IS BURST EXTRA INFINITY   作:K@zuKY

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00:異邦の旅人の始まり

 地球より遥か彼方、いずこかにあるグラール太陽系。

 そのグラール太陽系に位置する三つの惑星と母なる太陽を、外宇宙生命体や旧人類の魔の手から世界を救った英雄達の一人が、今、リゾート型コロニークラッド6から元居た世界、地球へと戻らんとしていた。

 

 喧騒がクラッド6の至る所で聞こえる。

 それは、ニューデイズと呼ばれる緑豊かな惑星で今まさに行われている星霊祭や、今週末に開かれる兵器開発会社GRM・ヨウメイ・テノラワークスの共同新製品発表会の準備、傭兵会社リトル・ウィングスの新社長就任式の準備等が原因だ。

 祭り好き等も含めれば7割以上はこの手のイベントが好きな為、コロニー内の内装も社長就任式に使われる場所以外は星霊祭仕様となっており、それはどこか地球にある和を感じさせる装飾が至る処に付けられていた。

 そして、コロニーの至るところに設置された特別投影スクリーンには、ニューデイズのとある場所と人物が映されていた。

 幻視の巫女と呼ばれる未来や過去をある程度見通せる能力を持つ、その星系に住む人々にとって象徴的な存在である女性が星霊祭の為の衣装を纏い、人々の前に現れると、スクリーン内外からワッと歓声が上がった。

 白磁を彷彿とさせる肌、筆で刷いた様な細い眉の下にある瞳は柔らかな光を放ち、その髪は空の色を凝縮したらそうなるであろう蒼色で構成されていた。

 誰もが嫉妬を忘れて見惚れると断言出来る美麗な風貌だけではなく、その能力で幾多の困難を救ってきた英雄の一人が、スクリーンで何かしらの行動を取る度に大小の違いは有れど歓声が上がる。

 それは、平和の象徴なのかもしれない。去年はテロによって星霊祭は中止になっており、また、幾度と無く起きた宇宙の危機に絶望していた頃の反動にも見えた。

 その喧騒の中、一人の男は、それらを一瞥することなく、迷いが一切無い足取りで宇宙港へと目指していた。

 男、といってもまだ若い。まだ少年の域を脱するか否か、その程度の年齢の癖に、どこか老成した雰囲気を纏っている。

 肌は水を弾くような瑞々しさに加え、きめ細かな雪色に近く、瞳はその真逆、一切の光を呑み込む闇色。

 太陽の光に近い光源で構成された人工灯の光を浴びて、鴉の濡れ羽色のように鈍い輝きを持つ髪は左眼を隠すようなアシメトリーを形作っており、左眼には眼帯――というには些か禍々しく、まるで何かを封印しているように見て取れる――をつけていた。

 身に纏う服は、コートと胴鎧が一体化した服装――遠い異世界に存在していたとされる錬鉄の英雄が纏っていた服装を黒く染め上げたレプリカだ――で、それを一部の隙無く着こなしていた。

 この男が、世界を幾度となく救った英雄の一人、神薙怜治と言う。

 だが、その瞳の鋭さや厭世的な雰囲気は、英雄と言うよりも英雄の本質である大量虐殺者のそれに近い。

 それでも彼に気付いた人々が義務的な挨拶――といっても殆どは目礼程度なのだが――をしてくるのは、元ガーディアンズのトップエースにして、此処クラッド6に本拠地を構える傭兵会社リトル・ウィングの現トップランカーというのが大きい。

 誰しもが嫌がるような汚れ役を自ら引き受ける事で有名な、彼。畏怖と好奇の視線を向けられても一切の表情を変えず、目的の場所へと足早に進んでいた、のだが。

 そんな彼が目的地に着きかけた途端、表情に微かな苦味を含ませて小さく舌打ちをした。クラッド6から他星にいく為の宇宙港に、会いたくない人物達が居たからだ。

 嫌いではない、むしろ互いに好意をもって接する事ができる彼ら。共に戦っていた仲間達のおよそ半分以上がそこに佇んでいた。

 無論、英雄達がそこに居ると言う事は、野次馬も多く居ると言う事。

 道理でいつもの倍以上、好奇を伴った視線がこちらに刺さるわけだ、と思いつつ、

 

「これは、どう考えてもかわす事は出来ないか――」

 

 そう呟いて、怜治は進路上を妨害している彼らに歩み寄って言った。

 

「……」

 

 否、言おうとしたのだが、はて、何をどうやってこいつ等をどかせようか、というところを考え、言葉が詰まった。

 別に悪い事はしていないのだ。ただ、立ち去る時期をぼかしていただけなのだから。だが、仲間達の一部の視線に、非難のそれが混じっていた為、らしくなく口を開いては閉じてしまったのだ。

 そうやって自分でもらしくない行動を採っていると気付いた時には、全身を黄色や金色で統一している妙齢の女性が、一歩。

 一歩だけ怜治の前に出て、金色の瞳を潤ませながら、

 

「本当に行ってしまうのですか……?」

 

 と、怜治が予想していた通りの言葉を投げかけた。

 

「元々、この世界の住人じゃないからな。帰る手立てが完成したのなら帰るべきだし、そもそも『今の俺』がこの世界に長居するのは危険だ。そうだろう、ミカ?」

 

 そしてその為に色々奔走してもらったしな。そう付け加える怜治に迷いが無い事を見て取ったミカと呼ばれた女性は、そうでしたね、と肩を落とす。

 本当は彼女もわかっていたのだ。一縷の望みをかけて、確認の為にそう問いかけただけで。

 

「仕方ないさ。これだけはな」

 

 どこか自嘲めいた苦笑を見せた怜治は、自分を見送りに来た英雄達に視線を巡らせる。

 流石に全員集まる事は無かったな、と呟き。だが 全体的に軽装で纏まりを見せている蒼髪とトンガリ耳が特徴のニューマンの処で、ピシリと、視線を止めた。止めざるを得なかった。

 それを受けた少女は、え、何でわかったの?という表情を浮かべ、あ、しまったとすぐに澄まし顔を作るが、ツカツカと無言で歩いてくる怜治のプレッシャーで隠し切れない脂汗が出てきていた。

 漫画的に言うならば、デカイ汗マークと言ったところか。

 焦っている女性の目の前まで来、わざわざカツンッ、と靴音を響かせた怜治は、野次馬に聞こえない程度の声で低く呟いた。

 

「……おい、ミレイ」

「な、何のことで……だ。ワタシはただのガーディアンの教官のカレン――」

 

 メキリ、メキメキメキメキ。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!?」

「お前の格好とくっちゃべってる内容が一番イタイ上に誰から見てもバレバレなんだよ。んな事はどうでも良い。つか、どしたよ仕事は、幻視の巫女」

「い、妹が代わってくれると言ってくれましたので、私が見送りに……」

「星霊宣はどしたよ。カレンじゃ法力が足りてない筈だろ、星霊紋がある限り」

 

 星霊紋とは、邪法の一種であり、ミレイは妹のカレンから法力を受け取って宣託でかかる負担を軽くする代物だ。

 無論、それはミレイ達は望んでおらず、父親によって生まれた時に刻まれていたものである。

 それはともかくとして、今現在、割とガチで涙目になっている幻視の巫女、ミレイ・ミクナの言葉に嘘偽りが無い響きを確認し、カレンめ、と悪態を付きながらもアイアンクローは解除せず、むしろ力を増していく。

 この幻視の巫女様はたまに自覚せずに、或いは自覚有りでトンデモナイコトをしでかす事を思い出した為だ。

 

「じ、実は、ちょっと早めに宣託を受けて、妹にメモを痛い痛い痛い痛いですぅ!?」

 

 そう、丁度今みたいに、だ。

 あぁ、道理でスクリーンから聞こえてくる幻視の巫女の声が若干低めな上に怨嗟の感情がスクリーン越しでも微かに漏れている事を感じ取れたり、傍に立つ28歳のイケメン星霊主長に青筋が走りまくっていたりするんだな、と納得した。

 そして、その事で更に思い出した。コイツのお陰で、凄まじい勢いで巻き込まれてきたなぁ、と。

 ギリギリメキメキとそろそろ物理的に有り得ない音と悲鳴が細くなる事が加速的に進む中、

 

「まぁまぁ、仕方ないだろう。カレンだって来たがってたんだぞ?」

「……イーサン」

 

 橙色の髪を逆立てている青年――いがみ合う種族を一つに纏め、SEEDという外敵から人類を守った英雄――は、苦笑しながら割って入った。

 仕方ないと肩を竦めながら右手の拘束を解くと、直ぐ様その場にしゃがみ込んで、涙目で見上げてくるミレイ。それを意図的に無視しつつ、イーサンへと向き合う怜治。

 しばし見つめ合い、やがてイーサンは頭を下げた。

 

「お前には感謝してる。親父を救ってくれた事、ミレイを救ってくれた事、世界を救ってくれた事、全部に。ありがとう」

 

 その言葉に、またかと顔を微かに顰め、溜息を付きながら、

 

「公式では世界を救った英雄はお前だ、イーサン。俺じゃない。ミレイやお前の親父さんに関しては、まぁ……そうだな、『知っていた』から防げた、それだけだ。その後の事はお前達が防いだし、お前が居なければ皆が集まることも無かった」

「それでも、俺はお前に感謝するよ。あの時、俺は慢心していた。それを打ち砕いてくれた事も含めて」

 

 英雄はお前じゃない、ってな。

 

 邪気の無いその言葉に、いよいよもって苦い表情となる。

 あれはそう言う意味ではなく、元いた時代で流行ったアンチワードだったからということと、プレイヤーとしての自分でもそう思ったから言ってやっただけ、というのが強いからだ。

 だが、それを言っても意味が無い上に、無用なイザコザになるだけという事も知っている。

 だから、わかったわかった、相変わらず暑苦しい奴め。と憎まれ口を叩くだけに留めるのは、どんな時であれ、いつもの事だ。

 一時は思想の対立で敵視していたとは思えないほど、イーサンからの想いは温かなものだった。

 イーサンだけではない、この場に居る者、居ない者、彼に関わった全ての人々が、彼に感謝をしていた。

 ……まぁ、一部の人間は、わかりにくい感謝なのだが。

 特に彼は――

 

「……貴様、勝ち逃げする気か?」

「俺の敗北で良いと言っているだろう」

「舐めているのか貴様。許さんと言った筈だ」

 

 そう、彼。

 全身を赤い装甲で覆っている、一本角がトレードマークのキャスト、幾多の戦いでイーサンや怜治と戦い、ある意味元凶の一人であったマガシが挑発するかのように言葉を吐き捨てる。

 だが、その言葉にはいつものような殺気は無く、ただ本当に悔しさを滲ませているだけであった。

 悪いな。と肩を竦める怜治を苦々しく見つめる眼にも、いつもより覇気が無い。

 

「まぁ、アレだ。イーサンを倒せたなら、だな」

「おいおい、俺を巻き込まないでくれよ」

「……行くならさっさと行けッ」

 

 苦笑いするイーサン、背を向けるマガシ。

 あいっかわらず素直じゃないなぁ、と小さく零すイーサンだが、ギロリ、とマガシに睨まれ、おー怖い怖いと両手を挙げる。

 いつもの漫才から視線をそらし、今度は小さな金髪の少女と、灰髪の青年に視線を向ける。

 

「ありがとな、エミリア、シズル。お前達のお陰で、俺は元の世界に戻れそうだ」

「亜空間調査用の宇宙船で起きたあの事故があったからよ。全くアレにはヒヤヒヤしたわ」

「ただ、気をつけたまえ。計算上は時空流離に巻き込まれても問題ない性能を発揮するし、フォトン精製装置と自己修復も完備しているが、手荒く扱ったり一定以上の威力を持つ兵器で攻撃されれば――」

 

 シズルの言葉に判っているさ、と頷く。

 

「それの実験結果を持ち帰れない事も残念だよ」

 

 そいつは悪かったな、と全くもって悪びれていない怜治にガックリと肩を落とすエミリアとシズル。

 亜空間ワープの事故で他世界へとリンクした事をヒントに、時空移動装置とそれ専用の機体を作るのに奔走していたからだ。

 まぁ、怜治が乗り込む宇宙船のワープは帰還設定を犠牲にする事で、時空移動が出来るようにしたものだ。

 帰還出来ないのなら、エミリア達にとっては意味が無い。

 それに、これから当分は亜空間航法に掛かりっきりになるから、結局のところ、手元にあるだけで使用しないという本末転倒な状態になるのは眼に見えていた。

 それでもデータが欲しいのは科学者としての性質なのだろう。

 

「ん、そういえば……エミリア。高飛車乙女とスタイリッシュモッサリーは仕事か」

 

 その言葉が背の高く高飛車でデキル女な感じがする癖に、乙女な女社長とその旦那の事をさしている事に気付き、エミリアは吹き出した。

 ツボに入ったらしく、しゃがみ込んで肩を震わせて笑っているエミリアの背中をトントンと軽く叩きながら、ミカは半眼で答えた。

 

「あの方達は、皆がここに来る為に仕事をしています」

「あぁ、やっぱりな。まぁ、仕方ないか。これ以上は流石に色々なところで支障が出るだろうしな」

 

 わかっていて言ったのだろう、全く以って残念がる様子を見せない怜治にミカは「貴方と言う人は……」と大袈裟なため息をつく。

 

「となると、カーツは軍の統制、チェルシーはウルスラの補佐で来れない、ユートとルミアはカーシュ族とガーディアンズの交流会といったところか」

 

 その通りです、と肯定するミカ。

 

「なぁ、怜治。今日この日を選んだのは、見送りは要らなかった、という事なんだろう」

 

 疑問系ではなく、断定系で聞いてくるシズル。

 シズルだけじゃない、皆が皆、そう思っていた。

 今週は星霊祭にカーシュ族とガーディアンズの交流会、兵器開発会社GRM・ヨウメイ・テノラワークスの新製品発表など、様々なイベントが盛り沢山であったのだ。

 その為、普段ならここにいるメンバーが駆りだされていた筈だった。その間に人知れず旅立とうとしていた怜治の思惑に、いち早く気付いたシズルが様々な手配と手段を使った結果、このメンバーが揃ったのだ。

 怜治を見送る為だけに。

 

「見送りなんてガラじゃない。それに、名残惜しくもなる」

 

 少しばかりの寂寥を含んだ、小さな小さな笑顔に、何か口にしようとして、果たして何を口にしたらいいのかわからなくなり、黙ってしまうシズル。

 例え稀代の大天才と呼ばれようとも、避けられぬ別れには敵わないのだから。

 ただ、それでも。

 

「――それでも、僕は見送れて良かったと思うよ」

「……そうか」

「そーだよ、ナギサちゃんもそう思ってるから此処に来たんだし!」

 

 お調子者然とした声が右手側から聞こえ、視線を向けると、ミカに良く似た長身の男と、白い服に黒髪、そして怜治とは用途が異なる眼帯をつけた少女がこの場へと歩み寄ってくるのが見えた。

 

「ナギサ、ワイナール」

「怜治、君には本当に感謝している。ボクや姉さんにもう一度人生をやり直させてくれた事、ナギサちゃんを救ってくれた事。そのついでに世界まで救っちゃた事、全部に」

「ついでじゃないだろう、ワイナール……それはともかくとしてだ。私からも礼を言わせてくれ、ありがとう」

 

 ぺこり、と頭を下げる2人に、もう勘弁してくれと手を振る怜治。

 

「イーサンと殆ど同じ事を言ってくるなよ……」

 

 本当に、そんなつもりではなかったのだから。

 

「俺は戻る手段を探していただけだ。礼を言いたいのはこちらの方だよ。ワイナールやミカ、シズルやエミリアがいなければ、俺は帰る可能性は0のままだった。今は0じゃない。1よりも小さい確率かもしれない。だが、0じゃあなくなった。なら、賭ける価値がある」

 

 そう言って、搭乗口に向かう為に仲間達の横を通り過ぎ。

 だが首だけ振り向かせ、左手を軽く握り、握った左手の親指から中指までを立たせて軽く上下に振りながら言った。

 

「さようなら、皆。俺は忘れないよ、ここで起きた事、皆と戦った事、友達になれた事、ここで起きたこと全部、俺は忘れない」

 

 それに対し、口々に同意し、手を振る皆。

 エミリアは俯き、シズルは口をへの字にして耐え、マガシは背を向けたまま。

 イーサンはあくまで明るく、だが目端に雫を溜め、ミレイは祈りを切り、ミカはエミリアの肩を抱き寄せる。

 ワイナールはあくまで笑顔で、ナギサは無表情だが精一杯手を振って。

 様々な反応があれど、皆の気持ちは一つだった。

 やがて、搭乗口が閉まり、クラッド6のカタパルトから一機の宇宙船が射出され、一筋の蒼い光が外宇宙へと伸び、やがて唐突に爆発的な光を放ち、消えた。

 それは、グラール太陽系に偶然呼び込まれていた異邦人が、永い旅路を往く証左。

 

「……行っちゃったね」

 

 ぐすり、と鼻を啜りながらエミリアは言った。

 

「あぁ」

 

 シズルが応える。

 

「アイツに心配させないように、俺達はこれからも平和を守らなくちゃならない」

 

 そう、イーサンは締め括り、やがて、誰からともなく歩き出した。

 グラール太陽系を守った、英雄の意思を守る為に。

 

 

 SIDE OUT

 

 

 外宇宙探索船に乗り込んだ怜治は、コックピットに向かい、シートに深々と座り込んだ。体に負担が一切かからない様に設計されたそれは、怜治のやるせない気持ちを少しばかり落ち着かすのに役立っていた。

 しかし、これからが本番という事を思うと、やはり気が滅入る。気持ち的に4割はグラール太陽系で永住する事も考えていたのだ。

 だが、途中でその4割を0にしなければならなくなった事件が起きたのだから、仕方ないとは言え、やはり遣る瀬無くもなる。

 あの時取った行動に、言い訳もしなければ後悔もしていない。咄嗟とは言え巧くやれた。否、今でも完璧なやり方だったと自負出来る。

 アレ以外のやり方は、ミカやワイナール、シズルやナギサ達を死の淵に叩き込む可能性があった。自分が犠牲になった、とも言えるあの行為に、後悔も言い訳も要らない。

 だから、これから『コイツ』と最期まで付き合う事が、今の怜治にとって二番目に重要な事だ。

 

「……考えても無駄、か」

 

 やれやれと首を振って、3次元スクリーンに手を伸ばし、操作を開始する。

 と言っても、エミリアとシズルという、色んな意味で神に愛された天才達が航路を設定しているのだから、あとは微調整位しかやる事がない。

 モニター上に表れた航路の最終確認をし、呟く。

 

「次元跳躍、開始」

 

 そのワードを拾ったコンピュータは、駆動音を響かせながら怜治が座っているシートを白い繭状のフィールドで固定した。

 これは、コールドスリープの一つであり、遺伝子情報をその場で記憶、固定化させる為のものだ。

 カウントダウンが始まり、密閉されたシート内に特殊な気体が注入され、意識が途切れ始める。

 

「次目覚めた時は、元居た地球でありますように――」

 

 そう、願いを口にした後、怜治の意識はゆっくりと沈んでいった。

 その数十秒後、時空固定装置が稼動し、繭状のフィールド内の時間を固定されるのと同時にカウントが0になり、グラール太陽系から一人の英雄が消えた。

 

 怜治の願いは半分当たり、半分外れた。

 それは怜治の良く知らぬ地球であったのだから。

 それでもこれから先、何度も諦めずに、彼が居た地球へと帰還する為、力を尽くすのは間違いはないだろう。

 人としての帰属本能がある限り。

 

 これが、神薙怜治の最初の世界での最後の記録。

 彼の、異邦の旅人としての歩みは、此処から始まった。


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