IS BURST EXTRA INFINITY 作:K@zuKY
IS国際委員会日本支部。東京都霞ヶ関に位置する、表向きは政府間国際組織の一つとして存在している場。
都心だというのに、やや広めの敷地と宿舎一体型の中層ビルを持ち、国際色豊かな警備員が其処彼処に居り、決められたルートを巡回している様子を見れば、日本支部と銘打たれていようとも異質である事には変わりは無い。これでも平時では此処まであからさまな者達を配置する事は無いのだが、今日に限っては特別だ。
正面ゲートを潜って、一台のリンカーンが停車し、中から出てきたのは、センクラッドとシロウ、千冬にラウラ、そして姿を隠しているロビンフッドだ。本日はあの事件についての会談で此処に来ていた。
ぐるりと周囲を見渡し、首を上に向けて意外な程高さがあるビルを見上げた後、センクラッドはポツリと言葉を千冬に向けて放り投げた。
「結構な金をかけてるんだな」
「ISが中心となっているからな、これ位は仕方ないだろう」
当然ではなく、仕方ないと呟いた千冬の思考を何となく読み取れたセンクラッドは、そんなものか、と頷くに留めておいた。
此処だけ異国のような、と、そんな印象を持つ人は持つだろう。少なくとも、国際色豊かな警備員が、物騒な獲物を持ち得て其処彼処を巡回している光景は、都会で暮らしていた日本人の感性を捨てずにいる神薙怜治としては強烈な違和感を抱かせるに十分な威力を、しかしグラール太陽系デューマンとしては至極普通の印象を抱いていた。
ただ、IS国際委員会がこうも物々しくなっているのはセンクラッドが来るからであって、平時はもっと判りにくく偽装してある。準戦時下、とまではいかないが流石に異星人に危害を加えられても困るのだから、物々しくなるのも仕方の無い事なのかもしれない。敵は、ISだけではないのだから。
そのまま入り口に入ると、受付付近で待機していた金髪碧眼の美女が声をかけてきた事で、どうやら案内役のようだと察するセンクラッド。
柔らかな笑みと、絹のような耳触りの良い声で、
「センクラッド・シン・ファーロス様ですね? ようこそIS国際委員会へ。ご案内致します」
「宜しく頼む」
9割の男性、或いは半数以上の女性が恍惚と溶けるような美貌も何処吹く風以下の反応を返すセンクラッドに、美女は何処か面白そうな輝きを瞳に浮かべながら案内し始めた。
モノクロパターンの大理石で出来ている廊下に足音を刻みながら、のんびりとした風にセンクラッドは周囲を視ていた。
そこかしこに備えられている監視カメラや、忙しなく働いている職員が目に付くのだが、それ以上に感知したのは、職員達から向けられる負の感情だ。
怖れに近い感情を徹底して表情には出さずにいるのは、徹底した教育の賜物だろう。だが、左眼にはそれは通じない。感情を完璧にコントロールしようとも、根底にあるそれは隠す事は出来ない。人間だけではなく、万物は異物や異端を極端に嫌う傾向がある。受け入れるのにも時間がかかる為、異物とも言える自身に怖れに近い感情を持つのは仕方の無い事なのだが、やはり一抹の寂しさは禁じえない。
まぁ、普通はそんなものか、と、この手の感情とは友人程度の付き合いがあるセンクラッドは達観していたが、先導している美女からはその手の感情が極々僅かしかない事にも気付いていた。故に、あの美女は一体何物なのかという興味程度は湧いている。
5分程進み、突き当たりのドアが開かれると、そこには2人の男が座っていた。
1人は銀縁眼鏡と神経質そうな双眸が印象的な、その癖温和そのものと言う雰囲気を纏っている40歳を超えるか超えないか程度の日本人。もう1人は、彫りの深い顔立ちと190mを超える長身とスーツに不釣合いな程鍛え上げた体躯が特徴の欧米人だ。
2人ともセンクラッド達が入室してきた事で立ち上がって、
「IS国際委員会日本支部長と倉持技研の所長を兼任しております倉持研治です」
「IS国際委員会監査部長とヴァイツゼッカー社CEOのヴォルフラム・フォン・ヴァイツゼッカーです。本日は宜しくお願い致します」
そう2人は挨拶をしてきた。今更だが流暢な日本語を話す外国人に感心するセンクラッド。ISに関わる者達の殆どは日本語は必修だと言われているとはいえ、此処まで綺麗に発音する壮年がいるとは思わなかったのである。
それに反応したのは、先ずは千冬で、深く息を吸い、
「――IS学園教師兼グラール太陽系惑星人友好調停者、織斑千冬です」
と、サラリと言い切った。センクラッドに後でからかわれないように日夜、この文言を暗記する為に早口言葉の練習をしたり、暗記したりと微妙な努力をしており、それが報われた形だ。
センクラッドは内心、やはり言わんとダメか……と思いながらも、
「グラール太陽系惑星人親善大使センクラッド・シン・ファーロスです。此方こそ宜しくお願い致します」
と、こちらも誰にも見られていない事を確認しながら、風呂場で練習した甲斐があって噛まずに言えていた。微妙にドヤ顔をしているのだが、それには一切触れないIS国際委員会側。ちなみに、センクラッドは既に失敗を犯している。本来は親善大使と名乗らない方が交渉の余地をなくす事が出来た。あの召喚状に記載されていた通りの肩書きを名乗るべきかもしれない、という根拠の無い想いを持ってしまった事から失敗していた。
倉持は、上手側の椅子を手で指し示して、お掛け下さい、と言葉を投げかけ、センクラッドと千冬が着席し、シロウは窓側、ラウラは出入り口側にそれぞれ立った。
「今回の襲撃の件、誠に申し訳ございませんでした。現在IS学園側と協同し、犯人グループの洗い出しをしております」
と、倉持が頭を下げたのを視て、センクラッドは、
「確認ですが、もし再度襲撃された場合は、撃墜しても?」
「そうならないように努力致しますが、万が一、その様な事態に陥った場合は、撃破して頂いて構いません。責任はIS国際委員会が全て持ちます」
倉持の言葉に、シロウは僅かに眼を細めて見つめた。
センクラッドは撃墜という言葉を使ったのに対し、倉持は責任を明確にした上で撃破という言葉を使った。ISを撃墜ではなく撃破という言葉を使った事に、引っ掛かりを覚えていた。日本人らしい言い方と言えばそうなのだが、未来予知に近い超感覚を持つシロウは、それだけではない気がしたのだ。
ただ、センクラッドはそれに気付かなかったようで、頷いて話題を次へと進めた。
「判りました。護衛に関してですが、こちらの護衛は、横にいるシロウを、そちらの護衛は織斑千冬とラウラ・ボーデヴィッヒで?」
「もし不安があるようでしたら、増員も検討させて頂きますが……」
答えたのはヴァイツゼッカーだった。ドイツ軍IS配備特殊部隊の隊長と世界最強クラスに与えられる称号『ヴァルキリー』を持つ者達の中でも最上位に位置するブリュンヒルデが護衛についていたとしても、不安や不信というものは消えないものだろう、という意味での提案だったのだが、センクラッドは少し慌てたように首を振って否定した。
「いえ、問題ありません。確認ですので」
「判りました……質問をしても?」
「どうぞ」
コトリ、と横合いから茶を出してきた案内役の美女に目礼し、ヴァイツゼッカーは口を開いた。
「先日、ISコアから抽出したデータを見たところ、その際、ファーロスさんはIS学園も含めて攻撃してきた場合、と仰いましたが、協同して戦闘を行うという事で?」
「勿論、IS学園が襲撃された場合でも協力致します。流石に見捨てるような事は致しませんよ」
あの場はトチ狂っていなくとも、そういうニュアンスを込めた言葉を発しなければいけなかった。眼の前で攻撃に曝されている、親しくなった者達を見捨てられるような男ではないし、そもそも初手で勝手にグラール太陽系の名を出した以上、最早会う事は叶わないが友人達の名誉や信頼に応え続ける為にも、そうしなければならないのだ。
仮にセンクラッドへ攻撃がいかなかったとしても、一夏達に危機が訪れていればシールドバリアーを破壊して飛び出していた。つまり、情云々ではなく、甘いのだ。自らの行動でどうなるかを把握しつつも、ある程度の責任は取る事前提で動く生き方を選んだ時点で、足枷は、とうの昔に完成していたのである。
「助かります」
「いえ、この位は当然です。そうならないように願ってますが」
「確かに」
倉持やヴァイツゼッカー、千冬やあのロビンフッドすらも、この時既にセンクラッドがこの手の交渉事は不得意だという事を見抜いていた。本来ならば、あの言葉を持ち出されたとしても――いや、本来はそこから既に悪手だったのだが――頑として跳ね除けたほうが手札を見せる事をせずに済むのだ。特にイレギュラーで地球に来たのならば、惑星間の取り決め等で縛られている事は容易に想像がつく。
しかし、それ故に、侵略等の意図は無いという事も有る程度の信憑性を帯びて来る。悪手を最善へ昇華させるには相当の慣れや技術が必要だが、センクラッドの発言にその片鱗は欠片も無い。有るのは、人間性、それも善性に近いそれだ。殆どのケースにおいて必要以上の見返りを求めないその人間性は、美徳であり、弱点でもある。
ヴァイツゼッカー達からすれば、もしセンクラッドが地球人だったのなら御し易く、しかしそうではない為、扱い難い存在と映っていた。異星人、この言葉が全ての有利不利を失くすのだ。
「ただ、万が一襲撃等のイレギュラーな出来事が起きたとして、一つお願いしたい事が」
「お願い?」
ヴァイツゼッカーに聞き返され、センクラッドは頷いて言葉を繋げる。
「此方を狙わず、例えば世界で唯一の男子操縦者、或いは篠ノ之博士の妹等を狙ってきた場合。その場合も阻止しますが、その際に学園側が被る施設の被害には眼を瞑って頂きたいのです」
「成る程……シールドバリアーやアリーナの壁等の破壊と言う事で?」
「その通りです」
ふむ、と考える素振りを見せながら、ヴァイツゼッカーは倉持、そして千冬に視線を飛ばした。その程度なら問題ないのだが、貸し借りという意味で『作っておく』べきか、それともそれを加味せず承諾するか、そして後者で良いのか、その確認だ。
すぐさま倉持が手を挙げた事で、満場一致で後者となった事に、千冬は安堵していた。安堵して、はて、何故ここまでほっとしているのか、まさか恋か、恋なのか!?と噴飯物の勘違いをしているのは脇に捨て置くべきだろう。実際それは恋でも愛でもない。強いて言うならば異星人というフィルターが入っている為の、扱い難さから来るセンクラッドからの信用を裏切るかもしれない不安だ。唯でさえ親友の束から渡されてたUSBメモリの中身のせいで頭と胃がキリキリ痛んでいるのだ、ある意味、吊り橋云々の変形型とも言える。
「費用に関しては一切こちらから請求する事はありませんよ」
「助かります」
人を変えて、同一の言葉。その意味合いは全く違うという事を知っているのは、千冬やシロウのみだ。
こうして人類初の、簡易的ではあるが異星人との条約、或いは取り決めは締結された。今はまだ小さな、だがその意味合いは未来へと針が進む程、大きくなる、それ。
センクラッドもシロウ達も、この決定は最悪のケースを想定した場合、致命的な弱点へ変わりうる事を知悉していた。だが、シロウ達はセンクラッドの意向を尊重しているし、センクラッドは自分の中のルールや責任においては忠実であるべきと考えている為、結局の処、この時点においては変わりは無かった。
倉持が言葉を出した後、ふと思い出した様に、
「私から追加で幾つか」
「どうぞ」
「先程のお約束ですが、明確にする為、後日書類を送付させて頂いても?」
「構いません」
そう言って頷いたセンクラッドだが、姿を隠しているロビンフッドは眉を顰めていた。予想出来た確認であった。下手を打てば知らぬ間に不利な条約を締結される可能性もあるのだから、表情が曇るのも仕方ない事。尤も、そうならない為に自分達が居ると考えれば、問題にはならないのだが。
「IS学園で学年別トーナメント等を開催するのですが、ファーロスさんはISに興味をお持ちだと拝聴しております。宜しければご覧になられては? あぁ勿論、これは技術交流とは全く関係ない話です」
その言葉に、センクラッドは即決した。
「お願いします」
徐々に徐々に、千冬やシロウ達の表情が微妙な事になってきているのだが、見て見ぬ振りをするセンクラッドとIS国際委員会側。前者はお祭り騒ぎを見たいだけで、後者としては何だかんだ言って交流をしたいのだ。カードは多い方が良いという判断の元、様々な面からアプローチを仕掛けるのは当然の事。ただ、そのアプローチ方法が少々拙いのは、偏に駆け引きが成立し難いという点、これに尽きる。
最初の記者会見の際、センクラッドは要約すると『現在の地球においては技術提供或いは交流は不可能に近い』と発言していた。一応だが予防線を張っているのだ。此処をどうにかして切り崩さない限りは、もっと言えば通常の手段ではグラール太陽系との技術交流は不可能だろう。
また、物理的に拘束しようとしても無人機撃墜時の映像を見る限り、真正面からでは不可能に近く、失敗した際にはダミーとしてIS学園側から送付されてきた映像に映っていたレーザー砲等の超兵器で文字通り一切合財を薙ぎ払われる可能性が高いし、報復の為に援軍を呼ばれでもしたら確実に人類が詰む。拘束するのなら薬物や毒物を用いてだが、千冬から毒は殆ど効かない可能性があるという報告があげられていた為、それも難しい。
そもそも、国と個人、この場合はグラール太陽系とセンクラッドの思考と嗜好と志向、この三つの『しこう』を綿密に調査し、徹底的に解明するまでは、本来は交渉なぞ、悪手以下の下策だ。せめていずれか2つで良いから知悉していなければ、どれだけ腕が良い交渉者でも容易に失敗するものなのだから。
だが、そうも言っていられない事情もある。ISという急激な変化を強いられ、それが収まるまで、或いは慣れきるまであと5年はかかる見込みだった。その間に織斑一夏が継続して活躍する様に成長させ、それを巧く利用し、女尊男卑の風潮に歯止めをかけさせ、徐々に徐々に性差ではなく能力主義へと是正させる事も不可能ではなかった。しかし、その前に異星人という新たなカードが地球圏に飛び込んできてしまった。
もう時間が無いのだ、ダミーの映像はIS国際委員会のみならず、数日中には政府にも知れ渡る。そうなればその情報は身勝手な願望という歪みを伴って世界へ共有され、結果としては女尊男卑派、虐げられてきた男性陣やその他諸々の、云わば今の風潮にそぐい過ぎ、或いはそぐわな過ぎる危険思想を持つ者達が動き出すだろう。
世界で唯一の男性操縦者と、ISを打倒する事が可能な、ただの人が扱える……ように見える兵器を持つ異星人を狙って。そしてその火種は、例え異星人が帰還した後でも燻り続けるもの。願望に歪まされた事実は何時でも火種になる。
故に、ヴァイツゼッカーも倉持も交渉や何らかの材料となる言葉やら何やらを引き出そうと、必死だ。
「――それでは、その方向で調整させて頂きます。それと、今年からISの世界競技大会、モンド・グロッソを再開するのですが、こちらもご覧に?」
その言葉に、僅かに眼を細める千冬。再開する目途が立ったとは言え、今年ではなく、来年からと聞いていたのだ。唯一の男性操縦者の織斑一夏をIS学園で鍛え上げ、モンド・グロッソに参加させる事で、表裏の組織に牽制をかける予定だった。それが変更されたいう事は、織斑一夏ではなく、異星人に対して比重を置いたという事だと、千冬は推察した。
ふむ、と顎に手を這わせたセンクラッドは、2秒程思考し、
「時期によりますね。補給が完了次第此処を離れるので」
「開催時期は秋から冬を予定しておりますが……」
「微妙な線ですね。取り合えずは保留でお願いします」
その言葉に首肯する倉持。センクラッドとしてはモンド・グロッソも含めてだが、野次馬としては見てみたいと思ってはいるのだが、そうも言ってられない状況になりかねない事も良く判っていた為、ぼかして答えていた。
「此方からは以上ですが、何かご質問があればお答えいたしますよ」
「一つだけ、良いですか?」
「勿論」
「敵性ISの件ですが、アレに心当たりは無いので?」
瞬間、空気が圧縮され、物理的な重さを持ち得て、更に緊張が入り混じる。
穏やかな口調でそう告げたセンクラッドの瞳は鋭い弧を描いて倉持を見つめている。本人としては詰問でもなく純粋な質問だったのだが、周りはそうは受け取れない。
公式では467個まで作られていたISコアは、現時点までで増えていないとされている。それは、襲撃をした際にほぼ確実に足が付くという事でもある。無論、データ上の偽造や強奪等の理由付けによって有る程度自由に使用する事が可能になるが、センクラッドがISを撃墜した為、本来ならば何処かで数に狂いが生じている筈なのだ。IS学園の手元にコアがあり、通常ならばそれにナンバリングが割振られている以上、特定は然程難しくは無い。
しかし、それが無い、登録されていない468個目が発見されたとしたら――既にそれはIS学園側は知っているのだが――ブラックボックス化しているコアを作成出来る唯1人の天災、篠ノ之束博士が異星人を攻撃したと言っても良いだろう。それが知れれば、前述した以上の、世界規模での大きな混乱が巻き起こるのは確実だ。
倉持は内心の動揺を完璧に抑え込みながら、あくまで表情は沈痛さを押し出し、
「申し訳ございません、現在調査中としか……」
と、先の言葉を繰り返した。
コアにナンバリングを振っているという事実は、教本には記載されていないが為に、センクラッドは先の言葉を信じる他無い。元の世界を知る分、世界が一つに纏まることは無く、外交や政治的な駆け引きで足を引っ張り合っているだろうという悲観的な読みがあるので、これ以上の追求をする事は無駄だと諦観していたのである。
皮肉な事に、センクラッド、つまりは異星人の来訪によって組織としての世界は段階的にだが統一に向けて歩みだしているのだが、それを知るのはもう少し先のお話。
それ故に、センクラッドは一言、
「ああ、そうでした。失礼しました」
とだけ返した。それぞれが些か不自然な言葉を使っていた為、ヴァイツゼッカー達はこれが何らかの引っ掛け、或いは駆け引きの可能性があるという考えに、シロウやロビンフッドは心当たりはあるが事実関係を調べてからという事かと思い至った。だが、仮にそうであったとしても、可能性を言及する事は出来ない。この手の場においての可能性は穿たれる為の弱点でしかなく、また、表層の事実と深層の真実を使い分けてこその政治や外交なのだ。馬鹿正直に可能性まで答える事は誠実ではなく、愚劣だ。
微妙な沈黙が数秒流れたが、それを断ち切る為にヴァイツゼッカーは腕時計を見て、
「そろそろ夕食の時間ですが、良ければどうですか、ご一緒に」
そう提案してきた。
センクラッドは表情の固定化を命じつつ、内心では「懐柔策一段目、いよいよ来たかっ」と小躍りしていた。実際は罠でも何でも無く、強いて言えば直にどんな人となりかを確かめる程度のものだったが、この男、罠だと知っていても、罠でなくとも自分からド嵌りに行こうとするから性質が悪い。
千冬やシロウは、食事程度なら問題無いだろうと踏んでいる為、動こうとはしなかった。
「ご一緒させて頂きます」
「何か好きな食べ物とかはありますかな?」
「そうですね……素材の味を活かした料理は好きですね。濃い味よりは薄口の方が好みです。あぁ、ただ、食べてみたいものがありまして」
「それは?」
「鮨です」
そう告げたセンクラッドに、ヴァイツゼッカーは一度頭を下げて、携帯電話を取り出して何事かを送信する。すぐに、マナーモードに設定していた千冬と案内役の美女の携帯電話が振動し、同時に手に取ると、目的地が送られてきていた。
場所は銀座にある大型高級ホテル。モンド・グロッソが東京にて再開される事を受けて去年改築したばかりで、そこからの眺めは絶景と言われている。そのホテル内の最上階に、VIPもしくは会員限定の鮨処があるのだ。ちなみにセンクラッドが鮨と言い出さなければ、赤坂にあるこれまた格式高いホテルへと案内していた。その場合は世界でも屈指の味を誇る日本料理を振舞われる予定だった。今日という日の為に様々な料亭やホテルに通達が行っていた為に出来た事だ。それに合わせてIS国際委員会の名の下、ある種の戒厳令が世界規模で敷かれていた。
正面ゲートへと戻り、リンカーンに乗り込んで数分経過した後、センクラッドは千冬に、
「それで、何処の鮨屋へ行くんだ?」
「銀座のホテルの最上階にあるVIP専用の鮨屋だ。私も一度しか行った事が無いがアレは旨かった」
「ほう、一貫600円とかの次元か?」
「もっとだな。一番高いので2800円だ」
適当に出した値段の倍以上という事で脳停止しかかるセンクラッド。シロウとてそんな鮨は食ったことが無い。ロビンフッドやラウラは言うまでも無いだろう。ただ、ラウラの場合は鮨自体を食ったことが無いのだが。
「ちょ、ちょっと待った千冬ちゃん。それ、オレも食えんの?」
思わずと言った風に、リンカーンの最奥側の座席から声が響き渡った。姿を隠しているロビンフッドだ。千冬が答える前に、センクラッドが呆れながら、
「姿無き護衛が証拠残してどうする、普通に考えてお前さんは居ない事になっているんだから食える訳無いだろう」
「じゃ、じゃあラウラちゃんやシロウは……?」
「俺の裁量で食べさせる。もう良い時間だ、流石に空腹だろうからな」
「……え、俺は?」
「姿無き護衛だから駄目に決まっているだろう」
馬鹿かお前さんは、とばかりに死刑宣告を言い放ったセンクラッドに、ロビンフッドが座っている席付近が揺れた。よろめいて地団駄踏んだんだろう、勿論、座りながら。
「鬼!! 悪魔!! この、荒神!!」
「やかましい。要らん事した罰だ罰」
アラガミ?コウジンでは?というか荒神とはまたマイナーなネタを良くも知っている、と感心している千冬を尻目に、幾らなんでもアラガミ言うなと言わんばかりの視線をぶち当てるシロウ。
「そんなの不公平だ!! シロウだって色々やらかしてきたじゃんか!! 大将、オレ限定で待遇の改善を要求する!!」
「……具体的には?」
「そりゃ勿論、旨い飯をオレに食わせるって事だよ」
センクラッドが聞きたかったのは、シロウが何をやらかしてきたんだよという事だったのだが、ロビンフッドはそう受け取らずに己の食に対する欲望を軽くぶち上げていた。
イギリスの飯が不味くなった後の時代の英霊だから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、それにしてもイギリス産の英雄達のメシウマ好きっぷりは度を越えている。本当にどうにかならんのか、と内心でぼやいてジト眼で視詰めていた。
それでも尚、ギャーギャーと駄々っ子のように言い募るロビンフッドを視て、いよいよもってメンドウザイとばかりに溜息をついたセンクラッドは千冬に視線を向けた。何故そこで私を見る、という風な視線を受けながらも、
「すまん、タッパー借りられるか?」
「……いや、流石にあの場所でタッパーは無謀というか、無理だと思うぞ。持ち帰り用のパックがあったから、それで我慢してもらうしか」
「あぁ、それで良い……よな、ロビン? 少しの間、空腹を我慢して貰うが、後で食えるなら御の字だろう? まぁ、これ以上ゴネるなら、明日は正しく地獄行きだ」
「持ち帰り、最っ高っ」
万雷に勝る喝采を上げるロビンフッドに、センクラッドは大きく息をついて釘を刺した。もう溜息とは親友どころか連れ添った夫婦ばりだなオイ、と自嘲しながら。
「一応言っておくが、此処から出たら絶対に喋るなよ。千冬の独断で此処の盗聴器の類を外してもらっているんだからな」
「オッケーオッケー、任せてくれよ。ビシッとキメてやるからさ」
お調子者で小心者の緑の英雄に対して、何をビシっとキメるんだとぼやくセンクラッドに、思わず苦笑を浮かべる千冬。生暖かい視線を向けて、しみじみと、
「苦労してるんだな」
「全くだ。アクの強い奴らしか集まってないから仕方ないが」
「巧く扱うのも英雄、という風に見ても良いか?」
「からかうなよ千冬。むしろ引率の先生だろう、この場合」
「……あぁ、成る程」
腕は立つが性格や性質に難がありすぎるが故に、センクラッドは言ってみたのだが、性格矯正などを目的として押し付けられているのか、と微妙な表情を浮かべながらも納得してしまった千冬を視て、シロウも微妙なそれを浮かべ、センクラッドもまさか納得されるとは思わなかった為、似たような表情を浮かべた。
一方で、そんな雰囲気になっているというのに、ロビンフッドは真反対に居るラウラに向けて浮かれた口調で、
「ラウラちゃん、寿司って食ったことあんの?」
「え。いえ、一度もまだ」
「そっかぁ、職人が握る寿司ってのは天上の味って言われてるんだぜ。オレ食った事無いからすっげぇ楽しみでさぁ。2800円だぜ2800円、もうオレ涎が出ちまうよ」
「そ、そうですか……」
「……あぁ、うん、もうお前さんは黙ってくれ……」
そう呟いてセンクラッドは頭を抱えた。シロウも苦い表情をしており、千冬は乾いた笑いしか出なかった。確かにこれでは引率の先生だ。
ちなみに目的地についた瞬間、車から出る直前にロビンフッドの腹が盛大に鳴り響き、倉持達はそれがセンクラッドから出た音だと誤解し、翌日のロビンフッドのダメージが大幅に引き上げられる事になったのは、正しく余談である。