襲撃を退け、かつての戦友だった魔導師ヒュウも加えた一行は、太陽が中天に昇った頃にトリア城下に到着した。そこでロイ達が見たものは、トリアの惨めな姿だった。人影はほとんどなく、露店も出ていない。そして家々の扉や窓は固く閉ざされている。まるで街一つが死んでしまったような光景に、ウェンディは絶句した。
「これが・・・トリアの今。信じられません!二月ほど前、リリーナ様とレノス様を見舞った時は露店が並び、人々が行き交うほど賑わっていたのに・・・」
「どういう連中がやったかは知らんが、まさか街の人間まで巻き込んでるとはな」
「ひどい・・・。どうしてこんな」
ディークとシャニーも、それぞれに小さく怒りを込めながらつぶやく。
「いや、街の人は無事さ」
そこにヒュウが二人の言葉を否定する発言をする。そしてそれに同調していたのはロイだ。
「・・・魔力のない僕でも、なんとなくわかる。ヒュウ、これはまさか」
「察しがいいっすねロイ様。こりゃ魔法の仕業さ、それもえげつないぐらいとびっきりのな」
ヒュウの態度に、ただ事ではないと感じたシードが聞く。
「どういうことだ。魔法で人だけが一掃されたって言うのか?」
「そうじゃないんですよ。これは『時間を止めてる』んですよ」
「時間を・・・止めるだと?そんな芸当、できる魔導士なんているのか?」
「どうっすかね。まあ、巷じゃ『山の隠者』なんて呼ばれてるニイメばあちゃんですら、足元にすら及ばねえぐらいのすげえ奴ならね。確証は持てないですけど・・・どう考えてもこれは魔法の仕業っすよ。魔導士の端くれの俺が・・・ハンパなく気持ち悪くなるぐらいのね」
よく見てみると、ヒュウの顔色はあまりよくない。魔力の影響だろうか。全員がそう考えた瞬間、どこからともなく声がした。
『さすがにするどい。お察しのとおりですよ』
そして一同の前に大きな魔方陣が現れる。
光が収まると、そこには一人の男が立っていた。ほら貝のような三角帽をかぶった長髪の優男。見るからに魔導士と言える男は、丁寧な会釈の後口を開いた。
「お初にお目にかかります。私(わたくし)、トリア候の執事を勤めまするラストールと申します。お見知りおきを」
「執事ね・・・。かしこまったしゃべり方はそうだが、魔法陣から現れるつうのは、なかなか凝りすぎなんじゃねえか」
ただならぬ気配を感じたシードは、ひきつった笑みを浮かべる。
「そう警戒なさらずとも。しかし、そちらの魔導士殿とロイ様がお察しの通り、この街の時を私が止めておりますので、必要かもしれません」
あっさりと自分の仕業であると言いきったラストールに、全員が身構える。対してラストールは「そう警戒しないで下さい」と笑みを浮かべて手をひらひらさせた。
「私はロイ様に御用があるのです。主レノスより、ロイ様をお迎えして参れと」
そういったラストールは、自然な仕草でロイを指さす。一瞬瞬いたかと思うと、次の瞬間、ロイは白い光に包まれていく。一同が戸惑う中でラストールが指を鳴らすと、白い光は強く瞬いた後、消えた。そしてそこにロイはいなかった。
「貴様!ロイに何をした!」
すぐさま、シードが怒りをあらわにして剣を抜き、斬りかかる。それをラストールはジャンプでかわすと、そのまま宙に浮いた。
「血気盛んで結構です、ラウス候。しかし、いきなり斬りつけるとは、粗暴が過ぎますよ」
そしてラストールはまたも指を鳴らす。すると、地面から次々と兵士がシードたちを取り囲むように「生えて」きた。白亜の肌に金色の瞳をした例の刺客たちである。
「さて、主はしばらく手を離せません。ロイ様の安否を知りたければ、こいつらを片付けて自力で城にお越しください。では失礼」
そう言い残して、ラストールは姿を消した。
「ちっ、こざかしいまねしやがって・・・」
そう吐き捨てて、シードはぐるりと囲む敵をにらむ。恐らく百人近い人数。技量はたかがしれてるが、感情がないためためらいなく攻めてくる連中だ。正直なところ甘く見ても五分五分と言っていい。
「むこうはなかなか俺達を買いかってるようだな、ディーク殿」
「そのようだシード様よ。人海戦術でつぶしにきたな」
「へへっ、あたしたちがこれで怯むと思ったら大間違いなんだからね」
そう言ってシャニーも剣を構える。
「よし。ウェンディはヒュウ殿を守れ。ディーク殿とシャニーは俺と一緒にこいつらを斬り尽くすぞ」
「任せろ」
「オッケー」
「了解しました!」
「んでヒュウ殿。できれば派手めの魔法で援護を頼む。一撃で大勢仕留めてくれ」
「高くつきますよ、まあ任せて下さいって」
「あと一つ。みんな死ぬな。いくぞっ!」
そう告げて、シードたちは戦闘に入った。
(・・・・う、・・・ここは・・・どこ・・うっ)
頭痛に耐えながら、リリーナは意識を取り戻した。朦朧(もうろう)としながら周りを見渡すが、真っ暗でよくわからない。手掛かりを探ろうと、リリーナは腕を動かそうとした。しかし・・・
(う、動けない・・・?)
右腕、あるいは左腕を動かそうとするが、リリーナの両腕は左右に広げられたまま微動だにしない。脚も同様に肩幅よりも広く開脚した状態から動けない。暗闇の中でリリーナが得た情報は、自分が今大の字の状態で動けなくなっていることだけだった。どうすればいいか考えを巡らせていると、急に周りが眩しくなった。
「気づいたかい。リリーナ」
目をつむっていると、聞き覚えのある声がした。眩しさに目が馴れてきたため、ゆっくりと瞼を開けると、見慣れた場所によく見知った人物が立っていた。
「レノス・・・様」
「ずいぶん眠っていたようだ。寝顔を見ていると、幼いころの君を思い出したよ」
リリーナは声に構わず周りを見渡した。そこはトリア城の玉座の間であった。そして自分の身体を見てみると、動かない自分の手足は、白亜の物体にめり込んでいる。どういう状態かは図りにくかったが、とりあえず拘束されていることは間違いない。
「レノス様、ご病気とうかがってましたけど、これがどういうことかの説明はできますでしょうか」
状況がある程度理解できたことで精神的に落ち着いたリリーナは、気丈な態度でレノスに聞く。するとレノスは、ふっと微笑んだ。
「・・・説明か。そんなことはどうでもいいじゃないか。・・・会いたかったよ、リリーナ」
リリーナの質問を無視するようにつぶやき、レノスは近づいてリリーナの頬に手を当てた。レノスの左手がふれた瞬間、リリーナは言い知れぬ悪寒に襲われ、反射的にレノスから顔をそむけた。
「どうしたんだい、リリーナ。従兄である私から目をそらすなんて」
「ひっ・・・」
顎をつかみ自分のほうに向かせるレノス。リリーナは目があった瞬間、その異常さに小さく悲鳴を上げた。
本来のレノスはリリーナと同じ紺色の澄んだ瞳をしているが、今の彼の眼は赤黒く淀んでいた。それ以前に、先ほどから自分に触れる彼の手先、掌は氷よりも冷たかった。少なくとも、今レノスは人とは言えなかった。
そこに二つの魔法陣が現れ、二人はそちらに目を向ける。一つからは魔導士ラストールが、もう一つはうつぶせに倒れるロイが姿を現した。
「レノス様。ロイ様をお連れしました」
「ああ。ご苦労だった」
「う・・・。今の、光はいったい・・・」
「ロイっ!」
「えっ。・・・!リリーナ、大丈夫か!」
朦朧とした意識の中、幼なじみの呼びかけに覚醒したロイは、立ち上がって安否を尋ねる。ただ、無事とは言いにくい状況であることはすぐに分かったが。
「ロイ殿か。久しいな。少々手荒だったが、許してほしい」
「・・・レノス殿。これは一体・・・」
「君をここに招いたのはね、うん。君に会いたかったからなんだよ」
「街も、人も、死んだように静かになっている。レノス殿、いったい何があったというのです」
「君とリリーナは恋仲だそうだねえ。まいったな、僕も彼女には恋心があったんだ」
「レノス殿?」
ロイは一瞬寒気がした。いくら質問しても、レノスとは会話が成立していない。よく見るとひどく淀んだ眼をしており、口元からはよだれも垂れだしている。
「ロイ、気をつけて!今、レノス様は何か魔法のようなものをかけられてるわ。ウッ!!」
リリーナがロイに向かってしゃべりだすと、レノスは突然彼女の首をわしづかみにした。
「・・・静かにしなさいリリーナ。私は今大事な話をしているのだよ」
「ウ、グッ・・・カハッ」
「レノス殿!」
苦しみもだえるリリーナを見て、ロイは血相を変えてレノスの手をつかむ。だが、ロイはそこでレノスの変貌におののいた。
(何だ、この腕力・・・)
「じゃまをするぬぁぁっ!!!」
「ぐあっ!」
反対側の手でレノスはロイを振り放う。その瞬間、ロイは壁まで弾き飛ばされた。
「リリーナは私の物だロイ。私とリリーナの邪魔をすルトイウノナラ、ヨウシャハセンゾ!!!」
次第にレノスの表情は表面し、赤黒く淀んでいた瞳は、不気味な深紅の輝きを放ち、禍々しい槍を手にロイに向かって歩き出す。そこにいたレノスは、二人が知るレノスではなかった。
(いったいどうしたんだレノス殿は。さっきの力といい、まるで何かが宿っているようだ)
(レノス様は間違いなく操られてる・・・どうすればいいの?)
その傍らで、ラストールがほくそ笑んでいた。
「ふふふ。では、レノス様。その男を殺しなさい」
レノス:トリア侯爵。二十二歳。先代オルンの実子でリリーナとは又従兄妹(またいとこ)の関係。
クラスは一応ジェネラルであるが、病弱のため武芸はほとんどできないはずなのだが・・・