙は一切無い。靴音が響いているのは、響かせているような足運びをしているからだ、と気付く簪。一定以上の力量を持つ者にしか悟らせない足運びだとも見抜いている。それを視線や表情で悟らせてしまうのは、若さから来るものだろうけれども。

 一方、シロウも、簪の観察力に些か以上の驚きを覚えている。まさか10代半ばの少女がそれを悟る力量を持っているとは思わなかったのだ。流石は生徒会長(学園最強)の妹か、と胸中で呟きながら、簪が調整しているISに触れる。

 当然ながら何の反応も無いのをみて、僅かに緊張していた身体をほっと緩ませる簪。万が一反応があったら、と考えるとやはり緊張はするものだ。

 

「解析開始――」

 

 小声で呟いた言葉を、簪は空耳程度に聞いていた。何かを呟いた事までは判ったのだが、単語を理解する程度の声量ではなかったのだ。故に、グラール語か何かだろうと判断して、じっと見詰めていた。此処で視線を外してプログラムに没頭するのは失礼に当たるだろうし、そもそも異星人から眼を離すという選択肢は元より無かったのである。

 一方、シロウは魔術を用いてISの解析を行っていた。此処に来てシロウはセンクラッドから聞いた、或いは教本で知った知識の齟齬を擦り合わせようとしたのは、偏に再度の襲撃を予期してどの位の規模や力で迎撃すれば良いのかを精確に識る必要があると判断したからだ。

 とはいっても、シロウの魔術素養では複雑な機構を持つ機械や、遺伝子情報を持つ人間以外の生物の完全な解析なぞ無理に等しい。故に、有る程度まで、と割り切っての解析であった。

 神秘は一切無く、科学と事実の積み重ねで成り立っているISの解析は夢のまた夢、そう判断しての解析魔術。

 その筈、だった。

 

「――何?」

 

 意外な事に、そして妙な言い方になるが。

 シロウはISを解析していた。

 流石に完璧にして十全に、というレベルではない。

 だが、このISの名前から始まり、このISの作成者が眼の前の少女だという証拠、コアに記載されているナンバリング、コアを作った者(篠ノ之束)の名前、コア以外の材質や重さ、上下前後左右のバランス状態等が解析によって脳に刻み込まれていく。何時も以上に『通り』が良く、脳に書き込まれる情報量の豊富さに戸惑うシロウ。

 何せ此処まで複雑化している機械を短時間で把握出来るとは予想だにしていなかったのだ。記録を記憶としてある程度継承し、最盛期時代と同様の能力で受肉し、クラス適正(制限)が除外されたから……等では済まない、自身の異常を自覚し、そして何か得体の知れない不気味さをISから感じたシロウは、思わず解析を打ち切って凝視する。

 無機質な輝きを持つIS――打鉄弐式は何も語らない。語るべき口も、伝えるべき方法もそこには欠落しているのだ。

 

「どうか……しましたか?」

「ん……いや、良い材質と構成をしていると感心していた。PICの御陰でISは自重によるバランス制御を蔑ろにし勝ちだと聞いていたが、いやはやどうして、コレは違う」

 

 簪の訝しげな声で我に返り、頭を振って思考を破棄したシロウは薄く微笑んでそう伝えた。

 ISはバランス制御をPICに頼っているのは明らかだったが、それを切ってスラスターのみで飛んだとしても、この機体程バランス良く飛べるものはあるまい。

 打鉄弐式の構造上のバランスは見事と言っても良い。上下独立方式を採っているとは思えないほどだ。現存するISの全てと比較してもこうはなるまい。高機動型にして運動性能を追求した結果、この形状となったとまではシロウは知らないし、そこまで把握出来ていない。あくまで解析魔術の結果と外観部分を観察した結果を言葉に乗せたに過ぎない。

 それを知らない簪は、興味を持って聞きにいく。

 

「わかるのですか?」

「あぁ、こう見えても多少はね。武装が積み込まれていないが、機体に関しては機動を重視しているのは理解出来るし、状態も申し分ないだろう。尤も、ISは門外漢だからあくまで私から見た判断だがね」

 

 シロウが指摘した部分は正鵠を射ていた。既に機体部分は10割、武装も8割程度は完成している。このまま従来のプログラムを打ち込み、齟齬無く成立させれば打鉄弐式は完成する。

 だが、打鉄弐式はずっとこの状態を維持している。

 今のままでは、これは単なる打鉄の高機動型パッケージに過ぎない。ただの後期生産型に過ぎない。第三世代とも言える技術が、このISには内包されていない。

 更識簪が考えている独立稼動型誘導ミサイル『山嵐』と多重マーカーを組み合わせた多対一に特化したシステム、マルチロックオン・システムがこの機体のコアに追加出来ていない。

 ただのマルチロックオンならば、従来のものを引っ張れば良い。

 だが、それでは山嵐に課した独立稼動型の、ISのPICを利用した独特の加減速と無軌道な機動を描く事は出来ない。

 イギリスのティアーズ型のような脳波を用いずに、プログラムのみで複雑な機動を描いて相手にダメージを与える事が出来ない。

 その為の構想はある、その為の準備もした。だが試行錯誤の段階で躓いた。それが、簪にとっては苦痛であり、試練であり、壁であるのだ。

 姉がただ独りで組み上げた機体性能を把握しているからこそ、それを超えたい気持ちがあり、その為のシステムなのだから。

 

「そう、ですか」

 

 ただ、門外漢と言えど、地球よりも遥かに文明が進んでいるグラール太陽系星人に自らが設計したISを褒められるのは悪い気はしないものだ。表情を努めて乏しくさせていた簪の唇も、薄っすらとだが弧を描くというもの。無論、それを指摘する様なKYは此処には居ない。

 また、材質と構成という言葉から、簪はグラールにも同一、或いは酷似したそれらがあるという事を察している。

 正直に言えば、意外だった。有体に言えば、もっとぶっ飛んだ構造や材料を使用していると思っていたのだ。此処まで考えて簪は、ISも十分に常識外の存在で有る事を思い出して、意図せずに小さく苦笑を咲かせた。

 それに気付かずにシロウは打鉄弐式の傍に設置されている、生徒用のラックの上にぽつんと置かれている空のペットボトルに視線を向け、何気なく手にとって、

 

「簪嬢、1つ質問がある」

「……何でしょうか?」

「いや、別にそう堅くならないで欲しい。別にISの事を聞きだそうとかではない。飲み物は緑茶と紅茶、どちらが良いかね?」

「え?」

 

 予想外な質問に固まる簪。意味が判らないとばかりに眼を点にした簪に、シロウは空のペットボトルをヒラヒラと動かしながら、

 

「このペットボトル、空になって相当の時間が経過しているようだ。人の手の温もりも無ければ汗一つ無い。幾らここの気温がある程度抑えられているからといっても限度があるだろう。喉が渇いているのではないかね?」

「え……あ、でも、その……迷惑、ですし、買いにいかせるのも……」

「迷惑ではないし、買いにいくわけではないよ。魔法瓶を常備しているのでね。私も些か喉が渇いた、そのついでだと思ってくれれば良い」

 

 そう言って、シロウはペットボトルを置いて、手品のように魔法瓶を2種類出した。眼を丸くしている簪に、にこやかな、善意100%の笑顔を向けて、

 

「それで、どちらが良いかね?」

「……緑茶でお願いします」

 

 選んだのは緑茶であった。

 虚が淹れた紅茶の味を知っているが故の、判断である。まぁ、その虚は眼の前の男に土下座してでも弟子入りを迫った経緯があるが、彼女はそれを知らない。

 コポコポと言う空気と水気が混じった音すら出さずに注がれる緑茶を見て、この人も結構なお手前なのか、と思う程度には判るが。

 注ぎ終わった緑茶を手渡され、コクリ、と少し音を立てて飲んだ簪が、簪なりの最大級の驚愕を浮かべたのは、当全の結果である。

 

「美味しい……」

 

 華やかだが主張し過ぎない茶の香り。

 水から拘っていなければ決して到達し得ない舌触りの滑らかさ。

 甘みと苦味が同居せずに、交互に来る様な味の配置加減。

 それらを巧く調律する、腕前。

 これが、魔法瓶の中から出てきたのだ。

 天地の差?超一流?神の領域?冗談じゃない、コレがその程度の場所で留まっていると評するのは、シロウさんに対する冒涜だ。

 なのに――

 

「気に入って貰えたかな?」

「――ッ!? あ……はい……凄く、美味しいです……」

 

 なのに、出たのは在り来たりな褒め言葉。もう少しボキャブラリーがあった筈なのに、それすら出る事が許されなかった事に、簪は酷く赤面した。

 それに気付きながらも、指摘する事をしない大人なシロウは、薄く笑みを浮かべて、

 

「それは良かった」

 

 とだけ。

 正直、シロウの腕は神域超え確定なのだが、如何せん同居人というか元マスターが何をやっても「うん、旨いな」「あぁ、コレは良いものだ」としか返さないので、もしかしたら腕鈍っているのかという疑念がささやかながらに有ったのだ。ロビンフッドに敗北したという事もあるにはある。ちょっと位は認めてやらんでもない程度の。

 おまけに言うと、シロウは以前、センクラッドが言う『世界で一番美味しい飲み物』を飲んだ事がある。そのせいで自分の腕に更なる疑問が生じた事があった。

 飲んだ感想を言うならば。

 

 それは、この世の地獄だった。

 

 から云々どーのこーのと続くアレな感じの飲み物であった。

 ジタバタしたくなる?冗談ではない。

 アレを飲み物なんて言える筈が無い。存在すら認める事も出来ん。

 アレが飲料な筈は無い。

 アレの何処が初恋だというのだ、あんなに苦々しく酸っぱく甘く辛く、胃の中腸の中全てを引っ繰り返して吐き出したくなるものが初恋であってたまるか。

 そうだ、アレは黒歴史ジュース……否、ジュースと呼ぶのもおこがましい。

 黒歴史ポイナニカ、略してポイとでも改名すれば良い。

 怜治も怜治だ、ポイを天上の味だ等と真顔で言うとは。声だけではなく、とうとう性質まで言峰に似たのかと錯覚させられるとは夢にも思わなかった。

 誰かに負けるのはいい。けど自分には負けられない。今までそう思って生きてきたし、死後もそれは変わらず、受肉した後も不変のものだと固く信じていた。

 訂正しよう。

 ポイには負けられない。ポイにだけは、負けられないのだ。

 

「……さん、シロウさん?」

「――ッ!? あぁ、すまない。少し考え事をしてしまった。以前、私の御茶がマズイと言われた事を思い出してね」

「え? この御茶が、美味しくない……?」

 

 呆然としてしまった簪を見て「私はやはり、間違ってなどいなかった」と確信するシロウ。この場にセンクラッドが居れば、やれやれと溜息をつきながら「おいお前さん達、ハナシがズレてんぞ。あとな、シロウの茶は旨いと言っているだろうに」と突っ込みが入って軌道を修正する事が出来たのだが、生憎とセンクラッドは一夏と対話中だ。

 ただ、センクラッドよりはまだ常識人であるシロウは、復帰も早い。復帰が遅いのは魚を釣っている時か、ビキニを着用している時ぐらいだ。

 余談だが、シロウはビキニを装着する前はとんでも無く嫌がった癖に、装着したらしたで「オレのビキニに、酔いな」とか言いながら筋肉を誇示してきた存在だ。とんだ変態である。

 

「まぁ、私の御茶の腕はともかくとして。もう一杯どうかね?」

「……頂きます」

 

 空になっているカップに静かに注ぐシロウ。穏やかな時間の流れだ。

 この時点で。

 簪の警戒心はかなり薄れていた。まぁ、ある時点までは相当な皮肉屋ではあったのだが、生前の生き方についてセンクラッドから否定される事が無く「お前さんは何一つとして間違っていない」と太鼓判を押されたのもあって、今や割と善意の塊な方向に振り切れているシロウだ。その裏を読み取ろうとしても何も出ないし、彼の言葉は今でも皮肉が多少なりとも入ってはいるが心がある。

 故に、簪は警戒心をかなり薄れさせていた。

 孤独で居ようとしても人は繋がりを求めるものだ、それは人として完膚なきまで破損していたシロウとて例外ではない。

 だが、そうは言ってもシロウは異星人であり、簪は更識だ。疑問を解消していかなければ利害の一致ならばともかくとして、信用や信頼関係を築く事は出来ない。そう、先ずは情報を。

 その思考は間違いなく更識家に属する者特有のものだが、簪は気付いているのだろうか。その思考の意味に。2つの相反する意図に。

 

「そういえば……どうして、私に話を……?」

「どうして、か……そうさな、最初は話すつもりはなかった。アリーナやピットを見ようと思ってね。織斑教諭から許可が出たので色々見回っていたのだが、何やら切羽詰った感のある子が居たのでね、見過ごせなかった」

 

 指摘されて、思わず俯く簪。周囲からどう見られているかなんて判っていたが、ガードを下げている状態で直で言われると心が羞恥に染まるのは当然だ。

 切羽詰っているのは当然だろう。一向に完成の目途がつかない状態のまま、ツーマンセル・トーナメントが開催される時期に到達している。倉持技研が何も言ってこないのは、一重に更識の名を持つ事と、一夏の白式があるからだ。どちらが欠けても、恐らくは取り上げられはしないが、技術者が送り込まれてきたに違いない。

 

「ふむ……事情があるようだが、良ければ話してくれないか」

「え……でも……」

「勿論、無理にとは言わない。だがね、人というものは往々にして抑圧した感情を持て余す事が多い。抑圧が過ぎて感情や心を殺してしまうのなら、その前に話すべきだと、私は思っている」

「貴方も、そうなのですか?」

 

 予想した切り返しに、苦笑して頷いてみせるシロウ。心が、魂が欠損していたとしても、何も全てが死んでいたわけではない。周囲からは機械のように見えたかもしれないが、それなりにだが異性に関心を持っていたし、人の死には人一倍過敏でもあった。周囲にソレを見せない生き方をしたせいで、機械のような英雄と揶揄されたが。

 

「昔は私もそうだったよ。今より感情表現がずっと苦手でね。マスターに矯正されたよ」

 

 感情というよりも、心の発露という意味ではセンクラッドによって大分改善されていたりする。

 というよりも思考から行動までツッコミどころが多々有るマスターなのだ。自然と語気が荒くなったり、心の赴くままにブン殴ったり、正座からの説教フルコース等、生前の彼では考えられない事を多々している。少なくとも、

 勿論、心の発露に関しては感謝をしている、割と、切実に、多大な感じで。

 それに対して「ほう、経験が生きたな。ならば、俺に感謝してジュース奢れ」とドヤ顔で言われた日には、笑顔で沸かしたての出涸らし紅茶を頭からぶっかけてやるしかないだろう、実際言われたし、実際やったし。

 あんまりに腹が立ったので何だそれはと問い詰めたところ「元いた世界で実在した馬鹿の発言集が平成のシェイクスピア級だったので覚えていた」とか何とか。シェイクスピアに謝れ。

 またも心の赴くままに思い出して脇道に逸れ掛けた思考を強制的に破棄したシロウが、

 

「あぁ、そうだ。交換条件として、私の事を話しても良い」

「え?」

「いや、なに。君だけ話すというのも不公平だろう。私も昔語りをしても構わない。勿論、質問も受け付けよう。出来れば、秘密にしてもらいたいがね」

「秘密に……?」

「そう、君の事情を聞いても口外しないし、私の過去を君は口外しない。要はちょっとした秘密の共有という奴だよ。まぁ、君が話したいなら話しても構わないが……」

 

 と、言葉を切ってシロウは何時もの鋭い眼を意識して柔らかくし、首を微かに傾げる。

 共犯の意識、という言葉がある。或いは、秘密の共有というものでも良い。どちらにせよ、その手の種類は、基本的にちょっとした背徳感や高揚を思い起こさせるものだ。応用すればその感覚を増大して操る事も可能だ。犯罪心理の基本的な手段でもある。

 搦め手を含めて自在に戦場と戦略と戦術を組み立てるシロウにとってはこの程度造作も無い事だ。

 まぁ、以前そのことをセンクラッドに話したら「ほう、流石100人斬りのオンナスキーな電脳主人公。お前さんの真名は今日から無銘とシロウ改め、鬼畜系エロゲな」と真顔で言われ、反射的に殴り飛ばしてしまったが、多分きっと間違いなんかじゃなかった。

 

 閑話休題。

 

 いかに更識の名を冠するとは言え、10代半ば、自ら望んだとは言えほぼ孤立無援の状態、遅々として進まぬ進捗状況、そして異星人の取引めいた言葉等、様々な要因が重なり。

 結果、話してしまう事になる。

 そうして話し始めてみると、時計の長針が半周程経過する位の密度を持った内容であった。

 ……わけではなく。

 

「――成る程、要は姉の掌で転がされているので、どうにかそこから逃れて、姉を見返したい……で良いのかな?」

「大体そうです」

 

 身内が絡むと本当にポンコツになる更識楯無とその妹。この認識が確定したのは、彼女の感情混じりの話っぷりからだった。

 片方は妹を気にかける余り、可能性を摘み取り。

 片方は姉を気にする余り、視野狭窄に陥っている。

 別段何処にでもある話なのだが、両者の才覚がなまじ極まっているせいで、根は深いものとなっていた。

 ついでに言うと一夏に関しては一概に私怨とも言えないが、この場合はどちらも被害者というケースだろう、とシロウは判断している。

 

「1つ聞いても?」

「……どうぞ」

「君が姉とキチンと話したのか、そこの判断がつかなかった。もし君が話し合いをしていないのなら、そこはきちんと話し合いをしてお互いがどう思っているかを確認するべきだろう」

「……それは……」

 

 話し合いなんて出来る筈がない。どうやって話せば良いというのだ。あの姉に。

 多忙なのは本音や虚から聞いているし、自身も楯無の業務をある程度知っているし、この数ヶ月間の殺人的過密スケジュールを理解している。勿論、その前ならば機会は多少なりともあったが、それでも話そうとは思えなかった。

 怖いのだ。

 巨大すぎる姉が。容姿から始まり、才覚で突き放され、経験でも負け。自分は出涸らしのような存在。

 そう思ってしまうのは、一重に、姉の存在そのものに加えて、普段から比較され続けてきた環境に因るものが大きい。

 家でも。

 学校でも。

 友人関係ですらも。

 何時も、簪は比較され続けてきた。何をやらせても天才的な姉と、優秀ではあるが天才的とはいかない妹。

 最初は憧憬。途中から畏怖になり、今や恐怖と嫌悪が大多数派。

 

 もし。

 この場に、篠ノ之箒が居たら。

 もし。

 この場に、織斑一夏が居たら。

 ずっと早く和解する事が出来ただろう。

 同じ悩みを持ち、似た感情がある故に。

 

「――確認は、しました」

 

 その恐怖に、簪は屈した。その嫌悪に、簪は身を委ねた。

 故の、偽り。

 シロウはそれを嘘だと直感的に知ったが、それ以上の追及はしなかった。此処まで話してくれたのだ、これ以上の追求は心を閉ざしかねないという判断を下した為である。

 

「そうか。だとしたら、私からはただ一つしか言えないし、ただ一つしかしてあげられない」

「何、ですか……?」

「頑張れ」

 

 ただ一言。頑張っている人間に頑張れという言葉は酷なものだ。頑張っていないと捉えかねないのだから。

 だが、シロウは。

 敢えてその言葉を使った。

 弾かれたように眼を合わせる簪に、シロウは腕組みをして柔和な笑顔を消し去り、眼を閉じた。

 

「私は文字通りの部外者だ。仮初の客と言っても良い。その私がキッチリと手を貸すというのは君自身が許さないだろう」

「……そう、ですね」

「その状態で手を貸してもどうにもならなくなるのは明白だ。だがね、私としてもこのままにするのは些か気持ちが悪い。故に――」

 

 腕組みを解き、手に在る魔法瓶を掲げ、クッと笑みを浮かべて眼を見開く。

 右目を瞼でパチリと叩いて伏せ、

 

「まずは、頑張れと。それと、差し入れを持っていく事から始めさせて貰っても、良いかな?」

 

 きっと。この瞬間に。簪の胸中に沸いた感情は。簪の喉から生まれそうになった声は。

 正しく、汚い打算(更識)も含まれていたに違いない。正しく、綺麗な想い(簪)も含まれていたに違いない。

 簪はその想いと、打算と、表情を見られたくなくて、頭を下げた。

 

「……宜しく……お願いします……ッ」

 

 この日から、簪に対する無形の警護と、シロウに対する無形の監視が付けられる事は確定した。

 だが、シロウにとってはそんな事は些事にも含まれないし、簪はそれをも判って頭を下げた。

 

「でも……どうして、そこまでしてくれるのですか?」

「ふむ。手を差し伸べる事は悪ではないだろう? 私は生ぜ……以前からずっとそういう事をしてきたのでね、いわば性分という奴だよ」

「……あの、そういえば……」

「あぁ、私の過去の話かな。余り良い話では無いと思うが、聞くかね?」

「是非」

 

 間髪入れずに飛んだ言葉に、シロウは思わず眼を瞬かせ、簪は思わず赤面する。

 返すタイミングが思ったより早いと両者が感じ取った結果だ。

 こほん、と咳払いをしたのも同時で、今度こそ2人は同時に眼を瞬かせた。

 場の空気を一新させようと、或いは気まずさを払拭しようとした結果だ。

 頭を軽く振って、シロウは取り合えず魔法瓶を左右に軽く振り、意図を理解した簪が持っていたカップを差し出し、注がれる。それにより、微妙な雰囲気は一新された。

 

「……それでは、私の過去話をしよう。まずは座りたまえ、少し長い話になる――」

 

 ちょこんと膝を崩して座り、両手でカップを持って静聴の体勢になった簪と、自身も胡坐をかいて座り、己の過去(記録)を話せる範囲で話し始めるシロウ。

 それは、怜治と出会う以前のお話。

 エミヤキリツグに拾われずに、アラヤと契約せずにムーンセルと契約し、座へと至った、ただの無銘であった頃のお話。

 或いは、怜治と出会った時のお話。

 神薙怜治の思念を受け取り、不本意ながら召還に応じ、シロウという名を貰い、月の聖杯戦争を駆け抜けた頃のお話。

 そのいずれかかもしれない。

 そのいずれもかもしれない。

 そんなお話。


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