IS BURST EXTRA INFINITY   作:K@zuKY

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12:イギリス代表候補生との会談

 堕落教師をフルボッコしたり、剣術娘と再戦の約束を交わした事で大いに満足したセンクラッドが自室のドアロックを解除してドアを開けると、ふんわりとした甘さを含んだ空気が漂っていることに気付き、次いで視覚情報にありえないものが多々映りこんできたのを確認して、頬を引き攣らせた。

 

「おや、怜治。丁度良い所に。そろそろ小腹が空いて帰ってくると思っていたが、いやこれはこれは。本当に帰ってくるとは、私もまだまだ現役のようだ」

「……お前は本当に何をしているんだよ……」

「見ればわかるだろう、ティータイムの準備だよ」

 

 VRTモードのまま自室を出たのに、帰ってきてみれば何時もの部屋に戻っている上、テーブルの上にはチーズスフレとティーポットが置かれていた。言うまでも無いがこの男の仕業である。ちなみに服装は何時もの赤原礼装ではなく、執事が纏う服装に変わっている。

 テーブル周りの準備を終え、テキパキとした動作で淀みなく次の行動に移る男の格好を指摘すべく、センクラッドは口を開いた。

 

「その格好はどうしたんだ?」

「自前だよ」

「……それで、何で執事服を着てケーキを作ったんだ?」

「生前は執事もやっていてね、気分転換を兼ねて君の為に作ったが、駄目だったかね?」

「別に駄目じゃないさ、駄目なんかじゃないんだがな、何と言うかだな、ええと……」

 

 戦闘服よりも執事服が似合うサーヴァント。これがかつて伝説を築き上げた事がある英霊だったという事実を、この世界に来て徐々に徐々に信じられなくなりつつあるセンクラッドが、ジットリとした視線を浴びせながらぼやいた。

 

「俺はお前が『アーチャー』ではなく『バトラー』として出てきても勝ちぬけていたかもしれんな」

「ふむ、確かに、バトラーならばあらゆる制限が無い。故に弓兵としてよりもあの時以上に楽に勝ち抜けただろう。しかしそれを知っているとは君はムーンセルに一体何回のループを強いられていたのかね?」

「記憶が断片化しているからわからんが、少なくとも数回のハナシじゃ無……いや待てちょっと待った、何だそれは。流石に冗談、だよな?」

「無論、本気だ。何だ、知らなかったのか? 荒事をこなしてこその執事、という言葉がある――」

「あぁ、うん、もうそれで良いよ」

 

 頭痛がしてきたのか、額に手を当てながら歩いて椅子に座り、その後テーブルに両手をついてぐったりとするセンクラッド。

 今眼の前にいる英霊はきっと何を言っても絶対に切り返してくる、何故なら執事だから。執事は最強だから仕方ない、という自己暗示めいた言葉をツラツラと脳内に流して今までの事をリセットし、伝えるべき事を伝えた。

 

「客が来るので、急ぎでもう一個追加して欲しい。後、客が来たら隠れてくれ」

「客と言うのは?」

「セシリア・オルコットというイギリス代表候補生だが、それがどうした?」

 

 ふむ、と顎に手を当てて思案する男。不思議そうにセンクラッドはそれを見つめていたが、ニヤリと笑う男を見て、嫌な予感が炸裂した。この手の笑顔を向けられて良い目に巡り合った事が一度たりとも無いのだ。

 

「それならば私も自室へ戻っておこう」

「……激烈に嫌な予感しかしないが、一応理由は聞いておいてやる」

「君の童貞を捨てるチャンスに私が居てはやり難かろう。だから――」

「もう黙れよ仮想童貞。そういう事じゃないから。良いからとっとともう一個ずつ作れ、ド阿呆」

 

 吐き捨てるように命令し、立ち上がってドレッシングルームに入る。椅子に座って一息つこうとしたのだが、あの男がからかってくるのをスッカリ忘れていたのだ。

 どうにかならんのか、あの性根はとぼやきつつ、己の視界に服装データを投影し、ラフな部屋着として服装を黒のスラックスとワイシャツを選択して今着ている服とそっくり取り替えて部屋に戻ると、命令を唯々諾々と受けながらもキッチン越しに何処か面白そうな表情でセンクラッドを伺っているシロウの視線にぶち当たった。

 それを意図的に無視し、椅子に座ってテーブルを左手の中指でトントンと軽く、そして正確に秒単位で叩き始める。

 カップラーメンが食べれる位の時間になっても何も言ってこないシロウに苛立ちを感じたセンクラッドは自分から口を開いた。

 

「……何だ?」

「本当に消えなくて良いのかね? 折角のチャンスを無為にする程、君は枯れてはいまい。私に遠慮せずにだな――」

 

 返答は左手にピストルのポーズを取らせて一言「レールガンぶっ放すぞ」と呟くと、シロウはやれやれと肩を竦めながらキッチンから出、テーブルにもう一組の菓子を置いたと同時に、遠慮勝ちなノックが室内に響き渡る。招いた来客は一人しか居ない為、誰かを確認するまでも無い。セシリアが来たのだ。

 もう来たのか、早い、早すぎる。せめて精神的疲労を多少なりとも回復させてから来て欲しかった、とぼやきながら、ふと視線を男に向けると、そこには誰も居なかった。

 あの短時間で一体何処に行ったのか。位相をずらして自室へと戻ったのか、それとも隠れたのか。今思考しても埒が明かぬと溜息をつきながらドアに人差し指を向けて横にスライドさせると、その動きに呼応してドアが開いた。

 そこには眼をパチクリと瞬かせているセシリアが居た。

 

「今、勝手にドアが開きまし、た?」

「グラール太陽系の技術を使って俺の意思で開けた。逆に言えばそのドアは招かざる客に対しては絶対に開かないという事だ」

「便利ですわね……」

 

 センクラッドの発言から防犯も兼ねている事を察し、感心した素振りを見せながらセシリアは入室した。

 手招きしている部屋の主人と向かい合うようにテーブルに付くと、セシリアはきょとんとした風に、チーズスフレとティーポットを見つめ、次いでセンクラッドの顔を見つめ、そしてもう一度、テーブルに在る物を見つめた。

 何か似つかわしくないものが置いてある、とセシリアの顔に書いているのを正確に読み取ったセンクラッドは、なんつー失礼な事考えているんだと思いながらも、

 

「好きに飲み食いして構わん。味が気に入るかは保証はせんが、少なくとも旨いと思うぞ、俺はな」

「確か、味覚は同じだとか?」

 

 記者会見を見ていたと同義の言葉に対してその通りだ、と頷きセシリアと自分のカップに紅茶を淹れた。

 恐る恐る口をつけたセシリアは眼を見開いて驚く。イギリスでもここまで芳醇な香りを持ち、舌触りが良く、喉から胃へとスルリと入る紅茶は簡単にはお目に掛かれないものだ。思わず「美味しい……」と呟くと、センクラッドは眼を細めて口の端を上げた。

 自分が作ったものではないが、仲間が作ったものを褒められて悪い気はしないものだ。

 

「これは、貴方が淹れたのですか?」

「俺は淹れられんよ。紅茶とスフレは俺の……そうだな、戦友が作ったものだ」

「その方は今、どちらに?」

 

 声が若干硬化したのは仕方ない事だ。眼の前に居ないのなら、この部屋から出て地球を偵察しているのかもしれない。イギリスの代表候補生としても、一人の地球人としても、そのような事が起こっているのなら看過は出来ない。その心情を汲み取ったのか、センクラッドはその心配は無用だ、と呟き、

 

「そいつは今、別室で待機している。俺に危害を加えようとしない限りは出てこない……筈だ」

 

 オラクル細胞を密かに励起し続けている為、ある程度以上の隠密行動を看破出来るのは楯無との邂逅で実証済なのだが、徹底した隠密行動を取っていれば気付けないし、悪意を伴わないのならば左眼は何も反応してくれない。

 そして、あの男は徹底した隠密行動も取れるし、こちらに害意を向ける事は絶対無い事を知悉している為、自信が無いのだ。本当に位相をずらして自室に戻っているのなら良いのだが。

 だが、そんな事を知る由も無いセシリアは若干体に力を込めて、いつでも動ける状態へと移行していた。

 疑いたくは無いが、疑うしかないと言う表情をしているセシリアを見て、センクラッドは諦めた。元々こうなるだろうと予測はしていたのだ。仕方無しに口を開き、

 

「……シロウ、居るんだろう、出てきてくれ」

「了解した、マスター」

 

 セシリアは眼を見張った。センクラッドの右側後方にある大きな古時計の裏側から、赤銅色の肌に真っ白な髪と執事服が特徴的な男が現れたのだ。気配を察知する為に素早く周囲を探っていたのだが、全く気付けなかった事にショックを受けるセシリア。

 やはり隠れていたな、と苦々しい表情で呟くと、シロウと呼ばれた男は、

 

「私は君の護衛も兼ねているからな、その辺は諦めたまえ」

 

 と、飄々とした表情で、だが何処か面白そうに言った。

 じっとりとした視線でどの辺だよと問いかけるも、そんなものは悉くスルーされるという事を身を以って体験してきているセンクラッドは、すぐに視線を逸らし、未だ眼を見開いているセシリアの硬直を解く為に男に指示を出した。

 

「セシリアが困っているから、自己紹介をサラっとしとけ、サラっと」

「了解した、マスター。私はその『少年』の忠実なる執事のシロウだ。言いにくいのならシェロとでも呼んでくれ」

 

 テメェマジぶっ飛ばすぞ、という視線を無視し、シロウは優雅な一礼をした。その礼は綺麗で一部の隙も無い、セシリアから見ても何ら可笑しくも何とも無く、むしろそれだけで芸術と呼ぶに値するものに見えた。

 セシリアも自らの出自と名乗りをあげると、どこか感嘆した風にシロウは顎に手をやり、何度も頷きながら、

 

「ふむ、成る程。貴族の令嬢と懇ろになるとは、心配していたが枯れてはいなかったのか。マスターに春が来たようで私も嬉しい」

「――あら、ファーロスさんは私の美貌と家柄に惹かれてはいないと仰ってましたのに」

 

 シロウの視線に何かを感じ取ったのか、セシリアはセンクラッドに対してそう言った。益々苦い顔になり、センクラッドはそんなつもりは一切無いという風に手を顔の前で何度も振るも、悪ノリし始めた二人を止める事は出来なかった。

 

「マスターは今まで誰とも付き合ったことが無いからな。家柄云々はともかくとして、外見についてはついそう言ってしまったのだろう」

「そうなのですか?」

「少なくとも、君は私が見た中でも相当の美人だ」

「あら、お上手ですこと」

「事実だよ」

 

 何このイジメ、という顔をしているセンクラッドを見て、とうとう堪えきれなくなったのか快活な笑い声を上げたセシリアとクッ、と意地の悪い笑みを見せるシロウ。

 少なくとも、場の緊張感は解れたから良いのかどうなのか、と若干肩をこけさせたセンクラッド。

 

「……俺のハナシはともかく、そこの阿呆が俺の連れだ。記者会見で出さなかったのは、俺がリーダーだから、というのが大きいな。雁首並べてやるタイプの記者会見ではなかったし」

 

 成る程成る程と何度も首肯しているセシリア。そのまま極自然な動作でその手がスフレに伸び、一口サイズに切り分けて口に運ぶと、やはりというか当然というか、眼を丸くしてシロウを見つめた。

 

「シロウさん、貴方御菓子作りの修行も?」

「コイツ曰く、執事は一通りこなしてこそ、だそうだ。菓子作りの職人はこの世界で言うと、確かパティシエだったか?」

「ファーロスさんの言葉の使い方は本当に驚きますわ。確か、インターネットから情報を取得しているとか」

「あぁ、シロウと一緒に学習していた。水準以上に話せると判断したから今は勉強会は開いていないがな」

 

 シロウが口を開くよりも前に、センクラッドが口を挟む。何事だと視線で問いかけてくるシロウに対し、センクラッドは首を微かに振って答える。何となく予想がついたシロウは、肩を竦めて視線をセシリアに戻し、感心した素振りを見せる。 

 

「セシリア、君の日本語はとても流暢だ。この世界では日本語が標準なのか?」

「そうですわね――ISを学ぶ為に日本語は必修ですから」

「そういえば資料集に書いてあったな、ISを本格的かつ手っ取り早く学ぶ為にはIS学園に入学する事、と。最新版の教本や資料は常に日本語優先だから、日本語を学ばなければ競争に出遅れてしまう為、世界標準語に指定された……だったか?」

「その通りですわ、各国の足並みを揃える為、日本語が世界における標準語になってまだ日が新しいですけれど、いずれは地球語と呼ばれる事になるのではないでしょうか」

「ふむ。その星の成熟度を量る指針の一つに言語の統一はあるから、それは妥当な判断だと思う」

 

 君は一体何を言ってるんだ、と言わんばかりの表情を浮かべたたシロウだが、センクラッドがまた何か自分の首を絞める様な事をやらかしたのかと洞察して「また君は何と言うか……」という視線を投げかけた。紅茶のカップで顔の半分を隠す事でそれをスルーしたセンクラッドは、本題に入る為に、話を振る事にした。

 

「セシリア、差し支え無ければで良いのだが、質問をして良いか?」

「ええ、私に答えられることなら」

「Bピットで一夏との対戦を評した時、お前さんは生き方という言葉に少し反応していた。もっと言えば、何かを思い出している様だった。それも、酷く哀しげだった」

 

 その言葉に俯く事で、表情を無くした事を悟られまいとするセシリア。しかし、この場に居る二人には通用しない。シロウは長年の経験から、センクラッドは左眼からそれぞれ負の感情を正しく読み取っていた。

 

「……それは、興味本位という事ですか?」

「そうだな、それもある。ただ、それだけじゃない。何といえば良いのか……そうだな、お前さんに似ている奴が居た。そいつが抱えていたもの、それに似ているのなら、俺はそれを解消しなければならない」

「似ていた?」

「俺が所属していたガーディアンズと呼ばれる警察組織に、性格は真反対だがお前さんに似た奴がいてな。よく無理をしていた」

「――無理を?」

 

 聞き返してくるセシリアに頷き、ビーストの現総統とヒューマンの前総統の義親子関係を修復する為に様々な手を使った事を思い出すセンクラッド。あのじゃじゃ馬を素直にさせる事は容易ではなかった。その過程で恨まれた事もある。

 しかし、その恨みは既に解消している上に、良好な親子関係を築けているので良しとしよう。

 だが、それを短く言うのは中々難しいものなのだ。

 

「アレは、そうさな……親の期待と、それを鬱陶しく感じていた子のすれ違いだ。親のやる事に理解を示せず、反発ばかりしていた者が居た。そいつは、親の力を借りずに、独りの力でどうにかしようともがいていた。セシリアの場合は、そうだな。一夏と戦う前に俺と話した時、オルコット家の当主と言っていただろう? それにしては視野狭窄と性差別が酷かった事と、今のお前さんと先の戦いの前のお前さんはまるで違う事から、家を継いでまだ日が新しいと推測した。となれば似たケース或いは真逆のケースだと思うのだが、どうだろうか?」

「敵いませんわね――」

 

 そう言って、力の抜けた小さな笑みを浮かべたセシリアは、何処か儚く、見る人に哀しみを覚えさせた。瞳を閉じて数秒間深呼吸をした後、セシリアは口を開いた。己と己の家族に起きた不幸を話す為に。

 

「オルコット家と言えば、わたくしの国、イギリスでは知らぬ者が居ない程、有名な名家でした。母はオルコット家の中でも稀代の実業家として名を馳せました。幾つもの会社を興し、成功させてきました。ですが――」

「亡くなったんだな?」

 

 過去形から推測したセンクラッドの確認に頷くセシリア。その心には哀しみや怒りが渦巻いているのをセンクラッドは左眼越しに視つけていた。

 セシリアのティーカップが空になると同時、静かにシロウが紅茶を注ぐ。礼を言って舌を湿らすと、セシリアは続きを話し始める。

 

「父と母は、三年前に越境鉄道の横転事故で亡くなりました。死傷者は百人を超えた今世紀最悪の事故として有名ですわ」

「――ふむ」

「わたくしの手元にはオルコット家と今まで母が稼いだ財産が遺産として残りました。ですが、これを狙おうとする輩も当然出てきました。だから、わたくしは強くなければならなかったのです。強くなる為に、奪われない為にわたくしは必死で学習を重ね、ISの適正結果が高かったのもあり、国と取引しました」

「取引?」

 

 何やら宜しく無い単語が出てきたな、と思いながら、セシリアを視ると、やはりそこにあったのは苦悩と悲哀であった。 不本意だったのだろう、その事を思い出したのか、眉を寄せて言葉を吐き出すように告げるセシリアの表情は、何処か痛々しい。

 今まで聞き役だったシロウは何やら妙な反応を見せていた。眉根を寄せてセシリアを見る視線はどこか厳しいものであったが、それに気付いたのはセンクラッドだけだ。電子世界で話していた事を思い出したのだろう、とアタリをつけてセンクラッドは続きを促した。無論、目配せをしてシロウに過剰な反応をするなと伝えるのも忘れない。

 

「ええ、家を守る為、母の名を守る為にわたくしはこの身を祖国に捧げました。国籍自由権を放棄し、最新鋭のISの実験データを取る為の駒になる事を了承しましたわ」

 

 全ては、家の為に。そう締めくくって口を閉じたセシリアは、何処かすっきりとした表情になっていた。憑き物が落ちたとも言えるだろう。無言のまま、シロウはセシリアを見つめ続けている。

 カッチ、コッチと時計が針を刻む音が空間を支配していた。思い出話にしてはやけに重いものだと思いながら、センクラッドは口を開く。

 

「セシリア。その取引についてだが……後悔はしていないんだな?」

「後悔してませんわ。わたくしは、オルコットですもの」

 

 そう言い切ったセシリアは、真っ直ぐな眼をしていた。それを確認したシロウは強めていた視線を消し去り、やがてクッと笑みを零した。

 センクラッドも、怒りや悲しみが見えても、諦めや絶望が視えていない事に内心安堵していた。あの二つの感情が育つと、人は容易く堕落するのだ。諦めが絶望や怒りに変わり、絶望と怒りが心を支配した時、その人物は他者に危害を加える因子となる。それはどんな欲望よりも強く醜い存在だ。

 もしそのような人物が今、自分の眼の前に現れたとしたら、確実にセンクラッドは一回分の転移エネルギーが溜まった瞬間に逃げるか、その人物を処断していただろう。

 以前、センクラッドはアラガミという人類種の天敵が跋扈する世界で、守るべき者達から排斥されかけた事があった。その扇動していたリーダー格の男が心に秘めていた絶望と怒り、そして扇動されていた者達の絶望と諦めは、人の心が持つ許容量を遥かに超えていたのだ。

 まぁ、その事に思い当たったのは、セシリアが来る直前、もっと言えばどうやって話題を作るべきかという事から思い出した事である。そんな重要な事をサラっと忘れかけている辺り、この男のうつけ振りは相当なものだろう。

 

「セシリア、それで、さっきから父の話題をあえて避けているのは何故だ?」

「それは――」

 

 先程までの凛々しささえも見えていた表情が一転して陰りを帯びた。触れられたくない話題なのは眼を通して視ずとも判る。

 一夏……というよりも男に対する扱いは、親のせいかとアタリをつけたセンクラッドだが、相手が言葉を出すまで辛抱強く待った。

 

「わたくしの父は、女尊男卑以前から、それらの風潮に流された男達と同じように、母にも、周りにも卑屈な人でした。少なくとも、尊敬されるような人ではなかった筈ですわ」

「成る程、そういうことか」

 

 父親のみならず、ISの台頭によって父に似た卑屈な男達を見て来たのだろう。だから、『織斑一夏』を『世間一般の男』と結び付けたのだろう。

 だが、それは正さねばならない間違いだという事は、既に気付いているだろう。故に、センクラッドは苦言は最低限に留める事にした。

 

「例え、お前さんから見た父親が不甲斐ない存在だとしても、女尊男卑によって男が卑屈に見えてしまっても、変わらないものもあっただろう」

「どういうことですの?」

「俺は、お前さんの父親とは面識が無いし、そもそも女尊男卑の世界なぞ想像した事もなかった。だが、その中でも媚びずに己を現す者も居る。織斑一夏のようにな。まぁ、俺やシロウもそれに当て嵌まるだろう」

 

 そう言って視線をシロウに移すと「私も巻き込むのかね……」と言わんばかりに肩を竦めつつも、しっかりと頷いていた。それを見て、セシリアは胸中に懇々とした想いが浮かび始めた。

 それは羨望だったかもしれないし、感心でもあったかもしれない。今はまだ不明瞭なものだが、いずれは形が見えてくるであろう、それ。その存在が何であるかを知るのは後々に持ち越される。

 その想いが何なのかを知る前に、センクラッドが言葉で思考を断ち切った。

 

「それに……お前さんの父親がお前さんを嫌っていたのかはわからないが、それを確かめた事はあったのか? そして、お前さんが見下していた事を、父は知らないまま逝ったと思うか?」

 

 沈黙するセシリアの態度が雄弁に語っていた。いつの間にか侮蔑の視線で見つめていた自分を、父はどのような想いで見ていたのだろうか。

 胸に小さな小さな、だが決して取れる事のない棘が生まれた。今でも父の事はよくわからないのは当たり前だ。自分自身が遠ざけたのだから。

 もし、自分が父と母の仲が悪い事を当然の物として受け取らなかったのなら、あの事故にあわずに、結果は変わっていたのかもしれない。あの列車に何故乗り合わせていたのかは誰も知らなかったのだが、それを知る可能性をみすみす放棄してしまっていたのではないだろうか。

 そう考えると、目頭が少しだけ熱くなり、セシリアはセンクラッドの視線を避けるように、下を向いた。

 センクラッドは、ただそれを見つめ続けていた。眼に映されていたのは、哀しみや失望だ。それでも眼を逸らさないのは、自分が言った言葉の結果を見つめ続けなければならないという強迫観念にも似た思いから来るものだ。

 だが、そうしても何も続かない事は理解している為、適当なタイミングで適切な言葉を投げかけた。

 

「すまなかったな、立ち入った事を聞いてしまって」

「いいえ、これも必要な事だったのでしょう?」

「――そうだな、必要だった。お前さんを見極める為にも、な」

 

 不必要な事はしないというスタンスを採っているセンクラッドの姿勢を今までの言動や授業中の態度から見抜いたセシリアは、伊達でオルコット家を継いだわけではない。

 完全に冷静になり、視野狭窄が解除された今のセシリアは、正しくセシリア・オルコットだ。故に、センクラッドが何らかの目的を持って己の過去を聞いてくる可能性を一応は想定していた。

 ただ、流石にセンクラッドの目的までは把握出来る筈も無い。グラール太陽系デューマンという人種は嘘ではないが、別に地球人類の成熟度を計りに来たわけではなく、完全に転送事故で来たなんて知る由も無いのだから。

 その為、セシリアを含めた地球人は、センクラッドの真の目的を最後まで知ることは無いまま、転機を迎える事となる。

 

「それで、わたくしは合格だったのですか?」

「――あ? あ、あぁ……そう、だな。お前さん個人で見るならギリギリ合格だな。最初から今の状態なら文句無しの合格だったが、まぁ、アレはなぁ……」

 

 そう言うハナシだったっけ、と思考しながら転び出た言葉は、幸運にもセシリアには曲解して受け取られていた。セシリア・オルコットという地球人をサンプルの一つとして見極める、そういう風に受け取ったのだ、彼女は。

 嘘も積もれば何時かは雪崩れるのだが、幸運なのか不幸なのか、その事には両者共に気付いていなかった。

 それはともかくとして、そう言われてしまえばセシリアは赤面するほか無い。勝手に気張って勝手に見失って勝手に自爆して……となれば、黒歴史も良い所である。

 後々まで言ってやっても構わないのだが、それをやると異星人も精神的にどーのこーのと言われる未来が見えている為、心の奥底にそっと綴じ、一夏との約束を果たすべく、センクラッドは言葉を発した。

 

「まぁ、アレは忘れておくさ。さて……改めて、1組代表おめでとうと言わせて貰おう」

「その事なのですが――」

 

 表情を曇らすセシリア。これを言うべきか、言わないべきか。そう迷っていたのだが、やはり言う方が良いだろうと判断し、セシリアは事実を紡いだ。

 

「1組の代表は、一夏さんに譲る事にしました」

「――なんだって?」

 

 予想外の言葉に思わず素で聞き返すセンクラッド。シロウも「おや?」という表情でセシリアを見つめ直した。

 

「エネルギー切れという初心者らしい敗北でしたけれども、エネルギーさえ管理していればわたくしが負ける可能性が高い試合でした。それに、何よりわたくし自身が勝ったとは到底思えませんもの。納得がいかないまま1組代表を務めても、良い結果は出せませんから」

 

顎に手を沿え、考えるセンクラッド。幾らなんでも物分りが良すぎるというか、潔癖過ぎるというか。感じる違和感が妙に気になるが、それ以上思考しても埒が明かないという結論に達し、お前さんがそう言うならと曖昧に頷いてみせた。

 

「ならば、賭けはどうする?」

「賭け?」

 

 一瞬何の事かという表情を浮かべたセシリアだが、直ぐに思い当たり、顔を赤らめさせて首を振った。

 

「あのような賭けは無効ですわ。後で一夏さんに謝罪しておきます」

「それが良いだろう。一夏もほっとするだろうな……もうあのような事を言わない様にな」

 

 勿論と頷いたセシリアから視線をカップへと移すと、中身は既に空だった。意外と話し込んだからかと思いつつ、背後で佇んでいるシロウに目線をやるが、首を振られた事により、暇を告げさせろというメッセージに気付いた。思っていたよりも時間が過ぎていたようだ。このまま話し込めば寮監である千冬にセシリアがどやされる可能性が高いだろう。特に、一夏からキツイ一撃を貰っているのだ。シスコンな彼女が憂さ晴らしをしないとは限らない。多分やらかすだろう。

 それはそれで見てみたいのだが、そんな事をすれば今度は自分に火の粉が降りかかってくるのは自明の理の為、セシリアに告げた。

 

「では、そろそろお開きにしよう」

「――あら、もうこんな時間。いけませんわ、早く戻らないと」

 

 そう言ってセンクラッドに礼を告げて立ち上がるセシリア。

 それを見送り、ドア目掛けて右手を一回振ってドアを開かせると、見慣れていないのは当然の事なので眼を見張りながらセシリアは呟いた。

 

「本当に便利ですわね、その技術」

「開示は出来んがね」

 

 あら残念、と漏らした言葉とは裏腹に、少しも残念そうに見えないセシリア。断られる事は既に想定済みだったようだな、と推察しながら、シロウに入り口まで見送らせた。

 その途中でセシリアは「あら」と言う言葉を発し、立ち止まる。何事かと首を傾げるセンクラッドとシロウ。数秒の沈黙の後、セシリアは振り向いてセンクラッドとシロウに言った。

 

「もし良ければ、ですけれども。明日開かれる代表就任式のパーティに来ませんか?」

「……俺はともかくとして、シロウはマズイだろう。千冬とお前さんしかシロウの事を説明していないんだ、そんな状態で廊下でも歩かせてみろ。勇気有る痴漢扱いされた挙句、逮捕されるに決まっている」

「マスター後で話がある」

「ファーロスさんの護衛なら、問題ないでしょう。わたくしと織斑先生が説明しておきますわ」

 

 何やら妙な雲行きになってきたぞ、と思ったセンクラッドはシロウに助けを求めるべく視線を向けるが、クッ、と皮肉気な笑みを見せて、セシリアからは見えない場所で親指を真下に降ろした。助ける気は全く無いようだ。

 一考しておくと呟くに留めたセンクラッドに、是非と眩いばかりの笑顔を向けたセシリア。わかったわかったと頷くしかないセンクラッド。

 完全にしてやられたな、と思いつつ出口から出たセシリアに手を振って別れを告げると同時にドアを閉め、振り向いたセンクラッドを待ち受けていたのは、シロウの冷たい視線であった。

 

「いや、まぁ、ほら、な? こうなるわけだ、これがな」

「たわけ」

 

 心の底から三文字を吐き出したシロウに苦笑いして首を竦めたセンクラッド。相変わらずの男である。


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