織斑一夏はテロリスト ―『お父さん』と呼ぶんじゃねぇ― 作:久木タカムラ
まだ空が白み始めたばかりの早朝。
全裸の姉さんが隣で静かに寝息を立てていた。
はい、ごめん嘘です。
今の私はそこまで爛れた家族関係を望んではいない。少なくともこの時代では。
だからと言って同性愛への扉が開いた訳でも、魔法使いと呼ばれるようになった訳でもないので誤解しないように。体調管理はテロリストの基本。超A級スナイパーの東郷さんだって仕事の時は発散しているし、男に生まれたからには上るべき階段くらい上っとるわい。
ハッハッハ、どうだ羨ましいかこのヤロー共。
閑話休題。
久々のベッドは実に快適だった。
地下で使っていた部屋も一流ホテルに負けず劣らずだったけれど、寮にあるのはさらにランクが上かも知れん。無自覚にこんな贅沢をしているのかと思うと、今すぐお嬢様方を叩き起こして一言物申したくなってくる。アルプスの少女なんか干し草のベッドで寝てるんだぞ?
まったく最近の若者は――とぼやきつつ、テレビの電源を入れてみる。
篠ノ之博士の一件のせいで各国政府は戦々恐々と言ったところだろうが、どうやらマスコミには情報を流さなかったようだ。その代わり矢面に立たされたのが――
「おやまぁ、どっかで見たツラだコト」
画面の向こうでは、国際IS委員会の緊急謝罪会見が開かれていた。時差から考えて会見場所はヨーロッパかアメリカか――まあそれはどうでもいいとして。
委員会のロゴが刺繍された垂れ幕をバックに、奇妙にひん曲がった鼻の禿頭男が壇上でカンペを読み上げている。忘れもしない、私が殴り飛ばしたあの屑だった。
顔は真っ青を通り越して粗雑な蝋人形のように白く、額には脂汗がいくつも浮かぶ。震えた声で何度も文章を読み間違え、今にも泡を吹いてぶっ倒れてしまいそうだ。
無理もない。
これまで自分達が犯してきた罪を列挙しているのだから。
長年にわたる横領、贈収賄による票操作、お決まりの談合、果ては推薦したテストパイロットや訓練生へのセクハラまで――いやもう、これでもかと出てくるわ出てくるわ、汚職の見本市かってくらいにホコリがボロボロと。しかも呆れた事にこのハゲ豚、少年とオルコット嬢の試合で賭けの胴元まで務めていたらしい。姉さんが見てたらフル装備で殺しに行きかねんぞ、コレ。
「もう起きて見てるよなぁ、多分」
現に隣からリモコンっぽい何かを握り潰したような音が聞こえてくるし。
さて、これから私は三週間ぶりの朝メシを食べて同伴出勤しなきゃならん訳だが、プレデターも腰抜かして逃げ出しそうな世界最強と一緒にとかどんなハードワークよ。
朝っぱらからアンニュイになっているとノックの音が。誰が来たのか考えるまでもない。しかし死刑当日の受刑者みたいな心境になってしまうのはどうしてでしょうねぇ。
「……はいはーい」
ま、このまま突っ立っていても仕方がない。
手早く身支度を整えて白衣を羽織り、テレビのリモコンに手を伸ばす。
記者団の質問責めに耐え切れなくなった男が『これは陰謀だ!! 何者かが我々を陥れるために仕組んだに違いない!!』と半狂乱で泣き喚き、警備員に取り押さえられている。
悪因悪果、因果応報。
地位も名誉も、財産も家族も過去も未来も――これまで積み上げ、手に入れるはずだった全てを剥奪され、もはや人生とも言えぬ最底辺の世界で死ぬまで這い回り続ける事になるだろう。
だが、それがどうした。
恥を晒して国の威信を失墜させようが、役員の首が半分以上すげ替わろうが、所詮は心の腐った有象無象――私にはもう何の関係もない。
「では――サヨウナラ」
プツン、と。
画面は黒く染まり、耳障りな声は聞こえなくなった。
◆ ◆ ◆
朝練に行く生徒への配慮なのか、寮の食堂はかなり早い時間帯から開いていた。
それは良いとして、どうやら食堂のおばちゃん達の間で私は『キムチが大好物』と間違って認識されているらしく、日替わり定食三人前に加えて大盛りキムチ丼ご飯抜きのサービス再び。だから嫌いじゃないけどそんなに好きでもないんだってのに。
でもって。
食べている最中も食べ終えた後も、織斑先生はすこぶるご機嫌ナナメだった。
どれだけ不機嫌なのかと言うと、私がほんの少しでもボケる素振りを見せるとすぐさま箸置きが飛んでくるほどだ。我が姉ながらニトログリセリンみたいに扱いが難しい人である。グルメ界でも普通に生きていけそう。
「……また失礼な事を考えていないか?」
「いえいえ全くこれっぽっちも。織斑先生なら50連釘パンチくらい撃てるよな絶対とかちっとも考えてませんよ?」
「そうか。ならできるかどうか後でお前の身体で試すとしよう」
「そりゃまた情熱的なお誘いですなぁ」
明日まで生きてられっかな私。
始業時間が五分後に迫り、廊下に出る生徒も少なくなってきた。
例の会見からまだ数時間も経っていないと言うのに、二組のクラス代表が変わっただの中国から専用機持ちが転入して来ただのと、どの教室でも飛び交う話題は凰の事ばかり。女子高生ってのは世界情勢とかより身近な噂の方を選ぶのねーとオッサンちょっと呆れ気味。
「凰、か……」
セカンド幼馴染。
手足を圧し折ってでも私を止めると、戦場の空で泣きながら誓言した彼女。
どちらかと言うと、謹厳実直な篠ノ之よりも性格的には合っていたような気がする。プロポーズ紛いの事までされたのに好意に気付けなかった少年を殴りたくなるが、気付いた後も十年以上目をそらし続けてきた私にその資格はない。
篠ノ之、オルコット、凰、まだ舞台袖で待つデュノアにボーデヴィッヒに更識姉妹。
私の過去は私だけのもの。けれど少年と少女達の未来はこれからが本番だ。アフターケアならぬビフォーケア、犯罪者に堕ちた私の助力など迷惑以外の何物でもなかろうが、せめて恋路くらいは真面目に応援してやろうと思う。
その第一歩としてとりあえず、このままだと殺人出席簿の洗礼を受けてしまうラーメンガールを助けてやらねば。
早足で織斑先生を追い抜き、一組の教室の前で騒いでいる凰に背後から近付く。少年や篠ノ之が驚いたりオルコット嬢が嬉しそうに手ェ振ったりしてるけど今は放置。
「はいはい話に花咲かせてるところスイマセンが、SHRが始まるんでちゃっちゃと自分の教室に戻りましょうねー」
「うにゃあ!? ちょっ、ちょっと誰!? 何なの!?」
制服の後ろ襟に指を引っ掛けて、猫のようにぶら下げる。
はーなーせー、とジタバタ暴れるが、手足のリーチが違い過ぎて私にはまるで届かない。つーか相変わらず軽いなぁこの子ってば。胸に肉がついてないからかね?
「ドーモ、ドーモ、ハジメマシテお嬢さん。私はジョン・スミス、またの名を田中太郎、あるいはハンス・シュミットと申します。仲良くしてね?」
「アンタの名前なんかどうだって良いのよ! あたしは一夏に用があるの!!」
「うん、それは重々承知してっけど、まずはこっちに注目」
くるりと仲良く後ろを向き、爆発寸前の鬼教官とご対面。
わあスゴイ、噴き出ている瘴気で周りの景色が歪んで見える。そのあまりの恐ろしさに凰自慢のサイドアップテールがピーンと逆立った。何その妖怪アンテナ。
「ド、ドーモ。チフユ=サン。凰鈴音です」
「…………織斑先生と呼べ。それと、その馬鹿も言った事だがあと二分でSHRが始まる。入口を塞いでないでさっさと教室に戻れ」
「戻ります、すぐ戻ります!」
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタジタバタジタバタジタバタ――!
「降ろしなさいよ!」
「ではキャッチ&リリース!」
「きゃあああああっ!?」
色々と面倒臭くなったんでブン投げた。運動神経はズバ抜けてるし大丈夫だろ。ほら、ちゃんと綺麗に着地して――何故こっちに戻って来る?
「何すんのよ、にゃにすんのよ!?」
「私に噛みつく暇があったら逃げた方がいいんでないかい? さあ織斑先生リターンズ」
「あ゙ぁ゙ん?」
「ひやああああっ!?」
殺意の波動を受けリンちゃん大絶叫。
うっかり目撃してしまった少年も篠ノ之もオルコット嬢も、ついでに鷹月さんとか相川さんとか岸原さんとか夜竹さんとかのほほんさんまで――つまりは集まっていた一組のほぼ全員が姉上様のメンチ切りに悲鳴を上げ、小動物の本能に従い私ごと廊下に閉め出した。
妙に寒々しい風が吹く。窓は開いていないのに。
「なあ…………私はそんなに怖いか?」
「先生ってのは怖がられてるくらいが丁度いいんじゃないッスか」
消沈するグレート・ティーチャー・オリムラ。
こう見えてメンタルは普通の乙女(?)なのである。
ところで凰まで一組の教室に引きこもっちゃったけど、もうすぐ始業ベルがなるってのにアイツどうするつもりなのかね。
誤字・脱字などあれば報告していただけるとありがたいです。